そんなわけで、動きます。
思うところがあるとセレンデ城にある庭園に足を運んでしまうのは、未だに過去の罪に縛られているからなのだろう。
職人の手入れの行き届いた素晴らしい庭園、この場所で過去多くの王族が暗殺され血を流した。だからこそここに咲く花達の美しさの中に、表現されぬはずの狂気が秘められているように感じてしまう。
「あらー、ヌーフサ兄さん。外を出歩いているなんて珍しいわね?」
「ユミェスにチサンテか。護衛もつけずに対談とは互いに不用心だな」
この二人もセレンデの歴史に囚われた王族の一員、この場所には惹かれるものを感じるのだろう。だが人が感傷に浸る憩いの場を密会の場所に利用することは止めてもらいたいものだ。
「ダハハッ!護衛なら潜ませているに決まっているだろう?ユミェスがその手で襲い掛かるのであれば返り討ちにすれば良いだけのこと」
「気の悪くなることしか言えないのかしら?笑い方に品はなくとも、損得を見極める目は疑っていないのだから、そこまで気にする必要もないでしょう?」
どうせユミェスも近くに護衛を控えさせているのだろう。庭園を荒らさないでくれるのであれば文句は言うまい。
「ユグラの星の民とその仲間の命が狙われたそうだな。犯人は自害、または金で動かされただけでまともな情報は溢れなかったそうだが」
「あらー、ヌーフサ兄様ったら手が早いですのね?それともチサンテ兄様かしら?」
「どうせお前だろう、ユミェス?ダハハッ!」
白々しい二人だが、この様子では二人共黒と見なして良さそうだな。毒を塗ったナイフによる暗殺に、ユグラの星の民の仲間を誘拐しようとする手口は考えた者が違う。それぞれ異なる立案者による手口だろう。
「お前達が知らないのであればそれで良い。だがセレンデ国の者としての立場は忘れないことだ。自分にも処理のできることには限度があるのだからな」
「あらー?私としてはヌーフサ兄様の限度にはとても興味ありますわ?」
「ダハハッ!それは俺も気になっていたところだ。なにせヌーフサ兄さんは死者の数すら偽れるのだからな!」
我々が殺し合うことは歴史によって是とされているが、それを公に認めているわけではない。ユグラの星の民を殺したとして、その責任を背負うことになるのは王位を継承できなかった王子となる。
その時に切られる者は王位を継いだ者にとって優先順位の低い者だ。敗者はあらゆる不利益を否応なしに背負わされ、この国の歴史の礎として埋もれていくことになる。
「それにしてもユグラの星の君は健気よね?そんな妨害を受けてなお、私達の周辺を探っているなんて」
「魔王を始めとした強者を従え、あの『真眼』リティアル=ゼントリーを知略で破ったのだ。彼からすれば、我々など一国の主の子供でしかないのだろうよ、ダハハッ!」
単純な戦力だけを考慮するのであれば、ユグラの星の民の持つ力はこの国の総力にも決して引けを取らないだろう。しかし個の武勇というものは戦場のような場所でこそその真価を発揮できるもの。
個は群に飲まれ、群はその頂点の意思によって向きを変える。ここにいる欲の権化達はその仕組みを嫌というほど理解させられ、操る術に長けている。
人道を顧みず、人命を軽んじ、人権を尊重しない。されど自らの姿は清らかなまま、それらを掲げて世論を掌握する。ここにいるのは人間という名の怪物だ。人の姿をし、人を名乗り、人のように生きる、人でなし。
「……息抜きにきて息が詰まっては意味がないな。今日はもう寝るとしよう」
「あらー!あのヌーフサ兄様が、日が落ちてすぐに休むだなんて!きっともう何日も寝ていないのね?」
「ダハハッ!普通の人間は毎日寝るものなのだからな、ヌーフサ兄さんは休むことをもっと学ぶべきだ。是非とも休んでいただきたいものだな!」
それができないのは誰のせいか。いや、自分のせいでもあるのだろう。寝て覚めた時に、大切な誰かが死んでいる。悠長に眠っていた自分を責めなくてはいけなくなる。
今自分にできることを少しでも多く、少しでも長く続けなくてはならない。それが罪を背負った自分の成すべきことなのだから。
◇
誰が見ても非力にしか映らない彼が、一体どのようにしてイリアスやウルフェのような強者に慕われているのか。それを直接見ることができる機会が得られたのは僕にとってとてもありがたいことだ。だけど過ぎた技術は理解すら追いつかないのだと思い知らされた。
「――あの男だな」
彼は商館前で少しだけ張り込み、特定の人物に目をつけた後その男と接触を行った。最初は怪訝そうな顔を浮かべていた男だったけど、彼と話すうちに徐々に商館内部の情報を溢し始めてきた。
その男は商館内部の事情を知る立場にいながらも、自らが置かれた待遇に不満を持っていた。そこに彼が入れ知恵をし、心を揺らしていったのだ。
男が置かれている立場や抱いている不満、それらを的確に見抜きながら男が納得できる効果的な助言を与える。そこには男のことを見透かすだけでは知り得ない情報だってあるはずなのに、まるで全てを知り尽くしているかのように語っている。
「最後にこれを頼む」
彼は一枚の羊皮紙を取り出し、男に渡した。男はそれを読み、了解したと言って満足そうな顔でその場を去っていった。
「今のは?」
「適当な物資の発注書だ。やや相場よりも安めだが、ある程度数を仕入れることで向こうが問題なく値引きに応じられる程度の価格帯だ。今の対談で向こうが値引きに応じたように見せるためのものさ」
「……君があの男と接触したことを、他の者が監視している前提ってわけだね」
男が何の商談も行わずに戻れば、監視をしていた者の報告から内通者の疑惑が浮上するだろう。その全てを払拭することはできないだろうが、それでもある程度のリスクケアにはなる。
「あとは数人、同じような形で商談を持ちかける。狙い目としては商館側に絶対的な忠誠を持ちつつも、こちらの商談内容に応じそうな奴だな」
「相手側に何をしているのかを納得させる為かな。でもそのへんを見極められるのは凄いね」
「組織における人間は必ず役割を持っている。それは全体像を大まかに把握すれば、どこに誰がいるのかを見極めることはそう難しいことじゃない。全員が組織に忠誠を誓っていたとしても、個人差がある以上はその忠誠の差は必ず存在する。その差が人間関係に影響を与えることになり、揺らすことができるとっかかりになるわけだ」
政治、商売、宗教、あらゆる組織において同じ立場の人物でもその役割は違っている。むしろ同じ役職だからこそ、相手を意識して優越感や劣等感を抱く場合のほうが多い。
商館を出入りする人物を眺め続けるだけで、そういった要素を拾い上げる彼の観察力は異常の部類に入るのだろう。彼がこの世界に現れる前に、どのような仕事をしていたのかがなんとなく分かったような気がした。
「だけどここまで積極的に商人達に接触したら、どのみち目をつけられることになるよね?」
「それが目的だ。目をつけた商人を利用する情報収集は今後他の奴に任せる。『俺』がするのは連中の視線を集めることだ」
「ああ、なるほどね」
彼が直接行動を始めたことで、監視者達は皆彼の動向に意識を向けることになるのだろう。そうなれば今まで監視をされていた者達が動きやすくなる。エクドイクやミクスのように隠密行動を得意とする者達にとっての本領発揮の舞台というわけだ。
「商館側での活動はこんなところか。イリアス、監視の方に動きは?」
「特に問題はない。残るは貴族側の方だが、これから向かうのか?」
「いや、そっちの方はデュヴレオリの方に任せてある。商人と違って貴族は数が少ない分、互いの関係を把握することはそう難しくないからな」
彼は相手を観察し、その理解だけで行動しているわけではない。立場にある者達を人種として区分けし、経験則による大まかな方針も決めることができている。
やはり彼は一種の職人に近いものなのだろう。人という生き物の傾向を熟知し、観察により細かい分類に分けることができ、その行動を利用して結果を生み出す。腕っぷしだけが強い者達には到底真似のできない技術、これだけ信頼されるのも頷ける。
「それじゃあ今日はもう帰るのかな?夕食にはもう少し掛かりそうだし、ちょっと寄り道していかないかい?」
「それも悪くないが……もう少し楽しめそうな奴を見つけた」
彼が街中を歩く人並みの中から誰かを見つけたらしく、迷いのない足取りで移動していく。イリアスとウルフェはそんな彼の行動に首を傾げつつも、周囲の警戒を怠ることなく後を追う。
「……これは厄介だろうね、ご愁傷さま」
刺客達の気配はあった。その数は僕が感じた範囲でおよそ五、イリアス達ならば十人くらいは見つけているのかもしれない。彼女達はそんな存在に気づくと、即座に警戒の色を濃くして連中に付け入る隙を与えないようにしていた。
僕の場合、ヒルメラ様の護衛を行う時は常に周囲に自身の気配を感じ取らせていたけど、彼女達の場合は確信を持って牽制を行っている。これでは仕掛け時を図ることさえ難しいだろう。
彼自身も無自覚な子供の暗殺を防ぐほどの観察力がある。王子達からは殺すように命じられているのかもしれないが、下手をすれば他の王子を暗殺する以上の難問だと思う。
ただこれは好都合だ。これだけ守りが厳重な彼の命を狙うのであれば、その仕掛けを行う者達はかなりの手練となるはずだ。金で物を言わせて操る駒ではなく、王子達が温存している戦況を変える一手。僕が狙うべき標的が動くというわけだ。
「本当に来るのかよ……」
「この前飯を作ってくれるって言っただろ?約束は守らなきゃな!」
彼はいまいち冴えない成人男性に絡んでいる。この前言っていたトッパラとかいうユミェス派閥の人間だろう。心の形を見れば、一般人にはない独特の芯が見える。社会に溶け込み情報を集める工作員に良く見られる傾向だけど、その芯はそこまで強くはない。駒としての程度は下の上、王子達には使い捨てにされる部類の人種だ。
「そうだけどさ……って、おいまさかあそこにいるのはムールシュト様か!?」
「うん、そのムールシュトだよ!君はユミェス派の人だよね?よろしくね!」
「ど、どうも……」
他の王子達の派閥は寝返りの企てを疑われないよう、ヒルメラ様の周囲には関わらないようにしている。なのでヒルメラ様の周囲を監視している者達は皆、王子達に絶対の忠誠を誓った上位の者達だけとなっている。
だからヒルメラ様直属の護衛である僕とこうして関わることは、この男にとってはできるなら避けたい行為だ。その気持ちがとてもわかり易く表情に出ている。
ああ、だから彼はこの男に気を許しているのか。読みやすく、それでいて彼に心を開いているこの無能な工作員を。
「ムールシュトもどうだ?庶民のおっさん料理を食べる機会なんてなかなかないだろう?」
「ちょっ、流石にそれは……!?」
彼が見せている表情はこれまでの商人達と比べ、随分と柔らかい。それこそ僕に向けているものとそこまで大差がないようにも感じる。僕は彼に好かれるために立ちふるまいを意識しているけれど、この男は無自覚にそうなのだろう。うん、少し妬ましいな。
「あはは、僕もそこまで性格は悪くないよ。僕が懇意にしてしまうと、それだけでユミェス様に目をつけられてしまうからね。悪戯心だけで彼がこの国で平穏に暮らす邪魔をするのはちょっとね」
「そうか、残念だな」
彼は残念そうな顔を浮かべているが、思っているのはそれだけではないのだろう。きっと僕の今の心境を見透かし、揺らいでいることすら理解しているに違いない。少し意地が悪いけど、それも彼の個性と思えばこの嫌な気持ちも大分すっとする。
「今日はもう行動はせずに、その人の家で食事を済ませたら帰るのかな?」
「そうだな。食材くらいは拠点から持っていきたいから、時間を考えるとそうなる」
「なら僕はこのへんで。できることなら君と二人きりで食事をしたいのだけれど……それは難しいか。まあ三人くらいでなら、ね?」
僕が彼の傍に近づけば、そこには必ずイリアスやウルフェがいる。彼のことを意識しているうちは視界にも入らないのだから、大した問題ではないのだけれどそれでも邪魔に感じてしまう時は出てくるようだ。
いいなぁ、僕はとても今充実している。こんなにも好きな人のことで心が揺れた経験なんて今までなかったのだから。このもどかしさも今は存分に満喫しなくちゃ。
「……さて、と」
彼と別れてから路地裏へと足を運ぶ。こんなところに用事はないのだけれども、この場所なら人目につくこともないだろう。周囲を数度見渡しながら、近くに置かれていた木箱の蓋を開いて中を見る。
そこにはこの民家に住む人間が使っているだろう安物の道具が置かれており、その中に一枚の銀貨を入れておく。
「これでよし、帰るか」
そして蓋を閉じて一度路地裏を出る。次に隣の路地裏へと入り、剣を抜いて家の屋根へと飛び移る。屋根伝いで移動し、先程銀貨を入れた箱のあった路地裏を覗くと……いたいた。
今日僕の行動を監視していた奴が木箱の中を探っている。その近くにはその人物を監視している人間も見えた。
重要度が低く、日頃から監視なんて気にもしていないとはいえ、この程度の人材しか充てがわれていないのはちょっと複雑な気持ちになる。
奥にいる方に剣を投げ、屋根から落下する。急に影が差したことに気づいた男が顔を上げてきたので、笑顔で応えつつ全体重を乗せた膝を顔面へと叩き込んだ。
屋上から落下してきた大人一人分の体重を首一つで受けきれるわけもなく、そのまま地面へと叩きつけられた男の頭蓋から何とも言い難い感触が伝わってきた。
「こっちはっと……うん、きちんと喉に突き刺さっているね」
路地裏の奥へと二つの死体を運び、適当な物陰に転がしておく。この位置ならば早ければ今日、遅くても臭いで数日中には見つかるだろう。
あと一人、監視がいたにはいたが、その人物は既にこの場から逃げ切っているようだ。恐らくはヌーフサ王子の配下だろう。あの人、なんだかんだ手は抜かないからなぁ。でもチサンテ王子とユミェス王女の監視は排除できたわけだし、これで十分。
「さ、お仕事頑張るかー」
コミカライズ最新話が12/10にマグコミで掲載中です。ニコニコ静画の方では5話前編。
いやぁなんだかんだで300話ですね。200万文字も突破して随分とまあ重量級に……。次章くらいを目処に完結する予定ではあるのですが、なんかうっかりで伸びそうなのが怖いです。