まず飛べ。
エクドイクと共に紫の魔王の見舞いに来たのは良かったが紫の魔王はまだ寝ていると言われた。
昨日の昼から意識を失って丸一日は眠っていることになる。
デュヴレオリから様子を聞き出せればと居座らせてもらったのだが突如奴が消え、戻ってきたと思ったら紫の魔王が目覚めたとの事。
そういったわけで部屋に通された。
そこにはベッドの上で横になり上半身だけを起こしている紫の魔王がいた。
元々色白なせいか病弱そうに見える。
「わざわざ来てくれたのね? 椅子は無いからここに座ってもらえるかしら?」
そういってベッド、彼女のすぐ横に手を置く。
「椅子でしたら直ちに」
「貴方は果物をむいていなさい、余計なことを許可した覚えはないわ?」
「――御意に」
椅子欲しかったんだけどな、仕方ない。
ベッドの上に腰掛けると紫の魔王に背中を向けることになる。
あまり弱っている姿を見られたくないと言うのもあるかもしれない。
等と思っていたら土産に持ってきた果物が見事に大きな皿の上に盛り付けられている。
いつの間にかベッド傍にテーブルが設置され、その上に果物が置かれている。
なお椅子は用意してもらえなかった。
「護衛さん、少し二人きりで話したいのだけれども良いかしら?」
「同胞、どうする?」
大して心配した様子も無いが確認としてエクドイクが質問をしてくる。
力で何かをしようと言うのならばデュヴレオリがいるのだ、わざわざ二人きりになる必要も無い、問題は無いだろう。
「何かあれば呼ぶから大丈夫だ」
「――そうか」
「デュヴレオリ、貴方もよ?」
「しかし――」
「彼が懐に刃を隠し持っていたとして、私を殺せると思う?」
「……何かあればお呼びください」
あ、こいつ『確かに大丈夫だな』って感じで納得しやがったぞ。
否定しないけどさ。
デュヴレオリは影に消え、エクドイクは軽く溜息をついて部屋を出て行く。
さて、何から話したものか……。
「よく眠れたか?」
「ええ、おかげさまでね?」
「悪い、ちょっと意地悪したよな」
「あれくらいで動揺するなんて、情けないでしょ?」
「そうでもない、何日寝ていなかったんだ?」
「さぁ、貴方との勝負を受けた辺りかしら?」
「……普通の人間は一週間も起きていられないぞ」
「仮眠くらいは取ったわよ?」
二週間くらいは満足な睡眠も無かったことになる、そりゃ倒れる。
「勝負を楽しんでもらえるのは悪い気持ちじゃないが倒れられるのは流石に困るな」
「そうね、今の私と貴方は敵同士なのにね?」
「そういう割りには待遇の良いこって」
「当然よ、私は貴方が欲しいの」
背中に手を置かれる、ドキリとしたが特に意味は無さそうだ。
熱を感じない、微かに冷えるくらいだ。
「そんなに地球人が欲しいのか」
「違うわ、貴方が誰であろうと関係ない。貴方個人が欲しいの。私に声を掛けて、私に手を伸ばしてくれた貴方が」
最初に出会ったときのことを思い出す、人との交流の無かった紫の魔王からすれば人の親切を受けることは特別なことだったのかもしれない。
だがそれは偶然に過ぎない。
「あそこに『俺』が通りかからなくてもきっと誰かが声を掛けた、その日は無くとも人間の住む場所にいればそういうこともあっただろう。別に特別なんかじゃない、多くの人間が同じようにできる」
「ええ、そうね」
「今までは探していなかっただけだ、世界は広いんだ。探せば代わりなんていくらでも見つかるし、もっとお前の気持ちに応えてくれる奴だって現れるだろう」
「ええ、そうかもしれないわね」
それこそデュヴレオリの方がよっぽど紫の魔王を慕っている、大事にしているだろう。
忠実で、強く、彼女を特別視できる存在だ。
ただの偶然で出会っただけの男にそんな価値は――
「貴方はただの人間、私に忠実でもない、私の為に尽くしてくれない、特別な物なんて何一つ持っていないのかもしれない。だけど私にとって貴方は特別になってしまったの」
「とんだ災難だな」
「ええ、災難だわ。だけど私はその災難に遭った奇跡に感謝しているわ」
その後何かを話した記憶は無い。
しばらくの静寂の後、立ち上がりその場を去った。
あれ以上何かを語れば、きっと戻れないと察したからだ。
あそこまで言われなくても察していた、だが避けていた、紫の魔王の気持ちがどこまで本気なのかを知っていて。
だがあそこまで言われた以上、避けることができなくなっていた。
逃げてしまった、本気の彼女と向き合うのが怖くて。
彼女の体調が戻れば再び勝負は再開される。
またしばらくはどこか気の抜けた勝負になるのだろう。
だが、それでも最後に彼女に勝てるかどうかが、分からなくなっていた。
城まで戻り、マリトのいる執務室へ向かった。
その様子を察したエクドイクはどこかに行ってしまった。
執務室にはマリトだけ、姿の見えない暗部君に関しては考えないことにする。
「おや、出かけたと聞いたけど随分と早い帰宅だったね」
「ああ、紫の魔王の見舞いに行って果物を渡してきただけだからな」
そう、それだけのことだ。
多少の会話はしたが何も事態は変わっていない、変わっていないのだ。
「何かあったのかい?」
「変化は何も、ない」
「ならその狼狽えは一体なんだい? まるで薄氷の橋を渡っているかのような顔だ」
「……」
「報告も無いのにわざわざここに来たんだ、何か相談したくて来たんだろう? 話せば良い」
マリトにその言葉を先に言わせてしまった、相談しようとして、その言葉が先に出なかった。
楽にはなったが同時にさらに自分への評価が下がる。
「そうだな……とりあえず話さなきゃ、始まらないか」
紫の魔王との会話について話した、彼女から伝わった本気の意思も。
そしてそれらを前にして、臆し、勝機が見出せなくなったと。
「ふむ、紫の魔王は本気で君を求めているようだね、娯楽や愉悦ではなく、本心から。それで君はその気迫に気圧されてしまったと」
「ああ」
「ま、そういうこともあるだろう。肉体を武器にできる男と違い女は心を武器にする、力で勝てない相手だろうと怯ませる強固な精神を持てる。君にいたっては両方で負けているのだから無理も無い」
力による恐怖ならばこの世界に来てから嫌と言うほど味わってきた。
地球でも自分より強い相手なんていくらでもいたのだ。
それらに対抗するために心の隙を突く術を見につけ、自衛してきた。
だけど今回はそれができない。
「それで、君はどうするつもりだい?」
「勝てない以上は負けることになる。人間達にとって地球人が魔王の軍勢に加わるのは良いことじゃないだろう」
「そうだね、俺達はそれを危惧して今こうしている」
「戦えば勝てるかもしれないがその犠牲も大きくなる……なら隠れると言う選択肢を取るのはどうだ」
「隠れる、か」
「もちろん紫の魔王は追ってくるだろう、だがそうすればターイズから引き離すこともできる。メジス魔界もすぐには補強されずに一転できる期間を得ることもできる」
「だが君には追われ続けると言う恐怖が付きまとう。勝負を放棄して逃げたんだ、紫の魔王が君を許す許さないに限らず逃げられないようにはするだろうね」
「その時は、その時だ。自分がどうなろうとそこは覚悟できている。だが時間は稼いで見せる」
マリトは立ち上がり、書物をこちらの傍の棚に直す。
「君は紫の魔王の心を前にしてもなおターイズやメジス、人間達の立場を考えて行動するつもりなんだね」
「……ああ、そうだ。世話になった人間達を裏切ることはできない」
「その気持ちは嬉しい、ターイズの国王としても、人間を代表する者としても君の献身さを評価したい」
マリトはこちらに向き直る、その表情は柔らかい。
「だが心持つ者としては最低だ」
体が宙に浮く、視界が揺らぐ。
少しして自分が壁に叩きつけられた感触を覚える。
何を、された、頭が揺れる、顎が痛い。
体が動かない、脳が揺らされたからか。
ああ、マリトの姿を見て分かった。
『俺』はマリトに殴られたのか。
「なに……しやがる」
「王としても人間としても君の選択肢は受け入れられる。だけど友としては不満を持ったからね」
体を起こす、まだ体は満足に動かない。
口から何かが零れる、血だ、これほどの痛みならば当然だろう。
口に何か違和感がある、顎の骨が折れたか、いやこれは……奥歯も折れている。
遠慮なしに殴りやがったな、こいつ。
「君がその選択肢を取ると言うのならば俺は止めない、協力もしよう。だがそれで終わりだ、俺が振るった拳の意味も分からない愚鈍な輩とは関わる気もない」
大人一人が吹き飛ばされる音に反応してか警護の兵士達が姿を現す。
「陛下ッ、これは一体!?」
「気にするな、その男を医務室に運んでやれ。自分で立てんようだからな」
その言葉に兵士達は従い、こちらの体を担ぎ上げて執務室を後にする。
マリトはこちらを一瞥することも無く部屋の片づけを行っていた。
医務室で回復魔法を受けたが効果は無く、仕方なく麻酔を塗りこまれ、患部に氷嚢を当て包帯で固定された。
その頃にはふらつきながらも歩けるようになったので用意された部屋に戻った。
しばらくベッドに倒れこみ眠っていたがやはり満足に眠れない。
麻酔が効いているとは言え顎や奥歯周りの痛みが抜けないのだ。
「なんだって言うんだマリトの奴」
振るった拳の意味だと? 友として不満があったって……まあそりゃそうだろうけどさ。
マリトが『俺』を友と認めた理由を思い出し、溜息をつく。
伝統を重んじる騎士国家の王となったマリトにとって地球人の存在は目新しかった。
型破りな発想や行動、それらが自分の周りを変化させてくれるのではと期待して接触してきたのだ。
どこまで期待に応えられたかは知らないが、少なくとも今日までは悪くなかった筈だ。
今日見せた『俺』の行動が彼にとって許せない行動だったのだろう。
こちとらターイズやメジスに精一杯気を使ってやったって言うのに……いや、それが原因か。
女性一人の気持ちから逃げて、自国や他国に気を使う行為。
国家として見れば当然の行動、マリトだって王としては評価すると言っていた。
だがそれは友として迎えた相手には選んで欲しくない行動だったのだろう。
型に囚われ、妥協による無難に走った人間に何の魅力がある。
マリトが求めていたのは献身的な部下ではない、ただ対等に接してくる友だった筈だ。
「そりゃ『俺』でも殴るかもな」
だが拳を振るった意味はそれだけか、絶縁を告げるための拳だと言うのだろうか。
違う、マリトがそれだけで人を殴るものか。
見限ったのであれば手を下す必要も無く、兵士に捕らえさせれば良い。
ああ、そうか、そういうことか。
何だよ、どこが賢王だ、愚王め。
だが、良い王様じゃないか、本当。
マリトの意図は読めた。確認を取る必要――は無いな。
善は急げと立ち上がり部屋を出てエクドイクの部屋へと向かう。
「同胞か……何があった」
エクドイクは人の腫れ上がった顔に怪訝な表情を見せたがそんなことは無視だ無視。
「必要経費だ、城を出るぞ」
「どこに向かうんだ?」
「紫の魔王の場所――よりも先に一箇所行くところがあったな」
「まあどこだろうと護衛なのだから付いていくが」
「いや、お前には護衛として同伴してもらうわけじゃない」
「――どういうことだ?」
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「彼をターイズから連れ出し、隔離すると言うのはどうだろうか」
エウパロ法王の提案を聞いて、やはりかと思う。
紫の魔王との勝負、今までは児戯に等しい内容だったが本気で彼を得ようとしている以上いつか負けてしまう可能性がある。
最悪の展開としては彼が紫の魔王の手に落ち、大悪魔達も数を残してしまうことだ。
彼を求めているならば彼を国外に逃がし、隠せば紫の魔王はその捜索を行うだろう。
上手く誘き出せれば望んだ場所での戦いも可能、さらには手薄となったメジス魔界の一斉奪還も狙える。
それがエウパロ法王、いやユグラ教の判断だ。
「その方法ならばターイズへの被害は薄い、とは言え即逃げられれば国内で憂さ晴らしをされる可能性もある」
「そうだな、そこは彼に演じてもらい一度国外に出てもらい、我々の手の者に誘拐されるように仕向けると言うのはどうだろうか」
その後彼はメジスの管理下となり、ユグラ教が彼の所有権を独占すると言うことか。
ターイズとしては人間一人の為にユグラ教を敵にまわすことはできない、意固地になって独占しようものならば禁忌を得ようとしているとしてユグラ教の伝わっている世界の国全てから敵視されることにもなる。
国内にもユグラ教信者は多い、最悪内乱までありえるだろう。
――彼もここまでは考えていたのだろう。
「反対する理由はない、ただターイズの者が関与したと言う結果を残せばその限りではない。そこはメジスに全て任す形になるが構わないな?」
「無論だとも、彼の身柄に関しても無事を約束しよう」
エウパロ法王のことだ、その言葉に嘘はないだろう。
しかし彼も一国、いや、宗教の長として見れば世界に影響力を持つ存在だ。
魔王とユグラの関係が明るみになれば世界は大きく揺らぐ、ユグラ教への信仰も大いに落ちるだろう。
魔王との決着は全て歴史の裏で行い、彼の存在は二度と表に浮かぶことは無いだろう。
「法王様ッ、報告いたします!」
兵士の一人が慌てて入ってくる、この兵士はメジスから来た聖騎士団の一人。
ターイズの鎧を着てこの国の兵士に成りすましているがエウパロ法王が彼の様子を探らせていた者だ。
監視を付けたいとのエウパロ法王の要請が彼のいない時に出てきて、承認した結果の手段だ。
「どうした」
「そ、それが、件の者が姿を眩ましました!」
「何だと!?」
エウパロ法王よりも先にこちらが驚いた言葉を発する、演技力ならば自信があるのだ。
伊達に普段から賢王として振舞っているわけではない。
「詳しく話せ」
「エクドイクと名乗る護衛の部屋に入った後、庭園に移動。その後突如……城門に控えていた者の報告では入り口を通っていないと。城中を隈なく捜索したのですが……」
エクドイクのことを詳しく知っていれば空を飛んで逃げたと察することもできるだろうが密偵を行っていた兵士達では予想もできなかっただろう。
「……聡い友のことだ、我々の取る行動を先読みして逃げたやもしれんな」
「ターイズ王、これは貴方の根回しでは?」
「彼に最後に接触した時には我々に献身的な行動を取ろうとしていた。こちらは賛成の意を示しその後は接触はしていない」
「……そのようだな」
嘘は言っていない、彼の考えたユグラ教の嘘破り破りだ。
念の為に彼をこの部屋に近づけるなと兵士に言っておいたが、彼は寄ることなく行動に起こしたようだ。
それでこそ殴った甲斐があるというものだ。
殴った本人は非常に心が痛かったとは弁明したいところだが、まあ今度殴らせよう。
「すぐに捜索を行わねばならんな」
「国内はこちらが優先しよう、エウパロ法王は彼がターイズ領土内から逃げぬように先手を打つと良い」
「彼がこの領土を出ると?」
「友は中立的立場を好む。紫の魔王の元に下る気はない、そして我等を敵に回す気もない、今回逃げた理由を考えればメジスの管理下になることを拒んでの逃走だろう。ターイズに残れば我々の関係に歪が起こることも理解している筈だ」
「確かに、彼は臆病者故に誰かの敵になることを避ける節があったな。急いで逃走経路の先回りを行う」
エウパロ法王は彼と直接接触したことで彼のことを知った気になっている。
彼は確かに臆病だ、敵を増やすことを良しとしない、自分が無難に生きられればそれで良いと思っている。
そこまではエウパロ法王も気づいている事実。
だがそれだけではない。
それだけならば誰も彼に魅力なんて感じないのだ。
黒狼族に虐げられていたウルフェを救う為に村から恨まれる役割を演じて見せた。
浮浪者の仇を取る為メジスの暗部を相手に自ら囮になった。
これらの行動は表立った彼の行動とは矛盾している。
彼は無難に生きることを望んでいる、だが自分の周囲にいる者達もそのラインに引き上げねば気がすまないのだ。
身の丈を考えず、立場も考えず、彼は動けるのだ。
彼には熱がある、戦う力は無くとも他者に伝わる熱を放てる。
そしてその熱は自分の為ではなく、人の為に奮闘するときのみに発せられる。
それを知っているからこそ、彼を慕う者が居続けるのだ。
彼を殴った拳は微かに怪我をしており、じんわりと痛む。
恐らく彼の歯をへし折り、その際に皮膚を切ったのだろう。
痛いというよりも熱を持っているように感じる。
自分の手が彼の心に火をつけられた、ああ、この痛みはとても良い物だ。
回復魔法を使えば一瞬で治癒する怪我ではあるが、今はこの痛みを喜んで受け止めよう。
イリアス「修行している間にヒロインの仕事が取られた件」




