そんなわけで、頑張ってね。
「ふぁ……暇だな……」
「暇だな、じゃないでしょ、ハークドック。怪我を治すのが貴方の仕事なのよ」
うおぉ……っ!朝から夕方までずっとマセッタが見張ってくれてやがるもんだから、本当に何もできねぇ!退屈通り越して気まずい空気すらあるってのに、なんでこいつは平気なんだ!?その本か!その本が退屈しのぎになってんのか!?俺も読みてぇよ!え、『セレンデの歴史』?やっぱパス。
「あー、その本。兄弟の調べものの手伝いか?」
「半分正解ね。代表さんはもうこの本を読んでいるの。だけど何か新しい気づきがあるかもしれないからって、貴方の監視の暇潰しを兼ねて読んでおくように言われたのよ」
「そんな半端なことするより、直接その足で街を駆け回った方が情報得られるんじゃね?」
「この前ラクラとメリーアが襲われたって話したでしょ。貴方の命が狙われる可能性だってあるのよ」
あー、そんなこと言ってやがったな。まあ狙いやすさで言えばメリーアやラクラ、マセッタに俺が狙いやすいとこだろうな。
「ま、そんときは返り討ちにしてやりゃあいいのさ」
「それを貴方にさせないために私がここにいるのだけれど?傷が開くのが癖になったら面倒どころの話じゃないんだからね?」
「あ、はい。わかりました。わかりましたので本の角で眼球の下をグリグリするのは止めてください」
そりゃあ俺だって一刻も早く兄弟の助けになりてぇよ。だからセレンデにもついてきたってのに、マセッタをここに配置させてちゃただの足でまといじゃねぇか。
敵さんの動きも激しくなってきたってのに、寝ることが仕事とか言われてもはいそうですかって横になってられねぇっての。口にしたら論破されるだけだから言わねぇけど。
適当に話相手にでもなってくれりゃ、俺ももうちょっとこの退屈やもどかしさを紛らわせられんだけど、マセッタは寝てろの一点張りだしよぉ……。
「ハークドックさーん、包帯を変える時間ですよー」
「お、今日は可愛い子ちゃんじゃねぇの!ガハガハ笑ってるオバちゃんも嫌いじゃねぇけど、やっぱ手当してくれんなら目の保養になる方がいいよな!」
「貴方ね……。あれ、でもいつもの人は?」
「先輩でしたら、隣の部屋で別の患者さんの方を診てますよ」
とりあえず魔力探知を使って隣の部屋をちょちょっとチェック。あら、本当。オバちゃんの魔力以外にもう一人、施設の人が患者相手に何かしてんな。容態でも悪化したのかね、怖い怖い。って、うん?
「隣の部屋のあの位置はたしか爺さんだったな。女の尻を撫で回すのが好きな爺さんだったから、あんたも撫でられたんじゃねぇの?」
「そうなの!嫌になっちゃうわよね!」
「ははっ、良い尻があったら撫でたいってのは男の性みてぇなもんだからな」
「ハークドック、貴方ね……」
おっと堅物聖職者様には不快にしかならない話だったか。ラクラの奴もなんだかんだで初心だったりするし、やっぱ聖職者ってのはおかたい連中だらけなのかね。
施設の姉ちゃんがテキパキと道具を取り出して、俺の首に巻かれている包帯を取り外していく。若いのにオバちゃんにも負けないくらい手慣れたもんだ。
「良い腕してんなー。オバちゃんも熟練だったけど、あんたもなかなかじゃん」
「そりゃあこの仕事も長いからねー」
「へぇ、暗部の仕事よりもか?」
一瞬だけ固まった姉ちゃんが、鋏を掴み俺の首へと真っ直ぐに突き刺そうとするのと同時に、展開していた右腕の悪魔で布団を捲くりあげ姉ちゃんに被せた。視界を奪われながらも距離を取ってきたので、隣の空いているベッドを右腕で掴んでぶん投げた。
いやぁ、悪魔のおかげで魔力強化もほどほどにこの怪力ってのはありがてぇ。姐さんは素でこの比じゃねぇってのが怖ぇ話だけど。
飛んできたベッドに押し潰され、壁に叩きつけられた布団の中からほんの僅かだけうめき声が聞こえた。まあ知るかよってことでそのままベッドごしに蹴りを三発ほど入れておくと静かになった。
「ちょ、ちょっとハークドックッ!?」
「刺客だぞ、こいつ。先週に暗部を辞めてこの職についていただけってんなら、冤罪かもしんねぇけどな」
まあ殺気を出しながら鋏をわしづかみにしてたし、有罪有罪。俺を殺すためだけに正式にこの仕事場に入ってきたってことか?てことはこの施設の関係者ともグルって見るべきなんだろーが……まあいいや。
「そ、そういえば貴方って魔力探知で常人よりも遥かに詳しく相手の情報を見分けられるんだったわね……」
「おう!お前があの日が近いってことも――ぶぐっ!?」
「考えなしにデリカシーのない台詞を言った相手が、非力な私で良かったわね」
「す、すいませんでした……」
こいつ、結界でツッコミを入れてきやがった。ラクラと違って速度や切れ味もない分、本能様がまるきり反応しやがらねぇ……。でもトンカチでみぞおちを叩かれるくらいには効いた。
「もう、動いちゃダメだって言われているのに……。こういう時は事前に私に合図なり送ってくれたら、ちゃんと対応するんだからね!」
「これくらい動いたうちに入んねーよ。むしろマセッタのツッコミの方で開きかけたっての。怪我人なんだから労れっての」
「そう、じゃあ次は真綿で首を締めて落としてあげる」
「ひっ」
嘘本当を見抜けるわけじゃねぇけど、今のマセッタの眼は本気だった。とと、そんな事をしている場合じゃねぇな。こっちの姉ちゃんの拘束をさっさと済ませちまわねぇと。直接ラクラの暗殺を狙った男は自分で毒を飲んで死んだって話だし、流石に人が安静にしてなきゃならねぇ場所で死なれるのはいい迷惑だからな。
◇
「まさかこうして野郎に飯を作ってやる日がくるとは、去年の俺じゃ夢にも思わなかっただろうな……」
トッパラは呆れかえりながらも、手際よく調理を進めている。地球で男の一人暮らしともなれば、コンビニやスーパーの弁当や惣菜、手軽に作れるような食事ばかりで包丁や鍋を使う機会はかなり少ない。
ただそんな便利な施設はこの世界にはないのだから、簡易的ながらでも料理は身につくものとなっている。こういう時、おっさんと言う人種は凝り性なのでオリジナル性を持たせようとしてなかなか奇抜なものができるのだが……ちょっと楽しみだ。
「お皿、準備できました!」
「お、おう。ありがとうな。それじゃあそっちのスープをよそっていてくれ」
ユミェス派閥の人間の元での食事なのだから、その警戒はどうしても外せない。トッパラにそのつもりがなくても、食材や道具に毒を盛られる可能性があるからだ。だからウルフェやイリアスもその工程を手伝いながら細かくチェックしている。もっとも口に入れるものはこちらで全て用意してあるのだから、トッパラの様子にさえ気をつければ問題はないのだが。
トッパラは終始イリアスやウルフェに見られていることに多少の緊張を見せていたが、それ以外は不審な様子もなく食事の準備を済ませた。強いて読み取れたものがあるとすれば、ほんの少しの哀愁のようなものか。
「美味しいです!」
「そりゃ良かった。国が違えば家庭の味も変わるもんだからな。ちょっと不安ではあったんだが」
四人で食卓を囲み、各々が食事をとる。最初は乗り気ではなかったトッパラも気づけば穏やかな表情でウルフェにスープのおかわりをよそっていた。
「家族が恋しいんだな」
「……それは調べたのか?」
「料理を手伝ってもらっている時の顔や、今の様子を見れば分かるさ。セレンデ本国にはいない妻子でもいる感じだろう?」
「まあな。言っておくが愛想を尽かされたわけじゃないぞ。私の妻の家系は馬の飼育を行っていてな。向こうの方が妻の両親も健在で、娘を育てる環境に適しているって判断だ」
トッパラは元々その馬を買い取る業者か何かだったのだろう。仕事のつてはこちらにあり、結婚後も互いの仕事を制限しない道を選ぶのは現代よりではあるがない話ではない。
「息子に娘が二人も一緒にいれば、大分楽しかっただろ」
「外見だけならな。お前さん実年齢三十路付近だろ。そこまで私は老けちゃいないぞ」
セレンデはエルフやドワーフといった通常の人間よりも寿命が長い亜人の国だ。年齢を推測する際には外見以外にも色々な要素を汲み取っている。実年齢で驚かれないのはちょっと日本での生活を思い出すな。
「ユミェス王女からの指示とかは受けてないのか?」
「全く受けていないと言えば嘘になる。お前さん達がくる少し前も、ムールシュト様がどのように接触しているのかそれとなく聞き出すように指令の手紙が届いたよ」
「隠さないのな」
「隠せる相手には隠したいけどな。お前さん相手なら直接聞いた方が聞き出せる情報量も増えそうだし、機嫌を損ねる心配もないと思っただけだ」
それもそうだと笑い、簡単な情報提供を行う。得られる情報がある以上は、トッパラの立場もそうは悪くならないだろう。ユミェスの秘密を暴いてしまえば、その地位の消失と共に彼の職は失われるかもしれないが……その時はワシェクト辺りにでも頼んでみるとしよう。
「これくらいの情報提供はできるが、この先は接触も難しくなるからな。意外と親しみ深いこの味ともお別れとなると寂しいもんだ」
「……命を狙われたら、そうなるよな」
「別にそっちは慣れた。ただおっさんが駒として使われちゃ、無駄死にさせるだけで気が引けるからな」
「違いない」
親しい関係になった手駒がいれば、当然利用しない手はない。子供を利用した時のように暗殺の手引を施すくらいはやってくるだろう。その場合イリアス達には手加減をさせるわけにはいかない。
トッパラがもしも『俺』を殺す決意を持っていた場合、ひと目見ればきっと看破できる。そうなった場合、『俺』が手を下すようなものと同じになる。仮に説得で諦めさせても、その場合はトッパラが裏切り者としてどのような処罰を受けるか分かったものではない。
だからこの人とはここで一度縁を切る必要がある。ユミェスにはトッパラが使い捨てにするには惜しく、利用するには価値のない駒に見えるように誘導しておかなければならない。
「今回の一件が落ち着けば、王位継承を巡る争いも一区切りつくことになるだろうな」
「自分が支持する御方が王になるかどうかはさておき、そうなれば私の仕事も実入りは減る。そうなれば素直に妻の所に戻って働いた方が楽になるだろうな。お前さんのおかげで結構悪くない稼ぎもできたしな」
「それがいい。おっさんにゃこの仕事は向いてないからな」
「一応プロなんだがな」
「敵かもしれない娘と一緒に食事して、顔が緩むプロがいるかよ」
笑い合って、互いの器に酒を注ぐ。どうしてここまでトッパラに親しみを抱いているのか、その理由は分析をすればいくらでも挙げられる。
一緒にいて落ち着ける性格、不仲だった父親の代わりに求める父性、要素なら他にもいくらでもある。ただそれらを踏まえた上で一個人としてこの人物を気に入って、落ち着ける居場所として認めてしまっているのだろう。だけど今はこの場所にいるべきではない。この場所を求めるべきではない。これは付け入る隙であり、利用すべき機会を生み出してしまうことになる。
イリアスに辛い選択をさせてしまった。ウルフェにも心配を掛けさせてしまった。ここからは迅速に全てを終わらせにいかなければならない。その決意は今日の晩餐で十分に固まった。
しかしそれが遅かったのだと気づく前に、幸せに見えた光景は瓦礫の山によって押し潰されてしまった。
◇
頭上に伸し掛かっている瓦礫を跳ね除け、彼の体を起こす。目立った外傷はないが、現在の状況を正しく把握できていない。まずは彼を正気に戻す必要があると判断し、その頬を軽く叩く。
「おい、しっかりするんだ!」
「――ッ!?何が!?」
「分からない。突然家が崩れた」
説明できるのはそれだけだ。前触れもなく家が崩れ、下敷きになりそうだった彼を私が庇った。多少背中を打ったが、この程度の衝撃ならば私にとっては何の問題もない。次に確認するべきことは――
「ししょーっ!大丈夫ですかっ!?」
「ウルフェ、無事かっ!?」
近くの瓦礫の中からウルフェの姿が現れた。ウルフェにとってもこの程度の攻撃は十分に身を守れただろうが……。
「はい……でも……」
ウルフェの視線が近くの瓦礫へと注がれている。月明かりに照らされたその下側からは、赤い血が滲み出しているのが見えた。
先程まで一緒にいて、この場にいない人物の顔が脳裏にちらつく。この流れている血が誰のものかなんて、考えるまでもない。
「イリアス、ウルフェ!早くトッパラを――ッ!?」
周囲が血の色を隠すかのように赤く光り始めた。いや、これは火か!?倒壊した家の暖炉から火の手が回ることはよくある話だが、それにしては広がり方が異常だ。この倒壊と火災は狙って起こされたものに違いない。
一刻も早くこの場を離れるべきだが、トッパラが生きている可能性がある以上彼はこの場を動こうとはしないだろう。瓦礫の下側を掴み、一気に持ち上げる。彼はしゃがみ込み、その奥を調べたが――
「……もういい。二人とも、ここを離れるぞ」
「……そうか」
その言葉の意味、彼が何を見たのかを確認する必要はないと判断し、瓦礫を少しだけ横にずらして放置する。彼は俯いたまま、その表情ははっきりと見えなかった。
彼を抱き上げ、炎の中から脱出する。周囲には野次馬が集まり始めており、この騒動を仕掛けた犯人は特定できそうにもない。この場にいれば騒ぎに乗じてもう一波乱起こされる可能性もある。
「……遅かった。もう少し早く……」
「ししょー……」
拠点に戻るまでの間、移動している最中も彼は独り言を繰り返していた。心配する仲間達に事情を説明した後、私は拠点を出てトッパラの家へと戻った。
彼を連れて移動している最中にあることに気づいたのだが、その時は彼の安全を第一に考えなければならなかった。今向かっているのはその確認をするためだ。
トッパラの家の火は既に鎮火されており、野次馬も既に散っていた。数名のセレンデ兵が崩れ落ちた家を調べているが、今調べるべきはその場所ではない。
トッパラの家正面にある路地、その奥から僅かに血の臭いが漂っていたのだ。路地へと進むと、火事の臭いに紛れているが今もなおその臭いは漂っている。
「これは……」
臭いの元を辿って進むと、路地裏の一角にその正体があった。乱雑に転がされている死体、その数は五人分。
五人とも闇に紛れ込めるようなローブを羽織っており、服の隙間から覗くナイフの質から一般人とは思えない。考えられるのはセレンデの王族が抱える暗部の者なのだろうが、その誰もが的確に一撃で殺されていた。
持ち物を調べるといくつかの瓶が見つかり、その中には可燃性の高いものもあった。この状況から考えられるのは、トッパラの家を倒壊させ火を放った者達ではないかということ。
だがそれならば彼らは誰に殺された?血の臭いがした時に殺されていたのであれば、火を放ってからすぐに何者かに襲われたと考えられる。
「……彼に委ねた方が良いな」
私ではそこまで深い考察はできない。それよりもこの情報を彼に渡した方が手っ取り早いだろう。ある程度の所持品を回収し、次は殺された手口を確認する。
三人ほど背後から襲われており、残りは正面から殺されている。地面に溢れる血の量がやや少なく、引きずった痕跡も見られる。殺し回った後に死体をこの場所にまとめたのだろう。
つまりこの暗部達はトッパラの家の周辺に展開していて、彼らを襲った何者かはその位置をさらに離れた位置から捕捉していたと考えられる。
「偶然に居合わせたのではなく、暗部達が動くタイミングを狙っていた?」
暗部達の体つきからして、多少の戦闘の心得はあるように感じるのだが、まるで無防備の状態で攻撃を受けたようにも見える。反応できない理由があったのだろうか?
「こんなところか……」
エクドイクかミクス様を連れてこれば、もう少し何か分かったかもしれないが……今は敵が拠点に仕掛けてくる可能性もある。対応力の高い二人は彼の傍に置いておきたい。
「あれ、拠点に帰ってたと思ったのに。まだいたんだ?」
「――ッ!?」
剣を抜き、声のした方向へと構える。そこには先程の暗部と同じ格好をした死体を引きずっているムールシュトの姿があった。
体のいたる所に返り血を浴びているようだが、当人には怪我らしい箇所は見当たらない。既に乾いている箇所もあることから、ここにいる全員を殺したのは彼で間違いなさそうだ。
「何を……している?」
「見たままだよ。彼を襲った連中の駆除。殺すのは一瞬でも、集めるのは時間掛かるんだよね。人手不足だってヒルメラ様に抗議したいよ、本当」
ムールシュトは私を素通りし、新たな死体を他の死体の上に放り投げた。いつもの表情のまま、人の死体を物のように扱っている光景は狂気さえ感じる。
「私達が襲われることを知っていたのか?」
「ううん。でも僕が離れたら好機と思って仕掛ける可能性は高いと踏んでいたよ。だから当分の間張り込もうかなって思っていたのだけれど、早速動くとはね。よっぽど王子達に急かされていたのかな?」
ムールシュト、いやヒルメラ王女の目的は他の王子達の力を奪うことだ。彼が王子達の秘密を暴きやすいよう見守ったり、こうして彼を狙った暗部の命を奪ったりすることは理に適っている。
「彼が狙われることを利用したのか」
「そこを責めるつもりかい?僕が離れれば彼が襲われる。それを利用しなければ、彼が狙われっぱなしになるか、僕が彼の傍に居続けるしかない。君達にとってはどちらも不都合だろう?」
「……」
ムールシュトの言葉はもっともだ。ムールシュトが関わらなければ彼を襲った暗部は今も生きており、次の手を打っていただろう。だからと無実が証明されていないヒルメラ王女の護衛であるムールシュトを、常に彼の傍に置いておくわけにもいかない。この状況には感謝こそしても、恨む筋合いはないのだ。
「正直な話、君が彼を守ってくれて良かったと思っているよ。こんな連中のせいで彼を失うことになるとか、それこそ悪夢よりもたちが悪い。ありがとう、イリアス。彼をちゃんと守ってくれて」
「……お前に礼を言われる筋合いは――」
「あるとも。僕が彼を好きなのは本当なのだし、君はそんな彼を守ってくれた。君には引き続き彼を守り続けてほしい」
血塗れのまま、ムールシュトは無垢な笑顔を向けてくる。その感謝が本当なのだと分かりつつも、彼の狂気のせいでそれを素直に受け止めることが怖いと感じてしまう。
「言われるまでもない。私は彼を守る剣であり、盾なのだから」
「そうだね。それは彼もそう想っているんだろうね。それはとても羨ましいし、妬ましくも思うよ」
ムールシュトは仕事を終えたと言わんばかりに大きく背伸びをし、私の方へと歩み寄る。そしてそのまま私の肩へと手を置き、最後に一言だけ呟いた。
「だから彼を守りきれないようなら、君は死ぬべきだ」
その時、初めてムールシュトの心の奥にある感情が顕になったように感じた。その瞳は燃える炎のような赤みの橙の色をしていながら、氷よりも冷たく私の姿を映し出している。
それは彼の瞳にも似ているが、異なる性質の狂気であることは本能的に察することができた。
「……」
ムールシュトはそのまま去っていく。背中に流れる汗に冷たさを覚えるまで、私はその場から動くことはできなかった。
何かしら問題のある連中しかいない気がする。