ゆえに絶望する。
才能ある連中に俺が格上だと認めさせ、格下と思っていた奴に勝敗を決められる。我ながらしまらねぇが、悪くねぇ戦いだった。
死闘の末の敗北。それは一種の満足感さえ与えてくれていたのに。たった一瞬で全てが台無しにされた気分だ。
俺はこの世界にとって最大の脅威、無色の魔王。そんな気分に浸ったまま死ねたら、それはそれで満たされたとは思うんだがな。つかさっきまで黒姉に別れの言葉とか色々呟いてたのがバカじゃねーの。
「……これはなんの真似だ、ユグラ」
碧王は突然現れたユグラに冷たい視線を向けている。奴さんとハイヤを除いた他の連中は各々が信じられねぇって顔だが、二人はこの可能性を多少なりとも考えていたようだな。
俺としちゃもうちょい早めに助けに来てくれるかもなって思ってたんで、結構前に諦め入ってたのによ。
あーくそ、頭は回るのに、指一本も動かせねぇ。そりゃそうか、折れてねぇ骨はねぇし、潰れてねぇ内臓はねぇ。脳が自動的に修復されたものの、五感の修復の段階で魔力が尽きちまってる。
視覚聴覚は比較的正常、さっき絞り出した声で喉もただの肉塊になっちまってら。
「なんの真似って、テドラルを回収しにきただけだよ?」
「……この戦争に貴様は介入しない。そういう約束ではなかったのか」
「――ぷっ、あはははははっ!」
何かがツボに入ったようで、ユグラは子供のような顔で大笑いした。マジで周囲との空気さがヤベェ。瀕死の俺でも自分のこととかどうでもよくなるレベルだ。
「……何がおかしい」
「ああ、うん。ごめんごめん。そうだね、そんな話はあったけどさ。その情報って誰から聞いたの?」
ユグラは笑いで溢れてきた涙を吹きながら俺の方へ視線を向けた。
まあ俺ですよ。別に隠してないし、分身体を経由して伝えたことは周知の事実だ。だが碧王はユグラが言おうとしている言葉を理解したのか、僅かに眉を動かした。ありゃ内心かなりキてるな。
「君らが慈悲も容赦もなく殺そうとした敵から聞かされた情報を、馬鹿正直に信じているのがあまりに滑稽だったからさ。戦争ってのはスポーツじゃないんだよ?それにさ、仮にその約束を僕が直接君達に公言していたとして、誰が僕を咎めるの?どこの何様が僕に罰を与えられるのかな?」
確かにユグラは約束をした。あの男がこの戦争に関わらないことを条件に、自身はお膳立てだけで一切の介入をしないと。
だけど、それは口約束。契約魔法も施していなければ、何のペナルティの取り決めもしていない。ただ筋を通してやろうってだけの話だ。
「……貴様はあの男との約束を破るつもりか?」
「そう怯えないでよ、『碧』。ちょっとした意地悪心さ。別に僕は約束を破っちゃいない。テドラルには今後この戦争に関わらせるつもりはないからね。それならこの場でテドラルを回収したところで、この戦争の結果にはなんの影響もないだろう?テドラルも十分に遊び尽くしただろうからね。あとは僕の手伝いに戻ってもらうさ」
ユグラは笑いながら俺の体を足でつつく。おいこら止めろ。つま先だけで人の体の中を診察してんじゃねぇよ。一度に流れてくる解析魔法だけで吐き気がするっての。
「遊び……か……」
「遊びだよ。この戦争の結果がどうあれ、僕にはなんの関係も影響もない。本気でどうでも良いことだからね。こんなことのためにテドラルを失うのは勿体ない。こいつはどれだけ格好つけてもしまらないし、いくら努力しても及第点の結果しか出せない男だ。だけど、僕にとっての及第点に辿り着ける貴重な人材でもある」
おい、言い方言い方。半端に感動させんな、馬鹿野郎。……そういやこいつ、俺ごと過去に戻るつもりだったな。そのへんは本気だったってわけだ。
「……貴様の一方的な意見を、俺達が認めると思うのか?」
「別に君達は認めなくていいよ。今のはこの戦いを見ている『彼』に向けた説明だ。それと『黒』に対しての言い訳でもある。『死ぬのが確定してから回収したんだから、これは死体だ。友達の死体くらいはこっちで埋葬させてもらうよ』ってね?」
人を死体扱いしてんじゃねぇよ!死体の方がまだイキイキしてるくらいにゃボロボロだがな!あと埋葬するってんなら酷使すんじゃねーぞ!するんでしょーね!あーくそ、声でツッコミ入れられねぇのがもどかしいな、おい!
「本当に好き勝手な男ですね。いやぁ、流石は私の産みの親だ」
ハイヤが前に出てくる。同じ遺伝子でできた体同士、こうして向かい合うと本当に血縁っぽさあるよな。こんな似過ぎている親子とか、実際にいたらトラウマもんだけども。
「やぁ、ハイヤ。こうして面と向かいあって話すのは初めてだね」
「貴方の記憶から言葉を与えられた私としては、二度目ですがね」
「なら君にとっては感動の再会というわけだ。ハグでもしてほしいかい?」
「そうですね。では遠慮なく」
突如放たれたハイヤの刺突。それを当然のように剣で受け止めるユグラ。
まあ異空間から剣を取り出したユグラは置いておいてだ。ハイヤ、なんだよその速度は。
俺と戦った時よりも何倍も速ぇ。生物が出して良い速度を超えてんだろ、おい。
ユグラが現れた時、強引に解除されていた結界も再発動してやがる。こいつ、マジでユグラと戦う気なのか!?
「へぇ、これだけ干渉を封印された環境で、自分だけは自由に干渉できるように調整したんだ。発想がずるっ子だね」
「そういう貴方はただの反射神経だけで止めて見せましたか。まさに才能の塊ですね」
「それで、同じセリフを返すのもなんだけどさ。これはなんの真似?」
「『彼』だけが策を練る者というわけではありませんよ。ユグラ=ナリヤ、ここに貴方が現れることは予想していました。だから私は用意したのです。この世界に生きる者として、全てをなかったことにしようとする時空魔法、それを阻止するこの機会を!」
続けて放たれた一撃、ユグラは完璧なタイミングで防いでみせるも、その剣圧に負けて吹き飛ばされる。 壁に叩きつけられたユグラだったが、即座に体勢を立て直して追撃に備える。だが、ハイヤは既に俺の視力じゃ捉えることができねぇ程に速い。気づいた時にはユグラは横から心臓を貫かれていた。
ハイヤの剣からは無数の呪詛が溢れ出している。ありゃ魔法だけじゃねぇ、理に干渉して創られた世界としての呪いも含まれてやがる。
緋獣にも負けねぇ腕力といい、理に干渉した戦闘もかなりの水準っぽい。あれ、これ下手したら俺力封印されてなくてもやばかった可能性あるんじゃね?
「かっ、ふっ。……いやぁ、まさか僕の命を狙いにくるとはね。だけど何を見ていたんだい?僕がここに来た時、『碧』の植物を消したのを忘れたのかな?たかだか数百の結界なんてすぐに――っ!?」
「貴方のことを忘れることなどありませんよ。そう、貴方なのですから、相応の準備を施してありますよ」
部屋に施されていた結界が揺らぎ、一斉にその数が増えた。仕込んでいただけで発動させていなかった結界がまだこんなにもあったのか!?しかも結界の一枚一枚が互いに共鳴しあい、新たな複合結界が自動で生成されてるだと!?
これだけの大規模な封印魔法の生成の仕組み、俺が見逃していたってのか?いや、違う。こいつは種だけ仕込んで、ユグラがこの場に現れてから一斉に準備を進めやがったんだ。
くそ、碧王がユグラに話させる感じで変な風に問いかけていたのは、このための時間稼ぎか……っ!
百単位だったはずの結界が一瞬で千単位になって、更に桁が増えていってやがる!こいつ、この部屋を別世界にでもしやがるつもりか!?
確かにユグラは規格外だが、それは理への干渉力が俺達よりも遥かに桁違いだからこそだ。その力が封じられている以上は、ユグラの力にも限度はある。
そこに理に干渉できる俺と同格のハイヤがぶつかるのなら、勝機も見えてくる。マジふざけんなよ、俺はユグラを誘き寄せる餌でしかなかったっていうのかよ……っ!
「三千近い結界を鏡面論理で自乗化させたのか。目分量で九百万、物量作戦にも程があるなぁ。しかも酷い呪いを込めた剣だこと。君、勇者の代理として創られた自覚ある?」
「自覚があるからこその意趣返しですよ。この呪いは魂を汚染するもの、魂が正常でなくなれば蘇生魔法で蘇ったとしても――」
「――うん、凄い無駄だね」
ガ、コ、と世界が変わった。何が起きたのか、何をされたのか、それを肌で感じていたはずなのに、何も理解できなかった。理に干渉する術に精通しているつもりだった俺が、だ。
ただわかったのは、この部屋がただの石造りの部屋に戻っているということ、ハイヤの握っていた剣に込められていた呪いの何もかもが、綺麗サッパリに消えていたということだ。
「な……っ!?」
ユグラがゆっくりとハイヤの頭へと手を伸ばすと、ハイヤは即座に剣を引き抜き、距離を取った。
その表情にはもうユグラの血を感じさせる余裕はない。碧王の表情も険しいものになってやがる。目の前の化物を倒すために用意していた全てが、一瞬でなかったことにされちまったんだ。そりゃそんな顔にもなるだろうよ。俺の表情筋も生きてたら同じ表情してるわ。
ハイヤが与えた傷もとっくにねぇ。服の穴だけは残ってるが、それは当人が衣服に無頓着だからだろうな。
「何が起きた、なんて欠伸の出る質問はしないでおくれよ。ただシンプルに対処しただけなんだから」
「そんなはずは……確かに封印は正常に作動して、貴方は理に干渉することができなかったはず……」
「無から有になった時点で、それは綻びだ。完璧な封印なんてないさ。呪いもそうだ。害があるのであれば、その仕組は存在する。それらを一つずつ丁寧に分解すれば無力化することは簡単だ。理に干渉する必要もない」
「っ!……だからこそ、無数の結界と呪いを創り出した。貴方が対応できないように――」
「ハイヤ。君は右手と左手、同時に動かせるだろう?」
ユグラはそう言って、両手を挙げて笑う。それはまるで子供に向けたお話。常識を知らぬ者に対する、幼稚な教育。
「……何を言って――」
「そのまま右足と左足も同時に動かすこともできるだろう?首も回せるだろう?口も開けるだろう?なら、ついでに九百十四万四千五百七十六の結界と、六百四十五の呪いも分解できるだろう?そういうことだよ」
「――っ!」
確かにユグラは俺と同じように理に干渉する力を封じられていた。一つ一つの結界に干渉して分解していくことなら、俺にもできただろう。だが結界を解除するよりも、碧王とハイヤが新しい結界を生み出す方が速かった。鍵を増やすのと、鍵を分解するのじゃ前者の方が速ぇからな。
だがユグラはハイヤが奥の手として展開した結界の数、仕組み、その全てを一瞬で把握し分解してみせた。それは理に干渉して行う力の行使ではなく、自らの才能による御業。
空間認識力、構造解析力、並行処理能力、その他諸々、その全てが世界に類を見ない天賦の才を持ち、それら全てを相乗効果で扱えるユグラだからこそできる芸当。
「ハイヤ。ねえハイヤ、ハイヤ、ハイヤ。せっかく始まりの才能、理に干渉する才能を与えてあげたのに。君は自分で自身の才能を限界まで増やさなかったのかい?思いつく限りの才能を片っ端から増やして、自分にできたら良いなと思えることを、全て可能にしてこなかったのかい?」
「……」
ハイヤだってその力で自身の体を弄っている。常人から見れば、ハイヤは十分化物に見えるんだろう。
「ねぇ、君はどうして僕の姿をしていながら、人であろうとしているんだい?無尽蔵に増える才能に怯え、人をやめていく恐怖を乗り越えられなかったんだい?ねぇ、君はどうして最後の一線を超えられないくせに、僕の前に立っているんだい?」
「……っ!」
それでも相手が悪い。今こいつらの前にいるのは、クソ野郎……『神』すら黙らせるまでに自身を弄り回す狂気の化身だ。歯止めが効いている奴が、それを壊して進む奴の先に行けるわけがねぇ。
「ハイヤッ!合わせろっ!」
この絶望的な空気を無視し、ユグラへと飛び掛かって見せたのはアークリアル。無謀、いや、そうするしかないと悟っちまったんだろう。
ハイヤも碧王もユグラとの圧倒的な差に飲まれちまっている。状況を正しく把握できねぇ馬鹿が、無理をしなくちゃならねぇと。
アークリアルの剣は簡単に止められた。反撃でもないただの人の剣技が、ユグラに届くはずもねぇ。だが鬼気迫る表情で斬りかかるアークリアルを見て、ユグラは少しだけ嬉しそうな顔をしてみせた。
「へぇ、迎え撃つ才能を持った落とし子か。単純な戦闘能力の才能じゃかなりの当たりの部類だね。でも、ダメじゃないか。それは身に降り注ぐ困難を乗り越える力だ。自分から飛び込んじゃ力は活かせないだろう?」
「なら俺も視界に入れやがれ!さっきから無視しまくりやがって!一度勇者とは斬り合いたかったんだからさ、付き合ってくれよ!」
「うん、良いよ。これは君からの挑戦だ。僕は戦争には介入しない約束だけど、降り注ぐ火の粉くらいは振り払えるからね」
ユグラが剣を払うのと同時に、アークリアルが距離を取る。ユグラは楽しげに剣を携え、アークリアルへと歩いていく。
構えなんてない、ただの自然体の歩み。どんな攻撃でも等しく入れられると思えるのであれば、それはどんな攻撃でも等しく返される可能性があるということ。
剣の道を歩んでいる奴なら、ユグラの歩みは迫りくる死にも見えていることだろう。
だがアークリアルはそのユグラからあらゆる困難を迎え撃つ才能を与えられている。単純な剣術の勝負となれば、あるいは……。
「この距離から体が疼きやがるか、やっぱ極上だなアンタ!」
「ところで君はどこまで斬れるのかな?領域は斬れる?結果は?法則は?」
「何を言って――」
「なんだ、やっぱりその程度か」
凡人の俺には剣の軌跡を見ることは許されず、結果だけしか知り得なかった。
アークリアルの上体が崩れ落ちる。奴の体は胴から横に両断されていた。最後に僅かに見えた奴の顔は、仄かに笑っているようにも見えた。
「アークリアルッ!?」
「……ちょっと訂正するよ。想像よりかはいくらかマシだったね」
そう口にしたユグラの首には、斬り落とされた腕ごとアークリアルの剣が食い込んでいた。ユグラは何事もなかったかのようにその剣を抜き、足元に転がっているアークリアルの方へと放った。
その姿を眺めている間にも、アークリアルが残した傷痕は跡形もなく消えていた。
スキル一個だけカンストチートじゃ、スキル全部カンストチートには。
多分これを見ている黒の魔王さん、凄くつまらなさそうな顔してそう。