だから対価を。
頭からつま先まで、温かい水の中にいる。だけど呼吸は苦しくはなく、心地よくまどろみの意識の中にいられる。だが何故こんなことになっているのか、一度考え始めると意識というものは否応なしに覚醒してしまう。
「(ここは……どこだ?)」
視界に移るのは緑の景色。液体がそうなのか、容器がそうなのかはわからない。呼吸ができるのはどうやら口周りにつけられている道具のおかげのようだ。ここまできてようやく自分が何かの装置に入れられていることを理解する。水中で見る景色はぼやけているが、どうやら視線の先には二人の人影があるようだ。服装の色合いからして知っている人物ではないが……。いや、それよりも考えるべきはこの状況になる過程だろう。
「(確か緋の魔王の襲撃を受けて……いや、それよりももっと後だ)」
ラーハイトに捕まり、セラエス大司教へと身柄を引き渡された。そして調教と言う名の拷問を受けることになった。覚えてはいるが、その辺の記憶はどうも記録的のような形でハッキリとした実感がない。元々自分のした行為で罪悪感に襲われないための自己認識による自衛手段、『俺』ではなく、『私』という立ち位置で行ったことではあるが、ここまで自分がしたという感覚を持てないというのは初めてだ。
「(『俺』は瀕死の重傷になった。そして今に至る)」
体に痛みはない。何かしらの治療措置を受けたと考えるべきか。しかしこの世界には進んだ医学もなければ、魔力を持たない相手に対する効果的な魔法はないはず。そうなると考えられるのは……。いくつかの予想を立てこれからどうなるのかを想定を始めていると、液体が流れる音が耳に入ってくる。どうやら『俺』が入っている容器の液体が抜かれているようだ。徐々に全身に重力を感じ、視界が正しい彩を認識できるようになってくる。
「はーい、口のそれを外しますよー」
聞きなれない声と共に誰かが近寄ってくる。視力が未だ鮮明ではないが、黒髪に浅黒く焼けた肌の女性のようだ。口周りにつけられている装置のような物が外されると、肺の中に冷たい空気が染み渡る。体の自由は効く、長時間寝ていたような気怠さはあるが自力で起き上がれそうだ。
「……っ」
視界が正常になり、目の前にいる相手の姿を正しく認識できるようになった。先程近寄ってきたのは考え通りに女、ただ知らない人物だ。その容姿から魔族だと考えられる。そしてもう一人は服装と髪型こそ違うが、その顔はマリトそのもの……だがマリトではない。マリトが俺に向けるような視線ではない。『俺』に対してほとんどの興味を持っていない、そんな距離感がある。今の状況を考えうるに、目の前にいる人物は十中八九――
「おはようございまーす!聞こえてますかー?」
「聞こえている。これはどういう状況なんだ、碧の魔王」
「おお、流石はユグラの星の民!我が王の正体を一目で見抜くとは!それでそれで、私のことも見抜いていらっしゃるので?」
「知らん。碧の魔王の魔族だろうくらいにしかわからん」
「そりゃそうですよねぇ。私の名はニールリャテス、我が王の右腕にして唯一の魔族です!」
碧の魔王の唯一の魔族……それにしては妙に引っ掛かる。だがそれよりも先に確認すべきことがある。碧の魔王は口を開く様子がない、聞くべきはこの口の軽そうな魔族だろうか。
「誰が『俺』をここまで運んだ」
「誰って、貴方のお仲間さん達ですよ?魔王が三人も結託して交渉にくるなんて、愛されていますねぇ?」
お仲間さん『達』か、となるとイリアスとかもいるのか。あの場所を特定し、『俺』を見つけた。その後碧の魔王を頼った流れといったところか。だが今ニールリャテスは交渉と言った。
「何を対価に――」
「あ、その前に服を着てもらえます?我が王に裸体を晒すというのはいかがなものかと」
「……どこにあるんだ」
ニールリャテスから人間ドックや手術を受ける患者が着そうな簡易的な服を渡される。着替えつつ自分が寝かされていた装置から出て部屋の様子を確認する。カプセル状の容器がいくつもならび、医療行為に使われそうな道具などが台の上に並べられている。随分と時代の流れに逆らっている感じの印象だ。それでいて壁のあちこちには植物の根や蔦のようなものが這っている。
「対価でしたね?それは落とし子である白い亜人が、我が王の配下になるということで成り立ちました。私としてはちょーっと不服ですが」
「ウルフェか」
落とし子は湯倉成也と無色の魔王、そして目の前にいる碧の魔王が手を組んで人間に仕込んだもの。勇者と呼ばれた湯倉成也に匹敵する特異な才能を持つ存在。ウルフェはそんな落とし子の中でもはっきりと才能の有無を理解できる存在だ。確かに交渉材料としては十分な価値があると言えるだろう。だが――
「おや、どうかされましたか?」
「足の調子を確認しているだけだ」
その場で軽く足踏みをし、真っすぐ歩けるかどうかを確認する。緋の魔王に負わされた怪我すら完治しているようだ。近くの台まで歩き、先端が鋭い刃物でできているメスのような道具を掴む。二人の反応は特に見られない。弱者が武器を手にしたところで気にするようなこともないからな。なのでそのままその掴んだ道具で自分の喉を――
「いきなり何をするんですか!?」
刃が喉に届くよりも早く、ニールリャテスがこちらの腕を掴んでいた。本当にこの世界の住人ってのは化物じみてるよな。
「交渉を拒否するために決まっているだろ。ウルフェの身柄を得ることは『俺』を助けることが前提条件のはずだ。なら今『俺』が死ねば交渉は成り立たない」
「いやいや、思い切りが良すぎませんか!?命大事ですよ!?」
「ニールリャテス、その男は自分の価値を理解しているだけに過ぎん」
ここにきてようやく碧の魔王が口を開いた。声までマリトにそっくりなのか。だがその表情には僅かながらに苛立ちが見える。なるほど、思った以上に気が短そうな魔王だ。
「お前が思っている価値とは違うがな」
「貴様がアレに何を見出そうと知ったことではない。ニールリャテス、その男を拘束したまま連れて行け。交渉が成り立った後で死なれようとも俺には関係のないことだ」
「はぁーい!ダメですよぉ?せっかく救われた命なんですから、大切にしなきゃです」
ニールリャテスの力は強く速い。舌を噛み切ろうにも防がれるだろう。流石に舌を噛み切る度胸があるかと言われると悩ましいが。とはいえこのまま素直に交渉を済ませたいとは思わない。
「なら交渉の内容を変えてもらおうか」
「貴方さっきから無茶苦茶ですね!?」
「当たり前だ。赤の他人の人生ならまだしも、護りたい相手の人生を早々狂わされてたまるか」
「気持ちは分かりますけども、それはそれ、これはこれですよ?」
「構わん」
「えっ」
「俺は奴らの提示した条件を受け入れただけのこと。貴様がそれ以上の対価を差し出せるというのであれば、聞く耳くらいは持つ」
やはり『金』から聞かされていた通りか。碧の魔王が傲慢に見えるのは自分の優位性を正しく理解しているからだ。実際に自分に利があるのであれば提案や交渉もでき、そのテーブルでは対等な価値を求める誠実さがある。だからと言って面倒な相手であることには違いない。碧の魔王にとって真に価値を見出せる交渉材料がなければ、いかなる口八丁でも取り付く島がないわけだからな。
「いくつか質問をしたい」
「それに答える必要がどこにある」
「あんたじゃない。そっちの魔族、ニールリャテスにだ」
「え、私ですか?ちょっと!我が王を差し置いて――」
「構わん」
「えっ」
「ニールリャテス、お前の判断の範囲で答えてやれ」
「……ははぁ、わかりました!」
今この魔族、悪い顔をしやがったな。まあ、おおよその展開は読めている。『俺』の目的としてアレの確認が取れればいいわけだしな。ニールリャテスは少しだけ考える素振りを見せた後、こちらに向き直る。
「それじゃあ質問いいか?」
「いえ、明確に質疑応答に関するルールを設けましょう!まず我が王に関する質問は却下です。次に我が王をいつまでも待たせることは失礼なので質問は三つまでとさせていただきます」
「わかりやすい嫌がらせだな」
「私の判断の範囲と言われましたからね。さぁさぁ、どうぞどうぞ?」
こいつ、ちょっと愉しんでやがるな。だがこういう展開を踏まえた上で、情報を引き出せるものならやってみろってのが碧の魔王の考えなのだろう。
「ま、別にそのルールで問題はない。『俺』が聞きたいのはお前個人に関する質問だ」
「性感帯なら首ですが」
「一生要らない情報ありがとう」
「酷い!?まぁ……私個人の範囲なら拒否する理由もありませんね。私こうみえて自分のことを知って欲しい願望強いので」
「それも要らない情報だな。まず一つ目の質問だ。お前は唯一の魔族と言ったが、他に魔族はいないのか?」
「いませんね。昔はいましたが、ほとんどが我が王のお怒りを受けて殉職されましたねー。おかげで私と我が王の二人きりの幸せな世界が築けておりますとも!」
自分の魔族であろうとも、機嫌が悪くなれば躊躇なくか。このニールリャテスの性格からして、それなりに折檻は受けていそうなものだが……しぶといんだろうな。
「二つ目の質問だ。碧の魔王は普段眠っていると聞いている。その間お前がずっとこの場所を管理しているのか?」
「それはもちろん。魔界の管理からこの城のお掃除まで、魔族になってから一日たりとも欠かしたことはありませんとも!」
ここ城なのか、ファンタジー要素薄いせいで実感がわかないんだが。魔界の様子も色々と違っていそうだ。
「最後の質問は……」
「おや、何かお悩みで?」
「いや、正直お前のことで知りたいことが思いつかない」
「本当に酷い人ですね!?面と向かって言いますか!?そりゃあ私の心は全て我が王に捧げていますけど、殿方にそんな態度を取られると乙女心が傷つきますよ!?」
「じゃあお前が普段暇潰しに書いている碧の魔王への想いを綴ったポエムの一節でも教えてくれ」
「嫌ですよ!?なんで我が王の前で朗読させられなきゃならないんですか!?」
「書いているのか……」
「はっ!?何という高度な誘導尋問!?」
二つ目の質問の答えの時点で欲しい情報は全て手に入った。二つ目の答え方次第では三つ目にもう少し掘り下げるつもりではあったんだがな。
「それじゃあ質問は終わりだな」
「私が言うのもなんですが、まともな質問をしていませんよね?そんなので我が王が認めるような交渉材料が思いつくのですか?」
「お前達を裏切った魔族の首とかはどうだ?」
ニールリャテスのふざけた顔つきが急に真剣さを帯びる。碧の魔王は……表情に変化は見られないが、『俺』を見る眼に僅かながらに力が入っている。
「我が王よ、私からこの者に問いを投げかけることをお許しください」
「許す」
「ありがとうございます。その内容に辿り着いた経緯を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「十年程前だったか、ターイズにワイバーンなどの魔物を引き連れた魔族の襲来があった。ターイズ魔界の魔物を従えられる魔族ともなれば、碧の魔王の配下で間違いはないだろう。ニールリャテス、お前は魔族になってからこの魔界を出たことがないと言っていた。つまりお前はターイズを襲った魔族ではないということだ。そして現在この魔界には魔族はお前一人しかいない」
他の魔族のほとんどは碧の魔王によって処分された。だがほとんどということは例外もいるということになる。
「質問の目的は私がそうであるかどうかの確認だったというわけですね。ですがその魔族が既に我が王に処分されているとは考えなかったのですか?」
「心当たりがあるんでな。『俺』達が落とし子の存在を知ったのは、レイティスと呼ばれる宗教団体を隠れ蓑に行動している連中が落とし子を探しているということを嗅ぎつけたからだ。ならそのレイティスはどうやって落とし子の存在を知ったのか。碧の魔王の魔族が関わっていれば簡単だろ?」
「ターイズを襲った者は表向き、討伐されたと広まっているはずです」
「それがレイティスのそれなりの立場の奴が言ってたんだよ、ターイズを襲った魔族は生きているってな。なら今もなおレイティスと関りがあると考えるべきだろう」
リティアルの言葉を信じればという話だが、信じる要素はそれなりにある。レイティスの目的がなんであれ、その過程にあるのは落とし子を捜索することだ。ならば落とし子に詳しい碧の魔王の魔族が協力している可能性は大いにある。
「何故その魔族が我々を裏切ったと考えるのですか?」
「お前が言っただろ、唯一のって。命令を受けて動いているのであれば他にもいると言えば良いだけだ。それがお前の茶目っ気からきた適当な発言だったとして、この城に二人きりということはだ。お前らは落とし子を集めてはいない。レイティスがそれなりの数の落とし子を見つけているのなら一人や二人こういう部屋で実験にでも使えるようにしてあるだろ?」
ここは何かしらの研究室。確認したが、『俺』を治療していたカプセルの周囲には除けられた植物の蔦のようなものがある。そして他のカプセルにはそれらの植物が這ったままだ。つまり『俺』の治療を行うまで、この部屋は長いこと使われていなかったと考えられる。
「そうなるとレイティスに協力している魔族とお前らは、まともに連絡を取り合っている間柄にはない。だが碧の魔王との主従関係を考えればそれはおかしい。考えられるのはその魔族が独断で行動しているということだ」
「……三人の魔王を懐柔したというだけはありますね」
「現状人手不足でその魔族を始末することができない。碧の魔王が直接出向くわけにもいかないだろうしな。それを代わりにやってやる。王を裏切り、面子を潰した逆賊の首なら十分価値はあると思うがな」
一番の切り札ともなれば暗部君の存在なのだろうが、アレを敵に回すことはできない。そもそも暗部君がターイズにいると知れば、ターイズに碧の魔王が攻め込むかもしれないからな。有用な者の登用と不要な者の処分、単純な利点だけで考えれば前者の方が価値はあるだろう。だが碧の魔王の性格からして、純粋な利だけを求めるというわけではないはず。
「――良いだろう。その条件を満たせば貴様の命を救った対価として認める」
碧の魔王はそれだけを言って、この部屋を去って行った。
次回の更新は多分四日後となります。




