その22 ワニやモグラを叩いて得点を競うゲームについて思うこと
先日、久しぶりにゲームセンターに出掛けたのですが、そこであるゲームに出会いました。まぁ、ここでは名前を出すのはあれなので、『ワニが四方八方から出てきて、そのワニを叩いて得点を競うゲーム』とでもしておきたいと思います。
その『ワニが四方八方から出てきて、そのワニを叩いて得点を競うゲーム』を見た瞬間、ある疑問が頭をよぎったんです。皆さんも多分、いや絶対に一度は考えたことのある疑問だと思います。
なぜ、『ワニ』なのかと。
ほら、考えたことがあるでしょ、この疑問。僕はいつも考えてしまうんです。この『ワニが四方八方から出てきて、そのワニを叩いて得点を競うゲーム』を見るたびに。
だって、『ワニ』ですよ。あの牙がたくさん生えていて、4本足で歩く、恐竜の遠い親戚みたいな生き物ですよ。普通、攻撃しないでしょう。しかも、ハンマーなんていう超至近距離で使う武器なんかで。臆病者の僕としては、そこは麻酔銃で対処させて頂きたいですよ。それか全速力で逃げるか。
しかも、このゲームって、最後のほうになるとワニが一斉に猛スピードで出てくるのです。もう恐怖以外の何物でもないじゃないですか。現実だったら、おしっこもらしちゃいますよ、きっと僕なら。
まぁ、似たようなゲームで『モグラが四方八方の穴ぼこから出てきて、そのモグラを叩いて得点を競うゲーム』っていうのもありますけどね。でも、こっちはなんか説得力がある気がしませんか。多分、ゲームの作成秘話にこんな話があったら、妙に納得してしまう気がします。
19〇〇年。
アイダホ州で農業を営んでいた、バン・カルロス・ラッセル(46歳)はモグラの被害に頭を抱えていた。ラッセルご自慢のジャガイモは食い散らかされ、ジャガイモ本来の形を必要としないマッシュポテトに使用することはできても、形を利用するポテトチップスには使用することができなくなってしまった。
そこで困ってしまったのが、ラッセルの農家と契約を結んでいたポテトチップス製造会社の[アイダポテトーマス]である。
『ラッセルさんのご自慢ジャガイモを守らなくては!』そう決意した、[アイダポテトーマス]社長ダ・ポテ・トーマス(37歳)は、従業員25名と共にハンマーを手に、ラッセルさんの畑へと向かったのである。そのときの心境を、後にトーマス氏はこのように語っている。
「いやぁ、あのときはただただ必死でした。食うか食われるかの戦いでした。まぁ、そうは言っても実際に食われるのは、ジャガイモだけなんだがね。ハハハ。」
モグラとラッセル、トーマスとの戦いは3日にもわたって続けられた。そして、4日目の19〇〇年〇月〇日、ついにラッセルの振り下ろしたハンマーがモグラの頭にクリーンヒットしたのである。奇しくもその日は、病気で早くに亡くなったラッセルの妻の命日であった。
「きっと、妻が私に力を貸してくれたんだ、妻があのモグラを倒してくれたんだ。そうに違いない。…だけどあの達成感は今でも忘れないよ。何て言えばいいのかな。そうだなぁ。強いて言えば初恋が実った、あの『イエス!』って感じかな。って何を言わせるんだね、君たちは。」後にラッセルは自叙伝『アイダホの土よこんばんは』でこのように語っている。
その後、ラッセルとトーマスはバーでモグラ退治の祝賀会を開き、大いに盛り上がった。
ここにたまたま居合わせたのが、我が会社の初代社長、タターイテ・ボロ・モウケである。モウケはラッセルとトーマスと意気投合し、ラッセルが話した達成感を世界中の子供たちに味あわせてあげたいと考えた。そして試行錯誤を重ねて〇年、19〇〇年〇月〇日、ついに世界を驚愕させるゲームが完成したのである。 それが君の目の前にある『モグラが四方八方から出てきて、そのモグラを叩いて得点を競うゲーム』だ!さぁ!君もハンマーを手にして、あの達成感を味わおうじゃないか!
いやぁ、我ながらいい製作秘話ができたんじゃないでしょうか。映画化もできるんじゃないですかね。モグラにはCG技術なんか使っちゃって。
あっ、誤解されないように言っておきますけど、この製作秘話は120%フィクションですからね。まぁ、誰も誤解しないとは思いますが。本当の製作秘話は、僕は全くもって知りません。本当の製作秘話は夏休みの自由研究として調べてみてはいかがでしょうか。
とまぁ、散々意味の無いことを書き綴ってきましたが、皆さんもゲームセンターで『ワニやモグラが四方八方から出てきて、そのワニやモグラを叩いて得点を競うゲーム』を見かけたら、一度やってみてはいかがでしょうか。結構いい運動になりますよ。僕なんか、200円でもう汗だくです。
長々とへりくつ失礼いたしました。
またお会いできたら、お会いしましょう。
失礼します。
御覧頂き有難うございます。評価・感想等頂けたら嬉しいです。