さしあたって参りました。
翌日の早朝、ラクラが自宅にやって来た。
話を聞くに、急遽メジスからの連絡があったとのこと。その内容はターイズ国王に事情を説明し、その上で本の捜索に協力してもらうように立ち回れとのこと。
初めはユグラ教の急な動きの変化に首を傾げつつも、詳しい事情をラクラから聞いているうちに理由は判明。
なんとこのラクラ、尚書候補である誰かさんに協力を要請した旨を、メジスにいる上司へと馬鹿正直に報告していたのだ。
口止めには了解したが、こちらから口止めすることはしなかったからな。そりゃあこちらの関係を知ってしまった以上、上としては筋を通さねばなるまいて。
ちなみにラクラから聞いた話では、報告と指示の間には一日ほどのずれがある。ラクラに指示を出している人物とは別の人物が今回の判断を指示したと見て良いだろう。
現在ラクラに指示を出しているのはウッカと呼ばれる大司教、そのウッカに指示を出せる者といえばエウパロ法王ということになる。
これでユグラ教、厳密にはラクラへ指示している者達の立ち位置が見えてきた。彼らは本のことを死霊術の情報が記載されている本程度にしか理解していない。そう考えるのが自然な形と見て良いだろう。
しかし同時に困った点も出てくる。現在本はターイズ城に存在している。
最終的にはラクラの結界にて本を発見させ、取引の場を持って本を返すと言う流れだった。その間に解読を済ませることができる算段だったのだがこうなると悩ましい。
直接の協力を求められた以上、本の存在を明かし即座に返却するか、本の存在を隠すかを選択せねばなるまい。隠し通す事は可能であるが、そうなると返却するタイミングが難しくなる。
そして素直に交渉を持ちかけてきたメジスを欺くことにもなる。ターイズは何もメジスに喧嘩を売りたいわけではない。本の危険性を確認したいのだ。
そして現段階でも本の危険性はかなりのものがある。それはもうヤバイを通り越している。
ま、一人で悩んでも仕方がない。最終決定権はマリトが握っているのだ。マリトが責任ある選択を取ってくれるに違いない。事態が事態ということで早速一人で城へ向かった。
「こちらとしては尚書候補の君に協力を持ちかけた時点で、上からも協力要請をされているものと思っていたよ」
「言われて見ればそうだよな」
「解読に掛かりそうな時間はどれくらいかな?」
「そうだな。全文を読んで聞かせるには後二日は欲しい」
「残り量からしてもそうだね。大まかな解読だけなら一日で足りるかな?」
「まあ、行けるとは思う」
「別に死霊術の手法を完全に読み解きたいと言うわけでもない。何が書かれているのかだけでも分かれば良しとしよう」
そしてラクラからの協力要請を受けることを決定する。そして後日宝物庫に保管してあった本を見つけたという体で返却する。といった流れになった。
ラクラが嘘を見抜けることから事情を知らない者を使って、その旨を伝えることになる。ラクラはときおり際どい質問の仕方をするので、いつかはボロが出かねんと怖い思いをしていただけに助かった。
「ただ気になる点がある」
「当ててみようか。他の捜索者のことだろう?」
「ああ、それとなくラクラに聞いたが、知らないと言っていた。まあラクラを選んだ人物とて、ラクラに説明するのが不味いことだと言うのは理解しているだろうしな」
「だけどその説明はないんだよね? 単純に彼女だけなのか、それともその存在が公になっていないから、伏せたままにしておくつもりなのか」
「後者だと思うな。秘密裏に動ける人材ともなれば、国の暗部といった連中の可能性は高い。他国に暗部を送り込んでいましたともなれば、正直に告白しても両国間での摩擦は避けられないからな」
「こちら側からいるはずだろうと切り出したい所だけど、肝心の本を隠し持っている以上はあまり強気に出たくないんだよなぁ」
「とはいえマーヤさんへの疑惑を晴らすことよりも、本の発見とターイズとの関係を優先したことには間違いない。勝手に消えてくれるなら藪をつつく必要もないだろう」
とりあえずはこれで一段落。本を大まかに解読後メジスに返却。その脅威については後日対処を考える。
これならばガゼンに夜を出歩くなと忠告する必要もなかったな。
彼にも生活があるし、さっさと撤回しておくべきだろう。そんなわけでマリトと別れ、路地裏へと向かう。
「ガゼン、いるか?」
「なんだ、金ならまだ使い切ってねぇぞ」
ガゼンは昨日渡した酒をチビチビと飲みながら本を読んでいた。えらい味わって飲んでいるな。ゴッズのオススメだし気持ちは分からないでもない。
ガゼンが読んでいる本は……タイトルから農業関連の書物だろうか。
「いや、昨日の話だが杞憂に終わりそうでな」
「そうかい。だが金を返せと言われても、そこそこ使っちまったからな」
「その本か。一方的に要求を通した以上、返せなんて言わないさ」
「気前が良くて助かるぜ」
「その本、作物でも育てる気か?」
「外から適当に土を持ってきて、箱にでも詰めりゃ小さな畑にならねぇかなと思ってよ」
プランターでの菜園か、食料も作れるし悪くないだろうな。ウルフェにも勧めてみるか、教育にも良さそうだしね。
「底に穴を開けて軽石を詰め込んどけ。水はけが良くなって根腐れしにくくなる」
「へぇ、お前さんそういうのも詳しいのか」
「昔知り合いが道楽で植物を育てていたからな。その時に聞きかじった程度だ」
「植物は一々小言も言わねぇし、人を避けたりもしねぇからな。俺みたいな奴には丁度良いだろうよ」
「文句は言ってこないのは確かだが、きちんと面倒を見ないと何も言わずに枯れてしまうがな」
「そうだなぁ。それくらいは目を掛けてやんなきゃならねぇよな。どら、お前さんに言われたとおり石でも拾ってくるか」
ガゼンはゆったりと立ち上がり、すたすたと歩いていく。路地裏でプランターか。食べ物ばかり作っていては苦情も来るかもしれない。
景観なども考えて色々アドバイスした方が、ガゼンとしても周りとの摩擦を生み出さずに済むのかもしれないな。
「俺の金で作るんだ。それなりに豊作だったら少しくらいわけてくれよな」
「少しだけならな。へっへっ」
ガゼンと分かれた後に昼食を済ませラクラと合流する。こちらが寄り道をしている間にマリトが迅速に行動してくれたようで、既にラクラの元に協力の了承を伝える使者がやって来ていたらしい。
本の捜索を国に要求した以上、イリアスにも説明しておいて大丈夫だろう。
「──というわけで、ラクラはドコラが盗んだとされる本を追ってターイズに来ていた」
「なるほど。君が城壁周りを案内したり、共に山を登っていたのはそういう理由があったのか」
「イリアスに説明しなかったのは、一応ラクラに口止めされていたからだな。極秘といえば極秘だ」
「申しわけありません。ですがこちらにも色々事情がありまして……」
「いや、理由が分かっただけで十分だ。確かにユグラ教にとって、死霊術に関する本を保管していたという事実は伏せておきたい話だろう」
「ちなみにそれを先に知っていた理由に関しては、村をまわった時に―」
「わーっ!? わーっ!? わーっ!?」
「うるせぇ!」
イリアスにはラクラとの関係を包み隠さず説明する。魅了魔法を掛けられた経緯も丁寧にだ。
ただし本をマリトが持っている話だけは伏せる。これはラクラも知りえない情報だからだ。共有するのはラクラと同じ情報量だけだ。
「尚書様、秘密にするって約束してくださったのに……」
「イリアスに内緒にして関係が悪化することと、ラクラの体裁が崩れることじゃ秤にかけるまでもないな」
「うう……」
「そ、そうか。まあ私は黙っておくから安心してくれ」
「イリアスさんはなんて優しいのでしょう……! それに引き換え……」
「誰かが馬鹿正直に上に報告したから、国を巻き込む羽目になったんだろうが」
「くすん、報告連絡相談は大切なんですよっ!?」
イリアスは話を一通り聞いた後、考え始める。ドコラの記憶を思い出しているのだろう。そうなると当然あの話題が来るよな。
「確かドコラは君に餞別といって、拠点を調べるように言っていなかったか?」
そら来た。イリアスは脳筋だが鳥頭ではない。魔法も一通り習得している秀才タイプである。そして気付いた事はすぐに口にしてしまうタイプでもある。
事前に口裏を合わせておけば付き合ってくれる辺り、柔軟さがないわけではないのだけれどもね。
ただどうもイリアスに嘘をつかせたり、物事を隠匿させるのは気が引けるんです。
「ああ。その翌々日には各拠点の捜索が行われ、盗品やら貴重品は回収されている。城に保管される可能性は高かっただろう」
「城にある可能性が高いと分かっていて、外側から結界を張らせていたのですか……」
「そりゃあ金品盗品やらは、持ち主が居なけりゃ国から街に流れることになるんだ。一番可能性が高いから城に乗り込むかと誘った方が良かったか?」
「それは……うーん」
「流石にそれは私が止めるぞ」
「だよな」
「明日には宝物庫の調査が終わるようなので、本日は結界の用意だけ済ませましょう」
それが無駄になるだろうとは言えない。やる気になったところに悪いが、余り根を詰めすぎないことを祈ろう。
「……はて、そういえば何故ドコラは尚書様に餞別云々と?」
「それは彼がドコラを追い詰めたからだ。そしてドコラが彼を認めた」
「なんとっ!?」
余計な事を……。面倒になると思い、ドコラと関係があったことは伏せていたというのに。
「運よく行動先を読めたに過ぎない。ドコラの駆使したアンデッドを森ごと薙ぎ払い、奴を倒したのはイリアスだろう」
「それはそうだが―」
「それでもそうなら言ってくだされば良かったのに」
不味い。どう言い訳したものか……嘘を交えずに答えなければならない。ああしてこうして、こうか。
「目立つのが嫌いでな。ラクラとは協力関係だが、メジスにこちらの素性をあまり知られたくなかった。だからドコラ討伐に関わったことは伏せた上で協力したかったというのが本音だ。すまない」
「そうですか……いえ、お気になさらずに。私も立場上聞かれたことは包み隠さず答えなければならないので、そう思うことは仕方がありませんよね」
「そういってもらえると助かる」
ラクラはマーヤさんの教会に戻り、結界を張る道具の準備に入る。ついでにこちらもウルフェも預かってもらう。
イリアスは仕事に戻るため、こちらは本の解読を済ませるため共に城に向かう。無論マリトに呼ばれているからとしか伝えていないのだが。
「そういやイリアスにも謝らないとだな」
「私にか?」
「そりゃあ立場としてはイリアスに保護されている同居人だ。一言相談くらいしても良かっただろ」
「ラクラに口止めされていたのだろう?寂しい思いはしたが、約束を破らせるよりかは良いさ」
「寂しい思いをしてたのか」
「い、いや、何と言うかだな。二人が共通の秘密を持っているのは察していたが、加われないことに対する疎外感と言うかだな……」
「寂しい思いしてるじゃないか」
「ええい、うるさい!それに私だけでなくウルフェも気にしていたぞ!」
ウルフェもなかなか鋭い所があるからな。ただウルフェの場合はイリアスのことを気にかけていたのではないだろうか。親しい者が悩んでいる姿を見れば不安になる。ウルフェはそういう子だ。
その後マリトと共に解読作業を再開する。方針を変え、大雑把に書かれている内容を説明。そしてマリトやラグドー卿が指摘した箇所を細かく掘り下げていく手法で進めた。
しかしそれでも時間は掛かり、日は沈み、城に泊り込みでの作業となった。イリアスにはウルフェの迎えを頼み、城にて夕食を済ませる。
「そういえばこういった形で食事を取るのは初めてだね。徹夜での作業というのも新鮮で良いね!」
「未成年の頃は徹夜でも体力は持ったが、辛いんだぞ……」
「君、体力なさそうだもんね」
「体力だけじゃない。精神の方もだ。集中力は本来一晩も持つものじゃないんだぞ」
とはいえこちらは読むだけ、理解するのは勝手にしていることだ。
実際に理解し、頭に記憶しているのはマリト、そしてラグドー卿なのだ。そうそう、暗部君もね。
ラグドー卿の作った夜食という、ゴッズやサイラなら額に飾りかねない貴重品を貪り、作業は夜通し続いていく。
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「んーんんー、ふーふんふーふー」
夜の街を鼻歌交じりに歩く。今日は気分が良い。思うことが上手く進んだ日はご機嫌になるのは当然のことだな。
「あー酒がもうねぇな……まあ二日持てば上等か」
空になった皮袋を握り締める。美味い酒だった。あのガキ、また持って来てくれねぇもんかな。
手元にある金を使えば買えなくもないが、貰った酒は格別なんだ。
それにしても物好きな奴もいたもんだ。アイツは変わり者だ。どいつもこいつも俺を疎むような態度や目つきを向けてくるってのに……。
酒をくれ、金をくれ、そして一人の相手として話しかけてくる。金だけ寄こしてりゃ情報はくれてやっただろうに、家なしの扱いが甘ちゃんもいいところだ。
「美味い野菜ができたら……感謝分くらいは増やしてやるか」
辛うじて残っている酒の余韻を目を閉じながら楽しみ、進む。
裏路地は俺の庭だ、だから目を瞑っていても歩ける。耳に入ってくるのは夜でありながらも微かに聞こえる人々の言葉だ。
ああ、あそこの夫婦はまたつまらねぇ喧嘩してるな。今日は野菜の切り方の拘りだ?そのまま齧れ。
向こうの家の婆さんはまーたぶつぶつ独り言か。あと何日かで孫が様子見に来るんだ。さっさと寝ろよ。
ここから聞こえるのは……なんだ、聞きなれない声がするな。
目を開け声の聞こえた家を見る。ここの爺さんは半年前に死んだはずだ。中に人がいるというのはおかしな話だ。
あのガキが言っていた言葉を思い出す。外から知らねぇ奴が来てるって話だったな。そいつらか?
俺だって空き家を使うのは自重してんのに、ふざけた野郎共だ。
視線の先に窓がある。足を進めそろりと中を覗き込む。……なんだ、あいつら?
全身を黒いローブで覆った男が複数、何かを話している。ちっ、関わらねぇ方が良い類だな。窓から離れ空き家からそっと距離を取る。
どうしたもんかね、あのガキにチクれば金でも貰えるだろうか。
そうだな、アイツならきっと金を出してくれるだろうよ。そうすりゃ俺の野菜作りの計画も捗るわな。
あん? なんだ急に視界が──
「おいおい、殺したのか?」
「家を覗きこんでいた。格好と臭いから家なしのクズだろう」
「あーあー、首の骨を綺麗に折りやがって。殺しだってバレんだろうが」
「こいつの握っている物を見ろ。酒だ」
「あーあー、それじゃあこうやって起き上がらせてっと……そんでぐしゃぁ!」
「音を立てる奴があるか!」
「悪い悪い。だがこれで事故に見えるだろ? それじゃ撤収だ」
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すっかり朝になってしまった。ようやく返却しても良いだろうという程度に解読が終了。帰宅を許可されたのだ。
イリアスに城に泊まることを伝えていなければ、今頃いらぬ誤解を与えてしまっていただろう。最近不摂生とかしているとイリアスの視線が厳しいんだよなぁ。ウルフェが真似しないか心配ですよほんと。
そんな噂をすれば何とやらでイリアスを見かける。傍には誰かがいるようだ。
路地裏から体がはみ出しているが見覚えのある格好、確か番兵だったか。ラグドー隊に指導を受けている騎士見習いとかだった気がする。
……いつものイリアスと違うな。何かあったのだろうか。
「イリアス、嫌な顔をしているが何かあったのか?」
「君か。いやなに、朝から嫌な光景を見てな……」
「何があったんだ?」
二人の番兵が路地裏から出てくる。その両手に握られているのは布を掛けられた担架だ。
不自然な盛り上がり、誰かが乗せられているのだろう。誰かが亡くなったのか、そりゃ朝から死体を見るのはごめんだわな。
担架に乗せられている死体は全体を布に覆われており、その姿は見えない。
まあ見たくないんだけどさ。だが視線を逸らした先、路地裏傍に落ちていた物を見つけて言葉を失った。
それは酒を入れる皮袋、それも最近見たことのある物だ。担架へ駆け寄り番兵の制止を無視し布を持ち上げる。
「おい、何を──」
そこには昨日まで生きていて、皮肉じみた笑いを見せていたガゼンの亡骸があった。
「……ガゼン、そんな」
「―知り合いか?」
「……ああ、この辺りの裏路地に住む家を持たない男だ」
深い付き合いではなかった。親しい仲と言うわけでもない。だが全くの他人と言うわけではない。
彼の酒の好みを知っている。彼が何をしようとしていたのかを知っている。だというのに……。
──なんてあっけない、そんな気持ちしか湧いて来ない。
「酒の飲みすぎで転倒したようだ。その際に壁に頭を強く打って……」
「そうか……」
昼間からも酒を飲んでいたんだ。不思議は……いや待て。この酒を渡したのは一昨日だ。
落ちている皮袋を拾う。中身は空だ。中の匂いは……間違いなく渡した酒だ。
ゴッズのお任せで用意してもらった酒だが、これはターイズでは珍しい酒。買い足した可能性は低い。
一昨日の夕方から昨日の夜の間に掛けて、ガゼンが飲んだ酒はこれだけということになる。そしてこの酒がそこまで強い酒ではないのは試飲したことから知っている。
昨日見たガゼンはどうだった?確かに酒を飲んでいたが、その足取りは……。
ガゼンが倒れていたであろう路地裏に入り、彼が頭をぶつけたらしき壁を見つける。
血痕がある。それなりに血が流れたのだろう。ガゼンが死んだ場所はここで間違いない……だが……。周囲を見渡し、その異様さに気付く。
「イリアス、ガゼンはどこへ運ぶ?」
「既に外の往来は多い。あまり人目に付けたくないからな。ひとまずマーヤの教会に運ぶ」
「そうか、知らない仲じゃなかった。付いて行くが構わないか」
「あ、ああ」
ガゼンの遺体はマーヤさんの教会に運ばれる。
──ここならば良いか。イリアスの耳元で小声で囁く。
「彼の死体を詳しく調べてもらえないか。不審な点がある」
「どういうことだ?」
「この男、殺された可能性がある」
「何だと?」
「第一にその男が飲んでいた酒は一昨日に奢った物だ。それを一日以上掛けて飲み、他に酒を飲んだ様子はない。昨日の段階でも飲んでいたが、その足取りはしっかりとしていた。第二に転倒した場所だが、躓くようなものは見当たらなかった。足取りがふらついていない状態で転ぶような場所じゃない」
「それは……気にはなるだろうが、偶然転倒した可能性もないわけじゃないだろう」
「ああ、だが死ぬほど頭をぶつけているんだ。壁にしっかりと血の跡が残るほどにな。そんな勢いで転倒しておきながら手を怪我していなかった。意識があるなら咄嗟に手で体を守るであろうにもかかわらずだ」
「……わかった。少し調べてみよう」
そういってイリアスはガゼンの死体が保管されている場所へ行き、死体を調べ始める。それを後ろから見つめる。やがてイリアスは険しい顔で語りかける。
「首の骨が折れているが……これは強く頭をぶつけたことが原因ではないな。恐らくは直接折られている」
「……そうか、分かった」
推測は現実味を帯びた。ならば行動せねばなるまい。
踵を返し、部屋を出る。それを見てイリアスも追ってくる。
「ちょっと待て。どこに行くつもりだ」
「城だ。マリトと相談することができた」
「―私には相談してくれないのか?」
足を止め、振り返りイリアスを見る。真っ直ぐな視線が向けられている。
少しの間、沈黙し考える。これから向かい合うべき事柄と、イリアスと言う存在と立場。
彼女にこう言った道は似合わない。なればこそ彼女を突き放すべきだ。
だが、それは曖昧にではない。確固たる意思を持って行わなければならない。
「きな臭い話になる。騎士であるイリアスには関わって欲しくない」
「もう関わっている」
「……他人に隠しごとをする負い目を、イリアスに背負わせたくない」
「君がそれを背負うのを黙って見てろと言うのならば断る。共に背負わせろ」
「……関われば確実に後悔するぞ」
「君一人に後悔をさせる位なら、共に後悔してやる」
くそ、イケメンかお前は。間髪いれずに即答してくるんじゃない。
これじゃあ……引き剥がせないじゃないか。
「そこまでする価値があると本気で思っているのか?はっきり言ってないぞ」
「君への価値は私が決めるものだ。勝手に決めるな」
頭を掻く。ダメだ。これを諦めさせるには相応の覚悟がいる。それこそ二度とイリアスと関わらないと言う覚悟が。
だができるのか……いや──
「どうしても関わりたければ屈させて見ろと言いたいが……秒殺されそうだし―いや、まて、ノータイムで剣を抜くな。比喩だから待て」
「む、すまない。だがいい加減諦めたらどうだ」
「それを言いたいのはこっちなんだがな……仕方がない。責任は取らないからな」
「大丈夫だ。必ず取らせる」
「関わらないでくれませんかね!?」
これは感情に任せて動く姿を見せた自分の落ち度。悪いのはこちらだ。
やらかしてしまった上に取り返しも付かない。少なくともこちらではどうしようもない。
事情を知り、マリトにも言われれば折れるかもしれない。連れて行く他ないだろう。
「行くぞ。ラクラへ使いを出される前に向かう必要がある」
「あ、ああ」
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ガゼンと言う男の死を見てから彼の様子が変わった。
これには覚えがある、ドコラを追い詰めた当時の彼の雰囲気と良く似ている。
だが以前より彼から感じられたものよりも黒く、濃い物であった。
彼に言われるままに死体を調べ、ガゼンと言う男が殺された可能性が高いと伝えた時にそれは完全に切り替わった。
彼が変わった……いや違う。彼が今まで私達から隠していた一面が見えたのだ。
私やウルフェと共にいたことで、彼の立ち位置がこちら側に歩み寄っているのだと勘違いしていた。
彼はどちらにも在るのだ。どちらの面にも在るのが彼なのだ。
山賊討伐の時、彼を保護していると言う立場上、彼の手綱を握ることは難しくなかった。
だが今彼の手綱を握っているのは陛下だ。陛下が彼をどう導くかは分からない。だが陛下は王であり騎士ではない。どちらの面を優先するか分からないのだ。
彼を一人にしてはいけない。それは彼と接している時に何度も思った騎士としての直感だ。
だからこそ、咄嗟に言葉が出た。
「──私には相談してくれないのか?」
彼は振り返り、私を見ている。ああ、その眼だ。その眼はダメだ、嫌なのだ。そんな眼で世界を見ないで欲しい。
「きな臭い話になる。騎士であるイリアスには関わって欲しくない」
彼は私を遠ざけようと言葉を投げかける。
「もう関わっている」
引いてはならない。ここで彼との距離を開けられては、二度と近寄ることができないと確信できる。だから思ったことを即座に言葉にする。
彼が苛立っているのが分かる。既に踏み込んで良い領域を越えているのだろう。
「……他人に隠し事をする負い目を、イリアスに背負わせたくない」
「君が背負うのを黙って見てろと言うのならば断る。共に背負わせろ」
今までの関係が終わってしまうのではと不安になる。
「……関われば確実に後悔するぞ」
「君一人に後悔をさせる位なら、共に後悔してやる」
彼に見限られるのではと恐怖を感じる。これ以上拒絶の言葉を繰り返されたら諦めてしまいそうだ。
……だが、突如彼の言葉の質が変わった。
「そこまでする価値があると本気で思っているのか?はっきり言って無いぞ」
私の立場を武器に、引き離そうとしていた彼が見せた彼自身の弱さ。
彼も揺らいでいるのだ。引いてはならない。言葉で叩き斬れ。
「君への価値は私が決めるものだ。勝手に決めるな」
彼から毒気が抜けるのを感じる。ああ、良かった。いつもの彼に戻ってきた。その心に、私という姿を映し出している。
彼が自分を屈させてみろと言い出したのでさっと剣を抜く。ああ比喩だったらしい。
彼は私を突き放す事を諦めてくれたようだ。良かった、私は彼に勝てたのだ。……一体いつから勝負だと思っていたのだろうか……むぅ。




