目下のところ安静に。
一連の事後処理は目下のところ人間達の目に付くことなく終了した、流石は世界の歴史の裏に動く魔王達と言ったところか。
ターイズの代表としてガーネに来た我々ではあったがその目的はほぼ完遂したと言って良い。
しかしターイズに戻れない理由が発生している、彼が病に倒れてしまったのだ。
一連の事態が解決に向かったと思われた途端に高熱を出し、現在は屋敷で安静にしている。
最初は金の魔王の策略かとも思えたが魔法を使用された形跡は無い。
食事や飲み物に関してはミクス様が毒見などを毎回確認しているために一服を盛られた可能性もないだろう。
彼曰く、『軽い風邪だ』と特におかしな様子も無い。
そもそも風邪になるということ自体が珍しいのだがと言ったら彼は凄く不満そうな顔を向けてくれた。
どうも彼の世界では風邪は日常的に掛かるものらしい、こちらの世界で風邪になるのは魔力の安定していない子供、衰弱している大人くらいなものである。
彼の場合はどう見ても後者、色々な負担が一気に漏れ出したのだろう。
陛下には既に連絡済み、金の魔王への不信感は無く療養に専念せよとのこと。
ウルフェは最初こそ心配していたが彼に大丈夫だと言われたことを信じてかグラドナの元で修行している。
現状ミクス様とラクラ、そして私が交代で看病を行っている。
最も行動しているのはラクラ、彼女が普段の様子からは見られないほど積極的に看病しているのは聖職者だからなのか、それとも彼のことが純粋に心配なのか。
金の魔王や大臣でもあるルドフェインも見舞いに来ている、金の魔王はほぼ毎日だ。
紫の魔王が軍を引いたのを確認してから一週間、彼は寝込み続けている。
現在ミクス様はラクラと共に買い物に出ており、彼とは二人きりと言う状態だ。
ここまで長引けば薬が効かないことなどを不安に思わざるを得ないのだが、彼は平気だの一点張りだ。
「魔力が無い分、純粋な体力だけで風邪を治さないといけないんだ。この世界の風邪薬はほとんどが体内の魔力に干渉して免疫力を上げたりする物だから効果が無いんだよ。適度に栄養のある食べ物を食べて寝るしかない」
「そうか……栄養のあるもの……熊の肉とかか?」
「病人に胸焼けを起こさせるつもりか、オカユ……はコメが無いから無理か。消化が楽で体が温まる物が良い、少量なら酒も薬にはなるだろう」
「しかし、君の世界の風邪とはこんなにも長引く物なのか?」
「薬があれば三日も掛からないんだがな、それにこの世界のウイルスに対しては抗体もできていないだろう、ターイズとガーネは地形も違うだろうしな……」
「ういるす? なんだそれは」
「……病気の元になるサイキンだ」
「サイキン……?」
「……今度で良いか? 流石にそれを説明する気力はない」
どうやら彼の世界では病気に関する知識が豊富であり、一般人を自称している彼でさえも大よその知識があるらしい。
彼は様々な職種への理解が広い、賢いというよりも似たような職場の知識があるのだろう。
騎士や軍隊、食事処や鍛冶職人、はては内政や外交と言った職場への関連知識を持ち合わせている。
だがその全ての専門家と言うには知識の幅は浅い。
一体どのような目的があってそのような使い道の薄い情報を仕入れているのだろうか。
病気が治らないことへの不安はあるが彼の言う通り症状は浅い、急変する可能性も無いわけではないだろうがひとまずは安静が一番なのだろう。
しかし普段の破天荒な行動を考えるとこうして横になってくれていることに逆に安堵してしまう。
等と思っていると扉が勢い良く開かれ、腕に籠を下げた金の魔王が現れた。
「見舞いに来たぞー!」
「帰れ」
「酷いのっ!? 御主に要求された果物を持ってきてやったというのに、もっと感謝せぬか」
「あーそれは助かる、食欲が無い時の果物は貴重な栄養源だからな」
彼はのそりと起き上がろうとするが金の魔王に制止される。
「病人に出迎えさせては来にくくなるではないか、寝ておれ。今食べたい物があれば皮を剥くがどうじゃ?」
「いや、さっき食べたからな。こうして屋敷を提供してもらえてるんだ、毎日来なくても良いんだぞ」
「妾とて一件を解決してくれた恩人にこうなられては負い目も感じる。無茶をするでないと言うたのに」
「無茶と言うほどじゃなかったんだがな。異世界転移に異国への移動、それらで肉体的に疲労していたところに精神的負荷が重なった程度だ。思ったよりも肉体面への負荷が大きかったんだろう」
「それを無茶と言わんで何を無茶と言うのじゃ、肉体面よりも精神面の方がよっぽどじゃろう」
「いや、これは肉体面だ」
「精神面じゃ」
「ぬぬぬ……イリアスはどう思う」
「私か?」
突然話題を振られる、ふむ。
肉体的な疲労、と精神的な疲労どちらの負担が大きかったのか……。
「やはり精神面だろう」
「なんだと……」
「金の魔王の仮想世界への移動、魔物の連日の観察作業などを考慮すれば明らかに精神的な負荷の方が多いだろう。睡眠時間は多少削れていたが常人の範囲だと思うからな」
「そうじゃそうじゃー」
「くそ、異世界人の体力を甘く見るなよ、予想以上に脆いんだぞ!」
そんなことを自慢してどうする。
彼の肉体が物理的に脆いことは理解しているが体力はそれなりにあるだろう。
逆に精神面に関しては私からしても危険視せざるを得ない行為をやっている。
明らかに心身に悪影響を及ぼしかねない所業だ。
「妾からすれば御主の技は常軌を逸しておる、相容れぬ相手をその立場になって理解しようなど正気の沙汰ではないわ」
「全くだ」
騎士を長いこと続けていて並大抵の相手には動じない筈の私でも彼の目には形容しがたい不気味さを感じる時が多々ある。
そもそも善意あるものが悪意に染まること自体何度もあって良い話ではないのだ。
その危険性は私だけでなく、彼を知るものならば誰もが危惧している。
「お前ら、そういうときは意見が合うんだな……しかしこっちとしても反論したいところだが……そうだ金の魔王、お前の仮想世界って自身を全く同じ性能で再現できたよな?」
「うむ、御主等が直接体験したことじゃろう?」
「じゃあ別の人間の体を操作することはできるのか?」
「ふむ、試したことは無かったが……理論上は可能じゃな。仮想世界内の者になることは難しいが同時に複数人で入ればその者達同士での肉体の交換はできよう」
「よし、ならさっさと風邪を治して証明してやろうじゃないか。異世界人の病弱さをな!」
「……言ってて悲しくならんのか?」
「……少しな」
彼がまたおかしなことを思いついたようだ、毎度毎度よくもまあ考え付くものだと溜息が出る。
しかしそのやる気が切っ掛けか彼の風邪は翌日には回復することになる。
それを素直に喜ぶべきなのだろうが……なんだろうな、一体。
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大体の原因は魔物を観察する作業を長期に渡って繰り返したことだろう。
慣れない作業と言うのはやはり体に堪える。
金の魔王が定例会にて事件を解決した後も数日は魔物の夢を見続けた程だ、ある意味軽い職業病とも言える。
人間は長い時間を生きて様々な免疫抗体を生み出していく。
外国に移り住むだけでも新たな病気を発症する可能性はあるのだ、異世界ともなれば体内の抗体達も二度見するレベルの病原菌祭りだろう。
一応その辺を危惧して体力への負担は減らそうと心がけていたのだが……つい熱が入って体に無理をさせてしまった。
とは言え、それを精神への負担のせいだと言われるのは納得がいかない。
そりゃあメンタルが強いと言う訳ではないが、そこまで負荷を掛けているつもりは無い。
体が弱いのは諦めているが心まで弱いと見られるのは心外だ。
「さて、用意はできたか」
現在何時もの面子で金の魔王の仮想世界にやってきている。
場所が玉座の間のままなのでいまいち実感に欠けているが、小さな金の魔王が近くに浮いているので間違いはない。
「それで、どうすれば良いのじゃ?」
「試しにイリアスとラクラの中身を交換できるかやってみてくれ」
「試しにて……まあ良いが」
「普通こう言うのは言いだした尚書様が率先すべきなのでは?」
「こう言うのは一回目で上手くいく保障がないからな、安全策だ」
「それはそれで私の身が心配なのですがっ!?」
入れ替わりの際に体が倒れても良いように二人を用意した椅子に座らせる。
金の魔王が何やら本を取り出し、本の中身を指で弄くる。
すると一瞬、二人の体が力なくうな垂れる。
そしてすぐに動き出した。
「……む、これは」
「あら……」
パッと見変化はない。
「イリアス、大丈夫か?」
「ああ、特に変化は……む?」
ラクラがばっちり返事をしてきた、中身は無事入れ替わったらしい。
中身が双方入れ替わっていることを確認しお互い目新しそうに体を動かしている。
「うわぁ、凄いですねこの体。凄く軽いです!」
「こっちは重いな……鎧も着てないのに……どこもかしこも重い……」
「そういう言い方は傷つくので止めて貰えません? でも確かにイリアスさんの魔力量って凄いですね……」
そういって中身ラクラのイリアスは結界を張る、するといつもよりも色の違う結界が張られる。
いつもは微かに青みがかった色だったが今は黄みがかっている。
「やっぱりいつもより出力が高いですね、良いですねぇこの体」
「ラクラの体の方は魔力の流れが安定しているな、出力は控えめだが操作性が高い。結界を張る速度にも納得だ」
二人は互いの体での変化をそれなりに楽しんでいる模様。
「ラクラの腕力はこっちと変わらない筈だが、力のほうはどうだ? 剣を持ってみろ」
「ええと、イリアスさんの剣は――わぁ、こんなに軽いのですね」
「ああ、さして重いわけではないのだがな」
「ラクラ、お前の体にそれ渡してみろ」
「ええ、はいどうぞ」
「ああ、別にこの程度なんと――モッ!?」
軽そうに渡された剣を手に取った中身イリアスのラクラは剣を片手で持つことができずに地面に落す。
腕がぷるぷるしている、そりゃあ片手であんなもん持たされたらね?
「……こんなに非力なのか、この体は」
「わ、私の体大丈夫ですかっ!?」
口調が入れ替わっているとやはり違和感が酷いな。
「おう、少しは非力な人間の立場がわかってくれたか」
「いやしかしな、君は男性だろう。ラクラよりも背が高いし骨格も良い」
「じゃあ試してみるか」
そういったわけで二人の体を元通りにして今度はイリアスとこちらの体を交換してもらう。
一瞬視界が暗転するが、すぐに元通りになる。
だが体が異様に軽い、うお、なんだこれ、気持ち悪っ!?
目を開けて手の平を見る、小さい手だ。
視線を横に向けると鏡で見る自分の姿がある。
こちらと目が合い、ぽかんとしている。
「どうやら特に不具合は無さそうだな」
「……うわぁ」
突如凄い嫌そうな顔で呟く中身イリアスの男性。
いや、突如男の体になるのは辛いでしょうけどそこまで悪いものじゃないと思うんですがね?
立ち上がり体を軽く動かしてみる。
体の重さを感じない、肌の感覚だけが宙に浮いているようだ。
剣を抜いて振ってみるがビニールでできた玩具よりも軽い、もっと重量が欲しくなるなこれ。
そういえば体の中に妙な液体が漂っている感覚がある、これが魔力と言う奴か?
意識すると体のあちこちに動かせる、試しに腕に集めてみる。
熱が出てくる、力もうとするとその液体が上から覆いかぶさるように圧力を掛けているようだ。
これが魔力強化といったところか。
しかし体内にあるこの魔力、底が見えず無尽蔵じゃないのかとさえ思う。
ちなみに女性の体になったという点はあまり意識できない、鎧着込んでいるしね。
しかしこの体、快適すぎて――
「快適すぎて却って気持ち悪いな」
「人の体で酷い言い草じゃの」
「……」
イリアスは黙ったまま体を動かしている。
えらいゆっくり動いている、まるでガラス細工の中に入っているかのように。
「イリアス、お前の剣だ。振ってみろ」
「あ、ああ、……っ!?」
こちらが初めて剣を持った時のリアクションと同じだ。
辛うじて両腕で持っているが重心に振り回されそうになっている。
「振ってみろ、一回くらいは振れるはずだ」
「い、いやいや、無理だろうこれは!? 腕が千切れるぞ!?」
「そんなに脆くねぇよ、同じ人間だろうに」
小鹿のように震えながら剣を持ち上げ、振り下ろす成人男性。
うわっ、なんてへっぴり腰。
そして剣の重さに腕が耐え切れずバランスを崩す。
それを片手で支えてやる。
……うお、人間ってこんなに軽かったっけ。
「大丈夫か?」
「あ、ああ、しかしラクラよりも非力だとは……」
え、まじですか、同じくらいだと思っていたのに!?
実はラクラって腕力凄いの? ムキムキなの?
視線をラクラに向ける、いやいやと手を振ってみせる。
「そんなことはないと言いたげだぞ?」
「いや、これは……魔力も欠片もない……てっきり瀕死なのかと思ったほどだぞ」
そこまで言いますか、いやイリアスの体は確かに活力に満ちているけどさ?
……しかし成人男性の体と言うのに軽いな。
こう、布団を丸めた物くらいの重さくらいにしか感じない。
持ち上げようと思えば……実に簡単に持ち上がる。
「お、おい!?」
「いや、以前イリアスに担ぎ上げられたことを思い出してな」
うーむ、何と言う怪力、これ人間でお手玉できるんじゃないか?
流石に自分の体を振り回すのは気が引けるので軽く片手でゆさゆさと揺らしてみる。
「や、やめ、やめろ!」
ジタバタと暴れているがまるで抵抗感を感じない。
これがイリアスとの力の差か、実感するとやっぱり辛いものを感じる。
しかしこの重さなら確かに担いだまま登山なんてわけないよな。
とりあえず自分の体を降ろす、ぜぇぜぇ言っている。
「大げさだな、いつもは胸倉掴んで揺らしてくるくせに」
「そんなに力を込めてやるわけが無いだろう!?」
「いや、全く力は込めていないのだが……お、そうだ以前やられたことをやり返すいい機会だな」
以前のトラウマ、ウルフェを助けた日に受けたベアハッグを思い出す。
男を抱きしめるというのは抵抗感があるが、まあ自分が相手ならば構うまい。
両手を広げて歩み寄る、その様子から何をされるか察したのだろう。
「い、いや待て、君は私の体で力加減が分かっていないんだ、そんなことをすれば――」
「なに、惨事が起きても仮想世界だ。何事も経験だ」
「うわぁ、イリアスさんのあんな顔初めて見ますね」
「中身がご友人ですからな、あんな悪巧みを企んでいそうなラッツェル卿の顔は今回限りでしょう」
その後、軽い絶叫が玉座の間に響く。
我ながら良い声で叫ぶものだ、はっはっはっ。
しかし、イリアスの体の楽しさにすっかりと忘れていたのだが、この後元の体に戻るのだ。
当然イリアスのベアハッグを受けて痛みがその場限りと言うわけではない、そう無事な筈がないのだ。
「うおお……い、いてぇ……」
「当たり前だろう!? 死ぬかと思ったぞ!?」
イリアスの方はこちらの体で体感した痛みが残っているのかお互い涙目の状態である。
勝者のない戦いとはこういうことを言うのだろう。
「馬鹿か君は!?」
「うるせー! 以前は気絶するほどだったんだ、今回以上なんだぞ!」
「そ、それは……」
これで興味を持ったのか、他の面々もこちらの体を体験してみたいと言い出してきた。
まずはラクラ、身体能力はさほど上昇していないが魔力の流れがイリアス以上にサラサラしている。
ただ体内の魔力量がイリアスに比べると有限さを感じる、これが一般……いや、ラクラも大概の筈だ。
これでも多い方なのだろう、そう考えればイリアスの魔力量の多さは確かに凄まじいものを感じる。
あと女性らしい部分の重さが印象に残る、肩が凝りそうだ。
「うわぁ……尚書様の体って……瀕死の状態みたいです、魔力が枯渇してるじゃないですか」
「元からそれが通常なんだよ、魔力の有無を除けば似たような感じじゃないか」
「視力も落ちるし、体もガタガタで……腰も痛いです」
「それはイリアスのせいだな」
「君のせいだろ!?」
しかし体の勝手は近いのか、そこまで動きに歪さは感じられない。
ラクラの体の方は何と言うか柔らかい、部分的な話ではなく駆動系がと言う意味でだ。
「うーん、この体では戦闘は無理ですね……でも視線が高いというのも新鮮です……ふむ」
なにやら成人男性がこちらの方を見て企み顔。
目線がこちらの胸部に注がれている。
「男性から見て私の体と言うのはどれほどなのか――」
「人の体で悪戯しようとしたら全裸になって舌を噛み切るぞ」
「そこまでですかっ!?」
「絵面を考えろ」
ラクラからすれば自分の体をどうこうする話に過ぎないが、他人の目にはその男が変質者にしか見えないだろう。
しかもこっちは中身が男だ、何が悲しくて外見男に悪戯されにゃならんのだ。
あまり長居させると何をしでかすか分からないので今度はミクスと入れ替わる。
ミクスの体はイリアス程ではないがやはり常人の体とは言い難い。
魔力量はラクラよりもさらに少なく感じる。
オリンピックに出場できるようなアスリートとはこの辺のレベルなのだろうか、いやもうちょっと上なんだろうな、この体。
「ご友人、明日にでも死にそうな体じゃないですか!?」
泣きそうな顔をしている成人男性、お前もか。
成人男性のそういう顔は見たくないんだがな。
「それが普通なんだって、魔力が無いことを除けば非力なだけだろう?」
「魔力が無いということがこれほど不安になるとは……」
どうもこの世界の住人は内在する魔力に意識を向け過ぎているようだ。
確かに魔力の有無は強力な要素だとは思う、実際素人でもすぐさま肉体強化に回せるほどだ。
彼女達にとっては魔力とは第二の体力なのだ、つまるところ魔力がまるでないこちらの体を半死人と感じてしまうのだろう。
「――これが殿方の体……兄様と同じ……ごくり」
「金の魔王、早く戻せ、そいつの眼がやばい!」
最後にウルフェの体と入れ替わる。
うお、これは凄い……力める程度に関してはイリアスの方が上だが、体の軽さは別格だ。
内在する魔力量も無尽蔵どころかどんどん芯から溢れてくる。
これだけの魔力があれば毎日活力に溢れる人生を送れるだろう。
「なるほど、魔力を感じられる連中がウルフェの才能に心惹かれる理由が良く分かるな」
「急にウルフェちゃんが難しい顔で難しい言葉を話すと恐怖を感じますね」
確かに、今の自分の様子を見たら色々悩みたくなりそうだ。
そういえば尻尾は動かせるのだろうか……妙な感覚だが確かに神経は繋がっている模様。
耳にも別の神経が植えつけられているようで違和感満載だ。
亜人の体ともなると人間とはだいぶ違うな。
ちなみに成人男性は泣きそうな顔をしている。
「ししょー……これだいじょうぶなんですか?」
良い大人が幼児退行したかのような言い草だ、あまり見ていられるものではない。
頭を撫でるが成人男性の頭を撫でたことなんて初めてだぞ、おい。
「それが通常なんだ、気にすることは無い」
「凄い絵面ですね」
そして元の体に帰ってくる。
うん、やはりこの体が一番しっくりくる。
「ところで金の魔王さんは尚書様の体には興味ないのですか?」
「その言い方は語弊があるから言い直せ」
「無論どっちの意味でも興味はあるがの、妾の体は仮想世界用に作った道具のようなものでな。妾にしか動かせぬのじゃ」
魔王の体となると確かに興味はあるが――いや、語弊があるな。
蘇生魔法を受けた体と言うのはどのようなものか気になると言えばいいか。
確かに入れ替わっても動かせないのであれば入れ替わるメリットはこちらにはないな。
「別に尚書様が動く必要はないのですから入れ替えてもよろしいのでは?」
「おお、それもそうじゃの」
「いや、待ていざと言うときにお前を止める奴が――」
言い終わる前に視界と意識が一瞬暗転した。
しかしすぐにはっとする、体は元のままだ。
だがどう言う訳か全員の立ち位置が変わっている、こちらも同様だ。
「……入れ替わっていたのか?」
「うむ、面白い体じゃった!」
周囲を見る、何故か全員に目を逸らされる。
目の前にいるのは満足そうな金の魔王、衣服に異常は……ない……と思いたい。
「おい、何をした?」
「大丈夫じゃよ、一線は越えておらぬ」
「何をしてくれたっ!?」
詰問したが金の魔王は笑って誤魔化すだけであった、一体何が起きたのか。
金の魔王のからかいだと信じたいが……あとでウルフェに確認するとしよう。
「次やったら敵対行為と認識するからな?」
「分かっておる、分かっておる、何事も同意が大事じゃからの」
今回ばかりは意味深に聞こえる言い回しが腹立つ、どうしてくれようこいつ。
「しかし体が瀕死なだけでコレと言った特徴もなかったの」
「瀕死て……だがこれで風邪の件は身体的な負担が原因だって証明できただろう?」
「うむ、そうじゃな。そんな体ではすぐにガタが来ても仕方がないの」
「そうだな……むしろ君の体の限界が想像を超える低さだと知れたのは良い経験だった」
人の貧弱さに満足すると言う話もなかなか珍しい、これを証明した本人は喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。
「次からご友人が無理をしないように監視する必要が出てきますね」
「ああ、そうだな。瀕死の病人と同じ扱いくらいで丁度良いのかもしれん」
後悔すべきだった。
これは下手すると何もさせて貰えなくなる可能性が出てくるのではないでしょうか。
あまりにも弱さを露呈し過ぎた気がしてならない、フォローせねば。
「魔力を使えないってだけで肉体は普通なんだよ、体力もそこまであるわけじゃないがこれでも地球の世界じゃ平均的なんだぞ」
「これで平均……?」
すまない現世の皆、これはこっちが悪いんじゃないんだ。
あらゆる能力にブーストできる第二の体力タンクを持っているファンタジー世界の連中の出鱈目さが悪いんです。
「そういえば尚書様の体の脆弱さは分かりましたけど、普段やってるアレのこととかはわかりませんでしたね」
「ラクラ、語弊がある言い方をするなと……アレって相手を理解することだろう?」
「はい、てっきり見えている世界が違うのかなとか思いました」
「確かに、瀕死なだけであってそういった技に馴染んでいたといった特徴は無かったな」
「ご友人のあの目は瀕死の体とは関係がなかったのでしょう」
瀕死瀕死と……気に入ったのかその単語。
そりゃあ人を理解するのは心構えだ、体なんて関係ない。
目があれば視界情報は入ってくるし、耳があれば音声情報が入ってくるのだ。
五体満足ならば誰の体であろうができるに決まっている。
「体験することはできるかもしれんの」
「できるのか?」
「うむ、以前の勝負の際に二名は精神体としてそれぞれの体に放り込んでおったじゃろ? その方法をちょっと調整すれば感覚も共有できると思うがの」
確かに精神体だけでは外の情報は得られない。
外の情報を得るためには他者の視力や聴力を借りる必要があるのだ。
だが割りとそれは危険な行為なのではないだろうか、モラル的に。
「感覚共有にもなると考えていることも共有してしまうんじゃないのか?」
「そうかもしれんの、妾への熱い想いが皆に伝わってしまうのは恥ずかしいかの?」
「そんなことは無いから大丈夫だ」
つい挑発に乗り承諾してしまった、金の魔王恐るべし。
場所を移しガーネ城の牢へ向かう、そこには仮想世界であれど魔物達が未だに繋がれている。
取り敢えず観察する対象はこちらに対して敵対心のあるものでなければそうそう切り替わりも起きないだろうとこの場所を選んだ。
そういえばこの魔物どうしようかね、世話になったとは言え愛着があるわけでもない。
無論心を通わせたというわけでもない。
今度エクドイクに頼んで処理してもらうしかないか。
手順としては全員を椅子に座らせる、次に金の魔王が全員の意識をこちらに付与する。
その後はこちらが自由に行動しろと言うものだ。
「ではやってみるぞ」
金の魔王が本を手に操作を開始する、すると他の皆はガクリとうな垂れる。
そして――
「(お邪これで魔しまー入れたのかししょーす、尚ご友人書様聞こえて大君丈夫ですますじゃろかー急にうわっ皆の心のこれは騒が声がし響くいのな)」
脳内に響く五人の声、うるさいってレベルじゃない。
ええい、煩いから一度に喋るな!
「(すまぬすまぬ、一箇所に集めた弊害で声の発生源も全部一緒になっておったわ)」
「(こっちの耳にも一斉に響いて何事かと思ったぞ)」
どうやら上手く位置をずらしてくれた模様、それでも響くことには変わりない。
全く、こちとら聖徳太子じゃないんだぞ。
「(しょーとくたいし?)」
「(知らない名前ですね、有名な方なのでしょうか)」
こちらの脳内がしっかり漏れている模様。
ウルフェ、聖徳太子と言うのは地球の世界の偉人で同時に十人の言葉を聞き分けられた凄い人のことだ。
「(おー)」
「(そんな者もおるのか、凄いのう)」
「(兄様の様な方ですね)」
マリトってそんなことできるのか、いやそんなことをしている場合じゃないな。
五人も同時に精神内にいられると思った以上に負担が大きい。
「(確かにこれはきつそうだな)」
「(尚書様ー私のことをどう思っていますかー?)」
「(そうじゃな、早めに始めた方が良いじゃろ。一応各々が意識することで元に戻れるようにはしておるぞ)」
なるほど、それなら気分が悪くなった場合に自主退出することもできるだろう。
あとうるさいラクラ、早速悪用しようとしてるんじゃない。
「(思った以上に適応力高いですよね尚書様って。あ、でも心の底から嫌がっていない感じは嬉しいです)」
「(うむ、心もだいぶ落ち着いておるの、しかし何と言うか体に入った時とは違って景色が違っておるような……)」
「(ご友人、私の――)」
金の魔王、ちょっと他の連中の思念をこっちに聞こえないようにしてくれないか、集中ができん。
……よし、静かになったな。
心の中を読まれると言うのはロクなことじゃないな。
余計なことは考えずにさっさと始めよう。
下位悪魔の前に歩み寄る、今回はラクラの結界が無いから牢屋越しでの観察となる。
しかし観察と言っても紫の魔王の意図は読み込んだわけだからな……。
とりあえず反芻してみるとしよう。
「それじゃあ失礼してっと……」
悪魔の目を見つめる、仮想世界でもこいつ等がこちらに向ける敵意は変わらない。
こちらの接近に興奮を隠せずに暴れようとしている。
もしもこの悪魔が鎖に繋がれていなければその鋭利な爪が牢屋越しにこちらの頭蓋を貫いてくるのだろう。
向けられる敵意を、殺意を肌で感じる。
だが見極めるべきはそこではない、その先にある創造者の意図だ。
この魔物を生み出した魔界、その要因となっていた魔力、そこに込められた想いを手繰り寄せて汲み上げる。
点での観察、面での観察、直感での観察、切り替えて切り替えて繰り返す。
静止画で、動画で、拡大し、縮小し、集中して、引き剥がして、回想し、私は誰だ、上書きし、ランダムで。
目の前にいる悪魔と言う存在、生き物としてのあらゆる価値を部分化し、精査する。
皮膚を透かし、骨を透かし、血を、肉を、私は誰だ、臓物を、頭の中で取り外しては組み込む。
耳に届く音を、耳に届かない筈の音をあると仮定し、聞き取る、頭の中で真似る、私は誰だ、形ではないと、形であると、何か、そう何かがあると。
意識を深く落とし込み、感じた何かを注視する。
それは感情だ、どんな感情だ、何を思っている、何を感じている、何を、何だ、何が、誰だ、そうだ、私だ誰だ、私は誰だ、知らない、知ろう、私が誰、私で誰、そう、そう私なのだ。
浮かび上がった感情を私に当て嵌める、合わない、自分にはめ込んでみる、合わない、当然だ、違うのだから。
では最初から構築しよう、一度こちらの形を忘れよう、先入観、思い込み、常識、分別、理念、感情、どうぞ一旦こちらへ。
もう一度はめ込もう、ああ、違う、もっとこうだ、もう一度、まだ違う、変えるのはこちらだ、そう、もう一度、ああ、こうだ、もう一度。
今私は何を考えている、ああこの感情は、何を、そうだこれは、何を――
「止めろ」
突如背中を掴まれ、物凄い力で牢屋の前から引き戻される。
ええと、ああ、そうか、この力、この声は――
「――イリアスか」
振り返るとそこには椅子に座っていた筈のイリアスが蒼白な顔で立っている。
今ここにいると言うことは――金の魔王の話を思い出す。
自らの意思でこちらの体から抜けて元の体に戻ったのか。
「随分と早く抜け出たんだな」
「馬鹿を言うな、私が最後だ」
視線を移す、その先にいるのは他の者達だ。
精神と体との接続は既に戻っている、それぞれが異なる形で椅子に座っている。
両手で目を押さえて首を振る者、込み上げる何かを口を押さえ留める者、肩を抱いて震えている者、既にこの場から離れた者。
どうやら彼女達にとって、こちらがいつもやっている方法の感覚と言うものが受け入れられなかった模様。
体感的に三十分は経過しているようだ、そう考えると早くはないか。
「君は……こんなことを、いつも……やっていたのか」
「人を理解する時はもう少し手早く済ませてるんだけどな。情報が無い時は時間が掛かって――」
「自己の中に別の人格を、人間性を組み上げ、自分を塗り替えて……正気ではない!」
「相手を内面に再現するのは観察に必要なことなんだ」
「人はっ、人生を生きて、過去を経て自己を形成しているんだ! 君はそれを一瞬も迷わずに手放している、価値を無しにしている! 自分を否定するどころか無価値にしているんだぞ!?」
相手に成りきるためには現在ある自分と言う情報は邪魔になる、それ故に一時的に退けているだけに過ぎないのだが彼女にはそれがとても危険な行為だと言っている。
「得た感覚とかはきちんと情報として処理している。それを管理して使っているのは間違いなく本来の自分の人格だ、多少ブレは残るが戻ってきているだろう?」
「あんな目をした人間が君だと言うのか!? なら今の君はなんなのだ!? 私達が守りたいと思っている君は誰なんだ!?」
他者の分析をする行為もそうだがそれを利用するためには一つの価値観だけでは行動ができない。
良心で行動する場合、非道が行えないのだ。
悪心で行動する場合、正道を選べないのだ。
だから変える、自分と言う性格を直面した事例に分けて調整するのだ。
この世界では感情に揺れやすい『俺』が主だ。
相手が非道に寄っていれば徹底する『私』の出番もあるがこの世界での日常には不釣合いだろう。
イリアスが嫌悪しているのは『私』、それに染まりかけている『俺』だろう。
この世界で無難に生きるのに向いているのが地球とは逆なだけ、『俺』としての自分も、『私』としての自分も等しく自分、同じなのだ。
ただ向いているから切り替えているだけだ、それだけなのだ。
マリト、そしてエウパロ法王はそれを見抜いていた。
だから臆病だと言ったのだ、状況に応じて自分を切り替えるしかない弱さに気付いていたから。
とは言えイリアスは予想以上に激しい剣幕、今の彼女には諭すような言葉は通じないだろう。
はぐらかせると言うわけでもない、取るべき行動は一つ。
「――ここまでだな」
終わらせることだろう、この関係を。