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さしあたって報告です。

 月日の流れるのは早い。異世界からこの世界にやってきて既に十年の時が経過した。

 ……嘘です。まだ二週間程度です。

 それくらい時間軸をすっ飛ばせる程度に、何事もなく生活できれば言うことは無いんですけどねぇ。

 ゆったりと起床して顔を洗い台所へ向かう。

 まずは火を起こす。火打石での着火も手馴れたものだ。

 昨日の夕飯の際に多めに作ったスープを温める。

 もう一つの鍋ではお湯を沸かし卵を固茹でにする。

 本当は半熟とかが好きなのだが……日本の品質管理のレベルが恋しいものだ。

 抗生物質の開発は難しいだろうが、低温殺菌の技術あたりならばどうにかできないものか。

 お湯の温度を一定に保てるのなら、温泉卵でギリギリセーフ……だが温度計がないのでどうしようもないね。


「何か良い方法を考えたいものだな……」


 ゆで卵を冷水に放り込んでしばらく放置。

 テーブル中央に鍋敷きを置き、水でさぱっと流した木皿を三つ添える。

 ゆで卵を水切りしつつザルへ移し同じくテーブルへ。

 最後に果物と果物ナイフをごろごろり。

 うーむ、こうなるとヨーグルトも欲しくなる。

 ゆで卵よりかはベーコンエッグを作りたいが、ベーコンの製造コストが絶望的。

 ほんと、朝から和食とかを作る人は凄いよなぁ。

 しみじみとしながら皿にスープを注ぎ、手を合わせる。

 ゆで卵の殻を剥き、袋に入った塩を一つまみ。

 冷やした外側はやや冷たいが、中はほんのり温かい。

 とは言えそれでは温まるものも温まらないのでスープも口に運ぶ。

 ふぅ、と息をつき卵一つ目を完食する。

 と一人目の同居人がやってくる。


「ししょー、おはようございます!」

「おはようウルフェ。今日も元気だな」

「ウルフェはいつもげんきです!」


 ウルフェの学習速度はとても高かった。

 何せ憑依術を必要としなくなったのだ。

 難しい言葉は喋れないのだが、既にこの世界の共通語を話せるようになっている。

 つい先日憑依術を解除しての様子見期間となったのだが、問題はなさそうだ。

 え、朝飯食ってる異世界人はどうかって?

 ははは、未だ継続中です。

 ウルフェにとって意思疎通が取れる言葉はとても魅力的であり、それを取得する努力も意欲も素晴らしいものがあった。

 一方こちらは日本語慣れが未だ抜けないために、言語への隔たりが抜けず、さらに便利な憑依術の存在についつい頼りたくなっているわけでして、てへ。

 だがまあまだ学び始めて一週間そこらですよ?

 ハロー、ナイストゥーミートゥーが言えれば十分だと思いませんかね?

 一応進歩もあったんですよ。この憑依術って一部の単語が正しく通訳されない時が多々ありましてね。

 例として上げるなら『サンプル』という単語、カラ爺はこの意味を最初理解できていなかった。

 理由は簡単、『サンプル』は『サンプル』だという意識がこちらの頭の中にこびりついていた為だ。

 標本などを意味するという事を強く意識した上で発音すると正しい意味合いとして伝わった模様。

 横文字発言はわりとこういうトラブルが多い事に気付きました。

 試しに横文字たっぷりでアジェンダだのレジュメだの使ったら通じませんでした。

 まあ、それだけなんですがね。


「んーふーふーんーふー♪」 


 ウルフェは鼻歌交じりにスープをさらに注ぎ、同じように手を合わせる。

 本来地球(こちら)の世界にある、手を合わせてのいただきますはない。手を組んでのお祈りはユグラ教にあるのだが。


「いただき、ますっ!」


 もちろん言語も日本式。強制はしていないのだがこの日本語だけはすっかり覚えてしまった。

 しかしまあこんな質素な食事を見事美味しそうに食べてくれるものだ。

 もう少し手の込んだものを作ってやりたくもなる。


「ししょー、きょうはどこにいくんですか?」

「今日はマリトのところだ。ウルフェはカラ爺達の鍛錬にでも参加しておくといい」

「はーいっ!」


 そして最後の同居人、家主様が起床。

 顔を洗ったはずなのに眠そうな顔は流せていない。


「いりあす、おはようっ!」

「……おはようウルフェ」


 イリアスも同じようにスープを注ぎ、食べ始める。

 果物に手を伸ばしたこちらをぼやーっと見つめつつ話しかけてくる。 


「最初見た時、君は一度寝たらなかなか起きない人だと思ったのだがな」

「あの時は疲労が極限状態だったからな。普段は朝日を一時間も肌に感じていれば目が覚める」


 ただまあ眠っている間の睡眠は深いため、途中起きる事は滅多に無い。

 あの時の睡眠はどちらかといえば気絶に近かったです、はい。

 それを殴り起こされた恨みはこっそりと隠しておく。


「逆にイリアスは朝からシャキッってしてると思ったんだがな」

「着替えればそういう気構えになりやすいのだがな。だからこそ自宅で鎧を着るようにしている」


 騎士の姿がスーツ姿のサラリーマン互換なら分からない話でもないのだが、多分自宅から消火服で出勤している消防隊みたいなもんだよな、うん。

 勝手に納得しつつ、そのうち追いつくであろうウルフェとイリアスの分の果物の皮を剥き始める。


「でもさ、そのせいで厳格なイメージが国民に植え付けられたんじゃないのか?」

「それは……否定できないな」


 国民代表かつ騎士事情にも詳しいサイラ氏によれば、イリアスへの国民的意識は『厳格』『真面目』『凛々しい』『冗談が通じなさそう』『怒らせたら死ぬ』などなど。

 最後のを聞いた時はなかなかの落ち込みを見せてくれた。

 こういったイメージをある程度は払拭せねばなるまいと、サイラ氏とは色々と計画中である。


「功績を挙げることも大事だがな。印象操作も気を使わなきゃだな」

「ううむ……具体的にはどうすれば良いのだ」

「挨拶されたら笑顔で返してやれ。お前ならそれくらいで十分だ」

「笑顔……むう」


 それ笑顔じゃないよな?

 そんな顔で挨拶返されたら『えっ、私何か粗相しました?』ってビビるぞ国民。


「まずは自然に笑う練習だな。時たまにはできているんだがなぁ」

「意識的に笑うのは難しくないか?」

「難しいに決まってるだろ。普段から使っていないなら尚更だ。損はないから練習しとけ」

「……そういう君はできるのか?」

「もちろんできるさ」


 爽やかな笑顔を見せた。ドン引きされた。

 この野郎。お前の笑顔とは天地の差だぞ!?


「なんか文句あるのか」

「い、いや、そういう顔もできるのだなと……私も努力しよう」 


 その後イリアスは鎧に着替え、先に城へと向かった。

 こちらは片づけを済ませ、簡単な掃除を始める。もちろんウルフェも手伝ってくれる。

 今ではイリアスの部屋の掃除を当人に頼まれる程だ。なお別にイリアスが掃除嫌いというわけではない。

 本来なら日々行いたい所なのだが、帰宅後は夕方や夜。満足に掃除洗濯ができない以上、非番の時にまとめてやるようにしているのだ。

 なお普段の洗濯は道中にあるクリーニング店のような場所に頼んでいるとの事。


 掃除と洗濯が終了後、城を目指す。生憎と馬車なんて物を個人で持ち合わせていないために徒歩だ。

 楽をする為、以前とあるゴリラにされたようにウルフェにこの体を担がせようと目論んだのだがどうも国民の皆さんの視線が気になるので諦めた。食後の散歩と割り切り軽い運動のつもりで受け入れよう。

 ウルフェも鼻歌交じりに隣を付いてくる。以前ウルフェが昼寝をしていた時に、昼食を作っていた誰かさんが鼻歌を歌っていたのだがそれを聞かれてしまい、教える事になったのだ。

 それ以来、日本のどこかで聞いた事のありそうなフレーズをちょくちょく……。

 周囲の皆さんの目は――それなりに慣れてきたようだ。

 というのもターイズには数日前から、黒狼族の者がちょくちょく訪れるようになっていた。

 国からも正式に発表があり、亜人がいても不思議ではないという状況が認知されたのだ。

 とはいえ東京で外国人を見かけた時の周囲のリアクション程ではない。

 どちらかといえば地方で見かけた時のやや珍しそうな視線を向ける時と同じといった程度だろう。

 ついでにウルフェは個人として白さで目立っている。どこの漂白剤を使ったのか聞きたくなる程だ。使ってないけど。

 これでもう少し知名度も上がれば、ご近所に人気な獣っ子として通用するのだが、まだ名前の知らない他人と話すのは少し抵抗がある模様。

 ちなみに誰かさんも容姿は普通でも黒髪黒目は珍しがられているため、外国人観光客に向けられているような視線を時折感じておりますとも。


 そして到着。橋の前にいる兵士さんに通行証を見せて城の敷地内に入る。

 ラグドー卿より渡されたこの通行証。これがあればラグドー卿やマリトへの謁見が、ほぼ手続きなしで可能になる優れたアイテムだ。

 ほぼという理由は会議中だったり、外来客の応対中などの忙しいタイミングでは待たされるという意味合いがある。

 そのまま通路を進み執務室へ。衛兵に挨拶して中に通させてもらう。

 中では机に向かい、書類と対面しているマリトの姿がある。 


「へーか、おはようございますっ!」

「おはようウルフェ、おはよう友よ」

「もうしばらく掛かりそうか?」

「そうだねー。適当に座って時間を潰しておいてくれ」


 別に用意されている椅子に座る。そこにはこちらの私物の本が置いてある。

 マリトはこの時間帯は執務室で書類を片付けている。終了時刻がまばらなため、こちらが暇にならないようにこういったスペースを備え付けてくれたのだ。

 そんなわけで暫くはウルフェと一緒に読書で勉強タイム。その後は本来の目的に入る。


「何か変わりはあったか?」

「そうだね。学び舎で学ばせる内容を選択させる事は概ね好評。いくつか候補を絞って導入されそうだ。だけど国民全体の教育水準を上げる事は予想通り、あまり賛同を得られなかったよ」 

「まあそうだろうな。学習に掛かる期間が延びれば働けない子供達も手伝いができるまでには成長している。そういった労働力が失われるのは惜しいからな」

「そっちの世界みたいに、誰でも高官を目指せるのならば期待を持たせてやることもできるんだろうね。ただ一般の子でも有望そうなら奨励金を出して、貴族達が通う学び舎に通えるようにするという話は耳を傾ける者も多かったよ」

「貴族階級が主体となる仕事に、一般層が加わる事には貴族達は難色を示さなかったのか?」

「示すものも少なからずってとこだね。だけど却って貴族の子等も自尊心を刺激されて、やる気が出るのではとの意見もあった」

「なるほどな。だがそれで導入されると貴族階級からの嫌がらせとかを受けそうな気もするな」


 今の所やっている事は、マリトからの質問に対し返答を行うことだ。

 地球(こちら)の世界のことをなにから話せば良いのかと困っていた所、この形を提案された。

 政治形態はどうなっているのか。国民達はこういう時、どういう行動を取るのか。朧気ながらにも聞かれたことに答える。

 無論その内容について、こちらに専門的な知識がないことの方が多い。

 だから回答を聞いた後に『何故そのようになっているのか』を討論する。

 その後納得が得られるようならば、マリトがこの国の政策や方針に役立てないかを考案する。 地球では常套手段でも、この世界ではかみ合わない事の方が多いのだ。

 それもその筈。今の時代の仕組みは時代の背景や環境の変化に合わせて考えられたものだ。

 例を上げるならば選挙制度。これは国民から政治を行う人物を投票によって選ぶ制度だ。

 しかしこれが機能する前提条件として『国民が政治を理解していること』が挙げられる。

 この前提条件があるからこそ、国民は立候補者から自分が望む政策を行うと宣言している者を選べるのだ。

 だがこの世界の国民は政治に疎い。教育システムが未発達であり、日常生活を送るための必要最低限な教育しか受けていない。

 職業上の知識こそ身についているが、それ以外には触れる機会もないのだ。

 そうなると投票の意味合いが薄れてくる。ただの票の集めあいとなり、そういうことが得意な手合いが権力を握るだけの国になってしまう。

 この世界では正しく政治を学んだ王や知識者が、その目で判断し次の後継者を選んだ方がより効率が良い。

 つまりは世襲制が向いているということになる。

 だが地球(こちら)の世界での仕組み全てが役に立たないというわけではない。長い年月を経て考え付かれた知恵は伊達ではないのだ。

 時代が異なっていようとも効果的な政策、方針は存在するのだ。

 それを選別するのがターイズ国の王。この世界の仕組みのプロフェッショナルであるマリトの仕事となるわけだ。


「それにしても世界が違うともなれば、真新しく感じる発想は多いね。同性愛者の結婚を認めるというのはこちらの世界では難しいことだけど、なかなかに興味がある」

「国民が意見を言える世の中になったから、世界の人口が多くなり生産性を求める必要が無くなったから、その影響で同性愛者が増え活動もしやすくなったからと理由はいろいろあるけどな。もちろんその過程に、途方もない時間と労力を費やして、差別と戦って来たことが一番の要因だな」

「七十億を超える人口か、想像しきれないなぁ。それだけの人間が意見を伝え合うとなると、相当場は混乱しそうだね」

「そうだな。生まれ故郷の諺に十人十色という言葉がある。人が居ればその数だけ好みや性質が異なるのが当然だ。数が増えれば被る事もあるだろうが、何もかもが完全に一致するということはない」


 そして中には理解しがたい、理解できたとしても許容しがたい存在も多々出てくる。

 そういう手合いが自身の日常の前に現れる事もあるのだ。


「政策に関してはこの程度で良いかな。次は文明の発達の知識。料理に関するカデンについて、色々話してくれないか」

「ああ、前回は炊飯器についての機能や用途を説明したな。次は……電子レンジか。これは――」


 この世界には魔法が存在している。発電が行われていない世界だが夜が全く暗いというわけではない。

 日の光を受け、夜間に発光する蓄光塗料のような特性を持つ魔石やらが、街灯として設置されていたりする。

 他にも電気がなければ使用できないような物が、魔法の恩恵によって可能になっている光景も多々見られる。

 ならば地球(こちら)の世界で使用されている電化製品の機能などを説明すれば、魔法で似たようなことができるか判断ができるというわけだ。

 もっとも魔法自体を専修していなければ、その理論を実践することはできない。

 イリアスくらいにもなれば基礎的な魔法は一通り使えるらしい。料理する際に火打石を使わずに着火した時のことは覚えている。

 国民の生活を家電だらけにすることは今のところ不可能だが、魔法の有効活用法を見出すにはこの対話の意味合いは大きいものとなる。


「ふーむ、原理の説明になってくるとあやふやさがあるね」

「おおまかな知識はあるが、科学的知識はあまりないからな」

「俺も魔法はそこまで詳しいわけじゃないからなぁ……信用の置ける専門家を一人探しておく必要があるかな」

「それが良いな」


 文明の発達には研究が不可欠だ。ではその研究はどういう時に行われるのか。

 今では自分の求めた分野の研究をすることが当然だが、昔は違った。

 研究する大きな目的は他国との関係を優位に運ぶ為だ。それ故に戦争を始めとした事象での研究は、目まぐるしい進歩があった。

 この世界の歴史でもそういったことはないわけではない。

 魔法も当然利用されている。だが魔法の研究はごく一部だけが行っている程度に過ぎない。

 その理由が『魔封石』の存在だ。これにより魔法の軍事利用の道が大幅に削られている。

 魔法の価値が下がれば研究対象から外される。それがこの魔法のある世界で魔法の応用が少ない理由だ。

 とはいえ専門家がまるでいないわけではないらしい。

 評価されない職業とはいえ、無限の可能性を秘めている魔法に魅了される者も少なくないのだ。


「ウルフェ、そろそろ鍛錬の時間じゃないか?」

「うん、いってきますっ!」


 ウルフェが城に来た時は、率先してラグドー隊の訓練に加わるようにしている。

 魔力放出や制御法を学んだウルフェは、次に体を動かす事を学び始めた。

 せっかくなのでこちらも執務室を移動し、訓練風景が見れる場所に移動する。

 城壁の一部に机と椅子が用意してあり、下にある訓練場を見下ろせる形となっている。

 マリトもデスクワークを済ませたため、休憩がてら覗きについてきた。

 下では早速ウルフェとラグドー隊の面々が手合わせを行っている。


「しっかしウルフェちゃんの成長っぷりは末恐ろしい物を感じるね」

「そうだな」


 努力を惜しまないウルフェだが、こと戦闘に関しての才能はずば抜けていた。

 黒狼族特有の獣のような身のこなし、そして肉体強化に使用できる膨大な魔力量。

 単純な速度や腕力ならば、既にラグドー隊にも匹敵するほどだ。

 この世界では魔力の保有量の差は、この性能差に大きく繋がる。魔法を使用せずとも肉体の強化を行えるからだ。

 尋常ではない魔力を持つウルフェは、個体としてのスペックで他者より秀でている。

 とはいえ、現段階においてラグドー隊の誰にも勝てたことはない。

 他の騎士団と手合わせをしてもらえる事もあるが、それでもほぼ負けている。

 これは単純に技量と経験の差だ。騎士達は日頃から魔力の扱いも、武器の扱いも、駆け引きの判断力も鍛えている。

 獣のように直感的に動くウルフェの相手は得意なのだ。

 さらに言えばラグドー隊は他の騎士団に比べ古参の騎士達が多い。

 彼等は既に己の肉体のピークを過ぎている。それでも現役なのは、それまでに蓄えられた経験と技能があってこそなのだ。

 他の騎士団が相手ならば、身体能力の差を活かしたごり押し戦法が通用し、時には一本を奪うこともある。

 だがラグドー隊の面々が相手の場合、ウルフェは一撃を入れることすらできていない。

 仕方ないことだよウルフェ。そのお爺ちゃん達さ、お前が動く前から回避行動に移ってるんだぜ?

 山賊相手では差がありすぎて、その技術を使用する必要すら無かったのだろう。

 だが相手のレベルが上がればそのスペックの高さには舌を巻くばかりだ。

 ラグドー隊の老兵、彼らの老いている姿は己という武器を磨き続けてきた証なのだ。


「ただまあ……アレは別格なんだよな」

「そうだねぇ」


 視線を少し遠くに移す。そこには一人で素振りをしているイリアスの姿がある。

 自分の体の数倍はある大剣を苦もなく振り下ろしている。それに伴い周囲の木々が、その風圧で大きく揺らされている。

 ほんと、あのゴリラっぷりはやばい。イリアスの強さはラグドー隊の中でも別格だ。

 技量だけでも熟練老兵が揃うラグドー隊の面々と同格なのだ。

 そこにウルフェを超える圧倒的魔力量が加わっている。

 素質だけならウルフェの方が上らしい。だが今までの人生を鍛錬に費やしてきたことで、その魔力の総量は文字通りの規格外なのだ。

 そして魔力による肉体強化の錬度により……もうわけがわからないよ。

 本気で肉体強化した際、鉄をも貫くカラ爺の槍を生身で弾いたことがあるとかふざけたことを聞いた。

 ただのゴリラではない、メタルゴリラだ。 

 イリアスは基本一人で鍛錬を行っている。ラグドー隊の面々が相手でも手加減が必須になるからだ。

 他の騎士団の者では、その差に立ち直れない者も出てくるだろう。

 この国で五本の指に入ると言われているイリアスと、まともに戦えることができるのは一部の騎士団長のみとのこと。

 イリアス級がまだ数人控えているっていうのは酷い話である。

 ちなみにラグドー卿は余裕でイリアスに勝ち越しているらしい。この国の底は深い。

 ウルフェが一度イリアスと手合わせをしたことがあったのだが、その日あの子がイリアスの寝床に入り込むことはなかった。

 そう考えると少しの時間とはいえ、片腕でイリアスと戦っていたドコラも凄い奴だったんだなぁ……。

 マリトもそれなりに剣術を嗜んでいるらしく、時折ラグドー隊の面々と手合わせしているとか。


「この国の戦力って他と比べてどうなんだ?」

「個の質だけなら間違いなく、大陸でも胸を張って誇れるだろうね」

「ただ軍略となると――ってところか」

「山賊に良いようにあしらわれるくらいには直線的だからねぇ。それにやはり数は少ない。足は自信あるかな」


 騎士の戦力もさることながら、馬もおかしいのがこの国だ。

 なにせこの広い領土内を馬で移動すれば一日掛からずに目的の場所へたどり着ける。

 最初の山賊の集落は最寄であったためと奇襲の目的もあり徒歩だったが、ドコラ討伐の際には馬も使用されている。

 夜のうちにターイズ領土全域へ騎士を配備できるほどだ。その機動力の恐ろしさは理解できるだろう。

 馬の速度を知らなかったとはいえ、あの速さはおかしいなとは思ったんだよなぁ。


「おや、ラッツェル卿がこちらを向いているな」

「ああ、実はさっきから睨まれていてな。気付かないフリをしている」


 言わんとすることはわかる。ウルフェに鍛錬参加をさせておいて上から見物している誰かさんに、降りてきて加われと言いたいのだろう。

 マリトが代わりに手を振ると慌てて礼を返し素振りに戻った。

 帰りに何か言われそうだなぁ、やだやだ。

 しかし、こちらが想定する鍛錬と言えば剣道場で素振りをするようなイメージだ。

 決してあんな人外魔境に混ざって、不慮の事故で死ぬ事ではない。


「とは言え、鍛錬に加わらないと毎日文句を言われそうで辛いな」

「良いじゃないか。鍛錬で体を鍛え、ある程度でも自分で身を守れるようになることは悪い事じゃない」

「それはわかるんだがな」


 『まずは魔力の使い方からだ、こう集中させて、こうだ』

 と言いながら素手で石を砕いたイリアスを見て、ダメだって思いました。

 『こうだっ!』

 とウルフェが一発でできるのを見てもう本当にダメだって思いました。


「扱う魔力がない時点で、あいつらの鍛錬とは根本的な所から違うんだよなぁ」

「ならラグドー隊にそのことを考慮してもらうよう頼めば良いじゃないか。技術だけでも教わる意味はあるだろう。何だったら俺が付き合っても良いよ?」

「そうだな。そのうち無理やり参加させられるのは目に見えているしな……はぁ」


 溜息が漏れた。それはそれでイリアスは複雑そうな顔をしそうなものだが……どうしたものか。

 とりあえず眺めてばかりではイリアスに睨まれるので、マリトとの異世界交流を再開するのであった。


 その帰り道、イリアスとウルフェと共に夕暮れの街並みを歩く。


「いい加減鍛錬に加わったらどうなのだ」


 ジト目で本日の不満を伝えてくるイリアス。まあ、言われますよね、はい。


「マリトにも言われたよ。ウルフェと同じ時間量は無理でも、参加できるよう時間を作るからってな」

「そうだろう、そうだろう。流石陛下、わかってらっしゃる」


 うんうんと嬉しそうに頷く。この国一番の男に肯定されたらそうだろうよ。


「個人的には剣術より魔法を習いたい所だったんだがなぁ」

「魔法か。基礎的なものなら習熟しているから、教えることはできると思うが」

「理論派に分かるように教えられるなら、是非とも頼みたいんだけどな」

「むっ、できるとも。こう魔力をぐっとだな――」

「話を聞いてなかったのか、感覚実戦派の化身が!」


 昨日は休みだったが、今日は『犬の骨』が営業している日だ。そういう訳で『犬の骨』に向かう。


「いらっしゃーい!」


 給仕娘のサイラが元気よく迎えてくれる。魔力を含む食材によって必須栄養素の大半を補えるこの世界で、塩は贅沢な嗜好品でしかない。

 それ故に味付けの薄い料理ばかりが普及するこの世界で、塩味の利いた料理を出せる『犬の骨』は今日も大盛況だ。

 しかし残念なことに、他の店ではまだ塩を本格的に導入する素振りは見られない。

 というのもターイズ国自体の塩の在庫が芳しくないのだ。

 『犬の骨』はこの国でも有力な商人であるバンさんによって塩の在庫を確保できているが、他の店ではなかなか入手する手段が確立できていない。

 口コミもあってこの国に流れる塩の量は着実に増えることは予想されるが、普及はもう少し先になるだろう。

 それまでに塩の物価を下げる働きを進めておかねばなるまい。


「おう兄ちゃん、試作でき上がったぜ」


 そういって現れたのは店長のゴッズだ。出された料理、それは鶏肉を使った鶏白湯スープに小麦粉で作った麺を入れた麺料理だ。

 ラーメンを作れないものかと相談し、完成したのがこれになる。

 さっそく実食。スープの味は非常によろしい。鰹節や昆布出汁といったものがない分、旨味は控えめなのだが、そこは野菜や香辛料で補っている。ただ麺に関してはやはり違和感を覚える一品だ。

 イリアスやウルフェは美味しそうに食べている。箸を使う習慣が無いこの世界ではやや食べにくそうな印象もある。

 スプーンとフォークもあるにはあるのだが……専用のフォークとレンゲを用意した方が良いのかもしれない。


「麺の固さとかはこの国の人の好みに合わせれば十分だな。後は上に乗せる具材を考えればメニューに加えられそうだ」

「これだけでも十分ではないか?」

「おいしい!」

「焼いた肉やアクセントの薬味、スープに合う野菜、味付けしたゆで卵と色々載せるのが日本(こちら)の国での定番だ」

「ふむふむ、なるほどな。これ一つで食事として完成させるってわけか」

「そういうことだ。今は塩を使う商売敵はいないが、将来的には手を出してくるだろう。そうなったら品目も被りだす。そうなると一工夫の勝負になるからな。今のうちに色々試して差をつけておくと楽になるぞ」

「なるほど。それじゃあ婦人方と相談して、週替りで具を変えていくってのはどうだ?」

「それは良いな。客の感想も聞けるだろうし飽きにくい」


 ゴッズと軽く話をしていたが、厨房からゴッズを呼ぶ婦人方の声に彼は慌てて戻っていった。この関係は当面変わらないのだろう。

 サイラとも話をしようと思ったが、この忙しさでは迷惑だろう。休みの日だけ確認して後日食事にでも誘うとしよう。


 帰宅し、交互に風呂に入る。本来ならば水を溜め、火を起こし、お湯を用意する必要があるのだがそこはイリアスの優秀さに助けられる。

 魔法で水を溜め、火を起こすことで従来の数倍早く用意ができるのだ。

 魔封石の影響で戦闘にこそ役立たないこれらの魔法だが、野営などでは重宝するとのこと。

 こういった優位性から、基礎的な魔法を習得する騎士は多いらしい。

 そりゃあ簡単に飲める水を用意でき、火を用意して食料を安全に食べられ、あまつさえ風呂が用意できれば衛生面も問題ない。

 イリアスは魔法に関しても高水準とのこと。マジカルメタルゴリラである。

 ちなみにイリアスがいない時は自分で湯を沸かして、タオルで体を拭く程度で終わっている。

 イリアス達が風呂を済ませている間に寝床を整理する。そして交代で風呂に入って一日の疲れを労う。

 風呂から上がり、居間に行くとイリアスが一人で剣を磨いていた。

 こちらも羊皮紙とペンを用意して作業を始める。魔石の発光で周囲は見えるがやや暗い。

 そう思っているとイリアスが魔石に魔力を込め、その光を強くしてくれた。


「助かる。……ウルフェはもう寝たのか」

「ああ、君におやすみを言いたかったようだが寝入ってしまったので部屋に運んでおいた」

「一日を堪能できているようで何よりだ。羨ましいくらいだな」

「君も鍛錬すれば同じように眠れるぞ」

「次の日痛みで起こされないなら魅力的な話なんだがな」

「そこは君の成長次第だ」

「もう背も伸びなくなった大人がどれだけ成長するのやら」


 軽く二人で雑談をして過ごす。

 そうこうしている間にイリアスは武具の手入れを終わらせる。


「さて、私ももう寝るか。君は後どれくらい起きているつもりだ?」

「ああ、きりがいいところまで済んだら寝るが……一時間くらいだな」

「そうか……このくらいか」


 イリアスが再び魔石へ込める魔力を調整する。


「では、おやすみ」

「ああ、おやすみイリアス」


 イリアスは部屋に戻っていった。それを見送った後に作業を再開する。

 宣言どおりに一時間で作業を終わらせる。

 もう少し手を入れたかったが魔石の輝きが弱まったのでここまでにしよう。

 静かに部屋に戻り、ベッドに沈み込む。


 ――拝啓、地球の知り合い達へ。今はこんな感じで無難に生きております。


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