とりあえず順応しました。
帰りの馬車まではイリアスに見送ってもらったが、彼女はまだ帰れない模様。
夜には帰れるだろうと言う話を聞いたので、向かうはバンさんの商館。
留守番を頑張ったウルフェを褒めつつ、バンさんと話をしながら元の服に着替えた。
異世界人であることは伏せているのだが、その上でマリトに雇われたことをどう伝えるべきか。
宮廷道化師として採用されたとは正直言いたくない。クールなイメージが壊れそうだ。
そういうわけで、王に気に入られしばらく話を聞かせに来て欲しいと言われたスタンスで行こう。
バンさんは大いに喜んでくれた。
何せ王に直接支援の話を持ちかけられる機会を得たのだ。
ターイズ領未開の地捜索計画も夢物語ではなくなるだろう。
その後少しばかり商品を購入し、ウルフェと共に帰宅。
まずはウルフェの食事を簡単に用意する。
その後は時間を潰すためウルフェと言語の勉強だ。
そうしている間にイリアスが帰ってきた。
「お疲れ様。だがまだ終わらせないぞ」
「これは……」
机に用意していたのはバンさんに用意してもらった酒と簡単な肴。
そう、締め括りとして三人での祝勝会だ。
もう少し予定を立てればサイラやカラ爺とかも含めて規模の大きな物を催す事もできたかもしれないのだが、今回はこのくらいで良いだろう。
『犬の骨』もまだ営業はしているが他の客もいる。純粋に彼女を祝える人だけで最後を締めたい。
「いりあす、おつかれさま、おめでとう!」
「ウルフェまで……ありがとう」
そして少しだけ騒がしくも、淑やかに彼女の努力を労うのであった。
夜もすっかり更けた。ウルフェは机に突っ伏して眠っている。
まだ睡眠も浅いだろう。毛布を掛けてイリアスと飲みなおす。
「そういえばマリトに今後も城に来いと言われたな」
「そうか城に――って陛下を呼び捨てにするなっ!」
「いや、本人がそう呼べと言ったんだよ。流石に他人がいる場所じゃ気を使うけどさ」
「そ、そうか……」
やや複雑そうな顔のイリアス。
気持ちは理解できなくも無い。
こちらのことを評価してくれているとは言え、それがしれっと仕える王と仲良くもなれば立場も複雑だ。
「だが良い王だな。イリアスの事もしっかり評価していたし、お前の問題についても気にしていたぞ」
「陛下が……そうか」
「この国の一番から認められているんだ。後はイリアスの成長次第って所だな」
「――ああ、そうだな」
初めて見るイリアスの照れ顔だ。これはこれで新鮮で悪くない。
「とは言え、明日はマーヤさんの所に行く予定だ。マーヤさんって普段からも結構暇しているのか?」
「そういう訳でもない。季節に応じて催し物の主催を行う事もあるからな。そういう時はなかなかに会えん」
「催し物って言うとお祭りみたいなものか」
「それもあるな、国民が自由に参加できる賑やかなのもあれば、ユグラ教内だけで行う大掛かりな祭礼などもある」
「今近いのはどう言ったものだ?」
「前者だな、収穫祭の季節が近い」
「ウルフェの家庭教師も別に探しておいた方が良さそうだな……この国に学校―学び舎はあるのか?」
「あるぞ。まだ働けないような小さな子供が通う読み書きや歴史を学ぶ場所だ」
「ウルフェも――いや、ウルフェの年を考えると悩ましいな」
「目立ってしまうだろうな」
ウルフェの寝顔を見る。
ウルフェにはなるべく特別扱いされない環境を整えたい。
今は色々な知識を覚えさせるために手を回しているが最終的にはこの国にも馴染んで欲しい。
子供は純粋だ。思った事を推敲することなく口にする。
トラブルを起こす可能性は低くても、ウルフェにとって精神的負荷を与えてしまうだろう。
「早いところこっちで学習して文字通りの師匠になってやらなきゃな」
「まったくだ。今の所マーヤに世話になってばかりではないか」
お恥ずかしい限りです。
師匠と呼ばせておいてウルフェに教えたのは家事とかその程度である。
とは言えなぁ、最低限の知識がないと処世術ってのは教えづらい。
そこまでは粛々と準備を―――進めようじゃないか。
「マリトに頼めばそういう場も用意できるかもしれないからな。訓練場も近いし戦闘訓練も同時にできそうだな」
「形になって来ればこちらの鍛錬に合流させても良いだろうな。今のは君も含まれているからな?」
「気が向いたら素振りしておく」
初期スペックでウルフェには完敗しているのだ。
これに才能差が付いては追いつける気配など皆無に近い。
良いんだ。剣と魔法のファンタジー世界でだって商人とかそういう人はいるんだからね!
「それと住まいについてだが、マリトが用意しようと提案してきた」
「……」
城に通うようになるなら、イリアスの家よりももっと城よりの場所に住居を構えた方が良いだろうとマリトから提案されていた。
貴族の住む地域からならばバンさんの商館も近い。
利便性は格段に上がる。
「だが断らせてもらった。もうしばらくはここにいさせてくれ」
「――どうして断ったんだ?」
「一つはウルフェの為だ。ウルフェはイリアスにも懐いている」
ウルフェは夜にイリアスの寝床に潜り込んでいる。
一人の時の事を思い出すのが嫌なのだろう。
住処を変えればウルフェはこちらについて来ることになるだろう。多分。
そうなった場合こちらの精神衛生上よろしくない。
これがまだ十歳そこらなら自制も効くんですがね。
「そうだな。確かに一人でウルフェの面倒を見るのは大変だろう」
「もう一つは個人的な事だ。その、なんだ……この世界に慣れていない話はもうしただろう」
「あ、ああ」
「この国で生活するにはまだ色々と不安でな、……まあそういう事だ」
ウルフェがどうだと建前を言っているが、正直不安を持っているのは自分なのだ。
この国に来て一週間程度、知り合いは増えた。
それでもまだ頼りきれる人は僅かしかいない。
ウルフェがいれば人恋しさは紛れるかもしれない。だが異世界で一人の少女の面倒を見ながら生きていくと考えると、先の不安は募るばかりだ。
年下相手に大人ぶってはいるものの、依存心を持たずにはいられない未熟者が自分なのだ。
日本で生きていたようにこの世界でも一人で生きる事はできる筈だ。
しかし異世界に飛ばされ、命の危機に瀕した。
言葉が全く通じない事に心が折れそうになった。
新鮮な経験だと誤魔化していたが、それが通用しなくなるのも時間の問題だっただろう。
この世界に順応するまで保てるのか、それとも――
そんな中でイリアスの存在は大きかった。
言葉を与えてくれた。機会を与えてくれた。そして居場所を与えてくれた。
この世界と向き合うための土台を与えてくれたのだ。
彼女がいたからこそ……いろいろとこう、ああ、そうですよ。
離れるのが寂しいなとか、センチメンタルなこと考えて断ったんですよ!
家に帰ると一人が当たり前だった。だけどあの日帰ってきたときに玄関で待っていたイリアスを見て、『ああ、悪くないな』と思ってしまったんだよ!
溜息が出る。
イリアスの方を見る。きょとんとした顔のままだ。
「もう寝る」
立ち上がり、ウルフェを抱きかかえようとする。
……重い。いや、年齢としては軽い方なのかもしれないが流石に十代後半の眠っている女性を運ぶのは力仕事だ。
イリアスの時もなかなかに重かった。
肉体としては立派な成人だからなぁ。
「ちょ、ちょっと待て、私が運ぶ、――じゃなくて、いや運ぶのはそうなんだが、ええとさっきの言葉の真意がよくわか――」
「良い様に取れ。それで当たっている。じゃあウルフェを頼んだぞ」
そう言って自分の部屋に逃げ帰るのであった。
もう少し酒が入っていてテンションが上がっていれば、素直に礼を言えて気持ちを伝えられただろうに……。
「まだまだ未熟者なのはこっちもって事だな……」
ベッドに倒れこみ、そのまま眠るのであった。
◇
ウルフェを寝室に寝かしつける。
イリアスはその寝顔を見て微笑む。
また夜中にやってくるのだろうか、それも良いだろう。
彼の言葉を思い出す。
良い様に取れ。それで当たっている……か。
彼が私のことを頼りたいと言っている。そしてその意思を行動で示した。
そしてそれを認めた。
いや、待てよ。
彼の事だ、私が良い様に思う範囲も想定済みなのかもしれない。
ということはまだ上の意味あいとして捉えても良いのではないだろうか……!
「……なにを舞い上がっているのやら」
彼はこちらの保護下にあったが、世話にもなった。
関係としては対等だと思っている。
そんな相手からあのように言われたことは、嬉しさもあるがこそばゆさを感じた。
悪くない。
彼と出会ってからというものの、悪くないと思える新しい事に触れる機会が多々増えている。
最初は彼の危うさを心配したりもした。
もしかすればこの国に害を成す悪になるやもしれぬと、見張りの意味も含めて彼を保護下に置いた。
しかし彼の行いは彼自身と、その周囲の為になるものだった。
その手法こそ大手を振って褒められるものではないが、彼にできる力を最大限に振るっているのだろう。
そんな今では彼に頼られたいと思っている自分がいる。
彼を守りたいと思っている自分がいる。
……なんと庇護欲を刺激される男なのだろうか!
「しかしあの年でそれは良くないな。やはり鍛えてやらねばなるまい」
イリアスはいらぬ決意をして自分の部屋に戻るのであった。
◇
昨日の今日でマーヤさんの教会にウルフェと共に勉強に来た。
マーヤさんは嘘を見抜ける。
マリトとの密約がある以上、下手に探りを入れることは避けるべきだろう。
取り留めの無い会話で済ませるとしよう。
「そういえばイリアスから聞きましたが、そろそろ収穫祭の準備があるんですよね」
「ええ、そうよ。それなりには忙しくなるけどウルフェちゃんの先生の時間は確保するわ」
「それは助かります。こちらも収穫祭で手伝える事があれば色々と言って下さい」
「嬉しいわ。だけどユグラ教の人は多いから人手は問題ないの。責任者としての仕事は多いけどね」
「ウルフェの教育に関してはマーヤさんだけでなくイリアスやカラ爺といった人達にもお願いしますから、無理はしないでくださいね?」
「ウルフェちゃんを私色に染められないのは残念ねぇ」
「むしろ減らしていきますね、ガンガンに」
まあこのくらいで十分だろう。
マーヤさんからは今後世界の歴史、特にユグラ教の思想あたりを主に学んでいくとしよう。
彼らがこちらに刃を向ける存在になるのか、頼もしいバックボーンとなりうるのか。
またその分かれ道を自分で選ぶ事が可能かどうかなどを見極めていく必要がある。
それはマリトにも同じ事が言えるわけなんだが……。
「ああ、そうだ。黒狼族との交渉の際にマーヤさんの憑依術をお借りしたいのですが」
「バンから聞いているわ。もちろん問題ないわよ」
「それなら良かった。ただ失敗はしないでくださいね、双方に致命的な溝を作りかねませんし」
「人体実験を二度もやったんだから大丈夫よ」
「尊い犠牲でした」
その後昼食を取りに『犬の骨』へと向かう。
店に入るとサイラが出迎えてくれる。
「いらっしゃいま――お兄さん、それにウルフェちゃん!」
「さいらー、ごはんー!」
「いらっしゃーい、そういえばお昼に来るのは初めてだよね」
「そういえばそうだったな」
周囲を見る。
昼食時を少し過ぎた時間にもかかわらず、そこそこの客が残っている。
「ピークは過ぎたからねー、ゆっくりしていってよ!」
「ああ、そうさせて貰おう」
注文を済ませ、厨房を覗く。
カラ爺の奥さんとゴッズがせっせと料理をしている。
ゴッズの動きは初めに見た時と比べ、とてもスムーズになっている。
数日でここまで変わるものなのか、どれだけ鍛えられたのやら……。
「お、兄ちゃんじゃねぇか」
「酒場の主人からすっかり料理人っぽくなったもんだな」
「おかげさまでな。儲けも疲れもどっと増えたぜ」
「そのガタイならすぐ慣れそうだけどな」
「どっちかと言うと精神の方が鍛えられたけどな……」
「だろうな」
あまり邪魔をするのも悪いので、こちらが考えた料理のレシピをさっさと渡す。
「実際に作ってみたものもあるがもう一つ二つ工夫が欲しい感じだった。婦人達にも見せて参考にしてくれ」
「おう、助かるぜ。この客足じゃこっそりタダってわけにはいかねぇが、大盛りにしといてやるぜ」
「小食なんだがな……」
「ゴッズ、口を動かす前に手を動かしな!」
「ハッ! 申し訳ありませんっ!」
本当に立派な軍人になって……。
まあウルフェとシェアするとしよう。
昼のメニューはオススメで任せたものを食べた。
日本で見る料理ではないが美味しい。この世界の料理が純粋にランクアップして作られている。
あの酷い料理からここまでの変化だ。この一週間で最も成長を見せているのはゴッズで間違いないだろう。
次点は……まあウルフェだな。
「口、ついてるぞ」
ウルフェの口についている食べかすを取る。美味しそうに食べてくれるのは見ていて気持ち良いが、レディとしての嗜みはおいおい学ばせねば。
「んぐ」
それに比べ『俺』はほとんど成長しちゃいないな。
異世界に来て自覚できる変化があるとすればだ、情に絆されるようになった事、人を頼りたいと思う気持ちが強くなった事か。
弱体化したと見るべきか、柔軟になったと見るべきか……。
そういえば筋肉痛はほとんど無くなっている。
ようやくこの世界での生活に、体が順応を見せ始めてくれたということだろうか。
イリアスのおかげで精神的な順応も捗った。早い所恩返しをしてやらねばなるまい。
立場的に優位にならなきゃ年頃の女の子に感謝も言えないヘタレのままなのだから仕方ないね。
「……もう一週間以上この世界にいるのか」
ふと元の世界を思い出す。
懐かしさはあるだろう。利便性を考えればこの世界とは比べるまでもない優れた世界なのだ。
今美味しく食べているこの食事だってそうだ。きっとこれならコンビニやレトルト食品でも並ぶ事はできるだろう。
この世界で得た苦労の多くを必要としなくなった文明の故郷。
あらゆるものがこの世界とは違う日本での生活を思い出し、今どういう感情を持っているのだろうか。
帰りたいという願望はあるのだろうか。
未練ならいくらでもある。
見ていた本や番組の続きがどうなったのかを知りたい。
まだ見ぬ優雅な生活や豪華な食事を味わってみたい。
きっと残りの人生を使い切っても巡り尽くす事なんてできやしないんだろう。
だけどこの世界もまた魅力があるのだ。
人々の多くが真っ直ぐ生きている。
気付いたら処刑されていた山賊達だってそうだった。
尋問し、情報を聞き出した事でドコラ討伐までの間の生存を約束された彼らだったがドコラが死んだ翌々日には処刑されたと昨日の馬車でカラ爺から聞かされた。
その中の一人が伝言を残してくれていた。最初に尋問した男からだ。
『人生はクソだった。だが人として死ねる。そのことには感謝する』
だとさ。武人かお前は。
この世界の人間は自分の人生を直向きに生きている。
それはあらゆる情報や事象に関わることが少ないからだろう。
混ざりっ気の少ない純粋な心は対面していて心地が良い。
無難に過ごせるよう振舞う自分の姿を見ても嫌悪を覚えずに済む。
そう考えると無理に帰る必要はないのかもしれない。
少しばかり早いが余生を田舎で過ごすようなもの、少しじゃないですね。
だが選べる道をわざわざ切り捨てる必要もないだろう。
元の世界に帰る方法は適度に頑張って探すとしよう。
少なくともそれに拘り、この世界での生き方を見失わないように。
元の世界でもそういう生き方をしてきたのだ。きっとできるだろう。
この異世界でも無難に生きたい、そう思いながら。
◇
日の光の届かぬ闇の中、深く、尚深くにその存在は座している。
部屋の装飾品として埋め込まれている魔石の仄かな灯りが照らす事実は、その存在が太古の昔に人としての姿を捨てた存在であるということだけだ。
対峙する者もまたその全貌を布で覆い隠している。
僅かに覗く顔も、感情を偽った悲壮の仮面によって知る事はできない。
「それで、かの記録は回収できたのか?」
「いえ、ガーネ領、ターイズ領、奴の利用した拠点を全て捜索したとの報告は得ましたが……」
「メジス内で処分した可能性はないのか」
「奴が死亡したターイズにて死霊術の使用を確認しています。ガーネで根城にしていた最後の拠点でも類似している物が発見されていますが、その数は僅かです。恐らくはガーネで本の内容を読み解き、取得したものと思われます」
「ならば本はどこにあると考えている」
「恐らく奴は本をターイズ領土に持ち込んでいるでしょう。ですがターイズ騎士団によって打ち倒された後に使用された拠点、使用されなかった拠点候補の調査において、こちら側の者では発見はされていません」
「つまり、ターイズ国の何者かが取得しているというわけか」
「ターイズは山森に囲まれ、他国と繋がる道はガーネへの道のみ。現在両国の国境にて本が持ち出されていないか常に監視を付けていますが、あたりはありません」
「そして本はターイズから動いていないと、それでどうする気だ」
「こちらから諜報を行う者を手配しています。どれ程の時間になるかは定かではありませんが確実に搾り出せるかと」
「精々急ぐ事だな。あれが明るみになれば困るのは貴様らだ」
「理解しております」
「貴様らが他国に責められるだけならばこちらは静観しよう。だがこちらの存在にまで辿り付かれたならばこの関係は終わりだ」
「……」
「足手纏いになる貴様らを『その先』へと導く事は無い、留意せよ」
「ご忠告、感謝します……『緋の魔王』様」
これにて一章が終了です。