ゆえに降ろして。
自らの非力を恨んだことは多々あれども、これも個性なのだと、使い道はあるのだと折り合いをつけてきていた。だけども、この感触を脳裏に刻むことになったことだけは、自分の非力さを恨むことしかできなかった。
もう少し力があれば、勢いよく刺すことができただろう。もう少し技術があれば、刺すことに意識を割け、余計な情報を脳に送る余裕も生まれなかっただろう。
皮膚を裂き、肉を抉り、筋を千切り、骨をかき分け、人の体を突き刺す感触。思い出そうと思えばいくらでも思い出せるし、思い出さないようにしても、それは勝手に脳裏に浮かび上がってくるのだ。
「――くそ」
体を起こしながら悪態をつく。背中には嫌な感じの汗が張り付いており、ゆっくりと吸い込む空気の冷たさから呼吸が荒れていたのが分かる。
窓の外が暗いことと、体の調子から時刻は深夜二時から三時の間と推測する。日中はなるべく体を動かし、疲れで体を無理矢理に眠らせようとしていたのだが、どうも体力が増えてきたようだ。喜ばしいことなのだが、素直には喜べない。
「喉が乾いたな……」
水を飲むために静かに部屋を出て、足音を立てないように階段を降りていく。
悪夢により夜に目が覚めてしまうことを意識されないようにしたいが、この家にいる連中はいずれも戦いのプロだ。ラクラはさておきとしても、イリアスやウルフェは感づいているだろう。
かといってこんな喉の状態で二度寝しては、確実に嫌な思い出の上映会の続きだ。この行動も一度や二度ではないのだから、そろそろ水筒の用意も視野に入れておくべきか。
「いっそ酒でも……ダメだよなぁ」
ターイズに帰ってからしばらくは睡眠薬にも手を出していたのだが、すぐに体が慣れ服用する量が増え始めたので使用を自粛した。魔力を持たない自分が使える貴重な薬が、肝心な時に使えなくなるのは避けなくてはならないからだ。
何日かに一回は酒を飲んでいるが、量が少なすぎると却って夢見が悪くなる。下手をすればムールシュトのやつの思い出と一緒に、ズッチョの拷問シーンまでセットになりかねない。
量を増やせば熟睡はできるが、次の日に二日酔いになって土気色の顔を皆に晒すはめになる。薬と一緒で慣れるものなのだから、頼るにしても間隔は必要だ。
「んぐ……ふぅ……」
台所で水を汲み、一気に飲み込んでから大きく深呼吸をする。所作はなんでも構わない。大事なことは大きな動作で体や精神のスイッチを切り替えたと認識することだ。
実際にはロボットではないのだから、完全な切り替えなどできないのだが、それでもそういうルーティンなのだと思いこむことは重要なのだ。
さて、部屋に戻ろう。半端な時間な上に目が冴えてしまっているのだが、クトウに灯りを点けてもらいながら本にでも目を通せば眠くなるだろう。朝起きれるかは怪しいが、ここ最近は早朝に起きる必要性もないので多少の寝坊も許容されている。
「ししょー、眠れないんですか?」
「うぉっ!?」
突然背後から話しかけられ、変な声が出た。息を吐ききった後だったので、大きな声にはならなかったのは何よりです。
振り返るとそこには不安そうな顔をしたウルフェの姿があった。いつもの私服ではなく、サイラに用意してもらったゆったりサイズのワンピースのようなパジャマだ。
眠っていることで魔力が回復したのか、白い髪が僅かに発光している。遠くから見たら幽霊と間違われたりするのだろうか。今の所そういった被害者は出ていないのでなんとも言えない。
「できたら素人でも気付けるように音を立ててもらえるとだな……」
「そうするとイリアスが起きますよ。多分起きてると思いますけど」
いっそエクドイクに隠密術でも習おうかなと思いつつも、水筒を買った方がコスパ良いなと検討を終了。
さて、心配させたあげくにこうして起こしてしまった責任くらいは取らねばなるまいて。下手な誤魔化しは通用しないのだから、ここは互いに有意義になるようにするとしよう。
「ちょっとばかり夢見が悪くてな。すぐには眠れないだろうし、少し外の空気でも吸いにいくか。ウルフェも来てくれるだろ?」
「は、はい!」
適当なバスタオルを手に取り、ウルフェと一緒に家の外へと出て施錠をする。
深夜過ぎとあって外は月明かり以外に何もなく、不気味なまでに静か。夜の散歩と称して歩くのも乙ではあるのだが、横にいる発光ウルフェの姿を目撃されてしまうのは避けたいところ。なのでジェスチャーで屋根を指差し、ウルフェに担いでもらって屋根の上へと飛んでもらった。
バスタオルを敷き、ウルフェと一緒に腰を降ろして月夜に照らされるターイズの街並みを眺める。目が慣れてきたおかげで中々味のある景観である。
「いっそ夜食とか用意しても良かったな」
「イリアスに怒られますよ」
「はは、違いない」
肩が少しだけ触れ合う距離。お互い先程まで眠っていたのだが、こちらの体はすっかりと冷え切っており、ウルフェの方からはほんのりと体温が伝わってくる。ウルフェが亜人だからなのか、こちらがいい歳で新陳代謝が落ちているのか……前者ということにしておこう。
ただ発光したウルフェの髪から感じる魔力の暖かさを心地よく感じられるのは、少しだけ自分の体温の低さに感謝したいとも思った。
「ししょーは……私の腕のこと、気にしていますよね?」
「もちろん罪悪感だらけだ。碧の魔王に交渉してどうにか回復できないかと考えている。多少の無理難題くらいなら全然挑むつもりだぞ」
「……隠さないんですね」
「隠す意味があれば隠すけどな。だけど心配しなくていいさ。少なくともウルフェが望まない限りは碧の魔王に交渉を持ちかけるつもりはない。この前も城で話を振られたが遠慮しておいたしな」
顔は見ていないが、横で一緒の光景を見ていたウルフェが少しだけ安堵したように感じた。
こっちが苦労することなんて、大抵はメンタル面だけだ。結局はイリアスやエクドイク達に頼ることになるのだから、ウルフェには遠慮なんてしてほしくない。
だけど遠慮してしまうほど、弱った姿を見られてしまった。無理をさせてしまったと後悔させてしまった。自分の両腕を取り戻すことよりも、恩人の心の平穏を望むほどに。
「――きっと一生望まないと思います」
「良い覚悟だな。じゃあ勝負になるな」
「……勝負?」
「腕を治してほしい、ウルフェのために無茶をしてくださいって、ウルフェの方からねだるようにしてやるのが当面の目標だからな」
そのためにはウルフェに安心を与える必要がある。無茶をしてほしくないと言う気持ちより、罪悪感に苛まれてほしくないという気持ちが勝るまで、こちらが元気になってみせれば良いだけのことだ。目処は立っていないが、無理難題ということでもないだろう。
「簡単じゃないですよ」
「かもな。でも悪くない目標だと思うぞ?」
腕を回してウルフェの肩を優しく抱き寄せ、頭を軽く撫でる。ウルフェは両腕を悪魔の義手にしてからというもの、こちらに対するスキンシップを遠慮しがちになっていた。
昨日『金』がうちに来て、ラクラと一緒に盛り上がっていた時に尻尾を撫でさせられた。いつもなら対抗心を抱くウルフェだが、その時は羨ましそうに眺めているだけだった。
義手を自由に動かせても、両手に伝わる感触は腕まで届いてこない。その事実をこちらの体に触れて自覚することが嫌だったのだろう。
これはウルフェの覚悟に対して卑怯な行為だ。心を揺らすし、悩ませるし、苦しませてしまうだろう。だけど最終的には互いにとって最善の結果を得るためには必要な行為でもある。
「……ずるいです」
「簡単に勝てると思わないことだな。……そろそろ寝るか」
ついでに言えば結構恥ずかしい行為でもある。この光景を他人に見られていたらと思うとゾッとする。あーでもウルフェの義手の悪魔とか『紫』に報告とかするかもなー。どうにか懐柔できないものか……。
「もう少し……起きていたいです」
「はいよ……。次はやっぱり夜食を作ってから登るか」
「だから怒られますって」
「良いじゃないか、その時は一緒に怒られような」
「……はい」
まあその時にはラクラも巻き込んで有耶無耶にする予定ではあるのだが。あいつなら簡単に誘導できるしな。
◇
友が金の魔王を連れて城へとやって来た。なんでもガーネの方が落ち着いたからと休みがてらに訪れていたらしく、ついでだからと連れてきたらしい。
「ついででももてなしたいとは思わないがな」
「かー、態度まで『碧』に似よってからに。やはり血は争えんようじゃの」
「俺が碧の魔王ならとっくに処断してるがな」
「なにおう」
人の嫁が作った菓子を遠慮なくバクバクと食べる辺り、碧の魔王よりも質が悪い。いや友は良いんだよ。そもそも友がルコにレシピやらを教えてくれたからこそ、俺の休憩時間がより有意義なものになっているわけだし。
「それで、ラッツェル卿やウルフェちゃんすら連れずに来たってことは、何か心配事になりそうな案件なのかな?」
「まあな。ちょっとばかり見せたいことがあってな。じゃあ『金』、『統治』の力の方頼めるか?」
「ちょっと待ってくれ。俺をその魔王の創る仮想世界に連れて行くつもりなのか?」
興味が全く無いわけではないが、魔王の世界に連れ込まれる危険性を理解していないわけではない。実際にこの魔王はその力を利用し、自分よりも遥かに能力に秀でていた大悪魔に圧勝しているのだ。
「不本意ではあるがの。こやつに頼まれてはのぅ……」
「心配するな。『金』が不穏な真似をしたらハイヤが首を刎ねてくれるから」
「妾の方が心配で尻尾の毛が抜けそうなんじゃが」
「……ハイヤ、いざという時は助けられるか?」
いそいそと準備をしている金の魔王を眺めつつ、背後にいるハイヤに話しかけると彼は姿隠しの魔法を解除してその姿を見せる。伝説の勇者ユグラの成長した姿を彷彿とさせるその姿にはやはり奇妙な威圧感を覚える。
「したことがないので、確約はできませんね。ですので少々確認を……ふむふむ……ああ、なるほど、ここはこういう仕組みなのですね。はい、問題なく救助できますよ」
「しれっと妾の力を分析するでないわ。まあユグラの代わりの御主ならそう難しくはないじゃろ。なにせユグラが村娘に教えられた程度じゃからの」
「理解はできますが、再現は少々難しいですね。この力、何かしらの核のようなものを当人に埋め込んでいます。おそらくは魔法の構築を助けるための支援装置のようなものですかね」
なるほど。これまで疑問に思っていたことが一つ晴れた。元々魔王達はこの世界の住人であり、いくらユグラの指導があったからと、超越的な力を手に入れられるものなのかと考えていたのだが……。
「いや待てよ?この理論を利用すればそもそも魔法の概念そのものが……」
「先に答えておきますが、恐らく無理ですね。魔王特有の魔力を利用した仕組みですので、一般人にはできないかと思われます」
「そうか。それは何よりだ」
利用できてしまうのであれば、各大国も『統治』の力を欲しがるのは明白。それだけならまだマシだが、『籠絡』や『殲滅』のような非人道的な力の入手法が存在してしまうのは、世界にとってよろしくない。碧の魔王の『繁栄』の力などは魅力的ではあるのだが、人は人として生きるのが一番だろう。
「雑談は終わりかの?ほれ、準備せい」
「準備と言うが、何か必要なのか?」
「妾に触れた時点で意識が飛ぶ。そのまま机に顔面を叩きつけたいのであれば、そのようにしてやるがの」
「……」
無言でソファの上にあるクッションを机の上に置き、いつ倒れても大丈夫なように備える。それを確認した金の魔王が腕に触れるのと同時に意識が一瞬だけ飛ぶ。
我に返り、周囲を見渡すと、そこは俺の執務室ではなく、小広い部屋だった。正面には友の姿もある。
「――ここはガーネ城か」
「うむ。ここが起点じゃからの」
すぐ横に小さな金の魔王が浮いていたので、とりあえず首でも掴んでみる。ほう、話には聞いていたが、これは中々精巧にできているな。
「ぬわー!はなせー!」
「マリト、絵面がルコに見せられない光景になっているぞ」
「おっと。つい憎らしい相手が弱体化した姿で現れたからね」
「それで捕まえた人形の首の強度を確かめるかのように捻じ曲げる光景になるのはちょっとな。ちなみに折ろうとした場合、攻撃とみなされてすり抜けるだけだぞ」
「試したんだね」
「まあ、暇な時にな」
まあこの世界は金の魔王の世界だ。ここで金の魔王に手痛い思いをさせることはできないと考えておいた方が良いだろう。
捕まえていた小型の金の魔王を放すと、ふわふわと友の方へと逃げていく。やや涙目だが、友の話ではこの金の魔王は仕掛けとしての中身がない体ではなかったのだろうか。
「ゆ、油断したのじゃ……」
「あ、中身いるんだな」
「どうせ現実世界にいても暇だからと、分身体に精神を移しておったのじゃ!迷わず首を折りにくるとか、ターイズの住人は蛮族しかおらぬのか!?」
酷い言い草だが、報告ではラッツェル卿は斬りかかっていたらしいし、ミクスはウルフェちゃんに殴らせていたと聞いている。否定しきれないのが辛いところである。
友は金の魔王が取り出した本を開き、何やらその表面を指でなぞっている。
「それじゃあ移動するか。こっちの操作とマリトの操作を連動してもらえるか?」
「うむ。同期したぞ」
「んじゃま、適当に雲のちょっと下にでも」
「え、ちょ――」
質問をするよりも早く、視点が切り替わった。この光景を見るのが初めてならば、きっと混乱していたのだろう。以前友と一緒に空を移動したケイールに描かせた絵とほぼ一致していることから、今いるのはガーネ城の遥か上空ということになる。どういう理屈で浮いているのかはさっぱりだが、今俺達は空の上に立っているようだ。
「思ったよりも驚かんの」
「ターイズ魔界に行く時、黒魔王殺しの山を迂回するためにガーネ経由で移動したろ。その時の光景をケイールが絵にしてたんだろ」
「まあね。実物を見せられるとケイールに特別手当をあげたくなるね」
「弟扱いされるだけでも泣きそうになるんだから、ほどほどにな」
ルコも大概だが、ケイールの立場はかなり難しいものとなっている。なにせ忠誠を誓った王が姉の夫、義兄弟になるのだ。彼の意思を汲み、レアノー卿には特別扱いしないようにと言ってはいるものの、浮き始めていることは事実だ。
弱気に見えても、その意思の強さはルコにも負けていない。この問題を解決するにはいっそバラストスに預けてしまうのもありなのではとさえ思い始めているほどだ。
「それで、こんな上空に移動して何をするんじゃ?ここでは内政の操作も満足にできんぞ?」
「このままもうちょっと上だな」
視界がどんどん上空へと移動し、ガーネ領土そのものが視界に捉えきれるようになってきた。少し西を見ればターイズの森も見えている。
高所が苦手というわけではないが、流石にこの高さから落下するようなことになれば命はない。そう頭が理解しているせいか、妙な不安感が募ってくる。
「一体どこまで――」
その言葉を言う前に移動が終わった。雲よりも遥か上、既にガーネ城の形は認識することすらできない。視界に映るのは、陸繋ぎである六つの大国と、それに隣接する各魔界。それらの全貌だった。
「この大陸の全体像が見える位置が移動の限度っぽくてな。まあ、これを見せれば話は早いと思ってな」
「うんまあ、凄い光景だとは思うよ。この世界の住人でこの光景を見たことがある人間は俺が初めてじゃないかな?」
「妾は前に見たがの」
「お前は魔王だろう。それで、話ってのは?」
「海は見えるよな?」
友に言われ、海のある方向を見る。大陸の外側は全てが海だ。だがそれを見ても特に気になるような点はない。
「見えるけど……」
「その先は見えるか?」
「いや、海しか見えないけど、何かあるの?」
「ないんだよ。何も。海の果てさえも」
海の果て?友は何を言って……いや、違う。おかしいのは俺だ。何故俺は何も考えない?この光景はあまりにも不自然だ。海の先に何も存在しないのであれば、この世界の形は一体どうなっている?落ち着け、『統治』の力の影響範囲がこの大陸に限られているだけじゃないのか?実際にはこの海の先に――思考がまとまらない。これは明らかにいつもの俺じゃない。この感覚は今回だけではなく、以前にも感じたことがある。これは確か……。
「――君の国の言葉。ニホンゴを覚えようとした時に似ている。単調なはずの記号がどういうわけか頭に入らず、認識ができなかった。海の先を考えようとした時、似た影響を受けている気がする……まさか――」
「そのまさかさ。この世界の住人は何らかの干渉を受けて、皆海の向こうに興味が持てないようになっているんだ」
海の先、そのことを考えようとすると思考に靄が掛かったかのように曖昧になっていく。確かにこれは異常だ。実際に海の先の光景を見せられて、疑問に気付いてもなお……いや、辛うじてこの異質さには気づけているのだ。
「君は……セレンデで何を知ったんだい?」
「それは――」
『警告、この世界の者が知るべき情報量を超過しております。警告、この世界の者が知るべき情報量を超過しております。直ちに接続を終了し、該当する記憶を消去してください』
脳内に直接響く女性の声。俺はこの声を聞いた記憶はないが、この声が何なのかは知っている。これは以前、無色の魔王を呼び出す時に俺が聞いたとされる――
「勘弁してくれよ。タダでさえ面倒な状況だってのに。雑用を増やしてんじゃねぇって――うおぉっ!?高っ?!怖っ!?」
あ、いた。こいつ高いところ嫌いなのか、この無色魔王は。
この機能久しぶりだなぁ。
余談ですが、活動報告の書籍紹介コーナーにて、書籍版、コミカライズ版の表紙絵を記載しておきました。あとたまにコラボしている勇者の肋骨についても近況報告をしております。週末に再度報告しますので、興味がある方はざっと目を通していただけると幸いです。