優しき九尾の女性 ニ
「わ、わたくしはシルヴィア・シルフォスと言います。 よろしくお願い致します」
シルフォスが深々と頭を下げる。 いや、そこまで下げられても困るんだが。
「俺は紅月 ルナだ。 よろしくな」
「は、はい!」
とりあえずフェシルに掴まれてる腕に柔らかい感触が凄いんだが。 これってあれだよな。 あれだよね。
「ど、どうしました?」
「いや、なんでも。 話を続けてくれ」
集中しなければまたここで下半身が反応しそうになる。 それは本当に嫌だな。 社会的に死んだも同然だし。
「じ、実は…………わたくし、魔法に関して少し自信があるんです」
「…………少し?」
「は、はい、少しです」
少しどころの騒ぎではないような気がするんだが? だって神の一歩手前、簡単に言えばセブンスアビスと同等か少し下くらいということだ。
初めはセブンスアビスなのではと疑ったが、どうもそんな感じではない。 人を従える器ではないというか、おどおどしすぎてとてもじゃないが上に立てる人ではないというか。 俺が言えたことじゃないけど。
「ですから他の獣人の方々から生命の泉の水を入手して欲しいという要望がありまして……」
「引き受けたは良いものの、ロックスパイダーに魔法が効かずにこうして剣を求めて来たと」
「は、はい、その通りです」
まぁ簡単に事情は分かったが。 しかし生命の泉までか。 あそこは確か割と深いダンジョンとなっていたはずだ。
「…………1人で行く気だったのか?」
「は、はい。 わたくしの他に行っていただける獣人がいなかったものですから」
いやいやいやいや。 この人かなり天然じゃないか? 流石にセブンスアビスでも1人で生命の泉に行こうとはしないはずだ。
「いや、流石にそれは危ないだろ」
「で、ですが…………」
「無理なもんは無理だときちんと断らないと、マジで死ぬぞ?」
厳しく言ってやると少しキョトンとされ、その後に寂しげに微笑まれた。
「あなたは優しい方ですね…………」
「え?」
「いえ……今までわたくしを心配してくださる方がいなかったものですから」
さらっと凄いことを言われた。 心配してくれる人がいない、ということは自分を大切に思ってくれる人がいないということだろう。
「こういう時、普段の俺なら頭を撫でるんだけどな…………」
「え?」
そう言って伸ばし掛けた手を引っ込めた。 まだ彼女に触れるべきではないだろう。
「すいません……お気遣い頂いて……」
「別に気にしなくていい。 それよりどうする?」
「え?」
いや、キョトンとしなくても。 本来の目的忘れてないか?
「俺達を連れて行くか行かないか。 ちなみに戦力としては期待していいぞ」
「い、いいんですか?」
「あぁ。 なんたって俺はセブンスアビスだからな」
「へ?」
おお、そのリアクション他にもする奴がいたのか。 てっきり俺だけかと思っていた。
「せ、せせセブンスアビス!?」
「あぁ。 で、こっちが家臣? 仲間? まぁそんな感じの無敵のフェシルさんだ」
「せ、セブンスアビス…………お、王様だったんですね」
「まぁ今は結構ボロボロだけどな」
ひらひらと右腕を見せびらかす。 包帯で巻かれたそれを見てシルフォスは少し悲しげな表情を浮かべた。
「大丈夫なのですか?」
「あぁ。 神と殺し合った結果だな。 言ったろ? 俺と一緒にいると色々危険だって」
「あれはそういう意味だったんですか…………。 てっきり貞操の危機なのかと…………」
やっぱり間違えられてるよ。 でも俺そこまで変態じゃないからな?
「ですが……セブンスアビスですか。 王様というのは本来身勝手に自己欲を満たす方のことを指すのではないんですか?」
「間違ってはいないんじゃないか? 多分だが」
俺も結構身勝手で自己欲を満たす為だしな。 しかし全く良い意味に聞こえないので不思議だ。
「み、見返りは何を…………はっ!? か、身体ですか!?」
「違うから。 別に見返りなんていらないからな? なんとなく見てて不安だからな。 放置出来ない」
「ふ、不安ですか?」
「あぁ、かなり」
なんというか、危なっかしい。 ハラハラしているのだと思う。
「まぁだからこれは俺の身勝手だ。 不安解消の為に手伝いたいってだけのな」
「王様…………」
「で、どうする?」
改めて聞くと彼女は一瞬、迷った表情を見せた。 しかし現状を思い出し始める。
俺の勝手な予想だが、恐らくは彼女は獣人にあまり好意的に捉えられてはないのだろう。 簡単に言うと畏怖されている。
高過ぎる魔力とそこから繰り出される魔法。 獣人は元々警戒心が強い種族だ。 反逆を考えたとしても不思議ではない。
そう考えるとこうも取れてしまう。 彼女を1人で行かせようとする理由。 それは死んでくれということなのではないだろうか。
「よろしくお願い致します…………」
手を振るわせながらもゆっくりと頭を下げる。 恐怖とは違う。 怯えだろうか。
しかしそれでも彼女は今1歩踏み込んできてくれたのだ。 俺はその想いに応えたい。 だから今度こそ手を伸ばした。
「っ…………!?」
頭に手を乗せるとビクッ! と全身を震わせる。 その髪を優しく梳くように撫でる。
「…………」
しかし少しして慣れたのか、それとも認めてくれたのか。 シルフォスは目を閉じて気持ち良さそうにしていた。
そこで俺は自分の気持ちに気付いた。
フェシルの時と同じだ。 俺は彼女のことを気に入っているのだろう。
彼女は強い人だ。 魔力や魔法という意味でもそうだが何よりも心が。
怯えもする。 恐怖もする。 そんなことは当たり前だ。 しかし彼女はその1歩をすぐに進むことが出来るのだ。 誰もが躊躇うその1歩を歩んでしまう。
それが良いことなのか悪いことなのかはよく分からない。 しかし少なくとも俺はそういうことが出来る人物を尊敬している。
「あ、あの…………」
「今まで……辛いことも多かったんだろ?」
「っ…………!」
俯いて表情を隠してしまう。 しかし一瞬見えた泣きそうな表情が俺の心を騒つかせる。
彼女は自分の現状を簡潔に話しただけだ。 そこに自分の感情は一切入っていなかった。 言葉の端々から様々な想いが見て取れる。
獣人に対しては常識の範囲内で有名な生命の泉。 そこに彼女を1人で行かせることの意味を獣人達が知らないわけではないだろう。 虐めとするのならば悪質過ぎる。 死ねと言っているようなものだから。
心配してくれる人もいない、そう言っていた。 厳密には心配というよりは自分の行為を止めてくれる人も、助けてくれる人もいなかったのだろう。
普段は人間と相見えることすらない獣人が人を頼るわけ。 それは既に同族を見限っているからではないだろうか。 それでも彼女は優しいから。 己の役割に忠実なのだろう。
「すぐには無理かもしれないけどな。 俺を頼ってくれていい。 俺に押し付けてくれていい」
勝手な想像で、勝手な憶測で。 それでも正しいのではないかと思わせるのは彼女が強く、優しく、脆く、儚いからだと思う。 懸命に涙を堪えるその姿を抱きとめてしまいたくなる。
しかしそれをするのはまだまだ早いのだろう。 俺と彼女は初対面。 馴れ馴れしくし過ぎるの警戒される。
だからあくまでもこれくらい。 後は彼女の方から踏み込んできてくれることを祈りのみだ。
「おい天然ジゴロ。 話が終わったのならさっさとキミの要件を話したまえ」
「お前はもうちょっと空気をだな…………」
「…………彼女のこと、気に入ったの?」
「え? ま、まぁ…………」
フェシルにとってはあまり喜ばしいことではないのかもしれない。 そう思ったのだが、フェシフはシルフォスを一瞥した後に微笑んだ。
「やっぱりルナは優しいのね」
「…………怒らないのか?」
「怒らないわよ。 ルナの性格なんてもう分っているつもりよ?」
フェシルの余裕そうな微笑みについ苦笑いが漏れる。 そうだ。 彼女も強い人間なのだ。
「放って置けないんでしょ?」
「あ、あぁ…………」
「なら助けましょう。 それがルナが王としてやるべきだと思ったのなら、ね」
フェシフさん、マジパネェっす…………。 なんて冗談は置いておいて、そう言ってもらえて心が温かくなる。 自然と笑みが溢れる。
「おう。 手伝ってくれ」
「えぇ…………」
「…………」
2人で見つめ合う。 熱い視線が絡み合い、甘ったるい空気を作る。
「私の鍛冶場でイチャイチャしないでもらえるか? 要件がないなら早く出て行ってくれたまえ」
「だからお前は空気を…………。 もういいや。 俺達の要件を済ませた後にすぐにでも行くか?」
「い、いいんですか!?」
「あぁ」
嬉しそうにするシルフォスにひとまず安堵する。 落ち込んではいないようで何よりだ。 若干不安そうではあるけど。
鍛冶師に刀の感想と改善点を言った後に新しい刀の試作品、それと一応で剣を2本購入して街を出る。 割と痛い出費だったがフェシルも必要経費と普通に納得してくれた。
広大に広がる草原を踏みしめながらまるでピクニックのような気分で向かう。 とりあえずはまだ気を張るような相手がここにいないというだけだ。 もちろん天使や神が来ない場合ではあるが。
「ルナは無茶をしたら駄目よ? 絶対よ?」
「はいはい…………」
「はいは1回」
俺の右腕を気遣ってか同じことを2度言われるので流石に返事がおざなりになってしまう。 その様子にシルフォスは苦笑いしていた。
「仲が良ろしいのですね」
「当たり前よ。 私は彼の家臣なのよ?」
それは果たして理由になっているのか? 他のセブンスアビスとか多分あんまりそういう意識はないと思うんだが。
「ご、ごめんなさい…………」
「いえ、別に謝られることじゃ…………。 で、でもあんたもルナに好かれているから協力してもらえているんでしょう?」
「そ、そうだったんですか!?」
いや、驚かれちゃったよ。 でも恥ずかしいのでこの話題には口を挟まない。
「放って置けないって言われたじゃない」
「そ、そんな意味があったんですね。 や、やはりわたくしの身体が目当てなんでしょうか!?」
「いえ、それはないと思うわよ…………」
と言いながらもちらちらと俺の様子を伺うのやめてもらえませんか? 確かに胸が大き過ぎてたまに視線は行っちまうけど。
「は、本当ですか?」
「えぇ。 彼はそんな原動力で動かないもの」
あ、その辺りは信用してくれてるんですね。 まぁ放って置けないから、気に入ってるからなんとなくってのが俺の行動原理だしな。 決してエロ方面じゃない。
「その…………女の子をエッチにさせるっていう特技はあるけど…………」
「ふぇ!? と、ということはフェシルさんはもう…………」
「え、えぇ…………」
いや、何の会話してるんですか? 女子ってこういうもんなの?
「は、初めてって痛いんですか?」
「か、かなり。 でもその分相手が優しくしてくれるし…………」
「紅月さんは優しくしてくれるんですか?」
「えぇ。 逆にいつも私の方が激しくしちゃって…………」
やめて! そんな性事情淡々と話さないで! 恥ずかしい! めちゃくちゃ恥ずかしいから!
「えっと、シルヴィアだったっけ? あんたはまだなの?」
「は、はい。 その…………いつも独りでしたので…………」
今のが1人、ではなく独りというニュアンスに聞こえたのは決して間違いではないのだろう。
「そ、そう…………」
フェシルも反応に困っていた。 日常会話にいきなりぶち込まれたらそりゃ困るだろうな。
「いつも独り…………」
気持ちが良く分かるフェシルは少し考え込んでしまった。 フェシルも仲間に裏切られ、2年間独りで過ごした時期がある。 もちろん俺の記憶の中にもそれがあるので気持ちはよく分かる。
「ルナ…………」
「ん?」
「ど、どうすればいいと思う?」
「何がだ?」
少し照れたように上目遣い。 しかし主語が抜けているせいかよく分からない。
「その…………彼女のこと。 私は悪くないと思っているのだけれど」
「あー、そういうことか」
ちょっと可哀想という同情+独りにしたくないという想いがあるのだろう。 だから彼女は聞こえないよう主語を隠しながらもこう言っているのだ。
『仲間にしてあげることは出来ないか?』と。
「言ったろ? 俺はシルフォスのことを気に入ってる。 問題はない。 でもな、あいつは獣人で俺達は人間だ。 あいつの住みやすい環境を考えたら本来はいるべきじゃない」
「そ、そうよね…………」
「だから…………あくまで選ぶのは彼女だ。 彼女が望むなら側にいてあげればいい。 でも離れるなら、その時は笑顔で送り出してやればいい」
「ん…………」
納得したような表情のフェシルを優しく撫でてやる。 その様子に疑問符を浮かべまくるシルフォス。
まぁ理解されないようにしていたとはいえこの察しの悪さはちょっと問題ですよ?
「シルフォス」
「は、はい?」
「まぁ単刀直入に言うと俺はお前を気に入ってる」
「は、はい!」
「だからまぁ…………独りで苦しかったらいつでもこっちに来ていいぞ?」
「っ…………!」
シルフォスは驚いたように目を見開いた。 ジワリと目尻に涙が溜まり、ついには頬を伝う。
「うえ!? お、俺なんか泣かすようなことしたか!?」
「違うわよ」
「そ、そうか? でも泣いてんぞ…………?」
「嬉し涙よ。 ちょっとは察しなさい」
あ、嬉し涙なのか。 よかった…………人間なんかに言われたくないー! 的なのじゃないのな。
しかし、これで泣くということは相当追い詰められているんじゃないか? それでも1歩踏み出した勇気を持った人物。
俺やフェシルが気に入る理由は恐らくはそこのだろう。 俺達は2人して頬を緩ませる。
「ぐずっ……わだぐじ……ぞんなごどいわれだのはじめてで……」
「ちょ、ちょっ、ほ、本当に大丈夫か?」
「はぁ…………ルナ、今は大目に見てあげるから……優しくしてあげて?」
「あ、あぁ」
フェシルの言う通りだろう。 俺はゆっくりとシルフォスを抱きしめる。
するとギュッと俺を掴みながら嗚咽を漏らした。 俺は自然と優しい手付きとなって彼女の頭を撫でる。
「今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ今だけ––––––」
「…………」
ちょっとフェシルさん怖い、怖いよ…………。 まるで自分に言い聞かせるように呟くその言葉に少し恐怖する。
「ぐずっ……紅月さん…………暖かいです」
「そりゃよかった」
泣きながら笑う彼女を見て、安堵する。 同時に笑みも零れた。