さしあたって一段落。
「……そうですか、ヘイド達は失敗したのですか」
「ああ、そうだ。暗殺を指示するだけならまだしも、時間と場所を指定して奴らの逃げ道を塞いだのが仇になったな」
「言われた任務をこなせない者が無能なだけですよ」
水晶から響く声にさしたる動揺の様子はない。むしろ今の状況を楽しんでいるようにさえ聞こえる。
すぐ傍でラクラが何か言おうとするのをラグドー卿が諌める。
マリトと目配せをして頷く。さて、会話の始まりだ。
「それで、わざわざ通信を待っていたようですが、何か御用で?」
「そうだな。せっかくだから話をしておきたいと思っていた。時間に余裕があるなら付き合ってもらえると嬉しいがな」
「ええ構いませんとも。私としても貴方と話ができる機会ができたのは僥倖です」
「その癖に殺そうとしてたのか」
「頭を持ち帰るように言っていましたので。死んでいても情報は引き出せます」
趣味の悪い話だ。どこぞのホラー系神話の脳味噌缶にでもされるのだろうか。
「聞きたいことがあるのなら、そっちから話しても構わないぞ」
「おや、良いのですか。こちらにも色々聞きたいことはあるのでしょう?」
「優先して聞いておきたいのは名前くらいか、偽名でも良いから名乗ってもらえないと名前を呼べないからな」
「ふむ、ではラーハイトと名乗っておきましょう」
視線をラクラに向けてみるも、ラクラは首を横に振る。知り合いではないようだ。
「そうか、今後ともよろしく頼むぞラーハイト」
「ええこちらこそ。しかし本当に質問はしないのですか?」
「何を聞けば良いんだ。お前がウッカ大司教に取り入り、ラクラの背後にメジスの暗部を仕込ませたことか?」
「いえいえ、こうして私と対話の席を設けている時点でその辺はお察しでしょう。例えば――私の正体とか?」
「魔王の犬以外にあるのか?」
「……」
水晶の先の相手の言葉が止まる。周囲の沈黙も重くなる。
「……そのような考えに至った経緯をお聞きしたいものですね」
「簡単だ、お前が察した通りこの本を解読した」
ラクラが驚きの顔を繰り返す。そういえば騙したままだった。今でなければ非常に楽しめる顔なのだが、ここはグッと我慢しよう。
「それはそれは……いかなる内容でしたか?」
「とぼけるなよ。内容を知っているから解読ができると宣言した男を殺すように手配したんだろうが」
「いえいえ、ハッタリかも知れませんからね」
「関係がバレたら不味いのか。魔王に魔族にでもしてもらうつもりだったのか?」
「なにを――」
「言葉に力が入っているぞ。余裕を見せろよ黒幕」
今ラーハイトは間違いなく苛立ちを覚えている。それは水晶越しにも伝わってくる。
「怒らせるのが目的と言うわけでもないから合わせてやる。本の内容だがこれはこの世界に現れた魔王、その四番目である『蒼の魔王』のことを記した手記だ。厳密には『蒼の魔王』を生み出した後の観察記録と言った方が良いか」
そう、この本の内容は書かれていた表題、サンプル4号『蒼魔王』調査記録から読み取れる通りのものだった。
「大まかに説明すれば元々人間だった者を蘇生魔法で蘇らせ、魔王にした人物がその後の魔王と接触した記録だ。しかもご丁寧に四体目と書いてやがる。少なくとも四人の魔王は全て同一人物の干渉によって生まれた存在ってわけだ」
まず書かれていたのは魔王となる前の人生についてだ。どのように生まれ、どのように生きて、どのように死んだのか。
そしてその人物の能力や素質についての分析データが書き込まれている。
魔王を生み出した者は最初から該当者を魔王にするつもりでその素質や能力を調べていた。そしてその死にすら関わっていたのだ。
「さらに言えばその後魔王として生まれ変わった者達への支援も行っている。ここに書かれていた死霊術は蘇生魔法の構築を大幅に簡略化し、魂を引き出すことだけに特化させた簡易版だ。『蒼の魔王』はアンデッドを司る不死の王とも呼ばれていたそうだな」
その人物は魔王達に自分の知識を与え、世界と衝突させた。そして最悪の歴史が生み出されたというわけだ。
「与えた能力の中で共通項と言うものがあった。他の魔王にも同様に与えたものだ。一つは自身のテリトリーとなる魔界の生成方法、これにより魔物が生まれる土地が生み出された」
魔王は自身の魔力を大気中に伝播させ、土地を塗り替える。自分の陣地として確立させ、そこを魔界と呼び力を思う存分に発揮できるようになっていた。
その土地で発生する動植物はもれなく異形化し、人に害を成す生物を魔物と呼ぶ存在となる。
「そして二つ目、人間を魔族に変換する方法だ」
そう、魔族とは元は人間だが魔王の魔力によってその存在を塗り替えられた者を指していた。
これを魔王達に伝えたのは彼らが元々人間であったからだ。それ故に自身と親しい関係にあった者を巻き込む術を与えたのだろう。
魔界では人間は長く生きられない。生前からの仲間を引き込むには魔族へと変貌させる必要があるのだ。
「生憎この本は記録程度でな。死霊術に関する補足説明こそあったが他の手法などは書いてなかったぞ。まあ知っているよな」
「……どうやら読めているという話は本当のようですね。やはり貴方はチキュウ人なのですか」
「そうだ。そしてお前は違うようだな。残念だ」
「良く断言できますね」
「地球の発音が歪すぎだ。伝聞で知ったのが丸分かりだぞ」
「なるほど、それは仕方ありませんね」
「さて、魔王の犬と呼んだ理由も挙げて行こう。この本には魔王の生態についての記述が多々ある。その中には魔王にとって不都合な点もあった。弱点と言うよりかは欠点だな」
例えば魔王は自身の魔力の特異性故に、他者からの魔法の影響を受けにくい。回復魔法を受けることが難しい点などがある。
つまり深手を負えばその傷を治せるのは自身だけと言うことになる。
「本の中身を知っているだけならばまだ灰色なんだけどな。奪おうとした時点で真っ黒だ」
「そうですかね。奪還はユグラ教でも行っていると思われますが」
「法王にすら知らせていないくせによく言う」
「何故法王が知らないと言い切れるのですか?」
「『死んだ魔王は蘇生する』なんてことを知っていたらユグラ教はもっと違った形になっていて当然だろう」
「……やはりそこまで書かれていましたか」
そう、魔王は蘇生魔法を受けた人間。蘇る力を持つ存在なのだ。
ユグラ教では再び魔王が現れるかもしれないというスタンスを取っているが、確実に蘇るという確証を持っているようには見えなかった。
仮に誤魔化していたとしても、この本の内容を知っていればその事実が世界中に伝わる危険性もあるのだ。
法王がこの内容を知っていればウッカ大司教のような人選ミスをやらかす者に本を任せはしない。
「この事実を知られたくない存在は誰だ。言うまでもなく魔王だろう。じゃあそんな魔王様のために本を奪おうとしたお前は魔王の犬と呼ばれても不思議じゃないよな?」
「しかしまだ腑に落ちませんね。私が魔王に都合のいいように動いていたとして、繋がっている確証はないでしょう?」
「ドコラの腕を奪ったのはお前達だろう?」
「そこでその者の名前が出ますか」
「全ての発端はメジスの暗部であったドコラにある。何故国を裏切ってまで本を盗んだのか、それがお前らの存在を浮かび上がらせてくれたんだ」
「――聞きましょう」
「ドコラは蘇生魔法を初めとする禁忌を生み出したのが地球人だと知っていた。だがドコラは本を読めていなかった。読めていれば奴が使っていた死霊術はより高度な物へ昇華されていたはずだ」
賢い者が本に描かれていた図を見れば、ドコラと同じように死霊術を取得することも可能だ。だがそこに書かれている注釈などにはさらに高度な情報が書かれていた。
それこそアンデッドをより高位の存在として使役する方法だ。
「ではどうやってドコラはそのことを知ったのか。暗部としてお前らから聞き出したんだ」
暗部であるドコラが不穏な相手の探りを入れていた時、ラーハイト達と接触し情報を得た。
そしてドコラはその重要性を知り逃走。その際に交渉の武器となる本を盗み出したのだ。
「大方本について話していたところでも聞かれたんだろう。だからドコラは本を盗んで国を逃げた。ウッカ大司教を懐柔してのうのうと暗部に手を回せるお前の存在を知っていれば、メジスになんていられないからな。その後メジスはドコラを指名手配、ドコラとしては本を交渉材料にしたかったが文字が読めなかった。だから形だけ死霊術を覚え、山賊として生きていた」
信じて尽くしてきた国には魔王の影が侵食していた。武器となると判断し手に入れた本も手に負える品ではなかった。
ドコラにとって信用できる存在は最早支配できる相手だけだったのだろう。山賊の立場に身を落としての余生、そこに現れた地球人、だからドコラは死に際に本を託した。
この水晶の先にいる男の企みを暴いてくれるかもしれないと期待を持って。
「ドコラは暗部としては本当に優秀だったようだな。ユグラ教に潜んでいたお前の存在と関係に気付き、本を盗み出すことに成功した。その後悪党になったのは……少しだけ同情するがな」
「そうですね。アレは優秀でした。よもやこちらの正体に気付くとは思いませんでしたからね」
「だがそっちにとっては都合の良いことも起きた。ユグラ教に封印されていた本を外に出してくれたおかげでラーハイト、お前の目的の一つが達しやすくなったんだからな」
本の秘密を知られたくないだけならば回収して封印しなおせば良いだけのことだ。そうしなかったのはラーハイト自身も本を狙っていたからだろう。
ユグラ教に潜伏するも本に手を出すのは難しかった。だがそこをドコラがやってくれた。これは危険と同時にチャンスでもあったのだ。
「やはりチキュウ人は聡明な方が多いようですね」
「心にもないことを言うなよ。どうせ内心はペラペラ喋ってることを小ばかにしてるんだろ」
「おや、わかりましたか。情報と言うのは武器です。それを取得したことを自慢げに話すのは愚かとしか言えませんからね」
「賢く生きたいんじゃない。無難に生きたいんだ」
「それはどう違うのでしょうか?」
「賢く立ち回ればラーハイト、お前のような奴になれるんだろうよ。人を利用し、自分だけが高みに至れ、他を見下せる。だけどな、そんな生き方を目指す奴はごまんと見てきた。そんな反吐が出るような人生、こっちから願い下げだ」
「手厳しいですね。良心でも痛みますか?」
「そりゃあ痛む。『俺』は弱いからな。体だけじゃない、心も立場も、何もかもが弱い。だから高望みなんてしない。心身ともに平穏に生きれたらそれで十分なんだ。ただそれにはお前のような奴は邪魔なんでな」
水晶の奥から轟音と怒声が響く。それはラーハイトが起こした音ではない。
「――まさか」
「そのまさかだ。お前が何らかの方法でウッカ大司教とエウパロ法王の連携に介入しているのは予想していた。だから別の手段、マーヤ大司教から直接エウパロ法王に秘密裏に密告させてもらった。ついでに言えば『この非常時にそちらから悠長にターイズに連絡を飛ばしている奴が首謀者』だともな!」
壮絶な争いの音が水晶から実況される。そしてまもなくして水晶からの通信は途絶えた。
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部屋に飛び込んできたのはウッカ大司教。周囲には複数の司祭達が控えている。
「よくも私を謀ってくれたな鼠めが!」
「おやウッカ様、その様子では催眠は解除されたようですね」
試しに笑顔で暗示を掛け直す、効果はない。事前に精神干渉系への抵抗を上げる魔法を使用してきたか。流石に馬鹿でもそれくらいの対策はして当然と見ていい。
逃走経路は二つ。ウッカ達が固めている通路と窓。しかし窓には既に結界を張られている。破壊は可能だがその隙を突かれては意味がない。
正面突破が良いか、大司教ではあるがその実力は大司教最弱とまで言われた男だ。実戦になればこちらの方に優位はある。
「既に退路はない。大人しくしてもらおうか!」
「そうは言いますが手頃な道があるじゃないですか」
魔法を使用する。魔力の結晶を生み出し相手を貫く魔法。発生地点を点で設定し、そこを起点として水晶を隆起させる。ワンアクションで使え、威力も申し分ない魔法だ。
「そんなもの、当たると思うか!」
狭い箇所で突如発生した水晶をウッカは先読みで回避する。他の司祭達も同様に回避する。良い動きだ、だがそれは悪手だ。
即座に発生した水晶を解除、譲ってくれた道に飛び込む。
「ご丁寧にどうも、ではさようなら」
「甘いわ!」
突如全身に衝撃が圧し掛かる。視線を上に、なるほど天井には魔法陣が描かれている。
「重力魔法――自分の真上に仕掛けているとは」
自重の数百倍の圧力が体を襲う。咄嗟に防御魔法を張り、体へのダメージを抑えるも圧し掛かる重圧は解除できない。全身が地面に亀裂を生みながら沈んでいく。
「最弱の大司教と言われるわりにやりますね」
「私は確かに弱い。実力も実績も他の大司教に比べれば微々たるものだ」
ウッカの目つきは普段とは違う。これは――本物の目だ。
「――だがそれでも大司教だ」
ウッカが何かを投擲する。あれは――魔封石。不味い、あれが触れれば防御魔法が解除される。そうなればこの重力魔法を生身で受けることになる。
重力魔法は魔法陣を起点に高重力の魔力を生み出すもの。魔封石が魔法陣に近寄らねばその効果は失われない。
「終わりだな」
「そうでもないですよ」
天井から水晶が隆起する。この魔法は目線、または指先で点を指定できれば簡単に発動ができるのだ。隆起した水晶により天井が破壊、魔法陣もその構築を失う。
起き上がり、投擲された魔封石を受け止める。魔封石の構築破壊領域の影響を受けて天井の水晶が霧散する。
「いやはや、間一髪でしたね」
「いいや、終わりだと言った」
突如視界が揺らぐ、体の自由が奪われる。鼻腔を刺激する甘い香り、これは催眠香か。
周囲の司祭達はそれぞれが結界を張っている。こちらも早くこの石を投げ捨て、結界を展開しなければ。
手首のスナップだけで石を投擲する。これで催眠香への防御壁を展開できる。
「終わりだと言ったはずだ、三度も言わせるな馬鹿者」
自分を囲む結界が現れる。魔封石は結界に阻まれ、こちらへと跳ね返ってくる。
本来結界は基点を中心に発生させるもの。しかしウッカは自身を起点とし目の前にいる私の周囲にも立方体の結界を発生させている。
催眠香の匂いがさらに体の自由を奪い始める。結界を破壊して逃げなければ、だが魔法は傍にある魔封石のせいで――、
「なるほど……詰み、ですかね」
懐から小振りのナイフを取り出す。
「そんな物で破壊できると思うな」
「いえ、破壊できますよ。こうやってね」
ナイフを首にあてがい一呼吸入れる、覚悟はこれで十分。
「ではさようなら」
敗北を認め、勝者に笑顔を見せた後、腕を一気に横に滑らせた。
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その後、メジスからの連絡によるとラーハイトは逃亡不可と判断し自害。
第三者が回収する可能性を考慮し、遺体は厳重に封印されているとのこと。
追い詰めたのがウッカ大司教と言うのが驚きだったが、ラクラとしてはそうでもないとのこと。
聞けば実戦におけるラクラの師匠だったらしい。師匠にしてこの弟子ありということか。
才能は大司教の中でも低いが、それを努力と技術で補っているタイプ……あれ親密感湧くなぁ。
とはいえ計略などはお察しの通り。ついでに今回の責任を問われる立場となっている。
ウッカ大司教はラーハイトに催眠魔法を掛けられており、都合よく利用されていた。
ラーハイトがメジスの暗部を手中に収めたのも、ウッカ大司教の許可証が原因だ。
催眠状態とはいえ、大いにやらかしたウッカ大司教。だが被害を受けたターイズ側からはさしたる批難もなく、ラーハイトを追い詰めたことで汚名返上も果たした。
しばらくは他の大司教の監査を付けられるが、それ以上のお咎めはなしとのこと。
金策のプロフェッショナルである彼を大司教から下げてしまえば、ユグラ教の財政に多大な悪影響を受けるのは目に見えているために下手に罰せられないのだろう。
マリトは疑いの晴れたマーヤさんに本の秘密の九割を説明。それをエウパロ法王に報告させる。その結果エウパロ法王がメジスを発って現在ターイズに向かっている。
今回の件での直接の謝罪、そして本を最高責任者として返還してもらうためだ。
ラクラはその間待機命令が出る。メジスに戻れるのはエウパロ法王と同じ時だろう。
「これで一件落着か」
「いやいや、君の仮説が正しければメジスにラーハイトを送り込んだ魔王なりその縁者が存在しているんだろう?」
マリトの言葉に苦い顔になる。そうなんだよなぁ、結局奥の深い箇所の問題は解決していない。魔王復活の準備をしているのか、はては既に復活している魔王が暗躍しているのか。この世界の脅威はまだまだ残っている。
「その辺はマリトとエウパロ法王で上手く話し合ってくれよ。最後のアレのせいで非常にデリケートな問題になっているんだからさ」
「アレをエウパロ法王に伝えるのは君の役割にしたいんだけどねぇ」
そう、本の一番の問題が残っている。このことだけはまだマーヤさんやラクラ、そしてイリアスにも話していない。
エウパロ法王に話した後、他に伝えるかどうかを判断しようとマリトから言われていた。
それは同意見だ、この秘密はこの世界の歴史を覆す物になる。最悪闇に葬った方が良いとさえ思える。
「席には着くが国王のお前が言ってくれ。荷が重過ぎる」
「うへぇ、国王譲ってもいいからさぁ」
「さて、それじゃあ行くわ。世話になったな」
事後処理の話も済んだ。これでしばらくはここに来ることもないだろう。先の不安はあるとはいえ、しばらくは平穏な日々を送れそうだ。
「いや、明日からも来て貰うけど?」
「なんでさ」
「そりゃあ本の解読の依頼は終わったけど、異世界の話を聞かせてもらうのは終わってないだろう?」
「あれは本の解読のための建前じゃなかったのか」
「何を言っているんだい。実際に色々政策に取り込んでいただろう。当然契約は続行だよ」
「……わかった」
この世界で不便に感じる事は多い。地球で慣れ親しんだ文明を再現するためには財力も権力も必要になってくる。
マリトの下で働くというのは、それらの欲求を満たす最短の近道である。
「ただし、物騒な話は持ちかけてくるなよ!?」
「はっはっは、俺と君との仲だろう?」
「持ちかけてくるなよ!?」
その後向かうのはマーヤさんの所だ。世話になったというのに、マリトのせいで色々と距離を置いてしまったことを詫びなければならない。
教会を訪れるとウルフェに勉強を教えている最中だった。
「あ、ししょー!」
「おう、いつも熱心で凄いな」
「ウルフェちゃんはしっかり勉強しているわ。それに比べて坊やはちょくちょく陛下と悪巧みしているものね」
「今回はその件を謝りにきたんですから、あまり根に持たないでくださいよ」
「あのイリアスが私に話を誤魔化してきたのよ?親友の娘に悪い影響を与えて欲しくないものね」
「仰るとおりです……」
「まあいいわ。事情は理解できたし、坊やの立場なら謝りに来ただけ及第点よ。イリアスにも悪い影響ばかり与えているわけじゃないようだからね」
「いつも通りに見えましたけど、そうなんですか?」
「ええ、あの子最近芯がしっかりしてきてるわ。今まで父親の影ばかり追っていたけど良い変化だと思うわ」
「そんなものですかね……」
「で、も! イリアスは親友の娘。私としてはあの子の正しい成長を見守りたいの。その辺は理解してちょうだいね」
「肝に銘じておきますよ」
「よろしい。それじゃあちょっとお茶を淹れて来るわね」
マーヤさんは笑いながら奥へと姿を消した。後は……。
「隣、座るぞ」
「はい、どうぞ!」
ウルフェの隣に座る。ウルフェは黙々と文字の勉強をしている。既にこの世界の文字の上手さならこちらより上だろう。文武両道、礼儀正しい良い子に育っている。
「ウルフェ、そのままで良いから聞いてくれ」
「はい」
「まずはお前にも謝りたい、ごめんな」
「……ししょー、ウルフェになにかわるいことしましたか?」
「ああ、あの夜お前を囮に使ったことだ」
暗部達を戦闘に導くため、手頃に弱いウルフェを利用した。
『全力で戦え、負けても良い。お前が戦うことに意味がある。それを利用する』
ウルフェはその説明を聞いて、一切迷わずに了承していた。凄惨な過去を生きてきたこの子に、良き未来を与えようと決意したくせにこんなことに巻き込んでしまった。
「他に方法はあったはずだった。だけど考えられる案で一番効果的だと判断してお前を利用してしまった。これじゃ黒狼族と変わらないじゃないか」
「ししょーはちがう、だってししょーおこってた」
「怒ってたって……ああ、そうかもな」
ガゼンとは短い付き合いだったが、知った顔を殺されて色々昂ぶっていたのだろう。
だからこそそんな変化を看破したイリアスにも心配され、あそこまで踏み込まれた。ウルフェさえ、躊躇無く利用してしまっていた。
我ながらメンタルが弱すぎる、そのくせやる事が悪賢い。ろくな奴じゃないな、うん。
「ししょーはウルフェのためにおこってくれた、それがウルフェのいちばんのたからもの。ししょーがだれかのためにおこっているなら、ウルフェはいっしょにてつだいたい、です」
「……そうか」
意識せずウルフェの頭を撫でる。この子はとっくに立派になっていた。
少なくとも誰かさんのようにぐらぐらと感情が揺れるような弱さはない。
「でもししょーがあやまるのなら、ウルフェはゆるします」
いかん、ウルフェといると感情のぶれが酷い、涙が出そうだ。
「おう、ありがとうな。それと良くやった、暗部に勝てたのは凄いことだぞ」
「えへへっ!」
「そうだ、今度家で小さな植物でも育てようと思う、野菜も育てるつもりだ。ウルフェも一緒に育ててみないか?」
「はい、やってみます!」
「良い返事だ」
「でも、その……にがてなやさいは……」
「嫌いな物を育てれば愛着も湧いて好きになれるかもしれないぞ。まあ好きな物も育てればもっと好きになるかもしれないがな」
「じゃあ、りょうほうがんばりますっ!」
「その意気だ」
ガゼンが持っていた本と同じものを探してみよう。あいつはどんな野菜を育てるつもりだったのか分かるかもしれない。今度墓にでも供えてやろう。酒の方を寄越せと言われそうだけどな。