プロローグ 一
それはどこまでも暗かった。 暗く、暗く、暗い。 まるで底のない穴に落ちているかのような感覚。 同時に感じる力の奔流。 直感的に感じた。 それは本来触れてはいけないもの、触れてはいけない世界だ。 俺は、いや、俺達は、その世界に足を踏み入れてしまった。
某時刻俺はいつもの日常の中にいた。 学生らしく勉強し、友人と遊び、青春というものを謳歌する毎日。
それが良いことか悪いことかと言われると、今は代わり映えしない毎日をあまり良くは思っていない。 ただ後になって思えば、2度と手に入らないだろうこの日常は重要だったのだと後悔する羽目にもなるのだろう。
そんな日常の中、俺は穴を見つけてしまった。 学校からの帰り道だった。 友人の誘いをなんとなく断り、真っ直ぐ帰路を歩いている時だ。 ふと、路地裏の方に視線がいってしまった。
その穴は空中に出来ていたのだ。 黒なのか、紫なのか、それとも赤なのか、白なのか。 色という概念そのものを超越した何かだと感じた。 更に不思議なのは誰もそれを不審がらない。 路地裏に入ろうとする俺を興味本位で覗く通行人はいても奥の穴には全くと言っていいほどに反応しない。
俺も興味本位でその穴に近付く。 不思議と恐怖はなく、まるで甘い蜜に引き寄せられる蝶々のようにその穴へと近付いていった。
「っ!?」
するといきなり、その穴が俺の腕を吸い込んだ。 俺は穴に右腕を吸い込まれ、驚いて目を見開く。 抜こうとしても抜けない。 いくら力を入れようともこの穴からは腕を引き抜くことは出来ないと、そう感じさせるくらいに動かない。
穴はどんどんと吸い込む力を強くした。 同様に俺も踏ん張る足に力を入れる。 しかし相手は人間というものを超越した何か。 俺に為す術はなく、そのまま身体全体を穴に吸い込まれた。
どこまでも暗い穴の奥はひたすらに真っ暗で、色の概念のないそれは本当に綺麗で。 いつの間にかこんな危機的状況を忘れ、心を奪われていた。
「ぐっ!」
底を見ていると視界が歪んだ。 頭の中に自分ではない誰かの記憶が一気に流れ込み、頭が割れるくらいに痛い。 その痛みが俺の意識をどんどんと削っていく。
朦朧とした意識の中、無意識に俺は手を伸ばしていた。 伸ばされた腕は虚空を掴み、痛みに耐えることも出来ずに気を失いそうになった。 しかし不意に、何か温かく、柔らかいものが俺の手を包み込んだ。
「––––––––––!」
誰かが何かを叫んでいる気がする。 しかしそれを頭が理解してくれない。 視界は相変わらず歪んだまま、なんとなくその人物が目の前にいるということだけは分かった。
俺はその気持ち悪さと痛みに耐え切れず、気を失う。 最後に一瞬、何か大事な一言が頭をよぎった。
『紅月 ルナさん。 皆から慕われる良き王であってください』と。