さしあたって雨。
「さあ朝だ!」
扉が勢い良く開かれる音で目覚める。
何事だ、いや言うまでもなくイリアスが部屋に入って来ているのはわかる。
眠たい眼を擦りながら起き上がり、声の方向を向く。はっきりしてきた視界に映るのはやはりイリアスその人だ。
いつもならばこちらよりも遅めに起きて眠そうな顔をしているはずの彼女だが、どういったわけか本日は元気いっぱいの模様。ついでに寝巻き姿でもなく全身鎧装備で準備万端だ。
「なんだ、まだ空が明るくなって間もない時間じゃないか。これと言った用事もないと思うが……」
「今日から私は君の護衛の任をするのだ。護衛対象の一日をしっかり把握するためにも、起床からその様子を確認せねばと思ったまでだ」
いつになく自信ありげなイリアス。修学旅行初日の高校生を彷彿とさせるテンションを感じる。
「護衛対象の行動を理解する姿勢は立派だが、いきなり起床時間をずらす奴があるか」
「……あ」
あ、じゃないですよ。とは言え今から二度寝を決め込めばいつもの時間に起きるのも難しい。
「仕方がない。半端に目も冴えてしまったし、寝直すのもなんだしな。たまには早起きするとしよう」
体の調子を確かめながらゆっくりと起床する。この世界の言語を理解するために使用されているマーヤさんの憑依術、その影響で筋肉痛が遅れてやってくると言う副作用が発覚して以来、こうやって軽いストレッチをしながら体調を確かめるのが日課だ。
「……」
「……」
入念に柔軟をしている間もイリアスがこちらを見ている。様子を確認すると言っていたのは分かるのだが、そろそろ察してもらえないでしょうか。
「着替えたいのだが」
「構わんぞ」
「出てけ!」
その後朝食を済ませ、お茶で一服する。居間にいるのはラクラを除いた三名。ラクラは新しい布団のせいか健やかに眠っている最中だ。
一息ついたところでイリアスが目を爛々と輝かせて見つめている。
「さて、今日は一日家で勉強するか」
「はい、ししょー」
「待て、何故出かけない」
「窓の外を見てみろよ」
窓の外はやや暗い。さらに言えばしとしとと雨の降り注ぐ音が耳に心地よい。こんな日に理由もなく外出したいとは思わない。
「何が問題なのだ?」
「濡れたくないんだよ。だから今日は家でゆったり過ごす」
「ウルフェもぬれたくないです」
「君は陛下に雇われているのだろう。雨くらいで休むとは何事だ!」
「マリトからは空いてる日に来るように言われているだけだ。多少なりの賃金は貰っているが、歩合制だからいつ休んでも良いんだよ」
ちなみに話の内容が良ければ小遣い程度、政策などに活かせる場合には相応のアイディア料を貰える形となっている。食事が出るのはありがたいが、別段毎日通いたい程ではない。
「今日君が陛下に話した内容が政策に組み込まれれば、民達の生活は一日早く改善されるんだぞ」
「それで雨の中出かけて、風邪を三日引けば二日改善が遅れるんだよ。マリトにも普通の仕事はある。強引に仕事を増やしたら負担が増えるのはマリトだぞ」
「むぅ……しかし護衛初日目がずっと家の中と言うのは……」
「そう肩肘を張ってくれるな。これから毎日その調子で護られたらお互い疲れるだけだぞ」
「それはそうだが……」
それでも納得する気配のないイリアス。普段鍛錬と警邏ばかりの騎士生活、その変化に心躍る気持ちは分からないでもない。
だが一肌脱いでやるかどうかは別の話。これも人生なんだよと諦めさせた方が良いまである。
「ししょー、ウルフェはおしろいきたいです」
「この雨じゃ今日は鍛錬も――そうだな。マリトもたまには連れてきても良いと言っていたし行くとするか」
「はいっ!」
「そういうわけだ、行くぞイリアス」
「あ、ああ!」
ウルフェがわざわざ空気を読んで、イリアスのために外に出ようと言っているのだ。二人分の意思を無視するわけにもいかないだろうさ。
無難に生きたがる人間とは民主主義の結果には弱いのです、はい。
支度を済ませ、いざ出発と言うタイミングでラクラが起床してきた。
「ふわぁ、おはようございます皆さ――」
「よし、総員走れ!」
「ちょっと待ってくださいっ!?」
そんなわけでマリトの執務室へ到着。ゆったり来たせいもありマリトは丁度手が空いたところであった。
「それで今日は大勢で来てくれたわけだね。ユグラ教のラクラまで来るのは予想外だったけども」
「すまん、縛っていこうとしたら抵抗された」
「私だけ除け者にしないでくださいっ! それにしても立派な執務室ですね。ユグラ教の大司教達の執務室はどこも狭くて質素なんですよー」
「ああ、それは話に聞いている。今の法王、エウパロ法王が質素を好んでおり、他の者達もその影響を受けているそうだな。この部屋は歴代の王が使っている場所、多少広く感じるがわざわざ狭く改築する必要はないだろう」
「それでも六人もいれば手狭だけどな」
「それは仕方ないよね、あと五人だよね?」
見えない手が肩をポンポンと叩いてくる。そういえば暗部君のことは伏せねばならないのだった。イリアスまでなら許容範囲かもしれないがラクラには伏せておきたい模様。わざとらしく周囲を見渡す。
「ああ、そういえばいつもいるラグドー卿はいないのか」
「いつもいたのは君が来ていた期間が特別な時期だったからだよ。普段は忙しくあちこち回っているね」
「……マリト陛下は尚書様に対して随分と口調が砕けてますね」
「数少ない友人だからな。公式の場でもない限りはこういう接し方を意識している」
それは構わないのだがちょくちょく口調を切り替えられると聞いている方としてはややこしいんですがね。ラクラに関してはそのうち打ち解けそうな気がしないでもない。
ただだらだらと雑談していても仕方がない。本日やってきた理由はイリアスに普段の生活を見せるためだ。マリトに地球文化の話を振ることにしよう。
「雨で思いだしたが、この世界では天気予報を行わないのか?」
「天気の予報と言うことは事前に天気を読み、それを伝えまわるということかな。そちらの世界ではそんなことをしているのかい? 天気なんて世界の気まぐれだろうに」
「天気を変えることはできないが、雲の動きから八割前後の的中率を持っている。それを様々な方法で知り、人々は天気に備えている形だな。他にも気温の変化なども予測している」
「ふむふむ。雨雲を見ればその後の雨を警戒することはできても、その日一日の天気を予測することはできないものだと思っていたけど、そちらではできるんだね。確かに当日の天気の流れが分かるなら、前もって準備をすることもできる。便利と言えば便利なのか」
「人工衛星――そうだな無人の櫓を雲の上に設置して、雲の流れを絵にして地上で観測し、先の天気を読んでいるといった方法だな」
「過程の技術は良く分からないけど、空から雲の動きを常に監視できるなら天気もある程度予測はできるだろうね」
ユグラ教の秘儀で音声通信ができる程度だ。ファックスのような技術もあるにはあるが普及はまだ先だろう。
しかしマーヤさんの憑依術等を考慮するに、魔法を使った代わりの手法などもできなくはないのかもしれない。何せリアルタイムでの完全翻訳可能なシステムだ、これは地球の世界でもまだ完成していない。
「尚書様の世界では色々なことが可能なんですね」
「一番の要因は魔法が存在しないことだな。一応完全否定はされていないが証明されていないレベルだ。それだけに人々はその状態での文明を発達させている」
「魔法がない世界かぁ、不便そうだねぇ」
「その不便をどうにか改善した結果、色々できるようになったわけだがな」
この世界における欠点、それは魔法と言う超常現象が存在しておきながらそれを各国が積極的に研究していないと言う点だ。
戦争や医学の発展により文明は進化してきた。だがそこには魔法が絡むおかげで精密な研究が進まず、魔封石という存在によりその発展にブレーキが掛けられているのだ。
戦争頻度も低く他国への競争心も大人しい。これでは文明の発達が緩やかなのも不思議ではない。
ユグラ教が魔法を特異な手法として利用しているのは、将来に再び魔王が現れるかもしれないという意識が役立っているのだろう。
「そうだ、今日はせっかく来客が三名も増えているのだ。それぞれ異世界の文明で聞いてみたいことがあれば質問してみると良い」
なるほど、こういったプチサプライズでもこんな使い道はあるのか。もしかすれば予想外の方向からの質問があるかもしれない。
イリアス、ウルフェ、ラクラを見る。最初に挙手したのはラクラだ。
「『犬の骨』では尚書様が嗜好品である塩を用いた料理を定着させていましたよね。そちらの世界では料理の文化はどういった感じなのでしょうか?」
「そうだな、大きな違いの一つだな。地球では既に一日二日もあれば世界中のどこにでも飛び回ることができる。食材も同様に手に入れようと思えば手に入る物が多い。それ故に各国の風習と異国の文化が加わり独自の変化を遂げている」
「ふむふむ、チキュウとは案外狭いのでしょうか」
「この世界の広さをしらないが、故郷である日本は六十番目前後の広さの国だ。それでもターイズ領土より何倍も広いからな?」
「六十番目っ!?」
「二百を超える国、人口は七十億を超えている」
「そんなに巨大なのに一日二日で……」
「地球の世界で説明するとだな……数百人が乗れて空を飛ぶ船が日夜飛び交っている。もちろん普通の船でも二千人以上乗せられる大型な物もある」
「めちゃくちゃな規模ですねっ!?」
いや、人は時速二十キロ出すわ、馬は軒並み競馬レベルだわでこっちの世界の移動技術もおかしいレベルなんだよな。時代背景で揃えたらこの世界の方が圧倒的に先進国なのは言うまでもない。
「そんなわけで食文化については常時他国の食材を利用でき、共に発展に力を入れているだけあってその進歩は早いって感じだな。次の質問はあるか?」
「はいっ!」
「ウルフェか、なんだ?」
「ウルフェのむらみたいなところはあるんですか?」
なかなかシビアな質問が飛んできた。だが確かにウルフェにとっては気になるところではあるだろう。
「まずチキュウの特徴として亜人はいない。ただ地域によって日差しの強い弱いで寒暖差が大きい。その影響により肌の色が白かったり黒かったりとその差はこの世界よりまばらだ。昔は肌の色での差別は酷かった」
「いまはどうなんですか?」
「公では平等だ。だが過去の風習が完全に消え去ったと言うわけではない。是正に向けて目下奮闘している」
「すごいです」
「ああ、凄いもんだ。ちなみに文明の発達の程度で言えばウルフェの村と同じような村が存在する地域もある。そういった部族達は自分達の文化を守りながら上手くやっている」
「ししょーのうまれたところはどうなんですか?」
「出身は日本という国だ。人口が一億そこらだが田舎もあれば都会もある。人種的な差別はないが男女差別、年齢差別、役職差別等は適度にあるといったとこだな。国王制ではなく民からの代表者を投票で決め、その者達が日々議会を開いて国の行く末を相談している」
「その辺は実感できないんだよねぇ」
王様ですものね、貴方。人口もまだまだ伸び途中だ、余裕を持たせられる者は少ないだろう。
「国民全員が六歳から九年間の義務教育、その後は自己選択で三年間の学習、その上には四年、さらに数年といって学問を取得する機会が多いからな。ある程度の才能があれば努力と運で一定の地位を目指せるようになっている」
「家業に縛られたりはしないんだね」
「そういう面もあるにはあるが、親が子供の人生を決めたりする傾向は減ってきているな。もう少し込み入った話に関してはもう少しウルフェがこの国の知識が身についた時にでもしよう。比較できる物があれば理解も早まるからな」
「はいっ!」
とは言えあまり地球の世界の常識に毒されると言うのは避けたいところではある。この国のシステムに一々違和感を抱えていては生きていく上でストレスになりかねない。
「最後は私か、ふむ……君の世界の兵力はどうなのだ?」
「単刀直入に言うがお前みたいな化物はいないからな。技量だけで言えば近しい者はいるかもしれないが、魔力での強化と言う手段がない以上、身体能力には限りがある」
「確かに魔力強化なしとなると辛いものはありそうだ。ではターイズと君の国が戦うことになれば、やはり我々が圧倒することになるのか」
「基本戦争なんて好んで行わない時代だから相当特殊な仮定となるが……地球が本気になれば三日もあればマリトが全面降伏するだろう」
「なっ!? だが君の話では君らの軍では私達騎士団に手も足も出ないのではないのか?」
「そうだな、だがやりようはある。イリアスレベルにもなればそれでも辛いが、普通の騎士達なら十分殲滅は可能だ。お前一人で勝ち続けても戦争じゃ勝てないだろう?」
イリアスは戦車の砲撃にも耐えるかもしれないが他の面々が同じゴリラというわけではない。銃火器も有効だろうし都市戦にも対応は難しい。
だったらイリアスは放置してさっさと飽和攻撃を行い決着をつければいい。
「それは……」
「そのまま村や本国を戦場に押し上げてしまえば後はマリトの心が折れるか民がいなくなるかの競争だ」
「民を割合で削られていったら流石にどうしようもないね」
「だが日本は平和主義者だ。自国を護るための武力以外は持たないようにしている。他の国になればもっと容赦はないがな」
日本人が他国への侵略を許すかと言えば今の段階では難しい。ファンタジー世界ともなれば世論の声も厳しいでしょうしね。
「もしも君の世界と我々の世界が行き来できるようになれば、それはそれで大変なことになるだろうね」
「希望的観測には過ぎないが地球の世界は戦争を好まない傾向にある。初手で地球への大虐殺を仕掛けたりしなければ温和に済むだろうさ。幸いなことにマーヤさんの憑依術があれば意思疎通はこんな感じで容易にできるわけだからな」
「なるほど、意思疎通ができればターイズと黒狼族の関係のように立ち回ることはできると言うことだね」
国王の前ともあってそういう言い方は避けていたのだが、その通りだ。互いに蛮族でない上に意思疎通が取れれば自制は難しくないだろう。
文化による摩擦は生まれるが地球の世界はそれらを経験してきた歴史がある。ならば問題はないだろうと言うのが客観的な意見だ。
ただ橋渡しがどの国になるかで事情は変わる。日本ならば温和に進むが他の国はどうなることやら……。
「まとめるなら個の強さはこの世界が水準的に上。総合的な戦力としては地球の方が上と言う感じだな」
「やや納得はできないが……君が言うならそうなのだろうな」
「そりゃあこちとら一般人だ。それでも成果を出しているとなれば専門家の能力の高さが理解できるだろう。地球の世界には犯罪の項目ごとに専門家がいるような世界だからな」
「それは……確かに」
「せっかくだし聞いておこうか、君はどの辺の人間なのかな?」
「街に住む一般人だ。多少は頭を使う程度のな」
「うへぇ、人外魔境だなぁ」
「それはこっちの台詞なんだがな」
個の生存能力では比べる土台にすら立てやしない。戦争になれば勝てるだろうが漏れなく全員が精神的トラウマを植え付けられるだろうよ。
「物騒な話はこの辺にして、いくつか掘り下げて行こう。天気の話で出た櫓から絵を転送するといった仕組みには多少興味が湧いていてね。君にできる範囲で詳しく解説ができないかな?」
「マリトが納得できる範囲になると二進法から説明した方が良いか。一とゼロの組み合わせから始まって――」
そんな感じでより細かい話を始める。この辺になると図を利用した解説も始まり、聡明なマリト以外話についてくるのは難しい。静かに話を聞くことに専念してもらう。
なおラクラは眠り出したので外に放り出した。
画像を数値に変換、それを電気信号にて受け取り手側に送り、それを再度画像として出力すると言った仕組みを理解させ、その電気信号の仕組みとはなんぞやと言ったところまで話は進み一段落した頃には良い時刻になっていた。
事前にプレゼンする資料を用意していれば数時間程捗ったのだが、都度に質問が増えるため用意を万全にすることは難しい。
帰り道、雨は羽織っている合羽の存在意義を問いたくなる程度に勢いを失っていた。
「結局国で一番安全な場所で時間を潰すだけになったわけだが、イリアスとしてはどうだった?」
「そういわれると確かに護衛と言うよりは観察に近かったな……だが有意義な話が聞けたと思う。陛下が君を雇いたがる理由も分かった」
「マリトが言った通りこの世界と地球の世界での行き来が自由になれば、すぐにでも御役御免になるんだがな」
専門家を呼んで話を聞けるならばもはや異世界の一般人など王様に気に入られる要素などない。ましてや今のように騎士様に護衛されることもなくなるのだろう。
そう思えばこの世界の発達する想像も少しばかり遠慮願いたいと思うのであった。
「だが君は今この時、この場で役立っている。そこは変わらない。未来にそうなったとしても陛下は君への感謝を忘れないはずだ」
「……そうだな」
「んーっ! 良く眠れましたっ! 尚書様のお話は安眠できる力があるのですねっ!」
「こいつはもう城に連れていかねぇ、と言うより教会の仕事も与えられない状態で完全無職じゃねーか」
「そうなんですよねぇ……法王様がいらっしゃってくだされば一緒にメジスに帰って魔物狩りに戻れるのですが……もう路銀が足りないんですよぉっ!」
ラクラは戦闘においては優秀らしい。司祭にいるのもその実績があってのこと。その他が酷いのだからその実力は相当なものと見てよいだろう。
だがターイズには魔物の被害はほとんどない。あっても村に常駐している騎士で処理が間に合っている。
事務に関してはこの国の最高責任者から教会を追い出される程度の腕前だ。何らかの才能があれば何かしらの斡旋もできなくはないと思うのだが……。
戦闘技能を活かして騎士達との訓練相手になってもらうか?だがそれで給料が出るのかといえば難しい。戦闘顧問と呼べるほどに優秀なのかと言われると謎だ。
ユグラ教の技を教える講師としては……流石に不用意な技の流出は控えるべきだろう。
やはりここはラクラのポンコツの理由をきっちり理解してその上で可能な仕事を見つけてやるしかないだろう。
「ラクラにできる仕事を考える仕事をするか……得にならないな」
「尚書様、別に養ってくださっても良いのですよ?」
「……売り飛ばすか」
「本気の目っ!?」