だから言葉がでない。
あの人間が姿を消してからと言うもの、主様が私に命令する言葉は常に同じ。『あの人を連れ戻しなさい』と繰り返すだけ。レイティスに連れ去られた後もその言葉は変わらず、命令を果たせぬ私に対しての落胆すら見せない。その言葉にどれほどの思いが込められているのか、私如きでは推し量ることは叶わないにせよ、この役目を果たすまで主様の元に戻ることはできない。
「ヘイ、デュヴレオリ!ツギハドッチイク?」
「手当たり次第だ。あの人間にせよレイティスにせよ、大気に僅かな残り香さえあれば見つけ出すことは十分に可能だ」
我が『嗅ぎ取る鼻』はあらゆる匂いを嗅ぎ分けられる。それでも発見ができないということは未だ私が訪れていない土地にいる可能性が高い。ターイズ、ガーネ、クアマの三国の捜索は既に終えた。残る国の何れかにいるのは間違いないだろう。
「ジャァツギハメジスカ!アソコケッカイキビシーッテキイタヨ!」
「ユグラ教の聖地がある場所だな。確かにメジスは長年悪魔と戦い続けてきた国だ。悪魔を感知する術は豊富にあるだろうが、それが私の役目を遮る理由にはならない」
「クトウ、ソノヘンノタイショ、デキナイヨ」
「私の腹にでも入っていろ。私の腹の中は特別だ、そう易々と感知はできん」
もしも敵が私の腹に近しい隠匿性を持っている場合、建物に直接近寄らない限り発見することは難しい。だがそんなことは承知の上、全ての国の全ての建物、それを徹底して探せば良いだけのこと。
「やる気のあるところわりーんだが、ちょっといいか?」
「……何の用だ、無色の魔王」
私の背後、最初からそこにいたかのように無色の魔王が存在している。この魔王はそう言うものだと知っていなければ戦闘態勢に入っていただろう。原理は掴めぬが転移魔法のソレと同種、いやそれ以上と見るべきか。
「賢い魔物ってのはありがたいね。緋獣の連中はすーぐ敵意を向けてくるもんだから無視する以外に方法がねーんだわ」
「私としては今貴様と関わる時間も惜しい。貴様はあらゆる相手の敵となる行動が取れぬと聞いている。邪魔をするなら敵と見なす」
無色の魔王は世界に禁忌魔法が広まらぬよう、ユグラによって監視者としての役割を与えられている。いかなる相手でも禁忌に触れれば抹消できるだけの力を与えられた代償として、自らが敵対行動をとることを制限されていると。
「邪魔をするつもりはねーよ。でもさ、突然だけど俺の強さに興味あるんじゃねーの?」
「興味などない」
「あるだろー!?俺今のところ現存する魔王の中で最強だぜ?」
「興味はない」
「持ってくれよー。もしかしたら何か切っ掛けが掴めるかもしれないんだぜ?もしかしたらお前の主様の役に立つかもしれないんだぜ?てなわけで手合わせしようぜ!どっちか一本取ったら終わりでいいからさー、殺さねーからさー!」
この男の意図がまるで読めない。邪魔でしかない。しかし敵と見なせばこの男は私を本気で処分することが可能となるかもしれないのだ。私にこの魔王から逃れる術があるのかと言えば……ならば甚だ不服ではあるが、この魔王の戯れに付き合い早いところ満足してもらう他にない。クトウを『迷う腹』へと格納し、構える。
「……良いだろう。無駄な時間をこれ以上費やしたくない」
「お、いいねぇ!そうこなくっちゃ!ほら、掛かって来いよ!」
どれほど通じるかなど分からない。だがやるからには全力で行う。『駆ける左脚』で一気に距離を詰め、『轟く右脚』を叩きつける。しかし私の右脚が奴の体に届くことはなかった。目の前の空間が割れ、漆黒の闇が広がっている。私と無色の魔王の間には結界のような物が展開されていた。
「身体能力は見事なもんだ。緋獣には劣るが、魔物としちゃあかなり上位だとおもうぜ?でもまあ、直線的過ぎるよなぁ」
闇が広がり、瞬く間に全身が飲まれて行く。痛みはなく、浸食されていると言った感触もない。これはいかなる魔法か。視界は闇に飲まれ、大地の感覚すら失っていく。
「貴様――ッ!」
「攻撃っていうか回避用の魔法なんだけどな、これ。闇で包んだ相手をランダムな場所に吹っ飛ばして、厄介な技を空振りに終わらせる感じの。ああ、心配しなくていいぜ?ガキが風呂に入って上がるよりかは早くこの場所に戻ってこれるんだなこれが。ま、精進しな。そんなんじゃいざって時に大事な奴の傍にいられなくなるからよ?」
理解できない。この魔王は何がしたいと言うのか、これが邪魔でなくて何と言うのか。そう考えていた時、『嗅ぎ取る鼻』が探し求めていた匂いを嗅ぎ取った。
◇
「……」
同胞がレイティスによって連れ去られた。そのことへの不安が募る一方、今の俺にできることは何もない。潜伏系の魔法を習熟しているとはいえ、忍び込む先が分からない以上はどうしようもない。ならばその時がくるまでに尾を引いている案件の対処を済ませ、万全の精神状態を確保しておくべきだろう。
「……」
だが、本心で言えば同胞に相談したい。母親の出来事はともかく、もう一つの方は俺の独断で事を進めるべきなのか。同胞は今もなお命の危険に晒されているかもしれないのだ。もしかすれば……いや、同胞ならば無事くぐり抜けられるに違いない。完全に実力差のある俺達の時でさえも、あれほどうまく立ち回ってみせたのだ。例え相手が俺以上のやり手だとしても緋の魔王を倒した同胞ならば……。
「……」
……そもそもの話、この気まずい空気をどうにかせねばならないのだが。メジスに向かう馬車の中。そこには『蒼』とラクラ、そして母親が静まり返って座っている。母親の治療は無事に終わった。紫の魔王の対応は見事なもので、母親を送り届けて一食分の時間を待たずして完全な治療が終わった。力の再発を抑えるための封印も施し、意識も無事に回復した。後遺症として僅かに視力が落ちたようではあるが、日常生活には大きな支障はでないとのこと。そんな母親をメジスに送り返すために今こうしているわけではあるのだが……。
「……」
馬車の手綱を握る俺の背中に先程からチラチラと三人の視線が突き刺さるのを感じる。どうしろと。こういう時、ハークドックを連れてくれば良かったとしみじみと思う。しかしハークドックは一度クアマに戻り、ジェスタッフと共にクアマの冒険者を使った同胞の捜索を始めている。空気を和ませるためだけに同胞の見つかる可能性を下げるわけにはいかない。ターイズを出て、ガーネの大陸を通り、そろそろメジスの国境に差し掛かると言う場所にまで来ても誰一人言葉を発しない。これは……やはり俺が言葉を投げかけるべきなのだろうか。いや、やはりとはどういう意味だ?『蒼』やラクラではダメだと言いたいのか。むしろ人付き合いの下手さで言えば明らかに俺の方が――
「――お母さん、目の方はどうですか?」
「……ええ。心配を掛けたわね」
最初に口を開いたのはラクラだった。心なしか『蒼』がビクリとした気がした。俺もした。
「視力が落ちているとのことですから、ウッカ様にお願いして視力を矯正する道具を用意してもらいますね」
「大丈夫よ。ちょっと疲れた時くらいの感じだから」
「それを大丈夫とは言いません。そうやって一人で抱え込むから、私を孤児院に預けたりしてしまったんじゃないですか」
「ちょ、ちょっとラクラ。それは言い過ぎじゃ――」
「いいえ、この際ですからハッキリ言います。私はお母さんに謝って欲しくない。だけどお母さんは謝りたいと思っている。だったらいっそ言える文句はハッキリ言わなきゃお互いにスッキリしません。確かに普通の家庭に比べれば違いはありました。ですがそのことを恨めしいと思ったことはありません。仮に言葉にできない不満があったとしても、産んでくださったことの感謝はそれを大きく上回っています」
「……そう……なのね」
ラクラの言葉には同感できる。俺の人生はまともと言えるものではなかったのかもしれない。だが同胞に出会え、『蒼』に手を差し伸べることができた。俺はその中で自分の成長を確かに感じることができた。俺が平穏な人間として生まれていれば、この実感を得ることは一生なかっただろう。
「私はもう大人です。自分の人生を謳歌しています」
「でも貴方三十にも近いのに未婚じゃない」
「地味に辛辣っ!?……コホン。結婚が全てじゃありませんよ。それを言ったらエクドイク――兄さんなんてもっと年上じゃないですか」
なぜか俺にまで飛び火した。確かに十八才で成人になるのであれば、二十台前半に結婚する者達は多い。しかし俺はこの年まで魔界暮らしだったわけなんだが……。
「エクドイクには『蒼』さんがいるじゃない?」
「なっ!?ちょ、ちょっと待ってください!?私とエクドイクは魔王と魔族と言う関係であって――」
「でも最期まで傍にあり続けるって……」
「それはそうだけどっ!?」
「二人はまだ交際開始したてくらいですから、そこはあまりつつかないであげてください」
「ラクラッ!?」
「エクドイク、貴方はそこのところどうなの?」
母親にまで話題を振られた以上は何か言うべきなのだが……。これといって気の利いた言葉は思いつかない。思うが儘に言う他ないだろう。
「俺と『蒼』はそういう関係ではない」
「そ、そうよ……」
「ただ俺が『蒼』に人生を捧げただけだ」
「ちょっとぉっ!?」
む、何か違ったか?いや、間違いはないと思うのだが。
「あら、つまりエクドイクの方がお嫁さんということかしら?」
「妙なことを言うな。人間の婚姻とは女の方が男に人生を捧げるものなのか?」
「それは……どうかしら。昔はそう言った風潮が大きかったのだけれど……夫婦の形は人それぞれよね」
「だから私は――」
「ごめんなさいね。ついからかいたくなっちゃった。でも魔王と魔族って響きのわりには、お互いの関係がとても優しく感じたから」
魔族とは魔王の配下、決して逆らえぬ主従の関係にある。だが言われてみれば『蒼』から道具のように扱われたことは一度もない。よく分からないことで怒り、地面に叩きつけられることは多々あるが、それはこちらの落ち度だろうしな。
「支配し支配される関係と言えば、確かにらしくはないな」
「……何よぅ、もっとコキ使われたいの?」
「そう言われると困るところではあるがな。だが同胞のことで時間を割き過ぎて、あまり『蒼』の傍にいてやれないことはすまないと思っている」
「ほんとよ。いっつもどーほーどーほー言ってて、主のことを後回しなんだから」
「そこまで言っているか?」
「言っているわ。飼い犬の鳴き声より多いわ」
「言っていますね。姿を見せた時には必ず」
「そうか……」
そもそもラクラの前に姿を現す時は、同胞と共に行動するためなのだから仕方ないとは思うのだが。実際に指摘されると何とも言えない気持ちになる。項垂れていると母親がくすくすと笑っている声が聞こえてくる。
「良い人に出会えたのね。エクドイクは」
「ああ。同胞は魔界で育った俺をここまで導いてくれた。同胞がいなければ俺は既に死んでいるか、今でも魔物と変わらない生き方をしていただろう。どれだけ感謝しても足りないほどだ」
「そこは『蒼』さんも入れてあげなさい?今の貴方が全てを捧げたいと思えるほどの想いを抱けたのだから」
「む、そうだな」
「私はいいわよ……」
「特別扱いするわけにもいかないだろう。それと……間に合わなくてすまなかったな」
本来ならば俺が真っ先に駆け付けるべきだったのだ。だが結局俺は『蒼』の窮地に間に合うことはなく、『蒼』を助けたのは同胞と……母親だった。ユニーククラスと接触する可能性は十分にあったのだから、俺が常に『蒼』と細かい連絡をしていれば今回のようなことにはならなかったはずだ。
「……それもいいわよ。私も貴方を呼び出すことを忘れていたわけだし。……その、ナトラさん……あの時はありがとうございました」
「お礼なんて、かえって足手まといになっちゃった気がするのだけど……」
「そんなことありません!あの一撃を受けていたら私死んでいましたから!」
「魔王は不死って聞いていたのだけれど?」
「復活に数十年から百年近くかかります……いや、そんなことじゃなくて!」
「冗談よ、わかっているわ。ちょっとお礼を言われたのが恥ずかしくてからかっちゃったの。ごめんなさいね?」
「は、はい……。あと色々なことも含めて……何と言うか……私の方こそ……ごめんなさい」
「それこそ私の方が……こほん。最初二人の関係を聞かされた時はビックリし過ぎちゃって、何も言うこともできなかったわ。でも変わらないのね。二人を見ていたら色々な心配もなくなっちゃったわ」
母親と二人は大分打ち解けたような気がする。俺ももっと何か言うべきだろう。
「――俺からも礼を言わせてもらおう。『蒼』を助けてくれて、理解してくれてありがとう……母さん」
「――っ!……ええ」
背中越しに母さんが動揺する気配がしたが、これはきっと悪いことではない気がする。確信は持てなくとも、そういうものなのだと感じることができた。
「あ、そうです。メジスに行くんですからお父さんのお墓参りもしなくてはいけませんね!」
「そうだな。顔こそ知らないが、生みの親であることは変わりないからな」
「それを言えば私も知りませんよ。でもたまに行っていましたよ。お花だとお母さんに気づかれそうだったので、お酒をかけに」
「お父さんお酒ダメだったんだけれど……」
「えっ」
「死人に鞭打ちね、酷い娘ねラクラ」
「じゃ、じゃあ私のお酒好きはお母さん譲り……!?」
「私もそこまで飲めないわよ?」
「親のせいにするのはいけないことだな」
これで一つ目の問題は無事に解決できた。心なしか胸のわだかまりが幾分かなくなっていったのを感じる。だが本当に向き合うべき問題はまだ残っている。
「そうだ、私の治療をしてくれたもう一人の魔王の方にもお礼を言わないと……」
「必要ありませんよ。元々『紫』が生み出した魔物で複雑な環境になったわけですから」
「それはそうなのだけれども……」
「『紫』は殆ど他人に興味を持ちません。会うだけ後味の悪い思いをするだけです」
「尚書様絡み以外は凄く無頓着ですからね。紫の魔王さん」
間接的とは言え、俺達家族を引き裂いたのは紫の魔王だ。今回母さんを助けたのも同胞の口添えがあったからこそ、少なくとも同胞の無事が確認されるまでは会わせるべきではないだろう。
「あ、あとメジスで私の治療に協力してくれた騎士の方にもお礼を言わなきゃ」
「……ああ」
「どうしたのエクドイク?急に元気がなくなったわね。もしかして名前を聞き忘れたとか?」
「いや、名前は聞いている。……彼女の名前はメリーア、メリーア=ペンテスだ」
「メリーアさんって言うのね?」
「何か問題でもあるの?……ん?ペン……テス?」
どうやら『蒼』は事情を察したようだ。言葉が苦々しくなっているのを感じる。
「……?どうかしたのですか?」
「ね、ねぇエクドイク……そういうことなの?」
「ああ……面影もあり、メリーアを預けた仲間の聖騎士からも軽くではあるが話を聞いたから間違いない。メリーアはレイシア=ペンテス、彼女の妹だ」
「……私が言うのもなんだけど、因果な人生ね。貴方」
レイシア=ペンテス。ベグラギュドの下で育てられた時、俺に人間社会の情報を与えるために捕らえられた聖騎士。彼女は殺され、食料とされた。俺のせいで死んだと言っても過言ではない。そんな彼女の妹の協力のおかげで母さんは一命を取り留めた。これは運命が俺にメリーアと、過去と向き合えと言っているのか。今はその答えはわからない。だが、これから赴くメジスでそれははっきりと分かるだろう。
◇
あの人間の匂いを嗅ぎ取ることができた。残り香の強弱からして、レイティスの者達は既にこの場にはいない。だがそれ以外に嗅いだことのある匂い……これはユグラ教の……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。無色の魔王の言葉通りだとすれば、私はそう長くないうちに元の場所に戻されることになる。あの人間を確保するか、もしくは場所の特定だけでも済まさなければならない。敵陣であることを警戒し、気配を可能な限り潜ませ姿を消す。どこかの建物のようだが、周囲には高度な結界がいくつも張られている。これでは悪魔達では近づくことはおろか、発見すら難しいだろう。
「(匂いはこっちか。しかしこの匂いは……)」
星の位置を確かめ、位置を大よそに絞り込む。ここはメジス、聖地のある場所よりかは幾分か離れた施設のようだ。見張りの数はさほど多くはなく、結界に頼った警備の様子。警備としての緊張感も薄く、雑談をしているのが聞こえた。
「あの男の容態はどうだ?」
「あれだけ酷くやられたらな。医者の話じゃ回復魔法すら受け付けないんじゃ延命しかできそうにないってよ」
「ズッチョの奴も何を思ったんだか……調教する予定だったんだろ?」
「ああ、頭はいかれているが腕は確かなはずだった。だがさらにいかれちまって、あのザマだ。最期にゃ自分の喉をグチャグチャになるまで器具で抉り続けたらしいぜ」
話の内容的にあまり芳しい状態ではないらしい。鼻を頼りにあの人間のいる場所を探し、その一室を探し当てる。影となり扉の隙間から入り、中の様子を確かめる。
「これは……」
そこにいたのはあの人間だけだった。だが、それを特定できたのは『嗅ぎ取る鼻』があったからこそ。ベッドに寝かされていた人間の姿は、かつて見た姿とは似ても似つかない無残な姿だった。