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だから迷わない。

 人は過去の夢を見る。子供や青年の頃に経験した光景を再び夢の中で見ることで、この時に過ごした出来事が自分にどれほど強い影響を与えていたのかを噛みしめることができる。楽しかった記憶、感動した記憶、そして憎悪が生まれた記憶。


「セラエス様、失礼致します」


 扉を叩く音で意識が鮮明になる。椅子の上で仮眠をとっていたことを再確認し、呼吸を整える。間もなくして弟子の一人が扉を開け、姿を現す。


「来客か」

「はい。名を名乗りませんでしたが、セラエス様なら分かると」

「――客間に案内しろ。応対は私一人で行う」

「分かりました」


 弟子が淡々と部屋を去るのを見届けた後、椅子に深くもたれかかる。仮眠の間に見た夢、それがどういうものだったかと思い出す必要はない。私が見る過去の夢はいつも同じものなのだから。だが夢を見ることの意味は噛みしめなくてはならない。それが私の大司教たる所以、原点なのだから。

 身支度を手早く済ませ客間へと向かう。既に弟子たちは客間から離れている。私の所へ現れる客の多くは名を名乗らない。その意味を弟子達は正しく理解している。自分達が関わってはならない存在がこの世界にはいるのだと、そう言った類の者達と接触を行うべき人物が誰であるのかと。


「お邪魔していますよ、セラエス大司教」


 見知らぬ顔の男、しかしその口調からその男が誰なのかを知ることはできる。


「堂々と姿を見せるか、ラーハイト」

「姿形を別の人間に変えているのですから、堂々と言えるかは微妙なところではありますけどね」

「罪人でありながらユグラ教の施設を訪れるのだ。他に何と言える」

「それもそうですね。ですがそれを言えば私を故意に逃がした貴方がユグラ教の大司教としている方がよほど堂々としているのでは?」


 ラーハイトは嗤う。姿形は変われども、その仕草はクアマの牢獄で見たものと何ら変わりない。この男は危険な存在、それは十分に理解している、だがそれでもこの男を解き放つ理由は存在した。ラーハイト、裏のレイティスはユグラ教も知り得ぬ世界の真実を掴んでいた。奴はその情報を提示することを条件に、私にこの男の武器でその命を絶たせた。肉体の死後、その魂が処置を施した体に転移できる魔法を使わせるために。立場上としては過度な拷問による死亡。多少の負い目を受けることにはなったが、その価値は大いにあった。


「本題に入れ。貴様と長話に興じるつもりはない」

「これは失礼。先日我々はユグラの星の民を捕獲しました。その身柄を元に交渉を行いたい。証明は必要ですか?」

「話は既に耳にしている。要求はなんだ」

「大よそ理解しているでしょうが――」


 ラーハイトは自らが求めるものを語る。それらを手に入れることは私には十分可能。しかし相応のリスクが伴う事になる。これまで通り天秤に掛け、どちらを優先すべきかを自らに問う。


「良いだろう。三日ほど待て、手筈を整える」

「こちらの予想よりも早いですね。こうなることを予期し、既に根回しをしていたということですか」

「余計な詮索はしないことだ」

「そうですね。取引の場所はどこにしましょうか」

「明後日、私が向かう場所だ。貴様らなら私の監視くらいは問題ないだろう」

「わかりました。ではそのように。それはそうと、貴方はいつまでユグラ教に居続けるおつもりですか?」


 魔王を倒した勇者ユグラは世界の秩序を護るための教えを説いた。しかしその実魔王を生み出したのはユグラ本人であり、ユグラは真の意味で魔王を倒す術を人間に残すことはなかった。これが意味すること、それは来る魔王復活に備えたユグラ教そのものの価値が失われていることとなる。そのことは重々承知している。もはやユグラ教の教えを守り続ける価値など何処にもないのだと。


「ユグラの実態が何であれ、奴はこの世界に秩序を生み出した。私が世界の秩序を護るためには奴を利用する必要がある」


 それでもユグラ教の影響力は大きい。世界に多くの人脈を広げ、あらゆる出来事に干渉できる力がある。そのユグラ教の大司教と言う立場を捨てる必要性はまだない。


「ユグラ教の裏の顔を取り仕切っている貴方ならば、ユグラ教を離れたところでその影響力は変わらないとは思いますがね。では失礼します」


 ラーハイトが部屋を立ち去る。レイティスの目的を考えれば私に要求した物の用途は推測することが可能だ。そしてその目的が達成された後の世の展開も。秩序は新たな秩序によって蹂躙されることとなる。秩序を護るために生きる私にとって、新たな秩序は受け入れられるのか。もしもそうでなければ――


「私が……秩序となるしかあるまい」


 ◇


 デュヴレオリの報告によれば、緋の魔王の拠点となっていた洞窟に入った彼は外に姿を現したらしい。しかしそこで匂いは途切れ、同時に三人の新たな匂いが混ざっていた。そのうち二つはモルガナのギルドマスター、リティアル=ゼントリーを追い詰めた際に傍にいた二人のものと一致。このことから彼はレイティスによって拉致されたとの見解だ。

 緋の魔王を仕留めたことにも驚かされたが、彼の安否を心配する状態は依然変わらない。レイティスに所属しているラーハイトは彼の命を狙っていた。そんな連中に捕らえられた以上、猶予はほとんどないに等しい。


「その場で殺されなかったことを考えれば、レイティスにとって友は生かす理由があったということだ。だがその目的が掴めない以上は捜索の手を緩めるわけにはいかない」

「そうじゃの。『紫』は引き続き各国に悪魔を忍び込ませ、捜索を続けておる。『蒼』の魔物は潜伏する術が少ないのでな。人の多い国を避け、山や森の捜索を主体として行っておる」


 陛下は金の魔王と共に彼の捜索の計画を立てている。魔界に向かわせた騎士達は撤退させられた。もう間もなくしてターイズへと戻ることとなる。


「金狐はどうだ?」

「あれも匂いを追っていく生物じゃからの。転移魔法で移動されては後を追うことは難しい。『紫』の悪魔と共に各国に運んでもらって探させてはおるが……デュヴレオリの鼻の下位互換といったところじゃからな」

「それでも十分だ。ターイズでは暗部に指令を出してある。メジスやクアマにも動いて貰う手筈は整えてある」

「しかしの、ターイズの暗部は既にレイティスの足取りを追っている最中であろう?その段階で手掛かりがないとなれば、難しいところではあるの」

「友を利用し、何かを行うのであれば動きを見せる可能性は高い。今はあらゆる兆候を感じ取れる状態を維持することが大切だ」


 陛下や魔王達は彼を探すために行動をしている。だというのに私には何もできることがない。戦いですら役に立てなかったと言うのに、何ができると言うのか。


「ラッツェル卿、これより我らはターイズに戻る。貴公も支度を済ませよ」

「……はい」

「貴公にも役割はある。友の代わりとなって魔王達とのやり取りを行ってもらう。私よりも貴公の方が他の魔王との接点は多いのだからな」

「彼の……代わり」

「妾はガーネ王として振る舞うからの。『紫』と『蒼』の手綱だけ握って貰えれば良いぞ」


 彼の……代わり……できることならば務めたい。しかし、実際彼が行って来たことはなんだ?彼が魔王達にしてきたことを思い出す。身体能力だけで言えば不可能な動きはないだろうが、そういう話でないことは私でもわかる。


「……」

「かなり悩んでいる顔じゃの」

「彼の代わりとは言ったが、彼のように動く必要はない。そもそもそれができる者がいれば既に代役を任せている。彼が戻るまでの間、現状の関係を維持することだけを意識すれば良い」

「わ、わかりました」

「ラッツェル卿、今回の件は以前とは違う。貴公は友を護ることを最優先に戦った。緋の魔王に敗れたことも純粋な力量差があってのこと。友がこの場を抜け出したことも友自身が選んだ行動ゆえだ。咎めることは何もない」

「そもそもあやつの変化を見抜けずに一人きりにさせたのはターイズ王じゃしの」

「……そういうことだ。我々が今成すべきは彼を助け出すこと、そして今後同じ事態を防ぐことだ」


 陛下からはいつもの覇気を感じられない。もしも自分が緋の魔王を退けていれば、自分が彼を止めることができればと、皆も同じように自らの力不足を実感しているのだ。

 自室へと戻り荷物の整理を始める。私物はほとんど持ち込んでいない。どちらかと言えば彼が持ち込んだ荷物をまとめることが主体となる。彼は今回の戦争において一つの策に拘ろうとせず、あらゆる可能性を考慮して様々な準備を進めていた。全ての用途を掴むことはできないが、その中には今回のように私達が役に立たなかったことを前提とした物もあるのだろう。


「――滑稽なものだ。君は弱いのだからと、君を護ると言い続けた私は何もできなかった。だと言うのに君は一人で魔王を倒してしまったのだからな……」


 彼の躍進に負けぬようにと鍛錬を積んだ。そして強くなったことで彼に追いついたと錯覚してしまっていた。だが実際は私と彼との間には埋めきれないほどの差が存在していた。悔しさすら湧かず、ただただ虚しい気持ちにしかならない。荷物をまとめていると、部屋にウルフェが入ってきた。ウルフェの表情もどこか影が差しており、心ここにあらずと言った様子だ。


「イリアス……ししょーの行方は?」

「今のところは不明のままだ。陛下や魔王達が捜索を続けている。私達は一度ターイズに戻り、待つことになりそうだ」

「探しには……いけないの?」

「……私達にはその能力がない。できることは戦力が必要となった時、迅速に行動に移れるように備えること。そして彼の帰ってくる場所を護ることだ」

「……うん」


 ウルフェの成長は目まぐるしいものがあった。紫の魔王の配下を相手に快勝し、圧倒的な力量を持って彼の役に立ち続けていた。しかし緋の魔王に容易く敗北したことでこれまでに身につけてきた自信が一度に砕かれてしまったのだろう。『闘争』の力による影響は抜け出しても、そのうち砕かれた信念が修復するのには時間が掛かる。


「心配するな、とは言えないか。私も彼のことが心配でたまらない。彼が私達以上に上手く事を運ぶことができたとしても、その危うさだけは変えようがない事実なのだからな」

「ししょーは……戻ってくるよね?」

「……少なくとも彼自身は戻ってくるつもりだろう。それこそ私達を頼ってでもな」

「その通りだ。例え離れていようとも、同胞は俺達の動きを計算に入れて動くような男だ。ならばいつも通りに動くべきだろう」


 いつの間にかエクドイクが扉にもたれ掛かるように立っていた。普段なら接近に気づかないことはないのだが、やはりどこか気が抜けてしまっているようだ。


「エクドイクさん……」

「力不足を嘆くだけでは先には進めない。こんな時だからこそ次に備えるために力を蓄えておくべきだ」

「はい……」

「グラドナからの言伝だ。ターイズで鍛錬を再開する、気合を入れなおしたらいつでもバンの商館を訪れろとな」

「グラドナせんせーが……?」

「そうだ。ウルフェ、お前は師に恵まれている。そこから先どう成長するかはお前次第だ」

「エクドイク、君はこの後どうするつもりだ?」

「俺は一度『蒼』とラクラと共にメジスへと向かう。色々と済ませておきたい用事があるからな。同胞の居場所が掴め次第直ぐに合流する。ではな」


 そう言ってエクドイクは部屋を去って行く。エクドイクも彼のことを心配しているはずだと言うのに、動揺した様子は微塵も感じられない。ひょっとすればエクドイクは彼がいなくなったことについてそこまで気にしてはいないのだろうか。そう思った矢先、入れ違いのように蒼の魔王が姿を現した。


「ちょっと、エクドイク見なかった?」

「エクドイクなら今しがたこの部屋に顔を見せた後、出て行ったぞ」

「ああもう!そろそろ出発だって言うのに、あちこち行ってるんじゃないわよ!?」

「メジスに行くそうだな。メジスはユグラ教の聖地だ。問題を起こしてエクドイクに迷惑を掛けないようにな」

「言われなくとも分かっているわよ。どっちかと言えばエクドイクの方が心配よ」

「エクドイクの方が?どういう意味だ?」

「気づかなかったの?あいつこれまでになく精神が乱れているのよ。ああ、そうか。私は魔王としてあいつの魔力の脈動を感じられるけど、貴方達はそう言ったものを見抜く技とか普段から使わないものね」

「そんな様子には見られなかったが……」

「ナトラさん――母親の件以外にも何かしらあったようなのよね。そこにきてあの男がいなくなったでしょ?まあ、事ある毎に相談をしていた相手がいなくなったんだし、気持ちは分かるんだけど」


 ……私は馬鹿か。エクドイクは私以上に彼に救われた存在だ。人間社会をまともに知らず、それまで生きてきた目的すら失ったエクドイクを彼は導いた。蒼の魔王の魔族となった後も、エクドイクは彼の傍で助けになる事を優先していたではないか。エクドイクにとって彼は私以上に大きな存在のはずだ。私達の前で平静を装っていたのはエクドイクなりの気遣いだったのだろう。


「エクドイクに伝えておいてくれ。ターイズの方は私達でどうにかしておくと」

「ええ、よろしく頼むわね。『紫』を見ていられるのは貴方達だけなんだから。私はあの兄妹の面倒を見ておくわ」

「面倒見が良いのだな」

「あ、あんなの放っておける方がどうにかしているわよ!」


 弱気になっている場合ではない。私がやるべきことは今できることを、彼の居場所を護ることを最優先にすることだ。そしてもう一度、剣を手に取る理由を再確認すべきだろう。


 ◇


 さて、どうしたものか。いや、どうしようもないと言える状況ではある。ラーハイト達に連れ去られ、気づけば地下の牢獄のような場所で椅子に縛り付けられている。当然ながら抜け出せる要素は皆無。鼻につく血の臭いから考えるに、ここはただの牢獄ではなく、何かしらの用途に使われる場所なのだろう。


「空腹度合いからして、三日くらいは寝ていたようだが……」


 口の中に押し込まれていた綿を吐き出す。どうも不味いスープを染み込ませていたようで、最低限の食事と水分補給のつもりだろう。喉奥に詰まらないように糸で縛られてはいるがもう少し捕虜らしい扱いをして欲しいものだ。おかげ様で体調は最悪。全身の痛みは多少マシになってはいるものの、体の衰弱っぷりが酷い。


「お、お、お、おめざめ、の、の、ようだ、ね」


 背後から聞きなれない男の声。足音がゆっくりと背後に近寄ってきて、真後ろに来たと思ったら横から顔が急接近。傷だらけの醜い顔、切り傷や打撲痕だけではない。火傷や薬品のような物で溶かされたようなものもある。どう見ても日の下を歩けるような存在じゃないのは確かだ。


「あー、初めまして。君は拷問官か何かかな?」

「そ、そそ、そう。そうそう。オレ、ズッチョ。こ、この、この仕事、大得意」


 間違いなく説得できるような人種ではない。しかし拷問官て、今更聞き出したい情報があるのだろうか。


「それでズッチョ、君に与えられたお仕事は何だ?拷問で情報を聞き出そうと言うのであれば残念だと言っておく。『私』の口は想像以上に軽いからな。器具を見せられただけで直ぐに吐いてしまう自信がある」

「だ、だ、だい、大丈夫。オ、オレの役目は、お前をちょ、ちょう、調教すること」

「そう言った趣味はないのだけれどね」


 視線を別の場所へと向ける。クアマにあった尋問部屋と構造は似ている。天井近くにある覗き窓、恐らくはあの人物が『私』を見降ろしているのだろう。


「せめて話の分かる人間もセットで配置して欲しいところだね。聞こえているのだろう?セラエス大司教」

「――ラーハイトからは私のことは話していないと聞いたのだがな」

「ラーハイトは取引材料になると言っていたからね。『私』の身柄を欲しがる者は限られている。レイティスと取引ができる者となればなおさらだ」


 これが無色の魔王が相手ならばこんなズッチョのような男を配置する意味はない。そもそもこの場は明らかに年季の入った尋問室だ。禁忌を犯した者を処分するだけで良い無色の魔王にとって不要な施設とも言える。ターイズから姿を消したラーハイトはクアマで行動していたため、新たな接点を作っている可能性は低い。ともなれば消去法でレイティスが欲しがりそうな物を揃えられ、ラーハイトを逃がせる手段を取れた人物、セラエス大司教の可能性は非常に高い。


「知恵が回るようだな」

「『私』の身柄としてレイティスに何を渡した?」

「答える必要はない」

「大方メジスに封印されているユグラの残した本だろう?ああ、あとメジスに潜伏していた時にラーハイトが使っていた体もか」

「……」


 レイティスの目的はユグラの落とし子を見つけること。その先にある真の目的については憶測の域を出ないにしても、落とし子についての研究を行っている可能性は大いにあるだろう。その最も大きな手掛かりとなるのが、湯倉成也本人の残した本となる。


「随分と危ない橋を渡ったものだ。本やラーハイトの体が消失したことが明るみになれば、君の犯行であることくらい直ぐに分かってしまうだろうに」

「そうするだけの価値があったからそうしたまで。これから始まることもな」

「この拷問が大好きそうな男の行う所業に価値……か。私の価値観とは合いそうにないね」

「貴様の価値観などに興味はない。貴様にはこの先、魔王を滅ぼすための道具となってもらう」

「なるほど。やはり合わないな」


 セラエス大司教の目的は『私』から情報を得ることではない。私に拷問と言う恐怖を植え付け、支配することだ。その用途はこちら側にいる三人の魔王の始末。『私』にしか読み取れない魔王の名を読み解かせる等をするつもりなのだろう。


「決して逆らう気がなくなる日まで拷問を続け、心ではなく、体で行動するように調教を行う」

「恐ろしい話だ。うっかり死んでしまったらどうするつもりだい?」

「その男は拷問の専門家だ。貴様が子供以上に貧弱だろうと死なさずに拷問を続けることができる」

「ズ、ズッチョ、人間の体、く、詳しい。ぜ、絶対に死なな、死なないように、ご、拷問でき、できるよ」


 その言葉に嘘はないだろう。この部屋は長いことそのような目的のために使われ続けている。間違いなく拷問のプロと呼べる実力なのだろう。


「地下で拷問調教か。とても秩序を重んじる大司教のすることとは思えないね。いや、君はそれで秩序を保てるのだと思い込んでいるのだろうね」

「思い込みではない。私はこれまでに秩序を乱す多くの者を排除してきた」

「君にとっての秩序を乱す者を、だろう?君の口にする秩序と言う言葉には強い意志を感じる。魔物のせいで貧困化した無法者にでも慰み者にされたのかな?自分だけではなく、大切な者達も――」

「今の貴様と話すつもりはない。ズッチョ、後は任せた」


 覗き窓から扉が閉まる音が聞こえる。さて、どうしたものか。多少の暴力には耐性はあるが、本格的な拷問の前では『私』という立ち位置でも耐えきれる可能性はないに等しい。心を壊され、あの男の傀儡となり、この手は『紫』達に向けられてしまうことになりかねない。


「そ、そ、それじゃぁ、じゅ、準備す、するね」


 ズッチョは背後で様々な器具を並べているようだ。この男の説得も不可能、交渉とは対等な立場があって初めて意味を成す。運よく『私』を捜索しているデュヴレオリ達が助けに来る可能性もないわけではないが、運否天賦となると日頃の行い的に期待できそうにもない。


「(『俺』はどうしたい?いや、聞くまでもないのだろうが)」


 度重なるこちら側の相手を前にして、今の立ち位置は完全に『私』よりとなっている。つまりこれは『私』の独断で決める必要がある。『私』からすれば魔王の命より、自らの命の方が大切だ。イリアス達の働き次第ではどうにかなる可能性もあるだろう。つまりここは成り行きに任せ、いっそ一度心を失ってしまうのが最も楽な選択肢と言える。


「(だがそれでは『私』の存在意味がないな。そう、『私』という立ち位置が存在する意味を果たすのが、『私』がするべきこと。『俺』には申し訳ないが、ここは『私』の好きにさせてもらうとしよう)」


 ここで『私』が動けば、きっと『俺』がイリアス達の元に戻ることはない。だが今この体の主導権は『私』にある。ならば迷う必要は微塵もない。


「じゅ、じゅ、準備、できた。そ、それ、それじゃぁ、はじ、始め、始めるよ」

「――愉しそうな声だねズッチョ君」

「も、も、もち、もちろん。オ、オレ、こ、こう、こういうの、だ、だい、大好きだから」

「そうか。なら『私』からも贈り物をしよう。君により強いカタルシスを与えてあげよう」


 首だけを回し、ズッチョの眼を見つめる。セラエス大司教、君の敗因は私の言うとおりに第三者をここに置かなかったことだ。君はそのことを激しく後悔することになるだろう。ズッチョの瞳に映る『私』の眼は、自分でも自覚できるほどに濁りきっていた。


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