ゆえに提案する。
「うぐお……気持ち悪……」
視界に映るのは果てのない白い空間。無色の魔王の住んでいる空間へと到着したようだが、どうも前後の記憶があやふやだ。無色の魔王に湯倉成也に会ってほしいと言われ、そのことを了承したところまでは覚えているのだが……まるで二日酔いで記憶が飛んでしまった時のような感じだ。
「――仕様だ。悪く思わねぇでくれよな。俺の空間には並大抵の奴じゃ入れねぇからな。一応面倒な障壁とかはすり抜けさしたんだが、空間の特性的に一般人にゃきつかったか」
横にいた無色の魔王が指を鳴らすと、周囲の景色が一変する。世界に色や形が与えられ、そこはかつて見たことのある場所となった。
「……『俺』が昔仕事で借りてた事務所だな」
その内装は地球、日本で『俺』が個人で仕事をしていた頃に利用していた小さなオフィスと同じになっている。違いがあるとすれば、窓の外に景色がないということか。
「以前お前さんから読み取った記憶から構築した世界だ。電子機器?とかは使えねぇからな」
「……そうみたいだな」
試しに置かれていたパソコンの電源ボタンを押してみるも、反応はない。そもそもこの部屋を照らしているLEDも、妙な違和感がある。よくよく観察すれば、人の記憶をトレースして再現された空間なのだなということが分かる。
「少しでも頭が回るように、お前さんが慣れ親しんだ環境を用意してやったんだ。ほれ、こっちはそれなりに使えるはずだぜ?」
「――また懐かしいものがあるな」
投げられたのは以前吸っていた銘柄の煙草と百円ライター。味覚やらまで分析できるのであれば、この辺は再現可能なのだろう。
試しに一本火を付けてみると確かに煙草の味がするが、明らかに違和感がして気持ち悪くなった。
「再現は完璧なはずなんだがな?」
「久々に吸った煙草が美味く感じるのが気持ち悪い。煙草ってのは一年も吸わなきゃ味に慣れるところからやり直さなきゃならないんだよ」
「なんだか面倒くせぇ女みたいなことを言うんだな」
依存するものを選べる立場だったので、付き合いで始めた煙草にそこまで愛着はない。日常のストレスを緩和するのであれば、コーヒーや甘味など、周りに嫌がる人を作らないものの方が性に合っている。
一時期は煙草をルーティンに取り入れようとも思ったのだが、いざという時に切らすと悲惨なことになりかねないと止めたのもいい思い出だ。
「こんなことをしなくてもお前のような胡散臭い奴が傍にいれば、いつでも絶好調さ」
「そいつはなによりだ。さて、簡単な経緯を説明すっかね」
無色の魔王は来客用のソファーに腰を降ろし、何もない空間からポップコーンを取り出した。あれも地球産なのだから、魔力で造り出した紛い物なのだろう。ダイエット食としては便利なのかもしれない。
「湯倉成也が何をしようとしているか、だよな」
「最初から話した方が良いか。ちょっとばかり長い話になるが――」
◇
俺や黒姉は国を失った一族だった。当時はどこもかしこも戦争だらけで、そう珍しい話でもなかったけどな。
だがまあ生まれたときから絶望していたとか、そんなことはなかった。難民となった連中を保護し、互いに協力しあいながら共存しようと手を差し伸べる国もないわけじゃなかったからな。
当時は戦争に勝ったとしても、その奪った領土を維持することがとても難しかった。だから難民達を手懐けて、国境付近や辺境の土地の管理や護りを任せていたんだわ。
国は住む場所を、俺達はその場所でできる貢献を、格差はあったがそこまで酷ぇ差別があったわけでもない。
王族の血筋とか、滅んじまった国の未練を残すつもりはなかったんだろうが、黒姉や俺の家族はそのあてがわれた村の中じゃちょっとした顔役だった。
村中で問題が起きれば、親父や黒姉が率先して足を運んで相談を受け、解決をする。親父はもちろん、黒姉も皆から慕われていた。
俺? 当時の俺は陰気な奴だったからな。暇を見つけちゃフラフラと村の外で石とかを拾ってたな。そんな俺を見つけ出し、説教をしながら村に連れ戻すのも黒姉の仕事の一つだったってわけだ。
そんな繰り返されていた日常で、突然アイツは現れた。村の近くの森で行き倒れていたユグラを、黒姉と俺が見つけたんだ。
明らかに出身が異なると分かる服装や顔立ち。黒姉は異国のスパイか、亡命者かと思ってユグラを連れ帰った。目を覚ました奴は最初共通語すら喋れなかったんだが、ある日突然流暢に喋れるようになった。それが魔法によるものだと気付いた黒姉はユグラの才能を見抜いた。
ユグラは自分が異世界から来たことを話し、とりあえず気楽に生きるのが目標だとか抜かしていた。異世界の件は半信半疑だったが、奴が習得していく魔法の異常さを目の当たりにして信じるしかなかったな。
毒気がなさ過ぎるってんで、警戒されなくなったユグラは俺達と一緒に生活をすることになった。
手に入れた力を惜しむことなく手助けのために使い、見返りを求めないような奴だったからな。あいつは変人扱いされちゃいたが、すぐに村の連中にも受け入れられた。少なくともこの頃は、ユグラにとって望んだ生き方ができていた時期だった。
だが時代がそれを許しちゃくれなかった。隣国が力をつけ、こっちの国に攻め入ろうとした。いつかはそんなこともあるだろうと、俺達は覚悟をしていたんだがな……現実はもっとクソだった。
俺達を養っていた国は、国境付近にあった俺達の村を罠として利用した。俺達が必死になって用意していた護りにワザと穴を空けさせ、敵を誘い込んだ。無理やり不利な交戦状態にされた上に、村の外から一方的に火を放たれた。村を囲んで最後は敵味方の区別もなく虐殺だ。
ユグラの協力を受け、親父や黒姉が近隣の村や街にも影響力を持ち始めた村に対する国がとった行動がこれだ。その徹底っぷりはひでぇもんだったよ。ユグラも村の外に誘い出され、暗殺されかかってたしな。
多くの仲間が死んだ。親父もお袋も死んだ。黒姉も深手を負い、助かる見込みはないと誰もが絶望した。
だが駆けつけたユグラが蘇生魔法を使い、黒姉を魔王として蘇らせた。
その時は皆喜んでたさ。助からないはずの黒姉がピンピンとした姿で戻ってきたんだからな。名前がちょっと言えなくなった程度なんて、安い安いって。
でもこの世界の歴史を多少なりとも知っているなら、その後どうなったか分かるよな?
体は前以上に元気になったところで、黒姉はキレたまんまだった。自分達を裏切り、利用し、使い捨てにした国に怒り、復讐するための力を欲しちまった。
ユグラは黒姉に力を与えちまった。今まで隠れて編み出してきた様々な魔法の粋を、世界を滅ぼせるほどの力を。
ユグラだって俺達を裏切った国に対しては怒っていたわけだし、黒姉に復讐されて滅ぼうが、なんとも思っていなかったからな。その時は抵抗がなかったんだわ。
黒姉は生き残った村の仲間達を魔族にし、国を滅ぼした。その時世界はまだ魔王の登場を知らなかったわけだから、突然狙っていた国が滅んだようにしか認識していなかった。
連中は我先にと土地を奪いに侵略にきた。黒姉はそれを全て迎え撃とうとしたんだが……それをユグラが止めた。既に村は滅んじまった。今無理に戦う必要はないってな。
最初黒姉は渋っていたが、魔王となった本人と数十人の魔族だけの集団じゃ時間が掛かるってことくらいは理解できていたからな。大陸の端っこに移動して、魔界を創って魔物という兵士を生み出すことにしたわけだ。
復讐を終えたはずの黒姉の目から憎しみが消えていないことをユグラは危惧していた。黒姉の怒りは自分達を裏切った国だけではなく、クソッタレな争いを続けている世界、そこに住む人間全てに向けられていたからな。
散々説得を試みたが、黒姉を元に戻すことはできなかった。復讐する力を持っているのに、それを振るわない理由がなかったからな。
ユグラは黒姉から力を取り上げるため、黒姉を人間に戻す手段を探すことにした。だが理を超えて人間を魔王へと創り変える蘇生魔法はあまりにも強力だった。普通に蘇生魔法を解除するだけではラーハイトのように死体に戻るだけだ。
仲間を増やすという建前で新たな魔王を何人も生み出しながら研究を続けた。黒姉が全ての罪を背負わないように、世界の敵になりそうな奴を魔王にしていった。
その後の顛末は歴史でも語られている通りだ。抑えきれなくなった黒姉が人間を襲い、他の魔王もそれに便乗して世界が滅びかけた。
ユグラは研究を中断し、自らも魔王となって魔王達を一度根絶やしにした。
ただ黒姉は強くなり過ぎた。それこそ魔王となったユグラでも手を焼いたほどに。魔王となったラーハイトがやったように、自分の意思で復活を早めることもできた。
だからユグラは魔喰を使い、黒姉を封印した。蘇生魔法を解除する対価を支払わずに、黒姉を人間に戻す方法を見つけ出す時間を稼ぐために。
◇
「黒姉が全てを滅ぼしてしまえば、その先には何も残らねぇ。それで黒姉が元に戻ったとしても、もう進む未来がねぇからな。ユグラとしても苦肉の策だったわけだ」
無色の魔王は寂しそうに語る。湯倉成也と黒の魔王との関係に割り込むことができなかったからなのだろう。
自分の姉が復讐心に囚われ、世界を滅ぼそうとするのを止めることができなかった。全てを湯倉成也に任せるしかできなかった。今もこうして湯倉成也の手伝いをしているのは、少しでも黒の魔王を救う手助けになればと考えてのことなのだ。
「それで、合間にユグラ教を広めたり、ユグラの落とし子やらを創りだしたりして、他の魔王への対抗策を残しつつも研究を続けていたわけだ」
「ああ。だが途中からユグラはアプローチを変えようとした。代償なしに蘇生魔法を解除するんじゃなく、蘇生魔法を使用する前に戻すしかねぇってな」
「それで過去に戻る時空魔法をってことか」
「ああ。だが一度目はクソ野郎、神に警告を受けた。ユグラはそれに反発して殺されたわけだ」
それが全てならば、復活した湯倉成也は時空魔法以外の方法で黒の魔王を救う手段を考えるだろう。だが、そうせずに再び時空魔法を使う選択をした。
この間に何かがあったと考えられる。それは――
「復活後は新たな方法を見つけるのではなく、時空魔法を使えるようにしたのか」
「どうもそうらしい。神の妨害があるはずなんだが、ユグラは『黙らせた』って言ってたな」
神を黙らせた……。どのような手段を使ったかは知らないが、湯倉成也はこの世界を創った神様とやらに譲歩させることに成功した。湯倉成也を力尽くで黙らせるよりも、湯倉成也に時空魔法を使わせた方が良いと判断させる何かを行ったわけだ。
「……一応確認するが、時空魔法ってのは具体的にどんな効果があるんだ?」
「術者の記憶を過去に届けることができるらしい。つまり今のユグラの記憶を俺達が出会ったばかりのユグラが手に入れることになる」
「確実に歴史が変わるだろうな」
未来の記憶を得た過去の湯倉成也は決して黒の魔王を魔王にすることはないだろう。そうなれば他の魔王も生まれず、今の大国が生まれることもない。タイムパラドックスが発生し、この世界が新たな世界に塗り替えられてしまうのだろう。
「一応今は調整をして、もう一人分……俺の記憶も過去に届けられるようにしているらしい。その方が歴史を改変する上で色々と手っ取り早いそうだからな」
黒の魔王を救うのであれば、湯倉成也一人が過去に戻るよりも、身近な協力者がいた方が色々と捗るだろう。その協力者として選ばれている無色の魔王は、少なからず湯倉成也に信頼されている。
「お前はそれでも良いんじゃないか?」
「――黒姉が一生このままだとか、壊れちまったままでいるよりかは断然マシだ。だが全部をやり直しちまうのは……なんか違う気がしてな。もしかすればお前さんなら何か妙案の一つでも……ってな」
悲劇なんてないことに越したことはない。だが悲劇をなかったことにすることも、また悲劇となるのだ。
とはいえ当事者からすれば、やり直せるのであればやり直したいと願うのは自然なこと。湯倉成也にはその手段があるのだ。
それこそ黒の魔王を説得できなかったことと同じだ。復讐する力がある相手にその力を使うなと説得するのと同じで、やり直せる力がある相手にやり直すなと説得できるのかという話。
「『俺』としても今がなくなるのはゴメンだ。歴史が変われば、『俺』がこの世界でやってきたこと全てがなかったことになるわけだからな」
魔王が生まれなければ今の大国も生まれない。ユグラの落とし子も存在しなくなる。それはこの世界からイリアス達が消えてしまうことになるということ。
何らかの因果で彼女達が違う環境で生まれる可能性が全く無いわけではないが、少なくともそこに今まで生きてきた彼女達の人生は含まれない。
「そうこなくっちゃな!それじゃあ早速頼むわ!ここに来る少し前にユグラは呼んであるからよ、そろそろ来るんじゃねぇのか?」
「……は?いやいや、ちょっと待て!?なんでもう呼んであるんだよ!?それじゃあ準備もなにも――」
「まったく。忙しいのに、急用だとか呼び出して……うわ、なんだいこの内装は。うん?誰この人?」
無色の魔王と言い、湯倉成也と言い、最初からそこにいたかのように登場するのが格好良いとか思っているんじゃないのだろうか。
そこにはかつて『勇者の指標』で見た、湯倉成也の姿があった。髪の色だけがウルフェと同じように仄かに発光する白髪となっているが……。いや、この場合ウルフェの髪がユグラと同じと言うべきなのだろう。
「『俺』は――」
湯倉成也に話しかけようとして、その目を見た瞬間に悟ってしまった。こいつは説得できない。『俺』がどんな言葉を投げかけようとも、こいつの信念を曲げることはできないと。
人の目を見ればその人物が自分の行動に対し、どれほどの意思を抱いているのかをある程度感じ取ることができる。毅然とした態度や断固たる決意など、そういったものは眼にやどりやすいのだ。
湯倉成也はそれが顕著に現れている。あらゆることを自分で試し、理解し、受け入れてきた経験がある。
似たような眼を日本でも見たことがある。悪の道を無闇に進む無謀な者でさえも敵に回すのを避ける、老獪な怪物。戦わないこと以外の選択が許されない存在。
外見の年齢だけで言えば、『俺』よりも若いが、この男が自らの道と向き合った年月は途方も無い長さなのだろう。
「お爺ちゃん扱いは酷いなぁ。というか日本人なんだ。こんなところで同郷の人に会うとは思いもしなかったなぁ」
「――思考まで読めるのか」
嘘の真偽を見極めるユグラ教の秘技。それは相手の体にある魔力の揺らぎを観測することで行われている。『俺』の体の中には会話用の憑依術を維持するための魔力と、黒の魔王の魔力が存在している。
それを伝えたのが湯倉成也なのだから、当人が使えるのは当然。それ以上に読み解けるものがあるとは考えていたが、ここまでズバズバと人の心を見透かせるのか……。
「あぁ、そういうこと。『黒』が君を呼んだんだね。だから自前の魔力とかがないのか。そのへんは彼女には説明していなかったからね。していたとしても余裕はなかっただろうけど。よくそんな状態で『緋』を倒したものだね」
今度は考えてすらいない事実を言い当てられた。おそらく『俺』の記憶を読んだのだろう。デュヴレオリの『迷う腹』の上位互換の力に近いが、こちらには何かをされたような感じはなかった。
「あまり人の頭の中を覗かないでもらえるか。いい気分じゃない」
「ああ、ごめんごめん。初対面の相手を見ると、何を考えているか気になる性分でね。無害なのが分かったからもう十分だよ。それで、君は僕を説得するためにテドラルに呼ばれたんだよね?もう帰る?」
テドラルって誰だよって思ったが、横で目を逸らしている無色の魔王がそのテドラル君なのだろう。こいつは魔王化しているわけじゃないから、名前はあるんだよな。
しかし出会ってものの一分で詰んでいる。ただでさえ言葉では揺らせない相手なのに、心を透かされ記憶を読まれては心理戦も何もあったものではない。湯倉成也の言葉を信じるのであれば今は読まれていないのかもしれないが、少しでも不穏な兆候を感じ取られればその時点で再度記憶を読まれてお終い。言葉通り、湯倉成也にとって『俺』は無害な一般人でしかないわけだ。
ならばどうする。このまま指を咥えて世界が終わるのを待つのか?
「――いや。説得は諦めたが、まだ帰るつもりはない。説得はできなくても、提案はできる」
「へぇ、テドラルが頼りにするだけはあるわけだ。面白い切り返しだね」
冗談じゃない。何のためにここまでやってきたと思っているんだ。一方的に全てを無価値にされてたまるかってんだ。例え無理だと分かっていても、最後まで足掻いてやる。
「湯倉成也。お前がこの世界を終わらせる前に、一つ勝負をしよう」
最終回とかになったら、湯倉視点での外伝とか書きたいなぁとか思いつつダイジェストを書いてました。
先に湯倉視点でやると一冊分くらいになっちゃう気がするので、そこは我慢。