さしあたってちょっと期待してました。
「食料良し、備品良し、他に用意する物は……まあこれだけあればいいか」
「ししょー、これをばしゃにのせるんですか?」
「ああ、頼む」
「わかりましたっ!」
教会の前に用意された馬車に買い込んだ食糧等を乗せる。
これから数日ほどターイズを離れる事になるのだが、準備は概ね完了と言った所か。
計画的な外泊はこの世界では初めてなんですよね。
いやぁ、そう思うと童心を思い出しワクワクして来ましたよ。うんうん!
実際、外泊の目的も学生の頃に行った社会科見学のようなものだ。切っ掛けはマリトを訪れた時のこと。
「ユグラ教のマーヤからの頼みで、こちらの騎士を数名案内役として借りたいとの連絡があった」
「そうか」
「こちらとしてはマーヤとも親しいラッツェル卿、そして信頼のおけるドミトルコフコン卿にその任を与えることとなった」
「まあ、そうだな」
「そういうわけで君も一緒に行くと良い」
「どういうことだ」
「具体的な内容を説明するとだね。ユグラ教の本部から各支部の視察を目的とした使者がこちらにやって来ている。各村にある教会の様子などを見て回りたいとの事だ」
「ふむ」
「ついでに教会のない村も訪れて色々と話を聞き、要求があれば教会を建てたいと言っている」
「なるほど。そこで国の騎士に橋渡し兼案内役を依頼、古参で村々に信用のあるカラ爺と、ユグラ教のマーヤさんと親しいイリアスを選んだと。んでそれに便乗して村々を見て来いと」
「ああ、君の意見で特に印象が残る時があるのは、この世界とそちらの世界の差異を自覚している箇所だ。君はまだこの街しか訪れたことがないんだろう?」
「下山して最初に目に付いたのがここだったからな。黒狼族の村は――まあこの国の文化圏とは言えないか」
「城や街の様子はそれなりに見慣れてきただろう? 次は城の外に住居を構える者達の生活も見ておけば、今後とも意見を言いやすいと思ってね」
「確かにな。だが騎士でもないのに同行しても大丈夫なのか?」
「そこは心配ないよ。条件を飲むついでに、国からも勉強を目的とした尚書候補を同行させるように言ってある」
「宮廷道化師って言わなかったことは感謝する」
そんなわけでイリアス、ウルフェを連れてマーヤさんの所を訪れた。
「あら、尚書候補って坊やだったのね。出世したわねー」
「建前ですよ。役立つ意見が出やすいように、異世界との差異を勉強して来いって言われましたよ」
「なるほどね。座学で教えるよりも良いと思うわ。メンバー的にウルフェちゃんも連れて行って大丈夫そうね」
「べんきょう、がんばりますっ!」
「偉いわ!」
「えへへっ!」
「カラ爺は今馬車の用意をしている。直に来るだろう」
「それで本部からの使者さんはどちらに?」
「私です」
と、現れたのは一人の若い女性だ。
年は二十台半ばと言った所か。肩に掛かる柔らかそうな後ろ髪、前はぱっつん。穏やかで清楚な印象を受ける美人さんである。
「ラクラ=サルフと申します。此度はよろしくお願い致します」
「イリアス=ラッツェルだ」
「ウルフェ、ですっ!」
「こちらこそ。えーとどのようにお呼びすれば?」
「ラクラで構いません、尚書様」
「候補ですけどね。そちらの邪魔にならないように気をつけますが、何か失礼があれば遠慮なくおっしゃってください」
余所行き用の笑顔で握手する。おい、イリアス、変顔するな。マーヤさんもだ。
「――それにしても、尚書様は変わったお姿をしておられますね。黒髪に黒い瞳……それに体内の魔力量もとても少ない……ご出身を聞いてもよろしいでしょうか?」
「あいにく物心付く頃から住処を転々と移り住んでいたので……。両親と別れて一人で生活し始め、この大陸で定住し始めたのがターイズです。体内の魔力量が少ないのは生まれついたもので、おかげで肉体労働などはあまり得意ではありません」
「まあそれはそれは……あら? 尚書様は精霊を憑依させておられるようですね」
「ええ。言語の異なる相手との対話の為に、マーヤさんに憑依術を掛けて貰っています。最近ターイズで黒狼族の集落が発見されたことはもう聞かれましたか?」
「はい、そちらの白い髪の子がそうでしょうか?」
「そうです。この子は既にこちらの言葉を学習していますが、他の黒狼族との交流ではこの憑依術を使って行っています。その村を発見したのが知人の商人でして、その協力者として私もといった形です」
「そうなのですか。お若いのにとても頑張っていらっしゃるのですね」
「ラクラさんこそ、貴方のような綺麗な方と共に仕事をすることができて実に役得です」
「まあ、ふふっ」
ラクラさんと楽しく談笑する。おい、だからその目止めろって二人とも。ウルフェ見習えよ!
「では打ち合わせを始めよう。ラクラさんは私と巡廻する村の順番を、君とウルフェは資材の用意を頼む」
「りょーかいっ!」
イリアスとラクラさんは奥の部屋へと入っていく。さて、こちらは買出しに行くとしよう。
「坊や、しれっとはぐらかしたわね」
「流石に素性を全部話すのは……マーヤさん的には引っ掛かりました?」
「いいえ、嘘は何一つ感じられなかったわ」
そう、今の会話には嘘を一切混ぜていない。ラクラさんがマーヤさんと同じ聖職者である時点で、マーヤさんと同じく嘘を見抜ける力があると判断しての行動だ。
具体的な理論は分かっていないが、大よその仕組みは推測できていた。
聖職者である彼女達の特徴として、魔力を見分ける能力が優れていると言うものがある。
過去にライの実と言う特殊な魔力を保有する木の実を食べた事があり、マーヤさんはそれを外側からの観測だけで言い当てていた。
仮にその能力の延長上に嘘を見抜く方法があると仮定した場合、その方法とは当人の魔力の揺らぎなどを観測している可能性がある。
人は嘘を吐く際に何らかの癖を持ったりする。熟練の嘘吐きならば外面に出す事もないのだろうが、内面はどうだろうか。
嘘を吐いたと言う意識が自身の魔力に何らかの動きをもたらすのでは、そしてそれを日常から観測できる聖職者は――と言った具合だ。
思ったことを妖怪さとりみたいに全て見抜けると言うのならば、正直お手上げではあるのだがその可能性は低いと判断していた。
理由はウルフェだ。この子の過去は凄惨なものだ。だがマーヤさんがウルフェと接していて、そういった記憶を読み取った反応は見られない。
死霊術の話題で明らかに嫌悪感を見せていたマーヤさんならば、ウルフェの心情を読み取ってしまえば顔に出るはずなのだ。
そういう訳で、この推測を元に嘘を見抜ける能力の対策を考えていた。
嘘を言えば確実にそのセンサーに引っかかる。一見無理ゲーのような気もするがそうでもない。真実のみで真実を歪曲させてしまえば良いのだ。
日本にいた時、引越しが多かったのは事実だ。日本で一人暮らしを始めた後、『この大陸』で最初に定住したのは間違いなくターイズだ。
魔力量が少ないのも生まれつきである。憑依術も確かに黒狼族との交流『にも』使われている。
「やっぱり、そういう類の方法だったんですね」
「今の問答は事前に考えていたのかしら?」
「そうですね。マーヤさんと同職の方なら同じ事ができるかもしれない。教会に通っていれば出会う可能性はあるだろう。そして色々質問されてしまうかもと思って、前々から頭の中で繰り返していました」
これも本当だ。この質問に関しては『ありがち』だと想定しており、事前にシミュレートしていた内容の一つだ。
だがマーヤさんが本当に知りたいのは『他の質問にも同様の真似ができるかどうか』だろう。
その答えはややイエス。隠したいと思った内容が浮かび上がったなら、その会話中にこういう真似をすることはできる。
ややという理由はこちらの動揺の程度ではそれを気取られる可能性が無いわけではないということからだ。
可能ならばマーヤさんには気取られて欲しくなかったのだが、ラクラさんという特例が現れた以上は仕方がない。
むしろさっさと対策があることを理解させ、本心を聞き出そうという気を削いだ方が良い。
「ああ、でもラクラさんが美人だって話はその場限りの本音です」
「見ればわかるわよ。あれだけ嬉しそうにしていればね」
マーヤさんは溜息を吐く。何の溜息だろうか。
「ところでイリアスの事は美人と思っているのかい?」
「あの怪力はヤバイって思っています」
「あの子も不憫だねぇ」
その後買い物に出かけ、今にいたるわけだ。
馬車を届けたカラ爺も、イリアス達に合流して話をしていたようで一緒に教会から出てきた。
「おう、坊主か。いてくれて助かったわい。肩身が狭くなりそうじゃったからの」
「それはお互い様ですよ。そもそもカラ爺からしたら子か孫くらいでしょうに」
「そうじゃのう。坊主からすれば両手に花じゃな」
「一部棘どころか、槍生えてそうなのがいますけどね」
「ほう、それは誰だ?」
「肩っ、痛いっ! そういう所だっ!」
カラ爺の安心感につい口が滑ってしまった。危うく出発前から負傷脱落する所だったわ。
ターイズ領の特徴として、森が多く、その領域を巨大な山脈で囲まれているというのが挙げられる。
唯一存在する他国との境界線は、東にある隣国ガーネとのものだけだ。
領土のやや東側にターイズ城があり、村々の多くはその西側に広がっている。
仮に戦争となり攻められる事になっても、村の大半は戦火に晒されることがないのが強みである。
またガーネ方向からの進軍は、森にある狭い道を通る以外に方法がない。
森内を進軍しようものならその負荷は多大なものとなるだろう。
そして狭い道ではターイズが誇る少数精鋭の騎士団が、圧倒的地の利と機動力を持つ。頼まれても攻めたくないな、うん。
なお現在向かっているのは北西の村。ここから一筆書きのルートで村を巡ることになる。
なお黒狼族の村は例外となる。言語の壁もあれば外との交流を始めて間もない彼らに、過度な変化を与えるべきではないだろうとの話だ。
しかし魔王を恐れ隠れ潜んだ村だ。ユグラ教とは相性が良いのかもしれないとはマーヤさんの話。
ユグラ教、ユグラとは嘗てこの世界を救ったとされる神の加護を受けた勇者の名前。キリスト教のようなニュアンスと捉えて良いだろう。
禁忌である蘇生魔法から生まれ、世界を恐怖に陥れた魔王達。それを神の加護を受けた勇者が打倒し世界を救った。
そしてその勇者の教えを後世に残そうとしてできたのがユグラ教なのだ。
勇者の名が後世に残るファンタジーの話はよく聞くが、宗教にまで発展する例は割と少ない。大抵は小さな村の少年とかだからしょうがないね。
黒狼族としては、恐怖の象徴である魔王を打倒した勇者に好感を持ちやすいだろう。
交流が馴染んだら更なる友好の潤滑油として、ユグラ教を伝えるのも良いかもしれないとラクラさんは語った。
まあ既にユグラ教が最も多くの割合を占めているターイズに、黒狼族の人が行き来を始めているのだ。無理に説いて回らなくても必要があれば伝播するだろう。
「そういえば村々の山賊による被害は聞いていないが、襲撃とかは無かったのか?」
「ああ。村にはターイズの騎士が駐屯している。騎士との戦闘を避けたがっていた山賊達が村に寄り付くことはなかった。村々を移動する場合も護衛は付けられたからな」
「被害を受けたのは騎士の護衛を付ける余裕のなかった外の商人達ってことか」
「ああ。だがそれでも警戒として、村々には他の村への移動は極力控えるようにと令が伝えられていた」
ドコラが死霊術の使用を控えてくれて助かった。アンデッドに村が襲われていれば常駐の騎士だけで護りきることは難しかっただろう。
もっとも、そんな真似をすればドコラの手の内を晒す事にもなるのだが。
「村にはどういった施設があるんだ?」
「まずは畑だな。他にも畜産施設と言った、食料を生み出すために必要な施設が多い。森の傍なら伐採のため、山の傍だと採掘を行うための施設が増えるな」
最初の村に到着し、カラ爺とラクラさんが村長と話すために分かれている間、イリアスに色々聞くことにした。
中世のザ・田舎村というイメージは変わらない。森が多い国の影響か、木材建築の規模はやや大きく感じる。
「森を切り拓いて人の生息地を増やしている形か」
「そうだな。村の人口の増加に合わせて村は拡大している」
「森や山だらけだと、川に面していない村もあるんじゃないのか?」
「そういったところは地下水を利用している。畑への水も雨頼りがほとんどだが、いざと言う時は地下水を使うか魔法を扱える者に頼っている」
「そういう点で魔法は便利だよな」
「とは言え魔法で生み出せる水の量は魔力の量に比例するから、一つの村が満足できる量は生み出せないがな。場所によっては川から水路を引いている村もある」
「こっちの国じゃ大半の家に水が引かれているから、新鮮味は感じないがな」
「そうなのか……凄いな」
そして村の物見櫓を見つける。実際に木造の物見櫓を見るのは初めてだ。
「櫓があるのか。獣相手だとそんなに必要性を感じない気もするが――」
「あれの存在理由は魔物対策だ」
そういえば今の今までほとんど触れていなかったが、魔物や魔族は存在しているんだった。せっかくなので魔物についてイリアスに尋ねた。
過去に魔王が支配していた地域には特殊な魔力が充満しており、そこで生まれる生物は獣とは違い、多くの魔力を内包している。それが魔物だ。
魔族については今のところ詳しい事は分かっていない。人のような存在だが、魔王の配下として行動しているとのこと。
今でも魔王に毒されていた土地では魔物が発生する事があるようで、他国では土地の浄化と魔物の討伐を頻繁に行っているらしい。それが最も活発なのがメジスだ。
このターイズ領にもそういった場所はあるにはあるのだが、魔物が人の前に現れる頻度はかなり低い。理由は『黒魔王殺しの山』のせいだ。
魔物が生まれるであろうかつての魔王領はこの山の向こう側に存在しており、こちらに来る魔物のほとんどが山に住むスライムに処理されているのだ。
件のスライムのやばさは、魔物の中でも最大級に危険なドラゴンが避けるほど。そもそも魔王を殺してらっしゃるのだから敵なしだわな。
だがどこかの異世界人のように、運よくスライムの被害に遭うことなく山を突破する魔物もいる。
その大半が空を飛ぶ魔物、ワイバーンといった類のものだ。
ドラゴンは危機回避能力が優れているため、山にすら近づかないのだが頭の悪い他の魔物はちょくちょく山越えチャレンジしているとのこと。
そういった魔物の被害を防ぐために村々には騎士が常駐しているのだ。
「大体こんな所か」
「カラ爺の逸話でワイバーンが出てきて、どこで戦ったのかとか疑問に思っていたがその辺は晴れたな」
しかし後から分かる怖い話というものだ。最初に放り込まれたのがそんな危険地帯だったとは。
下手をすれば魔物にも遭遇していた可能性があったなんて酷い。えげつなさすぎる。
まあ一番危険なスライムさんには遭遇済みなんですけどね?
「各村に櫓を設置していると言うことは、過去にそれなりの被害もあったと言うことか」
「ああ、十年ほど前にも大規模な魔物の襲撃があった。ターイズの歴史の中でも稀なものだ」
そういうイリアスの表情は厳しい。イリアスの歳と暮らしを考えるに、恐らくは彼女の両親が失われた原因なのだろう。今は触れないことにする。
基本的に村では魔法を多用するような仕組みはない。村での教育もターイズ本国より質は下がるが、読み書き程度は教わっている感じだろうか。そういう点では地球での類似時代に比べて高い水準だと思われる。
あと目に付くのは小規模ながらの騎士駐屯所と、教会の有無だろうか。
ひとまず村の人々の農業や林業の形態が分かりそうな施設を見せてもらい、その流れを調べた。
そうこうしている間にラクラさんとカラ爺が戻ってくる。教会の管理具合、村人のミサの参加程度、必要になりそうな予算と言った話を済ませたらしい。
そして馬車に乗り込み、次の村へ向かう。
「教会の管理費の相談と言う事は、本部から支援金が出るんですか?」
「ええ、ターイズ本国のように信仰者が多い所ならばお布施もそれなりにありますが、村々の規模となりますとそういった負担を強いてしまっていては信仰の妨げにもなりますから。ですので有志の方々から集めた寄付金を回せるようにしてあります」
「その配分を決めるための査察と言うことですね」
「ええ、尚書様の方はいかがですか?」
「こちらも村々の生活水準の確認を進めています。本国は仕方ないとしても、村同士での格差は取り払いたい所ですからね」
馬車の中ではラクラさんと話をする。ユグラ教とメジスの関係などについても色々教わる事ができた。
メジスは王国なのだが、その実権はユグラ教の法王が握っているといっても過言ではない。
メジスの王は法王との対談を行い、決まった方針を国民に伝播させる役割を担っている。
完全なイエスマンと言う訳でもなく、国の現状を考慮したうえでの進言もしているが、王自体が独自の政策を行うことはないとのこと。
まあ国民のほぼ全てがユグラ教の信仰者、法王との軋轢を生んでいては国の運営もままならないのだろう。
実権を握られているという欠点はあるが、王の立場としては幾分か気楽そうで良いとさえ思えるのは、誰かさんがそういう責任者の地位を望んでないが故の主観だろう。
ただそうなるとメジスへの見方は多少なりとも変わってくる。禁忌を許さないメジス、その実態はユグラ教の意思が強く介在している。
メジスの暗部であったドコラもユグラ教との関わりが深く、そして彼を追い詰めたのもユグラ教なのだ。
そう考えるとマーヤさんの寛容さは相当な物だ。ユグラ教の意思の中でも異質なのではないだろうか。
「そういえばイリアスの母親はマーヤさんと同じ聖職者だったよな。てことは」
「ああ、私の母は元々メジス出身でな。マーヤと共にターイズへやって来たのだ。そしてこの国の騎士であった父と結婚した」
地球じゃカトリックのシスターは結婚はしないんだよな。そういうしがらみとかもあまりないのだろうか。
救世主つながりではあるが、勇者の教えともなると色々違いもありそうである。
「尚書様はユグラ教の教えについて、どう思われますか?」
「今の今までそういった教えと触れ合う機会はなかったので、どこかに属するといったことはしませんでした。ただ最近ではマーヤさんにも色々教わったこともあり、過去の歴史で魔王に多くの疵を残された人々にとって、ユグラ教の存在はとても重要で価値のあるものだと理解しています」
「それはそれは」
「現段階でユグラ教を妄信する事はできませんが、少数派の宗教に拘るほど捻くれた性格と言うわけではありませんからね。将来信仰の門を叩くならユグラ教を望みたいと思っています」
「深い信仰に至るのを待たずとしても、私達は何時でも尚書様をお待ちしております」
うーん、この社交辞令感は懐かしさを覚えるなぁ。その後の村巡りも問題は無く順調に進む。
村の名前、施設の有無や老朽の程度等を調べる。村の人達の表情や、暮らしの様子も同様だ。
ただまるで同じと言うわけではない。そして違いがあるということはその理由もあるのだ。
それが村の個性ならばさておき、欠点や問題となりそうならばそれを考察し要因の対処を考える。
「君は村と国との差異を学びに来たはずではなかったのか?」
「ただ学ぶだけじゃ勿体無いだろ。こう言ったことを試しにやってみるだけでも得るものは多い。もしかしたらそれが功を成すこともあるんだ。与えられた機会は最大限活かすもんだぞ」
「なるほど、今日は真面目な日と言うことか」
失敬な、不真面目な日などない。ふざけるにしても真面目にふざけているに決まっている。
それに今日はウルフェも付いてきている。師匠としての貫禄も見せねばなるまいて。
肝心のウルフェにも村を見比べて気付いた点を述べさせている。
「こっちのむらのうし、さっきのむらよりちいさいです!」
「おう、そうかそうか。個体差だけならさておき、全体的な差異があるのなら飼育環境の違いが考えられる。気候や日当たりは基本変わらない。なら飼育小屋の広さや牛たちの生活リズム、食事の量や質等が予想される。牛の周囲も観察してそれらの違いから原因を導き出してみるんだ」
「……むー?」
あまり難しい言い方は避けるようにせねばなりませんね、はい。
「なんで小さいんだろうなって牛さんのつもりになって考えるんだ」
「はいっ!」
そうこうして時刻は夕刻を回った。今日は最後に回った村の教会にて寝床を確保する。
イリアスとウルフェは同じ部屋、他はそれぞれ一人ずつだ。
カラ爺だけは村長の家に招かれる事となり、そこへ泊まることになった。
本国の外にもなるとイリアスの武勇よりも、古参のカラ爺の方が人気は高い。
女性であるイリアスへの偏見や差別も全くないとは言い切れないが、本国に比べれば大人しいものだ。
さっさと眠っても良かったのだが、本日まとめた資料を整理しようと机に向かっている。
イリアスから魔力を込めてもらったこの『照明石』を部屋の天井から垂らし、その灯りを頼りにデスクワークに一人勤しむ。
そうしていると部屋をノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
入ってきたのはラクラさんだ。日中の格好と違い、白一色のゆったりしたローブ姿。なかなかに欲情を刺激される。
「夜更けに申し訳ありません。眠れずに少し歩いていましたら部屋から灯りが見えましたので……ご迷惑でなかったでしょうか?」
「構いませんよ。今日書き留めた事を資料にしていた所です」
「尚書様はとても熱心な方なのですね。拝見させてもらってもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。ベッドにでも腰掛けてください」
ラクラさんを座らせ、書き終えていた資料を渡す。
ラクラさんは静かに資料を読んでいる。邪魔をしないよう、こちらも静かに作業を再開する。
しばらくして、資料を読んでいたラクラさんの方からリアクションがあった。
「随分細かいことまで纏めていらっしゃるのですね。村の子供達の遊び方まで書き留めているなんて……」
「些細なことでも理由はあります。それが求めている情報に繋がることだって十分にありえます。未熟者にできるのは、可能な限り目に映る事象を見逃さないようにすることくらいです」
「なるほど……」
「例えば子供達が手製の玩具を使って遊んでいる村と、そうでない村があります。その玩具の製作者は恐らくは親達です。日々忙しい中、子供達に手製の玩具を作ってあげられる時間的・精神的余裕がある村とそうでない村では仕事の作業量や効率、技量の違いがあるのではないかと推測できます」
「……」
「そういった推測があるという前提で彼らの仕事の様子、機材、技量などを見ることで、そういった差異が明確に浮かび上がって来る……という感じですかね」
「……尚書様のような方が責任ある立場に上り詰められたのならば、民達も心強いのでしょうね」
「ははっ、ありがとうございます――ッ!?」
と急に背後に気配が迫る。振り返るとラクラさんがすぐ傍まで歩み寄っていた。
甘い芳香が鼻をくすぐる、彼女の熱が近くに感じられる。鼓動が少しずつ大きく、早くなるのを感じる。
「あ、あの……」
「尚書様、実は折り入ってご相談したいことがあります」
「え、ええ、こちらにできる事でしたら……その、近――」
ラクラさんの手が頬と太ももに添えられる。顔も徐々に接近し、彼女の吐息が顔に届く。
「今回の査察にはもう一つ、目的がありまして……」
「な、なななんでしょうか!?」
ラクラさんは艶やかな笑みを見せ、こう言った。
「それはとある本を探すことです。死霊術について記されている本、ご存知でしょうか?」
ちくしょー、そうだよなー!