そんなわけで、吹っ切れる。
「ウッカ様からの方で確認が取れました!やはりメジスの大聖堂から盗まれたものでしたよ、尚書様!」
ラクラの報告により裏付けがとれた。チサンテが隠し持っていた物の中にあったのはユグラ教の秘術である通信用の水晶だった。
ここ最近では他の国の王達と連絡を取る際に当たり前のように使ってはいるが、この水晶は本来非常に厳重に管理されている。電話機器のないこの世界において、音声通信のできるこのアイテムは情報戦において圧倒的なイニシアチブを握ることができるからだ。
「ラクラ殿が普段から持っている物ですから、ついつい貴重品だというイメージが抜けてしまいますな」
「ミクスちゃんが酷いです……。リティアルさん達の隠れ家から押収されたものと同じ場所で管理されていたことも確認済みです!」
ターイズに送り込んだメジスの暗部との連絡の際にも、ラーハイトは通信用の水晶を使用していた。保管されていた場所が筒抜けだったのは間違いない。
メジスを出入りしている際にネクトハール達にもいくつか横流しをしており、そのいくつかがチサンテとの取引にも利用されたのだろう。仲の悪い隣国の機密情報、王族からすれば喉から手が出るほどに欲しいものだ。それ以前に薬の密輸などにも非常に役立つアイテムなのだから、実際に利用していた可能性も大いにある。
「各地に潜伏しているチサンテの配下が、残りの水晶を隠し持っていると考えていいね。そっちの捜索はメジスに任せて構わないね?」
「はい。ウッカ様もそのように伝えて欲しいと言っていましたよ」
メジスとしては国内の問題として自国の力だけで対処したいのだろう。あまりこちら側に恩を売られたくないというのも考えられる。この様子だと水晶を探しだす道具なども隠し持っていそうだし、あまり触れないでおこう。
「ところでご友人、麻痺毒の方は大丈夫ですかな?」
「少し体が強張っている感じが残っているけど、問題はないね。後から処方してもらった薬も飲んでいるし、平気だろう」
「それは何より、私の毒で後遺症が残ったとなれば色々と負い目が残りますからな!」
「『私』自ら飲んだのだから責任はないさ。むしろきちんと解毒できる毒を調合できている自分の腕を誇ると良い」
「……あのー、尚書様?」
おずおずとした様子で挙手をするラクラ。言いたいことは分かるし、先程からのミクスの視線も同じことを思っているのだろう。
「もう少しの間は戻らないでいるつもりだ。こればかりは個人的な問題だからね」
こうして『私』を引き出したことで『私』の体験は全ての立ち位置と共有されることになる。そうなれば『俺』の方も悪夢に苛まれることになるだろう。ならばいっそ暫くは『私』のままでこのトラウマじみている恐怖体験に慣れるまで生活した方が良い。
このことについては切り替わった時に、簡単ではあるが説明をしておいた。あれから数日が経過しており、いつ戻るのか気になってくる頃だろう。
「そうですか……。今の尚書様って下手に絡むと後が怖そうで絡み辛いですから……」
「『私』の前でそれだけ言えるなら平気とは思うけどね……」
皆には多少の苦手意識は持たれているものの、以前と比べれば随分と距離感が近く感じる。それは『俺』との心の距離が縮まったからなのは理解しているのだが、『私』では体験していないこととしての認識な分、違和感として残っている。
しかしこれは悪くないことなのかもしれない。より多重人格の概念に近づけば、『私』の実体験はより客観的な事実として隔離することができるようになるだろう。もっとも精神的な訓練で多重人格者になれるかと言われると、実体験があるわけではないので自信はない。
「しかしこれでラーハイトの協力者も判明した。君がこのセレンデで行うことはもう済んだと考えて良いのか?」
「それはどうだろうね」
イリアスを心配させたいわけではないが、これで万事解決と安堵できる状況ではない。気がかりな点はまだいくつか残っているのだ。
「……どういうことだ?」
「チサンテとラーハイトの取引の証拠はあったけど、その取引の全貌は明かされていない。チサンテから絞り出せる情報はまだあると考えているよ」
チサンテの欲の深さは理解している。ラーハイトのような怪しさしかない人物との取引にも応じることは間違いない。しかし取引の内容にイマイチしっくりきていないのだ。
通信用の水晶と隠れ家となる遺跡の情報、物品と情報で価値の比較が難しくはあるのだが、ラーハイトとチサンテの取引としては違和感がある。
「他に厄介なものが取引に使われている可能性もあるということか」
「チサンテの近辺から見つかった範囲ではそれらしきものはないらしいけどね」
問題の人物は既に抑えてある。今後チサンテは罪を犯した王族として、下手な行動は取れなくなる。ならば今は他の可能性を考慮し、対応の準備をしておくべきだろう。そう考えていると、デュヴレオリが姿を現した。
「人間、例の男が来ているぞ。ムールシュトと名乗る騎士だ。客間に待たせている」
「わかった。すぐに向かうよ」
イリアスとウルフェを連れて客間へと向かうと、そこには鼻歌を歌いながら楽しそうに待っているムールシュトの姿があった。ムールシュトはこちらに気づくと、僅かに首を傾げながらもすぐに合点がいったかのような表情になる。
「なるほど、なるほど。君はそうやって切り替えていたんだね。でも大丈夫?結構負担が大きそうだけど」
「ジリジリと削られるよりはマシになるように動いたつもりだ。あとはゆっくりできるだろうからね」
「そう?しっかり眠れている?」
ムールシュトはこちらへと歩み寄り、『私』の顔を間近で覗き込む。視点が少しずれたような錯覚、いやこれは本当に見るものを変えたのだろうか。
彼は人を見る時、全体を一枚の絵のように観察するような見方をする。しかし今は普通の人と同じで診察をするかのような感じで観察をしている。
「多少の寝苦しさは覚悟の上だとも。こちらも色々とあったからね」
「そうみたいだね。具体的にはさっぱりだけど、感覚的に伝わってくるよ。よいしょっと」
ムールシュトはソファーに座り、隣の席を数度叩く。できることなら向かい合う形で座りたいのだが、断る理由もないのでその場所へと座る。それだけで嬉しそうな顔ができるムールシュトが少しだけ羨ましく思える。
「もう少ししたらターイズに帰るんだろう?寂しくなるなぁ」
「また遊びにはくるさ。ワシェクトにも誘われるだろうからね」
「ちなみに君が望むのなら、ついていく……って言ったらどうする?」
その言葉に反応を見せたのはイリアスやウルフェだけではないだろう。だけど『私』は静かに首を横に振る。
「君はそうしないだろう。ヒルメラが王女である限り、君は彼女の騎士としての筋を通す。その頑なさは『私』や『俺』の言葉でも揺らぐとは思えない」
ムールシュトの魅力はその感情のひたむきさにある。イリアスの騎士としてのひたむきさに好意を持つのと同じで、ムールシュトの感情のひたむきさには純粋な憧れを抱きたくなってしまうのだ。
彼はヒルメラに拾われた恩を必ず返すと決めている。そこには騎士としての誇りなどはなく、ただ人としての繋がりを当たり前のように尊重できる純真さがあるのだ。
「……嬉しいなぁ。そこまで理解してくれるなんて。どちらの君も、僕をよく見てくれているんだね」
「立ち位置は違っても、君に対する評価は変わらないからね」
「遺跡巡りだけじゃ物足りないだろうから、その時は僕が見晴らしの良い景色とかを案内するよ。こう見えて暇な時はぶらぶらセレンデ中を歩いて回っているからね」
「ああ、今度会う時は是非好きな光景を見せて欲しいものだ」
暫くの間、他愛のない話をしてからムールシュトは満足そうな顔で帰っていった。今の彼にとって、これが最善の別れの所作だったのだろう。
見る人によっては、ムールシュトは狂って見えることもある。それは人が様々な要因で決断を変えることができる生き物だからだ。何があっても自分を偽らない存在は、時に理解の範疇さえも超える。
だけど『私』や『俺』に対しての気持ちを偽ることなく、純真なままで向かってくれたこの男のことを嫌いになることはできないだろう。
トッパラのことについての悲しみは『私』にも伝わってきている。それでも、このセレンデで得られたものは悪いものばかりではなかった。
◇
お父様に呼ばれることは滅多にあることではない。それは私を王女として呼び出し、王として伝えることがある時だけなのだから。
純粋に父親として私に何かをしてくれたことはないけれど、そのことに不満を持つつもりは微塵もない。むしろそんなことをされたら、きっと私は既にこの世にいなかったに違いない。お父様が目をかけようとした場合、それは次の王となる者ではないかと捉えられるからだ。
「――全員揃ったようだな」
チサンテとユミェスの姿はない。ここに呼ばれているのは私とワシェクトお兄様、そしてヌーフサの三人だけだ。この言葉の意味、それはあの二人が脱落した者であることを指していて、実に気分が良くなる。
「その、父上。チサンテ兄さんやユミェス姉さんの件でしたらまだ暫くは……」
「今日はそのことについてではない。次のセレンデの王となる者を伝えるためだ」
淡々と本題に入るお父様の言葉にお兄様達は言葉を飲み込む。王族の不祥事よりも次の王の話のほうがよっぽど重要に決まっている。
「我が子らならば、今更言うことでもないだろうが……ここは先代と同じ形で語らせてもらおう。セレンデの王に求められているのは、国と民を守りぬく力。不条理な悪意にその身を晒しても、生き抜けるだけの能力を持ち合わせなければならない」
この王位継承の争いは、王として国を守るための訓練のようなもの。ここにいる者達は皆母親をこの人の用意した舞台で失っているというのに、そこまでしなければならない理由がこのセレンデにはあるのだとお父様は言い切っている。
それをただ狂っていると侮蔑することはできない。人を導き、国を豊かに保つことの難しさを学んでいる以上、この争いの価値を理解できてしまっているから。
「チサンテとユミェスは人道なき力を得ることを選んだ。そのことを愚かだと切り捨てるつもりはない。だが人道を失った姿を晒す者に王になる資格はない。……ヌーフサ」
「はい。なんでしょうか」
「お前は自ら王を目指すのではなく、国のために尽力し、誰が王となろうとも自らの未来をこの国に捧げられるように立ち回った。本来ならばチサンテかユミェスが力をつけ、この国を統治すると考えていた。違いないか?」
「……そのとおりです」
「では何故、儀式の間に細工を施した?」
「――ッ」
そう、これがヌーフサの秘密。この男には国のために自分を駒とするつもりなんて、最初からなかった。あらゆる雑用を引受け、駒としての価値を売り込んでいたのも全ては自分が生き残るため。
お父様の管理の領域のある儀式の間、そこで王位継承の儀が行われる。この男はそこを処刑場へと改造しようとしていた。その仕掛けが発動した時、儀式の間は崩落し、その場に居合わせる全ての者が瓦礫の下敷きになるようにと細工が進められていた。
私がそのことに気づけたのはワシェクトお兄様との他愛のない話の中で、儀式の間の話題が出てきたことが切っ掛けだった。
儀式の間は遺跡から発掘された祭壇などが利用されており、遺跡に多大な熱を持っているお兄様は以前にその良さについて数時間にも渡る講義をしてくださった。
私はふと近くを通った時にその時の話を思い出し、なんとなくな気分で普段は出入りを禁止されている儀式の間へと忍び込んだ。そしてその時に見た祭壇とお兄様の語ってくださった内容に齟齬が生じていることに気づいた。
あのお兄様が間違った知識を私に教えることなどありえない。だから私は内密にそのことを調べ続け、儀式の間に仕掛けられた細工のことを知ることができた。
「年に数度の点検の際に少しずつ細工を進め、周囲に怪しまれることなく準備を進めていたのだな。公にはなっていないが、お前の仕業で間違いないな?」
「……はい、間違いありません」
あっさりと認めたことは驚いたけど、お父様相手に隠し事はできないと諦めたのであれば無駄な足掻きをしないだけ見苦しさは感じない。
「こうなった以上、王である私を暗殺しようと企てた者を王として選ぶよりも、多少劣っていながらもお前と同じように国のために努力を積み重ねた者を選ぶ他ない。……ワシェクト、私はお前を次のセレンデの王として選ぶつもりだ」
ニヤけそうになる口を必死に堪える。だけどこれ以上に嬉しいことなどありはしないの。私のお兄様がこの国の王となる。この国の全てを手に入れる。それが今、目の前で叶ったのだから!
なんと言って祝福しようかしら、きっとお兄様はどんな言葉でも喜んでくださるけど、選びたい言葉はたくさんある。いっそ歌にしてしまってはどうだろうか、少し恥ずかしかもしれないけど、きっとお兄様にとって心に残る――
「……父上。私は辞退したいと思います」
「――え」
言葉の意味を理解する前に、高揚していた体の熱が一気に冷めるのを感じた。お兄様は今なんと?辞退したい……?どうして、どうしてそんなことを?
「理由を聞かせてもらおうか」
「儀式の間の細工の件ですが、私も関与しております。これはチサンテ兄さん、ユミェス姉さん、そして父上、貴方を殺そうと思い私とヌーフサ兄さんで計画したものです。ヌーフサ兄さんがその件で王位継承の席を奪われるのならば、私もまたその資格はありません」
そんなはずはない。ワシェクトお兄様とヌーフサが手を組むなんてこと、あるはずがない。だって、ヌーフサのせいでワシェクトお兄様のお母様は死んでしまって、そのせいでワシェクトお兄様の心が折れてしまったのだから。
ヌーフサが身内の敵であることをワシェクトお兄様は知っていた、調べ上げていた。自分の大切なものを奪った相手と協力するなんて、そんな馬鹿なことがあるはずがない!
「そうしたのは……償いのつもりか?」
「そうです。私は母上を殺され、悲しみに暮れたままただ俯いていました。そうすればこの争いから逃げられる。もう関わりたくないと、そのことだけを考えていました。ですがそれでもやはり私は王子なのだと、現実はより残酷な結果を突きつけてきました」
そんな、お兄様。貴方は違う、それは貴方のせいじゃない。私は全てを知っているのだから、私は貴方を恨んでなんていない。
「……ロサ、か」
ロサ=セレンデ。私を産んだ母親の名前。あの人は私を愛してくれていた優しい母親だったけれど、あの人はお父様を恨んでいた。自分の夫を罪人に仕立て上げ、誅殺したお父様を。
だからお母様は私を王にしようとしていた。そして最も隙の大きかった、母親を失ったばかりのワシェクトお兄様を暗殺しようとして……自滅した。
お兄様を誘い出し、自らの手で刺し殺そうとしたところを偶然通りかかったメイドに目撃され、取り乱した挙げ句にメイドに襲いかかったのだ。そして揉み合いの末、自分の用意した刃物が喉に刺さり……。
私はもちろんこのことをしっかりと調べた。既に辞めていたメイドの居場所を突き止め、洗脳魔法を使わせてその事実を洗いざらい吐き出させた。
悲しかったけど、誰も恨むべきではないと諦められていた。だけどワシェクトお兄様は、自分のせいだと謝った。自分が殺されようとしていたのに、自分が殺してしまったのだと、泣きそうな顔を浮かべて。
「私が王子であることを否定しても、周りは受け入れてはくれなかった。私が生きているだけでも、この怨嗟は生まれ続ける。だから私は王子として、王になるべきであると判断したヌーフサ兄さんを王にするために動くことにしたのです」
そんなことはない!この王族達の中で、ワシェクトお兄様以上に王に相応しい方はいやしないのだから!
「なぜヌーフサが王に相応しいと?」
「考えるまでもありません。この醜い争いの中で、国の未来だけを考えているのはヌーフサ兄さんだけです。私は国の未来よりも妹と遺跡のことだけを考えて生きていたいですから」
ワシェクトお兄様は静かに笑った。それは私と二人きりの時に見せてくれた本心からの笑みだった。
「……良いだろう。ではヌーフサ、次の王はお前に託す」
「はい、わかりました。それでは――」
ヌーフサが何か話を続けていたけど、その内容は全く耳に入らなかった。私は今までお兄様のためにだけ頑張ってきたのに、お兄様の失ったものを取り戻せるようにと、こんなにもいっぱい考えて、考えて、ここまできたっていうのに……。
気づいた時には自分の部屋で呆然としていた。どんな足取りでここまで帰ってきたのかさえ覚えていない。いつの間にか転んだのか、膝が少し擦りむけていた。
「どうして……どうして……お兄様……」
ワシェクトお兄様が王になれば、きっとこの国は素晴らしい国になる。私はそう確信していたからこそ、迷うことなくここまでこれたのに。
お兄様の障害になりそうなものを排除したり、他の王子達の妨害を企てたり、全てが上手く行っていたのに……。
お兄様の顔を思い出す、あの本心から語るお兄様の気持ちを変えられるような言葉を私が思い付けるだろうか。きっと無理、私はお兄様にとって守るべき妹でしかないのだから。言葉は届いても、きっと優しい言葉で宥められてしまうだけ。
でもそれじゃあ足りない。意味がない。私はお兄様に全てを手にして欲しいのだから。
「……そっか、そうよね」
自分の中にある王族の血のせいか、こんな時でも何ができるのかをすぐに思いついてしまった。
僅かな嫌悪感があるけれど、今はどうだっていい。やるべきことを思いついたのだから、いつものように実行すればいい。今まで上手くできてたのだから、きっとできる。
「じゃあ私から直接お兄様にプレゼントすればいいんだ」
おはよう、ボス。