さしあたって当然のこと。
首を刎ねるつもりが、咄嗟に大剣を手放して回避されたことで腕二本を斬り落すに留まった。武器を手放すことで身軽になったギリスタは足場の悪い箇所から脱出する。
「あらあらぁ、やられちゃったわねぇ。首が残ってるだけマシかしらねぇ?」
「まだ余裕があるようだな。だがその手では武器は握れまい。それともエクドイクの鎖のように腕を修復する術でも持ち合わせているか?」
「腕の治癒はできるんだけどねぇ、時間掛かるし落ちた腕を洗わなきゃでこの場じゃ難しいわねぇー」
ギリスタの持つ回復系統魔法、そのレベルの高さは既に血の一滴も零れていない止血された傷痕を見れば一目瞭然だ。
「くっつけるまではできるけど、もう剣は振れないわねぇ。私の負けで良いわぁ。命が欲しいって言うのならぁ、足掻かせてもらうけどねぇ」
戦意は確かに喪失している。トドメを刺すべきか、だがパーシュロはいよいよ本気を出し始めている。元々守りに特化しているギリスタだ。腕はなくとも時間稼ぎくらいは可能と見て良い。ここで時間を潰されるのはウルフェの命に関わる。幸い彼の周辺の護りはラクラがいる。ならば小細工をされても対応は可能だろう。
「逃げたければ好きにしろ。おかしな動きをすればすぐにトドメを刺す」
「見届けさせて貰うわぁ。まあパーシュロまで負けそうなら私は逃げるけどねぇ」
ギリスタを捨て置き、ウルフェとパーシュロの戦いへと向かうのだった。
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先程まで一方的に攻めていたウルフェだが、今は防戦一方だ。それもその筈、パーシュロの纏っている炎は他の魔力を引火させる特質を持っている。
パーシュロの攻撃を受けるのはもちろん。炎を纏っている腕で防御されてもウルフェは引火する。特に両腕には肉体を硬化させるために一定以上の魔力を込めている。練度の程度が浅いウルフェは、膨大な量の魔力を強引に込めることで高水準の硬度を保っている。だが今回はそれが却って危険性を増している。全身に灯油を浴びて戦っている様なものだ。かといって魔力を減らし押し込めようものなら身体能力や防御力が一気に低下、純粋に殴り殺されてしまう。
そんな状態で攻撃に転じたパーシュロの攻撃を回避しきっているのはウルフェの調子が良いからだ。序盤の戦闘でウルフェのギアはトップレベルまで上がっている。魔力強化の度合いで言えばウルフェのそれはパーシュロを超えている。単純な身体能力で言えばこの広場にいる者の中ではイリアスに続き二番目なのだ。そのハイスペックと時間を掛けて研ぎ澄まされた集中力を回避に回せばご覧の通りである。
「ちょこまかと蝿みたいに飛び回るんじゃねぇよ雑魚がっ! 防戦一方ではこちらも飽きるぞ」
「そうか、では攻めに転じさせてもらおう」
飛び込んでくるイリアスの攻撃を防ぐパーシュロ。完全に背後から狙った一撃にもかかわらず危なげなく防いだ。
「なんだ、ギリスタは降参したのかよビッチめっ! 一対一の決闘に割り込むとはとんだ騎士道だな」
「何とでも言え。他者を巻き込み、人質を餌に相手をおびき出す外道の言葉が刺さる隙間などない!」
続く攻撃をパーシュロは後方へ飛んで回避する。黒い炎で防御されたことでイリアスの剣には黒い炎が引火している。
「――ふん」
しかしイリアスは剣の一振りで黒い炎を振り払った。
「わぁ、イリアスさん凄い器用ですね。剣に流していた魔力を全部先端に集めて黒い炎の侵食を食い止めちゃってます」
「解説ご苦労ラクラ。イリアスはあの炎の特性を良く把握しているようだな」
ならばウルフェにもと言いたいが、ウルフェの武器はガントレット。引火してしまえば振り払うのは難しいだろう。加えてイリアスの技術があってできる芸当だ。センスのあるウルフェが一朝一夕で真似をするならば、せめて槍ほどの長さの武器が好ましい。
「まあ二人でも三人でも構わねぇよゴミ共っ、丁度良いハンデになる」
手招きで挑発をするパーシュロ。イリアスを前にしてもその余裕の表情は変わらない。返事を待つまでもなくイリアスは攻撃を繰り出す。
パーシュロはそれを回避、しかしイリアスの背後から飛び込んでくるのはウルフェだ。
「それで奇を衒ったつもりか馬鹿がっ、燃えてしまえ」
ウルフェの拳を黒炎に包まれたガントレットで防御、ウルフェは即座に離脱する。引火したと思われた拳だが炎は燃え移っていない。
「小細工かゴミめっ、そちらの騎士の技か」
「結界を張るのがラクラだけの専売特許と言うわけではないのでな」
イリアスはウルフェのガントレットの表面に結界を張る。結界とて魔力の塊、黒い炎に触れれば燃え上がるのだが解除する事で炎は行き場を失う。一度につき一回限りのバリア、イリアスとウルフェが接触しなければ張りなおすことができないが手数は確かに増えている。
「私が飛び込む。ウルフェは反撃を受けることを避け、的確に攻撃を入れるんだ」
「うんっ!」
即席のタッグだが、互いの実力や動きは熟知している二人だ。パーシュロもあまり余裕がある顔はしなくなっている。……そろそろか。パーシュロを見つめつつ、両手を構える。
「――今だ」
両手を叩き合わせる。だがこの音に誰かが反応すると言うことはない。しかし戦いには変化が現れた。
「さてこれはどうか、さっさと燃え尽きろや雑魚共がっ!」
パーシュロが大地を踏みつける。すると黒炎がパーシュロの周囲を燃え上がらせる。飛び込んでいたイリアスとウルフェは咄嗟に距離を取り回避する。しかし黒い炎から飛び出してきたパーシュロの蹴りがイリアスに命中する。
「ぐっ!?」
自身の表面にも結界を張っていたのだろう。一瞬引火するもその炎は消え去った。しかし防御力に関してはラクラのものとは天と地ほどの性能差がある。元々は毒霧などを吸い込まないためのもの。戦闘的な効果は薄い。
ここにきてパーシュロの戦闘スタイルがチェンジしている。ガントレットを駆使した拳でのスタイルから足技を多用するスタイルだ。発生している黒炎の量は腕よりも少なめだがそれでも脅威は落ちていない。
即座にパーシュロはイリアスに追撃を試みる。次々繰り出される足技を前にイリアスは押されている。
「先程の威勢はどうした、防戦一方か女ぁっ!」
「――っ、甘く見るなっ!」
十発目の蹴りを防御した瞬間、イリアスが反撃を開始する。新たなパーシュロのスタイルに順応してきたようだ。……だが、そう甘くもないか。両手を叩き合わせる。
「――イリアス、さがって!」
「甘く見るなだぁっ!? 甘いんだよ、死ねやクソボケがぁっ!」
パーシュロは拳をイリアスに向けて突き出す。届く距離ではないがウルフェの警告に何かを感じ取ったのか、イリアスは素早く距離を取る。
瞬間、イリアスの居た場所に黒炎が放たれた。拳、蹴りと来て次は放出に切り替えてきた。
「うわぁ、多機能ですねぇあのパーなんとかさん」
「パーシュロな。だが本当に厄介な奴だ」
戦闘は激しさを増していく。パーシュロとイリアスが交互に攻め、ウルフェが隙を狙う。だがパーシュロへの有効打が生まれない。生み出すことができない。
イリアスの戦闘センスの高さは確かだ。数合打ち合うことでパーシュロの動きに慣れ、防御から攻撃へと転じていく。だがイリアスが攻めに転じきろうとすると、パーシュロが攻め方をガラリと変えるのだ。
まるで炎使いのように炎を操り放出したと思えば炎の剣を作り出し騎士の如く斬り込む。炎の剣に慣れたと見るや両腕に炎の爪を発生させ新たな格闘スタイルで攻める。常に新しいスタイルだけではなく、時折過去に見せたスタイルに戻したりとその変化はまるで読めない。
「パーシュロの基本的な強さも驚異的だが、一番の厄介さはその気まぐれさだ。同じスタイルを維持せずに気まぐれで構えを変えていく。相手の出方を窺いながらギアを上げていくイリアスやウルフェには辛い相手だな」
「そうですね。ところで尚書様はさっきから何をパチパチさせて――」
「ラクラ、正面にだけ結界!」
「――はいっ!」
ラクラが結界を張った瞬間、黒炎がこちらに飛んできた。
「おいうるせぇぞクソガキっ! 戦わない奴が余計な真似をするな」
「そりゃあパチパチと気が散らされたら怒りますよねぇ。うわぁ結界が燃えてるぅ!?」
どうやらこちらのやっていたことが読まれたようだ。そりゃあ何度もやってりゃ気付かれるが……もう十分だろう。
「――イリアス、注意!」
「ああ!」
ウルフェの警告、そしてその後にパーシュロの攻撃手段が変化する。
「ウッゼェなあくそがっ! 下らん知恵をっ!」
パーシュロからは余裕の表情が消えている。ウルフェは既にパーシュロのスイッチが切り替わる予兆を理解しているのだ。
さっきから手を叩いていたのはウルフェやイリアスに気付かせるための行いだ。パーシュロは極度の気分屋で口調やスタイル。はては気分すらも切り替えている。だがその切り替わる直前にはそれぞれの癖があるのだ。
気分に関しての切り替え条件は周囲の大きな変化だ。エクドイクやギリスタの敗北がそうだ。口調の変化に関しては息継ぎ、もしくは言葉を切るときだ。
当然戦闘におけるスタイルの変化の予兆もある。こればかりは表面上感じ取り辛いものだ。だが既に時間を掛けての観察は済んでいた。心を読み解くことに比べれば相手の雰囲気を読むことはさほど難しいことではない。
とは言えそれを口頭で伝えるのは危険だった、こちらの反射速度が遅い上に混乱を招きかねない。そのためのハンドクラップ、ウルフェ達に反射的に刷り込みを行ったのだ。切り替わる予兆を感じた瞬間に手を叩く、そしてパーシュロの動きが変化する。
これを繰り返すことでウルフェはパーシュロの気分がスイッチする瞬間に奴を注意深く観察することができた。今のウルフェの集中力はトップギア、その状況下で何度も回答ありの訓練をしたのだ。
「たぁっ!」
「邪魔だ雑魚がっ!ちょこまかと……っ!」
ウルフェの攻撃に参加する頻度が徐々に増えていく。パーシュロの攻撃手段の切り替わりを見抜けた以上、事故率は激減する。
ウルフェの手数が増えれば、当然ながらイリアスも自由に動けるようになる。
「いい加減に……、燃えろやガキがぁっ!」
「させないっ!」
パーシュロの攻撃が蹴りから拳に切り替わった瞬間、ウルフェの足払いが命中する。すぐさま体勢を戻されたが攻撃が当たる様になっている。
どうやらスタイルの切り替わりのタイミングだけでなく、一部のスタイルの先読みもできるようになってきているようだ。
パーシュロの長所は気分屋ならではの変幻自在な攻撃手段だ。しかし欠点もまた気分屋だと言うこと。気分が変わるということはその時の気分が乗らないということだ。つまりパーシュロは現在の気分に反した行動を行えない。
拳の気分時には拳を、蹴りの気分の時には蹴りを多用せざるを得ない。じゃんけんで十通りの手を出せるからと言って、出す前に読まれてしまえば意味がない。パーシュロも理解はしている、だが変えられない。無理に変えようとすれば――
「どうした、そんな気を抜いた攻撃などあたらんぞ!」
「くそがあっ!」
体と心が噛み合わなくなり、高い水準の攻撃を繰り出せなくなるのだ。ここまでくればウルフェのあの技が狙える。リスクが高いが決定力の高い技。
「これで、きめるっ!」
ウルフェが大きく振りかぶった右拳を突き出す。しかしパーシュロは体を僅かに左にずらし回避する。
「そんな大振りが当たるか、調子に乗るんじゃねぇよクソガッ――」
鈍い音が響き渡る。パーシュロの体が宙で回転する。渾身の一撃を受けたかのように地面に叩きつけられ、跳ねていく。
「……あたったっ!」
「やったなウルフェ!」
ウルフェのガントレット、その真髄が発揮された。拳の周りに取り付けられたプロテクター、これは防御のためではなく噴射口なのだ。
ウルフェの魔力の爆発力は既に暗部との戦いでも立証済みだ。その爆発力を一定方向から噴出することで推進力へと変えたのだ。
ウルフェはワザと大振りで右拳を打ち込み、パーシュロを内側に回避させた。そしてその瞬間にガントレットに溜め込んでいた魔力を爆発、噴射口から膨大な魔力が放出され右拳は弾けたように軌道を変えたのだ。
この技はかなりの危険を伴う。もしもこの追撃を回避された場合、ウルフェは体勢を大きく崩してしまうからだ。
正しい姿勢から渾身の一撃を打てば体が次の行動に対応できる。しかし不安定な形からの一撃は踏ん張りなどがまったくと言っていいほど利かない。試運転の際には派手に転び、軽く肩を痛めもしていた。
出力を下げれば扱いきれるかもしれないが、それではただの変則フック程度だ。腕を伸ばしきってから放たれる第二の高速ストレートだからこその意外性とこの威力だ。パーシュロは吹き飛んだ先で受身を取り起き上がる。だがすぐさま膝を突いた。
「くそがっ! よもや亜人にも後れを取るとは……!」
「勝負あったなパーシュロ、今の一撃を受けて無事ではあるまい」
イリアスの言う通り奴の膝は震えて止まらない。乾坤一擲の一撃を頭部に受けたのだ。意識があるだけでも十分過ぎる。パーシュロは既に立ち上がることすらままならない状況だろう。
「ふざけんなっ!この程度の傷で負けを認めるなど……!」
パーシュロは歯を食いしばりながらも立ち上がる。しかし衰弱しているのは目に見えている。しばらくすれば動けるようにはなるだろうが、現時点では黒い炎を打ち出す程度が関の山だろう。
「あらあらぁ、無様ねぇ。素直に負けを認めても良いんじゃないのぉ?」
「黙れよギリスタ、そもそもテメェが役立たずのゴミだからっ!こんなことになったのだろうが……!エクドイクもさっさと起きやがれ無能がっ!」
視線を向けるとエクドイクがゆっくりと起き上がっている。だが全身に大量の鎖を浴びせられて受けたダメージはパーシュロ以上、恐らくは最も深手を負っている。
「諦めろ、致命傷ではないにせよ、その手傷ではこの場で戦うことはお前達には無理だ」
「うるせぇボケっ! 偉そうに上から目線で、勝ち誇ってんじゃねぇよアバズレがっ!」
パーシュロは黒い炎を飛ばす。しかし狙いが定まっていないのかその攻撃は当たることなく周囲へと逸れていく。
「そうかでは仕方がない。決着をつけるとしよう」
イリアスが剣を構える。間違いなく次の一合で勝負は着くだろう。
「――あー、飽きたな、もう。望みどおり終わりにしてやるよっ!」
突如、こちらの周囲に黒炎が湧き上がる。体が炎に包まれる、かなりの熱さだ。しかし、実際に焼かれている感じではない。意図的に抑えているのだろう、まあそうだよな。
パーシュロからはここに来るまでに衣服に何かしらの処置を行われていた。こういう仕掛けだったか。
「ししょーっ!?」
「尚書様っ!?そんな気配なんて……まさか最初から仕込んでいたのですか!?」
「ああそうだ動くんじゃねぇぞゴミ共っ!少しでも動けばその黒炎でその男を消し炭にしてやる」
「そこまで外道を貫くか、貴様!」
「あんまり挑発してくれるなよ。殺さないように抑えるのも手間なんだ。エクドイクッ動けんだろうがてめぇこっち来いっ!」
エクドイクが状況を眺めながらもパーシュロの方によろよろと近づいて行く。
「パーシュロ、どうする気だ」
「流石にこれ以上の戦闘はきついからな逃げさせてもらう。だがそれだけじゃあ足りねぇよなぁっ!? こいつらは死地にこの男を助けに来た。なら一人二人は死んで貰っても良いだろうなぁっ!?」
「……」
「そうだな、白いガキは今度俺がぶっ殺すっ!だからイリアス=ラッツェルを殺せ、抵抗すれば男は消し炭だっ!」
「こちらの信用はなしに等しい。その男の命と引き換えにと言った所で素直に死ぬような連中には思えないがな」
「問題ねぇっ!その女が男の護衛をしているのは知っている。自分の命を差し出すくらいぽんとやってくれるだろうよ騎士様はなぁっ!?」
イリアスは悔しそうな表情で口を閉じている。こっちの命と引き換えにと言えば本気で受け入れてしまいそうな顔だ。
「パーシュロさん、貴方そんなことをして強者としての誇りはないのですか!?」
「聖職者が説教か、ムカつくじゃねぇかボケがっ!ご高説が本気だと言うのならばまずはお前から死んでもらうか。エクドイクッお前の目的を先に果たせよおぉっ!さあ見せて貰おうか強者の誇りと言う奴をな!」
ラクラにも飛び火させるか、都合良すぎだろ。たった一人の男を人質にした程度で、逃げるだけならまだしも勝ち星まで欲張るか。
いやぁ、笑うしかないね、はっはっはっ。
「――コふっ」
パーシュロは自身に何が起こったのかまだ理解できていない。自らが吐血した理由も、胸から突き出ている鎖の意味も、その先に括りつけられている臓器の価値も。
とは言え何も知らぬ阿呆ではない、そろそろ気付くだろう。エクドイクの鎖によって致命傷を負わされたその事実を。
こちらを包んでいた炎が奴の命の灯火と連動しているかのように、弱々しく消えていく。
「エクド、イ、ク……何……を……」
「全てその男の言う通りだったな。無様な男だ」
冥土の土産なんて渡すのは悪役のすることなのだが、人様を人質にするような奴だ。悔いくらいは残させてあげよう。
「ラクラ、今ならこの炎完全に消せないか?」
「えっ、あ、はい、えいっ」
ラクラに残った炎を払ってもらう。これで最後の足掻きもなくなった。
エクドイクと再び膝を突いたパーシュロの方へ歩み寄る。そこまで近づく必要はない。声が届けば十分だ。
「分からないまま死ぬのは納得いかないだろうから、説明しておこうかパーシュロ。エクドイクはお前等を裏切った。そう仕向けた」
「お前、が、そんな……様子は……」
「ああ、実際エクドイクは直前までお前の味方だった。お前が欲張ってラクラを殺せと言い出すその瞬間まではな」
この戦い、イリアスがギリスタに勝てるという確証はあった。ウルフェが時間を稼ぎ、イリアスと合流、パーシュロの癖を利用すれば勝てる見込みも十分にあった。
不確定要素としてはエクドイクとラクラの戦いだ。そしてパーシュロの気分屋の程度からして、自分が負ける際になれば手段を選ばずに勝ちに動くだろうということも理解していた。だからエクドイクに種を植えておいた、反逆の種を。
『エクドイク、君にとっての勝利とは父親の名誉を守ることだ。父親に育てられ力を得た君が、一対一でラクラに勝てればその名誉は確かに守れるかもしれない。だが負けた方がよりその名誉は守られると言うことは覚えておくといい』
『どういうことだ?』
『君が勝ったところで証明されるのは君の父親の教育の良さだ。だが父親の強さを証明するには別の方法でなくてはならない。それはラクラを担ぎ上げることだ。君の父親である悪魔が敗北して当然だという存在にまでラクラを担ぎ上げることができたのならば、その名誉はより強固に守られるだろう。魔王でさえ勇者に敗北しているのだから』
『そんなことで俺が復讐を諦めると思っているのか』
『いいや、だから君は全力で正々堂々と戦えば良い。だがそれで負けた時は身の振り方を考え直すべきだ。それともう一つ警告しておこう。勝ったとしても君の父親の名誉が地に落ちる場合がある。それはどういう時か分かるかな?』
『そんなことが在るわけがない。勝てば我が父の偉大さは証明されるのだ』
『それは君が個人の実力で勝った場合のみだ。もしもラクラが何らかの方法で無抵抗で君に敗北すればどうなる? それは勝利と呼べるだろうか? 呼べないだろうね。さらにそれが人質を利用したものだとして、そんな勝利をもぎ取った奴の何が証明される?』
『……解放しろというのか』
『いや、君がラクラと戦うためには人質は必要だとも。君は間違えてはいないんだ。だが他はどうだろうか、特に気分屋のパーシュロ。彼は勝つためなら人質をとことん利用する可能性がある。では想像してみると良い。パーシュロが人質を利用し、君はラクラを一方的に殺すことができた。さあその事を知った世界は君を、君の父親をどう思うだろうか?』
『……』
『逃げるつもりはない。だが拘束を解いてもらえれば必ず君とラクラの傍で観戦に徹すると約束しよう。君が勝てばそれで良し、負けたとしてもパーシュロに利用される心配は避けられる。問題ないだろう?』
『ああ、わかった』
『だけどね、それでも何かあった場合は私にはどうしようもない。君と君の父親の名誉を踏みにじる者が事を起こした時、それを排除できるのは君だけだと覚えておくんだ』
『なぜそこまで世話を焼く?』
『正義を貫こうが悪に染まろうが、筋を通せる者なら応援したくなるのは世の常だよエクドイク。君の父親の名誉を守ろうという行動は正しくて、そして形はどうあれ成すべきだ。その想いは汚されるべきではない。その抱いている物の価値は君自身で守るんだ』
エクドイクが父親の仇であるラクラに対しての怒りを持っていた理由は家族を奪われた者とは少し違う。彼は自分を捨てた人間への怒りだけを育まれて生きてきた。だがそれを教えた悪魔はラクラによって倒されてしまった。その時点でエクドイクは何が正しいのかを見失っているのだ。
自分が今まで得てきたもの全てが価値のないものだと信じたくないエクドイクは父親の正しさを求めた。だが周囲の声は冷たい。ラクラの様な無能に敗北した悪魔に価値などないと。
父親に価値がなくなれば今までの自分にさえ価値がなくなる。だからこそラクラへの復讐を決意したのだ。だがそれは同時にラクラの価値を測ることも兼ねている。そこでラクラを評価すれば良いという逃げ道を用意してやった。ラクラを認めることができればエクドイクは先に進めることができる。他の退路を塞ぐ必要もない。選択肢は多い方が安心するのだから。
そして最後にそれらを台無しにする存在を印象付けた。エクドイクはラクラに敗北した。この時点でエクドイクはラクラを認めざるを得なくなった。だがここでラクラを何の苦労も無く殺せてしまえばどうなるか。
それは完全にエクドイクの過去、その価値を零にしてしまう。だからエクドイクが強行に出たパーシュロを裏切るのは当然の結果というわけだ。
「パーシュロ、残念だったね。エクドイクが誇りなんて持ってなければ今こうなっていたのは別の人だったのに。それにやっぱり気分屋ってのは信用できなくてね。ほら『私』も気分屋だからね?同族嫌悪に負けたと言うことで諦めて欲しい」
「一緒に……するな……お前は……お前はっ!」
「ああ、でも君の気分屋っぷりはなんと言うべきか……理解に容易かったよ」




