そんなわけで、決着する。
私が目を覚ました時には全ては終わっていた。
メジスから駆けつけた応援により、セレンデ国内に発生したアンデッド達は全て処分された。
応援を呼んだのはマセッタで、今はハークドックと一緒に治療を受けている。マセッタの受けた傷はシンプルな刺し傷だけだけど、ハークドックの方は右肩周りの損傷が特に酷く、場合によっては悪魔の寄生範囲を広める必要があるらしい。あの時はハークドックの生死について考えないようにしていたけど、生きていると聞けたのはちょっと嬉しかった。
「ウルフェ、ここにいたのね?腕の調子はどうかしら?」
「あ、『紫』さん。ええと、不思議な感覚ですけど……大丈夫そうです」
自分の両腕を交互に見る。肘の部分から伸びる黒い腕、数日立ってもまだしっくりとはきていない。
今私の両腕にはハークドックと同じように『紫』さんの配下の悪魔を寄生させている。
ムールシュトの攻撃を受けた左腕は腕としての回復は難しいと判断され、右腕に至っては肘から先がなくなっていた。あれだけ限界を超えた一撃を放ったのだから、代償はあるだろうと思っていたけど、ここまで綺麗になくなるとかえって何の感情も湧いてこない。
エクドイクさんの鎖を使った魔力操作の特訓の時と同じ要領で、この両腕は自由に動かせる。込められる魔力の限界は微々たるものだけど、この数日は問題なく日常生活をすごせている。
「その場しのぎとしては十分そうね?『碧』相手に交渉できれば、元通りにはなると思うけれど……」
その沈黙の意味は理解できる。碧の魔王には温情といったものは一切ない。この両腕を治してもらうにはそれ相応の対価が必要になる。
あの人の魔族になるとか、そういった内容なら交渉もできるかもしれないけど、それでししょーの傍を離れるくらいならこの腕はこのままでいい。
「期待半分で、この腕で生きていく覚悟もしておきます」
「そう……。改良の方はいくらでも手伝うから、気軽に言ってね?」
「はい、ありがとうございます!ええと……ラクラはどうでしたか?」
「もう手当は済んでいて、今は力を封印して安静にさせているわ。失明と言うほどではないけど、ある程度の視力障害は残ると思うわね?」
「そうですか……」
ラクラとは昨日会った。眼に包帯を巻いている以外は元気なままで、私の腕のことばかり気にしていた。もっと深刻そうにしているのかと思ったのに、『これはこれで尚書様に甘やかされる良い機会ですから!』と笑っていた。
「一番重傷だったのは貴方なのだから、自分のことだけ心配していれば良いのよ?まあ失った部位がないだけで、怪我の酷さで言えばイリアスも大概だったのだけれど……あれは例外ね?」
「はは……」
イリアスも全身のあらゆる場所を骨折、靭帯断裂と悲惨な状況だって聞いたけど、私が目を覚ます前には平然と歩いていたらしい。ただその姿を見たミクスに怒られ、自主謹慎中。
緋の魔王との戦いで死にかけたカラ爺が言っていたっけ、ターイズの騎士は怪我をする技術も一流だって。その意味が今ではよく実感できる。私ももう少し上手に怪我ができれば、左腕くらいは無事だったかもしれない。……でも両腕が違うのは意識しちゃいそうだし、いいか、これで。
「ちなみに彼は今セレンデ王のところにいるわ?この国を離れる前に確認しておきたいことがあるからって……本当はあの人に一番安静にしてほしいのだけれど」
「そう……ですよね」
私が目を覚ました時、ししょーはすぐ傍の椅子に腰掛けて眠っていた。最初はホッとしたけど、ししょーが目覚めた時、その惨状に気付いてしまった。
ししょーは怪我こそなかったけど、心が限界を過ぎていた。私の腕のことを謝っている時でさえ、自分の精神状態を隠す気力すら失っているようだった。
だからなのだろうか、私は自分の腕のことなんてどうでもよかった。あったのはししょーの心を守れなかった悔しさだけ。
ムールシュトは言っていた。あいつはししょーに殺されることで、ししょーの心に自分を永遠に刻み付けるのだと。自分の命を以て、ししょーにこの世界が元いた世界と変わらない現実であることを実感させるのだと。
ししょーはこの世界を好きでいてくれた。だけど、それでもししょーは元の世界に戻ることを諦めようとはしていなかった。それはししょーにとってこの世界は夢であり、眩しさを、尊さを感じていたからだ。
私はそれで良いと思っていた。私がししょーの傍にいられることが、ししょーと同じように眩しく、自分には不釣り合いなのでないかと思っていたことがあったからだ。
私は皆のおかげで、この幸せを噛み締めて良いのだと受け入れることができた。だからきっとししょーもいつかは憧れているこの世界を受け入れてくれるって、この世界に居続けようと決めてくれるって思っていた。
だけどムールシュトはその夢を壊してしまった。自分を愛する者が敵となり、その生命を奪わねばならない過酷さもある現実だと、ししょーの目を完全に覚まさせてしまった。
「……『紫』さん。ししょーは、この世界を選んでくれると思いますか?」
「愚問ね、選ばせるに決まっているでしょう。貴方も彼がこの世界にいてほしいのであれば、諦める真似だけはしないでちょうだいね?」
「……はい」
遥かに文明に優れ、生活に困らない世界か。自分だけが使えない魔法が蔓延り、生命の危機に晒され続ける世界か。同じ現実ならば、ししょーはどちらの世界を求めるのか……考えるだけで怖くなる。
ししょーを繋ぎ止めたい私達のことなんて関係なしに、ししょーの心をかき乱して、その心に深く自分を刻み込めたあの男が、憎くて、恨めしくて、羨ましい。
羨ましく思う自分が恥ずかしくて、只々悔しかった。
◇
セレンデ王との謁見は医務室という異例の場所で行われることになりました。騒動が沈静化してからの捜索で発見されたセレンデ王は衰弱しており、本来ならば会うことすら難しいという状況でしたが、『お前には父上に話を聞く資格がある』とヌーフサ殿が周囲を説得し、特別にとこの場を設けてくださったのです。
セレンデ王はベッドの上で上半身だけを起こしている状況で、その衰弱は一目瞭然ではありますが、やはりこの国を治めていた王としての貫禄は依然健在です。
「まずはこの国を救ってくれたことに、感謝の言葉を贈ろう。もっとも、そなたには価値のないものだろうがな」
「そうだな。元はと言えば、この国の在り方が招いた出来事だ。巻き込まれた方としてはいい迷惑でしかない」
ご友人はセレンデ王に対し、敬意を払う姿勢もなく、かといって敵意を見せるような様子もなく、ただ静かにセレンデ王を見つめております。
「……先に私の方から質問を済ませよう。ヒルメラは死んだのか?」
「残念ながら生きているよ。この国のために体まで殺す義理はなかったからな」
ワシェクト殿は現在ヒルメラ王女と共にクアマ魔界へと逃亡しております。未開の地が多いクアマ魔界ならば逃げ隠れするだけの余裕はありますからな。
ヒルメラ王女ですが、彼女は壊れました。意識は戻ったものの、多くの記憶が欠如しており、まるで幼子のようにワシェクト殿に懐いておりました。あの時の光景を忘れようとして、必要以上に心に負荷を掛けてしまったのでしょう。
ワシェクト殿は変わり果てたヒルメラ王女を見て、少しだけ寂しそうな顔をしておりましたが、『王子と王女としてではなく、一人の家族として共に生きるにはちょうど良いのかもしれない』と溢しておりました。
「そうか。それがそなたの選択ならば、これ以上の追求はしない。ヒルメラは死んだものとして民には報告しておこう。……ワシェクトに助けが必要な場合はヌーフサを頼ると良いだろう」
「伝えておくよ。それとヒルメラが使っていた死霊術を使うための魔導書だが、それはリティアル達が回収していった。欲しかったら勝手に行動してくれ」
決着後のご友人達を最初に見つけたのは、ヤステト殿と共に城へとやってきていたエクドイク殿でした。そのエクドイク殿の話によれば、ヤステト殿がヒルメラ王女の所有する宝物庫から一冊の本を回収したと。
元はラーハイトが残した物、あんな劇薬はリティアル殿が保管していた方が色々と都合は良いでしょうな。ご友人が持っていればユグラ教とのトラブルに発展しかねませんし。
「ならばこちらから尋ねることはもうない。そなたの質問に答えよう。セレンデだけが知る真実、その確認がしたいのであろう?」
「『俺』を利用したのは王子達を競わせる潤滑油として、ってのは聞くまでもないが……そうだな。いたんだよな、この世界にユグラ=ナリヤ以外の異世界人が」
「っ!?」
勇者ユグラ以外に異世界人がいた……そんなことがありえるのでしょうか。
動揺を隠せない私とは対極的に、セレンデ王は静かな表情のまま言葉を返しました。
「……遺跡を見て気付いたか」
「遺跡の中にチキュウの文化と思わしきものがあった。これらの遺跡は魔王が現れる前、ユグラ=ナリヤがこの世界に来る前からあった。ならユグラ=ナリヤ以外の異世界人が遥か過去に文明を広めようとしていた可能性がある。セレンデ、いやエルフを始めとした亜人はユグラの改変を逃れ、その歴史を残そうとしてきたんだな」
「その通りだ。勇者ユグラは魔王を倒し、世界の秩序を作り直す際、この世界の過去を隠そうとしていた。我らが祖先はそれを訝しみ、歴史を残し続けようとした。もっとも、ユグラはそんな我々の抵抗などどうでも良かったようだがな」
セレンデが他の大国に比べユグラ教に対して排他的だった理由は、ユグラの影響を受けないようにしていたということですか。それで隣国のメジスとは特に相性が悪かったと……。
ユグラは過去に争いあった人間達の醜い歴史を忘れ、新たな未来を切り拓こうとしていたと、ユグラ教の教えの中にあったことを思い出しました。
でもその忘れ去られた歴史は、第三の異世界人によって介入を受けていた……。これは確かに怪しさを感じますな。
「王子達を争わせ、優秀な血筋を残すのもその先人の教えってわけだな」
「……然り。だがその歴史ももう終わりを迎えるようだがな」
「ヌーフサはあんたと違って、時代に生きることができる王になれるだろうからな」
「……若き異世界人よ、全ての責は私にある。そなたが望むのならば――」
「あんたに望むものなんて、何一つないさ。せいぜいヌーフサの助けにでもなってくれ」
ご友人はセレンデ王に背を向け、部屋を出ようと扉に手を掛け、少しだけ動きが止まりました。
「何か?」
「最後に一つ、あんたは海の先に興味を持ったことはあるかい?」
「――いや、ない」
「だよな。それじゃあお元気で。ああ、一つあったな。もう会わないことを望むよ」
部屋を出ていったご友人に続き、私もセレンデ王に一礼をして部屋を出ました。
ご友人の態度はここに来る前と依然変わらず。憔悴していることを隠そうとしていないのは心配ですが……ここはしっかりと支えねばなりませんな。
「ご友人、先程の話は……」
「仮説の一つが噛み合っただけの話だ。だからって何かをしたいわけでもない。する気も起きないしな……」
「……色々ありましたからな。そうです!いい加減ご友人はゆっくりと休むべきなのです!」
「それは同感だ。でもまずはウルフェの腕やラクラの目をなんとかしてからだな。碧の魔王と上手く交渉して――」
「ご友人?人の話を聞いておりますか?」
ご友人の頬をつまみ、左右に引っ張る。この人は問題を解決してからでないと休もうとしない方、それでも流石に度が過ぎるようであれば諌めねばなりません。
「いや、だってな」
「確かにどうにかしてあげたいことではあります。ですがそれでご友人がさらに無理をすることになれば、それこそあの二人は腕も目も要らないと余計に拗れますぞ!」
「それは……」
「ご友人についてきた結果なのですから、ご友人が引け目を感じるのも分かります。ですが私達も意思を持ってその道を選択してきたのです。その意思を無視しないでほしいですぞ!」
「……悪かった」
私程度の熱弁に圧されて簡単に謝るとは、やはり重症ですな。うむ、ここはやはり私がご友人の無難な平穏ライフをサポートしなくてはなりません。
「ラッツェル卿やウルフェちゃんのためにも、大人しくしていてくだされ。あの二人はこれまで人の域を超えた怪物達を相手に、ご友人を守り続けようとしてきたのです。今回の件であの二人は相当凹んでおりますからな」
「……それはミクスもだろう?」
「もちろん凹んでおりますが、悪い意味で吹っ切れております。そもそもご友人の相手が魔王や勇者クラスばかりなのがおかしいのです!守る側の身にもなってくだされ!」
緋の魔王との戦いで後悔をして、力を得て、ラーハイトとの戦いでようやく形になったと思った直後にこれですからな。私の場合ソライドの一件もありますが、まあそのおかげで吹っ切れているといいますか。
「仰るとおりです……」
「うむ、素直でよろしいですぞ!まずは皆に笑顔を見せられるように、ゆっくり休んで。それから溜った問題を一緒に解決していきましょうぞ!」
私ができるのはこの辺まででしょうか。これだけ釘を刺しておけば、当面は大人しくしてくださるでしょう。ここから先は、ご友人と正面から向き合える彼女に一時預けましょう。
私の出番はまたご友人が元気になってからということで。
◇
ミクスに檄を飛ばされるまで自分を見失っていたことにため息が漏れる。ムールシュトと向き合うと決めたのは『俺』で、こうなることも覚悟していたはずだったのに。
五体満足でいられたくせに、これ以上皆を苦しめるような真似をするんじゃないと自分の頬を叩き、部屋の扉をノックする。
「イリアス、『俺』だ。入ってもいいか?」
「――あ、ああ」
部屋に入ると、イリアスはベッドの上で起き上がっている最中だった。あれから数日、ムールシュトとの戦闘での怪我は完治までとはいかないが、護衛任務に戻れるまでには回復していた。しかし動けるようになった直後に任務に戻ろうとしていたところ、ミクスに安静にするように命令をされていた。
ミクスの命令はマリトのものと変わらない。イリアスは一日でも早く完治するために律儀に寝続けていた。
ベッドから出ようとしていたイリアスを手で静止し、近くにあった椅子を手に取り、ベッドの近くへと運んで座る。
「さて、と。鎧を着ていないイリアスと話すのは久しぶりだな」
「……そうだな」
「体はもう大丈夫なのか?」
「もちろんだ。君の方は……」
「うーん。どうだろうな。体の方は平気なんだが、流石に疲れたな」
ここで無理に隠すことはできるだろうが、その行為に意味はない。イリアスにはもう『俺』がどれほど打ちのめされたのかを知られてしまっている。
「……そうか」
「ちょっとだけ気持ちに整理を付けたいと思っていてな。聞いてくれるか?」
「――もちろんだ」
「ありがとな。以前にも話したが、『俺』は敵意に敏感に生きていた。相手を理解し、敵意に備え、時には悪意を持って相手を貶めることもしてきた。でもまぁ所詮はただの若造で、権力を持っていたり、より悪の道を進んでいたりと、先を進んでいた連中と渡り合えるようなことはできなかった」
目には目を、歯には歯を、そんな生き方を続けていれば争いの規模は大きくなり、その周りにも影響が出てくる。誰もが最後まで戦い抜けるはずもなく、『俺』は仲間にすら裏切られた。いや、裏切られるような真似をしていたのは自分なのだ。
「仲間を振り回し続け、裏切らせてしまった。そこで色々と限界を感じて、人を避けてひっそりと生きていた。そうしていたらこの世界に来たわけだ」
「……」
「色々不便は感じたけど、『俺』はこの世界を気に入っていた。多くの人が真っ直ぐに生き、眩しいと感じながらも居心地の良さを感じることができた。だけど、そこにはどこか自分に対する誤魔化しがあった」
この世界は違う。あんな世界とは違う。だからきっと上手くやっていける。諦めなければ、最後まで貫き通せば、きっと願いは叶う世界なのだと、勝手に期待をこの世界に押し付けてしまっていた。
だけど敵意や悪意を持つ者と向かう度、この世界も同じなのではないのかと気づく自分がいた。この世界はまだ人口も少なく、そういった問題が起きた回数が少ないだけ。やがては地球と同じように、『俺』が辟易としてしまった世界と同じになるのではと自覚し始めている自分がいた。『俺』はそのことと向き合おうとはせず、ひたすらに無視し続けていた。
「前向きに生きるだけなら悪くなかったんだけどな。『俺』はこの世界から目を背けながら前に進んでいたんだ。それじゃあいつか自滅する。ムールシュトはその辺に気付いていたんだろうな。だから『俺』に現実を突き付けた。この世界に幻想を求めるな。現実を生きる者として真っ直ぐに向き合えと」
「……世界に理想を求めることは悪いことなのか?」
「それも一つの生き方だ。絶対に悪いってわけじゃないだろうよ。だけど『俺』は強くない。理想に縋り続けていたら、いつかはボロが出る。それこそ元いた世界と同じ結果になるだろうな」
客観的に自分の選んだ行動を振り返れば、とても正気とは思えない苦難の道ばかりを選んでしまっている。でもこれが正しい、これしかないのだと妄信的に進んできていたのが自分だ。ミクスの言う通りだ。なんで『俺』は恩人を魔王やら勇者予備軍と戦わせているんだよって、今なら過去の自分を殴っていただろう。
「私は君の選んだ道は間違っていないと思う。いや、そもそも選ぶ道に正解なんてない。その道を選んだことを後悔せずに進むことが、生きるということなのではないか?」
「……はは、良いこと言うじゃないか」
「茶化すな」
「悪い悪い。『俺』の場合は正解だと信じて疑わずに、盲目的に進んでいたことが問題だったってことだ」
思った結果にならなかった。こんなはずじゃなかった。そうなった時に『俺』は絶対に後悔する。その責任を世界に押し付け、また同じような結末を迎えていただろう。『俺』を信じてついてきてくれていた人達のことなんて忘れて。
「難しい問題だな」
「ま、目は覚めたさ。ムールシュトがどぎついビンタをくれたからな」
「……君は彼に感謝をしているのか?」
「できるわけないだろ。容赦がないにも程がある。トラウマ確定だぞ。人の目を覚まさせるためだけに自分を殺させるとか、重すぎるどころの話じゃないっての」
「そ、そうだな……」
この数日、ムールシュトを刺し殺した感触が夢で繰り返され続けている。それこそズッチョに拷問された悪夢すら遠慮して自粛しているくらいだ。夜中に起きないためにはバラストスに処方してもらった睡眠薬が手放せなくなっているし。
「――だが感謝したいとは思っているのだな」
「……そのうちにできれば、ってところだ」
ムールシュトは思考が単純で、その上辺だけでも全ての行動理念が理解できた。だからあいつの想いの全てを理解する必要がなかった。愛する人のために躊躇なく自分を殺させるような愛情を理解するなんて、それこそ自殺願望のある奴を理解する以上に自分を変えかねない。
あの場で全てを理解してしまっていたら、どちらが先に自分を殺させるかという史上最悪の愛情表現の応酬になっていただろう。誰得だっての。
ただ、もう少し心に余裕が出てきたら、許容できる範囲まであいつが『俺』に向けていた気持ちと向き合いたいとは思っている。それくらいの対価は払うべきだと。
「重症ではあるが、思ったよりは軽症と言ったところか」
「イリアス、それ結構酷い事言ってるぞ?」
「君が包み隠さず語るのなら、私もそうするだけだ。私はもっと最悪の結果だと思っていた。君はこの世界にすら見切りをつけ、この世界を去ろうとするのではないのかとかな」
「どこの世界にも見切りをつけたところで、行く場所なんてないだろ。自殺はしたくないしな」
「それでもこの世界よりは安全なのだろう?」
「……守ってくれるお前達がいるからな。どっこいどっこいだろうよ」
もっとも手遅れになっていた場合、横にイリアス達がいてくれたとしても、それを受け入れられただろうか。まだ地球の方がマシだと思っていたかもしれない。
「どっこいどっこい、か。まだ帰りたい願望はあるわけだな」
「捨てきれってのも無茶な話だとは思うけどな」
「捨ててほしいさ。私は君にこの世界を、私達を選んでほしいのだから」
太陽の光を眩しく感じるように、無意識的にイリアスから視線を逸してしまった。このヘタレ具合はどうにかなりませんかね。無理ですか、そうですね。
「現実を思い知らされて、無様に泣き喚くような軟弱な奴だぞ」
「無様に泣き喚きながらも、現実を受け入れられた強い人じゃないか」
「――はぁ……」
「おい、何故ため息を吐く」
そのイケメンさには勝てないなと、男としてのプライドが折れているからです。まあ元々ヘタレなんで、安いプライドなんだけどさ。
「なんにせよ、疲れた。とりあえず当面は何も考えず、だらだらしたい」
「そうしてくれ。皆そう願っているだろうからな」
ここまでついてきてくれた皆にしっかりと謝って、感謝を伝え、恩を返さなければいけない。
セレンデの日々を経て、知ってしまったこの世界のこともあるし、考えなければいけないことはまだまだ沢山ある。
だけどそれはもう少しだけ後にしよう。この世界に来てから次々と紡がれてきた因縁に対し、ようやく形となる決着を迎えたのだから。
今はイリアス達と一緒に、ここまでに掴み取ってきた平穏を享受したい。それで良いよな、ムールシュト。あと頼むから夢に出る時は最期の時以外で頼むよ、本当。
◇
哀れな箱入り王女様の起こした悲劇はこうして完結。禁忌に足を突っ込んだ人間の結末としちゃあ、温情のあった方じゃねぇのかね?
「しっかし、アークリアルに続いてムールシュトも負けたか。所詮は一つの才能しか与えられなかった落とし子ってことか」
アークリアルとムールシュトの才能は、ユグラが分けた才能の中でも戦闘能力面で大きな脅威となるもの。それ単体だけでも緋獣辺りまでは通用する超絶的な力ではあったんだが……やっぱハイヤの才能以外だと人間に打倒される程度ってことなのかね。
つっても、慢心していたアークリアルはさておいて、ムールシュトはその才能を完全に使いこなしていた。あの同性愛者が本気で敵として立ち塞がっていりゃ結果も違ってたか。
「愛はいつの時代でも結果を覆してくれるってわけだ。美談だねぇ……ははっ」
しかし腑に落ちねぇな。これまでの観察の傾向として、あの男の精神に負担が掛かった時、内在している微量な黒姉の魔力に揺らぎが発生していた。ここから導き出されるのは、あの男の中には黒姉の意思が存在しているということだ。
だが今回の一件であの『地球人』の心は随分と削られたのにもかかわらず、揺らぎの大きさにあまり変化は見られなかった。そもそもここ最近で一番大きい変化だったのは、ムールシュトがあの『地球人』と接触する少し前なんだよな。
「揺らぎを大きくする条件がいまいちわかんねぇ。黒姉と近い目に遭えば共鳴するとばかり思ったんだがなぁ……」
実際に揺らいじゃいるんだが、すぐに沈静化してんだよな。まるで意図的に抑え込まれているっつーか……ん?いや待てよ?そうだと仮定した時、あの『地球人』は何をしていた?夢を見るような時はそれをしていなかったわけで……お。
「あー、そういうことか。くそっ、この説が一番しっくりきやがる」
奴の周りに問題が発生すれば、揺らぎは大きくなる。それは確かだが、同時に沈静化する条件も満たしてやがったんだ。あの『地球人』がそれを意図的にやっていたとは思えねぇが、これじゃあいつまで経っても俺が望む展開にはなりやしねぇ。ワンチャン黒姉と再会できるかもって、期待していたのによ!
方法がないわけじゃないが、それを俺が画策したところであの男は絶対に見破ってくる。そもそも自覚があるわけなんだから、あの男がこの仕組みに気付いていてもおかしくねぇんだ。
「ふざけんなよー!やっぱクソじゃねぇか、この世界ー!あーもう滅びねーかなー!」
「相変わらず頭の悪そうな独り言だね」
「――ッ!?」
咄嗟に大鎌を取り出し、声のした方向へと向き直って構えた。ここに俺以外の誰かがいることなんてありえねぇ。ここは俺が創り出した空間で、自力で辿り着けるような奴なんざ――
「ドッキリのリアクションとしては真面目過ぎるかな。もっと目玉を飛び出したり、口から心臓を吐き出したりとかできないのかな?」
「……そのリアクションはもうお前さんの故郷では古いらしいぜ……ユグラ」
衣服はどうやったらそこまでボロボロになるのかと疑問になるマント。昔は黒姉とお揃いだったのに、すっかりと色落ちてしまった白い髪は亜人のガキと似た発光する以前よりも遥かに長く伸び、地面に届こうとさえしている。だけどその童顔と何を考えているか読みきれねぇ眼は以前と変わらない……つかクマがひでぇ。そしてなによりこの俺が対峙していて体の震えが抑えきれねぇほどの圧力。
理を超越した白の魔王、ユグラ=ナリヤがそこにいた。
「あれ、そうなの?百年くらい先のセンスを取り入れたつもりだったんだけどなぁ」
「その髪の長さ、蘇ってから随分と経ってるんじゃねぇのか?」
「んー……うん。結構前には蘇っていたよ。よいしょっと」
ユグラは自分の髪を雑に束ねると、それを魔法で切断した。肩の長さに届く程度まで一気にさっぱりしたな。つかこの散髪方法はホント見ていて雑だなって思うぜ。
それよりも気になるのはとっくに蘇っていたことだ。結構前に蘇っているってんなら、どうして今まで現れなかった?いや、どうして俺が観測することができなかった?
俺はユグラがいつ復活しても、すぐに迎えに行けるように世界中を監視していた。この世界にいたのであれば、見逃すようなことは絶対にねぇ。考えられるのはこの場所のように独自に創り出した空間にいたってことだろう。
「何をしていたんだ?」
「答えはすぐに出たのに、諦めがつくまでに掛かった無駄な時間だったよ。んーでもまあ、クソ野郎を黙らせるには必要な時間だったかな」
「クソ野郎って……おいおい、まさか『神』とやり合ってたのか!?しかも無事ってことは……まさか!?」
「いやいや、神殺しとかできないからね。そもそもアレは生き物じゃないんだし」
ユグラは大きな欠伸をしながら、俺の特等席のソファへと倒れ込む。一応俺綺麗好きなんでちょっとそのボロボロのマントは脱いでほしいんだけどな。
「おいっ!?」
「んー、ちょっと寝かせて。あのクソ野郎のせいでもう何百年も寝てないんだ」
「何百って――本当に何をしてたんだよ!?」
金娘と同じ『統治』の力を応用すりゃ、時間の流れの違う空間で長時間の活動はできる。だからって数百年単位の経過は精神的負荷が尋常じゃないはずだ。それを眠いで済ませるってのは……いや、ユグラだし……納得するしかねぇのか。
「何をしてたとか、語るだけ無駄無駄。一ヶ月くらい寝たら起きるから、起きたらやることやるからねー」
「いやいや、やることって、どういうこと――」
「君もさっき言ってたじゃん。このクソな世界にバイバイするんだよ。ぐぅ……」
「はぁっ!?いや、おいっ!ユグラッ!……まじかよ、爆睡してやがる……」
とんでもない発言を連発したかと思ったら、今度はガキのようにすやすや眠ってやがる。マジで自分勝手なやつだ。
それよりも最後の言葉、このクソな世界を……滅ぼすってことなのか?確かにこいつにならそれが可能かもしれないが、だからって……いやいや、そんなことをするわけがねぇよな?こいつは一度寝たら絶対に起きねぇ。一ヶ月後に問い詰めるとするか……。
そんなわけでそっと布団を創り出し、ユグラの上に覆い被せた。
決着編終了です。いやぁ、長い!どうしてラーハイトとセレンデ内部での章を分けなかった自分!
告知の方もば、5/14にコミカライズの二巻がいよいよ販売します。イリアスやウルフェの可愛さもそうですが、カラ爺好きには特におすすめしたいコミカライズ版となっております。
それとマグコミの方でコミカライズの最新話が更新されましたね。ニコニコ静画の方でも少し遅れた話数で更新されておりますので、それぞれのサイトで追いかけてくださっている方はお忘れなきよう。




