そんなわけで、歪んだまま。
「ツドァリ、モラリ、報告ご苦労様。ふむ……チサンテとユミェスが脱落したか。やり口から考えるに、彼は無理にもう一つの立ち位置を呼び起こしたようだね」
アークリアルが寝かされている部屋で、リティアル様は私とモラリの報告を聞いていた。暫くの間は様子見に徹すると判断したリティアル様は、私とモラリにセレンデ内の監視を命じていた。
街中で突然家屋の倒壊、及び火災が発生したことが切っ掛けとし、チサンテ王子とユミェス王女の周りでのスキャンダルが国内に広まる形となっていた。本来ならばそのような噂が流れないよう、王子達の手で工作が行われてもおかしくなかったのだが……考えられるのはユグラの星の民の暗躍だろう。
「いかがしますか、リティアル様。もう少し踏み込んで調査することもできますが……」
「君達が不必要に巻き込まれることは私にとって不利益でしかないからね、その必要はない。この報告だけで国内の様子は全て把握できているよ」
そのようなヘマをするつもりはないが、大切にされる分には悪い気はしない。……これだけで仄かに顔を赤らめられるモラリほどではないにせよだ。
「デハ引キ続キ、踏ミ込マナイ程度ニ監視ヲ続ケル形デ?」
モラリが小さな幸せを噛み締め、口を開こうとしていなかったので私が口を開いたのだが、彼女の不機嫌そうな視線が私に向けられる。リティアル様との会話の機会を奪うことが許せないようだが、そうならさっさと話を進めてほしいものだ。
「受け身ではあるが、それで構わないだろう。彼に恩を売る機会ではあるが、リスクを背負う時期ではないからね」
「う……」
呻くように声を絞り出したのは、さっきまで意識のなかったアークリアルだ。先日から体の方が反応を見せ始め、そろそろ起き上がるかもしれないとリティアル様が言っていたが……。
「お目覚めかな、アークリアル」
「……俺は何日くらい眠っていた?」
「七日は超えているね」
「うおぉ……畑……ダメになってんだろうなぁ……ちくしょー……」
らしいと言えばらしいのだろうが……生死の境を彷徨っていたくせに、目覚めて最初に気にするのが畑というのはどうなのだろうか。
「君の畑ならヤステトが面倒を見ているよ。他の刺客が現れるかもしれないと、見張らせておくのが本来の命令だがね」
「まじか、あとでヤステトにキスしてやろ」
「恩を仇で返すのはどうかと思うがね。それで目覚めて早速だが、君に聞きたいことがある。君は昔、ラーハイトと共にセレンデの王族と接触した記憶はあるかな?」
気怠そうな感じではあるが、リティアル様がその情報を急ぎ欲していることは伝わっているのだろう。アークリアルは目を閉じたまま、過去の記憶を思い出しながら言葉を紡いでいく。
「……一度だけ、あいつに護衛を頼まれて一緒に人と会ったことがあったな。人気の少ない酒場の中で……がっしりとしていてダハダハ笑っているような男だ」
「その様子はチサンテ王子か、話の内容は覚えているかね?」
「いや、あんまり。物資の調達が目的だったのは覚えてっけど……、確か水晶を見せてたよーな、どうだったかなー」
水晶で思い出すのはユグラ教から奪った通信用の水晶だ。セレンデの未来を背負う者に対して、隣国の技術は交渉材料にうってつけだ。頻繁にメジスに潜り込んでいたラーハイトならば、我々が使う分以外にもくすねていても不思議ではない。
「全貌は見えたが……。さて、どうしたものか」
「ああ、そうだ俺を襲ったやつだが、そのへんの女よりも美人な男でムールシュトとかいうやつだ。ついでに言えば奴は落とし子で間違いないぞ」
その件についてはモラリの目撃情報を元に調べた人物と名前が一致している。ヒルメラ王女の護衛というところまでは判明しているが、アークリアルを倒すような相手に下手に近寄るのは危険だとリティアル様に釘を刺されていた。
「戦った感想はどうだったかな?」
「負けた俺が言うのもなんだが、俺よりかは弱いな。ただ……斬っても崩れない奴は初めてだった」
「崩れない……か。その男と戦うことは避けた方が良いだろうね。モラリ、ツドァリ、行動方針が決まった。我々も動くとしよう」
「はいっ!どこまでもお付きあい致します!」
リティアル様が方針を決めてすぐに動く、それはもう間もなくセレンデで何かが起こると読んでいるからだろう。そこを疑う余地はないが……ならばユグラの星の民はどうなのだろうか。
「あれ、俺は?」
「……怪我人ハ安静ニシテオケ」
「うわ、ツドァリが優しいとか珍しいな。恋でもした?あ、冗談だって、無言で武器抜くなって!」
そういえばハークドックの怪我はそろそろ癒える頃だろうか、私の時のような無茶をまたするかもしれないと考えると……考えると何なのだ。この距離で投げたナイフが一本しか当たらないのは流石に良くない。余計なことは考えないようにしよう。
◇
意識が戻るのと同時に感じたのは体の異様な気怠さだった。幼い頃に風邪を治すために薬を飲んで朦朧としていた時の記憶、今の状態はその時と非常に酷似している。
体調に気を使っていながら、このようなことになるものなのか、いや、違うこれは明らかにおかしい。そもそも体の周りに違和感が――
「――っ!?」
「おはようございます、お兄様。少々強めの睡眠薬を使用してしまいましたが、お体の方は大丈夫ですか?」
判断力が戻ってもなお、その状況を理解するのに時間が掛かってしまった。手には枷が嵌められており、足は鎖で壁と繋がっている。
ここは何処だ。自分の体はベッドに寝かされていたようだが、牢獄ではない。狭い個室で、周囲には見覚えのある石像が転々と飾られている。
そう、これは今目の前で私の目覚めを見守っていたヒルメラに贈ったものだ。ヒルメラはいつもと変わらず、穏やかな表情のままの彼女だが……この状況ではその変化のなさに不気味さすら感じてしまう。
「……これはどういうことだ、ヒルメラ」
「お兄様を守るためです。きっとお話しても素直に応じてくれるとは思えませんでしたから、少々手荒な真似をしてしまいました。でも不用心過ぎますよ、お兄様。身辺に見張りを一人も置いておかないなんて……。私がいつでもお兄様に会えるように取り計らってくださっていることなのだとは思いますが、これでは他の王子達にも付け入る隙を与えてしまうだけではないですか」
理由の説明にはなっていないが、ヒルメラが睡眠薬を使って私をこの部屋に拉致したことは理解できた。妹がこのような行動に出る理由、心当たりがまるでないわけではないが……。
「目的を話してくれないだろうか、ヒルメラ」
「もちろんお兄様にこのセレンデの王になっていただくためです。お父様がヌーフサを次の王として選んだ以上、もう普通の方法では不可能となってしまいましたから」
「……父上とヌーフサ兄さんを殺すつもりか」
「それだけでは足りないのでしょう?お兄様は心優しい人、奪ったり奪われたりする可能性がある限り、王座を求めようとはしない……。ならば誰もがお兄様を求め、その地位を奪おうなどと考えられないようにすれば良い」
ヒルメラの言葉には思考が感じられるのに、合理性が伴っていない。普段の彼女ならば、今自分が理想しか語っていないと省みることができるはずだ。
今ヒルメラは正気ではない。短絡的な思考に逃げ、暴挙に出ることを正しいと判断してしまうほどに追い詰められているのだろう。
「ヒルメラ、私の話を聞いてくれ。人は経験を得ながら学び、それぞれが最善の道を目指して生きている。人の営みというものはそう簡単に変えられるものではないのだ。例え私以外の王族を殺したとしても、彼らは私を王として迎えるのではなく、新たな王を選ぶことになるだろう」
私は既に王位を競う争いから降りた立場、私には王となる資格はなく、民達もそれを理解している。だからこそ私は他の王子から命を狙われることもなく、今まで生き長らえることができたのだ。
もしもヌーフサ兄さんではなく私が王位を継いでしまえば、民達は納得せずに国はより危うい形へと変わってしまうだろう。
「……そうですね。お兄様は民からの信用を捨てた。そこまでして私やお兄様自身の身を守ろうとした。ヌーフサやお父様を殺したところで、納得はしないのでしょうね」
おかしい、会話ができている。ヒルメラが私の話を理解できている。私を拉致するような真似をしておきながら、どうしてここまで冷静に物事を見ることができるのか。
嫌な予感がする。ひょっとしてヒルメラは冷静なままなのではないか。冷静なままで、こうすることが最善だと判断してしまっているのではないだろうか。
「ならば――」
「ですから支配すれば良いのですよ、お兄様」
「なに……を言っている?」
「民の顔色を伺う意味なんてありません。支持を集める必要なんてありません。お兄様が王にふさわしいだの、ふさわしくないだの、そんな戯言、口にさせなければ良いのですよ」
「それは力で従えるということか?それこそ、私やお前では――」
これ以上否定の言葉が出なかった。ヒルメラの顔を見て確信してしまったからだ。彼女はこのセレンデを力で支配する術を持っている。その力を持っているからこそ、このような真似をしているのだと。
兵に影響力を持たないヒルメラが、この国を相手に力で支配を企む。一つの可能性を思いつき、それがこの状況を作っているのだと結びついてしまった。
「ワシェクトお兄様。お兄様の手は決して汚させません。この部屋でもう少しだけ待っていてください。そうしたら――私がお兄様に国をお譲りできますから」
◇
扉から出てきたヒルメラ様は、ワシェクト様の言葉を遮るかのように扉を強く閉め、そのまま施錠した。その表情は少しだけ曇っていたけど、それはただ愛しい兄を閉じ込めたという自責の念だけだろう。
「できるだけ早く済ませなきゃ……お兄様をあんな狭いところに何日も閉じ込めておくわけにはいかないもの。ムールシュト、ついてきて」
突然呼び出されたと思ったら、見せられたのは捕まっているワシェクト様。そして扉越しに聞いた信じられない話。だけどヒルメラ様はいつもの通り、平然とした様子のまま宝物庫へと移動する。
ヒルメラ様は宝物庫に飾られていたワシェクト様の絵画を取り外したかと思うと、その留め具を引っ張った。すると壁が割れ、地下へと続く階段がその姿を現した。
こんな場所があったのかと軽口を叩こうともしたけれど、僕でもそれを自重するくらいには空気が読める。
階段を進んだ先には人が素通りできる結界が貼られており、そこを潜った途端に強い死臭が鼻の奥に突き刺さる。これは一人や二人分じゃないし、一日二日放置された程度でもない。
その先には部屋があり、ヒルメラ様が魔石に魔力を通すとその部屋の様子がぼんやりと照らし出された。
そこにあったのは無数の死体。数からして数十人分はあるだろうか、新鮮な死体もあれば、腐りきって骨ばかりのものもある。
よくよく見れば知った顔の死体もちらほらと見かける。以前に仕事を辞めて城を出ていったとされる執事や、見張りの兵。あ、このメイドさん昨日僕に挨拶してくれた人じゃないか。
「思ったよりも驚かないのね」
「少しは驚いていますよ。このメイドさん、真面目でいい子だったのに何か粗相でも?」
「ヌーフサの駒よ。私の動向を監視していて目障りだったから、代わりに駒として使わせてもらったわ」
「……腕が切り落とされているのは?」
「お兄様をあの部屋まで運ぶのに使ったからよ。メイドの分際でお兄様に触れたのだから、それくらいは当然でしょ」
以前ワシェクト様の遺跡の話題に反応した時に、ワシェクト様は僕の肩を掴んできたのだけれどその理屈じゃ僕の両肩も抉られるのだろうか。言わないでおこう。
「ひぇっ……ってあれ?そんな人がワシェクト様を拉致――」
「避難よ、避難」
「ワシェクト様を避難させる手伝いをするとは思わないのですけれど」
「こうしたのよ」
ヒルメラ様は部屋の隅に置かれていた本棚から一冊の本を引き出した。何度も読み返され、ボロボロになった本で、たくさんの付箋が貼り付けられている。
その中のページを開き、ヒルメラ様は魔法を行使する。すると死んでいたはずのメイドさんの死体がピクリと動き始め、切り落とされていた腕が歪に再生していく。
「死霊術……スピネを滅ぼした禁忌魔法ですか。こんなものをよくもまあ……」
「十年くらい真面目に習熟してきたけど、構築を記した本を媒介にしないと安定しないのよね。それでもラーハイトに教わった内容をある程度自分流に昇華することはできたわ。……これ後でもう一回腕を切らないとダメかしらね」
微塵も隠そうとしない態度に思わずため息が溢れた。このお姫様は僕を拾う前から、この禁忌とされる非道な魔法を習熟し続けており、彼が探していた魔族の協力者だったようだ。四歳前後から死者を操る術を学ぶとか、おませさんにもほどがある。
「これを僕に見せてどうするつもりですか?」
「この力を使ってセレンデを支配しようと思っているの。他の連中は問答無用で巻き込むつもりだけど、貴方だけは選ばせてあげるわ。私の騎士として共に堕ちるか、何も見なかったことにしてこの国を去るか。好きな方を選んで良いわよ」
「……僕が彼にこのことを伝えるとか考えなかったんです?」
「しないでしょ、貴方は」
それはどうだろうか。ヒルメラ様が死霊術を使ってセレンデを支配しようとすれば、きっと大勢の人間が死ぬことになるだろう。彼はそんなことを見て見ぬ振りできる人物じゃない。それこそ後々の脅威となるのだから、必ずヒルメラ様の目的を妨害しようとするだろう。
このことを彼に報告すれば、彼に感謝されるかもしれないと考えると……実に魅力的な未来だ。ただ……うーん、実際にするかと言われると……しないかもしれない。
「僕に判断を委ねさせようとか、ヒルメラ様にしては中途半端ですね」
「だって貴方、私についてきたら御使い様の敵になるじゃない。愛している人を敵に回すかどうかくらい選ばせるわよ」
僕が選ぶべき正しい答えは、彼もヒルメラ様も裏切らない道だ。そうすればきっと事が終わったあとにどちらにも受け入れてもらえるだろう。
最後に彼と会った時のことを思い出す。人の心を尊重し、人であろうとした彼が、人でなしとして振る舞うために自らを別のものとして偽っていた。あれも紛れもなく彼の側面の一つなのだ。
そんな歪な姿のままでも、彼は僕との別れを惜しんでくれた。僕はそれだけで満足できていたつもりだった。その先に彼がどうなるかなんて、考えないようにしていた。
ああ、だけどこの選択肢は僕に欲を持たせてしまっている。考えるべきではないと、選ぶべきではないと、一生懸命に気づかないフリをしていたのに。
言い訳、逃げ道、口実、大義名分、そんなもので簡単に揺らいでしまうほど、こんなにも僕の理性は脆弱だったのか。
「――いいですよ。僕はヒルメラ様の騎士ですから、最後まで貴方の味方としてあり続けましょう」
「……やっぱり私と貴方は違うわね。どっちも狂気に満ちているのに、根本的な願いが真逆だもの」
僕の顔を見たヒルメラ様は少しだけ寂しそうに笑った。その意味は分からなかったけど、一緒に堕ちるのならばせめて一緒に笑い合いたいものだと思った。
一番重要なことは、四歳児相手に死霊術を取引材料として近づく不審者の事案があったということ。




