さしあたって生きた心地がしない。
探検から帰ってきたのは夕暮れ過ぎ。イリアス達には『犬の骨』に向かわせ一人でマリトの所へ向かう。
手には『犬の骨』から貰った皮袋に入れられた酒がある。それを城に向かう前にある場所へと持っていく。一般層と富裕層の境界、その路地裏を進む。そこに目的の人物がいた。
「ようガゼン」
「なんだ、お前か」
ガゼン、ターイズに家を持たない人物で俗に言うホームレスだ。
年は四十程度、しかし、身だしなみを気にしないその姿はふた周り程老けて見える。
彼は普段路地裏を徘徊しゴミを集めて生活している。同時に不当に捨てられたゴミも集め、国から僅かながらの賃金を貰っている。
もしイリアスの所に世話にならなかったら、このガゼンと同じ生活から始めていた可能性がある。そうなれば彼と色々あっただろうと考え、感慨深いものを感じる。
ガゼンは普段から街を彷徨っているだけあって街の事情には詳しい。試しに酒を奢ってみたところ、有益な話を聞けたこともあり時折こうして情報を買っている。
ガゼンはしっかりしている男でギブアンドテイクを守っている。そういう訳で先払いとしての酒を渡す。
「最近この街に見慣れない奴が来ていないか?」
「真新しいのはお前とつるんでいるねーちゃんぐらいだな。後は見てねぇな」
「ラクラのことは知ってるのか。まあアレはどうでもいい。素性がはっきりしているからな。他にこれと言った変化はないか?」
「おうよ、いつも通りのターイズさ。お前さんと言う酒運びができたのは俺に取っちゃ大きいことだがな」
ガゼンは渡された酒を口にしながら笑う。気難しく他のホームレス達とも距離を置いている男だが、付き合い方を間違えなければそう悪い男ではない。
しかし自由に使いこなせる駒と言うわけでもないので扱いは難しい。
「ガゼン、ここ最近危険な人物がこの街に潜んでいる可能性がある」
「俺は見ちゃいねぇがな」
「だが夜の街は危険が増える。しばらく夜の徘徊を自重してもらえないか?」
「あぁん? 何様だお前は」
「そういってくれるなよ。ガゼンは有益な情報源なんだ。無闇に危険な目に遭遇して欲しくないだけだ」
「俺は夜にだって物を求めてこの街を歩いてんだ。それが無きゃ飢えて死ぬ」
一枚の金貨を睨むガゼンに放る。
「何の真似だ」
「しばらくで良い。行動は昼だけに抑えてくれ」
「……ちっ、物好きな奴だ」
ガゼンは悪態をつきながら金貨を懐にしまう。
「この金が尽きるまでは聞いてやるよ」
「窮屈な思いをさせて悪いな。また美味い酒を持ってくる」
そういってガゼンと別れる。ガゼンはこの街において空気のような存在だ。
誰かに必要とされることもなく、本人も誰も必要としない。だからこそ自分の眼だけで見た生きた情報を、次から次へと蓄えている。
そのガゼンが見ていないと言うのならば、それは他の者にとってもそうなのだろう。
だがユグラ教がラクラだけを送り込むだけで、手を打ったつもりになるだろうか。ないな。ラクラは囮、人選ミスが酷いがそれは確かだろう。もう少しラクラから情報を聞きだす必要がある。
時刻は夜に入った所、マリトと城にある特殊な部屋に案内される。目的は言うまでも無く本の解読だ。
ラクラの情報によれば本には魔力が含まれている。万が一その魔力が体に付着してしまえば、街に展開してある結界に反応してしまう。その防護策を施してもらった部屋だ。
ついでに服も着替え、特注の手袋まで装着済みだ。まるで鑑識官にでもなった気分だ。
部屋にいるのはマリト、そしてラグドー卿。
「さて、無駄に緊張するな。これで読んで呪われたりしないよな」
「文字が読めなかったが俺は目を通した。最近はむしろ元気なくらいだね」
「そういや日に日に活発になっている気がするな」
「毎日が楽しいからね」
「こんな問題を抱えてか」
さて、いつまで怯んでいても仕方ない。早くこの本を調べるとしよう。
サンプル4号『蒼魔王』調査記録と書かれた表紙を読み直す。
表題だけでもこの本の内容がある程度推測される。それ以上の情報は得られるのだろうか。
「ちなみに音読した方が良いか?」
「そうだね。君を信用していないわけじゃないが、君が内容に怯えて協力を破棄する可能性もないとは言えないだろう」
「おかげで覚悟もついた、後で文句言うなよ」
そして本を開く、書かれているのは間違いなく日本語だ。だがその書き方は些か古い。
「読み辛そうだな……大正時代辺りの文字か?」
「タイショウ?」
「百年くらい前の字体だ。魔王がいたのって何年前なんだ?」
「五百年は昔だね」
ふむ、急にこの本の信憑性が落ちてきた。とは言え地球の世界とこの世界では時間の流れ方にずれがあるのかもしれない。
異世界転移という時点で常識が死んでしまっているのだ。頭は柔軟に行こう。
ひとまずは内容を読み、その事実と歴史を照らし合わせるとしよう。
「読めないわけじゃない。まあ読めるだけ読むぞ」
こうして人生でも最大級に危険な朗読会が始まるのだった。
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「ラクラが尚書候補に本の話をしてしまったのか……」
ウッカの報告を受け思わず頭を抱えてしまう。
「だ、大丈夫ですとも! ラクラの報告ではとても親しい関係で口止めも――」
「他国の官に協力を求めるくらいならばその国に事情を説明すべきだ! 外交問題にまで発展させたいのか!?」
死霊術に関する本がメジスに封印されている事は本来伏せるべきこと。禁忌に関する情報があれば、それを欲する者が出てくるのは人の性だからだ。
しかしメジスの暗部であるドコラと言う者が本の一冊を盗み出して国外へ逃亡してしまった。秘密裏に回収できればそれに越したことはない。だが不手際を起こした以上、こちらも相応の傷を負う覚悟をするのが当然だ。
本の素性をターイズに公開し、捜査の協力を要請する。今まで秘密裏にしていた事実だ。他国から批難されることは避けられないが仕方がない。
そもそもユグラ教が禁忌に関する知識を、それらの対策として秘匿している可能性を他国が考慮していない筈もない。
今問題にすべき点はそのことを自ら露呈するのか、他者の手によって露呈されるかということだ。どちらが外交において他国との関係が悪化するのか、考えるまでもない。
「もう良い。こうなっては遅すぎるかもしれんがターイズ国王に連絡をせよ」
「し、しかし」
「これはターイズのマーヤへの疑惑を晴らすためだけの問題ではなくなったのだ。ラクラを送り込んだ責任者として、ターイズには包み隠さず報告するんだ。良いな!?」
「は、はいっ!」
「拗れそうならすぐに連絡しろ。その時はわし自らターイズに向かう」
「そんな、法王様が出ずとも――」
「そう思うなら上手く話をまとめて来い!」
ウッカは慌てて飛び出していく。本当、わしのことを思うならもっと上手く立ち回って欲しいわ。
今のターイズは若く賢い王へと世代が変わって間もない。その統治の良さは耳に入っている。
こちらが誠心誠意向き合えばきっと良き関係のままでいられるだろう。
だが若い王だ。余計な警戒心を持たせればこちらへ向ける爪を研ぎ始める可能性もある。
「今回の件とは抜きに、一度ターイズに訪問する必要もあるかのう……」
確かターイズは香草が豊富で香り豊かな料理が多いと聞いた。旅行プランもついでに考えておくとしよう。
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息を切らせ、急ぎ足でターイズへと交信する準備を進める。
ターイズのマーヤを出し抜くことに考えが振れ過ぎており、ユグラ教の立場、いや法王様の立場を危険に晒してしまった。急いで取り直さねばなるまい!
「まずはラクラにはターイズ王に事情を説明させ、その上で協力体制を……そうだ、暗部の者が既にターイズへ送り込まれていたんだった!」
急いでそいつにも連絡を、連絡を……。
「あれ、そういえば誰を送り込んだんだっけ?」
「ウッカ様、どうかされましたか」
「おお、お前か! 実は大変なことになったのだ!」
事情を説明する。
「なるほど、それは速やかにラクラへ連絡すべきでしょうね」
「そうだろう、それと暗部の者も――」
「お待ちください。暗部の者の存在をラクラは知らないはず。そちらについては伝える必要はないかと」
「いや、しかしだな」
「ラクラはユグラ教の司祭、目的を隠していた負い目こそありますが立場としては問題のない者です。しかし暗部の者となると話は別です。情報を公開したとしても問題になるでしょう」
「それは……そうだな」
「ご安心を、暗部の者はまだ潜伏中です。こちらの方で連絡し下がらせます。ウッカ様はラクラへの指示だけを専念してください」
「そ、そうかでは頼むぞ!」
これで問題は無いだろう。おっと、大事な事を忘れていた。
「ところでターイズに送った暗部の者とは誰――」
振り返ったその場には誰もいない。
「……はて、何だったかな? いや、こうしている場合では無い!早くラクラに伝えねば!」
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本の解読は難航していた。読み辛さもある。だがそれ以上に本の内容にマリトやラグドー卿が細かくストップを掛けてくるためだ。
確かにそれだけこの本の内容は問題だらけだ。事実部屋の一同は皆頭を抱えている。
「この本の内容をメジスは知っていると思うか?」
「いや、死霊術の資料としか把握していない可能性の方が高いだろうね。もしもこの本の内容が本当で、それを知っているならユグラ教はこの本を全力で奪還しにくるはずだ」
そうだろうよ、ラクラなんてポンコツを送ってる場合じゃない。それこそマーヤさんと同等かそれ以上のやり手を送り込んでくるだろう。
死霊術という禁忌を秘匿していた事実を暴露してでも、この本は回収する価値がある。
「引き続き解読は進めるとして、マリトはその後のことを考えておいた方が良さそうだな」
「言われなくともそうするつもりだよ。正直知らない顔して返せば早いんじゃないのかな、これ」
「奇遇だな。同じ事を思ってた」
「二人とも、それはなりませぬぞ……」
三人で溜息をつく。もうこの本読みたくないですけど、知っちゃいけない系の情報だらけで本当に辛くなる。それがまだこんなにページを残しているのだ。
「あとどれだけ人生を危険に晒す情報を頭に入れれば終わるんだ……」
パラパラと残りのページを捲る。文字の羅列が視界に流れていく。これが今後この頭の中に入っていくのだ。
苦々しい溜息が漏れる。そして本は最後のページまで進んだ。……なんだこれ?
そこに書いてあったのは簡単なあとがきの様なものだ。複雑な内容などではなく、特に深く考えるまでもないシンプルな情報だ。
ただその一目で理解できるはずの文章が問題だった。
「マリト、ユグラ教はこのことを知らない可能性が高いとかじゃない。絶対に知らない」
「どうしたんだい、何か見つけたのかい?」
「ああ、こんなもん知ってたらとっくに燃やしているぞ、こんな本」
情報を共有する。二人の表情が固まる。
「ちょっと待ってくれ。その情報は聞きたくなかった!」
「こちらとて知りたくなかったわ! どうすんだこれ!」
「二人とも、落ち着いてくだされ……」
「ラグドー卿、生まれたての子馬のように震えてないっ!? そんな風に動揺してるの生まれて初めて見たよっ!?」
得られた信じがたい事実に最強の騎士、賢い王、異世界者の三人はみっともなく慌てふためくのであった。
その後一旦本を閉じ、マリトの執務室へ戻る。
「陛下、この本、懐に入れておきたくないのですが」
「我慢しろ。俺だってその本をもったラグドー卿が傍に居るだけで嫌だ」
「陛下、それは酷いです」
「しかし、これ本当に知らぬ顔で返却した方が世界のためなんじゃないのか?」
「いや、確かにそうだけど……そうなると魔王の件が……そうだ! 君だけが解読したことにしてユグラ教のトップと相談させよう」
「死ねとっ!?」
「俺にはこのターイズの国民の未来を背負う義務があるんだ……」
「ご立派です陛下」
「ぜってー告げ口してやるからな!?」
再びヒートアップしそうになったのでお茶を飲んで一息入れる。
「しかし放っておける問題じゃないよね、これ」
「本の内容が確かなら、非常に不味いだろうな」
「よし、その辺の問題はとりあえず先送りにしよう。まずは解読をきちんと済ませるべきだ」
「そ、そうだな」
どこかに『この本の内容はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません』と書かれているかもしれない。書いてなければ辛い知識が増えるだけなんですけどね?
さて、内容の重要度に関する問題は現実逃避で逃げるとしても、他の問題が残っている。
「マリト、ターイズには暗部のようなものはないのか?」
「ある。本の素性を探らせている者達がそうだ。君の安全のためにメンバーの情報を与えることはできないけどね」
「そうしてくれ。拷問されたら開始前に吐き切る自信がある」
「まあ、本の内容を知った時点でどうしようもないけどね」
「忘却させる魔法とかないのか、あったら使いたいんだが」
「その手があったか、ラグドー卿!」
「放置できない問題です。諦めて受け入れてください陛下。彼も一緒に死んでくれるはずです」
「そういうことだから一緒に死んでくれ親友」
「縁を切らせてもらうわ」
やはりこの本の話題になると冷静さが無くなる。とりあえず本題に戻ろう。
「知りたいのは暗部がどういう存在なのかって話だ。どういうことができて、どういう考えで動くのか、そういったことを理解したい」
「君がそうしたい理由は分かる。だけどその辺はターイズに任せても良いと思うけど……」
「今さっき一緒に死のうとか言った奴を信用しきれるほど精神強くねぇよ」
「うーむ、備えることは悪いことではないか。分かった。では暗部の一人を紹介しよう」
「それは助かる、いつ会える?」
「君の背後に居るよ」
ポンと背後から肩に手を置かれた。
「――ッ!?」
声にならない声が漏れる。肩に手袋を装着した手が置かれている。
慌てて振り返ろうとするとマリトがそれを制止してくる。
「ああ、振り返っちゃダメだ。彼の素性は極力知らない方が良い」
「そ、そうか。だけどせめて心の準備をさせてくれ。死ぬかと思った」
「申しわけございません」
背中から聞こえる声、高いのか低いのか、男なのか女なのか判断がつかない。彼と言うからには男なのだろうが……。
「ご挨拶が遅れました。陛下の護衛をしている――なんか、そんな感じのやつです」
「今の挨拶でだいぶ親しみ持てたわ」
「ありがとうございます。聞きたいことがありましたら、答えられる範囲でがんばって答えます」
「質問の前の質問って言うと変なんだが、普段からマリトの護衛をしているのか?」
「はい、普段は魔法で姿を見せずに陛下をお守りしています」
「彼はターイズで最も実力があると言っても過言ではないからね。安心感半端ないよ」
「はい、過言ではありませんね陛下。最強ですから」
「凄い自信家だな。それなのに暗部に所属していて名前が知られていないのか……過去に有望だと判断された後に殉職扱いにでもして秘密裏に登用した口か?」
「流石は陛下と一生を共にするご親友、聡明ですね」
「しないよ? しないからな?」
「貴方が初めて陛下とお話になられた時からずっと傍で観察させていただいてました。貴方は信用できる方です。最初に陛下を驚かそうとした時には斬るか悩みましたが、紙一重で堪えられて良かったです」
「しれっと怖いこと言うの止めて?」
この暗部君、本気で言っているのか、冗談で言っているのか全く分からないんですが。
「魔法で姿を消しているということは魔封石の影響を受けるのか? この城には結構見られるが」
「はい、魔封石によってこの姿隠しの魔法は解除されてしまいます。ですが私は魔封石が帯びている魔力を知覚できますので基本回避できます」
「なるほど。余程の事が無い限りは引っかからないのか」
「姿を見られた場合、その場にいる者を皆殺しにしないといけませんので大変です」
「頑張ってくれ。そして一度たりともその面を見せるなよ」
「顔には自信がありますよ? 男性でも虜にできます」
「それで死にたくねぇよ……ってもしかしてさっきの本の解読の時もいたのか?」
「はい、衝撃の事実を受け入れきれずに貴方を斬ってしまおうかと何度か剣を振り上げてたりしていました」
「堪えたのは褒めるけどさ、現実逃避で人殺めるのは止めよう?」
そんなわけで質問タイムに入る。彼は暗部の心得、暗部にできる事等を説明してくれる。ふむふむ、勉強になりますなぁ。
最近イリアスやウルフェ、ラクラと言った真っ直ぐな連中とばかり付き合っていたことで忘れていた懐かしい感覚が戻ってくる。
――ああ、ドコラを追い詰めた時と同じ思考回路が蘇ってくる。
「君、その顔で帰らないほうが良いよ?」
今後のことを考えているとマリトが真顔で話しかけてきた。
「ん、変な顔していたか?」
「うん、主に目が濁ってる。ラッツェル卿達が見たら心配するよ?」
「そんなにか」
「そんなにだよ」
「鏡使いますか?」
「ああ、ありがーってあぶねぇなっ!?」
一瞬背後に居た暗部君の顔が鏡越しに見えそうだった。しかも今『あ、やべ』って小声で言ったぞこいつ!?
「あ、うっかり、すいません」
「うっかりで死ぬ人の身にもなってくれ。つか消えててくれ」
「酷い言い草ですね、泣きたくなります」
「魔法で隠れててくれ!」
改めて鏡を見る。そう変わらない気もするが……ふむ。
「そうだな、軽い雑談をしてから帰るとしよう」
「それがよろしいかと、私の渾身のジョークをお聞きになりますか?」
「今度にしてくれ」
「笑い死ねるレベルですよ?」
「そんなに殺したいのか!?」
適度に茶化してくる暗部君だが彼は本物だ。言葉通りならイリアス以上と言うことにもなる。
ターイズ最強とこういった形で知り合うとは、奇妙な話だ。
だが生きる地雷とは基本付き合いたくない。これっきりの関係で済ませるとしよう。
「だがこの時はまだ、こいつと腐れ縁になるとは思いもしなかったのである」
「読心術すげぇな!?」
「顔に出てましたよ、読みやすい顔でした」
「なるほどなって、魔法使わずに前に立つな!」