ゆえに揺り動かされる。
「んなっ!?」
「――なるほど。それなら邪魔も入らないし、形にもなる……か。良いね、採用しよう」
「ユグラもなにすんなり受け入れてんだよ!?」
そりゃあ黒姉は元々この男の体を奪うために、この男を異世界から呼び出したんだ。ユグラの協力がありゃ、黒姉の意識をこの男の体に復活させることくらいはできるだろうよ。
だからといって、この男には魔力がまるでない。辛うじてあるのは言語問題を解決するための憑依術の維持魔力と、黒姉の残留思念の魔力程度だ。
それこそ目を瞑って適当な人間を連れてきた方がマシな体だ。碧王はおろか、金娘にだって負けちまうぞ!?
「別に『黒』自身が暴れなくても、彼女の意思で動く力があれば十分でしょ。セレンデ魔界にはまだその力が残っているわけだし?」
「いや、奴らは……」
セレンデ魔界には黒姉が魔族にしたかつての仲間達がいる。黒姉が封印された頃に大多数がユグラに殺されちまったが、生き残った奴らは黒姉の復活に備えて力を蓄えている。
確かに連中も黒姉と同じ時代の当事者。言い方によっちゃあユグラによって今の世界に連れてこられた立場にある。黒姉が人間達との決着をつけるのであれば、連中を使うのは黒姉にとって選択肢として受け入れられるものだ。だが連中はもう……。
「心配する必要はないさ、テドラル。彼らの状況は既に把握している。『黒』にとっては不満の出る形かもしれないけど、全てが万全といかないのが世の常だ。何より人間達に与えるハンデとしては丁度いい。中身は残念になっても、その力は健在なんだ」
「そりゃそうだが……」
「それよりも心配すべきなのは君だ。同郷の君。『黒』に肉体の支配権を明け渡した時、君の意思は彼女の意識に呑み込まれることになる。魔法が使えない体とは言え、彼女の憎悪と向き合うことになる。常人の君に耐えられるかどうか怪しいと思うのだけれどね?」
「それくらいは覚悟の上だ。どうせそこまで長い戦いにはならないだろう」
ユグラは少しだけ考える素振りを見せた。この男が何かを企んでいると気付きながらも、それを読もうとはしてねぇ。それはつまり、既にユグラにとってこの男とのゲームが始まっていることを示している。
心を読まないことは慢心とは言えない。ユグラにとってこの男の策略は何の危険性もねぇんだ。
リティアルの観察力やハークドックの危機察知能力。それらをユグラはより高い次元に昇華して持ち合わせている。視覚で得た情報を本能的に分析、結末を直感で認識し、完璧に対応することができる。いちいち相手の心を読まなくても、致命的な選択ミスに繋がるような行動には勝手に制限が掛かるわけだ。
何か危険性を感じれば、その時はこの男の必勝の策に嵌る流れということ。その時に初めて心を読めばそれだけで逆転できちまう。
だから今は純粋なプレイヤーとして、この勝負を楽しんでいるってわけだ。そしてこの状況はユグラを脅かす要素は何一つないことの証明にもなっている。
「でも良いのかな?僕なら君から『黒』を引き剥がし、日本に送り返すことだってできる。ただの転移者ならそこまでしてあげる義理はないけど、『黒』が関わっている以上は無償でやってあげても良いと思っている」
「その申し出は嬉しいけどな。『俺』も少なからずこの世界で縁を持っているんだ。できるだけの恩は返しておきたい」
「――そう。それじゃあ早速準備を始めよう」
ユグラが虚空を叩くと周囲に無数の機材が出現する。ユグラはその中から目当ての道具を探し出し、それぞれを接続していく。
「魔法的な感じでやるんじゃないのか?」
「高度な計算は暗算よりスパコンでした方が良いだろう?魔法だって理に基づいた構築で成り立っているんだ。補える箇所は道具で補ったほうが安全だし事故もないのさ」
「なるほど。それもそうか」
「より効率性を重視するのなら、大規模な施設でも造れば良いんだろうけどね。大陸に造れば文明が余計に進んじゃうし、こういった即席空間じゃ大容量の物質を置くのは不安定になりかねない。ところで準備にもう少し時間が掛かるけど、何か聞いておきたいこととかあるかな?」
ユグラは脇目も振らずに作業を続けているが、喋る余裕はあるようだ。こっちの方もユグラの作業風景自体には何も感じないのか、落ち着いた表情で観察をしてやがる。
この辺に転がっている道具の一つ一つが、魔法の文明を百年単位で進ませるやべーものだって分かってるんかね?分かってそうだし、分かってなさそうだ。
「聞いておきたいことか……。あ、伝承に残されていた緋の魔王についてなんだが」
「僕に僅差で敗北したって件かな?僕にとって『黒』以外の魔王は軒並み雑魚だったけど、多少は苦戦したとか伝えておかないと脅威度が下がるだろう?勇者の指標と比べて魔王の強さを想像させるくらいのサービスはしないとね」
「印象操作とかしてるのな」
「ユグラ教を設立する時も結構苦労したんだよ。次元魔法とかで未来の地球の情報とか調べてさ。色々な宗教の良さそうなところとかまとめるとかね」
「通貨の単位も随分と分かりやすくしてたよな」
「そこはほら、同じ星から来るような人がいた時に、順応しやすいようにね?」
同郷だからなのか、初めて会ったばかりのはずの二人は随分と親しげに話している。険悪な感じになられるよかマシだが、気苦労していた自分がちょっとばかり虚しい。
「もう少し塩の供給を増やしておいてくれたら、食文化も発達したと思うんだけどな」
「それは僕も思ったんだけどね。ほら、この世界の連中って海に興味が持てないように創られているからね。効率化が上手くいかなかったのさ。僕が生活していた地域は海に近かったから、自分で造ったほうが早かったしね」
「多少なりは市場に流れていたんだ。食文化の発展の可能性はあったと思うんだがな」
「かもね。そこはほら、僕は第一次世界大戦付近の人間だ。そこまで贅沢には興味がなかったのさ。日本も凄いよね、あの後更に大きな戦争が起きて負けたくせに、あれだけ発展してるんだもん」
「こっちとしちゃ、百年後の日本人と普通に話せるお前の方が凄いんだけどな」
ユグラは椅子のような物を設置し、座るように指示する。普通の椅子でも躊躇するような状況下で、変な管やらが飛び出しているようなモノに座れと言われたら嫌な顔の一つもするだろうに。この男は表情一つ変えないまま、深々と腰掛けた。
「せっかく同郷の人に会えたのに、これくらいしか話す機会がないというのも寂しいものだね」
「長話になっても文句しか出てこないぞ」
「ははっ、それはゴメンね。それじゃあこれを被って眼を閉じてね」
ユグラから兜のような物を渡された奴は、それを被り、楽な姿勢のまま全てをユグラに委ねた。ユグラは少しだけため息を吐き、装置へと魔力を流し始めた。
「なぁユグラ。こいつに一体何をするんだ?」
「彼の中にあるのは『黒』の残留思念だ。本来ならば彼の感情の揺らぎを利用し侵食を進め、自身の魔力を増幅、意思を形成するだけのリソースを得てから、肉体の所有権を奪う方法を行使していたんだろう。今からやるのはその手助けとその先を擬似的に完遂させる行為かな。具体的に言えば魂への干渉と次元魔法を応用して擬似的なシャーマニズムな――」
「凡人に分かりやすく説明できるように頼む」
「ターイズ辺りにいる分身体を通して、彼の仲間達に説明したいんだね?彼の中にある『黒』の魔力を元に、あの山にある彼女の意思を憑依させる。そんなところだよ」
「おおう……バレてたのな」
冷や汗が流れる。ユグラがこの場所に来てから行使した力は、そこの男の心と記憶を読み取る能力だけのはずだった。もしも俺を探る様子を感じ取ったら、即座に分身体を解除するつもりだったんだが……。
魔法の技術についちゃ自信もあったんだが、そもそも教わったこいつ相手じゃ児戯も等しいのか。こいつがいない間もせっせと努力はしてきたはずなんだがな……。
「魔法じゃないさ。さっき彼から読みとった記憶と、君個人の性格を考慮して至った推論だよ。僕個人としては止めないけど、もうすぐ『黒』がこっちにくる。人間相手の内通者と思われる前に解除しておくことを勧めるよ」
「そ、それもそうだな……。連中には後日説明するとするか……」
「なるべく早めが良いね。君もまた『黒』の駒になるわけなんだし」
「……そうだな」
黒姉が復活すれば、当然俺は黒姉の味方だ。黒姉が人間を滅ぼすのなら一緒に手を汚すのは当然。まして黒姉は最弱の人間の体で復活するわけだ。俺は黒姉にとっての切り札にだってなるかもしれねぇ。
ユグラのこの言い分からして、この体に刻まれた監視者としての呪いも解かれちまうんだろう。まあ、そのへんに関しちゃ非常にありがたいことこの上ねぇんだがな。
そんなことを考えていると、ユグラが魔力の供給を止め、奴に被せていた兜のような装置を取り外した。
「はい、終わり」
「え、もう?」
「魂そのものを持ってくるわけじゃないんだ。向こうの山にある意識をこっちの体に映し出している感じかな。テレビ中継みたいなもの――って伝わる?」
「あー。あの箱越しに映像を届ける奴な」
ユグラの星の未来の文化はある程度は知っている。俺はテレビよりか映画館とかいう施設の映像を映し出すやり方のほうが好きだったりする。あっちの方が楽に大規模にできるしな。
恐る恐る奴の顔を覗き込む。眠っているようにも見えるが、もう既に中身は黒姉になっているらしい。あの最強と謳われた黒の魔王に、だ。
「怖がらなくても良いさ。体の支配権は『黒』にあるけど、肉体そのものは彼のままだからね。いきなり襲われても僕らじゃどう足掻いても負けないよ」
「どう足掻いても負けねぇって……初めて聞くな――っ!」
一瞬視線をユグラの方へ移し、戻した瞬間に背筋が凍った。奴の目は開かれており、その瞳は真っ直ぐと俺達の方へと向けられている。
憎悪と憤怒に塗り潰された漆黒の闇。これまで見てきたあの男の目つきとは違う。あの時俺が止めることができず、見送ることしかできなかった黒姉の目つきそのものだ。
奴はこちらを見つめたまま、ゆっくりと体を起こす。視線は俺達――いや、ユグラの方へと向けられており――
「――ナリヤァッ!」
問答無用でユグラの顔面にその拳を叩きつけた。速度は下の下、俺でも拳が命中するまでの間に十回は回避できる凡人の拳だったが、ユグラはそれを回避しなかった。
それどころか一切の魔力強化を行わず、むしろ肉体を弱体化させた状態で受け止めやがった。
「ははっ、久しぶりだね『黒』。元気なのは良いけど、その体で無茶をしたらすぐに壊れちゃうよ?」
「貴様は、貴様はっ!一体どの面を下げて――っ!」
「す、すとーっぷ!すとっぷだぜ黒姉!そいつは殴られても喜ぶだけの変態なんだから!」
続けて殴りかかろうとする黒姉を背後から羽交い締めにして拘束する。非力過ぎるおかげで苦はねぇが、男の体なんで微塵も嬉しさは感じねぇ。
ユグラは鼻血を垂らしながら、微笑ましく黒姉を見つめている。本当に殴られて喜んでやがるな、こいつ!?
「離せテドラルッ!」
「冷静になれって!そんな体じゃ何もできねぇだろ!落ち着いて話し合おうぜ黒姉!」
「私は至って冷静だ!それでも話し合う前にこいつの目玉の一つでも抉らねば気が済まん!」
「それを冷静って言わねぇのよ!?」
既に黒姉の右手は皮膚が裂け、骨まで見えている。このまま気の済むまでやらせてたら、体が出血死してもおかしくねぇ。一体どうやって鎮めたものか――
「しょうがないなぁ」
「っ!?」
ユグラが自分の顔に手を当てたかと思った瞬間。そこから生じた生々しい音と飛び散った鮮血が俺と黒姉の動きを止めた。
ユグラはそのまま手に掴んだ何かを俺達の足元へと放り捨てる。ころころと転がる球体。それが奴の眼球だと気付いた時には全身に鳥肌が立つのを感じた。
「借り物の体なんだから、無茶をしたらダメだよ?」
気づけば拘束を解いていた。黒姉は飛び掛かることはなかったが、ユグラの顔を睨んだままだ。俺はというと、ユグラの顔を直視することができなかった。今奴は魔力強化すら切っている。痛覚は通常の人間同様に存在している状態のはずだ。一体どんな神経をしてりゃ、自分の目玉を抉りだしながら笑えるってんだ?
「――これは一体何の真似だ」
「色々と事情が変わってね。とりあえずは『黒』、君の復讐を止めないことにした」
「ならばなぜこの男の体なのだ。貴様なら魔喰を消滅させる方法くらい用意してあるだろう」
「全盛期の君を解き放ったら、裏切られた腹いせに僕に嫌がらせをするだろう?僕は僕でやりたいことがあるんだから、その邪魔はされたくないんだ。それとその姿で睨まれるのはちょっとアレかな」
ユグラが指を鳴らすと地面に転がっていた目玉が破裂し、発生した靄が黒姉を包み込む。
霧は徐々に収束していき、仮初の肉体へと変化する。その変化が終わった時、さっきまであの男が立っていた場所には、かつて見た黒姉の姿がそのままの形でそこにあった。
「おおぉ……」
思わず妙な声が出ちまった。魔法で再現された肉体ではあるが、中身は間違いなく黒姉本人だ。魔力的な威圧感はなくとも、本人特有のオーラはヒシヒシと伝わってくる。
多少形は異なるとしても、俺がまた見たいと、会いたいと思っていた黒姉だ。感傷的にもなっちまう。
「私から力を奪ったままで、復讐しろとほざくのか」
「力なら残っているだろう?セレンデ魔界……君の創り出した魔界にはまだ君の同胞が残っている。君の『全能』の力により、より高みへと至った覚醒者達がね」
「……」
「ははっ、『その程度で』とかは言わないんだね。君からすれば覚醒者だろうとも微力な存在でしかないのに。まあ言えるはずもないよね。彼らは君が生み出した存在、君の憤怒の顕れ。君の慟哭に突き動かされた君の手足だ」
黒姉は人間を憎みきっちゃいるが、仲間意識がないわけじゃねぇ。仲間想いだからこそ、ここまで憎しみに染まっちまったわけだからな。
自分一人の憎しみをぶつけるだけの怪物なら、きっと俺も割り切ることができていた。だけど黒姉は皆の憎しみを背負って先導する存在なんだ。
「お、俺も一応いるぜ、黒姉」
「生きているのか、皆は」
「(あ、スルーされた)」
「君を止める時に殺した連中以外は殺していないよ。その後にどうなったかは知らないけどね」
よく言うぜ。ユグラはセレンデ魔界の現状を知っている。確かに魔物の数はそれなりにあるし、人間界を侵攻するだけの力はある。それこそ緋獣の軍勢よりも遥かに格上だし、碧王を敵に回しても勝てる可能性が高い。だがアレを黒姉の手足と言うのかよ。あの成れ果てを……!
「……良いだろう。セレンデ魔界、か。結局その名にしたのだな」
「ネーミングセンスはあまりないからね。君の提案通り、宝石の名前からもらったよ」
「ナリヤ。貴様を許すことは未来永劫ないが、邪魔をしないというのであればこれ以上言うこともない。――テドラル!」
「は、はひ!」
「セレンデ魔界に向かうぞ。皆を集め、狼煙を上げる」
「お、おう!」
久しぶりに名前を呼ばれたことの嬉しさと、何年経っても冷めない黒姉の怒り熱意を感じる哀しさ。だが少なくとも今、俺の心は数百年ぶりに激しく揺り動かされている。
あの『地球人』がこの先、何を見据えてこの展開にしたのかは知らねぇ。多少なりとも協力してやるつもりはあるんだが、それはあくまでユグラを止めるためのものだ。悪いが俺も黒姉の手足として、動かせてもらうぜ。
お姉ちゃんっ子なテドラル。彼が黒の魔王と同じ立場で人間を恨んでいないのは、姉さえ生き返ってくれたらそれで良かったからだったりもする。