晶、悪巧みする4
そういった事情があって、結局のところ二軒目以降のメイド喫茶への調査は取りやめとなり、晶を連れて近所の土曜日でもやっている近所の診療所へ行くことになったのだった。
土曜の昼前ともあって少々混んでいたものの、今はもう晶が診察室に呼ばれて、雪兎が付き添いで一緒に行ってしまい、杏奈と紗江は待合スペースで椅子に座っている。
そんな中、杏奈はここに来るまでのことを思い出していた。
二度の眩暈を起こした晶はまだ足取りにふらつきが残っていて、道中はずっと雪兎がおぶって行くという形になった。
背が高く大きな背中に背負われる彼女の顔が、終始真っ赤になっているのは、同じ店で働く仲間に情けない姿を見られてしまった、という気持ちがあるからだろうと思っていた杏奈だったのだが、まるで離れたくないと言わんばかりにしがみ付く少女を見て、また違う予想に行きつく。
それは、二人が恋人同士ではないのかということ。
今まで誰かと付き合っていると晶自身から聞いたことはないし、中学時代からずっと彼女の近くにいたはずである真奈からも、聞いたことが無い。
しかしちらりと背負われる晶へ目を向けてみれば、まるで顔を合わせないようにしているかのように、杏奈や紗江の歩いている方とは真逆に顔を向けていて、その表情は見て取れなかった。
怪しい。そう思うのに十分な態度である。
それに雪兎の行動も気になる。
人当たりの良さそうな印象を受ける彼ではあるが、同じバイト先の女の子が体調不良だからといって、自然な動作で額に触れるような、女慣れをしている人には見えなかったのだ。
倒れそうになる晶を抱きとめるのも自然で優しいものだったし、ふらふらの晶の前に「乗って」としゃがみ込むのもすぐだった。そして、まるでそうするのが当たり前というように、診察室の中まで付き添いで入って行く。
大切な人の体を心配する優しい彼氏。まさにそんな雰囲気だ。
これは限りなく黒に近い灰色だなと、そこまで考えた杏奈はふぅと息を吐き出した。
とすれば、あれほど顔が赤くなっていたのは好きな人に接近されたからではなく、友人に内緒にしていた隠し事がまさかの形でバレてしまった上に、人前だと分かっていても恋人相手にベッタリしてしまっている自分が恥ずかしかったのだろう。
予想もしていなかった友人の恋人と遭遇したとあれば、女子としては美味しい話題のネタだろう。しかし杏奈は、そこまで食いつくつもりは無かった。
何しろ、どんな風にこのネタで話をすれば良いのか分からないのだ。
「あ、あの……杏奈ちゃん」
一方で杏奈と一緒に取り残された紗江も、似たようなことを考えていたようだ。囁き声で杏奈に話しかける彼女は、顔を少し紅潮させていた。
「晶ちゃんと高城さんって、その、お付き合いしていると思いますか?」
「わたしはそう思ってるけど」
「ですよねっ」
そしてどうやらあの二人の関係に興味津々のようで、彼らが入って行ってしばらく経つ診察室の方へと目を向けている。
「すごく仲が良さそうですよね、あの二人」
「ホントに。……でもやっぱり、紗江も晶に好きな人がいるってことは、聞いてなかったのか」
「そうなんです、全然知りませんでした!」
突然降ってわいた浮いた話に、紗江は押さえきれなくなったらしいテンションを(声は押さえめで)爆発させている。
男子の話となると普段から雑な扱いをする晶だったため、自分の色恋沙汰となってもあまり照れる様子が想像できなかったのだろう。実際に杏奈も、晶が顔を赤くして可愛くなってしまうところなんて、今日まで想像もできなかった。
出会ってたった一ヶ月しか経っていない杏奈ですらそのような印象を持つような女子が、まさか好きな人がいることを隠しているとは。
この事実は杏奈にとっても紗江にとっても、衝撃の大きいことだったのだ。
「となると、真奈も当然知らないんだよなぁ」
今日から三日ほど、どこか遠くにあるという親戚の家へ行っている少女を思い浮かべる。彼女が知ったらどんな顔をするのだろうと考えてみたものの、杏奈には想像もつかなかった。
「思ったんですけど、杏奈ちゃんは晶ちゃんたちと恋バナをしたことがありますか?」
「恋バナ? さらっと触れたことはあると思うけど、そういう話で盛り上がったことはないな」
つい先日は晶が杏奈に対して達哉のことが好きではないのかと言ったこともあったが、あれはどちらかと言えば煽りの意味で言ったのであって、恋愛に関する話ではなかった。それは紗江も同じように思っているようで、あの話を彼女は恋愛話として認識していないようだ。
他に思いつくことはと考えてみれば、入学して数日の頃に紗江が達哉とどういう関係か、を晶や真奈と一緒に話したことがあるのを思い出す。
しかしあれは盛り上がった何て言えるものではない。それ以外にはと考えてみても、他に記憶に残るものはなかった。
「やっぱりそうですか……」
紗江としては恋バナにも興味があるらしいのだが、女同士の会話のネタには詳しくない杏奈は、その感覚を理解できるレベルにはなっていなかった。
小中学生の男子同士でする会話には、ほとんど恋バナのようなモノは存在しない。
もし誰かの浮ついた話をするのであれば、それはからかうためのネタであることがほとんどなのだ。
「女同士だと話すことも多いのか?」
「決して多くはないですけど、噂が流れてくると話したりしますね」
だからだろう、杏奈からはこういった男のような質問がどうしても出てしまうのだが、以前は男子グループとつるんでいたという彼女の話を何度も聞いている紗江たち三人は、笑って受け入れてくれるようになっていた。
「この間も中学時代の友達に恋人ができたとかで、数人で集まって話してました」
「へぇ、噂に聞く高校生デビューってやつ?」
「いえいえ、そこまで派手ではないですよ。スカートは少し短くしたみたいですけど、落ち着いた雰囲気の読書が好きな女の子ですから」
「となるとその子、結構男子ウケがいいのかな」
知らない女の子の話とはいえ、杏奈もその話には乗ることができていた。
杏奈はその少女のことをほとんど分かっておらず、印象と言えるような輪郭もつかめていないのだが、そんな彼女の発言を受けて、紗江もその少女のことをあれこれと思い出すきっかけになってるようだ。
「どうなんでしょう。中学では男の子から人気があったような印象は無いですけど」
紗江は記憶にあるその姿を思い出して首をひねったものの、
「でもお相手は、同じ文化部に入った同級生だと言っていました」
少女に彼氏ができた流れは少し聞いているようで、つまりそこで「何か」があったのだろうと思っているようだ。
「そっか、文化部なら部活も出会いの場になるよな」
部活と言えば運動部という意識の強かった杏奈は、男子○○部や女子○○部といったように部活は男女で分かれているイメージを持っていたのだが、文化部にはほとんどそういった風潮は無い。
そんな事実を改めて知って、杏奈はなるほどと首を縦に振って感心して見せる。ただ彼女にとっては完全に他人事で、言った言葉の通りにしか思っていないのだった。
ところが紗江はそうでもないようで、しばらく何かを考えているのか俯いた後、小さなため息を吐きながら
「羨ましいですよね、出会いがあるというのは」
と言う。
「確かにそれは思う。……被服研究部には無いモノだしな」
「そう、なんですよねぇ」
ここのところ何かと恋愛話に真剣な彼女は、高校に出会いならぬ特定の個人との関係が発展する機会を求めているらしい。だというのにそれが期待できない現在の自分に、少し焦りを感じているようだった。
とはいえ彼女たちの高校生活はまだ最初の一ヶ月が終わろうとしている頃なのだ。焦る必要はないどころか、紗江の考えるチャンスは始まったばかりである。
「でもクラスにも男子は十五人いるし、学校全体ならもっとだ。積極的に行けばチャンスはあると思うけどな」
しかし杏奈は、紗江が好意を寄せている相手に心当たりがありながら、そこには触れず、今の会話の流れに乗った形となる言葉を選んで返した。
応援してあげたいと思う気持ちはあるものの、杏奈にはあの男に対する特効薬となるようなアピールの方法に心当たりがない。そもそも、彼女の勘が当たっているとは限らない。無理に変な話をすれば微妙な空気になってしまいそうで、無難に受け流すことを優先したのだった。
心の中で、良くなかったかな、と思いながら。
そのせいか、彼女はいつも見せている明るい表情だったものの、眉間の辺りに少しだけ皺が寄っていた。
「積極的に……。やっぱり杏奈ちゃんもそう思いますか?」
「そりゃね。タイミングは必要だと思うけど、気持ちははっきり伝えなきゃ分からないよ」
自分自身の中にある黒い気持ちを誤魔化そうとして、余計にオーバーな言葉が口から飛びだしてしまう。この会話で焦っているのはむしろ杏奈の方で、自分がとても悪いことをしているような気持ちが、色々なところから漏れ出していた。
「ふーん、積極的に気持ちをはっきりとなんて。やっぱり杏奈はそういうところも男らしいんだね」
「いや、別にそんなつもりで……って晶っ!? いつの間に後ろにいたんだよ」
夢中で会話をしていたとはいえ、病院の中だという意識を持って節度ある声の大きさを心がけていた杏奈だったが、まさか診察を終えた晶が背後に忍び寄っているとは思わず、驚いた拍子に彼女の名前をつい大声で呼んでしまった。
「いつって、ちょうど今だよ。ね、紗江」
「えっと、私も声を聞いて初めて気づいて……驚きました」
そして心の底から驚いたのは紗江も同じだったようで、鼓動の速度が跳ね上がってしまったらしく、胸に手を当てて少し息を荒くしていた。
「……で、どうだったんだ?」
ここに来た時からあまり心配していなかったものの、悪い影響が出ていたなんてことも可能性としてはゼロではない。
本来の目的である話へと、さっきまでの会話の流れが辛くなっていた杏奈は、小さく深呼吸をしてから切り替えた。
「うん、レントゲンも撮ってもらったけど、別に何ともないってさ」
「そうでしたか、良かったです……」
そして晶を昏倒させてしまった紗江も、友達に何かあったらどうしようと思っていた不安な気持ちが払拭されて、安堵の表情を浮かべる。
状況的によほどの強打ではないし、症状もめまいだけ。となれば、CTやMRIのような大掛かりな撮影まではしなかったのだろう。
レントゲンを撮ったとなるとそれなりに診察の点数は跳ね上がるが、医者もかなり軽い口調で「念のため撮るだけ撮ってみますか」と言って、できてきた画像を見ても「変な影は出てないですね」と笑ったそうだ。万全を期すには仕方のない出費である。
肝心の診断結果は、
「眩暈の原因は、急激に頭を動かしたために血液が一時的に偏ったせいでしょう。立ち眩みみたいなものですよ」
とのことで、つまり彼女は二度とも似たような原因で目を回したということらしい。
晶より少し遅れてやってきた雪兎曰く、レントゲンを見る限り眩暈は一時的なものであって、遅れて症状が出る可能性は極めて低いそうだ。もし万一を心配するのであれば、一日程度は激しい運動をせずすぐに救急車の呼べる環境にいればいい。そうアドバイスされたという。
「ま、ボクがあれくらいでどうかするワケないよ」
診療所を出た晶は、調子に乗っておどけながらそんな軽口を言った。
それを聞いた杏奈と紗江は、彼女があまりにもいつも通り過ぎるため、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
「だから晶ちゃん、仕事中はいっつもテンション高いけど、今日は少し抑えなきゃだめだよって。ね?」
しかし雪兎が優しくかけた言葉と共に、彼女の肩にぽんと手を乗せると、
「うっ……はぁい」
すぐにしおらしく俯いたかと思えば、普段の彼女からは想像もつかない程に素直な返事をする。
その様子を初心だと言ってしまうのは簡単だが、普段から暴走したときは抑え込むのに周りが手を焼くというのに、一言で大人しくなってしまうのは驚きだった。
それは雪兎が年上だから成せる業なのか、晶の気持ちがそれだけ強いのか。または両方か。
考えても杏奈には答えは分からないものの、雪兎がいれば晶は四六時中大人しいのかと言えば、それもまた違うということは分かる。
「二軒目のお店に行きそびれちゃったのは仕方ないか。それじゃ、ちょっと早いけどバイト先の方に行こっか!」
晶は病院から出たと思ったらすぐにいつもの調子を取り戻すと、普段通りのテンションでそう宣言している。
どこにいても晶は晶で、雪兎は真奈よりも強力なストッパーとなっているらしい。それくらいだった。
時間はもうすぐ十一時四十分と言ったところ。
晶のバイト先はどうやら昼の一時に開店する店のようで、晶たちのような仕事内容に慣れたメンバーはその時間までに準備ができていればいいらしい。
今日バイトがあるという予定を杏奈は聞いていなかったものの、紗江は最初から晶のバイト予定を知っていたらしく、自然な笑顔で、
「あ、じゃあ私と杏奈ちゃんはこれで……」
失礼しますね。そう言いかけたのだが、
「え、何言ってるの?」
きょとんとした晶に言葉を遮られて、紗江は、そして杏奈もきょとんとした顔で晶を見つめ返した。
「二人も一緒に来てくれなきゃ困るよー」
そして、またも彼女は笑顔でおかしなことをのたまい始める。
二軒目のメイド喫茶へ調査に行くのは中止になった。それは晶が自分で宣言しているのだから間違いない。しかしその代りに晶のバイト先へと調査に行くのは、全く意味がないことだ。なぜなら晶自身がその服を着慣れていて、今更調査をするまでもないのだから。
もしかして頭をぶつけた影響で思考がおかしくなったのか。そう思った二人だったのだが、
「ボクが今日二人を呼んだのって、バイトのヘルプをしてもらうためだったんだよね」
「は、はあああぁっ!?」
どうやらおかしな思考をしていたのは、最初からだったらしい。
彼女の言葉に思わず声を出してしまった杏奈は、何言ってんのか分かんない、と視線で訴えかけたものの、それに対する答えは簡単だった。晶はついに二人の前で、あの悪巧みをしている時の笑顔を浮かべたのだ。
少々予定通りにはいかなかったものの、概ね計画通り。そう言いたそうな表情だった。
その顔で全てを悟った杏奈は引きつった笑顔で、このとんでもない悪戯を仕掛けた少女に、どんなお灸の据え方をしようかと考え始める。
紗江に至っては、予想もしていなかった晶のドッキリに驚き過ぎて、目を見開いたまま口をパクパクさせるばかりだった。
「大丈夫だよー。うちのメイド服、絶対二人にも良く似合うから!」
あはははーと笑う晶に、一体どんな言葉を返せば上手くことが運ぶのか。
彼女がたまに、このような常識外れな言動を繰り返すごとに、注意しようと正論を浴びせかけても全く動じず自分の主張を通そうとするため、杏奈も真奈も困っているのだ。どうしても止めなければいけない時は、仕方なくで強引な手段を取ることもあるほどに。
「晶ちゃん、ちょっと待ってもらえるかな」
しかし今日は、そんな彼女の暴走を止めてくれる人がいた。
「ゆ……雪兎、くん?」
さっきまでは何となくのんびりとした口調で話していた雪兎なのだが、この時はその声が低く座っていた。彼のその声色を聞いた途端に笑っていた晶は表情を凍らせて、恐る恐る、後ろを振り返る。
「自分の立場をきちんと分かってる? 晶ちゃんは二人に、どんなことを伝えなきゃいけないのか、それをどんな風に伝えたのか、僕に教えて欲しいな」
表情は笑顔であるものの、その視線は凍ったように冷たく、晶に突き刺さっている。
そして彼の視線を前に、晶は完全に勢いを失ってしまっている。杏奈たちに向けた後ろ姿は、むしろ震えているようにさえ見えた。
晶が雪兎の注意に素直なのは、好きだという気持ちがあるのと同時に、怒ると怖いからそうなる前に従おう、という気持ちがあるのかも知れない。
「これはね晶ちゃん。同僚として、それに先にバイトを始めた先輩として、君にはしっかりとした誠実なメイドであってほしいから言ってるんだよ?」
「はい……」
単なるプライベートで仲のいい知り合いではなく、同じ職場で働く者同士の関係として発せられた言葉に、晶は完全に委縮している。
「すみません……まだ、詳しい説明はできてません」
「だったら、しなきゃいけないこと、分かるよね?」
「……はい」
先輩に促されて、晶はしゅんとした様子で振り返ると、粛々と二人にことの顛末を話し始めた。
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