ゆえに覚める。
分からない。何故私は剣を振るっている。
剣を振るうことの意味が分からないわけではない。
この世界に生きるものは『神』の呪いを受けている。『神』に都合の悪い知識を得られないよう、精神の構造的に制限を設けられているのだ。
だから極限の力を引き出せる戦いの中、その制限を取り払うことでこの世界の真実を伝えることができる。
この世界の真実を理解すれば、この騎士も私の意図を知ることができるだろうと。
「黒の魔王!貴様がそれほどまでの覚悟を、怒りを、悲しみをっ、抱けた理由はなんだ!?貴様が生きたその時を、生きてきた世界を愛していたからだろう!?」
「――っ、そうだ!だからこそ、この悲劇が生まれる永劫の繰り返しを止めるために、神へと吼えるのだ!」
分からないのは、そうした理由だ。何故私はこの騎士の心を折ろうとしている。
強くはある。だが、それだけだ。この世界の仕組みの中で、最善の手段で頂きに登れたというだけの存在。
もしも私に本来の力があれば、有象無象の一人に過ぎない相手だというのに。誰の言葉にも揺らがぬと決めた私が、何故語ろうとしている。私はこの者に何を望んでいる。
非力な肉体であろうとも、この魔剣の前には関係はない。たとえ肉が千切れ、骨が砕けようとも私の意志ある限りこの体は動き続ける。
私の叩きつける剣に揺らぎはない。既にこの者には世界の真実を、私の想いを語っている。
なのに何故、私の剣は弾かれるのだ。
「ならば何故私達を見ない!?今貴様と生きているこの世界を愛する者達の想いを知らぬと目を背けるのか!?」
「背けているものか!貴様らも、その子孫も、やがては『神』の気まぐれな干渉により運命を狂わされる!その未来を私は嘆いているのだ!」
「貴様が見ているのは私達の未来だけだ!」
迫る剣を受け止め、眼前に迫る騎士の顔を睨む。この者がザハッヴァやラザリカタと戦っていた時もそうだった。魔力を持つこの世界の住人特有の宝石のような瞳が、真っ直ぐに目前の相手、私を見つめてくる。
そうだ。その瞳だ。私が『神』から解き放つべき、この世界に生きる者。その瞳に私が見てきた絶望を映さぬために、私は――
「っ!」
相手の剣を跳ね除け、蹴りで距離を作る。距離が開き、初めて自分の行動に戸惑いを覚えた。
私と奴では私の方が僅かに押せている。なのに私は何故打ち合うことを避け、距離を取ったのだ。
手のひらが破れるほど強く剣の柄を握りしめ、距離を詰めて全身全霊で剣を叩きつける。
「私は『神』の暴虐から、一人でも多くの者を解放すると決めた!そのためならば、いかなる犠牲をも厭わないと!」
前に出ろ。言葉を吐き出せ。想いを叩きつけろ。そうしなければならない。さもなくば――
「その罪を一人で背負ってか!?」
「そうだ!私は人を捨て、全ての罪を背負う力を得た魔王だ!たとえ全ての存在に憎まれようとも、私はこの在り方を変えることはない!」
人を滅ぼし、神に抗うなどと、それは人が成すことではない。そうだ。私は全ての罪を背負うと決めた。だから私は人であることを、人としての在り方を止めたのだ。どれほどの犠牲を出そうとも、『神』の手から皆を解き放つ存在として、その在り方を変えまいと誓ったのだ。
「――お前が本当にこの世界の者達を愛し、その未来を守りたいと願うのならば、何故私達に何も背負わせない!?」
「っ!?」
剣を叩きつけていたのは私の方だったのに、気づけば私は奴の剣を受け止めている。私の剣が届くよりも速く、奴の剣が迫ってきているのだ。
「お前が救いたいと願った人間は、それほどまでに無様な生き物なのか!?何も知らぬまま、何も背負わせぬまま消えていくことが、最善だと思えるほどに弱く、情けないのか!?違うだろう!?」
先程よりも技の冴えが落ちている。体の反応から考えても、この者が強くなったり、私が弱まったりしているわけではない。
なのに、その一撃一撃が重く感じてしまう。その剣に、言葉に、遠い過去の記憶が頭をよぎる。
「お前も覚えているはずだ!人々の想いが込められた言葉に、心が揺れた昂りを!意思を宿した行いに、震えた心の躍動を!『今』を生きる、限りある命の煌めきを!」
「っ!覚えているとも!その全てを奪われた絶望と共にっ!」
負の感情は正の感情に結びつくもの。怒りや憎しみを抱き続ける以上、愛した者達のことを忘れることなどできようものか。
彼らの命の煌めきが、彼らの血を引く者達の未来が、『神』の使い捨ての道具として扱われるなど、あってはならないのだ。
剣を握る腕に力が入る。魔剣はそれに応え、私に更に力を与えようとしている。なのに、それでも、この剣の重さは……っ!
「だったらお前のように背負わせろ!立ち向かわせろ!お前ができたように、私達にもできるのだと信じてっ!」
「『神』に人の心は通じない!だからこそ私は人を捨て、心の底から魔王となったのだ!」
「いいや、お前の心は魔王などになってはいない!その心の在り方は人間だ!」
「違う!私は――」
剣が跳ね除けられた。奴は既に剣を振るえる態勢、こちらの防御は間に合わない。
だがまだ、まだだ。剣を防げないのであれば、躱せば良い。今奴は力任せに剣を振るっているだけだ。その勢いは私が剣で受け止めなければ、体ごと泳いでしまうほど。
一歩下がる。これでもう剣の間合いからは――
「っ!?」
距離が詰められている。剣を握ったままの状態でこれほど速く前に出れるはずが……っ!?
奴は剣を握っていなかった。私の剣を跳ね除けた瞬間に、既にその手から離していたのだ。
その空いた両腕に、私の頭が掴まれる。下がろうとしていた体は動きを止められ、眼前に奴の顔が迫る。
「お前も人間だ!私と共に、『今』に生き、『ここ』にいる!」
「――っ!」
私はまだ剣を握っていて、奴は剣を捨てている。ならばこの腕を振り下ろせば、それで対話は終わる。
なのに、体が動かない。目を瞑りたくなるほどの眩い眼差しなのに、目を逸らすことができない。私を真っ直ぐに見つめるその瞳の輝きが、私に訴えかけてくる。
思い出せ、かつての自分が何者で、どのような在り方をしていたのかを、と。
揺らがなくなったはずの心の奥底で、何かが動くのを感じる。
ああ、そうか。これがあの男の――
◇
床に鳴り響く音が、意識を呼び起こす。それが黒の魔王が剣を落とした音であり、『俺』の体から離れていく靄のようなものが、彼女の偽りの体を構築していた魔力だったのだと把握する。
久しぶりに感じる自分の肉体の感覚や重みよりも、自分の顔を包み込んでいるイリアスの両手の感触に意識が向く。
「――ボロボロだな、イリアス」
「……君ほどではないさ」
彼女が両手を離すと、『俺』の体はそのまま糸の切れた操り人形のように崩れる。だが地面に崩れるよりも速く、イリアスが抱きしめて支えてくれた。
冷たくゴツゴツした鎧の感触しかしないはずなのに、どこか優しく暖かさを感じた。
自分の体の状況はほとんど把握できない。あの魔王、こんな貧弱な人間の体で、イリアスと互角以上に打ち合うスペックとか発揮してくれやがったのだ。骨とか筋肉とか、色々悲惨なことになっていることは明白なのだが、悲惨過ぎて脳が痛みを正しく認識できないでいる。ありがとう、脳内麻薬。だけどちょっと出過ぎ、意識飛ぶ三秒前って感じになってます。
「……」
視線を成也へと向ける。奴は案の定唖然とした顔のまま、こっちを見つめていた。
それも当然か。別に黒の魔王はイリアスに斬られたわけじゃない。本来ならばこうして肉体の主導権が『俺』に帰ってくるようなことはない。
こうなったのは、彼女が自ら肉体の主導権を『俺』に明け渡したからだ。もうこの体は必要ないと、剣を捨て、『俺』に体を返す選択をした結果だ。
「――これは、一体どういうことなんだい?」
「……ぁ、く……」
言葉を出そうとしたが、思うように喋れない。そりゃそうだ。全身ボロボロで今にも気を失う寸前なのだ。その質問に答えたくとも、もう意識すら――ってあれ。
体の感覚が急に鮮明になり始めた。体の痛みも大人しいまま、自分の足で立てるようになっている。
原因は間違いなく成也だろう。魔力がなく、回復魔法の恩恵が得られないはずのこの肉体を、一瞬で治してみせたのだ。
「うぉ……実際に体験すると、マジで奇跡としか言いようがないな、これ」
「良いから、説明をしてもらえないかな?」
「説明も何も、人の心や記憶を覗けるお前なら、すぐに把握できるだろ」
わざわざ『俺』を治療し、質問をすること自体が、成也が心の底から動揺していた証拠だ。『俺』の言葉にハッとしたのか、こちらを見つめる目に一瞬だけ力が入るのが見えた。
そして全てを悟ったのだろう。再び唖然とした表情をしてくれた。
「お前は黒の魔王を止めるために、様々な手を尽くしてきたんだろう。思いつく限り、自分にできることは全て試し、そして失敗した。だけどそれらの手段には一つ、前提条件があった。それは彼女自身が自分の意思で戻ってこれるようにすることだ」
湯倉成也という男は、黒の魔王を心の底から愛している。彼女を生きさせるために蘇生魔法を完成させ、魔王にした。彼女の復讐のために自らが編み出した様々な力、『万能』の力を与えた。そして彼女を止めるために、彼女を黒魔王殺しの山へと封印し、人間に戻る手段を探した。
本当に湯倉成也が手段を選ばないのであれば、黒の魔王の記憶の一部を改竄したり、消してしまったりすれば済む話なのだ。
それをしなかったのは、彼女の意思を力だけで捻じ曲げてしまうことを避けたかったから。体が人間に戻り力を失えば、我が身を振り返り、世界を滅ぼして神様に直訴するなんてことは止めてくれるに違いないと、新たに何人もの魔王を生み出し、実験し、失敗した。
そしてどうやっても自分では彼女の心を動かせないと諦め、彼女自身を過去に戻すことでやり直す道を選んだ。
徹頭徹尾、成也は黒の魔王の心を自らの力で侵す方法だけは取らなかった。いや、取れなかったというべきか。
「だから『俺』は逆に、無理やりにでも黒の魔王を正気に戻す方法をとった。『俺』の体を使わせ、イリアスと向き合わせることでな」
黒の魔王は元々『俺』の体を乗っ取るつもりで、『俺』をこの世界に転移させていた。魂の一部を混じらせ、心の揺れを利用し徐々に肉体への影響力を強めていくのが本来のやり方だった。
だがそれは失敗に終わった。確かに黒の魔王の侵食は進んでいた。地球に比べ、物騒なこの世界で、身近な者が死んだり、自分の命が脅かされたりする度に『俺』の心は揺れ、彼女の記憶が『俺』に紛れ込み、時折夢として見ることもあった。
しかし彼女には一つ誤算があった。性格や本質は似ていても、『俺』には彼女にはない武器、『理解』があった。
自らの感情を分解し、内の中に他人を形成して相手のことを理解する。相手になりきり思考をトレースするこの作業で、増していた黒の魔王の精神も一緒に分解されてしまっていたのだ。
黒の魔王の記憶の夢を見始めたのは、イリアス達と色々あって理解行動を制限してからのこと。時折必要に迫られ解禁した後はしばらく夢を見なくなったことから、確信を得ていた。
制限していなければそもそも夢を見ることすらなかったのだが、この仕組みを知ることができたからこそ、今回の一手を打つことができた。
そう、『俺』が自分の在り方を調整する方法は、黒の魔王にも同様の効果を与えることができるのだと知っていたからこそだ。
感情が高ぶった時や、非情に徹するために『私』に切り替えた時、『俺』はイリアスを始めとした、この世界で真っ直ぐに生きる者達の目を見つめることで、イリアス達に近い在り方へと戻れるようにしていた。
始めは意識的に行っていたが、今では体がその行動を覚えてしまっている。特に何度もお世話になっているイリアスの瞳を見れば、嫌でも我に返るほどにだ。
そんな後遺症とも呼べるレベルの習性を持った体を、黒の魔王へと明け渡し、イリアスと対峙させた。黒の魔王が自分で変えていた在り方を無理矢理に元に戻したってわけだ。
もちろん黒の魔王にその自覚は無かった。知っていればイリアス相手に剣を取ることが危険だと理性で踏み止まっていただろう。
そもそも剣を取って対話すること自体が黒の魔王からすればありえないことなのだ。
だが『俺』は身も心もイリアスを信じきっていた。だからこそ、黒の魔王もイリアスと対峙した時、無意識的に在り方がぶれ始めた。そして自らの感情を共感させようと剣を手に取ることになったのだ。
「――もちろん、僕がそれを認めないことも折込み済みだったわけだ」
「まぁな。これからお前の愛した女を洗脳するために体を明け渡しますって、お前じゃなくても認めないだろ」
「……テドラルに一本取られるなんてね」
本来ならば自己暗示や自己洗脳の類なのだが、自覚がなければそれは暗示や洗脳のそれである。
黒の魔王に自力で正気に戻って欲しいと願っていた成也にとって、この方法は限りなく黒に近いグレー。見ず知らずの奴が提案してきたら間違いなく跳ね除けた提案だっただろう。
だから『俺』はこの方法を思いついた後に、無色の魔王ことテドラルに記憶を消してもらった。
まず全ての事情、成也と黒の魔王の細かい性格まで、根掘り葉掘り聞いた上でこのプランを練った。
次にその前後の『俺』の記憶をテドラルに回収してもらい、再び同じ内容を不十分な形で説明させた。
具体的には一部の説明を省き、話が終わったらさっさと成也に会わせるなど、『俺』に考える材料や時間を与えないようにだ。
その結果『俺』が成也への説得を諦め『せめて最後の結末くらいは、この世界の者達の手で迎えさせてやりたい』と提案するようにした。
あとは成也を呼び出すのに合わせ、テドラルは最初のプランの記憶を『俺』のもの共々分身体へと預けた。そしてあたかも急いで説明し、さっさと『俺』と成也を会わせたものとして記憶を上書きしたのだ。
「結局あいつは『俺』には記憶を返したが、自分で抜き取った分の記憶は完全に消してたみたいだな」
「そうだね。そして君は『黒』の中で記憶を取り戻し、適度に彼女の心を揺らしたりして準備を進めていたわけだ」
「一度無害認定されてたからな。内心は冷や汗が流れっぱなしだったが、お前が『俺』に警戒しなくなっていたおかげで無事に隠し通せたよ」
「何の計画もなしで現れ、彼女に小言を言うのが関の山だった君の心を何度も読もうとは思わなかったさ」
成也にとって『俺』は話せばそれなりに話題が弾む程度の存在。魔法すら使えず、肉体の主導権も持たない完全に無力な相手だ。同郷としての興味はあるだろうが、それらの情報は最初の一回、記憶を覗いた時にその好奇心は満たされる。
たとえ黒の魔王の心の中で良からぬことを企んでいそうでも、問題はないと判断してしまうのも無理はない。それほどまでに『俺』達と成也の差は圧倒的なのだから。
「それで、成也。納得はいってないだろうが、お前はこれからどうするつもりだ?」
「――聞くまでもないだろ?」
成也は小さくため息をつき、背中を向ける。機嫌を損ねた成也に殺される可能性は十分にあった。これから黒の魔王に会いに行く前に『俺』達を皆殺しにしてからいくのと、放っておくことの手間の違いは奴にはない。ただ単純に、成也の少しでも早く黒の魔王と話をしたいという気持ちが、『俺』への不満を上回るかどうかの賭けだった。
「そっか。世話になったと伝えておいてくれ」
「君が言うんだ?……改めて見直せば、酷い計画だ。被害の量もまともに見積もれないし、そこの彼女が『黒』の元まで辿り着けない可能性だって十分あっただろうに」
「それこそ聞くまでもないだろ?」
「そっか。それもそうだね」
成也は振り返らないまま、小さく手を振ってその場から消えていった。
これでもう、『俺』達にできることは全てやりきった。あとは成也と黒の魔王の成り行きを信じて見守るだけだ。
主人公「(あと治療ありがとう。いや、マジで)」