表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界でも無難に生きたい症候群【完結】  作者: 安泰
決着編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

298/382

そんなわけで、間にいます。

問2.今のエクドイクの心境を答えよ。

 彼の言葉の意味を理解し、剣を握るまでの速度に問題はなかった。しかし彼が指差した先にいた人物を見てからの行動は、護衛としてあるまじき反応だと省みる他なかった。

 年端も行かぬ少年、それだけではなく殺意はおろか敵意すら感じない。彼に刺客だと言われてもなお、目立った反応もなく動きを見せる気配もない。私は彼とその少年に視線を向けたまま動けないでいた。

 だが動くよう言われたのは私ではなくエクドイクだ。エクドイクは彼の言葉に一瞬硬直したが、すぐに鎖を展開しその子供を拘束した。


「――っ!」


 状況を正確に把握するよりも、まずは彼の身の安全が最優先と彼の真横に立ち、次に周囲の様子を確認する。

 今の動きで子供やその親達は驚き、硬直をしている。エクドイクが手加減をしているのか、拘束された当の子供も現状を理解できていない様子で、きょとんとした顔のままこちらを見ている。


「う、うちの子に何をするの!?」


 最初に反応を見せたのは拘束された少年の母親らしき人物。その声を皮切りに周囲に動揺が広まっていく。


「同胞、説明を頼む。俺が見る限り、この子供はただの子供だ」

「身体検査をしてくれ。多分刃物を隠し持っている」


 その言葉にエクドイクが拘束をする前の少年の姿が、記憶として頭の中に浮かび上がる。言われてみれば、立ち方、歩き方と共に少し違和感があった気がしないでもない。背中に何かを隠しているのであれば、そんな歩き方をしていても不思議ではない程度だ。

 騒ぐ母親を無視し、エクドイクが子供へと近寄りその服を調べる。そしてすぐさま少年の背中に隠されていたナイフを取り出した。ナイフと言っても果物を切るための小型の物で、殺傷力がある武器ではない。

 彼はそのナイフを指差し、騒いでいる母親の方へと視線を向けた。その目つきは先程まで交流していた時のものとは明らかに違う。


「申し開きがあるなら、一度だけ聞く。このナイフはなんだ?」

「く、果物ナイフじゃない!うちの子供が勝手に持ち出しただけで、切れ味も殆どない――」

「エクドイク、そのナイフで子供の腕を少し切れ」


 その言葉を聞いた途端、母親の表情がさらに険しくなる。自分の子供を切れと言われればその通りだろうが……いや、この反応はそれどころではない。


「ふ、ふざけないで!そんなこと――」

「切れ味のない果物ナイフでも、薄皮くらい切れるだろうな。だけど心配する必要はない。運良く子供用の手当道具も持ち合わせているんだ。ちょっと痛いかもしれないが、このナイフが何も塗られていないただの果物ナイフなら、それだけだ」

「――っ!?」

「臭いはしないが……確かに何かが塗られているな」


 母親が少年へと駆け寄り、エクドイクの前へと出る。エクドイクは鎖の拘束はそのままで距離を取り、母親の周囲にも鎖を展開している。


「う、うちの子に手を出さないでっ!」

「――エクドイク、その果物ナイフをその奥さんに返してやれ」

「あ、ああ……」


 例え毒が塗られていたとしても、母親の身体能力的に問題ないと判断したのだろう。エクドイクは彼に言われるまま、ナイフを母親の目の前に落とした。


「それじゃあ奥さん、あなた自身でも構いませんよ。そのナイフで少しだけ腕を切ってください。こちらの二人は回復魔法が使えますので、その程度の傷なら完全に治せます。それができるのであれば、疑い、怖がらせてしまったことに対しての謝罪もさせていただきます」

「い、嫌よ!なんで私がそんなことをしなくちゃならないのよっ!?」

「では言い方を変えますね。金に目が眩み、自分の子供を利用して人を殺そうとした分際でこれ以上見苦しい真似をするな。今すぐに自白をするか、無理矢理証明させられるか即座に選べ。選ばないのであれば後者を選んだとみなす」


 彼の声は穏やかで、そこに怒りや敵意は感じられない。ただ淡々と、母親に対して言葉を投げかけ続けている。

 この女性の立場は、今彼が言った通り金に動かされた刺客のようだ。子供の表情からみて、毒がどうこうといったことに理解が追いついている様子ではない。悪戯をさせる程度のつもりで毒の塗られた果物ナイフを握らせ、彼に傷をつけさせようとしていたのだろう。

 それが彼女本人の考えた暗殺計画なのか、それともそこまで綿密に指示を行わせた人物がいるのか……せめて後者であってほしいと願いたい。


「……う……お願いします。私はどうなっても構いません……だけど……どうか……どうかこの子だけは……!」


 母親は観念したのか、頭と両手を地につけた。彼は周囲にいる人達の方を向き、静かに頭を下げた。


「ご覧の通りです。皆様にはご迷惑をお掛けしました。今後は皆様には関わりませんので、どうかご安心ください」


 周囲の反応は唖然としたままだが、彼はそんなことを気にする様子もなく母親と少年の方へと歩み寄り、落ちたままのナイフを拾い上げた。そのことで母親がビクリと震えたが、彼はそんな母親を見ることもなくその場を離れた。


「同胞、この親子は――」

「金で雇われただけだ。拷問しても何も出ない」


 エクドイクは無言で展開していた鎖を解除し、彼の後へと続いた。私も小走りで彼の方へと向かう。暫くの間、その時にすれ違った母親の泣く声が耳の中から離れなかった。

 彼は何も言わないまま移動を続けていたが、その空気に耐えきれなかったのかエクドイクが口を開いた。


「あの子供が刺客だとどうして気づいた?」

「何かしらの悪戯を企んでいるのは、その子供を見るだけでわかった。問題は母親の方だ。ただ自分の子供が抱き上げられるのを待っていただけなのに、ありえないほど緊張してその様子を眺めていた。抱き上げられる瞬間ならまだしも、並んでいる時点からだ」


 私やエクドイクは私達に向けられている視線には敏感だった。それは子供達の視線にも対応できていたはずだ。だが彼は自分に向けられた視線ではなく、子供に向けられていた視線でそう判断することができたのだ。

 きっと私もエクドイクも、同じように警戒すること自体はできたのかもしれない。本気で警戒をしていたのに、それでも彼よりも怠っていた事実はなかなか気が滅入りそうになる。私も会話に加わり、気を紛らわせるとしよう。


「だがあの親子、放っておいて良かったのか?」

「拘束して連れ歩いても悪目立ちするだけだ。事情を聞いたところで、片親で苦労している家庭環境を確認するだけに終わるしな」

「……そこまで分析していたのだな」

「子供の衣服の修繕後を見る限り、かなり丁寧な性格のはずなのに、本人自身の身なりはどこか雑さがあった。手肌の荒れ方や靴の汚れ具合も普通の主婦よりも目立っていたし、何より……頼れる人がいない人特有の雰囲気があった」


 彼が他人を注意深く観察すること自体は珍しくはない。しかし、それは自分が関わる相手に限った話だ。ターイズで一緒にいた時は、道行く人達に対してそこまでの注意を払うようなことはなかった。……やはりこのままではいけない。何かしらの手を、彼以外の誰かがしなくてはならない。


「同胞の住んでいた世界でも、子供を利用するようなことはあったのか?」

「子供を兵士として利用する国はあったが、そことは無縁だったな。ただ善悪を理解できない子供を利用して、悪事の一端を担わせている奴は普通にいた。事情も何も知らない子供ってのは、見るだけで油断を誘えるからな」

「誰が見ても無力だと思う存在に、言葉通りに毒を仕込むと言うやつだな。王子達の妨害も本格的になってきたと考えるべきか」


 相手は身内同士で殺し合いを続け、権力を奪い合ってきた狡猾な者達だ。単純な戦力ではなく、いかに相手を油断させ、陥れるかに秀でている。彼もその道に生きる側ではあるのだろうが、それで安心できる要素などどこにもない。

 私のような騎士では、そんな連中の策略を破ることは至難の技だ。それこそ我が身を盾にすることくらいしかできない……。


「決定打はなくとも、セレンデの背景にあるものは見えてきた。後はその裏付けだけだ……っと、あれは……」


 彼の視線の先には、以前彼に正体を見破られたユミェス王女派閥の工作員であるトッパラの姿がある。手には買い物かごを下げており、そこからいくつか野菜が突き出しているのが見える。


「げ、お前さんか」

「おっさんも日常に復帰できたのか、良かったな」

「思ったよりも伸びちまったがな。歳は取りたくねぇなぁ……」


 この男は彼に近づくため、自らの腰を負傷させて隣の部屋で治療を受けていた。演技ではなく事実を以て近づく口実を作る。この人物も相当な覚悟を持って行動しているのが分かる。念のためいつでも剣を抜けるように警戒し、周囲にも注意を払う。


「復帰したのに見なかったのはどうしてなんだ?」

「流石にお前さんの拠点周りをうろちょろしてたら不審なだけだろ……。ヒルメラ王女んとこの護衛みたいに図太い神経じゃねーんだぞ……」

「給料とか大丈夫か?」

「大丈夫……とはいかねぇなぁ。まあもとより副業みたいなもんだからな。暇な時にでも接触させてもらって、見たままの情報を報告させてもらう。それだけでも飯代くらいにはなるしな」


 トッパラは苦々しく笑う。情報を調べるべき相手から、逆にここまで接触されてはプロとしての立場がないのだろう。だが彼としては、トッパラの半ば諦めの入った態度が好感を持てるようだ。


「なんなら遊びに行こうか?どうせ一人暮らしなんだろ?」

「どうせとか言うな。俺が言うのもなんだが、もう少し警戒をだな……」

「警戒はしているさ。ただそっち側に情報を故意に流したい場合、おっさんを利用するのが一番楽そうなんだよな」

「ああ……まあそれもそうか。まあもてなしの飯くらいは作ってやるが、ちゃんと護衛は連れてこいよ?俺だって人間だ、欲に負ける時だってある」


 トッパラはそう言って去っていった。ついさっき彼の命を狙った少年の母親とは違い、彼のことをどこか気にしているような素振りもある。彼もそんなトッパラの意思を理解しているのか、どこかその表情は柔らかかった。彼の気分が少しでも晴れるのであれば、トッパラの家に行かせるのも悪くないのかもしれない。


「イリアス、何か言いたいことでもあるのか?」


 彼を見ていると、彼は私の視線に気づき、そのまま私の心を見透かすように言葉を投げかけてきた。今は側にエクドイクもいるが……問題はないだろう。


「ああ……。皆が君のことを心配していることは理解しているのだろう?」

「まあな。自分でも結構ピリピリしていると自覚はしている。誤魔化せなくはないが、それで余計に心配されるのも嫌だからな……悪いがもう少し心配を掛けさせるかもしれない」

「別に責めるつもりはない。君が皆のために選んだ道だ。それを知っているからこそ、誰も君を止められないし、心配せざるを得ない状況なのだと思っている」


 彼が本当に自分の人生だけに無難さを求めているのであれば、他者との関わりを断ち切り孤立するだけで全てが事足りるのだ。彼がこうして様々な問題に向き合うのは、否応なしに巻き込まれる私達にもその平穏で無難な人生を歩んで欲しいと願っているからだ。


「余計なお世話って突き放されないだけで、十分ありがたいと思っているよ。好きにさせてくれてありがとうな」

「……取り消してくれて構わない」

「ん?」

「約束のことだ。人を理解するあの技、もう私の許可などを求めなくても自由に使ってくれて良い」


 彼の私を見る瞳からは、何を思っているのかが読み取れない。だけど、これはもう私の中で整理が済んだ話だ。


「一応理由を聞いても良いか?」

「今でも君があの方法を使用することは反対だ。できることならば永劫使わないでほしいとさえ思っている。だが……そのせいで君の心に余計な負担を掛けさせることも、望んではいない」


 自己を完全に捨て去り、相手になりきるように理解する行動は、己の精神を微塵も尊重しない残酷な行為だ。刃でその身を刻むのとなんら変わりがない。彼にとってはそれが元いた世界で馴染んだ手法であり、彼が生きていく上で身につけた術だ。

 だが彼はその術を自ら放棄した。自惚れでもなんでもない、私のためにだ。私達と共に歩む為に、自らの腕を切り落としたのだ。

 そのことに私は安堵した。その後も彼が過酷な方法に頼らずに問題に立ち向かう姿に満足感さえ覚えていた。

 しかし紫の魔王や緋の魔王、アークリアル達との決着の時にその使用を許可したことで、私にも見えたものがある。あの方法は自分を忘れ、相手と向き合わずに、相手となって考えることで、弱い心を敵意から守る術でもあったのだ。

 そのことに薄々は気づきつつも、あの方法を正当化する理由にはならないと言い訳をしてきた。だが、その結果が今の彼だ。誰の目にも消耗しているのが見え始め、心に余裕を感じられなくなっている。


「『俺』が自分で決めたことなんだから、気にしなくて良いんだけどな。イリアス達が『俺』にしてほしくないと望んだから、自重しているだけに過ぎないんだ。どうしてもって時はお願いしているわけだし……」

「君が君自身として相手と向き合ってくれることは嬉しい。だがそれで君の心が削れていくようでは意味がない。もしも君がその方が楽だというのであれば、私の願いよりも君の心の安寧を優先してほしい」

「……そっか。イリアスの言いたいことは分かった。そんなにも見てられないのか……」


 彼は少しだけ困ったように笑う。真面目だけが取り柄の私が、自分の意思を捻じ曲げてでも楽な道を選んでほしいと願ったことに、複雑な思いを抱いているのだろう。


「あの時は君が私のために譲ってくれたのだ。ならば今度は私が君のためになろう。君がもしも自分を見失ったとしても、必ず私が戻ってくる為の道標となる。そうすれば、君は戻ってこれるのだろう?」


 彼は自らの在り方を変えた時、私の目を見ることで元に戻ろうとしていた。愚直なだけの私にも、彼の役に立つことはできる。ならば今の私にできることは、この体を以て彼の命を守り、この在り方を以て彼の心を守ることだ。


「まあ……そうだけど……目を見る意味とか分かってるのか?」

「いや全く。以前君に訪ねた時は茶化されてしまったのでな」

「だよな……きちんと説明しておくか。少しばかり嫌な言い方もするけど、静かに聞いてくれ」


 顔を見られたくないのだろうか、彼は少しだけ歩みを早めた。私としても今の今であまり彼を直視したいとは思っていないので問題はない。代わりに周囲に意識を向けておくとしよう。


「『俺』はさ、誇りを持つことは損を受け入れる愚かな行為だと考えている。自らに枷をし、不利益を望む行為に賢さなんてありはしないんだって。それでも、人が誇りを尊重する理由は人だからこそなんだ」

「……」

「誰もが損を拒絶し、賢く生きようとすれば、それは立場を奪い合う争いになる。そうなれば生き残るのは強者だけで、弱者は生き残れない。それでこそ人は進歩するって言う奴もごまんといる。だけどさ、強い個体だけが生き残るだけの生き方なんて、獣の生き方と変わらないだろ?」


 損をしないよう、賢く立ち回り、無難な生き方を望み続ける彼の生き方は賢いと言える。だけどそんな彼の口から出た言葉からは、自分の生き方が良いものではないと見下すような意味合いも感じる。


「誇りを持つことは、人にしかできないことだ。だからな、イリアス。騎士として誇り高く生きようとしているお前の目からは、人として生きようとする輝きを感じられるんだ。それはどんな宝石よりも眩しくて、それを見て心が揺らぐ自分が人なのだと再認識することができる。人として生きたいと願う『俺』の在り方を思い出せるんだ」


 私と彼の生き方はかけ離れている、そう感じたことは少なくない。目的が一致したからこそ、共に在れたのだと、もし離れてしまえば二度と共に歩めなくなるだろうとさえ思っていた。

 だけど彼はそんな私の生き方に憧れを抱いてくれていた。かつてカラ爺に言われた言葉を思い出し、その意味が今になってようやく実感できたようだ。

 何か言葉を返したいと思ったけど、何も言葉が湧いてこない。できることなら今彼がどんな顔でいるのかを見たいのに、自分の顔を見せたくないと思ってしまう。


「……その、なんだ。道標になってやるって言葉で、少しは気が楽になった。ありがたく利用させてもらうから、よろしくな」

「……ああ」


 返事はできたが、これ以上は会話を続けるのは難しそうだ。拠点に帰るまでにこの奇妙な昂りを抑えておくとしよう。

 彼の言葉は恥ずかしくも感じたが、素直に嬉しかった。だけど同時に不安も残ってしまう。いままでの彼は私に対し、ここまで距離を詰めようとはしてこなかったからだ。それがこうして私の言葉だけで揺れてしまうほどなのだと気づいてしまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] わーいリミットオーバーだー!!! やったれ同胞!!!!
[一言] ついに「理解」が解禁されましたね。 「目下のところ決断を。」でマリトが 「・・・武器を失った彼の弱さは今見る影すらも無くなるだろう。獣の爪と牙、四肢の筋を切断し野に放つ行為だと言うことは理…
[良い点] 平和に見えるのに、悪意が匂うしノイズが聴こえ、殺意を感じる。魔境かと。 主人公はより敏感に感じて精神が圧迫されているが、踏ん張るのは... [一言] エクドイクはやれることを頑張る風に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ