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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
少女の初心者は高校生に。
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誰しも痛みを抱えている2

 その後、晶からいかにあり得ない授業もどきをやらされたかについて、ほとんど愚痴でしかない状況説明を延々と一時間ほど聞かされ続けた杏奈は、終始苦笑いを浮かべていた。


 彼女曰く、部活開始時刻からおおよそ一時間半ほどを使って料理と裁縫を時間半分ずつやったそうだ。

 内容としては味噌汁と卵焼きを作り、その後アイロンがけと解れた服の応急処置。


 ……ところが、一人暮らしのための特訓をするはずであるその場所に、なぜか数名の男子生徒も一緒にやってきていた。


 それを見た晶が「この人たちなんでいるの?」ともちろん敬語で主催者の先輩に訊くと、案の定「味見してくれる人がいた方がいいじゃない」との答えが返ってくる。


「料理はそりゃ味見できるからいいけどさー、聞いてないから裁縫なんて役に立ちそうな、地味なネタしか用意してなかったってのっ!」


 頭ん中お花畑すぎるよっ! と、晶は興奮気味に言ってピーチコーラ(ピーチジュースとコーラを混ぜた、曰く晶の好きな飲み物)を一気飲みして、ドリンクバーのお替りへと席を立った。


 彼女の用意していたネタがアイロンと解れの応急処置となれば、確かに華は無いが……杏奈が長く一人暮らしをしてきた経験からいけば、特にアイロンはできないと色々困るものではある。ではあるのだが、恐らくは気のある相手を呼んでいたであろう女子たちが、女らしさをアピールできるネタでもない。

 それで何か言われたか、刺さるような視線でも向けられたのだろう。


 再びピーチコーラを持って帰ってきても相変わらず膨れている少女をみて、杏奈は少しいたたまれない気持ちになる。


 ただ。


「ま、ボクとしてはすんごい困った顔してる楠本達哉を見て、スカッとしたけどね」

 恐らくは半分以上が冗談だろうと分かるものの、しかしなぜ達哉に当たり散らすのか、さすがに理解の追いつかないそんな一言を発して、晶はふぅっと息を吐いた。


「晶ちゃん、達哉だって好きで参加していたわけではないでしょうから、酷いことを言わないであげてください」

「そうだぞ。今回は別に、あいつは何も悪くないんだから」

「むしろ迷惑そうにしていたのは、見ていて辛かったくらいですし……」

 晶が見て「スカッとした」と言った達哉の表情を、紗江はそう表現した。


 ただし、晶はどこか達哉に対して辛辣な態度をとるようだし(現在進行形でもある)、紗江は反対に肩を持ちすぎている可能性がある。

 それを差し引いて普段の達哉の態度も合わせて考えた結果、杏奈の予想としては、先輩女子たちから迫られていても、よっぽど酷い態度でも終始苦笑いを浮かべていたくらいだろうと思っている。


「でもさ、モテる男が大変なのは分かるけど、今回の話を断らなかったってことは、あいつ今は誰とも付き合ってないんだよな? 適当に相手作って、面倒事なんて避ければいいのに」


 ここで言うのは詮無き事と分かっていても、杏奈にはそう言わずにはいられなかった。

 なぜなら入学式の日の夕方、杏奈は達哉から「オレがここに住んでるってこと、あまり言いふらさないようにして」と言われている。その理由は家まで押しかけられたくないからだと言っていたが、それはつまり、以前家まで女子たちが押しかけてきたことがあるということだ。


 その時の経験が彼にどんな傷を与えたのかは分からないが、あの時の苛立った態度は、普段の達哉からは考えられないようなものだった。あの態度は恐らく、彼が女子にしつこくされることも嫌っているからではないかと、杏奈は予想している。


 しかしそうなっているのは「達哉の彼女」という誰もが憧れる席が空いているから。その理由が何であれ、あいつの恋人になりたいと思う人間にアピールする口実を与えていることにもなるのだ。ならばその「口実」を潰してしまえば、もうしつこいアピールもされずに済むはずである。


 幸い……と言えば達哉は嫌がるかも知れないが、現状、色々なお相手から声をかけられているであろう彼は、完全に選びたい放題。買い手市場だ。少しでも「付き合ってもいいかも」と思う相手を受け入れてしまえば、今この場で交わされているような女子同士のおしゃべりの種にもされなくなるのではないだろうか。


「ま、確かにボクもさっさと恋人作ればいいのにとは思うけどね。でもあいつ、あれでなかなか身持ちが固いんだよ」

 ところが晶は杏奈の言葉に同意をしながらも、訳知り顔で腕組みをして首を横に振る。


「そうなのか?」

「うん。だって、楠本達哉は今まで一人しか恋人を作ったことが無いからねー」

「へぇ……?」


 一人としか付き合ったことが無いと断定する晶の言葉を、あの見た目と女子に対する態度の軽さからはとても信じられず、杏奈は真偽を確かめるために、先ほどから口を開いていない真奈へと視線を向けた。


 その視線に気づいて、少しうつむき気味だった視線を上げると、

「いやスマン、うちはそこまで事情を知らんのじゃ。ただ、晶は恐らく誰よりも、ここ数年の楠本達哉に詳しいからな。それこそあやつのファンクラブの連中よりも。じゃから、言っとることはホントじゃろう」


 真奈は杏奈の期待したような反応はしなかったものの、何故か親友に対して高い評価を口にして、「どうやら信じてもいいらしい?」と曖昧ながら手ごたえはつかめた。

「うちも知っとることは、その楠本達哉の恋人だった相手というのが、晶の幼馴染でもあったということじゃな」

「……?」

 そして続けられた真奈の言葉に、杏奈は引っ掛かりを覚える。


 なぜか彼女は、過去系を多用しているのだ。達哉の恋人だったのは過去のことらしいから正しいにしても、晶の幼馴染でも「あった」と言うのはさすがに違和感があるのだ。「晶の幼馴染だ」で事足りるはずなのに。


「え、それでは……あの事故で亡くなった達哉の恋人って、その、晶ちゃんのお友達だったんですか……」

「うん、そうだよ」

 杏奈の感じた引っ掛かりは、紗江が言いにくそうに口にした言葉と晶自身の肯定で解消され、同時に、杏奈の知らない達哉の過去が垣間見えてきていた。


 外国の映画では、良く「あなたの事をもっとよく知りたい」と異性に言う場面が出てきたりするが、それはよほどその相手に親近感があってする質問だが、日本人はまず相手の過去を訊こうとはしない。

 それは杏奈も同じだし、仮に聞かなければいけないような場合には本人の口から直接聞きたいと思う性質でもあった。他にも色々と理由はあるものの、他人のプライバシーを勝手に覗きこむような行為は、気が引けるものだ。


「あいつもひどいヤツだよね。恋人が死んだっていうのに、一年半後には見境なく女ひっかけて遊び歩いてるんだよ? ボクにはその気持ちがわからない」

「晶ちゃん……」

「あの子があの時、どんな気持ちでいたかなんて全っ然知りもしないで、いい気なもんだよね。大体……」


「なあ、そんな話、しなくても良いんじゃないか?」


 晶が達哉のことで更にヒートアップしかけていたところへ、杏奈は言葉をかぶせて制止させた。

 晶は話しながら表情を硬くしていて、紗江は何か心の中にあるらしい疑問をどこか必死な態度で追求しようとしていて、真奈は俯いたまま顔を上げようともしない。

 そして杏奈は、こんな話を聞き続けていたくなかったのだ。


「と言うか、それ以上はやめてくれ。わたしはそんなの聞きたくない」

 その気持ちを言葉にすると、三人が驚いたように視線を集中させる。


「あいつのいない所で、あいつの昔の話なんてしないでよ。どうせ同じ話を聞くなら、わたしは本人の口から直接聞いた方がよっぽどいい」


「……。そうは言うけどさ、どうせあいつの話には保身の言葉しかないよ? 客観的な発言はしないだろうし、自分も被害者だって言うに決まってるもん」

 事故で恋人を亡くした。そんな話だったはずなのに、晶はなぜか良く分からないことを言う。あいつ=達哉が保身しかせず、「自分も被害者だ」とは……一体この少女は、何の話をしているのだろう。


 杏奈はそれが分からずに一瞬口ごもってしまうが、その間に、頭の中でよぎるものがあった。それは、自身の男としての最期の記憶だ。


 もしあの時の立場が逆で、自分が目の前で好きな人を失う側だったとしたら。きっといつまでも、あの子を殺したのは自分だと思い込んでしまうだろうと、そう予想できてしまうのだ。その気持ちを抱えるなら、自分の心を守るための言葉が出てくるのも、仕方のないことではないのか。


 達哉の彼女だった人が事故で亡くなった状況が、あの時と似た状況だったとは限らない。それでも、どこか自分に重なるような気がして、

「いいじゃないかそれで。何が悪いんだよ。それでもわたしは、本人から聞く方がいいんだ」

 杏奈は晶の言葉を聞いても、主張を曲げなかった。

 否、それすら彼女にとっては「言い訳」でしかなかった。心を守るための発言をしているのは、他ならぬ自分自身なのだ。


 晶も幼馴染を亡くした当事者なのだから、その時の苦しみや悲しみやその他の感情を抱えているはずで、それを口にする権利がある。それは、恋人を亡くした達哉もまた同じだ。ただ、二人の口から語られる言葉は決して同じではないだろう。感じている気持ちの強さや方向性は、違っているはずなのだ。


 その違いから、だろうか。晶からは達哉のことを認めていないかのような雰囲気を感じる。幼馴染の死を、達哉のせいにしたがっているようなそんな雰囲気だ。


 達哉がこの件についてどう思っているのかは分からない。しかし、彼が晶と仲良く話しているところを見たことがないということは、二人の間に隔たりがあるかもしれないことは簡単に想像がつく。


 杏奈からすれば、自分が死んだせいで、知り合いの間に亀裂が生まれていがみ合う原因になっている……そんな可能性があるなんて、聞きたくもないし知りたくもなかった。

 それでも、杏奈のその気持ちは真直ぐ言葉にはできない。することなど、できるはずもない。その結果が、晶の言葉の否定となって現れていた。


「へぇ、随分と必死にあいつの肩を持つんだね。ボクの言うことは間違ってて、あいつの言うことが正しいって思ってるんだ? ……ていうかさ、実は杏奈って楠本のこと好きだったりするんじゃないの? だから庇うんだよね」

「違う、違うんだ。そうじゃなくて……」


 しかし杏奈の中にある葛藤が晶に伝わることはなく、伝わったのは「晶の気持ちの否定」という言葉通りの意味合いだけだった。


「違わないじゃん。そうやって」

「やめておけ晶。今の杏奈を見れば分かるじゃろう!」


 呼吸が荒くなり、顔は青ざめ、肩まで振え始め。杏奈の様子は傍から見れば正常ではないことは明らかだった。


「ん……」


 諭されて言葉を飲み込んだ晶だったが、彼女も含めた三人は、杏奈が一体何に取り乱しているのか分からず、どんな言葉をかけていいのかも分からないままだった。

 ただそんな中、頭のどこかは冷静でもあった杏奈は、震える手でリュックから財布を取り出し、自分の頼んだケーキとドリンクバーの代金を取り出すとそれをテーブルの上に置く。


「ごめん、今日はもう帰るよ」

 そして弱々しく言って立ち上がると、ふらふらとした足取りでファミレスから出ていくのだった。


 残された三人はただその後ろ姿を見送っていたが、その中で比較的冷静さを保っていた真奈はちらり視線を紗江へと向ける。

 しかし、呆然とする彼女はその視線に気づかない。


「紗江、すまんが杏奈を追いかけてもらえんか?」


 自分が行くには位置の関係上晶が障害物となっているし、久々に少々本気でキレかけた親友を紗江に任せる方が不安だった。そう判断して声をかけたのだが、

「え、でも……」

 紗江は杏奈に対しても対応策を持っていないらしく、返ってきたのは弱々しい戸惑いの声だけだった。


「せめて、家に帰り着くかだけでも見ていてやってくれ。あれでは不安すぎる」

「は、はいっ!」

 それくらい気づけ、と言うかのような少々荒い声で指示を出すと、その言葉に背中を押されたように立ち上がると、紗江も杏奈の後を追って駆け出す。


 二人の姿が窓から見えなくなるまで見守った後、真奈は隣に座る晶へと視線を移した。

 ここからの真奈の仕事は、自分が紗江には重荷だと判断した晶へのフォローである。


「そんなことさせたら、紗江が可哀想だよ」

「……お主な、肝心なことを忘れておるぞ」

「肝心なこと? 何?」

「うちらが杏奈と出会ったのは、高校に入ってからだということじゃ。あの子の順応力に助けられてここまで仲良くやれて来とるが、普通ならとうの昔に見切りを付けられとるぞ。中学のこと、もう忘れたのか?」


 晶は……そして真奈もだが……こんな性格をしているからか、同性にも異性にも昔からあまり仲のいい友達が作れずにいた。

 そのためにいつも二人で(恵里子がいた頃は彼女も時々一緒に)いることが多かった。


 完全に変わり者扱いされ、他のグループからも少々避けられているような雰囲気だったのだ。幸いいじめのような扱いは受けなかったものの、決して楽しい学校生活とは言えない時間だったのは、間違いない。

 かつてのクラスメイト達からは、話す前から変わり者と決めつけられていたのだ。


「忘れてないよ。忘れるわけないじゃん。……忘れたいけど」

 嫌な過去を思い出させられてムッとする晶だったが、

「うちらのああいう過去が人に言えんように、杏奈にも何か人に言えない過去があるかも知れんじゃろ」

 真奈の伝えたかったことはここだった。


 確かに「お互いをよく知る」ということは大切ではあるが、それは一方的に自分の気持ちや考え方を押し付ければいいというものではない。相手を理解しようとして、受け入れる気持ちを持つことで初めて成り立つ言葉で、関係だ。


 晶はその言葉に、首を一度だけ縦に振る。


「あの子は物分かりがいいし、誰にでも明るく接する子じゃ。相手の立場も良く考えておる。それでも、今までもずっとそうだったとは限らん。そもそも両親がおらん一人暮らしをしとるんじゃぞ? 辛い過去や悲しい過去が無いはず、ないではないか」

「うん」

「今回はもしかしたら、うちらには分からんそういう傷に触れたのかも知れん。さっきのお主の楠本に対する言葉ではないが、晶ばかりが被害者ではない……ということじゃな」


 それに比べればちょっと反対意見を言われたくらい何でも無いと、真奈は晶の頭を撫でながら優しい口調で言った。


「そうだね……うん、そうかも」


 その言葉に諭され、晶は小さくため息を吐いた。

 明日謝っとくよ、と言いながら。

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