だから代わりに。
同胞の身に起きた一件を知り、俺は『蒼』と共に碧の魔王の元へと向かうこととなった。三人の魔王とデュヴレオリ、それにラクラ、イリアス、ウルフェ、ミクスのいつもの面子。それにもう一人、同伴者がいる。ターイズ騎士団、レアノー隊に所属するケイールという若い騎士だ。
「……こ、高度高すぎませんか?」
「低すぎてはダルアゲスティアが十分な飛行ができないからな」
「そ、そうですよね……」
ケイールはマリトによってイリアス達の監視として抜擢された。実力は未熟でも、ケイールにはそれを補う特技があると言っていた。マリトの言うことならばと疑う者はいなかったが、既にケイールはこの場にいる全員に対して恐縮してしまっている。
「エクドイク、そろそろガーネ魔界とターイズ魔界の境界が見えてくるわ。周囲への警戒を忘れないようにね」
ターイズから直接ターイズ魔界に向かうことはできない。その道中に『黒魔王殺しの山』があるからだ。そこに巣食う魔喰の索敵範囲や攻撃範囲を知る者はいない。緋の魔王、そして黒の魔王すら捕食する最悪の魔物に感知されるリスクを避けなければならず、一度ガーネ領土へ向かい、ガーネ魔界からターイズ魔界へと進むこととなった。
「ターイズ魔界はどういった場所なんだ?過去人間がターイズ魔界に足を踏み入れたことはない。事前の情報があれば今のうちに共有しておきたい」
「妾達もその全貌は知らぬ。じゃが、見れば直ぐに異質であることくらいは理解できるじゃろ」
「それはどういう――」
そこまで口にして、その実態を理解できた。視線の先には巨大な森が見える。メジス魔界、ガーネ魔界、クアマ魔界はどれも寂れた荒野といった感じだった。しかしターイズ魔界には夥しいほどの植物が実っている。
「はえー。魔界にも普通の植物が生成されるのですな」
「普通ではないわね?もう少し進めばわかるわ?」
首を傾げるミクスをよそに、ダルアゲスティアはターイズ魔界の境界へと飛行していく。そして境界を……境界を……。
「これは……」
ダルアゲスティアの速度は一定のまま、目測ではもう到着すると思っていたのだが未だ境界には辿り着いていない。そのことが指すのは、それは遠くから観測していた森が徐々に大きくなっていくことを意味していた。明らかに大きさが違う。普通の樹木の十倍はあるだろう。
「ターイズ魔界には植物が存在するわ。でもその大きさは人間界にあるものとは比較にならないほど大きいの。『碧』の魔力の影響なのだろうけど……ダルアゲスティア、もっと高度を上げて!」
「ロロォ!」
ダルアゲスティアがさらに高度を上げ進む。木々を越えたことで我々はターイズ魔界へと入ったのだと実感する。大気中の魔力は他の魔界と比べ、遥かに濃い。もしもこの場で体を覆う結界が途切れれば、たちまち身体に害を受けることになるだろう。
「……地面に対し、平行に飛んでいるってわけではないのですよね?」
「ええ。今私達は高度を上げながら進んでいるわ。この魔界の植物は中心へと向かえば向かうほど巨大になっているわ」
「中心……」
「『碧』の城がある場所ね。ほんと、デカければ良いってものじゃないわ!」
「ロ、ロロォ……」
これほどの巨大な樹木が生い茂っていれば大地付近は常に暗闇。隆起する根すら城壁を越えるのと変わらない。徒歩での移動は相当困難なものとなるだろう。ダルアゲスティアを使わなければ真っ直ぐ進むことすら……。
「魔物の姿が見えないな」
「一応いるわよ、降りればね。どれも大きいから相手なんかしたくないわ。ただワイバーンのような飛行型の魔物はひょっこり出てくるかもしれないわね。まあダルアゲスティアほど大きな魔物に襲い掛かるほど無謀な魔物はそうそういないわよ」
「それもそうか」
「力を持つ魔物は中央の方に縄張りを持っておるらしいからの。もう暫くは平和じゃろ」
この森はどこまで巨大になるのか、もしかすれば際限などないのではと考えたくなってくる。イリアス達も初めて見る光景に圧倒されているのがわかる。余裕を見せているのは三人の魔王とデュヴレオリくらいだろう。
「ところで『金』、貴方ああなるって分かって私と一緒に向かったのよね?」
「ターイズ王からは事前に言われておったからの」
「……あんな茶番、趣味が悪いわ?」
「そうでもしなければお主を冷静にさせられんからの。デュヴレオリが諫め役とは知らんかったがの」
「本当かしら?ガーネに侵攻しておけば良かったわ」
「そうなれば、あやつとは敵のままだったかもしれんがの」
「それはそれで新しい出会いがあったと思うわ?」
「魔王ってロクな奴がいないわね」
「貴方が言う?」
「お主が言うかの?」
「なによ!?」
国を統治する者、望み続ける者、闘い続ける者。魔王にも個性はある。ならば碧の魔王とは一体どのような人物なのか。
「『蒼』、碧の魔王はどういった人物なんだ?」
「……そうね、傲慢なターイズ王と言うべきかしら」
「あーそうじゃの。しっくりくるの」
「しっくりくるわね」
「傲慢な兄様……それはそれで……」
「ただ容赦のなさは筋金入りね?私も『蒼』も、『碧』には一度殺されかかったわ?」
「今思えば酷いとばっちりよね」
話によれば、ユグラの元で各々が力を与えられている時、魔王達は些細なことで諍いを起こしていた。特に緋の魔王と碧の魔王はソリが合わず、殺し合いにも発展したらしい。それに巻き込まれた『蒼』と紫の魔王は緋の魔王共々瀕死の状態に追い込まれた。ユグラと黒の魔王の介入がなければ間違いなく死んでいたとのこと。
「あの緋の魔王を……」
「現存している魔王では間違いなく最強ね。放っておけば敵にならないだけ『緋』よりはマシだとは思うけど、付き合いを続ける相手としては一番嫌なタイプね」
「『碧』が『黒』とやり合った時は、皆もれなく死ぬと思ったの」
「あの時ばかりはユグラに感謝したわね?」
いまいち要領を得ないが、気難しい相手であることは間違いないようだ。はたしてこれからの交渉が穏便に済むのだろうか。いや、そもそも碧の魔王の元まで無事に辿り着けるのだろうか。
「――何かがくるぞ」
明確な敵意が向けられる。視界の先の森から巨大な影が飛翔してくるのを確認できた。かつてガーネ城で見せられた映像、それを見ていてもなおその姿には圧倒される。
「ド、ドラゴン!?」
その大きさはダルアゲスティアよりはやや小ぶりではあるが、それでも他の魔界では見たこともないようなサイズの魔物だ。現れたドラゴンは自らの縄張りに現れた俺達を歓迎するつもりはない様子。
「落ち着けケイール。確かに強力な魔物であることには違いないが、対処できぬ相手ではない」
「そうよ。ダルアゲスティア、邪魔をするってんなら格の差を思い知らせてあげなさい!」
「ロロロロオォッ!」
ダルアゲスティアは目の前に現れたドラゴンに怯むことなく突撃する。俺は乗っている者達が振り落とされぬように、鎖で体とダルアゲスティアの骨を結びつける。紫の魔王は自分の装備している悪魔を使い、デュヴレオリが傍で障壁を張っている。
空中でダルアゲスティアとドラゴンが激しくぶつかり合う。互いに爪や牙をぶつけ合い、その都度にこちら側に大きな振動が伝わってくる。
「グアアアッ!」
「ロロロロォッ!」
体格差はほぼ互角でも、ダルアゲスティアはユニーククラスを超えた魔物。地力の差は圧倒的にこちらが有利だ。ダルアゲスティアの振るった腕がドラゴンの頭部を捉え、ドラゴンは大地へと落下していく。
「ふんっ!どんなもんよ!ダルアゲスティアをただのスケルトンドラゴンと思ってもらっちゃ迷惑よ!」
「『蒼』も随分と物騒な魔物を従えたものじゃな。デュヴレオリとどっちが強いかの?」
「だ、そうよデュヴレオリ?」
紫の魔王に視線を向けられ、デュヴレオリの体が僅かに動く。話によればデュヴレオリは紫の魔王の命令を無視してその前に立ちはだかった。そのことに対して罪の意識があるのだろうか、ここまで一言も口を聞いていなかった。
「……」
「あら?答える気もないのかしら?」
「……いえ、確かにこのダルアゲスティアの力は強大です。純粋な力比べでは私にも勝るでしょう」
「そう、勝てないということかしら?」
「必要があるのであれば、それを成すことは可能です」
「――だ、そうよ?」
「そう、じゃあ今度競わせてみる?ダルアゲスティアの方が強いに決まっているわ!」
「それはどうかしらね?」
「お主ら、対抗意識を持っている場合ではないぞ?」
金の魔王の言う通り、先程のドラゴンが墜落した後、次々と森の中からドラゴンが現れ始める。数は十体以上、その中にはダルアゲスティアと同等の大きさもある個体も見られる。
「近場の同類がやられていきり立っている感じだな。突破できそうか?」
「誰に言っているのよ?余裕よね、ダルアゲスティア?」
「ロロロォ!」
ダルアゲスティアは咆哮を上げ、ドラゴン達へと牽制を行う。この様子ならば俺達がサポートに回る必要もない――
「ゴオォァッ!」
「……突破できそうか?」
「……だ、大丈夫よ」
ダルアゲスティアの咆哮に反応してか、さらに多くのドラゴンが森から飛び上がってくる。そしてその中、ダルアゲスティアよりも遥かに巨大なドラゴンが姿を現した。
◇
森が騒がしい、どうやらこのターイズ魔界に来客があったようだ。魔界の木々を通してその様子を遠視する。
「骨のドラゴン……その背に乗っているのは……おやおや」
詳しい容姿を聞いたことはなかったが、感じられる魔力の波長からして間違いなく他の魔王がいる。それも一人ではない。ただの部外者ならば私一人で処理しても良かったのだけれども……流石に王に話を通しておくとしよう。
回廊を進み、我が王の眠る寝室へと向かう。よほどのことがなければ声を掛けるだけでも不機嫌になる方ではあるが、流石に魔王が現れたとなれば話くらいは聞いてくれるだろう。
「王よ、お眠りのところ失礼します」
扉を開き、中の様子を確認する。脈動する樹木の奥、天蓋の布に覆われたベッドから覗くシルエットに動きが見える。
「――俺の眠りを妨げるか、ニールリャテス」
怒気を孕んだ声が寝室に響く。やはり我が王は恐ろしい。返答一つ間違えれば、魔族である私でさえ躊躇なく殺すだろう。だが、それが素敵なのだ。
「ターイズ魔界に侵入者が現れました。その中には魔王の姿があります。金の魔王、蒼の魔王、紫の魔王と勢ぞろいのようです」
「それがどうした」
ありゃ、ダメだこりゃ。私死ぬかも。
「だ、だってぇ!久々に珍しい報告ができると思ったんですよぉ!?」
「一々死を悟った程度で喚くな。苗床にされたいか」
「喚きますよぉっ!?そしてされたくないですぅ!?」
「……城に辿り着くようならば案内しろ。それまでは放置で構わん」
あ、寝なおした。へへ、どうやら私は今日も生き延びられたようだね!ハッピー!うんうん、このいつ死ぬかも分からないスリル、堪らないよねぇー!……とと、悦に浸っている場合じゃなかった。
「ではそのように」
一礼して寝室を後にする。同じ魔王同士だというのに、我が王は微塵も興味を示さない模様。実際魔王と言っても我が王は言葉通りに規格外の存在だから仕方ないと言えば仕方ない。黒の魔王が存在しない今、その気になれば人間はおろか、他の魔王も容易く淘汰できる理を超えた力を振るうことができるのが我が王だ。それゆえに我が王はほとんどのことに興味を示さない。だから眠り続ける。自らの夢以上に興味を惹かれる存在が現れるまで。
「うーん。どうしましょうかね。せっかく我が王が目覚めてくれそうな出来事が起きそうな予感がするわけですし……まあ、近くまで来たら迎えに行くくらいは?」
◇
「はああぁっ!」
ダルアゲスティアの背を蹴り、上空のドラゴンへと剣を振るう。普通に斬りつけたところでその刃が抉れるのは微々たる範囲に過ぎない。剣先へ魔力を集中させ、魔力の刃を構築して切断面積を広げる。ドラゴンの皮膚は岩よりも数段堅いが、魔力強化といった技法などは一切使用していない。それならばダメージを与えることは十分に可能だ。翼を斬り落とし、落下していくドラゴンを足場にダルアゲスティアの方へと跳躍する。距離が足りない分はエクドイクの鎖に引っ張ってもらい補う。
「イリアス、いけそうか?」
「問題ない。数も多いが、あのデカいのは流石にぶつかりたくないな」
「同感だ。背中の近くで腕を振るわれたら全員落とされかねない」
「ダルアゲスティアなら負けないと思うわよ!」
「負けなくとも巻き込まれる俺達が辛いからな。ラクラとデュヴレオリはそのまま背中に乗っている者達の守りを任せる。ミクスは周囲の動きの変化を注視していてくれ」
「ナイフではあのサイズのドラゴンの処理はなかなか辛いところですからな……」
「イリアス、ウルフェ、俺達であの一際大きなドラゴンを対処――」
エクドイクが仕掛ける準備をしている間に、ウルフェが単身で巨大なドラゴンへと飛び掛かる。魔力放出を使っているウルフェならば空中であろうとも距離を自由に詰めることができるが、流石に強引過ぎる。
「ウルフェッ!もう少し距離を詰めてから――」
「邪魔……するなぁっ!」
巨大なドラゴンからすればウルフェの体は人間でいう羽虫と変わらない。だがそんなウルフェの拳がドラゴンの腹部に命中するのと同時に、ドラゴンの腹部が大きくへこむ。私が魔力で剣先を伸ばしたのと同じ方法で、ウルフェは拳の衝撃の範囲を大きく拡大してみせたのだ。胴体の半分以上をへこまされるほどの衝撃を受けたドラゴンは苦痛と怒りに吠え、ウルフェへと巨大な腕を振り下ろす。ウルフェはすかさず拳をその方向へと振るう。
「アアアアッ!」
衝突と同時にドラゴンの腕が爆ぜる。血しぶきと共に膨大な魔力の奔流がこちらまで流れてくる。これは……ハークドックが使っていた技に似ている。だがその規模が遥かに大きい。一連の流れを確認したエクドイクが鎖を引っ張り、ウルフェをこちら側へと引き戻す。ウルフェの全身はドラゴンの血で染まっていた。
「強引過ぎるぞウルフェ、相手の力量を正しく計ってから――」
「大丈夫です!ウルフェは負けません!」
ウルフェの眼はいつも以上にぎらついている。闘志、というには何かが違う。彼のために戦おうとしている意志は感じられるが、どこか必死になり過ぎているような気がする。
ウルフェが再度ドラゴンへと飛び掛かろうとすると、エクドイクが鎖を使ってウルフェを拘束する。
「ッ!?エクドイクさんっ!?」
「冷静になれ。あのドラゴンをよく見ろ」
片腕を失ったドラゴンは唸りこそ上げているが、こちらに襲い掛かる様子はない。暫くこちらを睨んでいたが、やがて背を向けて森の中へと降下していった。一番巨大な個体が逃亡したことで、他のドラゴン達も同様に逃げ出していく。
「……」
「ウルフェ、お前ならあのドラゴンの戦意がなくなったことくらい分かっただろう。戦う意志を奮わせることは大事だが、余裕を失っては意味がない」
「でも、また襲ってくるかもしれないです!」
「……怯えるな、ウルフェ」
「怯えてなんかいません!」
「今のお前は怯えた獣と変わらない。緋の魔王に敗北したことをいつまでも引きずるな」
「――ッ!」
エクドイクの言葉にウルフェは俯き、黙ってしまう。やはりそうか、ウルフェは緋の魔王との戦いで心に深い疵を残してしまっている。あの時私は緋の魔王の『闘争』の力により、闘う能力を奪われた。その影響もあってか私は今、闘うことに関して一歩下がってしまっているような実感が残っている。亜人であるウルフェはそれ以上に強い影響を受け、本能的な恐怖をも刷り込まれてしまったのだろう。
「お前が万全じゃないことは理解している。だがそれでも俺達にはお前の力が必要だ。同胞のようにとはいかなくとも、俺が補佐をする。不満はあるかもしれないが、今は耐えてくれ」
「……はい」
本来ならば私が気づくべきだった。私がその言葉を投げかけてやるべきだったのだ。彼がいなくなったからと、重篤になったからと心を曇らせて、周りの者達の不安を放置していた。呼吸を整え、剣を握り直す。そうだ、陛下は私に彼の代わりを命じたではないか。彼のいない今こそ、私がウルフェ達を護らねばならないのだ。
「エクドイク、感謝する」
「急にどうした?」
「ようやく剣の鈍りが治りそうだ。私も彼の代わりとして努める、協力してくれ」
「……ああ、勿論だ」
それにしても今のエクドイクは以前と違い、どこか余裕があるように感じられる。メジスで何かあったのだろうか、母親の件は上手く片付いたようだが……他にも何かあるような気がする。
気合を入れ直したところで、森から新たなドラゴンの群れが現れる。先程とは違う群れのようだが、やはり一体だけかなり巨大なドラゴンの姿がある。心なしか先程の群れよりも全体的に体が大きく感じる。大きさで言えば圧倒されるかもしれないが、不思議と恐怖はない。