ゆえに笑う。
ガーネ城にある会談用の部屋。緋の魔王の侵攻の際に利用されたこの部屋で、また再び新たな脅威に対する各国の話し合いが行われることとなった。
揃った者達の顔ぶれは前とは少し異なる。トリンの代表がオデュッセだけではなく国王のタルマ=トリンが、セレンデの代表にもワシェクトではなく新たな国王となったヌーフサが姿を見せている。
ガーネ国を除いた他国の様子も多少の変化があり、以前は多くの護衛がいたマリトとエウパロ法王だったが、今回の護衛は五人程度に収まっている。警戒する必要がないということで形だけの警護になったのだろう。個人的には記録係しか連れてきていないゼノッタの胆力の強さに感心している。
もっとも同胞が座っていた席にいるのが碧の魔王であり、その横にいるのが俺だということが一番目を引くであろう変化なのだが。
「状況については既に連絡した通りだ。黒の魔王がいるセレンデ魔界では、魔物達が集結し侵攻の準備が着々と進められている。金の魔王の分析によると早ければ三週間、遅くても一ヶ月以内には侵攻が始まるとのことだ」
金の魔王の『統治』の力によって、既にセレンデ魔界にいる魔物の数や規模は把握されている。緋の魔王の時より数が多く、個体としての強さも高い。しかし戦局的に考えれば、以前の戦いよりも易しい状況となっている。
「ターイズ王、侵攻ルートについて見当は付いているのか?」
「それについては俺が語ろう」
その理由がこの男、碧の魔王の存在だ。魔王個人の強さを抜きにしても、ターイズ魔界の魔物の強さは桁違いに強い。数こそ他の魔界に劣るものの、巨大なドラゴンの軍勢はそれだけでこちら側の全戦力にも匹敵するだろう。
「碧の魔王……ターイズ王と瓜二つの魔王かぁ。こうして血筋を感じると魔王達が過去に生きた先人達なのだと実感できるな」
「そこの男、クアマの王だったか。くだらぬ感傷に浸るのは、その髭が白く染まってからにしろ」
「ぐ、最近白髪が増えてるの気にしてるのに……」
「……俺を前にしてその軽口、放胆な態度は認めてやる。話を続けるぞ」
貫禄を感じる王が並ぶこの場で、一人空気の柔らかいゼノッタ王。碧の魔王がどのように感じるか少しばかり気にはなっていたが、どうやら好印象のようだ。砕けた態度で交流している同胞やマリトと同じで、この男も多少変わった人物を好ましく思うのだろうか。
「『黒』に軍略という概念は存在しない。奴は持てる力を使い、正面から全てを叩き潰そうとする。それが人ではなく、世界を滅ぼす魔王としての在り方だと固執している。此度の侵攻も愚直に全方面に対して行ってくるだろう」
「全方面というと、そのまま北上してくるわけか。ターイズ魔界、ガーネ魔界、メジス魔界の三つの魔界を経由して、それぞれの国に仕掛けていく形だな」
「そうだ。ターイズ魔界については俺の魔物で対処する。お前達はそれぞれの兵力を分散しガーネ魔界、メジス魔界にてその侵攻を食い止めろ。省みる民も土地もない環境ならば、兵も自由に動かせるだろう」
荒野となっている他の魔界とは違い、ターイズ魔界は巨大な植物に覆われた魔界だ。人間の兵士達では陣形を組むことすら難しい。
それにターイズ魔界とターイズの間には魔喰が存在する黒魔王殺しの山もある。人間の軍を突破する以上に過酷なルートになるだろう。
「魔物だけでは討ち漏らす恐れもあるだろう」
「俺に言わずとも、貴様ならその先に兵を割くくらい勝手にやるだろう、ターイズ王」
「勿論だ。それで、他の魔王の軍勢はどう動かすつもりだ?」
「『蒼』も『紫』も共に『緋』の軍相手にほとんどの魔物を失っている。寝ずの番や各部隊への伝令として運搬する形になるだろう。個々が持っている戦力については、『黒』の魔族への対応に回す」
以前緋の魔王が使った『闘争』の力で強化された魔物の軍勢から、犠牲者を最小限にするために囮として消費された魔物達の補充は間に合っていない。デュヴレオリやバトラー・アーミー、ダルアゲスティアなどのユニーククラスの運用はできるが、そちらは黒の魔王の切り札対策に回さなければならない。戦場としては人間と魔物の戦いとなるだろう。
「魔族か……。それほどまでに脅威なのだな」
「そこにいる『金』がいれば、敵軍の数や動きを常に把握できる。優位性はこちら側に大きく傾いている。だがそれを覆せるのが奴の魔族共だ。放置すればそこから全てが覆されよう」
「現状でできることは、飛行手段を用いてそれぞれ魔族の現れた場所に精鋭を送り込むといったことくらいだろうか」
「軍をぶつけたところで無駄な犠牲が出るだけだからな。飛竜を数体貸してやる。どこにでも移動できるように配備しておけ」
三つの魔界で黒の魔王の軍勢を迎え撃つ。金の魔王の情報収集能力を活かし優位を保ちながら、危険因子とされる魔族を処理する。これで大まかな方針は決まった。
「――変わるものだな」
「ずっと静かだと思っておったが、急にどうしたのじゃトリン王」
「かつての歴史、魔王達の侵攻で我々祖先達は為す術もなく、蹂躙され、奪われた。トリンはそんな過去の恐怖の爪痕を心に刻まれた者達の国だ。それがこうして、勝つ術を見出した戦いに加わることになった。思うところもあるというもの」
「確かにあの時と比べれば、変わったの」
「……当時、魔王は畏怖の対象でしかなかった。だが今、お前達は俺達魔王に人間性を見出している。それだけの差だ」
「それだけのために数百年も費やすことになるとはな」
「人は万別、数も揃えば愚鈍にもなる。変われたことを誇れ」
その後の話し合いは淡々と進み、ガーネ魔界にはガーネとクアマの兵が、メジス魔界にはメジスとセレンデの兵が配備され、ターイズやトリンの兵はそれぞれの戦場に臨機応変に加わる形となった。
話が進んだところでエウパロ法王が挙手をし、碧の魔王へと質問を投げかけた。
「一つ確認させてもらっても良いかな、碧の魔王よ」
「ユグラ教の長か。何だ」
「この度の侵攻には復活したユグラが関わっていると聞いている。彼もまた敵になると思うか?」
ユグラ教が主体となっているメジスとしては、ユグラが敵に回る状況は複雑な問題となってくる。かつて自分達を導いた勇者が敵となるのであれば、兵達に伝える言葉や内容も考える必要が出てくるのだろう。
「基本的にはない」
「基本的には……?」
「ユグラは『黒』の復讐の段取りを整える手伝いはするだろう。だがこの侵攻に戦力として加わることはない」
「どうしてそう言い切れる?」
「アレが本気で人間の敵になるつもりならば、既に全ての国は焦土と化している」
「……それほどか」
「それほどだ。今我々がこうして準備をしていられるのは、ユグラの介入が場を整えるだけに済ませている証拠にもなる」
そもそも歴史ごとこの世界を消そうとしているような男だ。ユグラだけは全てにおいて規模が違う。
確かに今回の一件はユグラが介入したことによって黒の魔王が復活している。だがそれは、同胞がユグラからこの世界を守るために行った時間稼ぎなのだ。
「――彼は、上手くやると思うかね?」
「知るか。だがユグラ相手にこの状況を生み出しただけで快挙よ。俺が動くに足るこの状況を生み出したのだからな」
「……確かに、数百年前とはまるで違うな」
「我々にできることはあの男に存分に期待をすることくらいだ。なに、非力ではあるがユグラと同じ星の民だ。可能性だけならいくらでもある。可能性だけだがな」
同胞は今もセレンデ魔界で黒の魔王と共にいる。この戦いの先を見据え、この世界を救う方法を懸命に見つけようとしている。
ならば俺はその前提を整えよう。同胞が次の一手を打てるよう、今ある盤面を望んだ形へと動かすのだ。
◇
「やることなくなったんだが、何か面白い話題とかないか?」
「……」
この体はあまりにも脆弱。一日に一度は眠らなければ意識を正常に保つことすらできない。だからと仮眠を取れば、この空間でこの男とこうして対話しなければならない状況となる。
「アンタが起きている間も思考はできる。思考しかできないと言うべきか。おかげですっかり暇でさ。アンタだって淡々と命令するだけだと暇じゃないか?」
「最初にあれだけの別れ言葉を告げておいて、随分な態度だな」
「言ってからしまったと思ったさ。冷静に考えてこれから何度も顔合わせるのに、アレはなかったわ。いやー、恥ずかしかった」
「……私から話すことは何もない」
ヒビだらけの鏡の中にいる男は少しだけ残念そうな顔を作る。だが油断はできない。この男は凡人ながらも考えに考え、考え尽くしながら万事を成す。執念と熱を持った人物だ。
こうして何もできない状況だからこそ、思考しかできない状況だからこそ、その考えている内容には何かがあると考えていた方が良い。
「そりゃそうか。過去の思い出なんざ全部憎しみで塗り潰されてるし、溜まりに溜まってる憎しみを吐き出す場所はここじゃないもんな」
「……」
「アンタの見ている光景、俺もある程度は共有できているっぽいんだけどさ。あの三人の魔族、ザハッヴァとラザリカタ、オーファローだっけか。あいつらを送り込むつもりなのか?」
「それがどうした」
「あの三人にお前の憎しみを伝えることができるのかなって」
私に向けられたものでなくとも、この男の眼は不気味に感じる。相手の狂気すら許容し、受け入れ、理解しようとするこの眼をなんと表現すべきなのか。
「私が与えた力だ。ならばその中身がなんであれ、私の力として使うことになんら問題はない」
「乗り越えたのは彼女達自身だろうに」
「……貴様は覚醒の何たるかを理解しているのか」
「三人の共通点とか考えればなんとなくな」
ザハッヴァやラザリカタはまだ分かりやすい。気配や喋り方、態度などにその傾向が見られないわけではない。だがオーファローにいたってはほとんど口を開いておらず、態度にも見せていない。それでもこの男の口ぶりはハッタリではなく、経験則を元に語っているかのようなものだ。
「――貴様の世界にはあの三人のような者も普通にいるのだな」
「どの世界にもいるさ。ただそれが淘汰されてしまう世の中かどうかの違いじゃないかな」
「……そうだな」
テドラルが苦い顔をしていた理由、ユグラが嗤っていた理由、それはあの三人は人間の頃から心に闇を持っており、異常な者として蔑まれていた者達だからだ。
村を襲撃され、私や仲間達が復讐に囚われてしまっていた時も、あの三人は変わらなかった。その異質さを崩すことなく、変わらぬ自己を持ち続けている。
「多くの魔族が時の流れによって狂っていく中、あの三人だけ覚醒できたのは自分だけの芯があったからだ。元々が狂っているとみなされ、周りの環境に変えられることなく、変えてもらえることもなく、孤独だったからこそ今まで自我を保っていられた。ユグラが嗤っていたのはそこだ。元々壊れてなきゃ、完成できないなんて、酷い仕組みだからな」
私と共に人間への復讐を誓った者達。覚醒のことを知り、成ってみせると約束した者達。彼らはまともだった。だが彼らは変えられてしまった者達だ。
私に導かれてしまった者、私と一緒に堕とされてしまった者、その理由は何であれ変わることができてしまった者達なのだ。
ならば時の流れが彼らを変えてしまうことも十分にあり得た。その芯を失えば、人として長き時に心が耐えきれなくなる。
「嗤いたくば嗤え。どのように無様であろうと、どのように醜悪であろうと、私はこの復讐を遂げる」
「嗤うつもりはないさ。むしろ期待できるわけじゃないか」
「期待だと?」
「あの三人の魔族は最初から曲がっていたが、それ以上曲がらなかった。だからこそ今の今まで変わらず、覚醒もした。それはそれですごいことなんだよ」
「それであの三人に何を期待するつもりだ?」
「ああ、違う違う。期待しているのはアンタさ。黒の魔王。アンタは元々まともだった。変えられてしまった人間だ。ならアンタ自身は再び変わる可能性があるってことだ」
眼からは何も読み取れない。力が使えれば迷わずにこの男の心の中を暴きたいところだが、それも叶わない。
「変わることはない。私はこの世界が滅ぶべきだと悟った。その思いは不変、揺らぐことなど決してない」
「そうか?自覚していないようだけど、今のアンタはいつも以上にお喋りになっているぞ?」
「――ッ」
何を思うまでもなく、鏡に拳を叩きつけた。体が貧弱だからなのか、夢の世界の鏡だからなのか、元々のヒビが多少広がった程度で姿鏡はその場に在り続けている。
その鏡の中で、男は少しだけ楽しそうに笑って消えていった。
あいつある意味一番安全な位置で好き放題してないかな。