そんなわけで、壊れる。
ウルフェの応急処置を済ませ、主様の元へと合流する。主様は涼しい顔のまま、避難先で怯えている人間達を遠目に眺めていた。
「ウルフェの方はどうかしら?」
「肉体の損傷が激しく、暫くの間目を覚ますことはないでしょうが、峠は越えました」
「そう、ご苦労様ね?」
「労いの言葉など――」
「彼に恩を売れたのだから、功績には違いないわ?貴方を送り込んだことで多少は危険な立場になったわけだしね?」
私がこの場を離れて間もなくアンデッドの集団が押し寄せてきていた。しかし所詮は死霊術で作り出された下級魔物程度の存在。バトラー・アーミーと追加の戦力を突破されることはなかった。
「奇妙な獣のアンデッドもいたようですが、問題はなかったようですね」
「せいぜい中級程度ですもの?バトラー・アーミーとダルアゲスティアが負けるはずもないわ?」
「ロロロォ……」
「あら、御主人様が気になるのかしら?『蒼』ならさっき連絡がきて大丈夫だと分かったわよ?」
「ロォ!」
ダルアゲスティア。蒼の魔王が持つスケルトンドラゴン。その巨体ゆえに戦える場所は限られるが、殲滅戦に置いては私よりも遥かに優れている。
私としてはその能力の高さよりも、自らの主人ではなく主様にも懐いているという点が気になる。普段からあまり仲が良いようには見えない主様達のことを考えると、このダルアゲスティアも主様を警戒するものとばかりと思っていたのだが……。
「貴方もご苦労様ね?ベラード?」
「私は殆ど役には立っていません」
ダルアゲスティアを連れてきたのは、現在『蒼』の魔王の配下となった悪魔ベラード。こちらは元々が主様の魔物であったのだから、この恭しい態度については特に思うことはない。
「あら、『蒼』への応援のためにダルアゲスティアを引っ張り出していたのに、私達が襲撃されたことに気づいて応援に駆けつけてくれたじゃない?」
「……それは今の主様ならそう指示するだろうと判断してのことです」
「あの子に仕えてからまだ短いのに、すっかりと考え方が人間的になったわね?デュヴレオリ、ベラードと一緒にセレンデ本国の遊撃に戻ってもらえるかしら?」
「それは構いませんが……」
この辺鄙な村は国民達が避難場所として選んだ場所。そこに精確に敵兵を送り込んできた今回の首謀者は油断のできない相手。
配下の中にはウルフェすら倒しうる勇者ユグラの落とし子がいる。他に何かしらの策を練っている可能性を考慮すれば、主様の元を離れるのは――
「平気よ?旗色が悪くなったら人間なんて見捨ててダルアゲスティアに乗って逃げるもの?」
「……そうですか。ならば安心です」
「それよりも気をつけるのは貴方の方じゃなくて?ムールシュト……まさかウルフェすら倒すなんて……」
「あの男は既に死に体でした。明日へと向かうことはないでしょう」
奴からは既に死の臭いが漂っていた。助からぬ傷を受け、やがてくる死を受け入れていたのだ。
確かに今この時、奴は全てをあの人間に対し注ぎ込んでいるのだろう。主様のことを考えれば、ウルフェを助けるよりも奴の足止めをすることが最善だったのかもしれない。
だがそうした場合、私は敗北していただろう。ムールシュトの傷が多少増える程度で、僅かだけ遅れてあの人間の前に同じように現れただろう。
「――貴方が怯えるなんて、相当なのね?」
「怯えてなどいません。ただ少し……嫉妬をしていただけです」
私がムールシュトと同じように意思を力として貫き通すことができていれば、ターイズでイリアスに負けることはなかった。いや、そもそもメジス魔界でユグラに主様を殺されることすらなかったのかもしれない。
意思の強さを証明する才能、あれは私の持つどの特異性よりも優れていると思ってしまった。だからこの震えはそれを持たない自分への怒り、そしてムールシュトへの妬みだ。
「そう、嬉しいことじゃない?欲があるのならば貴方はまだ育つわ」
「……それが主様の望みであるのならば」
あの人間は今頃あの意思の怪物と向き合っているのだろう。あれ程の怪物を相手にしているのであれば不安の一つでも湧き上がるものなのだが……不思議とあの人間ならばどうにかできると確信してしまっている。
きっと別れる前にみたあの人間の顔、アレが原因なのだろう。あの人間は相当前からムールシュトの結末を受け入れていたような、そんな気がする。
◇
息を切らせながら側防塔へと辿り着く。外側の扉は既に破られており、周囲にはアンデッドの腐臭と血生臭さが混ざり合いながら漂っている。
違う、こんな結末は望んでいない。こんなことがあってはいけない。そうだ、焦る必要はないのよ。私は側防塔の内側にもアンデッドを配置していた。臭いに反応し襲うように調教した子達とは違い、単純に人間を襲うだけの人型を。
匂い袋を持ってこられた以上、あの男やその仲間がここに侵入したことは事実。だけどそれだけで、お兄様が危険に晒されたとは限らない。
「そうよ……そんなことがあるはずがない……!だってほら、配置したアンデッドが一体もいないじゃない……っ!」
魔封石が破壊された後にこの場所を訪れた者がいる。おそらくはミクス=ターイズがここに侵入し、アンデッドを掃除したに違いない。
だったらどうして扉が壊されているの?鍵を破壊するのではなく、まるで巨大な獣が入り込んだように、徹底して扉が破壊されていたの?
「っ!違う、違う、違う!」
首を激しく振り、余計なことは考えないようにする。連中にお兄様を害することなんてできない。きっと既に助け出したか、今もまだお兄様をあの部屋に残しているに違いない。
そう、この先の部屋に、この部屋に、お兄様がいようがいまいが――
「お兄――」
扉が破壊されている。その奥に動く影がある。それが私の子達であることは、その巨体を見れば分かる。数匹の子達が、部屋の中に入って何かを貪っている。
「違う、ちがう、どいて、どいて、どいてっ!」
土笛を取り出し、この場から離れる命令を奏でようとするも、指と口が震えて上手く音がでない。まるで初めて楽器を与えられた幼児のように、調子の外れた音色しか出ない。
ああ、駄目、駄目駄目駄目駄目駄目駄目っ!お願い、その動きを止めて!もしかしたらまだ生きているかもしれないのだから!
指に噛みつき、震えを無理やりに止める。血の味に口の震えもある程度落ち着いた。一度息を強く吸い込み、土笛を一気に吹く。土笛の音を聞いた子達は頭を上げ、私を無視しながら部屋から出ていき、どこかへと去っていった。
「……あ」
そこには何かがあった。赤くて柔らかいものと、白くて硬そうなもの。それを彩るかのように千切れた布が混ぜられている。
良かった、人はここにいない。いないんだ。じゃあこれはなに?だれのもの?それは違う違う、これはお兄様じゃそんなわけないあるわけがないじゃあそこに転がっている私とおそろいの指輪は違うって言っているじゃない!だってだって、だから違う違うあああああああああああああああああああああああ!
◇
座り込み、放心していたヒルメラ王女の背後から当身をし、彼女の意識を奪った。
「……酷なことをと思う資格は、ないでしょうな」
ヒルメラ王女を抱き上げ、側防塔を出る。近くにあった使用人の道具を保管している小屋の扉を数度叩き、その鍵を内側から開けてもらう。
「ヒルメラッ!」
「死んではおりません。ただ少々見たものがショッキングなものだったので……暫くは起きないでしょうな」
中から飛び出したワシェクト殿は私の腕からヒルメラ王女を取り上げると、申し訳無さそうな顔のまま、彼女を見つめていました。
ご友人の指示した内容、それはヒルメラ王女にワシェクト殿が死んだと錯覚するように仕向けることでした。
私はまずこの側防塔にあった匂い袋を回収し、ワシェクト殿を救出。側防塔内の施設でワシェクト殿の体を洗い流してもらい、匂い袋の匂いをつけた使用人の服に着替えてもらいました。
その後ワシェクト殿をこの物置へと避難させ、匂い袋をご友人へと渡しました。
その後側防塔にいた男性のアンデッドにワシェクト殿の服と小物を被せ、ワシェクト殿の代わりに拘束しました。
この時点で魔法が使えるようになっていたので、扉を開けワシェクト殿の香水の匂いを風の魔法で外に広げさせたりなどでき、色々と手間が省けましたな。
獣のアンデッドが側防塔に侵入し、ワシェクト殿のいた部屋に入って暴れているのを確認次第、即座にご友人へと合流。最初から一緒にいたかのように振る舞うことでヒルメラ王女を側防塔へと誘導。
ご友人はヒルメラ王女が死体の真偽を確かめようとするまでは放置するようにと言っておりましたが、ヒルメラ王女は放心してその光景を延々と眺めておりました。これが偽りだとしても、これ以上兄妹の絆を利用した残酷な光景は見たくなかったので気絶させることにしました。
ヒルメラ王女の心を折らない限り、この惨劇は何度でも繰り返される。殺す以外に彼女を止めるには、こうするしかないとご友人は言いました。
自分のせいで最も大切な方を失う。その恐怖を体験しない限り、この子はいかなる犠牲をも省みないと。
「すまない……ヒルメラ……」
ワシェクト殿にはこの計画を話しました。最初は反対し、自分が説得してみせると言ったワシェクト殿でしたが、それを見越してご友人が用意した手紙を見て、受け入れざるを得ませんでした。
手紙の内容は端的に、『協力をすればヒルメラが生きられるようにする。飲まない場合、ヒルメラを生かす方法には一切協力しない』と書かれていました。
ワシェクト殿はヒルメラ王女を説得できたとしても、その後ヒルメラ王女を守る術を思いつかなかったのでしょう。
「感傷に浸るのは後ですぞ。魔封石が破壊され、行動に余裕が出てきた以上、ヌーフサ殿は一気に事態を収拾しに動くでしょう。既にメジスに連絡し、応援を呼んでいる可能性もありますからな。ここにもすぐに人がくるでしょう」
「……そうだな。何から何まで……すまない」
「いえいえ、ご友人絡みで罪人を見逃すのは一度や二度ではありませんので」
内心では思うところは色々ありますが、ご友人が選んだ道を共に歩むのが私の選んだ道。これくらいの無茶は喜んで付き添いましょう。
ただ、それよりも気がかりなのはご友人とラッツェル卿の安否です。私が合流した時、ご友人は少しの迷いもなく『大丈夫だ』と合図を送っておりましたが……ラッツェル卿のあの負傷を見る限り、とても大丈夫とは思えません。
「――それでもあの人は本気で大丈夫だと、私を送り出しましたからな。本当、信じる度に胸を苦しめられる方ですなぁ……そこばかりは直してほしいのですが……はぁ」
◇
儚さを美しいと感じるようになったのは、きっと僕が人よりも頑丈だったからなのだろう。
生き物は皆脆弱で、壊れやすく、その形を保っているだけで奇跡のように感じていた。誰に対しても恋い焦がれずに済んだのは、僕を化物扱いした連中のおかげかな。
両親は転んでも泣かなかった僕を不気味と感じていた。高いところから落ちても平然と起き上がった僕を見て、嫌悪の視線を向けてきた。堪えきれず僕のお腹を刺すために使った刃物が折れた時は、僕を地下室に放り込んで存在をなかったことにした。
一ヶ月くらいして、両親は家を捨て新しい人が住みにきた。事情を知らなかった新しい人は、孤児が勝手に住み込んでいたと勘違いして、僕を追い出すだけで済ませたのは幸運だったんだろうね。あの時はお腹が空いていて、ちょっと気が立っていたし。
お腹が減っても、怪我を負っても、寒さに震えても、僕が壊れることはなかった。そのおかげで僕は誰よりも余裕を持って人を眺めることができていた。
人を観察することは大好きだった。醜さと美しさが入り交じった複雑な形は見れば見るほど、深みを感じることができたからだ。
だけど多くの人を見比べていくうちに、僕は随分と好みが偏ってしまっていた。似たような形に対しては興味を失い、より個性の強い心を持つ人を見ることを好んだ。
ヒルメラ様はその中でも僕の生き方を決めさせてくれた恩人だ。幼いながらに全てを捧げることを望んでいたヒルメラ様を見て、僕は献身することに憧れを持った。
儚く美しい心を持った人のために、全てを捧げる。ああ、この頑丈で化物と呼ばれた僕が存在する意味としてこれ以上にないことじゃないかと。
◇
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
剣を地面に突き立て、体を支える。荒くなった呼吸が取り込む空気が体の内側から傷を圧迫してくる。その痛みに意識を持っていかれそうになるが、息を整えなければ身体のほうが限界で倒れてしまう。
ムールシュトの最後の一撃、その速度は変わりのない神速の域ではあったが、その剣には既に重みがなくなっていた。踏み込みに使う力だけは取り戻せていたが、その肉体を維持するだけの強さはもう残っていなかったのだ。
だから私の剣は届いた。肩から腹部まで届く一撃を受け、ムールシュトの目からは光が消え、その体は地面へと崩れ落ちた。
強かった。彼がムールシュトの意思の強さを奪っていなければ、私は確実に負けていた。それほどまでにムールシュトは強かった。
力の差にこれまでのような悔しさは感じなかった。自らの力不足を嘆くことを許されなかった。それほどまでにムールシュトの意思の強さは圧倒的だったからだ。
落とし子としての才能、勇者としての意思の強さ、そのようなものがあったとしてもムールシュト自身の強さは本物で、ムールシュト自身の力だった。
「イリアスッ!」
声に振り返ると、彼が駆け寄ってきた。私が戦っている時は私を信じ続け、見守り続けていてくれていたが、その心配そうな顔を向けられると、どこか嬉しさを感じてしまう。
「大丈夫……ではないが、なんとかだ。君のおかげで勝つことが――」
「後ろだっ!まだ終わっていない!」
再度向き直るよりも速く、顔を掴まれ、そのまま地面へと叩きつけられた。私の顔を覆う手の指の隙間から見えたのは、こと切れたはずのムールシュトの姿だった。
生者の気配は何もなかった。今もこうして私を見下ろしているその眼に生気は感じられない。まるで本当に死体が動いているかのようだ。
意識は辛うじて残ったが、完全に気が緩んでいた状態で後頭部から叩きつけられた。体の機能が完全に麻痺し、何の対応もすることができない。
ムールシュトはそのまま私の上へと跨り、その両腕で私の首を絞め始めた。
「が……あっ……!」
「油断したね……とは言わないよ……。さっきまで、実際に死んでいたと思うし……」
辛うじて動いた両手でムールシュトの腕を引き剥がそうとするも、その力は今まで以上に強く感じられる。いや、もしもそうならば私の首なんて容易く折られているだろう。それほどまでに今の私の体には力が入っていない。
「ぐっ……ふ……うぅ……っ!」
「喜んで……いいよ……。これが本当に最後……、君を……したら、……もう僕は空だ……だけど、それでも僕は――」
ムールシュトの言葉を遮るかのように、彼の胸元から温かい血が飛び散る。私の剣の刃が、ムールシュトの体を貫き、私の目の前に現れていた。
その体が崩れ私の上へと倒れ込み、そこに立っていた彼の姿を映し出す。彼の目からは涙が流れていた。
彼は私が落とした剣を拾い、少しも迷うことなくムールシュトを刺していた。これまで間接的に人を死に追い込んだことはあっても、その手で直接人を殺めたことがなかった彼が、だ。
「これで……これで満足かよ!ムールシュト!本当、ふざけるなよ!ああ、くそっ!」
彼は泣きながらムールシュトに向かって叫ぶ。私の体に被さっているムールシュトからは鼓動を感じない。なのに――
「君はこの世界を特別な世界だと……、この世界は違うと……思い込んでいたからね……。一緒なんだよ……、君のいた世界も、この世界も……」
「――っ!?」
ムールシュトは声を出した。肺は既に斬り裂かれ、呼吸すらできないはずの体なのに。残りの命を捧げ、言葉を紡いでいる。
「そんなこと、そんなこと!とっくに理解しているに決まっているだろ!」
「それは嘘……だね……。君の手に残っている感触……それが本物だ……。目はもう見えないけど……君の心の中にあるものが……壊れているのを……確かに感じ取れているよ……。君を壊せるのは……君を本気で愛している者だけだから……」
死にゆく者の残す言葉、それが彼の心を蝕んでいるのが分かる。だけどそれを止められない。その言葉が彼にとっての真実なのだと、ムールシュトの意思の根幹にあるものだと理解してしまっている。
「僕は……君を壊せた……。君の幻想を……、この世界に抱く夢を……。うん……満足……さ……。あはは……ごめん……ね……」
ムールシュトの中にある何かが切れたのを感じとれた。口からは吐息の代わりに血の臭いが漂い、肺や心臓だったものが傷口から溢れだす生暖かさを鎧越しに感じる。
もう動く様子はない。今私の上にあるのは、ただの死体。他人と何一つ変わりのない、人間の死体だ。
彼が声を殺して泣いているからなのだろうか。私は他の誰かがこの場所に来るまで、この体を動かすことができなかった。ただ彼の嗚咽を聞き、ムールシュトの亡骸が冷たくなるのを感じ続けていた。
この投稿のあとコミカルな書き下ろしSSとかを書いていると、人間性を疑われそうだなとか思いつつ。
そろそろこの章も終わりです。さぁ、最終章目指してスパートだ。