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杏奈さんは少女初心者  作者: 秋瀬 満月
少女の初心者は高校生に。
19/74

誰しも痛みを抱えている1

 杏奈が晶の作った服で試着を行った、次の日の放課後。時刻は午後五時になろうとしている頃。

 杏奈は一人教室に残って、窓にもたれる格好で紗江に借りた漫画の続きを読んでいた。


 普段であれば既に帰宅し、夕時のタイムセールを戦うためスーパーに着いている時間なのだが、今日はやっておきたいことがあって、学校に残っていた。


 そのやっておきたいことと言うのは、現在進行形で杏奈が読んでいる漫画を読み終え、今日中に紗江へと返すということだ。それも残りは最後の一冊の数ページ分で、十分もせず終わるミッションである。終われば後は返してしまうだけなのだが、今日も部室に行っている被服研究部の彼女たちを、しかし今日は訪ねて行けるような状況では無かった。


 理由は、昨日被服室にやってきた三年生三人組にある。

 杏奈自身は準備室で着替えをしていたので、その話は今日になって三人から聞いた内容となるが、大体は次のような形だった。


 数日ほど前、とある女子生徒がこんなことを言い出した。

「アタシ、大学行っても一人暮らしできるか不安になってきた」

 と。


 その生徒は、推薦による志望校への合格が濃厚であるかなり優秀な人物らしく、つまりほとんど受験勉強は関係が無い立場のようだ。

 しかし県外の大学へ行くことになる彼女は、今まで家事全般の経験が全く無く、一人暮らしに必須なスキルを持っていない。これは花嫁修業も兼ねた一人暮らし修行をするしかない、と友人に話したそうだ。


「だったらその練習、付き合ってあげるわよ」


 とその相談相手となった友人が申し出ることで、とある女子生徒のために家事全般強化特訓が開かれることになったのだ。


 ところがその話が何やら広まってしまい、参加希望者が知らない間に十数人にまで膨らんでしまう。本来であれば個人の家で一対一の特訓をすれば良かったはずが、これではそうも言っていられないと、急きょ学校の設備が使えるように調整しに走り始めることになる。


 それが、昨日先輩たちが被服室へやって来た理由だった。


 かくして今、第一回と銘打たれた強化特訓が行われていて、被服研究部の晶たち三人はそれに場の提供と課題の提供を(半ば強引に)させられているのだ。それに現場監督も。

 それが終わるまでの間、部外者である杏奈は被服室に近づきづらい状況なのである。


 だったら借りていた漫画を消化する時間にちょうどいいと、こうして教室で一人、ページをめくっていた。


 そこへ、がらっと音を立てて教室の後ろのドアが開かれた。


 この時間に教室へ戻ってきたのは誰だろうかと、残り少ない漫画からちらりと視線を向けてみると、入ってきたのは一人の男子生徒だった。


「あれ、杏奈ちゃんまだ残ってたんだ?」


 そして二人になった教室で窓際に座る少女へと声をかけながら、彼女のすぐ後ろの席まで歩いてくる。


 そう、教室に戻ってきたのは出席番号五番、楠本達哉だった。

 彼はいつも通り、笑顔の仮面をその顔に張り付けている。


「お前こそ、今日は部活行ってないのか?」

「うん、ちょっと用事ができちゃってね。今日の午後練は休んだんだ」


 自分の席まで来たところで、達哉は横にかけていたカバンを机の上に置く。

 達哉の仕草に、杏奈は呆れたような表情を見せた。その視線は、今しがた彼が机の上に置いたカバンへと注がれている。


「だったらせめて、貴重品くらい持って行けよ。財布、はみ出して丸見えだったぞ」

「え、ホントに?」


 注意されて、その視線をカバンのサイドポケットへと向けたが、

「一応押し込んどいたけど」

 と言う杏奈の言葉通り、今は、よっぽど覗きこまない限りそこに財布が入っていることが分からない程度には、奥まで押し込まれていた。


「もしかして、見張っててくれたの?」

 自分のせいで杏奈を待たせてしまったと思ったのだろう。達哉は少し申し訳なさそうに言うが、杏奈にしてみれば全くそんなことはない。


「見張ってたって程ではないし、ついでだよ」

 何も隠すことなく、むしろ真っ直ぐすぎるほどに正直な言葉を口にした。


 しかし、その何も裏のない言葉を聞いてどう持ったのだろうか、

「えー、本当についでだったの?」

 達哉は少しからかうような口調で、疑うのだった。


「そうだよ。今日は晶たちが部活でやることがあるって話で、それが終われば教室に戻ってくるって言ってたから、待ってるんだ」

 これはその暇つぶしと、杏奈は手に持った漫画を左右に振ってみせる。


 とは言うものの、達哉と話している内に漫画も読み終わってしまって暇つぶしとしては用を為さなくなってしまったため、それをリュックの上に置いて顔を後ろの席近くに立つ達哉へと向ける。

 すると、少年は不思議そうに小さく首を傾げていた。


「え、オレもその被服室でやってたことの手伝いをして、片づけまでやって来たけど……」

 そしてその顔を先ほど自分が入ってきたドアの方へと向けながら、

「あの子たち、『疲れたー』って言いながら階段を降りて行ったよ?」

 杏奈が思ってもいなかった情報を口にするのだった。


「降りて行った?!」


 その言葉を聞いた杏奈は、信じられない、と言うように勢いよく立ち上がった。

 今日被服室で行われたことがどれほど大変だったかは分からないものの、それでもここに戻ってくると言っていたのは晶たちの方だった。それをまさか疲れたために向こうが忘れているなんてことを、彼女が予想できるはずもない。


 いや、予想できていたのなら、いつ終わるかも分からない被服教室をやっていると知っていたのだから、最初から教室で待たずに被服室まで付いて行ったことだろう。


「情報ありがと。ちょっと追いかけてみるよ」

 言いながら置きっぱなしだった漫画をリュックの中にいれてそれを背負い、

「……あ」

 何気なく後ろ(窓の方)を振り返って、小さく声を上げた。


 教室に最後までいたのだ、戸締りを確認してから出ていくのは、残っていたものの義務とも言える。それがこの学校の教育方針、生徒手帳にも書かれている約束事だった。


「戸締りはオレがやっておくから、杏奈ちゃんは先に帰ってていいよ」

「う……ごめん、助かる」


 きっと、手早く窓を閉めて駆け出してしまえば、三人が正門をくぐるまでには追いつくことができるだろう。なにせ、達哉が片づけを手伝って同時に被服室を出てきたのであれば、彼女たちはちょうど職員室の辺りに到着している頃だ。その後は鍵を返す必要があるし、職員室から昇降口へも微々たるものだが距離がある。


 追いつくには、まだまだ余裕があるはずだ。

 しかし「置いてけぼりにされた」という状況に焦っていて、杏奈にはそこまで考える余裕が無くなっていた。

 そこへ達哉から気を利かせた一言が飛んできたとなると、その言葉に甘えてしまうのも仕方がないだろう。


「それじゃ、また明日っ!」

「うん、またね」


 杏奈は達哉への挨拶もそこそこにして教室を跳び出し、すぐ隣にある階段を一階まで駆け下りる。こんな時間では階段の近くに生徒がいる訳もなく、空気抵抗で翻るスカートを彼女が気にすることはなかった。


 一階に到着して昇降口の方へ向くと、ちょうどそちらの方へと曲がって歩いて行く紗江の後ろ姿が目に入った。

 間に合った。と思いながら速足で角を曲がり、

「ちょっと、待ってよ三人とも……」

 慌てたせいで上がった心拍数を呼吸で整えながら、被服研究部三人組の後ろから声をかけた。


「……あれ、杏奈まだ学校にいたの?」


 すると、ローファーを穿いて不思議そうに振り返った晶から飛んできた答えがこれである。

 完全に忘れられている。そう確信しながらも、杏奈は訊かれたことにはきちんと答える。


「そりゃいたよ。部活の用事が終わったら教室に来るって聞いてたから、待ってたんだ」

「「「あ」」」


 そして杏奈の言葉を聞いて、三人は息ピッタリのタイミングで顔を見合わせる。


 さすがにそこまで言えば思い出してもらえたのだろう。

 晶があははと空笑いをし、真奈が苦い表情を浮かべ、紗江が困ったような顔をする。


「そうだった、すっかり忘れてたよー」

「ごめんなさい、私が漫画を返してもらうって話でしたよね」

「うちもすっぽ抜けておった……何かを忘れているとは思っとったが」

「気のせいだって言ったけど、全然気のせいじゃなかったね」


 普段から、わざとなのかそうではないのか色々と抜けている所のある晶ではあるが、今日ばかりは忘れられていても責める気にはなれなかった。

 というのも、彼女たちが心底疲れたというような表情をしていたのである。


「しかしよく分かったな。うちらがもう帰ろうとしとったこと」

「楠本が荷物を取りに教室に戻ってきたから、少し話をしたんだよ。そしたら皆が階段を降りて行ったって聞いたから、急いで追いかけてきたんだ」

「なるほどねー、そういうことかぁ」


 杏奈がまるで予知でもしたかのように追いかけて来た理由を聞いて、真奈と晶は首を縦に振って納得した、というような仕草をする。


「あの杏奈ちゃん……。達哉は何か言っていましたか?」


 そんな中で紗江は一人、神妙な面持ちで二人とはまた違ったことを訊ねる。

「何かって?」

 しかし思い当たることもなく杏奈が疑問で投げ返すと、彼女は小さな声で「言って無いならいいんです」と言葉を濁すのだった。


 一体何が言いたかったのか。それは全く伝わってこなかったが、真奈と晶は少し様子のおかしい(ように杏奈からは見える)紗江のことは気にしていないようで、

「ねえ、ボクたちこの後どこか寄っていこうと思ってるんだけど、杏奈も一緒にどう?」

 むしろ触れたくないとでも言うように、どこかわざとらしく、話題の向く先を変えるのだった。


「まーた寄り道か。あんまり甘いものばっかり食べて、太っても知らないぞ?」

「今日はいいのっ! もーさ、あんなことがあったら食べずにはいられないよ」


 しかし、やはりどこか関係しているのだろう。

 晶も少しやけになりながら、そのストレスを食欲で発散する計画をしているらしい。


 杏奈は高校に入ってからの数週間しかない彼女たちとの付き合い方の経験から、「あんなこと」が指す内容はこちらから聞き出さないほうがいいということを学習している。

 単純に話を聞いてほしい、そう思っている時なのだ。


「そこまで溜まってるなら分かった、付き合うよ」


 普段であれば夜にこっそり電話がかかってくるのだろうが、今日のことに関しては直接、彼女たちの気がすむまで聞こうと決めるのだった。

 そして校門を出た四人は、晶の気の向くまま(こういう場合の決定権は晶が持つことが多い)大通りまで通学路を直進し、そこからは話ができそうな手頃な店を求めて、大通り沿いに歩いて行く。


 そして四人は値段も手頃な品が多いファミレスに揃って入り、それぞれがケーキとドリンクバーを注文した後で、少女の語りは始まった。食べるものがケーキのみとなるとおやつには少し遅い時間なのだが、どうやらここで夕飯まで済ませるつもりらしく、ケーキはその前哨戦らしい。

 つまり後二時間はここに陣取るつもりのようだ。杏奈が思っていたよりも、長い戦いになる気配である。

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