だから誰を見る。
バラストス殿の館でご友人とメリーアの調査を行ってもらう最中、私は兄様へと報告を行うことにしました。
『記憶が……友は完全に俺達のことを覚えていないのか?』
「はい。つい先日この世界にやってきたかのような振る舞いをしております。ただ、私達という知り合いがいることにも理解を示し、今のところは協力をしてくださるようです」
『……そうか』
「申し訳ありません。私が傍にいながら、偶発的な接触を許してしまいました……」
そもそもの話、私がご友人の外出の際に傍を一時も離れなければ良かったのです。
『相手がやり手だったというのもある。それにミクスは友に言われて交渉を行っていたわけだろう?』
「はい……」
私も商人として活動をするということで、ご友人からは交渉の技術を教えてもらっておりました。その流れで私が一人で商人と値段の交渉をすることになり、結果としてご友人とソライドを接触させてしまったのです。
『友の話は誘惑に取り憑かれることも少なくない。それにあまり徹底して警護していては友も窮屈になるだろう』
兄様は私だけに落ち度があるわけではないと取り繕ってくださるのですが、それが逆に心を締め付けてきます。ついこの前、緋の魔王とセラエスの一件でご友人は死の淵に立たされることになりました。兄様からすればこの報告も、心ここにあらずといった状況で聞かれているのでしょう。
「バラストス殿の調査で何か分かり次第、追加で連絡いたします」
『ああ、そうしてくれ。もしも友がラッツェル卿の力を欲した場合は、速やかにトリンに送り出すつもりだ。友にはそのことを伝えておいてくれ』
通信を終了しバラストス殿の元へと向かうと、バラストス殿は眠らされているメリーア殿の体に手を当て、体内の異常が見られないかを調べておりました。
「ふんふん、なるほど。やっぱりこういう仕組みなのねー。面白い呪いを使う者もいたものね」
「バラストス殿、何かわかりましたかな?」
バラストス殿は羊皮紙の上に一本の線を引いて説明を始める。
「大まかに説明すると記憶の観測点をずらされているわね。記憶というのは直線のように過去と現在が繋がっているわ。ソライドが行ったのは過去のある地点を無理やり現在の観測点に引っ張りあげているの。そうするとその過去の地点から現在までの記憶は観測されなかったこととなり、当人の記憶として認識されないって感じね」
「うーむ。ピンときませんな。ご友人はわかるので?」
「ようは記憶を物として扱った場合、ソライドの力は過去のある地点からの記憶を見えなくしているわけだね。だから身体能力そのものに変化はないんだ」
「そうね。そのズレは呪いの楔として二人の体に埋め込まれているわ。これを除去できれば元通りになるはずよ?」
おお!戻らなかった場合はどうしようと悩んでおりましたが、原理としては回復する可能性は十分にあるということですな!まずは朗報として受け取るべきでしょうな。
「バラストス、この呪いはソライドの落とし子としての才能を利用したもののはず。第三者が解呪できる可能性はあるのかな?」
「……率直に言うと無理ね。記憶に楔を打ち込むだなんて発想自体、普通に魔法じゃ思いつかないわよ。下手に弄ろうとすれば二人の記憶そのものに障害が残る可能性もあるわ」
「お、おおう……それは困りますな」
この場でできる治療はほぼなしということですか……これは悲報として受け取るべきでしょう……。しかしご友人には特に悩んでいる素振りは見られませんな。
「話に聞いた感じじゃ、ソライドは杖を使って攻撃を仕掛けてきたと考えられる。そうなると楔の維持には杖を媒介にしているんじゃないかな。なら杖を壊すか、ソライドを殺せばこの呪いは解けると推測するね」
「可能性の範囲だけどね。ただうっかりソライドを殺してしまうと解呪する手段を失うかもしれないのよ?」
「人の記憶を奪うような奴だよ。半端に生かしたところでまともな交渉に応じるとは思えないし、厄介事になるのは目に見えていると思うけど?」
んん、ご友人の言うことはごもっともなのですが……なんというかいつも以上に前のめりのような感じがしますな。
「記憶を取り戻すことを最優先に考えるのなら、ソライドは生かして捕まえるべきよ」
「『僕』としてはリスクをケアすることを最優先したい。別に『僕』が困ることはないからね」
なるほど、そういうことですか。我々からすればご友人は記憶を失っており、どうにかしたいと考えている状態です。しかしご友人からすればその実感がないわけで……。
「ご友人。ご友人は今のところ生活に支障はないようですが、ご友人を護るためにソライドの力を最も受けたメリーア殿はその限りではありません。どうかここはメリーア殿の為に慎重になっていただけないでしょうか?」
「……そもそもさ、そのメリーアが『僕』とソライドを引き合わせたんじゃなかったっけ?」
「それは……そうかもしれませんが……」
「被害をもたらした奴の為にリスクを背負えっていうのはちょっとなぁ……」
「ですがメリーア殿はご友人のことを尊敬しており、ご友人も――っ」
ご友人の瞳がまた……。こうまで容赦なく分析されると嫌な気分になって仕方ありません。ですが今のご友人にとって、私は危険を背負わせようと進言している立場……。
「ねぇミクス。その言葉は君個人の感情で言っているよね?確か君の立場は『僕』の護衛のはずだ。メリーアもそうだったよね?いや、どちらかと言えば監視だっけ?君は自分の感情と『僕』を護る使命、どちらを優先すると言いたいのかな?」
「――それはもちろんご友人の身の安全ですが……」
「優先すべきは記憶よりも命、そうだよね?それとも君を覚えていない『僕』に価値がないとでも言いたいのかな?」
「そ、そんなことはっ!」
「じゃあ君のことを一生思い出せなくなろうとも、『僕』が生きていることの方が重要だよね?」
どうして、どうしてそんな酷い言い方をするのですか!?そんなに私の心をかき乱すような――あ。
「……お戯れはこの辺にしていただけないでしょうか」
「――うん、ごめんね。君がどれくらい『僕』のことを天秤に掛けられるか、量ってみたかったからね」
ご友人は悪戯っぽく笑う。私が何処までご友人の為に動けるのかそれを知る為に、わざと私の心を揺らしてきたのだ。ご友人はその観察力の高さから、相手の心を揺さぶることに長けていらっしゃいます。ですがこうも親しいはずの相手にも躊躇いなくこういった手法を使ってくるのは……いつものご友人では考えられない行為です。やるとしても気取られない範囲で、相手に不安を与えないようにと気遣って……。
「ご友人が自分の身を護ることを最優先にしたい気持ちはよく理解できております。ですが私達と共に歩んできたご友人ならば、メリーア殿をこのままにしておくといった方針は決して取りません」
「そうらしいね。君は今『僕』と未来の……ええと、どっちだろ?この世界でこんな人付き合いをしているから……まあ『俺』かな。その両者の違いに戸惑いや嫌悪に近い感情を抱いている。よっぽど未来の『俺』は君達にとって価値のある人物になっているようだね」
「……はい。その通りですぞ」
「そっかそっか。なら未来の自分の為に協力してあげることはやぶさかでないよ。バラストス、当面はメリーアの面倒を見ながら楔の解呪の方法をもう少し詳しく調べて貰えるかな?」
「いいけど、私だって対価は要求するわよ?」
「相応のものは用意するよ。今はこの世界の相場の把握がいまいちだからね。暫くは勉強だ。エクドイクが持ってきた『僕』の資料でも目を通してくるとしよう」
ご友人は背伸びをしながら部屋を出ていこうとし、私とすれ違う時、視線すら合わせず素通りしていきました。はたして今のご友人に納得してもらえたのでしょう――
「結局君らが見ているのは未来の『俺』だよね?『僕』を見る気がないのはよく分かったよ」
「ッ!?」
振り返りご友人を呼び止めようとしたものの、既にご友人は部屋の扉を閉めて出て行った後でした。
「ねぇミクスちゃん。これ忠告なんだけど、あの子犬ちゃんから目を離さない方がいいわよ。敵意とか全く感じないのに、すこっしも安心できない人種なんてそうそう見ないわよ」
安心できない、その言葉には同感です。ですが、それ以上に不安が掻き立てられる理由には何か心当たりがあるのです。ご友人のことで、これほどまでに気をつけなければならないと思った出来事が過去に……。
「そうだ……『金』殿の時の……サブロウでしたか……。あの時と類似しているのですな……」
「サブロウ?」
「ガーネで初めて『金』殿と出会った時のことなのですが……」
その時のことをバラストス殿に説明する。『統治』の力によって生み出された仮想世界でガーネの国を運営し、ターイズを滅ぼせば勝利という条件で勝負を挑まれました。その結果はご友人とウルフェちゃんの活躍で勝利……だったのですが、そこにはラッツェル卿の敗北がありました。
「そのイリアスって子が入れ知恵を受けた仮想世界の子犬ちゃん、サブロウって呼ばれていたってこと?」
「はい。仮想世界とはいえ、ご友人はご友人でしたからな。そのご友人に敵として認識されたラッツェル卿は完全に心を折られ、勝負を続けられる状態ではなくなってしまったのです」
その時の記憶は『金』殿の計らいにより抹消されましたが、もしも残っていた場合……ラッツェル卿は今もご友人を護る立場にいられたかどうか……。
「仮想世界の子犬ちゃんは自分が仮想世界の存在だと知って、現実世界のイリアスや子犬ちゃんに嫌がらせをしてきたってことよね?確かに似ているわね。今の子犬ちゃんは過去の記憶の地点から今を観測している存在で、もしも記憶が戻れば……なかったことになるのかもしれないし」
今度は仮想世界の話で終わるわけではありません。もしも今のご友人が自分のことを、記憶を取り戻すことで消えてしまう存在だと考えていた場合……本当に協力してもらえるのでしょうか?
◇
トリンの拠点に置いてあった同胞の私物を届けると、同胞は直ぐにその内容を確認し始めた。
「これで全部?思ったより少なくない?」
「拠点に置いてある分はこれで全部だ。残りはターイズか……そうだ、クトウの腹の中にもあるのではないか?」
「そうなの?クトウ、資料とか持ってる?」
「イエッス、タショウハ」
そういうとクトウは悪魔の体を出現させ、ある程度のまとまった羊皮紙の束を吐き出した。
「あるんだ。さっきの会話の流れで出しておいてよ。気が利かないなぁ」
「ゴメンナサイ、クトウ、シジマチアクマ。ジブンカラナニカ、デキナイ」
「ああ、そうだったね。なら今の言葉は訂正しておくよ。それが君の役目ならそれに文句を言うのは筋違いだ。ナンバリングしてあるのか、ふむふむ……。ねぇエクドイク、君はこの中身を確認したことはあるのかな?」
同胞は羊皮紙を見せてくるが、そこに書かれている文字はこの世界のものではない。ニホンゴと呼ばれる同胞の故郷の言葉だ。
「ニホンゴだったか。俺にはその言語を読むことはできない」
「文学風に書いているわけでもないし、難しい言語じゃないと思うんだけどね」
「ユグラ……同胞と同じチキュウから来た者だが、その男がこの世界にニホンゴを理解することに対する抵抗感を強める何かを施したと聞いている」
「そうらしいね。でも発音くらいはできると。文字に対する呪いとかそんなのかな?本当にファンタジーな世界だよなぁ……」
ふぁんたじー、同胞はこの世界のことを時折そう呼んでいる。幻想的な意味らしいのだが、魔法も存在しない世界からきた同胞からすれば抱かざるを得ない感情なのだろう。
「そうらしいということは、その資料の中にそういったことも書かれているのか?」
「うん。今のように記憶を失った時の保険なのか、それとも新たなチキュウ人が異世界転移してきた時の目印にでもするつもりなのか。この世界で知った情報を丁寧にまとめてあるよ」
「流石だな。イリアスからはよくマメ過ぎると言われているが、やはりそういう地味な作業を欠かさないことは純粋に評価できるな」
「イリアス……ね。未来の『俺』にとっての相棒みたいな女性なんだよね?」
「む……それを認めてしまうのは少し癪ではあるが……。同胞にとって一番付き合いの長い人物であることには違いないな」
少し前の俺ならば、対抗心を燃やしていたのかもしれないが……。『蒼』やメリーア、今の俺は同胞の為だけに戦うわけにはいかない。
「エクドイクのことも書かれているね。最初は『僕』を殺そうとした敵だったんだ?」
「ああ。だが俺は同胞の言葉によって組んでいた仲間を裏切ることになった。その後はいいように使われて、今に至るな」
「その言い方だと恨んでいるように感じるかな?」
「そう聞こえたのであれば俺の語彙力不足だ。当時は利用される立場であっても、目的のために知恵を貸してくれた。今は俺自身が成長する為に良き助言を与えてくれる。そんな同胞に感謝の気持ちこそあれど、恨みは皆無だ」
「そうらしいね」
俺の気持ちの変化もしっかりと書かれているのだろうか。それはそれで少し興味が湧く。だがそれよりも同胞の反応が妙なのが気掛かりだ。今の同胞も既に俺を観察していたはずだ。ならば今俺が同胞のことをどう思っているのかも理解しているのではないのか。だというのに、何故このような質問を投げかけているのだろうか。
「……同胞は、今の同胞は俺のことをどう思っているんだ?」
「んーその装備やファッションセンスは嫌いじゃないよ。でも女性ウケしなさそうだよね」
「そ、そうか?」
女性ウケ……女性からの評価の是非のことなのだろうが……『蒼』やメリーアはこの装備のことをよく思っていないのだろうか?
「逆に聞くけど、何でそんな変な質問をしたんだい?」
「今の同胞は俺と共に過ごした記憶がないのだろう?そして俺は同胞の過去をほとんど知らない。そうなると今目の前にいる同胞はまるで別の他人ということになる。過去の経験をなしにした状態で今の俺が同胞の目にはどのように映っているのか、少し興味があった」
「……なるほど。ならもう少し詳しく言うけど、わりと我が強そうに感じるね。折れるところは折れそうだけど、折れないところは折れなさそうだ」
「それは高評価と捉えていいのか?」
「場合によりけりかな。肝心なところで融通が効かなきゃ悪いことにもなるし。でも物好きだよね、『僕』の記憶が元に戻れば今の評価なんて何の意味もない。そんなことを聞く価値はあったのかな?」
同胞の記憶が戻れば今の同胞はいなくなるということか?確かに俺達を知らない同胞はいなくなるのかもしれないが……それは何か違うような気がする。
「実際のところどうなのだろうな。過去の地点に観測点をずらされたのであれば、記憶が戻った際に過去の記憶に今の記憶が残ったりするのではないか?」
「そういう可能性もあるのかな。でもそうなるとタイムパラドックスは――発生しないか。軽い記憶障害にはなりそうだけど」
「タイムパラドックス……?」
「過去に未来の記憶を持ち込むことで過去が変わり、未来が変わってしまうことだよ。まあ実際には記憶の観測ができるできないの話だから未来や過去を変えるわけじゃないのは理解できるけどさ」
なるほど。確かに今の記憶が過去の記憶となればありえない行動をしていることになる。記憶が混乱する可能性も大いにあるだろう。俺が今の記憶をそのまま過去に移した場合、ラクラを妹だと知りながら妹とは知らないといった状況になる。それは矛盾であり、綻びが生じる。精神的に負荷が掛かりそうな話だ。これがもしも事実に干渉することになれば、今という時間がなくなることにもなりかねない。
「なるほど。時空に干渉する魔法が禁忌とされている理由にも頷けるな」
「あ、そうなんだ。どっかに書いてあるかな……ああ、これか。禁忌リスト……ははぁ、ユグラって奴は文明を無駄に発達させたくないのか。まあ折角のファンタジー世界なんだし、気持ちは分かるけどね?」
「うっかりそれを読み上げないようにな。俺が無色の魔王に命を狙われることになるかもしれない」
「注意書きに書いてあるね。下手な真似はしないさ」
同胞は資料に目を通す作業を再開する。これ以上は邪魔になるかもしれない、一度席を外すべきだろう。だがその前に思ったことは伝えておかなければ。
「……話を戻すが、俺は今こうして同胞と話していることに価値を見い出せていると思う。今の同胞からすればこの記憶が残るかどうかも確証はないのだろうが……少なくとも俺の記憶には残る。人は何かしらの跡を残すことができる。今の同胞には今の同胞にしか残せない結果があるはずだ」
「そうだね。……ま、及第点かな」
「む?どういう意味だ?」
「気にしなくていいさ。少しやる気が出たってだけ」
「そうか、それは何よりだ」
結局会話はこれで終わってしまった。今の同胞はこれまでの同胞とは違う気がするが、それでも俺が学ぶことができる相手には違いない。同胞はこれまでの勝手を忘れ、不便な思いをしている。ならば俺達が今の同胞を支えてやらなければならないだろう。




