目下のところ始めよう。
「やあやあ、情報収集ご苦労だったね」
ターイズに帰って最初に寄った場所はマリトの執務室、ウルフェとラクラはイリアス家にて既にくつろいでいる。
護衛の立場であるイリアスとミクスは当然ながら一緒だ。
一応ガーネの調査報告書なる物も作成している、現在のガーネの兵力やらを記したもので今後の成長予定などの情報もある。
金の魔王の能力ならばそれ以上の成果を生み出す可能性はある、だが最近の軍事拡大はガーネ魔界に集められていた魔物を警戒しての行動であり現段階ではターイズの脅威とはなりえない。
最適解を求め続けて軍事拡大しようともターイズを超えるにはまだまだ時間が掛かるだろう。
等と仮想敵国扱いした場合での情報収集も大事だが純粋な高度発展の様子の方がこの国にとっては価値がある。
地球の情報は使えるかどうかを考慮して行動しなければならない、しかし金の魔王の取りうる政策は既に彼女が仮想世界で実行し検証を行った物なのだ。
世界に見合った政策だ、大抵のことは真似するだけで効果があるだろう。
もっとも地形や人口の差等はあるので馬鹿正直に行動を模倣するだけでは悲惨な結果にもなり得るがマリトにはそのような心配は無縁である。
そして目下のところ国として重要なのは魔王に関する情報だろう。
「今のところターイズ魔界に関してはどうするつもりなんだ?」
「既に魔王が復活していると言う話はなかなかに受け入れがたいものではあるけどね、歴史的観点で言えば『碧の魔王』が動く心配は少ないだろう。ユグラがその名前を出さなければ闇に葬られていた存在だからね」
ターイズ魔界を生み出した『碧の魔王』その力は魔王の中でも二番目であり、生み出す魔物はどれも高い戦闘能力を保有している。
しかしその魔王は熟睡できる安寧の地を求めるために魔界を生み出したに過ぎず、自ら人間界への侵攻を行ったことは無い。
ターイズに流れ着く魔物も大半はここからだが統率を受けての侵攻などは見られない。
現れたときの被害の規模は他の魔界よりも大きいが過去から学んでいるターイズの騎士達ならばその被害は最小限に抑えられるだろう。
何よりターイズに攻め込むには『黒魔王殺しの山』を抜ける必要がある、そこにはどの魔王よりも恐ろしい『魔喰』と呼ばれるスライムが生息しておりターイズはとことん地形に守られた国なのだ。
攻められる心配も薄いがこちら側から動くこともまた難しい。
討伐に動けば魔界二箇所の経由は避けられないだろうし、現時点最強の魔王を本気にさせるのも危険な話である。
「となると心配なのは『緋の魔王』と『紫の魔王』か」
「そうだね、金の魔王の情報抜きにして人間界に攻め入った魔王と言うことに間違いはない。既に復活している以上は軽視できる存在ではないだろうね」
「『紫の魔王』はクアマのどこか、『緋の魔王』の居場所は――ガーネ魔界とメジス魔界の境界付近だ」
『緋の魔王』の居場所に関しては仮想世界でドコラから聞きだした情報だ。
ラーハイトはメジスにあるユグラ教本部の地下に封印されていた湯倉成也の残した書物を狙っていた。
そこは特殊な警備体制の敷かれている場所でユグラ教の最高責任者であるエウパロ法王以外では単身での出入りができない、メジスの国王の認可なども必要でラーハイトも苦戦していたのだろう。
そんな不穏な人間の気配を察し、ドコラはラーハイトの動向を調査していたのだと言った。
そしてある時にラーハイトが単身でメジス魔界に赴いた時にそれを尾行、『緋の魔王』のいる場所まで辿り着いてしまったのだ。
一応念を入れて仮想世界で聞かされた場所を調査した所、多くの魔物が犇く地下空洞が発見された。
そこにいた魔物はメジス魔界の魔物ではなくガーネ魔界と同じ系統、『緋の魔王』の存在を示唆する者達であった。
恐らくは現時点でも『緋の魔王』はその場所に居るのだろう。
「こちらから下手な行動はできないけどね、魔界に大規模な討伐隊を送ればすぐに気取られるだろう」
部下であるラーハイトが人間界に溶け込んでいる以上、人間界での目立った行動は筒抜けとなるだろう。
現時点では居場所を把握している有利を活かし水面下での対策を練る段階だ。
紫の魔王も同様、クアマのどこかに拠点を持っているとしてもそれを探して下手に刺激をするのはよろしくない。
金の魔王が紫の魔王を追い込んだのであって、人間がそこに介在していたと言う話は無いのだから。
「その辺はもう偉い人たちに丸投げするしかないな。ああ、後気になるのは湯倉成也が生きている可能性を魔王達は危惧している。蘇生魔法を生み出し、不老不死の魔王を生み出している以上生きていても不思議ではないとな」
「もう一度力を借りられるのならば是非とも借りたいところではあるのだけれどね、ただ話に聞くと思ったよりも人間の味方といった感じじゃないよね」
過去において魔王の脅威が巨大過ぎたために魔王を生み出した湯倉成也は一度魔王を全て滅ぼした。
公平ではないと、自分の匙加減で世界を救って見せたのだ。
だが今の時代はどうだろうか、魔王も数を一つ減らしている以上はその差は埋まりつつあるかもしれない。
湯倉成也を見つけたとして、再度その力を得ることは難しいのかもしれない。
「隣国が魔王の統治下にあるのは色々問題だろうが人間に敵対意思のある様子じゃない、ていうかターイズに帰る時に王を辞めてこっちに来ようかとか抜かしてた」
「はっはっはっ、連れてくれば良かったのに。そうすれば一人魔王を減らせたよ」
「仲良くなれとは言わないが殺意は減らしてやれよな、巻き込まれるガーネの民が不憫でならん」
「ところで君はガーネでラッツェル卿とぶつかったと聞いたが、その首尾はどうなったんだい?」
イリアスが気まずい顔をしている、やはり連絡はしていたようだな。
まあひょっとすれば縁を切るかもしれないでき事だったのだ、ミクスやラクラがマリトを頼る可能性もあっただろう。
「丸く収まったさ、無茶な理解行動を制限されて隠し事もしないようにと約束することにはなったがな」
「その辺が落しどころになったか、妥当だね。君の問題だから口出しはしないが隠し事を無くせと言うのは酷い話だ、隠れて恋も許されないのかい?」
「隠したくなったらその時に相談するさ」
「それは隠し事って言わない気がするけどね?」
「この世界では比較的まともに生きているからな、隠したいことがない。ああ、でも暗部については隠しっぱなしだけどな」
「ああ、確かにそれはラッツェル卿でも聞き出せないか。とは言え魔王との関わりを持った以上ラッツェル卿とミクスには紹介しても支障はないだろうね」
マリトは咳払いをして二人に向き直る、目つきから雰囲気までガラっと変わるこの芸当はなかなか見事である。
忘年会の芸としても通用するんじゃないだろうか。
「そういう訳で両名にはターイズの暗部について簡単に説明をしておこう。ターイズにも暗部は存在している。構成員を知り、指示を出せるのは私とラグドー卿の両名だけだ。ただし暗部の存在は騎士団長ならば全員が知っており、暗部を通しての連絡の符丁等も騎士団毎に用意してある。行動内容に関しては基本貴公等の耳に入る噂通りと思ってもらえば良い」
「やはり存在していたのですね……」
「そして例外的に一名、私の護衛としてこの城に常に滞在している」
「あ、兄様のご、護衛までされておられ、れるのですか!?」
「魔王が関わったことで貴公等が『この国の王は護衛も付けずに無用心ではないか』等と自惚れた考えを外にこぼす可能性もあるので先に言わせて貰った」
「それは……確かに日頃から思っていましたが……その護衛とは相当の実力者なのでしょうか?」
「無論だ、私はこの国で最も安全な立場にいる。信じられないと言うのであれば今そこで剣を抜いてみろ、一度だけならば戯れとして遊ばせてやろう」
「……この場に、いると仰られるのですか?」
イリアスもミクスも周囲に気を払っているのがすぐに分かる。
むしろこっちがその変装ではないのかとさえ思っているんじゃなかろうか。
多分二人の背後辺りにいると思いますけどね。
「それでは……失礼させていただき――ッ!?」
イリアスが剣を手に取ろうとし、驚愕する。
その反応に視線を向けるとイリアスが腰に下げていたはずの剣が無くなっている。
鋼鉄製よりも重い特注の剣だ、無くなっていたのであれば気づかない筈が無い。
つまりはイリアスが剣を抜こうと思った瞬間に奪われたと言うことになる。
ついでに横を見るとミクスの腰に下げていた短剣も無くなっている。
二人はその事に気づき周囲を見渡す。
ちなみにこちらは特に見渡さない、どうせ目で追える相手じゃないのは知っているからね。
「どうした、何を探している。腰に下げた剣すら見失うのか?」
マリトの言葉に再びそれぞれの腰に視線を戻す、そこには確かに元通り武器が存在していた。
「これは……一体……」
「幻覚……でしょうか?」
「いえ、只抜き取り、戻しただけです。驚かせてしまったようで申しわけありません」
突如背後から聞こえた声に二人は凄い速さで振り返る。
当然だがそこには誰もいない。
「ああ、顔を見ようとはしないでください。陛下の妹君であろうとこの国に貢献する騎士であろうと例外は作りたくありませんし、命を奪いたくはありませんので」
二人の動きが一瞬ビクリとして止まる、多分肩に手を置かれてるんだろうなーあれビックリするんだよなー。
流石に姿を消したままで行動してくれている、二人の背後取ってるからって姿を見せてたらこっちの命が無いからね。
「抜き取った武器も不可視にできるんだな」
「ええ、できなければ衣服だけが浮いてしまいますからね」
何故か背後から声、回り込まれてしまったようだ。
「……人の背後に立つ必要性はあるのか?」
「いやあ、少しでも凄い奴だな感を演じようと思いまして」
「その言葉でだいぶ台無しだわ」
「難しいものですね、何か助言とかいただけませんかね?」
「手に取った武器が花束とかに変わっていたらビックリするだろうな」
「なるほど、では次からは花束と腕を一本用意しておきましょう」
「ホラーはやめよう、な?」
確かに驚くけどね、驚くベクトルに別なのが混じるからね。
「君は……この暗部の者を知っている……のか……」
「まあな、いつもマリトの側にいるし時折接触もあったぞ。盤面遊戯で遊んでいる際にマリトに羊皮紙を渡した時のことを覚えているか?」
「――ああ、あの時の外で飾ってあった鎧が倒れて……ってまさか」
「そうだ、あれはマリトじゃなくてこっちにお願いしていたんだ」
「あの日のことですね、突然『外の鎧を倒してきてくれ』と頼まれた時は何事かとは思いましたけどね」
「流石に俺も護衛を使われるとは思わなかったよ。今思えばあの時が唯一俺を殺せる機会だったかもしれないよね」
「……ああ、そうでしたね。いやうっかりうっかり」
どうやら軽い気持ちでの依頼だったのだが最強の護衛を一時的とは言え無力化していた模様、うっかりで済む話ではない。
それはそうとイリアスとミクスの顔に流れている汗が凄い。
二人とも相当の実力者である、恐らく暗部君との実力差をより強く実感できたのだろう。
こっち? 怖さとか麻痺していて良く分かりません、変態っぽい奴がいるなぁくらい。
「貴公は……ラグドー卿よりも強いのでしょうか?」
「ええそうですね、強いですよ。この国で最強です」
「毎度凄い自信だよな、どこから来るのやら」
「自信と言いますか、皆赤子と同じ程度なのにその中で最強を自負できないのはどうかと思いますよ」
あーそんなレベルの話なのね。
身内のインフレは今に始まったことじゃないがやっぱりこの暗部君だけは別格だ。
ファンタジー世界の住人の中にさらにファンタジーな世界の人間が混じっているような、そんな出鱈目さを感じる。
「――案外湯倉成也の血縁者とかだったりしてな」
「良く分かりましたね……あ、やべ」
「えっ」
「馬鹿っ……あっ」
「えっ」
物凄く気まずい空気になった、ふと思いついたことだったのだが暗部君がうっかり口を滑らせてくれやがった。
ついでにマリトが素晴らしい突っ込みを入れてくれた。
ちなみにイリアスとミクスの顔が見る見る蒼ざめている。
凄いなこいつ等もこんな素敵な顔できるんだな。
マリトの表情もかつて無いほどに狼狽えている、どうやら本気でやらかした模様。
「残念ですが……お別れのようです」
「待て待て、これは誰の責任なのかはっきりさせてその責任を追求する必要がある」
「それはもちろん貴方かと、ターイズ最強の暗部を欺く華麗な誘導尋問は見事でした」
「お前実は暗部向いてないんじゃないの!?」
「そんな馬鹿な! 確かに私の口は色々滑りますが!」
「馬鹿だろ!? ドコラ見習えよ!」
「ま、まあ落ち着こう、まだ顔も名前も知られてはいないんだ。確かに君は迂闊にも核心に迫ってしまったがギリギリ大丈夫な筈だ!」
「迂闊なのはお前だマリト、お前が口滑らせなきゃ冗談で済んだんだぞ!?」
「いや、そうだけどさ!」
「困りましたね、陛下に責任を擦り付けられては私が手を下せません。ここは皆が悪いと言うことにして皆平等に――」
「「や、め、ろ」」
初めてマリトと台詞が被った、こんなことでシンパシーを感じたいわけではない。
「よし、追求は無しだ、忘れよう。君もうっかり彼を探る真似は控えるように、本気で擁護しきれない」
「ああ、忘れよう。二人とも良いな!?」
イリアスとミクスもコクコクと頷く。
何だこの危険すぎる急展開は、魔王の軍勢が迫っているとかの比じゃないぞ!?
食事処で相席した相手がこちらに銃を向けてきたような感じだ、どんなだよ。
「仕方ありません、今回は譲歩しましょう。確かに私が勇者ユグラの血を引いた者であることはバレてしまいましたが陛下と契約魔法によって強力な主従関係にあると言うことはバレていませんからね!」
「そんなにか、そんなに『俺』を殺したいのか!?」
「……あ、やべ。かくなるうえは――」
「「や、め、て」」
「――冗談ですよ、貴方達が世界の事実にある程度迫ったようですから私としても情報を開示することにしたのです」
コツコツと歩く音が聞こえる、だがその姿は見えず部屋のどこを歩いているのかすら判断ができない。
「名前は今のところ明かせません、ですが私はユグラの子孫であることは間違いありません。陛下とは王座に就く少し前に出会いました。私は陛下が入手する全ての情報を共有させていただくと言う条件で陛下の生涯の身の安全を護るという契約を交わしております」
「――湯倉成也が魔王を生み出していたと言う話も既に知っていたのか?」
「はい、ですが私の持つ情報以上を持たない限りは干渉はしまいと思っておりました。しかし貴方達は既に復活した魔王の居場所まで掴む程、そろそろ事情やらを説明しておかねばいざと言う時に信用を失います。丁度貴方が良い感じに核心に迫ったので良い機会だと」
「なるほど、ついでに人をからかったと」
「申しわけありません、ユグラの血なのです」
「微妙に信憑性あるのが腹立つ。だが情報を求めている理由はなんだ?」
「私の方にも色々と事情がございまして、今の段階で話せるのはこの辺と言うことにしておきましょう。そこのお二人に私と言う存在が確かに安全であることを伝えるためには契約魔法の有無は説明しておく必要がありましたからね」
「確かに勇者ユグラの子孫ともなれば世間体的には頼もしいが裏事情を知っているときな臭くはあるからな」
世間では勇者の子孫でも、こちらからすれば歴史的犯罪者の子孫だ。
力をもつ理由を説明するには十分だがマリトの護衛としての機能を果たせるのかは別の話になってくる。
その辺を考慮した上での茶番だったと言うわけか。
巻き込まれた者からすれば良い迷惑でしかない。
「もちろんこの話は内密に、陛下にも私の素性を知った者を自由に殺めて良いとの許可は頂いておりますので」
「頼まれても口外はできないがな、それにこちとらこういう世界には関わりたくない」
「えー、私としては今後ともよろしくしていただきたいのですが。ユグラと同じ星の民と言うだけで十分に価値のある方なのですから」
色々と疑惑の残る暗部君、しかし情報を提示してきたと言うことはこちらに対して何かしらのアクションを求めていると言うことに他ならない。
理由無き歩みよりは無いのだ、その意図を模索したいところではあるが……使わないで考えるのは難しいよなぁ。
結局実力が絶対的であること、ある程度は無害であることの証明をしただけに過ぎない。
「色々教えてくれりゃ信用も楽なのに、面倒なやり方をしてくれるもんだな」
「貴方がその気になれば探ることも可能ではないですか?」
「人間関係を悪化させてまで知りたい事実じゃないだろうからな」
「――その辺はユグラと違うのですね、好感を持てます。ではそろそろ私は沈黙するとしましょう、何かあればお呼びください」
そういって静寂が訪れる、まだこの部屋にいるのだろうがもう話す気はないと見てよいのだろう。
「さて、忘れよう。マリト他に何か話はあるか? さっさと切り替えんとまた湧いてくるぞ」
「そうだね、ああ君には朗報が一つある。『例の件』、ようやく用意が整ったよ」
「本当か! いよっし!」
久しく聞く朗報に思わずガッツポーズ、丁度暇になったタイミングでナイスな展開だ。
そんな人の喜ぶ様子を不審に思ったのかイリアスが疑惑の眼で質問をしてくる。
「君がそこまで喜びの感情を表に出すのは珍しいが、一体何の話だ?」
「マリトと出会った日に提案していたことがあったんだよ、ほら今この中にはマーヤさんの憑依術が掛けられているだろ?」
「あ、ああ、言語翻訳の奴だな」
「これはマーヤさんのオリジナルの魔法だ。その利便性は言うまでもないよな? そこでマリトに相談したんだ、ターイズでも魔法の研究チームを作れないかってな」
地球の世界の知識を完全に再現するには様々な技術が足りていない、大よその仕組みが分かった所で部品やら材料が足りていないのだ。
例えば火縄銃一つ作るだけでもその大変さは半端ではない。
鉄器を始めとする螺子などの特殊な加工、それに火薬である。
現代兵器にもなればその要求技術は格段に跳ね上がり、専用の鉄鋼製造技術や雷管なども加わってくる。
こんなものを再現するくらいならば魔力を込めて槍を投げた方が早い、となってしまう。
だがそれらに追いつく手段が多々ある、それが魔法だ。
この世界では魔封石なる魔法の構築を解除することでその効果を奪う鉱石が多々存在することで戦争における魔法の価値が低い。
魔力による肉体強化などの技術が発達し過ぎたせいもあり、基礎的な魔法しか普及していないのだ。
この世界で魔法を主体として戦っているのはアンデッドに有効な浄化魔法を極めた聖職者くらいなもの、魔法使いと言う役職は火を起こしたり水を確保したり等の世話役程度にしか見られていないのだ。
つまりはファンタジー世界だと言うのに魔法のレベルが低いのである、成長の余地はたっぷりなのだ。
研究することの利便性の向上はマーヤさんの憑依術などが示している。
地球人の発想も加われば色々と面白いこともできるようになるだろうとマリトに進言していたのだ。
もちろん、これは文明に手を加えることになる、世界の常識を変える様な魔法が生まれないとも限らないパンドラの箱を開ける行為に近い。
だがガーネの文明の水準などを学んだ今ではある程度の自制も難しくは無い、この世界にあわせたレベルでの便利な魔法を生み出すくらいならば許されるだろう。
そもそも兵器運用できないから程度が低いのである、生活水準を上げる程度ならば問題ない。
「予算の確保もそうだけど君の理想に見合う魔法の専門家を見つけることが大変でね。この世界で魔法に生涯を捧げるような変人から適性のある者を絞り込むのはなかなかに苦労したよ」
そう、大事なのは適度な発明で終わらせられる研究者であることだ。
この魔力で物理を上げた方が強い世界で魔法の研究に固執している者は大抵が魔法の神秘に虜にされた輩だ。
そんな連中にぽいと核分裂の知識とかを与えてみろ、大惨事どころの話ではない。
野心はある、だが暴走はしない、自分の成す事に責任が取れる常識人である程度の有能さがある。
そんな狭い条件を満たすものを探し続けてもらっていたのだ。
「組織としての形態はどうなるんだ?」
「その人物は優秀なんだけど執務系はあまり得意じゃない。だから一人責任者をこちらで任命しておいたよ。君と研究者はその責任者の下で活動してくれれば良い、人員の増加は必要に応じてと言ったところになるかな」
魔法研究家に最高責任者の地位を与えることは危険だ、異世界人であるこちらも節度はあるかもしれないのだが常識には疎い、マリトが用意してくれた責任者ならば適任だろう。
「妥当だな、それで今日からでも活動はできるのか!?」
「いやいや、顔合わせは後日に行うとしよう。案件が通った後にすぐに手配はしているけど準備も色々あるからね」
かつてない程のもどかしさを感じる、とは言えガーネに旅行に行っている間に案が採用されただけでも万歳三唱なくらいだ、欲を言ってはいけないね。
「そうだ、ミクスはどうなるんだ?」
「そうだったね、国内ならばラッツェル卿の護衛だけでも十分だしその任は解くけど……ミクス、お前はどうしたい? 冒険者に戻るのは構わぬがせっかくの知恵の高さ、友の補佐として役立ててみてはどうだ?」
「わ、わわ、私がですかっ!? そ、そ、それはも、もちろん望む所でありますっ!」
「と言うわけだ、どこぞに流れて心配するよりかは君に預けておいた方がこちらの気も休まるからね。頼んだよ」
「ああ、ミクスが補佐についてくれるならありがたい」
ミクスは冒険者としての技術に秀でているが王族として魔法の知識も常識も学んでいる。
頭の回転も兄と同じく優秀だ、どのジャンルに於いても欲しい人材の一人である。
元々マリトの立場を磐石にするために冒険者として国を捨てたのだ、今ならば国に居ついても問題にはならないだろう。
「こうしちゃいられないな、よっし帰って急いで計画書を精査してくる」
「これは試行の段階で専門家以外は兼用での業務になるんだ、元の業務も忘れないようにねー」
その後家に急いで戻り、こっそりと書き溜めていた魔法の開発に関する計画書を掘り出す。
居間に大量の羊皮紙の束を広げる、いやーどれから研究したものか悩ましい。
趣味から攻めるか、いやまずは実績を上げて予算を増やす作業も必要になるだろう。
難易度の高さを考慮すると――
「まずはこれとこれ、いや、貴族ウケを考えるとこっちか?」
「君は直前にあれほどのことがあったと言うのに……切り替える速さが異常だな」
「暗部君のことを言っているのか? あの物騒さはもう慣れた」
「暗部君て……しかし陛下の傍にあれほどの者がいたとは……人に対して恐怖したのは久しぶりだった……」
イリアスでもその次元になるというのは余程のことだろう、何せ魔王には平然と斬りかかるわ、仮想世界では騎士団や魔物の群れには突っ込めるわの豪傑だ。
世界の歴史に名を連ねる『拳聖』グラドナはラグドー卿と同格として、暗部君はその上なのだ。
年齢を考えればその異質さはまさに勇者の血筋であることを証明してくれている。
「こちらに情報を提供したということはこちらに利用価値を見出していることになる。勇者の血筋に認められているんだからもちょっと自信をもったらどうだ」
「それはそうだが……ううむ」
「あ、ししょー、おかえりなさい! とただいまですっ!」
「あら鍵が開いていると思ったら尚書様、思ったよりお早いご帰宅でってなんですかこの羊皮紙の山は?」
外に雑貨でも買いに行っていたのか、ウルフェとラクラが帰ってくる。
両手には大量の荷物が抱えられている。
一ヶ月近く家を留守にするにあたって備蓄などを減らしておいたので補充する必要があったのだろう。
「魔法研究の計画書だ、マリトに頼んでいた開発チームの許可が正式に下りることになってな」
「ふむふむ……読めませんね、ニホン語と言う奴でしょうか?」
これらの計画書は万が一を考慮して日本語で書いてある、流出の危険性を考えればこのくらいの作業は必要不可欠だろう。
――この世界の言語を習熟していないというのもあるのだが、そこは気にしない。
「同じ時代の人間が読めば理解できるが、そもそも読める奴ならこの知識には簡単に至れるだろうからな。違う世界の人間である利点は最大限に利用しなきゃな」
「うーん、いつ見てもさっぱりというか……不思議な文字ですね」
「こっちから見たら慣れ親しんだ言葉なんだがな、漢字にひらがなカタカナ、記号も入ると確かにこの世界からすると面倒かもしれないな」
「いえ、何と言うか……理解しようとしても頭に入ってこないというか……」
「それは同感だな」
「他国の言語ってのは総じてそういうもんだろ、ウルフェなら言語への定着も浅いし簡単に覚えられそうだけどな」
「……むずかしいです」
ウルフェも日本語と向き合っているが難しい顔をしている、どうもこの世界では日本語が難解な言語に感じてしまうようだ。
湯倉成也の残した日本語の本も今の今まで解読されていなかったのだ、相性が悪いのだろうか。
……いや、待てよ、もしかするとそういうこともあるのだろうか?
とと、いかんいかん。
イリアスと約束している以上、そういう思考の切り替えは行うべきではないな。
「理想としては魔法を使えるようになれれば良いんだがな、肉体強化ができない以上通常戦闘は絶望的なんだ」
とは言え魔力が無いので使える魔法にも制限が大きく掛かるだろう。
魔力を保有する鉱石もあるし、それらをエネルギー触媒にできればあるいは……。
「となるとこっちを先に研究してみるのも良いな……いやいやこっち……」
「まるで子供みたいですね」
「まったくだ、普段から活き活きとした目や顔をしていればもう少し周りの評価も上がるだろうに」
外野が何かをぼやいているがそんなことは無視だ無視。
ファンタジーの世界観にようやく本格的に関われる機会なのだ、童心くらい湧いてくるに決まっている。
――この世界に来て間もない湯倉成也も同じような気分だったのだろうか。
湯倉成也とてこの世界に来た時には魔法の知識はほとんど無かった筈だ。
だが様々に研究を繰り返し、その結果禁忌を、魔王達を生み出した。
この世界に来た日本人の100%がロクでもない結果を生み出すようなことがあれば今後この世界に現れる同郷人にも迷惑が掛かる、二の舞になることだけは避けなければならないだろう。