まず出鼻を挫かれる。
どうしてこうなった、そう心の中で呟いた。
先日紫の魔王との接触、信用を得て情報収集をすることを決意した。
相手は世界で最も大きな爪痕を残した魔王、下手に刺激してはこのターイズが戦場に変わる可能性もある、そんな感じのシリアス感があった。
こちらを護ると心に決めていたイリアスにも不安を残させ、こちらも戦うための主力武器を失っている。
生半可な気持ちで挑んでいるわけではない、わけではないのだが――
「あら、どうかしたのかしら? 私の顔に何か付いているかしら?」
「――いえ、お綺麗ですね」
「まぁ、嬉しいわね?」
現在その紫の魔王と向き合って昼食中です。
それは作戦会議の翌日の朝のこと、バンさんを通してクアマから来た商人が黒狼族の村を視察、およびターイズで開く店に現地の特産品等を扱いたいと国に許可を求めてきた。
現段階で黒狼族の村との交易はバンさんの商館が全てを担っているがそれをすべて独占できると言うわけでもない。
ターイズの商館としてはバンさんの所で十分だとしても、クアマ産の商品の取引ともなればこういった機会は黒狼族にとっては有益な交易になる。
ターイズ国から見れば黒狼族とて領土内の国民だ、国内の商業に過度な損失を与えない範囲ではある程度の自由を与えたいとも思っている。
そういうわけで国としては快諾、黒狼族の村へも早い段階で連絡を行いアポイントを取ると返事。
ちなみにその橋渡し役に選ばれたのがこちら、異世界人です。
紫の魔王と接触するために先に商人と顔見知りになり、その後黒狼族の森に向かう際に紫の魔王を一緒に連れ出せないかと言う算段だ。
しかしまさかの紫の魔王が同伴、『あら、早い再会でしたわね?』と驚かれた。
驚いたのはこちらです、商談に顔を出す可能性は十分あったがそれは交渉が上手くいかなかったりもう少し具体的な形で纏まってからと思っていたのだが当てが外れた。
ちなみにその商人の名前はトルトさん、紫の魔王とは好事家仲間とのこと。
トルトさんはパッと見傀儡のようには見えない、商売熱心な男性と言った印象だった。
しかし妙な点もあった、最初は丁寧に商談を始めていたのだが紫の魔王が突如口を挟んできたのだ。
『ねぇトルト? こちらの方にあまり手を煩わせるのも迷惑でしょうから貴方の先見している想像図を資料にまとめたらどうかしら?』
そういったものは本来こちらと対話しながら互いの落とし所を確認、擦り合わせを行ってから作る物なのだが、トルトさんはそれを即座に快諾した。
早速宿に篭ってまとめてきますと紫の魔王を一人残して去って行ったのだ。
単純に腰が軽い商人にも見えるが、こちらとしては言いなりになっているようにしか見えずなかなかに恐怖である。
最終的にはこちらと護衛、紫の魔王と言った席が作れれば良いと思ったのだが初日にそれが完成してしまったのだ。
残された紫の魔王はと言うと、何故かこちらに妙に関心があるようで昼食に誘われた。
そして今に至る、一応影は薄いがエクドイクもすぐ側に控えてくれている。
「そういえば先日お会いした時に側にいた女性、彼女も護衛と思ったのだけれど本日は違うのね?」
「ええ、普段はこちらのエクドに護衛をお願いしています。彼女の方が剣の腕は立つのですがやはり男性同士でないと移動できる場所が限られてしまいますから」
エクドイクは軽く会釈をする、敵意や警戒心を漏らさない実に良い感じである。
念には念を入れてエクドイクを『エクド』と言う愛称で呼ぶことにしている、これならば名前を知られる危険性が下がりつい本名を呼びそうになっても途中で堪えやすい。
既にバンさんやウルフェ達にも連絡してそう呼ぶようにさせている。
こちらの名前は流石に隠すわけにもいかないのできちんと名乗っている。
エクドイクから得た情報からラーハイトもこちらの名前を知らなかったことだし、対抗策もあるので大丈夫だと思いたい。
流石に行き成りあだ名で呼んでくれとかこれ見よがしな対策を見せては気取られるし、今から考えた偽名を使えばユグラ教の聖職者のように嘘を見破れる相手だった場合に致命的だ。
「あの時はお二人ともほのかにお酒の香りがしていましたから、親しい関係と思いましたわ?」
「親しいと言えば親しいですかね、頼れる護衛としては認めていますから」
「ところで……貴方、結婚はしているのかしら?」
「いえ、独り身ですよ。恋人もいません」
「あら、素敵な殿方なのにね?」
色々と質問はされるが個人的な趣味やら立場による物ばかりだ。
こちらが地球人であるかどうかを探っている様子は無い、ついでに今のところ名前を呼ばれていない。
紫の魔王の『籠絡』の力は相手の名前を本人の前で呼ぶ必要がある、なので成功するしないにせよそういった様子があれば警戒するようにエクドイクには言ってある。
こちらが普段一人称を使わないようにしているのと同じで彼女も自身の力を不用意に使わないように癖をつけているのだろうか。
名前を呼んだのはトルトさんの名前だけだ、バンさんのことを示唆する時も名前を知っている筈なのに『さっきの館のご主人』という言い回しをしている。
「護衛の方も一緒にどうかしら?」
「いや、結構。俺はいない者として振舞ってください」
「そう? なんだか護衛の方に悪いわね?」
「仕事ですから」
エクドさんとでも呼べば良いのに名前を呼ばない、やはり意図的に避けているのだろうか。
しかしそれ以上に紫の魔王の視線が熱い、こちらの所作をジッと見つめてきている。
目が合うと凄く優しい顔で微笑んでくれる。
なかなかの破壊力、おませな感じの金の魔王とは違い純粋に大人の色気を感じる。
「この後もお暇かしら? よろしければこの街を案内して欲しいのだけれど?」
「ええ、構いませんよ。ですがトルトさんは大丈夫なのですか?」
「構わないわ、彼は友人で妻帯者よ? 貴方と私の間には何の問題もないわ?」
うーん、これってやっぱり好意を持たれているんだよな。
前日親切にしたとは言えどここまで好感を持たれるものだろうか?
普段から他者との距離感を測る技術には秀でているのだが、今回はそれが逆に調子を崩してくる。
出遭ったときの好感度を10くらいとすれば今は90くらいに感じる、しかしこちらの情報はほとんどなしのままだった。
あの後こちらの親切を噛み締めて好感度が上がったのか、いやいや上がり過ぎだろう。
何か企みがあると見るべきだろう、既に情報収集を進めイリアスからこちらの素性に辿り着けたのか?
軽い人間不信になりそうだ、いや魔王不信か。
「そうだわ、靴が壊れたから予備の靴を用意してもらったのだけれどせっかくだから自分で選ぶのも良いわね?」
「そうですね、しばらくターイズにいるのであれば買い物をする機会も多いでしょうから色々案内しますよ」
そして街を一緒に歩くのだが何故か腕に抱きつかれている、視線がこちらに向けられている。
「あの、ユカリさん?」
「あら、どうしたの?」
「いえそのですね……随分と距離が近いなぁと」
「そうかしら?」
……感触とか楽しむ前に恐怖が過ぎる、魔王と言うのは誰も彼もが人懐っこいのだろうか。
そんなわけ無いよな、トルトさんやエクドイクにはそういったスキンシップは取っていない。
「ユカリさんが構わないのなら良いんですが」
「ええ、構わないわよ? むしろ望ましいわね?」
これって多分ミクスかイリアス辺りがどこかで監視してるんだよな、もう操られてるんじゃないのかとか心配していませんかね。
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「あれもう操られていないか!?」
「ご友人モテますな、一応戸惑っているようですから大丈夫とは思うのですが」
「た、確かにそうですね、操られているのならば抵抗する理由も無い……いや、してないな」
様々な覚悟と共に彼は紫の魔王と接触する為の囮を引き受けた、と思ったらこの展開だ。
驚くほど打ち解けている、あそこまで仲良く歩くなんて酔っ払ったラクラを相手にしているときくらいなものだ。
腕を組まれておきながら一緒に歩いている、多少のぎこちなさはあるが嫌がっているわけでは無さそうだ。
ちなみに現在はミクス様と一緒に尾行中、エクドイクに不可視や気配遮断の魔法を掛けて貰い気取られぬように行動している。
いつもの剣には魔封石を埋め込んであるので同じ大きさの剣を持ち歩いている、軽くてちょっと頼りない。
「チキュウ人の嗜みとやらは凄いものですな、金の魔王に引き続き紫の魔王まで魅了するとは」
「あれは違うと思うのですが……魔王受けする顔なのでしょうか」
外見的な魅力は……彼にそこまで感じたことは無い、脆さによる不安感なら何度か経験しているのだが。
普段から無愛想な表情で私やラクラに対しては時折怒りの表情を見せている、ウルフェ相手には……口調が優しくなる程度で表情はさほど変わっていない。
カラ爺や商人のバンと話している時は確か少しだけ表情が柔らかかった気がするな。
ああ、先日元の世界にいた猫の話をしていた時の彼の表情はとても優しいものだった。
普段からあの顔ができていればもう少し周囲の者からも好かれる好青年であっただろうに。
「ご友人の爽やかな笑顔などはなかなか威力がありましたが、そういった素振りはまだ見せていませんからな」
なんだそれは、彼が笑った所は多々見るがどれも性根の悪そうな顔ばかりなのだが……。
普通に笑っている所も多少は思い浮かぶがそこまでのものは見たことが無い。
気になるが……今はそれどころではないな。
周囲に警戒する、物陰や建物の隙間、窓などを注視し第三者が彼等を見ていないか等を確認する。
エクドイクの話によれば下位の悪魔によっては自我を持たず、支配者の下で役割として常にその側にいることもあるとのこと。
メジス魔界の悪魔全てを支配できる紫の魔王ならば悪魔の一体や二体、近くに潜ませていても不思議ではない。
「今のところ異常は見られませんね、彼と紫の魔王以外は」
「そのようですな、しかしいつ隙を見て二人きりになるかも分からぬ状況。気を引き締めて参りましょう」
二人の向かった先、そこは靴屋だった。
そこで仲睦まじく靴を選び、彼に選ばせて一足購入。
続いて服屋、装飾品屋、雑貨屋と転々と様々な店を回っていった。
ちなみにエクドイクもいるといえばいるのだが背景と化している。
「まるで逢引ですな」
「確かに、紫の魔王もかなりご機嫌のようですね」
彼の方も緊張がだいぶ抜けてきているのか自然体で接しているように感じる。
そういえばああやって二人で買い物をして過ごしたことは無かったか、サイラとはあるが。
「良いですなぁ、こっちは気を張り詰めての尾行だと言うのに……今度ご友人とこう言った休日を過ごしたいものです。兄様の話とかでなら何時間でも盛り上がれますから」
恐らく彼の方がもたないと思うのだが、そこは言わないでおこう。
私も今度彼を武器屋に誘って二人で行ってみるのも良いかもしれないな。
一通り店の案内が終ったのか今度は市場を歩き、露店を見て回っている。
こちらは不可視の魔法を掛けてもらっているので、人混みを移動するのが大変だというのに……。
常に周囲の歩行者に意識を向けねばぶつかってしまう、ミクス様共々右へ左へ大忙しだ。
「しかしエクドイクはなかなかやるな、これだけの人ごみの中でも常に彼と同じ距離を保っていられるとは……」
「見た感じあの三人の周囲に人払いの魔法を使用している気がしますな」
「気取られないのですか、それ」
「多分気づかれていると思いますが規模も小さく人混みを歩きやすくするためと断りを入れているのではないでしょうか」
便利な魔法だ、単純に護衛としての利便性ならばエクドイクに一歩先を行かれているのを自覚せざるを得ない。
彼が実力ならばこちらが上だと言ってくれたことがせめてもの救いだ、だが甘えず精進せねば。
ふとエクドイクを見ていると時折こちらと目が合う、そしてその後耳に手を当てる動作を見せた。
どういうことだろうか……あ、そうだ。
咄嗟に取り出したのはエクドイクの鎖の一部だ。
何かあれば連絡すると渡されたのだが使い道がさっぱりでとりあえず懐にしまっておいたのだ。
これを耳に当てれば良いのだろうか。
『――人ごみの中にいてどうする、建物の上を移動しろ』
とエクドイクの声が鎖を通して骨身に沁みてくる、口は動いていないから念を飛ばしているのだろう便利な魔法だ。
「ラッツェル卿、それはエクドイク殿からの?」
「ええ、見晴らしの良い建物の上を移動しろとのことです」
「その方が良さそうですな、何かあれば一足で移動できるでしょうし」
「目立ちませんかね――透明でしたね私達」
どうもこういった隠密行動は初めてで勝手が分からない、エクドイクからの指示を素直に聞くとしよう。
『今のところ紫の魔王は同胞に対し友好的に接している、気になる点があるとすればどうも意図的に名前を呼ぶことを避けている節が見られる』
建物の上から監視を続けミクス様と共に鎖の端を持って互いにエクドイクからの通信を聞く、こちら側から質問を飛ばせないのが欠点ではあるがそれでもユグラ教の秘術に負けない利便性がある。
『本能的に避け、意識的に認知が難しくなる程度ではあるが人払いの魔法を使用している。その旨は両者に確認した上で使っている、この人だかりでも歩きやすいようにとな。万が一知人に出遭ってボロが出ては困るからな。意識的に追いかければ問題は無いが長時間目を離すと見失う恐れがあるから注視しておけ』
「エクドイク殿もなかなか気を使っているようですな」
「確かに、あの場でサイラなどに出くわせば髪の色などを指摘される可能性もありますからね」
『これから休憩のために北側の広場に向かう』
移動を始めたようだ、こちらも追尾しよう。
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気づけばそれなりの量の買い物をしている。
気を使っているのか、両腕を塞がれるのが嫌なのか片手で持てる量であるのが幸いではあるが。
長椅子に座って一息つく、紫の魔王はその様子を見て少しだけ声を出して笑う。
「ふふ、ごめんなさいね? 連れ回されて疲れたでしょう?」
「歩いたと言うよりかは一緒にいることの緊張疲れですけども」
「あら、私と一緒にいるのが嫌だったかしら?」
「女性を女性として扱うのが久々だっただけですよ」
イリアス達は基本友人関係と言った感じが主体で互いを異性として意識して行動することは少ない。
無論家での風呂場や着替えなどには気を使っているがそれは保身のためである。
こちらを男性と意識して接してきている人物といえばラクラ、ミクス、あと金の魔王か。
ミクスはボーイッシュな感じがするし金の魔王はおしゃまさんな感じが抜けない。
ラクラが一番女性らしいと言えばらしいのだが、ダメな友人関係が抜けないので意識することが難しい。
男性と意識され、こちらも女性と意識して接する相手はなかなかいないのだ。
等と考えていると紫の魔王が体を傾けこちらの肩に身を預けてくる。
「ねぇ貴方……貴方は私に何か隠しているのかしら?」
「――何のことでしょうかね」
「私が貴方に感じる想いと同じように貴方の気持ちも揺れているのが伝わってくるのよ? でも貴方はそれとは別のことを考えているように感じるわ、その思いが気になるのよね?」
これは……少し不味い気がする。
確かに余計なことを考えすぎていた気がする、純粋にドキドキできていれば良かったのだが常にその裏に何かを企んでいないかと邪推していた。
流石に一日通してそういった反応を見せていれば気づかれるか……。
「普段から色々と考える癖がありましてね、他愛の無いことです」
「そう……貴方は私に嘘を吐く方なのかしら?」
「ええ、必要であれば。嘘は嫌いですか?」
「貴方の嘘になら騙されても良いわ」
距離感が掴めない、これはなかなかに堪える。
だが表向きだとしても好感は持たれている、ならばもう少し歩み寄っても大丈夫ではないだろうか。
「お聞きしたいのですが、ユカリさんがそこまでこちらに気を許してくれる理由はなんでしょう?」
「あら、そんな些細なことを知りたいのかしら?」
「ここまで対価無しに人に好かれるのは初めてでして」
「そうかしら、貴方は困っていた私を助け名を名乗らず対価を求めなかった……それだけで十分ではなくて?」
「こちらにとっては一分くらいの感じですかね」
「――私は今まで成したいこと、求めることを全て他者を通して叶えてきた……誰も私のお願いを断らない、だから私の意志と関係なく私に何かを与えてくれる人はとても少ないのよね?」
『籠絡』の力のことを言っているのだろう、なかなか踏み込んだ内情を話してくれるものだ。
確かに万人を操れる紫の魔王ならば自分の意思は常に通る、それが通常となってしまっている。
彼女が誰かに声を掛けてしまえば彼女の願い通りに助けてしまうのだ。
そういう前提で考えた場合、確かに自分の意思の外から救いを与える者は珍しいのだろうか。
そうだとすると彼女は他者と今までまともな関係を築いたことがないと言うことになる。
ああ、意識を変えなくても分かる、これは似ているのだ。
「それは――人生が色褪せて見えそうですね」
「――ええ、とても寂しいわ。得ても得ても満たされないのよ?」
彼女もまた人生に辟易とした人物なのだろう。
通常の人間ならば他者を自由に操れる力を得れば喜んで多用する、際限の無い欲望を叶えて行く。
それは他者との関係を構築することが難しいものであることを知っているからだ、自由に操れる程となればどれ程の手間が掛かることか。
だが彼女にはその認識がない、人との感情のやり取りに乏しいのだ。
なるほど、それで『序列の呪い』による不快感すらも求めるわけか。
過度な刺激が無ければ彼女の心には響かないのだ、それほどまで彼女の世界は色褪せている。
魔王になる前を考慮すれば恐らくは他者と触れ合う機会が無い隔絶された人生だったのだろう。
そして魔王となってからは圧倒的なイージーモード、影響を与えられるのは同じ魔王と湯倉成也だけ。
だからこそ何かを求め、得られるものを得続けた、その結果が世界最大の魔界を生み出したと言うことなのだろう。
……一度思考を切ろう、これ以上は立ち位置が入り込んでしまう。
「今日はどうでした?」
「そうね……貴方ははっきりと目に映っていたわ。楽しめたと思うわね? またお願いしても良いかしらね?」
「ええもちろん、――黒狼族の村の方も一緒に行けるように手配しますよ。今日明日には村に向かった連絡役が戻ってくると思いますし」
「そう、そちらも楽しみね」
こうして今日はユカリさんと別れた。
まず向かった先は城の中にある部屋の一つ、今日のことが終わったら来るようにマリトに言われていた場所だ。
こちらとエクドイクが『籠絡』の力の影響下に無いか検査が行われるのだ。
検査は一時間以上にも渡り、内面の魔力の確認を始め様々な質問等を行われる。
この厳重な検査を受けていると先程まで楽しそうに笑っていた彼女が世界で最も恐ろしい魔王の一人であるという実感が戻ってくる。
彼女はこの世界にとって異端である。それをとても悲しく感じた。
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彼と別れ、宿に戻る。
トルトは指示通りに作業に没頭していた、不眠で倒れられても困るので休息を含めた細かい指示を出しておく。
湯船に沈み、一日を思い返す。
よもやこんなにもすぐに再会できるとは思わなかった。
名前も聞くことができた、そして一日彼と一緒にいることもできた。
彼は言った、人生が色褪せて見えるだろうと。
その言葉はとてもしっくり来た、過去を思い出してもほとんどの光景に色を感じない。
鮮明に思い出せる光景なんて、苦痛を味わい、味わわせた時くらいだ。
魔王になる前の記憶にいたっては線すら朧、水を染み込ませた古本のようだ。
ふと溢した言葉一つから彼は大まかではあるが自分の生い立ちを見抜いたのだろう。
「ふふ、彼はどこまで私を理解してくれたのかしら?」
僅かながらに確信がある、彼は何かを隠している。
これは魔王としての力ではない、恐らくは長らく使っていなかった人間の時の当たり前の本能。
恐らく今それを熟考すれば結論に辿り着くのは容易いのかもしれない。
いや、そんなことをしなくても『籠絡』の力を使えば一言の命令で済むのだ。
だけど勿体無い、そんなことをしてたまるものか。
彼が自分の忠実な傀儡に成り果ててしまえばきっとそこまでだ。
彼を手中に収められたという満足感はあるだろう、その後も彼を愛でることは可能かもしれない。
だが今楽しんでいる思い、彼を欲していると言う気持ちは終わってしまうのだ。
何時もならば名前を聞いた瞬間に躊躇無く他者を傀儡にしていた、だが今回ばかりはその使用を我慢した。
何てもどかしい、まだるっこしい、だけどそれが良い。
彼の反応がつれないのも評価に値する、何もかもが楽しい。
しかしふと思ってしまった、この関係はどこまで続くのだろう。
彼はトルトが黒狼族の村に向かうための橋渡しとして国に紹介された人物だ。
つまり黒狼族との交渉が済めば彼との接点は薄れてしまうのではないだろうか。
その後も彼に会うことは可能かもしれないが彼からこちらに会いに来てくれることは無くなるかもしれない。
「それは……嫌」
紫の魔王が感情を込めた声を出すのと同時に周囲の影が蠢く。
魔王の機嫌を取ろうとしているのか、それともその感情の昂ぶりに共鳴しているのであろうか。
紫の魔王にはその辺を理解することはできない、する気も無い。
どうせ命令を下せば忠実に動くだけの存在でしかないのだから。
「そうね……貴方達にもお仕事あげようかしらね? 暴れる許可をあげるわ、その力を存分に振るって良いわよ?」
再び影が蠢き、やがて元の影に戻る。
悪魔達が姿を消し気配すら無くなった静寂の中、紫の魔王は虚ろな顔で天井を見つめ続けた。




