そんなわけで、けほっ。
ムールシュト殿が姿を見せなくなったことで、ご友人の側を気にする必要がなくなったのは非常にありがたいことです。ラッツェル卿やウルフェちゃん、『紫』殿にデュヴレオリ殿と守りは鉄壁でも、やはり近くに敵か味方かはっきりしない方がいるというのは不安と言いますか……。
「でもミクスちゃんのそれって、単純にムールシュトさんに嫉妬してただけでは?」
「ラクラ殿、そういうのは思っていても口にしないものなのですぞ」
ええ、認めたくありませんとも。よもや殿方にご友人を取られかねないと焦っていることを自覚しつつあるなんて。いえ、結構恐ろしいのですよ、見た目は可憐な女性に見えるのに、その実殿方なのだから女性以上に距離を詰めやすいのです。
この前なんてご友人と一緒に風呂に入ろうなどと言い出し、ご友人は『いや、狭いから』と断ったのですぞ!広ければ入ってたということですぞ!?
「でも尚書様も、ムールシュトさんのことは大分気に入っていると思いますよ。あの人恋愛よりも男同士の友情に憧れとか持っていますし」
「ドミトルコフコン卿の時は大変だったそうですからなぁ……」
ご友人が女性よりも男性との友情を好むのは、単純に女性を異性として意識してくださっているからなので、意識されたい私としてはありがたいことではあるのです。
さらに言えば私達が妬かないようにあえて距離を作っているのです。マセッタ殿やメリーア殿、『蒼』殿のような女性達とは自分の方から積極的に交友を深めようとしていますが、私や『紫』殿の前では自粛していると言いますか。
「でもまあ、良いじゃないですか。今の尚書様にとって、親しい人ができるのは喜ばしいことですよ。マリト陛下がこの場にいない以上、肩を組んで話せるムールシュトさんの存在は非常にありがたいです」
「その兄様はとても不服そうな声をしていましたな……」
対等に話せる関係を求めるだけならば、ラッツェル卿で十分ではあるのですが……ラッツェル卿は真面目過ぎますからな。男性陣もエクドイク殿はご友人を持ち上げ過ぎですし、デュヴレオリ殿は寡黙過ぎ、ハークドック殿は……男同士というより愛玩的な扱いですし。
殿方で対等で、口も回る兄様の代わりになるのはムールシュト殿以外にいないということになりますな……。
「マリト陛下って結構嫉妬深いですよね。私相手でも邪険にしてきますし」
「それはラクラ殿の自堕落さに反射的に刺々しくなっているだけかと」
「ひぃん」
実際のところは、兄様はご友人との対等な立場を維持するために甘えることを自重していて、その目の前でご友人に甘えられるラクラ殿に嫉妬している感じなのですが……それをラクラ殿に伝えた場合、ラクラ殿が兄様にこれみよがしな意地悪をしかねないので言わないでおきます。
「しかし、そろそろ情報収集も限界が見えてきたでありますな」
「そうですねぇ……。やっぱりよそ者ですし、私も着替えてはいるのですが……」
セレンデではユグラ教に対する評価はあまり良くなく、ラクラ殿とマセッタ殿はそれぞれ別の格好で行動しております。マセッタ殿は元々私服を持っていたのですが、ラクラ殿は支給されている司祭服と寝間着しか持ち合わせていないという猛者でした。なので私好みの格好をしてもらっております。正直露出をもう少し増やしたいのですが、当人が嫌がるのとご友人の視線を独り占めさせるわけにはいかないので自重。
「これだけの期間活動していれば顔も覚えられるというか……やはり組織的な圧力を感じますな」
街の人々は顔役となっている商会達に不利な情報を話そうとはしません。噂話でさえ聞いたことがないと頑なに口を閉ざしております。ですがその表情を見れば、奥底に恐怖という感情が根付いているのは明らか。
どこにでも目があり、耳がある。だからよそ者に下手な協力はできないといった感じでしょう。となると今の私達でさえ常に監視されているというわけで……。
「いっそ捕まえてみます?」
「それも悪くありませんが……ふむぅ」
視線には気づいております。ですが素人同然と言える者も多いので、バレても構わないといった所存なのでしょう。そこから情報を得ることは不可能と考えて良いです。
玄人っぽい気配に絞ってみようにも骨が折れそうですし……あまり他国で暴れる真似はしたくないのです。
「まああまり根を詰めず、気楽に行きましょう!余裕を持って行動した方が何かと視野も広くなりますし!」
「そうですなぁ」
ラクラ殿はマイペースですが、これでいてここ一番の鋭さは冒険者業に明け暮れていた私よりも秀でておられます。やはり緩急は大事、勉強になりますな!ただ情報収集中なのに、露店に目をとられては駆け出し、目を輝かせているのは注意すべきなのでしょうか。
「ほら、これ可愛くないですか?今度尚書様に買ってもらえないか交渉してみる価値ありです!」
「ラクラ殿、あまりはしゃいでは通行人にぶつかってしまいます――っ!?」
体が反射的に動く。ナイフを抜き、ラクラ殿の方へと駆け寄っている自分に気づき、現在の状況を頭の中で整理する。
ラクラ殿の死角の方角から近寄る男性、手には果物の入った籠を持っていますが、持ち方に妙な違和感あり。あれは反対側の手に何かを挟み込んでおり、それを落とさないようにしているのでしょう。なにより視線が移動先ではなくラクラ殿を真っ直ぐと見つめており、そこには殺意があります。
「ラクラ殿っ!背後――」
「えっ?」
しまった、私が声を掛けたことでラクラ殿が私の方を見てしまった。それを好機と見たか、男は籠を落とし、隠していたナイフを握り直してラクラ殿の方へ。この距離では接近は間に合わない、ナイフを投擲すればギリギリ――
「――ッ!?」
横から飛び出してきた人影にぶつかる。周囲の動きには注意していたはずなのに、こんなことは……っ!
視線を一瞬だけ移すと、私にぶつかってきた女性と目が合った。間違いない、この人は最初から私にぶつかるつもりで接近していた。恐怖と焦りが混ざったかのような表情、この瞬間に私の妨害を防ぐことだけを命じられた一般人。
いや、今はそんなことよりもラクラ殿の方を――
「ええと、ごめんなさい。私、何か粗相をしましたか?」
「っ!?」
驚愕の顔を浮かべていたのは、ナイフをラクラ殿の腹部へと突き立てた男性の方。ナイフはラクラ殿の服の上でピタリと止まっており、それが極小の結界によるものだと気づいた時にはその男性はナイフを投げ捨て、一目散に人混みの中へと逃げ出した。
完全な死角からの一撃を防いだラクラ殿を褒めたいところですが、今は仕掛けてきた者を捕まえることが先決。私にぶつかってきた女性は恐らくハズレ、情報を握っているのは間違いなく仕掛けた男性の方。
「ラクラ殿!先の男を追います!」
「え?あ、はい!」
念の為、麻痺毒を塗ったナイフで女性の足を軽く斬りつけ、露店の上へと飛び乗り男の姿を探す。――いた、民家の間に入っていったのが見えた。
周囲の建物の配置を確認し、足に魔力強化を施す。露店の支柱を蹴り、民家の壁を駆け上がり一気に屋上へ。数軒分の距離を詰めた後、探知魔法で逃げる魔力を補足。距離の把握良し、風向き、その他障害物の配置確認。
「んっ、そこっ!」
ナイフを斜め上へ、弧を描くように投擲する。直接は見えずとも、屋根のない道を同じ速度で走るのであれば当てることは造作もない。着弾のタイミングで再度魔力探知、逃走していた魔力の動きが止まっていることから命中と判断。屋根伝いに一気に距離を詰める。
そこには先程の男性が倒れており、肩には私の投擲したナイフがしっかりと刺さっていた。ふぅ、頭や首でなくて良かったですぞ。見えているのならいざ知らず、感覚で投げると狙った部位に当てるのは難しいですからな。
少し遅れて後方から魔力探知の反応、ラクラ殿が私の位置を捕捉するために使ったものですな。ラクラ殿が合流する前に拘束を済ませておくとしましょう。
「まったく、白昼から暗殺を狙うなどと……っ!?」
男に近寄ったことで、その男がまるで身動きしていないことに気づいた。もしも私の麻痺毒で動きが封じられているのであれば、意識は失わず多少の痙攣をしているはず。
男へと駆け寄りその体を仰向けにすると、男は口から血を流しながら絶命していた。微かに鼻につくこの匂い……口の中に毒を仕込んでいましたか。
私のナイフに麻痺毒が塗られていると判断し、逃げられないと悟って即座に自害……まるで暗部のような潔さですな。
ともかく、この男性からは情報らしい情報はもう手に入らない。先程の女性は生きているかもですが、望んだ情報は出てこないでしょう。
「うむむ……エクドイク殿達の方もちょっと心配ですな」
ぽりぽりと頭を掻き、ひとまずはラクラ殿がひぃひぃと駆け寄ってくるのを待つことにするとしましょう。
◇
「いやぁ、すまないねぇ……。息子が出ていってからというもの、力仕事ができるもんがいなくて困ってたんだよ」
「お構いなく!困っている人を助けたいと思う私自身の願いに応えたまでです!ね、エクドイクさん!」
「……そうだな。メリーア、角度は問題ないか?」
エクドイクさんと一緒に情報収集をしている最中、立ち寄ったお婆さんの家の窓が壊れているのを発見しました。聞けば独り身で直そうにも頼れる人がいないとのこと。これはなんとかしてあげなきゃと思い修理を買って出たのですが……流石はエクドイクさんです。
「凄いですねエクドイクさん!鎖で木材を抑えつつ鎖で釘打ちできるなんて!」
「以前『蒼』にこの光景を見せた時は『それくらい手でやりなさいよ』とか言われたがな」
「あ、それは少し思いました……でもそっちの方が楽なんですよね?」
「そうだな。鎖を指先と同じように自在に操れる身としては、長さも可動範囲も制限されている腕を使う方が非効率的に感じてしまうのだが……この辺の感覚を理解してくれるのは恐らくデュヴレオリくらいだろう」
私にもその感覚はちょっと理解できそうにないです。剣を使って戦う以外に何ができるかと言われても……以前お野菜とかお肉とかを斬ってみましたけど、包丁の方が絶対にいいなって思いましたし。
同胞さんが『あいつは鎖で何でもできる』って言ってましたけど、多分本当に何でもできちゃいそうですよね……この前も鎖で空を飛んでいましたし……。できれば乙女心も鎖で……流石に無理ですよね。
「付き合わせてしまってすみません。でもほっとけなかったと言いますか……」
「気にするな。俺も学ぶことはある」
「ほへ?そうなんですか?」
「ああ。俺は情報収集と聞けば単刀直入に切り込んだり、相手の出方を伺って駆け引きをしたりするものだと考えていた。だからこのように人に親身になってから情報を引き出すよう試みる行為は新鮮さを感じ、なるほどと理解できている」
この人の凄いところは、自分が取りもしない行動を学びとして受け入れられるところだと思うんですよね。これだけ真っ直ぐ向き合えれば、人だろうと物事だろうと応えざるをえないと言いますか……。
「お二人さん、お茶をここに置いておくからね」
「ありがとうございます!お婆ちゃん、他に何か手伝ってほしいこととかありますか?」
「そうだねぇ……。玄関にある大きな花瓶、あれを裏にある納屋に運んでもらえるかい?もうこの歳じゃあの大きさの花瓶の世話は難しくてねぇ。何もさしてないと逆に寂しく見えちゃって」
ちらりと玄関の方を見ると、寂しそうに置かれている花瓶があります。花瓶と言うより壺って言いたくなるような大きさですけど。確かにあの大きさの花瓶に花をさして世話をするのはこのお婆ちゃんには厳しそうですね。
「わかりました、それじゃあ運んでおきますね。お婆ちゃんはおうちでゆっくりしていてください」
「すまないねぇ。本当に助かるよ」
お婆ちゃんは会釈をしながら家の中へと入っていきました。それでは早速もらったお茶を――
「メリーア、分かっていると思うが……」
「大丈夫です。同胞さんから言われてますからね、出された飲み物や食べ物は口にしないようにって」
セレンデでは毒を使った暗殺技術が他国より優れているらしく、飲食物には細心の注意を払うようにと念を押されています。例え無害そうな人だからといっても、その人を利用して毒を盛ってくる輩がいないとも限らないと。
ちょっと喉が乾いていたので、名残惜しさはありますけど……ごめんなさいと思いつつ土の上にこぼしておきます。
ちょっとやり過ぎじゃないかとも思ったりしますが、私の不注意で同胞さんに迷惑を掛けることだけは避けなければなりません。トリンでやらかしてしまった失態をまた起こすようでは、同胞さんの近くにいることすら難しくなるでしょう。そうなれば必然的にエクドイクさんの傍にも……。
「こちらは俺一人で十分だな」
「それじゃあ私は花瓶を納屋に仕舞ってきますね!」
「一応ここから鎖で運ぶこともできるが」
「流石に見えないところには手で運んだほうが良い気がします……」
思い出の品でしょうし、それを鎖でふよふよと運ぶ光景をみたらお婆ちゃんもビックリしちゃいそう。この常識のなさが欠点でもあり、可愛いところでもあるんですよね……この人。
花瓶を納屋へと運んでいきます。重さはそこそこ、魔力強化を使えば全く問題はないですね。同胞さんだと黙って首を横に振るかな……って、失礼なこと考えちゃダメだ、私!
納屋は引き戸だったので、一度花瓶を置いて戸を開いて中を確認。ちょうど置けそうな場所を見つけたのでそこに花瓶を置く。色々な道具があるけど、ほとんどが埃を被っちゃっているなぁ……。独り身になると自分の使わない道具とかって手入れしなくなっちゃうもんね。
「手入れもしちゃおうかなぁ……でもあんまり時間を掛けちゃうのも悪いし――っ!?」
納屋から出た瞬間に右側から何かが飛び出してきた。咄嗟に腕で防ぐと、強い衝撃と共に鈍い痛みが骨に伝わってきた。
攻撃を受けた、誰に?誰かいる、知らない男の人、敵意のある目だ、対応しなくちゃ。
男の人から距離を取り、剣に手を掛ける。剣を抜く間に相手の装備を確認、握っているのは鉄製の棍棒のようなもの。雰囲気からそれなりに荒事に慣れている?だけど私を初撃で仕留められなかったことに驚きの顔を見せているから、そこまで実力はない?
応戦、いや違う。今するべきは近くにいるエクドイクさんに情報を共有すること。だから次に取るべき行動は呼びかけることだ。
「エ――ッ!?」
声を出そうとしたのに、背後からの一撃で声がでなくなった。首の後ろ付近、頭が揺らされた。もう一人いる!?確認――違う、まずは体勢を……っ!
体が思うように動かず、地面へと倒れる。意識はあるのに視界がぐらぐらと揺れて状況が確認できない。
「いい反応――。未熟――聖騎士は―騎士――」
「急げ。出て――のが遅―――分、表に――――いつ魔力探知を使っ―――も分からない。確実に意識―――、早く運び出――」
会話が聞こえる。とぎれとぎれだけど、私をどこかに連れて行こうとしていることはどうにか把握できた。一人が私を担ぎ上げようと近づいてくる。どうしよう、抵抗しないと、助けを呼ばないと、また――
「……?」
目の前にいた男の人が消えた。背後の気配もない。一体何が起こったのだろう?そんな事を思っていると首筋に冷たくて硬い金属の感触が伝わってきた。その金属から魔力のようなものが流れ込んできて、私の意識が徐々にはっきりとしていく。
「大丈夫か、メリーア?」
「あ、エクドイクさん……。はい、多分……」
気づけばエクドイクさんが私を抱き起こしていた。体の痛みはほとんどなく、治療魔法で応急手当をしてくれたみたい。私はゆっくりと起き上がり、自分の体の調子を確かめる。うん、少しふらつくけどもう大丈夫だ。
「少し遅れた。すまない」
「いえ、ビックリするくらい早かったですよ……。探知魔法とか使っていませんよね?どうしてこの状況が分かったんですか?」
「メリーアの鞘のベルトに俺の鎖を巻きつけてあった。納屋から出たと思われる位置で急な揺れの後の転倒を確認し、駆けつけただけだ」
ちらりと私のベルトを見ると、本当に鎖が巻いてありました。遠隔で鎖の動きを把握し続けてくれていたんですね。でも一体いつの間に……。
「そ、そうでした!私を襲った人は――っ!?」
周囲を見渡し、視界の上に何かを見つけて見上げると、そこには全身を鎖で拘束され、宙にぶら下がっている三人の男性が。全員絞め落とされているのか意識はなく、さらには手足も本来曲がらない方向に捻じ曲げられています。
「殺してはいない。絞め落とし、手足を折り、麻痺毒を全身に回らせてある程度だ。もう少し念を入れておいた方が良いか?」
「十分過ぎると思いますけど……三人いたんですね」
「運び出す前に老婆に話を聞く必要があるな。この男達の装備、明らかにメリーアを連れ去ることが目的だ。納屋にメリーアを誘導した老婆も共犯である可能性が高い」
「――っ」
考えないようにしていたけど、やっぱりそうですよね……。私達が民家の人に話を聞いて回っているルートを先読みし、事前に人目の付かない納屋に誘い込む算段をつけてから襲う。突発的ではなく、準備があってこその奇襲です。
「あの老婆当人は利用されているだけの立場だろう。手荒な真似をするつもりはない、心配するな」
「は、はい……。あの、ところでこの鎖っていつ……?」
「朝拠点を出る時だ。視界からメリーアを外さざるを得ない時は、鎖を結びつけて常時監視しておくようにと同胞から言われてあった」
凄く過保護にされている……。それだけ私が未熟なのだと同胞さんに思われているんですよね……でも実際にそれが役に立ったわけで……くすん。
「ちょっと複雑ですけど……助かりました。でも凄いですね、この鎖。私の動きを遠くでも感知できるんですね」
「距離が遠くなると精度は落ちるが、先程の距離程度ならば魔力の揺らぎや脈拍体温なども測れる」
「そ、そこまで……」
これ、私の感情とか読まれかねない精度じゃないですか!?そこまで読み取らなくてもと言おうにも、毒や魔法とかで眠らされる時には観測しておくべき要素ですし……。
「メリーアは普段から体温や脈拍が上がりやすいようだが、体に異常はないのか?」
「ないです!ないです!気にしないでください!」
うう……『蒼』さんのことを色々羨ましいと思っていましたけど……こういうのは流石に恥ずかし過ぎます……。
◇
普段は和むことがほとんどなのだけれど、ヒルメラ様が呑気にベッドの上で石像を拭いている光景を見て、ここまで睨みたくなったのは初めてだ。
「ヒルメラ様、ただいま戻りました」
「おかえりなさい。きちんと始末できた?」
「いえ、駄目でした。けほっ」
咳と一緒に喉に溜まっていた血が溢れる。魔力強化の応用で傷は止血できていたけど、流石に喉を抑えたら息ができないもの、仕方ないよね。
「ちょっと、私の部屋を汚さないでよ。お兄様が足を滑らせたらどうするのよ」
「今は僕の安否を心配してくださいよ」
「元気そうじゃない。血の臭いが酷いけど」
酷いですとも、しかもほとんど僕の血だし。いやーあんなのまともに戦って殺せるわけないじゃないか。こっちの攻撃に合わせて確実に殺せる一撃を入れてくるんだもの、無理無理。
「強かったですね。多分この世界にいる人間の中で最強じゃないですかね、あの男」
「らしいわね。御使い様も持久戦で体力が尽きるまで粘ったそうよ」
「あー、なるほど。反撃させなければそれもありですね」
でも僕はこのお姫様の命令でアークリアルを殺しにいかなければならなかった。つまりあの不条理な反撃の的になるしかなかったわけで。回避と必殺の攻撃を同時に叩き込んでくるとか、ずるいとかそんな次元じゃない。
「それで、口封じには失敗したの?」
「半々ですかね。途中、アークリアルの知り合いらしき人物が割り込んで、アークリアルを連れ去っていきましたから」
「追わなかったの?」
「転移魔法で魔力の痕跡すら残さずに消えられたらどうしようもないですよ」
随分とガラの悪そうな女の人が現れ、アークリアルに触れたと思ったら消えてしまった。アークリアルの元仲間には転移魔法の使い手がいるって聞いているし、多分あの人がモラリとか言う落とし子とかなのだろう。
本当なら一緒に始末したかったのだけれど、アークリアルとの戦闘で僕も瀕死になっていたのだから仕方ない。多分あのまま戦闘に持ち込まれていたら僕の方が死んでいたに違いない。
「じゃあ口封じ失敗じゃない」
「いえ、あの負傷なら当面意識は戻らないでしょうし、情報を伝えられるようになるまでは結構な時間が掛かると思いますよ。彼が王子達の秘密を暴く時間くらいは稼げるかと」
あーあ、後もう少しで殺せそうだったのに、詰めも甘いし運もない。やはり僕には暗殺は向いてないんだ。
「そう。なら十分ね。もう少しで最強の座を奪えたのに、残念だったわね」
「御冗談を。僕はあの男に致命傷一つ与えられず、散々致命傷を受けたんですよ?完敗ですよ、完敗」
「致命傷は普通、一つで致命傷って言うのよ?そんなにやられちゃったんだ」
「骨や肉は当然として、内臓も結構斬られちゃってますからね。鎧とか跡形もなかったので予備に着替えてきたんですよ?新しい予備、手配しておいてくださいね」
本当なら今すぐにでも彼に会って、この不条理な仕事の疲れを癒やしたい。でも今回ばかりはこれ以上無理をしたら死ぬ。そりゃもう今生きているのが奇跡なくらいだもの、よく生きているよね、僕。
「なんで生きているのよ、貴方」
「人生否定は酷くないですかね」
「貴方がいることには感謝してるわよ。医者の手配はしてあるから、さっさと治療してきなさい」
そんなしっしと追い払わなくても良いのに。もうちょっと血を吐いてから出ていこうかな。いや、これ以上血を失うと流石に死んじゃうか、我慢しよう。




