まずは小話
何色でもない世界とはどのように描写をしたものか。
色が無い世界となれば何も描かれていないキャンバスの様な白い光景だろうか、それとも何も見えない黒い闇か。
正解はどちらでもない、色で表現してしまえばそれはその色の世界となるからだ。
だが何色でもない物をどう表現すべきなのか。
それは簡単である、そこに物を置けばよい。
色のある物が一つあればそこに色が生まれる、何色でもない世界ならばその色を阻害しない。
つまりは世界は物と同じ色を映し続けることになる。
今この世界に置かれているのは茶色の牛革が張られたソファ、このソファを観測した瞬間に世界は茶色で満たされる。
その隣にあるのは白いテーブル、テーブルを観測した瞬間に世界は白くなる。
物を観測した瞬間にその物が持つ色に無色の世界は変化する。
だがそうなると観測した者はどう見えるだろうか、当然世界と同じ色なのだから観測した者は世界に溶け込む。
そうすれば物が観測できなくなってしまう。
無色の世界とは他の色に染まる謙虚な世界であり、物の存在を隠してしまう横暴な世界なのだ。
色彩が絶えず変化する世界、こんな場所にまともな精神の人間がいれば色を認識する能力に支障が生じるだろう。
だというのにこの無色の世界には様々な色の日用雑貨が置かれている。
それどころかどこから水を持ってきているのか不明なシャワー室やどこに流れていくのか不明なトイレといった施設も備え付けられている。
そんなシャワー室から上半身半裸の一人の男が姿を現す。
黒い髪、黒い瞳、やや地黒な肌、その肉体には無駄の無い筋肉が衰えることなく身に付いている。
無色の世界に住む男、名前はあったが名乗る相手が居なくなった為に今の役職を名乗っている。
『無色の魔王』、この世界に魔王を生み出した湯倉成也と同じ時を生きた男。
魔王となった湯倉成也の眷属とも呼べる魔族に身を転じさせた元人間である。
色彩の狂った世界で彼は何事も無く日常を過ごす。
「ふーさっぱりしたー」
彼が視線を移す度に世界はチカチカと色を変化させていく。
だというのに彼はそれが当たり前のように適応している。
緑色のマグカップを認識し、世界は緑色に染まる。
だが見えなくなったマグカップを何の苦労も無く掴み、中に入っているコーヒーを飲む。
視線が黒いコーヒーに注がれた瞬間に世界は黒に染まる。
「うぐぇ、確かミルクを入れるんだっけか」
銀色のミルク入れに視線を向けると世界は銀色に、それを掴み中のミルクをコーヒーに注ぐ。
視線はコーヒーに、黒い世界が訪れ、ミルクが混ざるコーヒーに連動し世界は茶色に染まっていく。
「でも甘くねぇと飲みたくねぇなぁ……」
ソファに深々と座る、この瞬間に今まで傍にあったテーブル、マグカップ、ミルク入れが消失する。
いや、元々無かったかのように世界が整った。
彼がシャワー室から出たときにはそもそもテーブルの上にコーヒーの入ったマグカップなど存在していなかったし、彼がマグカップに注がれていたコーヒーを飲むまでミルク入れは無かった。
シャワー室もトイレも姿を消している。
今この世界は彼が観測しているソファの茶色、外見では何も無い茶色の世界に彼は腰掛けているように映っている。
「さってと、『地球人』はどうしてるかねー」
無色の魔王が指を鳴らす、すると無色の世界は突如古い映画館の中へと切り替わった。
彼の手には大きな木のバケツ、中にはポップコーンがぎっしりと詰まっている。
一人しかいないはずの映画館、しかし何者かが作業しているかのように部屋の灯りは暗くなり映画の上映が始まる。
映し出されるのはターイズ国の景色、紫の魔王が拠点としている屋敷だ。
ちょうど地球人と彼女の従者であるデュヴレオリが会話をしている所だ。
しかし上空5mほどの高所からの撮影の影響かその声は良く聞こえない。
「もうちょい、近寄れよ、声が聞こえねーよ」
無色の魔王の野次に反応し映像に変化が現れる。
ズームアップするかのように両名に近寄り、音もはっきり聞き取れるようになった。
『決着をつけに来た、伝えてくれ最後の勝負をしようってな』
「ほーん、覚悟決めちゃった系か。周囲には――この面子か、悪くは無い。てかこの亜人強ぇな」
ポップコーンを口に放り込み、ぶつぶつと食べながら独り言を喋る。
床には既に多くの食べかすが散らかっているがそれを指摘するものは誰もいない。
「これ美味いな、『地球人』はこんなん日常で食ってるのか」
無色の魔王が眺めているのは地球人の男だ。
魔力を生み出す器官すら生み出せていない、二つの世界の狭間に立っている男。
「身体能力論外、魔力素質論外、知力人並み――おまけでちょいマシ、精神力は……不安定っと」
無色の魔王が解析する地球人の評価は総じて低い。
魔王のスペックと比べればそうなることはどうしようもない結果だ。
「周りに刺激されなきゃ覚悟も持てない他力本願野郎、会話のセンスは――これは非常に良好。召喚した人物の因果に引っ張られているわりにゃ似ても似つかないよな。髪と目の色くらいなもんかね」
最初から握られていたかのように手元にある資料をめくる、羊皮紙などではなくA4サイズのコピー用紙に書かれている資料だ。
資料に書かれているのは地球人の情報、そこには彼が地球でどのような生活をしてきたのかさえ詳細に記述されている。
「良い材質の紙だこと、サイズも均等で文字も読みやすいときた。ふむふむ、なるほどなぁ? 外面は似て無くても境遇や行動は似通ってんな。因果さんもそこそこ仕事してくれてんじゃねーの」
再びポップコーンに手を伸ばす、資料を握っていた際には消えていたバケツが元に戻り、資料は最初からないものとして存在していない。
その光景を他人が見ていればまるで別シーンをつなげたように錯覚するだろう。
「そう考えてみりゃ似てるとも言えるのかね、雑魚過ぎて泣けてくるって点を除けばだが……金娘くらいは察しても良いだろうに、いや気づいているかあの狐? 紫姫は――ほとんど絡んだこともねぇから無理もねぇか」
映像に再び視線を向ける、現在はデュヴレオリに案内され屋敷に入っていく様子が写されている。
「どこまで似ているか、それは追々の楽しみとするから良いけどな。それにしてもまあ黒姉もくじ運ねぇよなぁ、魔王になってもその辺は変わらずってか。もうちょいマシな適任を引けりゃ良かったのに」
無色の魔王は目を閉じ過去に思いを馳せる、目の前の光景を見て、過去を思い出す。
そして自分の言葉ではない、誰かの言葉を呟いた。
――慟哭せよ、慟哭せよ、我が魂に刻まれた絶望は、我等の終焉が生み出した憤怒はこの醜悪なる世界に轟かせねばならない。
「――ほんと、世界を愛してるんだな、姉さんは」
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「それで、こんな夜更けに決着をつけにきたと?」
デュヴレオリに屋敷を通され、応接間にて紫の魔王と対面する。
話の内容が内容だけに相手もまだ上手く飲み込めていないようだ。
「この勝負のルールは覚えているよな?」
「ええ、『籠絡』の力を使わずに貴方を手に入れれば私の勝ち、私が『籠絡』の力に頼ろうとすれば私の負けよね?」
「ああ、そしてそちらの戦力である大悪魔、こちらの身柄を賭けてゲームをしているのが現状だ」
「ええ、そうね? 今さらルールを変更しようというのかしら?」
「いいや、ルールの範囲で決着をつけようと思っただけだ。今度はこちらからゲームを申し込む、内容はそっちが決めてくれて構わない。ただし賭ける内容はこちらが指定する」
こちらの提案を聞いて紫の魔王は少し目を細め、そして考える。
「……そう、そういうことね? 私が一体ずつ大悪魔を賭けているものだから、一度に多くの大悪魔を賭けさせようと言うのね?」
「いいや違う、そんな小賢しい真似はしない。もっとシンプルな理由だ」
「……聞かせてもらえるかしら?」
「お前の本気に本気で応えたい、それだけだ。今までの勝負は対等のようにゲームをし、そちらの手駒を消費させ最終的には諦める様にするのが目的だった。だがお前が本気だと分かった以上、このままでは俺に勝機はない」
紫の魔王が興味や道楽でこちらを欲しているのならば痺れを切らせ『籠絡』の力を使っただろう。
そうなれば対処法を使用しそれを回避、敗北を突きつける。
約束を反故にしようとも、勝負の間に包囲網を完成させより安全に対処するつもりだった。
だが紫の魔王が本気で『俺』を求め、その価値を守ろうとするのならばこの方法に意味は無い。
大悪魔を消費したとしても紫の魔王には賭ける悪魔はいくらでもいるのだ。
それもいつかは尽きるだろうがこちらがゲームに負ける方が先だろう。
「そう、気持ちは嬉しいのだけれど……この勝負を終わらせようと言うのならば私はそれを容易く受けるわけにはいかないわ」
「もちろん断るのならばそれでも構わない、ただし『俺』からのゲームの提案は一回だけだ。賭けるものもこの一回にしか賭けない」
「その言い方だと随分と貴重な物を賭けるようだけど、貴方の身柄以上に価値のある物を私に提供できるのかしら?」
「一回で決着を付けるのに物を選ぶ必要はないだろう。これはオールインだ」
「おーるいん?」
ゲームと言う単語は通訳で通じるのだがオールインと言う用語は通じなかった。
遊戯と言う認識はあれども細かい単語の読み方まで一緒って事はないからなぁ。
「――全部を賭けるって意味だ、『俺』の持つ全部を賭ける」
「それは貴方の身柄以外に何が加わるというの?」
「賭けるのは身柄だけじゃない、『俺』の心もだ」
「どういうこと?」
「お前が勝てばお前の気持ちに応える、お前が望むものを与える。愛せと言うならば愛すよう全力を注ぐ」
「……そう、確かにそれは貴重なものね。できれば呑みたいお誘いだけれど……それで私には大悪魔を全て賭けろというのかしら?」
「いや、そっちが賭けるのも一つだ」
「何を賭けろと言うのかしら?」
「俺が欲しいのは紫の魔王、お前自身だ」
覚悟という熱に身を任せ、嘘偽りの無い本心をぶつける。
紫の魔王は面を食らったのか言葉がでない、代わりに動いたのはデュヴレオリだった。
「貴様、魔王である主様と人間一人を同じ天秤に掛けるというのか!」
「そうだ、これは対等な勝負。そこに魔王も人間も無い、心までも欲しいと言うのならばそちらも相応の対価を賭けてもらう」
「対価だと、貴様にそこまでの価値があると思うのか!?」
「黙りなさい」
激昂したデュヴレオリを一言で鎮める紫の魔王、言葉に詰まりデュヴレオリは一歩下がる。
「一つ聞きたいのだけど、私は貴方の身と心、それに対して貴方は私の身だけを欲しがっているのはなぜかしら?」
「心はもう十分に向けられてるのは分かっているんでな」
「……そうね、私としては悪くない賭けの内容だと思うわ。でも私が良くてもデュヴレオリや他の大悪魔が納得しないわよね? 私を手に入れた後に従えようというのならばそれは無理よ、特にデュヴレオリはね?」
そうだと言わんばかりにデュヴレオリは鼻息を鳴らす。
大悪魔に関しては『駒の仮面』による制約もあり従えることは可能だが、単純な忠誠を従っているデュヴレオリは確かに別だ。
以前の勝負で既に紫の魔王の支配下から抜け出しているこの大悪魔を黙らせるには対価が必要だ。
「ならオマケをつけよう、今から言う情報もセットだ。要するに魔王一人分に値する価値をつけりゃ良いんだろう?」
「そうね、でも貴方にそれがあるのかしら?」
「まずは『緋の魔王』の居場所」
僅かに紫の魔王、デュヴレオリが反応する。
身を潜めている魔王の所在地は優位に立ち回る上で必要な情報だ。
「あら、そんなことまで知っていたのね? でもそれだけじゃ――」
「『無色の魔王』の居場所、呼び出す方法」
「ッ!?」
これには後方のミクスを除く全員も反応した、この情報を知っているのはマリトとエウパロ法王、そして傍にいたミクスと暗部君だけだ。
金の魔王から聞いた話では無色の魔王は存在すれど今までにその姿を見せたことがないという。
ならば紫の魔王も同様だろう。
「貴方が『色無し』を知っていると言うの?」
「ああ、こんなところで嘘ハッタリは言わない」
「……そう、それはとても気になる情報だけれども――」
「ああ、魔王が一番欲しい情報があったな。これも付け加えよう」
「何かしら?」
「『白の魔王』ユグラの今だ」
明確な反応、自分を魔王にし、自分を滅ぼした者。
今自分たちが身を隠す理由となった者。
消息不明ではあるが魔王となっている以上、世界のどこかにいると信じざるを得ない存在。
「御主、どうしてそれを――」
金の魔王が口を挟む、彼女の口からは湯倉成也の話を聞いていたが魔王になったと言う話は聞いていない。
その理由は明確ではないが意図的に伏せていた情報なのだろう。
「無色の魔王から聞いた、ついでに今何してるのかもな」
「――そう、その情報を知っていると言うことは『色無し』のことも本当なのね」
「あ、主様、どういうことですか!? あのユグラが魔王と――」
「ええ、そうよ? 魔王はお互いを魔王だと認識できる、だから私達は皆知っている。あのユグラが私達を殺す為に魔王となったことを」
「定例会にもなれば奴と話す機会はあるかもしれないが、今まで一言も口を聞いてもらえていないんだろう? 情報を得られる自信があると言うなら『俺』から得る意味はないがな。それでどうする、まだ対価が欲しいのか?」
「いえ、もう十分よ。勝負を受けるわ」
「主様!? そんな早急に決められては――」
「デュヴレオリ、彼の持つ情報の価値はもう認識できている筈よね? 引き出そうと思えばまだ色々と欲しい情報は出てくるでしょうけど、彼の身と心を得られればそれ等は全て手に入るのよ? それとも貴方には私に好事家を相手にするケチな商人のように値上げ交渉をしろと言うの?」
「それは――」
「本来なら情報なんて提示の必要はない、私と彼の対等な勝負なのよ? それに水を差そうとした貴方に彼は価値があることを証明した。それ以上見苦しく足掻いて私と彼の勝負を汚すと言うのならば今ここで貴方の首を落すわよ?」
まあそういうことだ。
『俺』の身も心も捧げるのならば当然こちらが持ちえる情報は全て手に入る。
こちらの社会的価値を示せたのであればそれで十分なのだ。
ぶっちゃけ人間的な価値を問われると辛いところではあるのだが。
「それで――勝負の内容は私が考えても良いのよね?」
「ああ、そしてその見届け人として金の魔王を立てる」
「そう、それで連れてきたのね」
不老不死として長い時を共に生きる魔王達の間では取り決めによる約束は必ず果たさなければならない。
それを反故にすれば全ての魔王からの信用を失う、金の魔王が見届けるともなればどちらが勝とうとも約束は守らねばならなくなる。
対等でない相手と対等な勝負をする為にはその勝負を取り仕切る人物が必要となる、そのための金の魔王だ。
「む、ちょっと待たんか。妾は御主に必要と言われたから来たのじゃぞ! 味方として協力しろと言うことではなかったのか!?」
「流石に魔王味方にするのはずるくね?」
「確かに妾の美貌と知略と美しさと愛らしさ、この尻尾は圧倒的有利ではあるがの」
「全くもって問題ないわ。勝負が付いたときに『金』が生きていれば見届け人としては十分よね? 貴方も共に参加できるゲームがあるわ? 後ろにいる者達も貴方の為に戦ってくれるのでしょう?」
その質問にイリアス達は目で答える、愚問だと。
その返事に紫の魔王は艶やかに笑う。
「そう――私の趣味が悪いと言われずに済むわね」
「悪いとは思うんだがな」
どいつもこいつも。
「あらあら? そんなことを言うの? 勝負の後にはもう少し自分に自信を持ってもらおうかしら?」
「もう勝ったつもりかよ。ちなみに今すぐ勝負を持ちかけた理由のひとつにターイズとメジスに追われているってのがある。明日には捕まるだろうからその辺よろしく」
「――そう、そうよね、そんな提案をするくらいだものね? 貴方はどの方向も敵に回してしまったのね?」
「それでも味方してくれる奴もいるし、悪いことばかりじゃないさ」
八方美人でやり遂げるつもりではあったのだが、心の平穏が取れない以上は仕方がない。
ならいっそ、清々しく敵を増やしてやろうじゃないか。
「勝負の内容は決めたわ、用意に少し時間が掛かるけれど……一時間くらいかしら?」
「そのくらいならば問題ない。ただ時間があるなら勝負の前に話をしないか?」
「あら、いつもは私が求めていたのにどういう心境の変化かしら?」
「今から全てを賭けて挑む相手に勝つため、得られる情報は少しでも知りたいと思うのは不思議なことか?」
「そういわれて私が貴方の望む情報を与えると思うの?」
「対価は払う、『俺』の地球で生きてきた話をしよう。正直胸糞の悪い話でしたくはないんだが――まあ仕方が無い」
「……いいわ、お話ししましょう」