ゆえに先立つ。
確信していたという程ではないが、あるいは禁忌に触れるのではないのかと思っていた。なのでこの世界の住人かつ、理解力に長けたマリトにこれらの推測を伝えようと試みたのだ。
結果として、無色の魔王が現れたことでこの世界の仕組みに対する答え合わせが済む結果となった。
「よもや高所が苦手とはな。次から呼び出す時は天空の上でするとしよう」
「俺に恨みでもあんのかよ?あるか。ま、だからって人の嫌がることをするのはオススメしねーぜ?俺と同類になりたいか?」
「なるほど。上手い返しだ。お前と同類に扱われるのは願い下げだからな」
空の上で話を進めても良かったのだが、高所恐怖症の誰かさんが降りるぞと連呼していたので仕方なしに移動した。現在は仮想世界内のガーネ城玉座の間である。
「さて、と。これ以上知るってんなら、役割として排除しなきゃならねぇとこなんだが……」
「管轄じゃないんだろ?海の先についての秘密を禁忌と定めたのは湯倉成也じゃないから」
「……まぁな。そこまで分かってんなら、他言無用ってことにしておきゃ見逃してやるよ」
無色の魔王は見逃すと言うが、実際のところは敵対行為が取れないだけだ。こいつが誰かの敵になるには、湯倉成也が定めた禁忌を侵すか、こちら側から敵対行動を取らなければならない。
敵対行動についての解釈が曖昧に感じるのは、よほど大雑把な契約魔法でも結ばれたのだろう。こいつなりに探ってはいるようだが、なにぶん禁忌を侵すような人物はそうそう現れないし、無色の魔王の存在を知る者も少ない。
「なんじゃ、禁忌とはユグラが定めたものではないのか?」
「あー、どう説明したもんかね。代わりに説明してくれね?ちょっとの間だけ監視を緩めてやるからさ」
「それで良いのか当事者。……あの声、機械的に発音させてるけど、元の声は女性のものだろ。湯倉成也の周りにいた女性は魔王の四人くらいだが、誰の声とも似ていない。湯倉成也がわざわざ第三者の声を借りるってのもピンとこなかったからな。それに以前無色の魔王からもらったリストの中に海についての記述はなかった」
湯倉成也が定めた禁忌リストは魔法として実現した場合、異常な文明の発達や非人道的行いが可能となるようなものだった。核兵器やバイオ兵器が造られるのは流石に不味いと判断してのことだろう。
「しかしの、さっきの音声は禁忌を侵した者に対する警告よな?」
「元々禁忌を監視するシステムは湯倉成也がこの世界に来る前からあったんだろうな。そのシステムを奪い、自分の定めた禁忌も一緒に監視しようとした。海についての禁忌は、他の異世界人が造ったとかだろう。日本語を学習できないように干渉する仕組みとか、そこから応用したんだろうな」
「ま、そんなところだ」
「――海の先に、陸地はあるんだな?」
海の先に向かうことを許さない神。神の思考なんて理解できるとは思えないが、行為の意図くらいなら推察できる。
もしも海の先に何もないのであれば、その興味を奪うような真似はしない。だからこそ海の先には大陸がある。それこそここと同じように、人が住んでいる大陸がだ。
「らしいな。ユグラはそう言っていた。だが、そこは別世界だとも言っていた」
「別世界……?」
「お前さんの故郷は一つの星が一つの世界として存在している。だけどこの星は大陸ごとに完結された世界になってんのさ。海を超えること、その先にある文明と触れ合うことは世界の理として許されていない。それこそ俺じゃなく、本当の神による罰が下る」
「ユグラが時空魔法に手を出して、神に殺されたって話はそこが理由なんだな」
無色の魔王は頷く。この世界には他にも大陸があるが、互いに干渉することは神によって禁じられている。
時空魔法は時間に干渉する魔法。ならばタイムパラドックスのような事象が発生する可能性は大いにある。その場合、他の大陸にも何かしらの影響を受けてしまうリスクがあると判断されているのだろうか。
いや、そもそもの話、海の先を越えられないとしても、空間としては繋がっているのだ。ならば時間も他の大陸と繋がっているものとして、時間への干渉を禁止されているだけなのかもしれない。
「他にも理由はあるらしいが、俺は聞いてねぇな。そもそも他の大陸に興味なんて持てねぇように造られてんだからな」
「……信じがたいが、海の先と同じように話が上手く頭の中に入ってこない。数日もすれば興味すら失ってしまいそうな気もする」
マリトはその違和感に気分を悪くしているようだ。ユグラ教の教えの中で神はいるものとされていたが、それが直接自分達に干渉しているといったような内容は当然ない。
「ふむ……まあ実害はないわけじゃし、それで良いのではないかの?妾も思うところはあるが、ガーネだけで精一杯な状態じゃし。今更大陸の外の話となってもの」
「お前は事の重大さを……いや、もういい。まるで夢の中で存在し得ない理論について討論しているような気分になる」
「それで良かろ。妾達はこの世界の住人。わざわざ神とやらに挑む必要性はない。むしろ御主はこのことを確認してどうしたかったんじゃ?」
どうしたかったのか……。この事実はこの世界を見る目が変わる大きな要因ともなる。だが話を聞く限りではこちら側に関与できるようなことは何一つない。
それでも確認したかったのは、この世界と向き合うために必要なことではないのかと心の中に抱いていた気持ちの顕れなのだろう。
「淡い期待くらいはあったのかもな。他の大陸になら元の世界に帰る方法があるかもとか」
「なんじゃ、まだ帰りたいだの思っておったのか」
「――友は帰りたいわけではない。可能性を捨てたくないだけだ。皆のために心や命を献身的に差し出してきたんだ。手元に残したいものの一つや二つ、あったところで文句は言わないさ」
付き合いが長い分、マリトはこちらの奥底にある気持ちを理解してくれている。正直な話、皆を放って帰るなんて選択肢はない。これは単純に個人の性格の問題なのだ。臆病な性格ゆえに、今まで自分が生きてきた世界を捨てる勇気が持てない。何かしらの繋がりを残したいと、予防線を張らずにはいられない。
「まあ、そんなところだ。もちろんその態度が皆を不安にさせていることは自覚している。『金』もごめんな」
「謝られるとそれはそれで困るがの。強いて言うのであれば、妾達に差し出したものがあるのなら、見合う対価を要求して欲しい……といったところかの」
「考えておくさ」
そうしたいところではあるのだが、皆との価値観の違いのせいで等価交換が成り立たないのが現状だったりする。こっちは一に対して一を返しているつもりなのに、十だの二十だの返されていると認識されているのだ。命懸けの言葉の重さの違いはどうにかなりませんかね、本当。
「ま、微妙だろうな。次元魔法は元々神の管轄だからな。元々の禁忌にゃ定義されていなかったが、それはこの世界の連中じゃ実現不可だからなんじゃねぇのかってのがユグラの説だ」
「だが黒の魔王は『俺』をこの世界に召喚したわけだろ?」
「黒姉はユグラからあらゆる魔法の術を与えられた。『全能の黒』と呼ばれているのは、『全能』って力があるからじゃねぇ。全ての魔王に与えられた力も使えるし、それ以上の力も与えられているからだ。それこそ時空魔法以外の全てを与えられているんじゃねぇのかね」
湯倉成也が黒の魔王を特別視していることは理解している。もしかすれば黒の魔王の力があればと考えたことも一度や二度ではない。
しかし夢で見た彼女の心はそうとう摩耗していた。アレに協力を取り付けるための対価はおいそれと払えるものではない。
異世界人が他の大陸にもいるのであれば、湯倉成也と同じように次元魔法を手に入れている者がいるかもしれない。黒の魔王を説得するよりはよっぽどと思っていたのだが……いや、待て。
「……一つ聞きたいんだが」
「なんだよ。黒姉は耳の裏が弱いとか、そんな情報は死んでも言わねぇぞ」
「湯倉成也が復活しているのか?」
無色の魔王の表情が固まった。その反応で全員が察してしまい、空気が凍りついた。普段ならマリトと『金』のこういった顔は楽しく眺められるのだが、流石に内容が内容だけに鑑賞する余裕はない。
「……ドシテワカタノ?」
「お前の湯倉成也の名前を出した時の声色だ。以前は昔を懐かしむような感じだったのに、今は厄介な親族が家に顔を出してきたかのように感じる」
「素直に気持ち悪いなお前!?」
「そんなことよりも、ユグラが蘇ったじゃと!?奴は今どこで何をしておるのじゃ!?」
「あいつなら今セレンデ魔界にいる。何をしているかについては……まぁ、うん」
セレンデ魔界という名称は存在しないと聞かされていた。それぞれの大国には隣接する魔界があるのだが、トリンとセレンデにはそれがない。
トリンには『金』が一時期魔界を創ろうとして、始めようとした矢先に湯倉成也に妨害されたというのは聞いている。トリン魔界という名称を与えるのであれば、その生まれることのなかった魔界に付けられるものだろう。
「セレンデ魔界……セレンデに隣接する魔界はないはずだが」
「あー、そもそもの話だがよ、賢王様。大国の名前はユグラが名付けたんだ。それぞれの魔王の名前に由来した言葉からな。『地球人』、お前なら知っているんじゃないのか?」
「……宝石の名前だ」
ターイズはターコイズ、ガーネはガーネット、メジスはアメジスト、クアマはアクアマリン、トリンはシトリン、セレンデはセレンディバイト、それぞれの宝石の名前から切り取られた名前だ。それぞれの宝石の色の中には確かに碧、緋、紫、蒼、黄、黒が存在する。
「国があるからその対となった魔界が名付けられたわけじゃねぇ。自分が生み出した魔王達の魔界があるから、その対となる国がそう名付けられたんだよ。隣接こそしちゃいねぇが、セレンデ魔界は確かにある。つか金娘なら場所くらい知ってんだろ」
「……ターイズ魔界とガーネ魔界、そしてメジス魔界の三つの魔界の南方に『黒』が創った魔界がある。魔界の先にある魔界じゃから、名前すら付けられておらんと思っておったのじゃが……」
「お前らを一度一回休みにした後に名付けたからな。人間達にも伝えてねぇんだから、知らねぇのも無理はねぇだろうよ」
なるほど、そのタイミングで湯倉成也が勝手に名付けていたのであれば、黒の魔王が創り出した魔界をセレンデ魔界と呼称することは当人とこの無色の魔王しか知らないことになる。
それよりも問題なのは湯倉成也が黒の魔王が生み出したセレンデ魔界で何かをしようとしていることだ。それも無色の魔王が言い淀むようなことを。
「湯倉成也は何をしようとしている?」
「――なぁ『地球人』。一つ提案があるんだが、ちょっと聞いてもらえないか?お前なら、もしかすれば……」
◇
「おー、流石イリアス。馬鹿みたいな力なのだ」
「せめてそこは短く言い表してだな……」
「馬鹿な力なのだ」
「……」
彼が陛下のところで話をしている間、私はノラ達の研究の様子を見てくるようにと言われた。私は基礎的な魔法しか使えないのだから、見たところで大した意味はないと思ったのだが、どうやら大掛かりな装置を造る上で人手が必要なのだとか。
なのでこうしてよく分からない金属の塊をノラの指示に合わせて配置を行っている。確かに結構な重量があり、ノラのような少女には酷な労働となるだろう。
「助かったのだ。いつもは雑用を手伝ってくれるラッセル卿が、今日は奥さんの出産があるからと言って休みだったのだ」
「そうか……意外と近くにいたのだな、ラッセル卿は……」
以前私を嫌う騎士達の理由の中に、名前の似ているラッセル卿が嫌いだからというものがあった。彼の調べでラッセル卿には特に問題がないと結論が出ており、私が気にしないようにするという方針で終わっている。
まさか彼が携わる仕事の中に加わっていたとは、世の中狭いものだ。もっとも同じ騎士なのだから、どこかで顔くらいは合わせているのだろうが。
「そういえばラッツェル卿とラッセル卿って似てるのだ」
「はは、そうだな。だが私は私だ」
「当たり前なのだ。名前にケチを付けるのは兄ちゃんくらいなのだ」
彼の名、か。最初に会った時は偽名を使われ、今では理由ありきでその名を知ることができない。そんな関係にもすっかりと慣れてしまっている。
そもそもの話、私は彼の偽名すらまともに口にしたことがない気がする。彼の対人距離の調整能力の高さがそうさせているらしいのだが、偽りの名で呼ぶくらいならばそれも悪くないと思い始めている。
もう紫の魔王も彼を『籠絡』の力で手中に収めようとは考えていないだろう。それでも自分の名を明かさないのは、余計な誘惑を与えないようにする彼なりの優しさなのかもしれない。
「しかし名前と言えば、デュヴレオリのような大悪魔達の名前は舌を噛みそうになる時があるな」
「イリアス、ラグドー隊所属が言える台詞じゃないのだ」
「……それもそうだ」
慣れとは怖い。カラギュグジェスタ=ドミトルコフコン、ボルベラクティアン=ゴファゴヴェールズ、他にも長い名前の騎士がどっさりといるのがラグドー隊だ。短い名前は私とラグドー卿くらいのものだが、すっかりと慣れてしまっている。
「そもそもノラの本名のほうがよっぽど長いのだ。イリアスはちゃんと言えるのだ?」
「ノーデリクトランリス=ザクザリフュアンシュリトン。言えるとも」
「おお、やるのだ。師匠ですらたまに言い間違えるのに」
それで良いのか大賢者。いや、ここは大賢者ですら間違う名前を言えた自分を褒めておこう。
「昔ラグドー隊の皆の名前を間違えて呼んでしまって、それで笑われたことが悔しくてな。夜な夜な名前を読み上げる練習をしてコツを身に着けたのだ。区切りを自分なりに見つけて発音するのがポイントだな」
「確かに、ノラの名前も五つくらいに分ければ発音しやすいのだ」
「ノラの名前の話で思い出したが、以前彼がデュヴレオリに君の名前を尋ねられたことがあると言っていたな」
「そうなのだ?」
「紫の魔王と一緒に魔法の研究をする者だからと、名前をしっかり覚えておきたいとかなんとか。何度も呟いていたそうだ」
「なるほど、それであの時スラっと言えていたのだ」
ノラはとても嬉しそうな顔をし、作業も鼻歌交じりになった。今の会話にそこまで上機嫌になる要素があったのだろうか?
「間違われるよりかマシなのは分かるが、名前を間違われずに言われることがそんなにも嬉しいのか?」
「想い人が自分のために努力していることを知ったら、喜ぶに決まっているのだ。影で自分の名前を何度も呼ばれていると思うと、それだけで満たされるものもあるのだ」
「そ、そうなのか……」
「イリアスはまだまだ未熟なのだ。今日の手伝いのお礼で『紫』にはもう少し手加減するように言っておくのだ」
「あ、ありがとう……」
何がどう未熟なのかは分からないが、ノラからは私よりかも遥かに先を行っているような熟練の気配を感じ取れた。しかしこの漠然とした敗北感は一体何なのだろうか……。
ノラの手伝いも終わり、時間も良い頃。彼を迎えに陛下の執務室へと足を運ぶと、丁度陛下と金の魔王が部屋から出てきたところだった。
「妾は『紫』や『蒼』にこのことを伝えてくる。そっちの方は頼むの」
「わかった」
しかし何かが妙だ。陛下と金の魔王の表情が険しく、そして何より彼の姿が見えない。部屋から出てくるのならば、それは彼と金の魔王ではないのか。
「陛下!何かあったのですか!?」
「ラッツェル卿か……。探す手間が省けた。すまないがウルフェちゃんやラクラを集めてもらえないか」
「そ、それは構いませんが……。ところで彼は――」
「……友は今ここにはいない。無色の魔王と共に、ユグラの元へ行ってしまった」
紫という絶対的立場の応援もあり、ノラの恋路は非常に順調なようですね。
本日のちょっとした告知です。
本日12時頃からマグコミにてコミカライズ最新話が登場です。コミカライズ版ウルフェの普段着公開回ですので、ぜひぜひ!
またコラボしている勇者の肋骨書籍化記念の企画も活動報告内にて公募開始しておりますので、興味のある方は作者のページから覗きに来てください。