そんなわけで、許しません。
「以上がユミェス様の周囲で起きたことの顛末です。チサンテ様」
ユミェスの派閥に属していた貴族達が一斉にユミェスを裏切った。人を従える上で恐怖を利用し、蜜を吸わせることが悪いわけではない。だがユミェスは吸わせる蜜に毒を含ませ過ぎたのだ。
「ダハハッ!貴族共に愉悦を与えてしまった時点で、こうなることは予測できていたがな!」
ユミェス自身が抜かりなくとも、貴族が抜かればそれまでのこと。人を売り買いする娯楽の良さを否定するつもりはないが、それは背負える者だけに留める嗜好であるべきなのだ。
むろんユミェスの落ち度はそれだけではなく、ユグラの星の民と貴族を自由に接触させたことにもある。
「商人達への指示は済ませております。今後ユグラの星の民の前に姿を見せようとはしないでしょう」
「貴族とは違い、頭を使って生きている者達だが、相手が相手だからな。相手の得意とする場に出てやる必要はない」
相手が自分を凌駕する可能性は常に考慮しておくべきなのだ。強者と弱者の違い、それは勝てる舞台の広さと多さの差だ。
弱者が強者に勝つためには自分が勝てる舞台に相手を引きずり出さなければならず、強者はただそれを拒否するだけで良い。そこを見誤ることがなければ負けることはまずない。
それはユグラの星の民も同じ。奴は必ず俺を奴らにとって得意な舞台へと導こうとするだろう。これは焦れて踏み込んでしまったものが負ける戦いなのだ。
「ユミェス様近辺の動きは引き続き監視を続けます」
「任せる。さて、朝食の続きとしよう。他に報告があれば報告することを許す。冷めた飯を食わされるよりはマシだからな、ダハハッ!」
俺の言葉に対し、毒見役が無言で毒味を始める。この工程のおかげで本当の意味で出来たてで熱い食事を取れたことはないが、これは俺が俺であるための必要な経費と受け入れる他ない。
「問題ありません。どうぞ」
「うむ。それで、なにか変わったことはあったか?ユグラの星の民のこと以外でもなんでもだ、あれば話せ」
ユグラの星の民が本気で俺やユミェスに仕掛けてきたのであれば、奴らの行動に見えない何かをしていても不思議ではない。些細な変化であっても、そこから見えてくるものはあるのだ。
「そうですね……先日市場でトリンの商人を見かけました」
口を開いたのは果物を剥いていた毒見役だった。慣れた手付きで色とりどりに皿へと盛り付けを行いつつも、毒味はしっかりと行っている。少食ならばこれだけで食費が浮きそうなものだ。
「トリンの商人か。あまり見ない顔ではあるが……、その時の内容を話せ」
「市場を広げようとしていて、自国の果物を各仕入れ業者などに無料で試食させておりました。かくいう私もいくつか味見を勧められまして。同じ果物でも味の個性はなかなか違いがありますから、悪くない体験でしたね」
「ほう、それは興味深い。それでよもやその果物がこの皿に盛り付けられているなんてことはないな?」
「御冗談を。身元の不明な商人から仕入れたものをチサンテ様の食卓に並べられましょうか」
ユグラの星の民が関与している可能性が僅かでもある限り、決して付け入る隙を生み出してはならない。ユミェスと違い、俺の部下はこのへんも徹底できているのだから随分と気が楽だ。
「ダハハッ!だが興味があることは事実だ。今度その果物の流通ルートを用意しておくとしよう。半年から一年はお預けだろうが、流石に慣れたものだ」
食事を済ませ、一服をしているとこの屋敷の警護をしている部下の一人が姿を現した。一服中の俺の前に現れるということは、何かがあったということだが……。
「チサンテ様。その、ユグラの星の民が現れました。チサンテ様と話がしたいとのことで……」
「なんだと?」
動きはあるだろうと思っていたが、まさか直接会いに来るとは。こちらが尻尾を掴ませようとしないからと、直接叩きにでも来たのか?
護衛の表情がそれだけではないと物語っている。奴は一体どんな奇策を見せてきたのか。
「もちろん会うつもりはないが、詳しく話せ」
「それが……護衛の一人もつけておらず、二人きりで話をしたいと……」
「……それは本当か?」
部下を疑うわけではないが、とても信じられない。あの男は頭こそキレていても、肉体的な強さは絶望的なまでに下だ。俺達だけではなく、他国も周知としている情報なのだからそこは確かだ。
その男が護衛もつけずに現れた……よもや俺が手出しできないと考えているのか?そんなはずはない。
「はい。ただその上で一つ条件をつけてきました」
「条件?」
「チサンテ様と会う時、二本だけ液体の入った瓶を持ち込むことを許可してほしいと……」
中身の入った瓶、普通に考えれば毒だが……それに何の意味がある?力ずくで飲ませることは不可能、むしろ俺の方にだけできるわけだしな。中身を振りかけるだけで毒になる?奴なら俺の実力くらいは調べているはずだ。咄嗟に液体を弾く結界の一つくらい造作もないことを理解していないわけがない。
「……本当に護衛はいないのか?」
「はい。屋敷の外の方にイリアス=ラッツェルとエクドイク=サルフと呼ばれる護衛が控えてはいますが……」
そう、その両名が特に問題なのだ。イリアス=ラッツェルの方は間違いなくこの国で敵う者は存在しないし、エクドイク=サルフの方は裏の世界でも十分に通用する対応力を持っている。あの二人をどうにかしない限り、こちら側からユグラの星の民を殺すことはまず無理と考えていい。
懸念がある以上、会うことは危険が伴うが……奴に護衛がついていないというのはこれ以上にない好機だ。いくら策略を巡らせようとも、一方的過ぎる暴力の前では弱者は己が身を守ることはできないのだ。
「良いだろう。ただし身体検査は徹底しろ。衣類もこちらで用意したものに着替えさせろ」
「部屋は何処にされますか?」
「助けを呼ばれては厄介だ。六番の部屋だ」
部下に指示を出し、俺は先に六番の応接間へと向かう。この屋敷にはそれぞれ状況に応じて使い分けられる応接間を用意してある。六番の部屋は窓もなく内外共に音が漏れず、魔封石による探知妨害も完璧だ。
だがそれ以上に重要なのは部屋の出入りに使う扉、この鉄の扉には仕掛けが施してあり開くことができるのは俺と数名の配下だけだ。つまり一度中に通せば、俺の意思がない限り決して開くことがない。奴にとってはこの応接間は棺桶ともなりうる場所なのだ。
この部屋にある物の中で、武器となりうるものは俺が腰に下げている剣のみ。例えこの剣を奪われたところでこの鍛え抜いた肉体ならばあの男に後れを取ることは決してない。
「チサンテ様、お連れしました」
部下がユグラの星の民を連れて現れた。奴の格好はこちらの用意した服で武器などは一切ない。ただ片手には話にあった小瓶が二つ、俺に見せつけるように握られている。
「うむ、ご苦労。扉は閉めておけ」
部下がお辞儀をし、部屋を出ていく。これでもうこの男はこの部屋から出ることはない、それを理解できないほど愚かだと思わないのだが……それでもその余裕のある表情が不気味さを感じる。
「やぁ、随分と不用心じゃないか。仮にも敵と見ている男と二人きりになることを許可するなんて」
「ダハハッ!それを君が言うか!俺は自衛ができるが、君にはできまい?」
「『私』にその必要はないよ」
違和感の正体にはすぐに気づいた。この男、自分の呼び方や口調が微妙に変わっている。俺を敵と見定めたと考えれば不思議ではないが、それよりもこの目はなんだ。
黒い瞳が珍しいことはその通りだが、これは色の問題ではない。何も映さないようでいて、まるで鏡の中に取り込まれてしまうような錯覚に陥る。
「……まあ良い。酒は飲むかな?果物もあるが」
「酒は遠慮しておくよ。だけど果物があるのは嬉しいね。色々と省ける」
「……?」
言っていることの意味は分からないが、そこに囚われ過ぎてはダメだと直感で分かる。この男は言葉巧みに相手を騙す存在、言葉に誘われてはならない。
「ユミェスの秘密、それは非人道的な人間を商品としたオークション。自国の人間を他国に、他国の人間を自国で売り買いしていた。セレンデにはエルフやドワーフといった非獣型の亜人が集中している国だから、人の商品価値は結構あったようだね。でも自国民を商品にするのはいただけない」
「ダハハッ!あの愚妹はそのようなことをしていたか!人を物のように売っていては足が付くのも頷けるな!」
「そうだね。人を運ぶともなればその流通経路は限られる。使い潰した商品の廃棄先も同様だ。その点チサンテ、君の商品は通常のルートでも流しやすい便利なものだ」
「……ほう?」
「君の秘密、それはセレンデで研究されている特殊な薬だろう?魔法に頼り切らず、薬の研究が進んでいるセレンデならば、他国に比べ毒以外にも薬の使い道を発展させることは容易だ。例えばそう、使用することで多大な幸福感を得られるような依存性のある薬物とかね」
カマかけとは思わない。おそらくこの男は何かしらの手段を用いて嗅ぎ当てたのだろう。最初に出会ったときからその予感はしていた。この男は俺の秘密に辿り着くことのできる人物であり、排除すべきなのだと。
まずはこの男が何処まで踏み込んでいるのか、そこを確認しておく必要があるだろう。
「はて、確かに一部の薬を他国に売っていることは事実だが、それは相手国の確認を得た上で行っている合法的なものだ」
「薬の販売記録を調べればすぐに絡繰りは分かったよ。チサンテ、君は薬の消費期限を短く設定して期限切れとなった薬を現地で新品の薬と交換しているそうじゃないか」
「薬草を加工したものだからな。いくら乾燥させたからといって、永久に保存が効くわけでもない。せっかく買ってもらった薬が効かなかったでは後の利益に繋がらない。ならば多少こちらの損となろうとも、新しい薬を使い続けてもらった方が良いと判断したまでだ」
「その交換条件に購入時に使用した箱を利用すること、そんな条件があるね。大方その箱の底の方に本命の薬を隠していたんだろう?」
「……生憎と、身に覚えはないのだがな」
剣を握ろうとした手を止める。まだ早い、まだこの男は情報の全てを話しきってはいない。殺すことは確定だが、もう少し喋らせるべきだ。
「既に流通ルートの一つを抑えさせてある。君の指示である証拠にはならなくとも、この国から効果不明の薬が出回っている事実は発覚する。君の抱えている商人が利用されたことはすぐに明るみになるし、今後セレンデから出ていく品の監視は厳しいものとなる」
その程度ならば被害は軽微なものだ。薬を他国へ運ぶ方法などまた思いつけば良いだけのこと。一時的に財源は止まるが、なくなるわけではない。
「……君と話して分かったことは、君は俺を破滅させられるような証拠は何一つ握っていないということだ。全てを見透かし、俺を焦らせようとしているが、言葉以外に使えるものが何もないのだろう?」
「焦らせるつもりはないさ。ここで自白を取ったところで、意味はないからね」
「その通り、ここの会話を聞いているのは俺と君だけだ。俺がここでなんと言おうとも、それは君の記憶にしか残らない。大方俺が動揺し、交渉に応じるとでも考えたのだろうが……考えが甘いな」
もう十分だ。この男を見ているとどうも気分が悪くなっていく。さっさと殺し、捕捉されたルートを切り捨てる手筈を整えよう。
剣を抜こうとすると、ユグラの星の民は果物の置かれているテーブルの上に手にしていた瓶を両方とも置いた。
「そうでもないさ。今までの話はただの時間稼ぎ……世間話のようなものでね。今日ここに来たのはね、君とちょっとした遊びをしようと思ってのことだよ」
「……遊びだと?」
「君が『私』に会うことを許可してくれて良かったよ。おかげでただの人殺しにならずに済んだのだからね」
何を言っている?時間稼ぎ?この会話の内容に意味はなかったとでも?ダメだ、奴の話を真に受けてはいけない。俺の殺意に気づいている以上、奴は必死に自分の命を助けるために行動するはずだ。
それこそそんな児戯に付き合ってやる必要は――
「――ッ!?」
剣を握り、立ち上がるのと同時に体がふらつく。体が思うように動かない。これはなんだ、これは、これはまさか――
「毒だよ。使い慣れている君なら種類くらいすぐに分かるだろう?」
頭の中で体の症状と記憶を照らし合わせ、いくつかの候補を絞っていく。全身の痺れ具合からして、恐らくは食事に混ぜる類のもの。症状が出てから直ぐに死ぬような傾向がないことから、遅効性……。そして奴が持っている瓶、そうだアレは俺の配下の暗部が持っていた――
「貴様っ!俺に……いつ……!?」
「毒に詳しいなら考えつくだろう?君がついさっき食べていた朝食だよ」
「そんなはずはないっ!俺の食事はいくつもの工程にも渡って調べられ、毒味が行われている!」
例え無味無臭だとしても、俺が抱えている毒見役なら毒を口に含むだけでそれを見抜くことができる。今日の朝食も毒味役は全ての料理を口にしていたのだから、毒が含まれているはずがないのだ。
「これだよ、これ。この果物。この果物はミカン――って言ってもわからないか。果皮の中にいくつもの房が別れているタイプの果物だね。その一房の中に毒を仕込んだのさ。毒味役といっても、全部の房を齧るわけじゃないだろう?」
ユグラの星の民は果実の皮を剥き、その中から一房を取り出して俺に見せた。房は薄皮に覆われているから、外側から注射器か何かで注入すればすぐには全体には広がらない。せいぜい隣り合った数房程度だろう。
いや、そんなことはありえない。そもそも果物を仕入れる時は箱買いだ。仮に忍び込み、箱の中の果物に毒を仕込むとして、全ての果実に毒を仕込もうものなら事前の毒味で発覚する。毒を仕込んだのが数個だけならば、俺の食卓に並ぶ可能性くらいはあるだろう。
だが今度は朝食時に毒見役がその箇所を食べない保証がない。もしも毒見役がその箇所を食べれば毒が発覚し、俺はその日の食事は取らなかっただろう。
そうなれば俺に毒を仕込むことなどできず、こいつはただのこのこと死にに来ることになる。そんな運否天賦に任せるような男ではないはずだ。
「別に運否天賦なんかじゃないさ。箱を開けて最初の毒味は形の悪いものが選ばれる。逆に食卓に並べられるものは形が良いものだ。なら箱の中で最も形が良いものを一つ上側に置き、その周囲には形の悪いものを集めておく。そうすれば今日の朝食時に並ぶ果物は操作できる」
「……っ」
「王子にも見えるように皿に並べるのだから、向きだって考えるだろう。その嗜好を理解すればどのように配置されるかも読める。向きが分かれば、毒見役が掴み手元で皮を剥く位置が分かる。後はその毒見役が皮を剥いた時、どの房を手に取るのかを理解しておけばいい。そこから最も遠い位置に毒を仕込めば、ほらこの通り」
盛り付け役が選ぶところまでは納得ができる。だがその盛り付け役がどの向きで並べるのか、毒見役がどの房を味見するのかなど理解できるわけがない。
しかし脳裏に浮かんだのは今朝の毒見役の話。果物の味見を勧められた……まさか毒見役の癖を見抜くのが目的で……!?
「そんなことできるはずが――」
「それができるから、『私』はこうして護衛もつけずに、殺意を向けてくるだろう相手の前に丸腰でいられる。ついでに君も毒で苦しんでいるというわけだ」
「っ!」
不味い。話の真偽はおいておくとしても、今俺が毒を盛られてしまったことは事実だ。だが体が思うように動かない。手足を動かすくらいはできても、扉まで歩くことができるだろうか。扉の仕掛けを解除することができるのだろうか。
仮にこの部屋から出たとして、配下に解毒薬の手配を命令してからそれを飲むまでに生きていられるのか。座った姿勢で話につきあわされてしまったせいで、毒の回りに気づくのが遅れ過ぎている。
考えていても仕方がない。まずは体を動かさねばと全身に力を入れようとしていると、ユグラの星の民はテーブルを押し、俺の近くへと寄せてきた。今は見たくもない毒の瓶が手の届く位置にある。
「このまま死なれても困るから、そろそろ遊びのルールを説明しよう。この二つの瓶だけど、片方は今朝君に盛った毒一回分、もう一つはその一回分の量にあたる解毒薬が入っている」
「っ!?」
「君を一方的に殺すようなアンフェアな真似はしない。これは君と『私』の対等な勝負だ。君は好きな方を選ぶと良い。『私』は君が選ばなかった方を先に飲もう」
思考が狂い始めている。この男はなにを、なにを言っているのだ。違う、今はこの男の考えていることよりも、現状を正しく理解することが先決だ。
片方が俺に盛った毒で、もう片方が解毒薬……。この毒の解毒薬を暗部が持っていたことや、外見も同じなのは知っている。本来は瓶に貼られているラベルで見分けるのだが、今そのラベルは乱雑に剥がされている。
この毒のことはよく知っている。本来の用途は殺害用ではなく、脅すために使われる毒だ。症状が出始めてから解毒薬をチラつかせて心を折る時に使う、尋問用の毒。
もちろん解毒薬を飲まなければ死ぬし、解毒薬の量が足りなくてもいけない。瓶に入っている量はどちらも一回分。両方飲もうものなら、毒が一回分上回って状況は改善されない。
「……っ」
そもそもこの男の言っている話は本当なのか?分かるのは俺に毒を盛ったことが事実で、こいつは本気だということ。奴はこの場所を、よりにもよって俺の領域を自分の有利な場に変えてきた。
片方に手を伸ばし、奴の反応を見てみるもその表情は全く変化しない。口先だけでここまできたような奴に心理戦は無意味だ。だが運否天賦で自らの命を失うような真似もしないはずだ……。
焦らず、瓶をじっくりと観察する。ラベルは乱雑に剥がされているが、文字だけは的確に読めないように調整されている。他に分かる違いは……何か、何か……っ!
「君がとぼけたおかげで時間は思ったよりもない。選ぶなら急ぐことだ」
俺は両方の瓶を手に取り、その蓋を隅々までチェックする。以前、暗部の装備を確認した時に腰のポーチの中にその両方は入っていた。手前側に毒、奥側に解毒薬、その位置は確かだったはず。
だがそれ以外の要素、投擲用のナイフや薬の注入に使用する注射器のことも思い出した。ナイフはすぐに投擲できるよう、前側に。注射器は割れないよう、柔らかい布生地に包まれ後ろ側に仕舞われていた。
つまり、暗部達が腰にいれて歩いていれば少なからず前側の毒瓶はナイフと接触して傷がついている……!
予想通り、両方の瓶の蓋につけられている僅かな傷に差がある。これならば勝てる。いや、だがこれではまだ確実ではない、もう一手打つ必要があるだろう。
「こっちだ!俺はこっちの中身を飲む!」
傷の多い瓶をテーブルに戻すと、ユグラの星の民はそれを手に取り蓋を開ける。そしてこちらに向かって僅かに笑って見せた。
「瓶の傷くらい気づかないとでも思ったのかな?」
「――ッ!」
毒の進行が進み、殆ど麻痺していたはずの体だったが、その言葉を聞いて思った以上に機敏に動くことができた。
俺はユグラの星の民が握っていた瓶を奪い取り、その中身を一気に飲み干した。人は死を間近にした時、想像を超える力を発揮できるとは知っていたが、こうして体験することができるとは。
「ダ、ダハハッ!最後に詰めを見誤ったな!俺が毒で満足に動けないと慢心し、最後に勝利を見せつけようとしたな!貴様が毒と解毒薬の中身を入れ替えている可能性を考えないほど、俺は愚かではないわ!」
「――いいや、愚かだよ」
「……は?」
あろうことかユグラの星の民は俺が椅子の上に落とした傷の少ない瓶を拾い上げ、その中身を飲み干してみせた。
馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!まさか、俺が飲んだ方は……中身は入れ替えていなかったのか!?
「どっちも毒だよ。『私』は君を許す気がないのだから、当たり前だろう?君の失敗は瓶の選択ではなく、『私』がどう本気なのかを見誤ったことだ」
「あ、ああああ……っ!」
体の痺れが増し、立っていられなくなる。毒が中和される様子はなく、むしろ悪化していることが全身で感じられる。
死ぬ、死ぬのか!?こんなあっけなく、なんの意味もなく、これからだというこんな時に!?嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!
「あぐ、あ……ああっ!」
そんな俺の姿をユグラの星の民は変わらない表情のまま見下ろしている。俺を見下ろすな、外から来たよそ者の分際で、俺を見下ろして良いと思っているのか……!
貴様も毒薬を飲んだのならば、貴様ももうすぐ死ぬ。この部屋を開けることはできないのだから、解毒薬を飲むことが許されないのだから……!
「頭の中が忙しいところ悪いのだけれど、最後に一つ。『私』がこの部屋に持ち込んだ瓶は二本、だけどこの屋敷に持ち込んだ瓶は三本だ。聡明な君ならその意味、分かるんじゃないかな?」
あけましておめでとうございます。
新年早々、らしいと言えばらしい。ただしイリアスとエクドイクは心労マシマシ。