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そんなわけで、最後にもう一度会いに。

 心を殺す。それは何も感じないように、そういうものだと、そうなってしまったのだと自分を偽る行為だ。

 だが意思を持つ獣である限り、心は生と共に付き添い続けている。あらゆる痛みを拒絶しようと振る舞ったところで、いつかボロは出てしまう。

 罪悪感を抱いて心を傷めないよう、『私』という立ち位置が設けられた。しかし記憶を共有する以上、緩和にも限度がある。いくら非常識ぶったところで一般人に中世時代の拷問を耐える精神など持ち合わせないのだ。


「っ、ふぅ……ふぅ……」


 イリアス達が来るまでの間、横になろうとしたのが間違いだった。無意識の内に抑え込まれていた『私』の記憶は、容赦なく夢の中まで侵食してきていた。

 ズッチョの拷問は意図的にハイになって誤魔化していた。願わくはそのまま『私』自身を使用できないように切り離し、忘れたことにしてもらいたかった。いくら『私』でも拷問の実体験は精神的に抱えきれるものではない。

 しかし現状を考えるに、この手の相手は『俺』ではきついものがあるのも事実。負担を分け合うことになろうとも『私』の協力が必要だったのだろう。


「……そろそろか」


 隣で痙攣しているチサンテに視線を動かし、歪な顔にテーブルクロスを放り投げる。こんな物を見ていては自分の体にも悪影響しかない。

 この扉には仕掛けがあり、それを開けられるのはチサンテとその側近だけ。扉を作った者の思想を理解すればもしかすれば開けられるかもしれないが、セレンデにいる職人に対する知識が少な過ぎる以上は本格的な理解行動は難しい。何よりチサンテと一緒に飲んだこの麻痺毒の影響下ではまともに集中できそうにもない。

 チサンテの朝食には遅効性かつ、連中が使っていたものと似た症状が出る致死性のない毒を使い、持ち込んだ瓶は両方とも即効性があり身体の自由を奪う麻痺毒だ。ミクスが相手を無力化する際に使う毒の中に無味無臭のものがなければ、本来の中身を使うしかなかったのだからこの男にとっては幸いだったのだが。

 扉が勢いよく開かれチサンテの部下達、イリアスとエクドイクが姿を現した。イリアス達には説明をしてあったから、不安げな表情はしているものの驚きは見られない。

 時間がくればイリアス達が押しかける手筈、最初はチサンテの部下達は通そうとしないだろうが、流石に数時間も反応がなければ不穏に思うだろう。


「チ、チサンテ様!?お、おのれ!貴様、チサンテ様に――」

「チサンテが『私』をどうするつもりか理解した上で、この部屋に通した君達が憤慨するのは面白いね。別に『私』のせいにするのは構わないが、それをどう公表するつもりかな?幼子くらいにしか勝てない男に力ずくで飲まされた?奸計を仕掛けてくると分かっていた相手にみすみす騙されて飲んでしまった?どちらが彼好みかな?」

「――っ!」


 エクドイクが差し出した解毒薬を飲む。緩和剤なのですぐに動けるようになるわけではないが、これ以上麻痺毒の症状が悪化する心配はないだろう。


「彼は自らの罪を認め、自らの意思で毒を飲んだ。幸いだったのは彼が飲んだ毒は彼が想定していた命を奪うようなものではなかったという点だ。こんな美談はいかがかな?」

「よ、よくもそんなぬけぬけと……っ!」

「人に噛み付く前に、さっさとその男を治療した方が良いと思うのだけれど。あいにく今飲んだ分で用意した解毒薬は切らしていてね。致死性はないが、放置し過ぎては後遺症が残るかもしれないからね」

「そ、そうだ!急いでチサンテ様をお運びしろ!」


 エクドイクの肩を借りながらチサンテが運ばれていく様子を眺める。普通なら『私』を捕まえようとするところだが、人手を減らした状態で暗殺の障害となっているイリアスとエクドイク相手に強行に出れるわけもない。


「……命は奪わなかったのだな」

「ああいうのはただ殺すだけじゃ自分のしてきたことを後悔することはない。誇りと権力を奪って、残りの人生を自分自身の手で陥れてもらわないとね」


 チサンテ、ユミェス、この両名は人としては問題のある人物だが、人身売買や薬の密輸ルートをこの時代で確立させているのだから、金や権力に対する嗅覚は間違いなく一流だ。

 しかし協力者である貴族が裏切ったユミェスの方は言うまでもなく、薬の流通の方はチサンテが動けない内に大方潰せる。今回の騒動で彼らの後ろ盾は全て機能が麻痺することだろう。


「……毒はどちらが先に飲んだのだ?」

「チサンテだね」

「なら君が飲む必要はなかったのではないか?」

「彼を殺すだけなら飲む必要はなかったかな。だけど生かす以上は目の前で飲んで見せる必要があった。これは『私』だけが飲ませられる毒だからね」


 両方が毒だと答えを示しておきながら、あえてチサンテの前で毒を飲んだ理由は奴の心に『私』という毒を染み込ませるためだ。

 今回の一件で奴は『私』に一泡吹かせられた。だが生かされたことでさらなる復讐心を抱かせては意味がない。そこで理に適わない方法を用いて奴に強い印象を与える必要があった。

 本気で自分が死ぬと錯覚したチサンテは、今後『私』を思い出す時にその時の光景が浮かぶことになる。自分を追い詰めるためならば毒すらも躊躇なく飲むような気の狂った男、例え読み勝ったとして結局敗北するのは自分自身なのだと、印象を刷り込ませるための狂気を演出したのだ。


「君が必要だと言うのであれば、これ以上は言うまいが……やはり良い気はしないな。ただ付き添うだけというのも、もどかしいものだ」


 無防備とは相手の警戒を緩める罠、イリアス達がいないだけで判断を見誤ったように、チサンテ達の油断を誘うにはこの脆弱な体は役に立つ。それが彼女達の負担になることは承知の上だが、このくらいのリスクを負わねば警戒に警戒を重ねた権力者に隙を作らせることはできない。


「その気持ちだけで十分助かっているさ」


 この言葉に嘘はない。この作戦もイリアス達が近くにいるからこそ成り立つギリギリの綱渡りなのだ。もしも完全に一人だった場合、チサンテを生かしながら追い詰める手段は非常に限られていた。それこそ朝食の毒で完全に殺すことが最善になってしまうのだ。


「同胞。ユミェスとチサンテを抑え込んだのは良いが、これからどうするつもりなのだ?」

「罪状が表に浮かび上がった以上、国としては調査をせざるを得ない。調査を任されるのはワシェクトになるだろうから、そこに便乗してラーハイト達の協力者かどうかの接点を調べ上げる」

「内政問題ならばヌーフサが動くのではないのか?」

「ヌーフサはユミェス派閥の貴族の相手で忙しいだろうからね。手の空いているワシェクトに流れるさ」


 その後こちらの予想通りワシェクトの指揮の下、チサンテとユミェスの周辺の調査が開始された。両名とも満足に動ける状態ではなく、その配下も本命である人身売買や薬の密輸の件に対応するために完全な隠匿を行うことができなかった。

 隠されていた事実が次々と浮かび上がる中、こちらの探していたものがようやく顔を出す。それはチサンテの住居に隠されていたある道具だった。


 ◇


 歌声が聞こえる。これはワシェクト様がヒルメラ様に教えた童歌だ。ヒルメラ様はワシェクト様との思い出を日常とし、毎日のように思いを馳せている。


「ご機嫌ですね、ヒルメラ様」

「ええ、もちろんよ!だって御使い様がここまでの成果を出してくれるなんて、嬉しいとしか言えないじゃない!」

「それは何よりです。僕の方もだいぶ捗っていますよ」


 彼が王子達を追い詰めてくれたおかげで、僕の仕事は随分と楽になった。これまでは息を潜めていた連中の手駒が、火消し活動のために躍起になって動いているのだ。

 駒としての能力は高くとも、やはり駒を動かす者がいなければ盤面は簡単に狂うことになる。チサンテとユミェスは傲慢ではあったけれど、危機回避の嗅覚は流石という他なかった。その二人が満足に動けない以上、ヒルメラ様の仕掛けは面白いように嵌っていく。

 僕の方は指示通りに動くだけで殺す相手と接触できるのだから、余計なことを考えずに動けて気楽だ。


「それはいいけど、血の臭いは消してきなさいよ。何日もお風呂に入ってないみたいじゃない」

「お風呂ならさっき入りましたよ。文句を言うのでしたら鎧と剣の新調をお願いしてもいいですかね」


 鞘ごと剣を取り外し、ヒルメラ様へと渡す。彼女が剣を抜くと僕が不満を言った理由を理解してくれたようだ。


「うわぁ、血糊でべったり。刃こぼれも酷いじゃない。この前支給したばっかりでしょ?」

「無抵抗で殺されてくれる人ばかりではないもので。腕が良い者だっているんですから、仕方ないですよ」


 鎧の方も水洗いはしているけども、溝には流しきれていない血の塊がへばりついてしまっている。血の臭いが取れないのはそのせいなのだけれど、こう毎日殺して回っていては真面目に洗うのもバカバカしくなるのだ。


「返り血を浴びないようにできないの?」

「あいにく血も涙もある相手が標的なので」

「その言い方だと心もありそうで嫌になるわね。良いわ、鎧の方は早急に手配するわね」

「剣もそろそろ変え時だと思うのですが」

「そっちは私の宝物庫にある剣を持っていって良いわ。たまにはご褒美をあげないとね」


 その言葉を聞いて少しだけ気持ちが晴れやかになる。ヒルメラ様の宝物庫にはワシェクト様との思い出の品が大半を占めているが、ヒルメラ様の両親が残した宝もある。その中には剣士としては半端者である僕でさえ見惚れてしまうような一振りもあったのを覚えている。


「でも良いんですか?ご両親の形見でしょうに」

「全く思い入れがないと言えば嘘になるけど、貴方に使ってもらった方が剣だって嬉しいでしょ。私の騎士なのだから、そのくらいの名誉は受け取りなさい」

「お言葉には甘えますけど、大切に使うかどうかは別ですよ」

「手入れくらいはしなさいよ。確か結構な名剣なんだし」


 そのヒルメラ様が握っている剣も結構大切に使ってたとは思うのだけれど……まあいっか。名剣ならもっと頑丈だろうし、長持ちはするだろう。


「それで次はどのへんで殺せば良いんですかね?」

「それなんだけど、もう十分よ。チサンテとユミェスの駒も後ろ盾もほとんど壊滅的になるし、これ以上動くとヌーフサが私に干渉しかねないもの。この前なんてワシェクトお兄様を使って私を大人しくさせようとしてきたのよ?一体どの面を下げてお兄様を利用しようとしているのかしら?」


 人間としてはチサンテ王子やユミェス王女の方がクズだと言っているのだが、ワシェクト様を利用する存在として最も許せないのがヌーフサ王子と色々ややこしいのがこのお姫様。

 まあその理由ははっきりしている。ワシェクト様の心を折ったのがヌーフサ王子なのだから、それは当然と言えば当然なのだろう。


「でも本音は?」

「ヌーフサは殺したいけど、お兄様に会える口実を作ってくれたことで許してあげても良いかしら」

「正直でよろしいですね。それでワシェクト様に大人しくするように言われたのでその通りにすると」

「ええ、盤面は既に整っているもの。私の目的は達成されたと言っても良いわ」


 ヒルメラ様は鼻歌交じりに窓を開く。セレンデ本国の街並みを見渡せる場所としては、ヒルメラ様のお部屋は実に好条件の場所。ヒルメラ様がいなければ彼を誘いたいほどだ。


「目的と言うと……」

「何度も言わせないでよ。ワシェクトお兄様をこのセレンデの王にすることに決まっているじゃない」

「そもそも国王陛下はまだ現役なのでは」

「問題ないわ」

「まさか国王陛下を……」


 このお姫様ならやりかねないのが怖い。血も繋がっていないのだから、本当に躊躇いがなさそうなんだよなぁ。


「違うわよ。元々お父様はそう遠くない内に次の国王を決めるつもりだったのよ。それが今回の一件で王子達の影響力に大きな変化が生まれたことで、予定よりも早く決心を固めたはずよ」

「そうだったのですか?」

「ええ、だからチサンテやユミェスも過激な手段で御使い様を抑え込もうとしていたのよ」


 なるほどと言うべきなのか。国王がワシェクト様に彼と接触させたのは、王位を継ぐ者を見定める最後の判断材料とするため……。だから他の王子達も彼に興味を示し、脅威になるとみるや敵意を見せてきたと……。国の平穏を守ってくれた恩人を利用するとは、頂点からして酷い国家だ。


「しかしそうなるとヌーフサ王子がまだ影響力があるのでは?」

「そっちは問題ないわよ。私の方で手を打ってあるわ」

「えっ、いつの間に……。仮病でワシェクト様と楽しくやっているようにしか見えなかったのに」

「ここ最近はそうね。でも私が仕込んだ毒は、もっと前から根付いているの。だからお父様は間違いなくワシェクトお兄様を王に選ぶわ」


 ヒルメラ様はよほど自信がある様子。だけどあのヌーフサ王子が簡単に術中にはまるものなのだろうか。贔屓目なしに見た場合、王子達の中で最も優秀なのはヌーフサ王子で間違いない。

 そう、あの王子だけは僕のことを最初から危険な人物であるかのように見ている。きっと彼のように人の内面を理解する術に長けているのだろう。

 それでも彼のような魅力はヌーフサ王子にはない。あの男の魂の形は儚さを微塵も感じない。堅実であり、自己的な要素が強い城壁のような姿をしている。

 僕個人としては、ヌーフサ王子が最も大きな障害になるとばかり思っていたのだけれど……。ヒルメラ様が大丈夫だと言う以上、その責任は彼女に背負ってもらう他ない。


「それじゃあ僕はどうしようかな。そろそろ彼の様子を見に行きたいとは思うのだけれど」

「構わないわよ。チサンテのところにある証拠を見つけたら、御使い様の目的は終わるもの。もしかすればそのままターイズの方へ帰ってしまうかもしれないのだし」

「あー、そっかぁ……彼の目的が終われば……もうセレンデに残る理由もないんですね……」


 そうなればもう彼の心の形を見たい時に見れなくなってしまう。それはとても寂しい、想像しただけで泣いてしまいそうにもなる。


「――私の王女としての役割はもうすぐ終わる。そうすれば貴方は私の騎士である必要はないわよ。追いかけたかったら好きにすればいいわ」

「それ、正直思ってましたけど、ヒルメラ様が言いますか?」

「貴方の義理堅さには十分に救われているもの、貴方には自分の心に正直になってもらいたいのよ」

「……でも正直にずかずか言うと泣きません?」

「私に対しては体裁を保ちなさいよ」


 彼を追いかけて、彼の生きる道を見続けられる。それはとても魅力的な未来で、そうありたいと願いたくもなる。

 でもそれは上手くいかないのだろうという直感がある。こういう後ろめたい気持ちのある時の感覚は、これまで外れた試しがない。きっと叶わない、想像よりももっと悲しい結果が待っている。

 それなのにどうしてだろう、僕の心はこれ以上になく高揚している。僕は一体どんな展開を望んでいるのだろうか。






狂人のふりも楽じゃない(『私』談)


マグコミにてコミカライズ版、異世界でも無難に生きたい症候群の最新話が更新されております。

黒狼族の里でウルフェと出会うシーンですね。コミカライズ版はイケメンイリアスさんが可愛さあふれるデフォルメ顔等になりますが、ウルフェがそうなると思うと期待が高まりますね。

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