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そんなわけで、共にやる気は十分。

 我慢した甲斐もあり表面上の傷が癒え、出歩く程度なら問題ない状態にまで回復した。痛みは全然残っているけど、このくらいならば彼に会えればそれだけで痛みは麻痺する。

 ヒルメラ様はいつも通り僕の方を見ずに見送っていた。今日もワシェクト様が見舞いに来てくれるそうだから、少しでも鏡と格闘したいのだろう。それでもしっかりと部屋を出るときに言葉を投げかけてくれるところが好きだ。

 たった数日会えなかっただけなのにこんなにも胸が苦しくなるなんて、僕の心は随分と彼に執着してしまっているようだ。走ることを自重したいのに、彼の拠点につく頃には少し息が荒くなってしまっていた。会うなり呼吸が乱れていては彼になんと思われるだろうか、純情な彼のことだ、きっと面白い反応をしてくれるのだろうけど、ここは息を整えてから拠点の扉を叩く。


「やぁ、遊びに来たよ!」


 ここは彼の自室ではなく拠点だ。突然の来訪に困るような状況にはしていないだろうから、返事を待つことなく入る。


「ああ、ムールシュトか。なんか久しぶりだな」


 いつもの通り彼はそこにいた。隣には護衛のイリアスとウルフェがおり、部屋の奥には紫の魔王の気配もある。魔力探知を使えばきっと多くの反応が引っ掛かるのだろうけど、そこまではしない。

 そう、いつもの通りの様子のはずなのだけれど、何かが決定的に違っている。それは彼だ、彼の眼が僕の知らない眼をしている。


「……何かあったのかい?」

「まぁ、色々とな。王子達の妨害もいよいよ本格的になってきたから、こっちも本腰を入れることにしたんだ」


 知らない眼というのは半分間違いなのかもしれない。確かに見るのは初めてなのだけれど、僕はこの眼が彼の眼だと理解できている。彼の儚げな心の形に似合う、暗い暗い瞳。そう、こんな眼をできるからこそ、彼はこんな歪な存在になったのだ。


「まるで相手を映し出す鏡のようだね」

「不快か?」

「ううん、むしろ見せてくれたことに感謝したいくらいだ。君のその輝きのない瞳は、昔を思い出すよ」

「昔?」

「僕は昔、心無い人間に光も入らない場所に閉じ込められたことがあったんだ。最初は怖かったけど、すぐにその居心地の良さに気づけた。余計なものを見ず、余計な音を聞かず、自分の全身を五感の全てで感じることができる。今の君は自分という光を消し、その暗闇の中に僕を映し出そうとしているんだね」


 これはきっと彼の持つ最も強い武器なのだろう。臆病な心のままで、多くの悪意を受け入れながら進むという無茶を押し通すために身に着けた処世術。自己として相手を受け入れるのではなく、相手そのものとなって相手を理解する狂気の試み。


「嬉しそうだな」

「好きな相手に全てを理解してもらえることを、嬉しく思わないわけがないだろう?」


 今彼は僕を理解しようとしている。自らの個を投げ捨て、その体の中に僕という個を完璧に刻み込みながら、僕を受け入れようとしてくれている。そんな自傷めいた求愛行動に喜ばない片思いの者がいるだろうか。


「理解はしても共感するかは別の話だぞ。まあ喜ぶよなぁ……お前は」

「えへへ。だけど君がそこまで慎重に身構えるなんて、よほど窮しているようだね」


 イリアスの方へと少しだけ視線を向ける。彼女は彼のこの状態を好ましく思っていないはずだ。しかしその表情から読み取れるのは一種の覚悟のようなもの。

 おおよその状況はそれだけで把握することができた。恐らく今の彼の状態は少しでも早く事を終わらせ、彼自身の負担を最小限に抑える苦肉の策なのだろう。


「一応聞くが、『俺』を含め数人が街中で命を狙われるような妨害を受けた。心当たりはあるか?」

「ないよ。ヒルメラ様の様子からしても、そういった命令は出していないはずだよ」

「ヒルメラがワシェクト達と血が繋がっていないことは?」


 これがハッタリなのか、確信を持って言っている言葉なのかを少しだけ考える。隠し通せる云々以前に、いくら彼が相手でもヒルメラ様のことを何でもかんでも話すわけにはいかない。不都合なことになるのか、いやそうでもないか。ヒルメラ様はそんな事をわざわざ隠そうとはしていない。


「事実はどうか知らないけど、ヒルメラ様は認めているね。その情報はワシェクト様が?」

「いや、こちらで調べた範囲での内容だ。その言い方だとワシェクトはそのへんの情報を避けているようだな」

「ワシェクト様はヒルメラ様のことを妹として溺愛しているからね。その話題は好まないはずだよ」


 彼が知りたがっているのはこんな情報ではないのだろう。まあ、僕から引き出せる情報があるのであれば、自由にすればいい。僕としては少しでも君の瞳を見続けることができれば、それで十分なのだから。


「ぶれないもんだな。お前は」

「心は揺さぶられているよ、身悶えしたくなるほどにね。君はどうなのかな?」


 彼が僕に対しこの眼を向けてくることは、彼の心の奥に焦りがあるからだろう。そんなことをしなくても、僕は彼が思った通りの人間に過ぎない。それは彼自身も既にわかっていたはずなのに、そうしなければならなかった。


「おかげさまで力が抜けたな」

「それは何よりだ」


 もうこれ以上の観察は必要なくなったのか、彼の眼は普段の様子に戻った。少し名残惜しいけど臆病さを孕んでいる瞳も嫌いじゃないから、次の機会を楽しみに待つとしよう。

 しかし命を狙われた、か。僕がアークリアルの始末に出てすぐに色々あったようだけど、他の王子達が僕を警戒している?僕個人と言うより、ヒルメラ様の目かな。他の王子の監視が弱まったタイミングを狙う事自体は理に適っているよね。


「さて、と。せっかく来てくれたところ悪いんだが、そろそろ出かけるつもりだ」

「そっか。じゃあ外で支度ができるのを待っているね」

「一緒に行動する気かよ」

「僕がヒルメラ様に命じられているのは君を見守ることだ。遠目で君を見張り続けてもいいけど、せっかくなら一緒にいたいじゃないか」


 序の口レベルの暗殺が失敗した以上、他の王子達もそろそろ本気で彼の命を狙ってくるだろう。それこそ隠し玉の一つや二つを見せてくれるかもしれない。なら彼と一緒に行動しない手はない。

 少しだけ笑い、壁に掛けていた剣を取って玄関へと向かう。僕と行動するのであれば、イリアスやウルフェに相談の一つでもしておきたいだろう。

 玄関で彼を待ちつつ、今後の展開を想像する。イリアスやウルフェがいる以上、正攻法で彼の命を奪うようなことはしてこないだろう。するのであれば、彼の心を折る何かしらの手段か。

 今の彼は仲間に忌避されている奥の手を使わなければならないほどに、その心が弱っている。下劣な王子達の策略が彼の心を傷つけてしまう恐れは十分にある。ああ、それは嫌だ。彼の心が誰かに壊されてしまうだなんて、そんな勿体ないことを許すわけにはいかない。


「でもヒルメラ様には大人しく動けって言われたんだよなぁ……」


 さて、どう上手く誤魔化すかを考えなければならないね。それこそヒルメラ様が苦虫を噛み潰したような顔をする素敵な言い訳を。


 ◇


「ムールシュトも一緒に行動させるのか?」

「本人がそれを希望しているんだから、好きにさせるしかないだろ」


 呆れ顔のイリアスの気持ちも分かるが、『俺』にムールシュトの行動を制限する権利はない。もちろん邪魔になれば相応の対応はさせてもらうが、そんなことにはならないだろう。

 ムールシュトは愚直ではあるが馬鹿ではない。積極的ではあるが、心の距離感を上手に保ちながら行動することができる人物だ。ヒルメラに命じられた目的をどんな形であれ遂行するつもりだろう。


「ししょー、ムールシュトから血の匂いがしました。本人の血だと思います、あの人怪我をしています」

「ここ最近姿を見せていなかったのは、戦闘を含む任務とその治療に費やしていたんだろうな」


 ムールシュトがいなくなってからラクラやメリーア、そして『俺』に直接的な危害が加えられている。だがムールシュト自体も襲われていたと考えると、案外彼が最初に巻き込まれたのではという推測も出てくる。

 ただそれとは別に、ヒルメラ個人の依頼を受けての戦闘を行っていた可能性も捨てきれない。身近で殺傷事件が起きたような話は聞いていないが、そうなると何かしらの情報源に干渉でもしたのだろうか。そうだとしたらヒルメラから口止めをされているだろうし、無理には聞き出せないな。

 ただ分かるのはムールシュトがその負傷、負傷に至る経緯になんの思い入れも残していないということだ。それだけはつい先程の観察で理解できている。


「ムールシュトにやってみたのか?」

「一応な。ただあいつは自分の感情に嘘をつくような真似はしていない。純粋に『俺』に会いに来ていたし、『俺』の目にも好感を持っていた。趣味の悪い話ではあるんだがな」


 ムールシュトにとって人を好きになるということは、芸術に心を惹かれるものと近い感覚にある。ただそれは外見ではなく、その人個人の内面や在り方に起因している。

 心を見透かすと言うよりは、心の形を視覚的に観察しているような印象か。もしもそんなことが可能だとするのであれば、ムールシュトが落とし子である可能性も考慮しておく必要があるだろう。


「今のところは大丈夫ということか」

「ああ、そうだな。今のところは……な」


 あいつの言葉に嘘は何一つない。純粋な好意を向けつつも、ヒルメラの意思決定一つで『俺』に剣を向けることができる。どんな『俺』だろうとも受け入れ、泣きながら迷いなく剣を振るうだろう。

 そんな危うい奴ではあるのだが、だからこそ分かりやすくもある。今の段階ではムールシュトは自由にさせておいた方がこちら側にとって色々と得なのは間違いない。


「これは私個人の意見なのだが、どうも君はムールシュトに対して気を許し過ぎてはいないか?」

「そうかもな。同性且つ性格の相性が良く、それでいて好意を向けられているんだから、そりゃあ気を許したくはなるさ。知っている奴で言えば、マリトに近い感じだな」

「陛下に?まあ……確かに君に対する執着の度合いは似ているのかもしれないが……。それでも君の中では彼は敵になる可能性が十分にあるのだろう?」

「……まあな。でも、それを避けられる方法も全く無いわけじゃあない」


 自分の分析もある程度は行っている。本来ならば全貌が見えていない段階でセレンデの者と親しくする行動は間違いだ。ワシェクトの疑いも完全に晴れているわけではないし、トッパラやムールシュトがいつ敵になるのかも定かではないのだから。

 しかしそれでも自分に対して本心から好意を向けてくる相手に対して寛容になっているのは、向けられている敵意の多さによるものだ。王子達の息がかかっている場所しかなく、周囲にいる者達のほとんどがその内通者と考えても良い。

 イリアス達に負担を掛けさせたくないという思いが、ムールシュト達のような立場の相手に心を許しがちにしてしまう言い訳になっている。そのおかげで精神衛生上の問題はないが、ヒルメラやワシェクトに対する調査が甘くなっていることは否めない。無意識的にムールシュトやワシェクトが敵に回らないような選択肢をとっているのだ。


「――自覚しているのならばとやかくは言わないとも。人間関係においては私よりも君の方が遥かに上なのだからな」

「ああ、上手にやるさ。……それでもの時の覚悟も含めてな」


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