だから立ち塞がる。
彼が見つかった。その報告を聞き、すぐさまその場に向かおうとした。しかしラグドー卿は私が彼に会いに向かうのを禁じた。ラグドー卿はその意図を包み隠さずに私に言った。
『イリアス、お前は護れなかったことを必ず後悔する。隊長として騎士が剣を手放してしまうようなことはさせられない』
その言葉に私は返す言葉が無かった。彼が見つかるまでの間、常に自分の未熟さを痛感していた。緋の魔王との一戦後でさえ、これまでないほどに後悔していた。もし今彼の惨状を眼にしたら、私は一体どこまで堕ちてしまうのだろう。
ウルフェもまた、私と違った形でショックを受けている。飛び出そうとしたところを、ラグドー卿と一緒に現れたグラドナによって取り押さえられた。
『ウル坊、行ってお前に何ができる。医者の邪魔をするだけだ』
グラドナの冷たい視線を見たのはアレが初めてだが、ウルフェも私も容易く突き放された。彼に会いたい、だが邪魔にしかならない。会うことすら許されないというのがこれほどまでに堪えるとは。その事実は私達にとって非常に辛い現実を突きつけてきた。
ウルフェは鍛錬どころではなくなり、一人で部屋に籠っている。私も騎士としての仕事がなければ同じようにしていただろう。ターイズ城の敷地内で彼のいると思われる部屋を見上げる。
「すぐそこにいるというのに……」
彼に会うことができないのは私達だけではない。エクドイク達にも連絡はいったが、同様の措置となっている。ミクス様でさえ会うことが禁じられているのだ。彼の情報が回ってきてから顔を合わせてはいないが、どれほど心配していることか。
鍛錬する気持ちにはなれないと、心が定まらぬまま武具の整備を続けているとターイズ城の入口が何やら騒がしい。日頃の習慣から考えずとも体がその方向へと進む。
「あれは……金の魔王と紫の魔王?」
私にも連絡がきたのだ。彼女達にも伝わっているのは当然のことだろう。二人は騎士達と揉めている様子。理由はおいそれとわかるが……。
「だからどうして『金』だけが良くて、私がダメなのかしら?」
「陛下のご命令です」
「私は理由を聞いているのよ?」
「……『紫』、少し落ち着かぬか。お主は――」
「貴方は黙っていて!」
紫の魔王の剣幕に金の魔王は圧されている。いつもの紫の魔王とは明らかに様子が違う。彼女もまた彼のことを本気で心配しているのだろう。ラグドー卿が私達に会わないように命じた理由と同じ、いや魔王としての立場を考えればそれ以上に複雑な理由だというのは私にもわかる。金の魔王はため息交じりに騎士の方へと視線を向ける。
「……のう、コレを止めることは妾には無理じゃ。奥には手練れがおるのじゃろ?進ませてやってはどうじゃ?」
「我々はこの場を護る騎士として、役目を果たさなければなりません」
「そう?ならいいわ?話が通じないというのであれば、取るべき手段は一つよね?」
怒気が殺気に変わったのを感じた。私は何をぼんやりと眺めていたのか、すぐさま剣を手に取り接近する。しかしそれよりも早く、紫の魔王の衣服から巨大な腕が出現して騎士達を薙ぎ払った。視線で壁に叩つけられた騎士達を確認する。防御が間に合い、命の危険にはいたっていない。だがそれでも今の紫の魔王の一撃は一切の躊躇もなく騎士達を殺めようとしたものだ。
「待てっ!ここで暴れたらどうなると思っている!?」
「おお、イリアスか。丁度良かった。コレ止めてくれんかの?」
「言われなくとも。紫の魔王、お前が向かったところでどうする!?」
「――だから何?私は彼に会いたいの。それを何故他人に止められなければならないの?彼を護ることすらできなかった貴方には、私を止める権利があるというの?」
「それ……は……」
彼に会いたいという紫の魔王の気持ちは、痛いほど理解できているつもりだ。私の言葉では絶対に諦めることはないだろう。ならばどうする?私は紫の魔王を斬らねばならないのか?彼がそれを知ったら、どう思うだろうか。剣を握る手が、思うように上がらない。
「いや、あるじゃろ。ここターイズの敷地内じゃぞ」
「煩いわね」
紫の魔王の衣類となっている悪魔の腕が金の魔王を跳ね飛ばす。金の魔王はこちらの方へと飛ばされ、思わず受け止める。
「おい、金の魔王!防御結界はどうした!?」
「張っておる。『紫』め、足場ごと妾を投げおった」
金の魔王の立っていた場所はごっそりと抉れていた。確かに足場への攻撃ならば金の魔王の結界は正しく機能しない。本人へのダメージはなくとも、跳ね飛ばすくらいはできるだろう。紫の魔王はこちらを一瞥することもなく、城内へと入っていく。
「っ!止めなければ!」
「はぁ……イリアス、御主随分と腑抜けておるの」
「なんだと!?」
「対応がいちいち後手に回っておるではないか。そんなていたらくでは『紫』に後れを取るだけじゃ」
「そんなことは――」
「もうよい。ターイズ王はこうなることくらい想定ずみじゃ。ほっ、と」
金の魔王は私の腕から降り、歩き出す。そこに急ぐような素振りは全く感じられない。
「お勤めご苦労。誰か呼んだ方が良いかの?」
「いえ……自分達で治療できます」
「損な役回りじゃの。イリアス、お主もついてこんか。妾はあまりこういった膳立ては好かぬからな」
「……?」
金の魔王に言われるがまま共に移動する。確かに紫の魔王が彼のことを知れば、こうなることは明らかだ。この場を護る騎士達もこうなることを予期していたかのように、的確に防御していた。しかし陛下といえ、言葉で紫の魔王を止めることはできないはず。ならばこの先にいるのは……。
「これは……何の真似かしら?」
進んだ先の通路で紫の魔王を見つける。その先にいたのは予想通り、ラグドー卿の姿。しかしラグドー卿は紫の魔王の道を遮るような位置にはおらず、代わりに立っていたのはデュヴレオリだった。
「見たままの通りです。今のあの人間と主様を会わせることはできません」
「デュヴレオリ。貴方は今何をしているのか、その自覚はあるの?」
紫の魔王の傍には常にデュヴレオリの姿があることを失念していた。だが気配さえなくとも、紫の魔王の影に潜んでいると思うのが自然だろう。それが何故、このようなことになっているのか。ラグドー卿はそんな二人の様子を静かに見守っている。
「あの人間の姿を見れば、主様はきっと正気ではいられません。怒りに囚われ、魔王として人間の敵になることでしょう」
「それが何?」
「私はそれを防がねばなりません」
「……わけが分からないわね?」
「分からないのであれば、なおさらです」
紫の魔王は躊躇することなく、デュヴレオリに攻撃を仕掛ける。デュヴレオリはその場から動くことなくその攻撃を受け止めた。
「邪魔よ、どいて」
「できません」
紫の魔王の衣服、宝石から夥しい数の刃が突き出し、デュヴレオリへと突き立てられる。しかしそれでもデュヴレオリは微動だにせず、その場から動かない。
「――ッ!どきなさいって言っているでしょ!?」
「できません。主様はあの人間に全てを捧げた。主様はあの人間の望む紫の魔王であろうとしていた。その意思を私は尊重しなくてはなりません」
自身への絶対的服従を理解していたからこそ、紫の魔王は自身の持てる力を注いでデュヴレオリをその域へと到達させたのだ。紫の魔王の力ではデュヴレオリを倒すことは不可能。そのデュヴレオリが道を譲らぬ以上、この先に進むことは到底できないだろう。
「……お願いだから、どいて」
「できません。私は貴方を護る身。身も心も、未来をも護らねばならないのです。そのためならば、主様のお怒り、この身が果てるまで受け止めさせていただきます」
「私は……ただ彼に会いたいだけなの……」
「あの人間の考えていることを、私は理解しきれていません。しかし、主様が人間の敵となることをあの人間は望まないということくらいは理解しております。私は主様があの人間に失望されてしまうようなことをさせるわけにはいきません。主様が最も避けねばならないことだと、知っているのですから」
「……」
紫の魔王はその場に膝をつく。怒気や殺気は既になく、ただただ哀愁だけが彼女の表情に現れていた。
「終わったか」
「――陛下!?」
いつからその場を見ていたのか、私の背後から陛下が歩いてくる。私には目もくれず、金の魔王へと近づいていく。
「趣味が悪いの、ターイズ王。あやつの真似事のつもりか?」
「そんなつもりはない。だが金の魔王、お前には友の容態を確認してもらいたい」
「――人間では手の打ちようがないということか。良かろう」
二人はラグドー卿と共に奥へと進んでいく。紫の魔王はそんな光景に目を囚われることなく、一人で虚空を眺め続けている。デュヴレオリはそんな紫の魔王を悲痛そうな顔で見つめていた。
「デュヴレオリ、お前は……」
「イリアス、私は主様を護るためだけに存在している。ここで私が主様を通してしまえばサルベットだけではなく、周囲に潜んでいる全ての騎士を敵に回していた。場合によってはあのマリトの背後にいる男もだ」
「何故それを――」
「私が取ろうとした行動を話した時、マリトが自ら話した。姿は見えなかったが、その片鱗を感じただけで私に太刀打ちできる者ではないことくらいは嗅ぎ取れた」
その意図の中に、デュヴレオリが紫の魔王の命令に従うかもしれないという危険性を抑える目的もあったのだろうが……それでも陛下はデュヴレオリのことを信用したのだろう。
「……彼を見つけてくれて、ありがとう。デュヴレオリ」
「私は主様の命令を遂行しただけに過ぎん。そして今回も、そうだ」
いつもは表情に乏しいデュヴレオリだが、今ばかりはその心境が理解できる気がする。それほどまでに、この大悪魔の顔は人間味に溢れている。これ以上投げかける言葉もなく立ち尽くしていると、陛下達が戻ってくる。いつも飄々としている金の魔王の表情がかなり険しい。
「それで、どうだ。金の魔王」
「あやつをあそこまで追い込んだ者にも怒りは沸くが、妾なら大丈夫だと思ったお主にも大分不満があるの」
「比較的まともな者を選んだまでだ」
「まあ……そうじゃな。正直妾達では手の施しようがない」
「魔族化させることで延命させることはできないのか?」
陛下の発言に思わずビクリとした。彼が魔族になることを良しとしない陛下がそんなことを口にするほど、今の状況は切羽詰まっているというのか。
「無理じゃな。本人の意志がない以上、契約はできぬ。あったとしてもあやつが応じるとは思えんしの。じゃが手段を問わねば可能な方法に心当たりはある」
「あるのか!?可能性があるのであれば、手段を問いている場合ではない!」
「お主が反対しても、妾の方でやるつもりではあるがの。ほれ『紫』、いつまで呆けておるんじゃ。急いで支度をせぬか」
「……支度?」
「あやつの容態じゃが、妾達ではまず治せぬ。しかしの、一人おるじゃろ。生物そのものを支配できる者が。交渉材料は一人でも多い方が良い。『蒼』も呼び戻さねばならぬ」
「……そう、アレに頼るのね?」
「金の魔王、第三者にも分かりやすいように話せ」
「ユグラより『繁栄』の力を授かった魔王の一人、碧の魔王と交渉する」
碧の魔王。ターイズに隣接するターイズ魔界、そこに君臨する魔王。碧の魔王本人に人間への敵対心はないと聞いていたが、その魔界から溢れ出る魔物の被害はターイズの歴史の中に何度も刻まれている。そして何より、陛下の傍を護る暗部を狙ってターイズに魔族を送り込んだとされる張本人だ。
「可能なのか?」
「ユグラに与えられた力は魔法の域を超える。そして『碧』の力は生物への干渉を得意とする。可能性は大いにあると見て良い。『碧』は人の指図はまず受けぬ。じゃが、取引に応じることは多々あった。そこは妾達次第といったところじゃな」
確かに金の魔王の『統治』の力は、魔力的干渉を受けない彼を仮想世界へと送ることができた。碧の魔王の力が生物への干渉ができるというのであれば、瀕死の彼の窮地を救えるかもしれない。
「そうね……『碧』なら生きている者なら誰であろうと……。ターイズの国王、デュヴレオリの腹の中に彼を、私は見ないと約束するわ。見張りとして好きなだけ人数を用意してもいいわよ?」
「まぁ……そうじゃな。『碧』がターイズまで来ることは絶対にないじゃろうから、あやつを連れて行かねばならぬの」
「……良いだろう。こちらの人選は蒼の魔王が到着するまでに整える。ラッツェル卿、話は聞いていたな?」
陛下が私に視線を向ける。それだけだというのに思わず身が竦む。
「は、はい!」
「友の仲間と呼べる者に声を掛けておけ。貴公が纏め役として同伴するのだ」
「私が……」
「思うところはあるだろう。だが最優先なのは友の命だ。貴公ならそれができると信じている」
「……はいっ!」
その翌日、私達は蒼の魔王の配下である魔物、ダルアゲスティアの背に乗ってターイズ魔界へと出発することとなった。