事件はコンピューター室で起きている?5
その目には覚えがあった。例えば、長年探し求めていた研究材料が目の前に現れたときの、科学者が見せる目に似ている。
身の危険を感じたのか、体中にぞわっとした寒気が走った。
しかし、青年が杏奈の方を見たのはその瞬間だけで、その後は振り向きもせずそのまますれ違っていった。
その視線の意味が気になった杏奈だったが、すぐに気にすることはないと結論付ける。
スーパーで買い物をしているときにも目を向けてくる男は多い。相手がその視線にどんな意味を込めていたとしてもいちいち気にしてはいられないし、大抵は意味なんて込めていないのだから。
「パソ部復活の祝いにでも、おかもっちゃんに顔見せようと思ってな。用事ついでにちょっと寄ったんだよ」
二人とすれ違った彼は先ほどと変わらない口調でそう言いながら、さっき杏奈たちが隣を通り過ぎてきたコンピューター室の扉を慣れた様子で開け、中へと消えていった。
「……誰なんだ? 知り合い?」
まだ少し体に残る寒気を意識しないようにしながら、コンピューター室の扉へと視線を向けつつ、杏奈は真奈に問いかけた。
名前を呼ばれていたのだから知り合いだということは分かっていたのだが、他になんて訊いたらいいのか分からず、結局はそう口にしていた。
「ああ、うちの兄と小中が同じだったんじゃ。今野雄大と言ってな。兄が高二の頃までは良く遊んでおったが、ここ一年くらいは音沙汰がなかったそうじゃ」
兄の友達であればこそだろうか、真奈は雄大というその青年のことをそれなりに良く知っているようだ。スーパーハッカーとも呼ばれるような人で、パソコンの知識を兄妹そろって雄大から教えてもらったことを語ると、独り言のように、
「まさか母校に顔を出すような性格だったとはな」
と小さく呟いた。
「でも、パソ部って何だろう。パソコン部? コンピューター部ならあるよな」
「コンピューター部なんて、律儀に言っておったら長ったらしいじゃろ? 縮めて言いやすくするなら、パソ部がちょうどいいと思わんか?」
「なるほど。コン部じゃ食べ物だもんな」
新学期に友達から「コン部に入った」と言われたら、杏奈だったら浴槽を昆布で埋め尽くした恐ろしい光景を連想してしまうだろう。その中へはとてもじゃないが入れそうにない。
「おかもっちゃんって、うちの担任の岡本先生だよな? 先週の情報の授業もやってたし」
「そうじゃろうな。パソ部の顧問もやっておるんじゃろう」
言いやすいからかそれとも雄大の真似か、コンピューター部のことをパソ部と言った真奈は、何かに気づいたように「おぉっ」と感嘆の声を上げた。
「……ん?」
「ほれ、さっき話しておったじゃろ、パソ部が活動禁止になった理由じゃ。岡本先生に訊けば、詳しい理由も分かるのではないかと思ってな」
「ああ、その話か」
確かにさっき雄大も、部活が復活した祝いに岡本に顔を見せると言っていたのを杏奈は思い出した。顧問が活動禁止前からずっと変わっていないのであれば、岡本に理由を訊けば詳しい話をしてくれるかも知れない。
その話が、杏奈に理解できるかは別として。
「しかし、話を聞くとしたら放課後じゃな。今は雄兄がおるし」
真奈は四組の教室に入りながら、「今から戻るのも面倒じゃしな」と言って笑った。
杏奈も確かにそうだと言って笑ったが、教室に入って数歩行くとすぐに足を止めた。というのも、達哉の周りに数人の女子が集まっていて、すぐ前の杏奈の席にも一人座っていたのだ。それも、このクラスでは見たことのない女子が。
あの集団の中に突っ込んでいって、どいてくれと言うのも気が引けてしまう。それも中心人物がすぐ後ろなのだ。あいつと話もしないのにそんなことをして、邪魔だと思われるのも気持ちがいいものではない。
「杏奈? どうしたんじゃ」
突然立ち止まった杏奈を見て、真奈は不思議そうな顔をする。
「いや、ちょっとトイレに行っておこうかと思って」
真奈の言葉に、あまり気を遣わせないようにそう返し、「すぐ戻るから」と言って杏奈は再び教室を出た。
まだ休み時間は十五分ほど残っていて、あの集団がすぐにいなくなるとは思えない。ひとまず教室を出て、戻った後でどうするかを考えるために時間稼ぎをしたようなものだった。
それに、用を足しておきたかったのも本当の話だ。
友達と話し込んでいると、どうしてもトイレに行くと言い出すタイミングがなくて、結局休み時間が終わるギリギリに行くことになる。その時間だと大抵混んでいて、少し遠い特別教室棟のトイレまで行かないと、始業時間に間に合わなかったりする。
授業が始まる十五分前の今はそれほど人がおらず、すぐに教室に戻って来ることができた。
その代わり、残りの休み時間をどうするかいい案が浮かんだというわけではなく、ちょっと離れた場所で話すのが一番いいのかなと、結局は妥協案しか考え付かなかったのだが。
教室に戻ってはみたものの、やはりその二分ほどの間に窓際の集団が消えているわけがなかった。杏奈の席には、相変わらず女子生徒が座っている。
しかし、今度は少し小さい子で、後ろではなく前を向いて話をしている。
その変化に、杏奈が違和感を覚えたときだった。
座っていた女子生徒がこちらに気づいて、手を振ってきたではないか。その動きに、前の席に座る真奈もこちらに目を向けた。
(あれ、晶じゃないか!?)
よくよく見てみれば、どういうわけなのか杏奈の席に座っているのは晶だったのだ。
杏奈がトイレに立っていた数分の間に屋上から降りてきて、全くいつもと変わらない様子で真奈と話をしているではないか。
杏奈の席に座っていた女子をどのように退かせたのか気になったが、さっきまで喧嘩していたはずの相手と既に仲直りしているような性格の晶なのだ、ストレートに「邪魔」と言って退かせている姿が、自然と想像できてしまう。
想像の中でも堂々としている晶と、それが想像できるようになってしまっている自分に苦笑いしながら、杏奈は少し教室を見回してみた。
晶があそこにいるのなら、紗江も一緒に戻ってきているはずだと思ったのだ。
すると案の定、達哉の席の近くに立って晶の方を見ている紗江の姿があった。
本当にいつも全く変わらないその光景は、さっきあった晶と真奈の喧嘩が、実は幻だったのではないかと思ってしまう。
さすが親友の仲直りは早いなと、杏奈は内心で感心半分呆れ半分だった。
「ねぇ杏奈、聞いた? 岡ちゃんがコンピューター部の事件のこと知ってるかも知れないんだってさ!」
そんな三人に近づいていくと、傍まで来るのが待ちきれないという様子で、晶はそんなことを言った。
「ああ、さっき真奈と話したよ。と言うか、さっきまで喧嘩してたのに、仲直りが早いんだな……」
「すごいですよね、この二人。私もビックリしちゃいました」
杏奈と紗江は苦笑いしあうが、しかしその二人は自分には関係無いと言うような涼しい顔をして、普段と何も変わらない様子で椅子に座っている。
「ボクも興味あるからさ、帰りのホームルームが終わったら訊いてみようよ!」
「でもコンピューター部の話なので、私たちにはあまり関係は無いですけどね」
「関係なくないよ、部室として使えるかもって勘違いさせられたんだからっ!」
どうやら晶は興味津々のようで、いつものようにその好奇心だけで動いているような雰囲気だったのだが、今回はもう一人、その話に目を輝かせている人物がいた。
杏奈はこんな目もするんだなと思いながら、そわそわしている真奈に話を振った。
「真奈もその話には興味があるみたいだよな」
「少し恥ずかしい話じゃが、パソコンに関連しそうな事件にはちょっと感心があってな」
普段の真奈なら晶の暴走を止めるはずなのだが、今は完全に話に食いついていて、むしろ晶よりも更に強い興味を持っているようだ。
さっきは「戻るのが面倒」と言って岡本に話を聞きに行くことはなかったのだが、晶のテンションの高さに影響を受けたのか、今の真奈は目を離したらすぐにでも飛んで行ってしまいそうな気さえしてくる。
「じゃあ、放課後すぐに岡ちゃんを捕まえるってことで!」
しかし休み時間はもうほとんど残っていない。晶は当然のように時間を放課後に設定し、
「いいですけど、ほどほどにしましょうね?」
紗江がそう釘をさす言葉の影響もあってか、真奈もその瞬間だけは少し落ち着きを取り戻したようだ。
「じゃあ、また放課後に集まろうね!」
と言って席に戻って良く晶に、真奈も「ああ」と返事をしてがたりと窓に体重を預けた。
紗江も一度時計に目をやると、
「では、また後で」
と言って自分の席に戻って行く。
そんな二人が席に着き次の授業の準備を始めたのを見て、杏奈も教科書とノートを出そうとしたのと、前の席の少女が立ち上がったのは、ほぼ同時だった。
「さて、やっぱりうちだけ先に話を聞いて来るか……」
「いやいや、もうそんな時間残ってないって」
どこからそんな好奇心が出てくるのか、真奈は完全に我を忘れているような状態だった。
そんな友人を無理やり席に座らせ、杏奈は「落ち着けっ」と一喝する。
軽い叱責を受けてしゅんと小さくなるその姿は、いつもなら晶が見せる姿だ。
どれだけこの二人は似ているのだろうと思いながら、すでに後五分を切った残りの休み時間を、杏奈は目の前に座る女子生徒がコンピューター室へ突撃しないように見張っていたのだった。
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