その5 大人になる瞬間について思うこと
人間とは日々何かと戦い、日々何かを経験し、日々何かを学び、日々何かを得て、日々少しづつ成長していく、未完の生物だと思います。そしてその成長のなかで、人間はいつしか『子供』という範囲から脱却し、『大人』と呼ばれる範囲へと入っていくのです。
すいません。偉そうな書き方をして。別に哲学とかそういうことを言うつもりは全くありません。大丈夫です。ここからいつもの調子に戻ります。
つまり、僕が何を書きたいかというと、大人になるという瞬間はいつなのかということです。
世間では一般的に成人式を大人への通過儀礼としている感じがしています。お酒やタバコをコンビニの裏とか、学校の屋上とかで隠れて楽しむ必要がなくなるのも、この儀礼の後からですから、これも大人になる瞬間の一つであると思います。
でも、僕は大人になるという瞬間はもっと自分の生活に密着しているものだと思います。例えで挙げるなら下のようなものではないでしょうか。
一人で外食することができたとき。
レンタルビデオ店で堂々とカーテンの向こう側に入って、ちゃんと吟味して選んで、他のビデオでカモフラージュすることなしに、男性店員であろうと女性店員であろうと、なんてことなしに、スムーズに借りることができたとき。
スパゲッティにナポリタンとミートソースの味以外があることを知ったとき。
誕生日の夜を家族以外の人に祝ってもらったとき。
学校のトイレで、大きい方をすることに恥ずかしさや罪悪感を感じなくなったとき。
お寿司を『やっぱり、わさびあっての寿司だよなぁ。』と感じることができたとき。
上野駅で戸惑わず乗り換えができたとき。
コーヒーのブラックをおいしく頂けたとき。
パンツをブリーフからトランクスに自分の意志で変える、若しくは自分の意志でブリーフを履き続けることを決めたとき。
このように、人によっては様々な大人になるという瞬間が存在すると思います。
まぁ、僕自身が大人なのかといわれれば、多分まだまだ子供なのでしょうけど。
少なくとも、上に挙げた大人になる瞬間の2番目と7番目と8番目はまだ達成できていませんからね。
それでは最後に、もう一つの大人になる瞬間を挙げて、今回のへりくつは終わらせて頂きたいと思います。皆さんも自分なりの大人を目指してみてくださいね。
学校の給食のご飯と味噌汁と牛乳の組み合わせに、必要以上の違和感を感じたとき。
長々とへりくつ失礼しました。またお会いできたらお会いしましょう。失礼します。
御覧頂きありがとうございます。評価、感想など頂けたら嬉しいです。