ゆえに備える。
「ここにいたか、メリーア」
「ヨクス団長……。ええ、少しでも何か手伝えることがあればと思いまして」
メジス魔界に近い村では集まってくる人と離れていく人で、人々の動きがとても激しい状況です。
黒の魔王が蘇り、再び侵攻してくる。その情報は大陸中に恐ろしい早さで広まり、多くの人達が迅速に備え始めました。それができた理由の一つはユグラ教にあるのでしょう。
メジスにとって最も因縁の深い魔王はメジス魔界を生み出した紫の魔王さんですが、ユグラ教の教えで最も恐れるべきと伝えられていたのは黒の魔王です。
緋の魔王との戦いで魔王軍の強さや恐ろしさを理解した人達は、それを超える脅威がくるのであればと行動しています。
戦える者は戦う準備を、戦えない者は戦火に巻き込まれないよう避難の準備を、以前よりもスムーズに整っている様子を見て少しばかり複雑な気分です。
「全戦力を魔界へと向けるわけだ。討ち損ねた魔物がこういった村に流れ着く恐れは十分にある。前回もいくつかの村を捨てることになったわけだからな」
「民の皆さんは大変ですよね……」
「大変なことには違いないが、悪いことばかりではない。他の大国も一丸となって今回の戦いに臨んでくれているからな」
最悪の事態を想定し、法王様は他の大国に避難民の受け入れの許可を取り付けました。現段階ではセレンデ、クアマ、トリンの戦地と隣接しない国の人々が現在避難してくる人達を受け入れる準備を進めてくださっています。
それぞれの戦線が突破されても、即座に民の皆さんが危険に晒されることはない。その重圧がないだけでも、戦う身としては随分と楽になります。
「こうして全ての大国が協力しあうなんて、夢みたいですよね」
「そうだな……。正直な話、私はこの剣で隣国の兵を斬ることになるかもしれないと鍛錬を積んでいた。その覚悟をすることが、聖騎士の団長としての使命とさえ思っていた」
聖騎士の鍛錬の中には対人訓練も存在します。誰を仮想敵とするのかと尋ねられたら、私はならず者や悪人だと濁していたかもしれません。ですが、心のどこかではヨクス団長と同じような覚悟を持とうとしていた自覚はあります。
「思っていたということは、もう違うのですか?」
「ああ。今は根幹にあった想い。この国と民を守りたい。それだけの思いを純粋に貫き通せる自信がある」
「凄いですね」
「凄いものか。ここまでの状況にならなければ吹っ切れないほど、頭が固い人間なだけだ。レイシアさんにそのことで何年も弄られた挙げ句、直ってないほどのな」
「あ、あはは……」
お姉ちゃんはヨクス団長の先輩だ。お姉ちゃんが生きていた頃、悪魔との戦いの話はしてくれなかったけど、仲間の話はよくしてくれていた。頭は固いけど才能はある。きっと将来聖騎士団を率いる立場になれるだろうと、楽しそうに話していたのを覚えている。
「そうだった。ここに来たのはお前を呼ぶためだ。お前に客人だ。向こうの屯所に待たせているから、急いで向かえ」
「え、あ、はい!了解しました!」
元気よく返事をして駆け出したのは良いけれど、そもそも誰が来ているのかを尋ねれば良かったと反省。誰だろうか、ひょっとしてエクドイクさ――
「あ、メリーアさん!こっちこっち!」
「お、お義母様!?」
サルフさん繋がりではありましたが、そこにいたのはナトラさん。エクドイクさんのお母様でした。服装を見るに、配給の手伝いに来ている様子です。
「聖騎士の人達がいたから、ひょっとしたらって思ったけど。会えて良かったわ!」
「お義母様こそどうしてここに……」
「息子も娘も戦いに行くっていうのに、大人しく避難なんてしていられないわよ。あ、あと私のことをお義母様って呼ぶ可愛い娘候補もいるわけだしね?」
「けふん」
私もそこまでワザとらしくするつもりはなかったのですが、最初に会った時にすぐに私がエクドイクさんを好きなことがバレまして、『あの子色々鈍そうだし、もっとアピールしないと!そうだわ!私のことはお義母さんって呼んでいいのよ!』といった流れでこうなってしまったのです。まあありかなと思って受け入れている私も大概ではあるのですが。
「それでメリーアさん。エクドイクかラクラに連絡……伝言とかはできないのかしら?」
「ええと……あの二人は今『蒼』さん達と一緒にいると思うのですけど……」
エクドイクさんは敵の魔族に備えて遊撃を行う立場にあり、現在移動手段や配置などの準備を進めていると聞かされています。
ただ具体的な情報は万が一にも敵側に漏れると危険だからということでこちらに流れてくることはありません。そのことを説明しました。
「あの二人もすっかり重要人物なのね。子供の出世は嬉しいけど、危険な仕事となると複雑よね……」
本当は私もあの人と一緒の場所で戦いたかった。だけど私には実力がない。きっと無理についていっても足を引っ張るだけだ。だから今私にできるのはあの人と同じ戦いの中でできる役目を務めることだけ。
「お義母様。もしかしたら団長のところに連絡がくる時にエクドイクさんが連絡をしてくるかもしれません。その場合に私が居合わせることができたら、どうにか伝えてみます」
「うーん……そこまで無理しなくても良いのよ?どうせ月並みな言葉だし」
「それでも、伝わることに意味はありますから」
「――そうね!それじゃあお願いしちゃおうかしら」
お義母様は私に伝言を預けると、すぐに配給の手伝いの方へと戻っていきました。お義母様も私と同じで、大切な人が頑張っているからこそ自分も頑張りたいと思っているのでしょう。
エクドイクさんは今何を思ってこの戦いに臨んでいるのでしょうか。……きっと同胞さんに影響された想いなのでしょう。これほど大きな戦いであっても、勝ち取りたいものはささやかなもの。無難に生きられる、そんな日常を。
◇
「メジスの方も見てきたが、軍の配置、魔界近くの村の拠点化、共に順調のようだ」
各国の軍備の状況を確認してきたベラードが報告をする。この戦いの肝は魔族の出現にいかに迅速に対応できるかどうかだ。
これはその対策の一つ。ベラードのような直感的に戦うタイプの悪魔にそれぞれの国の様子を観察してもらい、所感を求めてみる試みだ。
「ベラード。お前に戦況を覆せる力があるとして、どう介入する?」
「悪魔の狩り方は知っているだろう。下級の兵に意識を向けさせ、優位を感じさせた瞬間に掻き取る。狙うとすれば後方の弓矢か、魔法の援護射撃の部隊からだが……視野が広い魔界に軍を展開する以上、空からの接近も難しい。魔物の中に隠れながら接近し、敵の戦力の中心に打撃を与える……とかだろうか」
「そうだな。魔物の軍勢の中に潜めば発見は難しい。となるとやはり上空で飛行での移動を警戒しつつ、瓦解してほしくない場所を重点的に巡回していくのが無難か……」
碧の魔王が言うには、黒の魔王は軍の指揮を取るようなことはしないらしい。魔族達を鼓舞し、十全の力で蹂躙ができるように采配するだけだと。
ならば俺達が考えなければいけないのはその魔族達の心情だが……流石に会ったことも聞いたこともないような相手の心を読み解くなど同胞にだって難しいだろう。
「それと頼まれていたメリーアの様子だが、聖騎士としての仕事に専念している様子だったな。お前の母親と何か話をしていたようだが、すぐに別れた」
「戦地の近くの村にお母さんが?」
「ナトラさんのことだから、息子のあんたと娘のラクラが戦うんだから私も何かしなくちゃって感じで来ちゃったんだと思うわよ」
「あー、そうなのかもしれませんね」
ラクラと『蒼』は小さくため息を吐いている。母さんに無理をしてほしくないという気持ちは理解できるが、逆の立場も同じだ。止めようと思って止められるものではないだろう。
「ラクラ、心配ならお前は母さんの傍にいたらどうだ?魔族の遊撃隊にはお前は組み込まれていない。戦えなくとも一緒に逃げるくらいはできるだろう?」
「そうしたいのは山々なのですが、実はマリト王に呼ばれていまして……ウルフェちゃんと一緒に行動する予定なんですぅ……」
「む、そうなのか……。ならば仕方ないな」
魔族に対する遊撃の面子にはラクラとウルフェは含まれていない。この二人が万全ならばこれ以上にないほどに力強かったのだが、彼女達はセレンデで十分過ぎる働きをした。
本来ならば避難をしている一般人達と同じように、戦地から離れてほしいところではあるのだが……この戦いの先にあるユグラの思惑を知っている以上は強く言うことはできない。
「メジス側の遊撃隊は私とエクドイク。デュヴレオリに聖騎士団団長のヨクス、マーヤ大司教だったわよね。私達でささっと魔族を倒せばナトラさんに危険が及ぶ心配もないでしょ。メリーアにもね」
「なぜそこでメリーアの名前が出る」
「ベラードに様子を見に行かせておいて、良く言うわね」
「どたばたしたままで、連絡も済ませていなかったからな。どこで戦っているかくらいは把握しておきたかっただけだ」
同胞がいなくなった以上、同胞を監視するというメリーアの仕事はなくなってしまった。加えてメジスは少しでも人手が欲しい状況。メリーアはすぐにメジスに帰国することになっていた。
魔物が相手ならばメリーアも戦うことになるだろう。そうなれば魔族と接敵する可能性も高くなる。警戒する場所の一つとして、メリーアが配備される場所を控えておきたかったのだ。
「あの子も聖騎士なんだから、そこまで過保護にしなくても良いじゃない?」
「できることはしておきたいだけだ。そうでなければレイシアに合わせる顔がない」
メリーアが未熟だとは思っていない。だがもしも助けられる状況があるのであれば助けたい。その要素を増やせるのであれば、できる限り増やしたい。たとえ余計なお節介と思われようとも、それが俺にできるレイシアへの償いなのだ。
「ああ……そっちね」
「そっちとは?」
「もういいわ。でも結構戦力投入しているわよね、こっち。他の魔界は大丈夫なの?」
「ターイズ魔界はそもそも碧の魔王とニールリャテスがいるからな。一応戦況の確認を取る名目でミクスとラグドー卿、あとグラドナを送るそうだ」
「『碧』の方はそうよね。そもそもアイツ一人いれば余裕でしょうし。でもガーネ魔界側の遊撃にはイリアスとハークドック、それとギリスタでしょ?イリアスの強さは分かるけど、他二人は大丈夫なの?ていうかハークドックって負傷完全に治ってないわよね?」
ギリスタとは緋の魔王の一件以来になる。同胞は合間に連絡を取っていたようで、ミクスに連絡をつける手段を教えていたらしい。
「ハークドックは戦闘要員ではなく、その探知魔法の精度を見込まれて補佐としての参加だ。ギリスタも死なないように立ち振る舞うことに長けている。機転の利かせ方だけなら俺よりも上だ。それにもう一人、援軍がくる手はずになっている」
「援軍?」
「アークリアル=アイシア。リティアル陣営の最強の男だ」