ゆえに突破する。
黒の魔王の配下である魔族達は倒れた。そして単身で戦局を動かせることができた無色の魔王も、碧の魔王達によって抑え込むことに成功した。
だがその過程で我々の仲間で最も強い存在、ハイヤを失うこととなった。元々絶望的であったが、ハイヤを失った以上我々にユグラの時空魔法に干渉する術は完全に存在しなくなったのだ。
だがその事実と共に、碧の魔王が告げた言葉に、皆は動き出した。
『各々、今代の勇者を倣い、成したいことを成せ』
最も可能性を見出だせる立場であった碧の魔王が、あの言葉を残した。それだけで我々にとっては十分な答えだったのだろう。
セレンデ魔界へと向かうことを伝えた時、陛下は『友を頼む』と静かに送り出してくださった。
「……ここが黒の魔王の城か」
セレンデ魔界の遥か奥、高い崖の上にそれはあった。
人々にとって、城とは国の中心。民の集まる居住区の中心にあるものだ。
だがこの城はただそれのみが存在し、周囲には何もない。孤高の魔王のみが存在する魔界の建築物としては、これ以上にないほど自然な存在だ。
「姐さん、エクドイクやウルフェ達はもう少し掛かるそうだ」
「凄く先に行きたそうな顔してますけど……待ちますよね?」
飛竜に同乗していたハークドックとラクラが心配そうな顔をしている。私達がこうしていち早く到着できたのは、ラザリカタとの相性が他のところよりも良かったのだろう。
陛下の采配は完璧ではあったが、魔族の強さは確かなものだった。こうして生きたままウルフェやエクドイクと連絡が取れたのは、本来ならばもっと喜ぶべきことなのだろうが……私の意識はこの視線の先にある城へと向けられている。
「……ああ。急ぎたいのは山々だが、ここから先は黒の魔王の懐だ。どのような罠があるか分かったものではないからな」
「ないない。侵攻しか頭にない『黒』が、敵を迎え撃つ準備なんてしているわけないだろう?」
「――っ!?」
ここは人が住む大地よりも遥か上空であり、私達は飛竜に乗っている。なのに当然のように現れ、会話に割り込んでいる男がいる。咄嗟に剣を抜こうとするも、腰にあった剣は既にその男の手の内に握られている。
クアマの『勇者の指標』で見た伝説の勇者、ユグラ=ナリヤがそこにいた。
「良い剣だ。人の域の中だけで造られながらも、その範疇を抜けようとしている。粋ってヤツだね。大切にしなよ」
返せと叫ぶよりも先に、私の懐へと鞘に戻された剣が戻る。
この男は明確に敵として動いているわけではない。だが時空魔法で世界をなかったことにしようとしており、この今を生きる者達全ての共通の敵なのだ。
このまま剣を抜き直し、構えるべきなのだろう。しかし不思議なことに体は戦意を失いつつある。
敵だと認識していたはずなのに、斬ろうという意思が湧かない。まるで嵐のような天災を前にした時のように、身構えることしかできないでいる。
斬れる相手ではない。アークリアルやハイヤはこのような存在に挑んだというのか。
「イ、イリアスさん!ハークドックさんがっ!」
ラクラの声に視線を向けると、そこには気を失ったハークドックが飛竜から落下しそうになっている。それをラクラが必死に掴んでいる状況だったので、慌ててハークドックの体を掴んだ。
「あはは。そっか、そっか。危機察知能力だけだとそうなっちゃうんだ。挑まなければ負けないのは真理だけど、これは思ったよりも欠陥が酷いなぁ。ええと、ここをこう弄って……っと」
「……はっ!?俺は一体……?」
「気を失うよりも先に、本能が麻痺するようにしておいたよ。気付けはサービスだ。いやぁ、よく生きてこれたね、君」
ハークドックが目を覚まし、周囲を見渡している。今の一瞬にハークドックの魔力に何かしらの干渉があったのを感じ取れたが……落とし子の才能を弄ったというのか。
「ユ、ユグラ!?て、てめぇ!なにしに現れやがった!?」
「それ普通だとこっちのセリフじゃないかな?ここ『黒』の領域なんだし。ま、いいか。出迎えさ。家の前でうろつくお客さんに声を掛けるくらいは普通だろう?」
「何――っ!?」
周囲の景色が突如として変わる。殺風景で何もない広間。壁に空いた大きな穴からはセレンデ魔界の様子が伺える。
状況から考えるに、ここは城の中。私達は三人ともユグラによって城の内部に転移魔法で飛ばされてしまったようだ。
「ようこそ、玉座の間へ。お茶でも出してあげたいところだけど、あいにくとここの主はもてなしの心を失っていてね。お茶は切らしているんだ」
ユグラの玉座の間という言葉に体が反応し周囲を見回す。今いるのが玉座の間ならば、ここには――
「――この地に、この場所に、人が来るか」
背後にあった玉座。そこに座していたのは黒い長髪と黒い瞳。感じられる魔力は微々たるものだが、その風格から彼女が黒の魔王であることは直感的に伝わってきた。
初めて対峙したはずなのに、どこか懐かしさを感じるのは、彼に似た瞳をしているからなのだろう。
だが彼があの瞳をした時は、決まって敵に対して敵意や怒りを向けた時だった。同様の瞳をしている彼女からは、私達に対する感情が何も感じ取れない。
「黒の……魔王……っ!この戦いはもう決着がついた。彼を返してもらおう!」
「決着……か。そうだな。今回の侵攻は私の敗北のようだ」
「……次があるとでも言いたげだな」
「次のあるなしなど、私にとっては関係のない話だ。私は人を滅ぼす。そのためだけに生き、そのためだけに進む。それだけだ」
淡々と語るその口調から、その言葉の意味するものが黒の魔王の精神にどれほど浸透しているのかが伺える。
黒の魔王にとって勝利も敗北も意味はない。今回が潰えても、次へと進む。次がなくなろうとも、ただ人を滅ぼすためだけに行動する。その在り方には人らしさなど残っていない。
「どれだけ強固な意思があろうとも、ユグラが時空魔法を使えば、全ては無かったことになるのだぞ。よもや貴様がそのことを理解していないわけではあるまい!?」
「――確かに、そこの男が時空魔法を使えば今この歴史は存在しなくなるだろう」
「ならば――」
「それがどうした。人を滅ぼすと決めた私の意思はここにある。『神』に選ばれた異世界人であろうとも、事実は消せない。観測者がいる限りこの事実は残り続ける」
人を滅ぼすことに固執している黒の魔王とて、全く周りが見えていないわけではない。ユグラが時空魔法を使えば全てがやり直される。今彼女が抱いている想いすらなかったことになるというのに。なぜ、それを知ってもなお破滅への道を歩み続けようとするのか。
「何がそこまで貴様を突き動かす」
「――その問に答えるのであれば……そうだな、世界のためだ」
「世界のためだと?人を滅ぼすことに、なんの意味が――」
「ユグラ、私から盗った剣を返せ。あの山から持ち去ったことは覚えている」
黒の魔王がユグラへと冷たい視線を向ける。ユグラは涼しい顔で皮肉そうに笑いながら、どこからともなく一本の剣を取り出した。
飾りはなく、ただ握りと柄、そして刀身があるだけ。そしてその全てが闇夜のような漆黒で統一されている。
「盗んだつもりはなかったけどね。半端に戦えると、オーファローあたりと喧嘩して返り討ちにあうかもしれなかったからね。念のために預かっていただけさ」
「――ふん」
ユグラが放った剣を、黒の魔王は無駄のない動きで受け取った。今の黒の魔王は彼の体を使っている。その事実は彼女から感じる魔力の少なさではっきりと分かる。
だというのに、この威圧感はなんだ。まるで緋の魔王と対峙した時のような、絶対者を相手にしているかのような気分になる。
「ちょ、ちょっと待ってください!今の黒の魔王は尚書様の体を使っているんですよね!?」
「あはは。そこの無愛想な魔王は細かい説明を省くだろうから、僕が説明をしてあげよう。ご存知の通り、『黒』は君達が助けに来た僕の同郷の体を使っている。僕が表面にガワを創り、被せている形でね、それを破れば体の主導権は彼に戻るよ。強度としては君達基準での結界魔法、君達でも十分に破れる程度だ」
「つまりだ。魔力を込めた良い感じの一撃を入れれば、兄弟は自由になるってことだな?」
「そうだね。ただ一つ注意した方が良いのは、あの剣だ。あれは持ち主の意思の強さに比例して、力を与える魔剣だ。魔法の行使はできないけど、本人が使えうる全開での魔力強化程度は問題なくできる」
説明をするユグラからは悦楽を味わおうとする意思を感じる。不快ではあるが、彼を助けるために必要な情報を喋ってくれていることには違いない。
「ようし、なら全員でギッタギタに――」
「止めときなよ。君らじゃ足手まといにしかならないよ。あと無粋だし」
「んなっ!?」
「ハークドックさん、多分ユグラさんの言う通りです。あの魔王さん……全然隙がありませんよ……」
ラクラが怯んでいるのも頷ける。黒の魔王から感じる威圧感は、ユグラや碧の魔王といった超越者から感じるものではなく、緋の魔王やラグドー卿のような相手から感じるそれだ。
恐らくは魔王としてのものではなく、生前、人として身に付けていた武人としての強さなのだろう。
ラクラやハークドックは強大な魔物相手でも臨機応変に戦うことができるが、隙を突きにくい純然たる達人等とは相性が悪い。
「……二人とも、ここは私に任せて欲しい」
自惚れではなく、そうすることが必要なのだと感じた。黒の魔王は彼の体を返すまいと足掻いているわけではない。私達を斬り殺したいと思っているわけでもない。
黒の魔王は剣を通して、私と語ろうとしている。自らの意思を、先程の言葉の真意を示そうとしているのだ。
彼を迎えにきたのだ、どのみち逃げるつもりはない。剣を抜き、黒の魔王と対峙する。
「――ッ」
黒の魔王が踏み込み、距離を詰める。繰り出される攻撃は突き、本来ならば剣で軌道を逸して反撃を狙うところ。
だがその型に驚き、反応が遅れる。弾くことが難しいと判断し、横へと飛んで回避を行う。
「今のは……まさか……ターイズ騎士の……っ!?」
「あはは。知っている型と似ていたかい?剣術や槍術、武術というものは数多く派生するけれども、後世に残るのは優れた本質を持つものだ。何度枝分かれしようとも、極めていけば源流へと遡ることとなる。魔力強化に特化した剣術を極めれば、行き着く先は近しいものになるさ」
次々と繰り出される攻撃。その全てにターイズ騎士達の姿が重なる。驚きはしたが、これは私にとっては好都合なこと。
私はこれまで彼らと共に研鑽を積み、ここまで至ったのだ。なればこそ――
「――ぐっ!?」
見知ったはずの型なのに、反応が遅れた。防いだはずなのに、衝撃が体を貫いてくる。原因は理解できている。黒の魔王の技がターイズの騎士達よりも重く、速いからだ。
「そして最後にもう一つ。人間達が戦争に明け暮れていた時代、『黒』は幼い頃から皆を守るために鍛錬を積んでいた。本能の抑止を振り切るほどの責任感によって磨かれた才能は、人としての域を超えるほどの素質を彼女に与えた」
技の練度だけで言えば、黒の魔王よりも彼らの方が鋭い。しかし基本的な身体能力が遥かに高い。これはまるで……っ!
「君と同じく『黒』もまた『突破者』と呼ばれた存在だった。いやぁ、実に見ものだね。過去と現在、自力で限界を超えた者同士の戦いだ」
主人公「(ここにきてゴリラ対決……!)」