ゆえに挑む。
『夢とは自らが求め進むもの、願いとは他者に望むもの。尊ぶべき想いには強さが宿る。オーファロー、お前さんには夢はないと言ったが、それを嘆くことはない。夢を叶えることが出来ずとも、他者の願いを叶えてやることはできる。人の生き様は異なるもの、自分の道を見つけるんだぞ』
夢はないと言った僕に向けられた、顔も思い出せない祖父の言葉。物心がついた時には両親はおらず、自らの死期を悟っていた老人だけが僕の味方だった。
だけどその祖父もあっさりと死んだ。国を失い、住処を失い、頼れるものを失った人間の末路なんてそんなものだ。僕に残されたのは名前と、幼心に刻まれた呪いの言葉だけだった。
流れ着いた先の村で、孤児として拾われた。僕を守ってくれる大人はもういない。孤児院を追い出されたらもう飢えて死ぬしかないのだと悟っていた僕は、自分の立場をわきまえながら生活していた。
誰かよりも目立ってはいけない。誰かの顔を潰すような真似をしてはいけない。誰かにとって都合の良い存在であれ。
思うところがないわけじゃなかったけれど、都合の良い存在であれば必要とされる。その事自体は悪い気はしなかった。そう勘違いしていた。
『俺は見た。こいつが、オーファローが小屋を開けて家畜を逃しやがったんだ!』
都合の良い存在を尊重するような人間なんていない。必要としているのは、都合の悪さを押し付けたい連中だけだった。
不真面目を指摘され、憤りを覚えた男が腹いせに罪を犯した。だけどその男は償う覚悟もなく犯罪に手を染めた。背負う役目を都合の良い存在であった僕になすりつけた。
僕はやってないのに、ただ穏やかに暮らしていたかっただけなのに。不条理な悪意によって、僕はこれまでに築いてきたものを全て壊された。
『お前は悪だ。それを受け入れろ』
罪を認めない僕に、大人達はそう言い続けた。丘の上に縛られ、目を見開かされ、心が折れるまで僕に悪であることを求め続けた。
いつも僕を照らしてくれていた太陽が、僕の心を蝕む。熱さ、眩しさ、乾き、それらの全てが僕から色々なものを奪っていった。
ああ、そういうことか。これが世界なのか。この仕打ちが普通で、それがまかり通るのが常なのか。
これは僕の間違いだったんだ。世界は僕が思う以上に残酷で、それを納得しなければ生きていくことすらできないんだ。
『な、なんの真似だこれは!?気が狂ったのか、貴様!?』
おかしなことを言う。君達が望んだんだろう?僕に悪になって欲しいって。その願いを叶えてあげているんじゃないか。
僕には夢がない。なりたい自分なんて、考えたこともなかった。だけど、こんなにも悪であることを熱望されたんだ。その願いに応えてあげなきゃ、冷たい人間になってしまうだろう?
僕に悪の才能はなかった。だから何年も何年も考えて、計画して、練習して、入念に、慎重に、徹底して悪を行った。そこまでしないと、きっと僕には君達の願いに応えることができないだろうから。
成果は上々。初めて殺した男の顔はとても印象的で、何度も夢に見た。自分で目指し、努力し、結果を出せたことになんとも言えない充実感があった。
だけどこんなんじゃ、ダメだ。僕は悪として見世物にされたほどの存在だ。たかが一人を殺した程度で満足してちゃ、僕に悪であって欲しいと願った人達に申し訳ない。その程度の悪じゃ、彼らはきっと満足しない。
だってそうだろう?彼らが僕にしたことを考えれば、僕の行った悪なんて並程度でしかないのだから。
だから安心してほしい、僕は君達の望む悪で在り続ける。その願いを叶え続けることが、僕が進む道なのだと
◇
「ははは、いい動きをするじゃないか」
オーファローはイヤリング状の魔具を使い、自らの熱を光線へと変化させて放ってくる。見てからの回避は間に合わないが、攻撃の予兆や奴の視線を観察すれば狙いを逸らすことは十分可能だ。
分散して放ってくる攻撃は厄介だが、単体の範囲は狭い。デュヴレオリが行っていた時のように、あえて貫通させる。そのままでは奴の魔力に再生が阻害されるので、貫かれた箇所に鎖を通し、周囲の肉を削ぎ落としてから再生を行う。
ノラから譲り受けたこのブローチ型の魔具が、彼の特異性の発動を後押ししてくれている。 魔力の消費は確かにあるが、再生速度は以前とは比べ物にならないし、戦闘に支障が出るようなこともない。デュヴレオリの力をしっかりと活かせているようだ。
「知恵を働かせているようだけど、見ていて痛々しいね」
オーファローはその場から動いていない。周囲を自身の熱で守りつつ、遠距離攻撃である光線を絶え間なく放ってくる。
奴の状態は半覚醒、熱そのものは体の造りとして自然発生しているものだ。ゆえにどれだけの光線を放とうとも魔力切れになる様子はない。
耐久戦を得意とする姿勢にも感じられるが、そうではない。オーファローには確かな欠点がある。それは俺だけではなく、ウッカやマーヤも薄々と気づいていたことだ。
奴は相手を騙したり、謀ったりする術には長けているようだが、正面からの戦闘に秀でているというわけではない。元々戦闘を主体とした職業についていたわけでもなければ、魔族になってからも対人戦を行ってこなかったのだろう。
自らの力を一方的に押し付けてくるスタイルならば、付け入る隙は十分に作り出せるはずだ。
「知恵を働かせるのはこれからだ。こちらも準備は整った」
オーファローの周囲を逃げ回っていたのは、鎖を地中へと展開し大地をくり抜くため。既に周囲の地形の大半は切り崩し、鎖を這わせてある。
一箇所に魔法を込め、重量を緩和。それを持ち上げ、魔法を解除しながらオーファローの頭上へと放る。
その攻撃を見て、オーファローは僅かに舌打ちをして後方へと飛んだ。奴の熱ならば丘ほどもある岩石であろうとも瞬時に溶かすことは容易。だが溶かすことはできても、発生した液体を一瞬で蒸発させるまではできない。
大量の液体の落下、その衝撃はそれ相応の威力を持つ。水のように透明でない分、視界も奪われる。奴を移動させる程度には面倒だと認識されたことになる。
続けざまに切り崩した大地をオーファローへと投擲していく。その行為を嫌ったオーファローが威力の高い光線を放とうとするが、その照準は定めさせない。
「こそこそと……っ」
「一点集中の光線の威力は確かだが、狙いを定めなければ当たらないのは弓矢と変わらないようだな」
オーファローがこちらの投擲を避けるということは、熱源がその場を離れるということだ。つまり投擲した大地は完全には液状化されない。奴の周囲には次々と段差が生まれていくことになる。あとはその死角へと隠れ、奴の視界に入らなければ良い。
この大地は攻撃の武器であり、奴の熱を防ぐ盾でもあり、奴の視界を妨げる壁にもなる。
「っ!?」
「届いたな」
大地を纏わせた鎖の薙ぎ払いがオーファローの胴体へと届く。直撃と同時に鎖は溶かされたが、衝撃を届かせることには成功した。
鎖には呪いではなく、熱を奪う魔法を付与してある。奴の熱の前には微々たる影響ではあるのだが、事前に鎖と纏わせている大地の温度を下げておけば溶かされるまでの時間を一瞬以上長引かせることができる。さらに奴へと投擲した大地に重なるように攻撃を仕掛ければ、ギリギリまで奴の熱から鎖を守ることができるのだ。
この攻撃が届くことはかなり大きい。安全地帯から一方的になぶれるはずが、移動を強制され目障りな反撃がくると印象付けられたのだ。
こちらを格下だと見下しているオーファローにとって、この展開は不快でしかないだろう。
「その程度の攻撃で、満足げな顔をされてもね?以前の女の拳の方が、何倍も響いたよ」
「その割には表情に変化が見られるな。予測の外からの攻撃は気分が悪いか?」
「完全覚醒に至ったと豪語していたくせに、小細工ばかりだからね。さっさと力を見せたらどうだい?それとも怖いのかな?」
何でも良い。今はオーファローを苛つかせることを考えろ。でなければオーファローはあの技を使ってこない。
空間ごと相手を自身の領域へと引きずり込み、干渉された理の中で完全覚醒状態となる。そのメリットは完全覚醒に踏み込んでも、元に戻ることができると言う点だ。
強力無比であり、あの力の前では大抵の生物は耐えられない。だがあの技を使わせることが、オーファローを倒す道でもある。
以前は真なる『盲ふ眼』の鎖に対し、好奇心を持って技を見せてくれたが……あの力はオーファローにとっても負担が大きい。戦局を傾けるための工作をしなければならない奴にとって、俺相手にあの技を使うことは躊躇われるのだろう。
俺が新たに修得した技は、あの技には刺さるがこのような遠距離攻撃のやり取りでは効果が薄い。
今は知恵を振り絞り、奴を本気にさせる必要がある。同胞のように奴の感情を刺激する術を模索するんだ。
「怖い……か。つまり貴様は炎陽に成り果てることが怖いのだな、オーファロー。恐怖の象徴になることがではなく、自我を失うことが怖いのだろう。それは貴様の本質が人であるからこその想いだ」
「――っ」
「貴様は邪悪だ。他者の命を軽んじ、人の心を逆撫でしようとする。だが俺にはお前の悪は空虚なものに感じる」
「僕の悪が……空虚だって?」
「オーファロー、貴様は何故悪であろうとする?」
物欲、他者への支配、個人的な愉悦、理由はなんであれ、悪の道を選ぶものは、その行為の先に得られるものがあるはずなのだ。
悪行とは過程や手段であり、結果や目的ではない。なのにオーファローの行動には邪悪さを感じるが、その先に得ようとしているものが見えてこない。
「理由?そんなものは単純だよ。僕は悪であることを求められた。その願いを叶えてあげているんだ」
「ならば貴様は願われれば善になるのか?」
「願われていたならね。だけどもう遅い。僕はもう悪になるという願いを叶えることを選んだ。その願いは僕に届くことはないよ」
オーファローと俺の境遇は似ているのだろう。奴も俺も、誰かの望んだ未来を求められた。そうすることしか知らないまま、それが正しいのだと信じるしかなかった。
「……俺もかつては願われた。人を殺す殺戮者となれと、その術を叩き込まれながら。それが正しいのだと思い込み、それ以外の選択肢はないと疑わなかった。だがそう願ったものはあっけなく死に、俺は進むべき道を見失った」
「君の生い立ちなんて興味ないね」
「俺は貴様の過去は知らない。だが貴様にそう願った者達は既にこの世にいないのではないのか?貴様にとって大した価値のない相手の願いを、後生大事に叶え続けることに意味はあるのか?」
「あるとも!人は死んでも魂は存在する!僕は皆に未来永劫に見せつけてやりたいんだ!僕は君達の願いをこんなにも完璧に叶えてあげたんだよってね!」
オーファローは目を見開き、高らかに嗤う。もしかすれば動揺するかもしれないと、言葉を選んでみたが……この反応は既に自身の中で答えを求めたことがあったのだろう。
既に奴は悩み苦しみぬいた。悪の道を選んだことに後悔はないと結論付けている。だが、人は感情的になる部分には抱えている想いがあるものだ。
「――そうか。貴様は悪を目指さなければならなかったのだな」
「……なんだって?」
「物事に固執するのは、それが必要だという理由がある。オーファロー、お前は悪でなければならなかった。そうでなければ自らの犯した罪に、良心の呵責に耐えられなかったのだろう?」
答えは聞くまでもなかった。俺の言葉がオーファローの感情を揺り動かした感触を確かに感じた。
俺はメリーアに対し、レイシアが死んだのは自身のせいだと、その償いをしなければと彼女の言葉を聞くよりも先に罰を求めていた。オーファローの気持ちも、それに近いものだったのだろう。
他者に悪であれと要求され、犯してしまった罪の重さを本能的に悟ってしまった。オーファローは罰を求めるのではなく、罪を正当化しようとしたのだ。自分に責任はなく、言われたとおりに、願われたままにしただけなのだからと。
既にオーファローの心は壊れかけている。振り返ってしまえば、止まってしまえば、自らの犯した罪の重さに潰されてしまうのだという恐怖だけが、奴に悪の道を歩みさせ続けている。
「……君は、何を言っている、のかな?」
「心配しなくていい、俺に討論をするつもりはない。お前の過去はお前が歩んできた道、それを否定するつもりはない」
俺も同胞がいなければ、今はなかった。復讐心に囚われたまま、ラクラを殺していたか殺されていただろう。生きていたとしても、ベグラギュドの言葉に固執し続け、自身は人を殺す存在だと多くの人間を手に掛けていたはずだ。
オーファローは誰にも救われなかった俺だ。救われないなりに自分で考え続け、ここまで自我を保ち続けた奴なのだ。
やはり俺には同胞のように相手の神経を逆撫でするような真似は向いていない。俺はこの男と正面から向き合いたくなった。道は他にもあったのだと示してやりたくなった。
「心配?誰が何を心配――」
「人は異なる道を進み、ぶつかることもある。俺達が敵対関係になったのは一つの運命と言っても良いだろう」
「そんなことはどうだっていい、誰が――」
「お前は確かに悪役を演じられているぞ、オーファロー。だが相手を不快にさせるのであれば、もう少し相手への理解を深めて――」
「ッ!黙れっ!」
オーファローの攻撃が激化する。おかしい、奴と素直に向き合おうとしただけなのだが、激昂させてしまったようだ。
何故か脳裏に不条理に怒ってきた『蒼』の顔が浮かぶ。さてはいつものようにやらかしてしまったのか。それを理解できるようになっただけ、成長しているつもりなのだが……長い年月を一人で過ごすだけでは身につく技術ではないか。
さて、過程はどうであれオーファローは本気になった。どれほど攻撃を激化してきたところで、こちらの立ち回りは変わらない。視線に入らないように立ち回りつつ、死角からの攻撃を狙う。
「っ!さっきから、ちょこまかと……っ!」
「悪役が言いそうな台詞だな。流石、板についているじゃないか」
「――ッ!」
目に見えて殺意が増してくる。安直に褒めるのは逆効果らしい。死角に隠れているはずなのに、届く熱量も上昇している。力を抑えきれなくなっているようだ。
放たれる光線の規模も乱雑に上昇し、周囲の地形が瞬く間に穴だらけになっていく。もしもここに他の仲間達がいたと思うとゾッとする。
「フゥッ、フゥッ、フゥッ!……何をやっているんだ、僕は。こんな奴相手にムキになって、取り乱して……っ!」
ひとしきり力を振るい続け冷静さを取り戻したのか、オーファローは頭を抑えながら攻撃の手を休める。
合間に攻撃を何度か当て続けたが、単純な肉体強化は流石魔族といったところか。かすり傷は負わせられたが、既に再生済みで決定打には程遠い。だがそんな攻撃だからこそ届くものがある。
再度死角から放った鎖の薙ぎ払いが、オーファローの頭部を揺らす。与えたダメージは相変わらず微々たるものだが、鎖が溶かされる速度がこれまでよりもいくらか遅い。冷静になろうとして、自らの熱を抑えてしまっていたのだろう。
「どうした。炎陽に陰りが見えるぞ」
「――っ」
オーファローの瞳から覗いていた感情の揺らぎが消えた。出会った時のような何を考えているのか分からない表情とは少し違う。
怒りは人から冷静さを奪い興奮させるが、度を過ぎた怒りはその興奮すら奪い取る。不要な感情が薄れたことで、俺という格下を相手に抱いていた拘りを捨てた顔だ。
「なりふり構わず、僕に力を使わせたいようだね」
「……」
「気づいていないと思ってたのかい?君の狙いなんて最初から読めている。よほど完全覚醒で得た力に自信があるようだね。いや、本当に圧倒的な力ならばもうとっくに使っているはず。それをしないのは、君の新しい力はかなり局所的なものなのだろう」
熱風が吹く。オーファローの周囲の熱量が狂い始め、大気がもがき苦しんでいる。皮膚や目が乾き、肺の中が炎で炙られていくかのよう。
世界が赤に染まる。奴の意識の中にある独自世界へと引きずり込まれたようだ。ここまでは予定通り。あとはこの力を使い、奴の炎陽を耐えさえすれば……!
「いいさ、その挑戦を受けてあげるよ!だけどあの時と同じだとは思わないことだ!今度は最後まで焼き尽くす!灰も残さず、君という存在を全ての世界から消滅させてあげよう!」
「ああ、挑ませてもらおう。あの時と違うのは俺も同じだからな!」
主人公「あいつ自然体の方が人の地雷踏むの上手いんだよな」