そして終わる。
緋の魔王の軍勢を退けたことで、ガーネでは祭りの時のような盛り上がりを見せている。恐らくメジスでも同様のことだろう。だが彼が行方をくらませたことを知っているものはその限りではない。彼が消息を絶ったことを最初に知った陛下は即座に魔界との境界にいる兵へと情報を通達し、内外への出入りの監視を強化した。夜間も警備を行っていた騎士の報告ではガーネ境界線に接近した人物はいないとの報告だったが、彼のことを考えると安心はできない。陛下は遊撃に回れるターイズ騎士を総動員し、今も捜索の指揮を執っている。私も直ぐにでも飛び出したいところではあるのだが……。
「怪我の治療を優先せよとは言わぬがの。せめて行き先の見当くらいはつけねば無駄足じゃぞイリアス」
「……わかっている」
今この一室にはミクス様、ウルフェ、エクドイク、ラクラ、そして三人の魔王が揃っている。ハークドックもいるにはいるが隣室でこちらの会話を聞いている状態だ。人間としての捜索については陛下が行っているがこちらでは進行形で魔王達が彼の捜索を行っている。
「こっちはダメね。そもそもクトウだっけ?飛行できるのだからスケルトンじゃ見つけようがないわよ」
「馬鹿ね?空で行えるのは移動だけなのよ?彼が何かしらの行動をするのなら地上に降りるに決まっているじゃない?」
「誰が馬鹿よ!?そもそも私のスケルトン兵はほとんどいないんだから地上の捜索でも限りがあるのよ!」
「やっぱり馬鹿じゃない?それは下級を捨て駒に使った私も同じよ?自分だけ許されるとでも勘違いしているのかしら?」
「……っ!そもそも悪魔なんでしょ、貴方が全方位に命令を下せば済むんじゃないの!?」
「紛うことなく馬鹿ね?それができれば貴方を呼び出したりするわけないじゃない?彼に与えたクトウは彼の命令で一時的に私の支配から外れられるようにしてあるのよ?彼が一人の状況に追い込まれた時、クトウの反応で探されないようにね?」
その処置は紫の魔王対策というよりは紫の魔王を裏切る悪魔対策のためである。紫の魔王の命令はもちろんとして、クトウは他の上位の悪魔の命令に従ってしまう。現状では存在しないにしても、バトラー・アーミーに所属する悪魔が悪知恵や野心を持つ可能性を摘み取れるわけではない。クトウの性質を悪用されるリスクを彼が紫の魔王と相談した結果、クトウは任意で命令権を彼のみに絞る力を与えられている。だが今回に限ってはそれが完全に裏目……いや、彼にとってはプラスとなっているわけではあるのだが。さらにクトウは暗部などが使う隠密系の魔法の一部も使えるのだ。
「今は馬鹿の手も借りたい事態じゃからの。しかしあやつと本気のかくれんぼをすることになるとはの」
「流石と言う他ないわね。デュヴレオリの『嗅ぎ取る鼻』の対策もしっかりとされているのよ?クトウの体の一部をガーネの各方向にばら撒いて匂いによる追跡も混乱させられているわ?」
「仮想世界を利用したしらみつぶしの捜索も今のところは成果がないの。仮想世界で動かせるのがガーネ兵しかおらんのがのう……お主らの魔物は言うこと聞かんしの」
「金狐はどうなのですかな?懐いているご友人の元には向かえるのでしょう?」
「うむ、既に向かわせておる。しかし帰って来んのじゃ。多分じゃが、籠絡されてしまった可能性があるの。アレは懐いている相手の言葉は何でも聞いてしまうからの」
「生みの親である魔王よりも優先されてしまっているのですな……」
「本能のままに生きさせておるからのぅ……」
彼は金狐を紹介された後、その性質を細かく調べていた。正直な話、生みの親である金の魔王よりも詳しい可能性が高い。他にも通信用の水晶やエクドイクの鎖の欠片なども全て屋敷に置いていっている。今できるのは魔王達の魔物を利用した人海戦術のみといったところだ。
「同胞をただの一般人と考えるべきではない。同胞は俺達の手札を全て知り尽くしている。各国の暗部以上に見つけることは困難だろう。緊張が緩んでいたとは言え、屋敷に控えていた騎士の誰もが同胞の脱走を見抜けなかったわけだしな」
「尚書様との心理戦となると……ため息が出ますね……」
「だがマリトの話からして、同胞は緋の魔王への復讐を企てていると考えられる。緋の魔王がいる場所に関しては既に仮想世界を通して発見しているのだろう?」
「ええそうよ?だからデュヴレオリにはその周囲を重点的に捜索させているわ?でも一定以上近寄れば『緋』にデュヴレオリが気づかれる恐れがあるのよ?」
「そうだな。騎士達も同じ理由で容易には近寄れないだろう。そうなるとデュヴレオリと同胞の読み合いとなるわけだが……」
「デュヴレオリじゃ無理ね。以前暇な時に彼とデュヴレオリに心理戦を交える遊戯をさせて見たのだけれど、デュヴレオリは完敗だったわよ?」
デュヴレオリは紫の魔王の命がある限り、決して油断することなく厳密に行動する。だがそれゆえに彼からすれば思考が読みやすい相手だとされている。デュヴレオリよりも頭が柔らかい私でも心理戦では歯が立たないのだから無理もない。緋の魔王の住処の周囲には手練れを配置してはいるが、いつ緋の魔王の支配下にいる魔物に発見されるかも分からない状況では大規模な捜索が行えない。ガーネから『緋』の場所まではクトウの飛行速度ならばそう時間は掛からない。真っ直ぐ向かっていれば陛下が気づいた時点で到着していてもおかしくはない。
「ガーネ境界線にいる騎士達ならば数も多く、警戒状態にある。クトウの隠密力では簡単には突破できないだろう。……だろうという言葉がこれほど自信なく感じるとはな。ひとまず俺はハークドックを連れてガーネ魔界に向かう。ハークドックの本能ならばあるいはがあるかもしれん」
「魔王の住処に近寄るだけで本能が暴れそうじゃがの」
「……それでも俺もハークドックも同胞を直接捜したい気持ちがある。イリアスやウルフェが怪我で満足に動けない以上、やれることは動ける俺達がやるべきだろう」
「エクドイクさん……」
「ウルフェ、今は同胞を探したい気持ちでいっぱいだろうが耐えろ。もしも同胞が既に緋の魔王の手中に落ちていた場合、助け出せる戦力となるのはお前達だ」
エクドイクは既に悪い結果のことも考慮して行動しようとしている。緋の魔王は彼の身柄を確保しようとしていた。彼が殺される可能性は低くとも、捕らえられる可能性は非常に高い。そうなった場合、彼を助け出すためにガーネ魔界に向かえる戦力は少数精鋭でなければならない。しかし……私もウルフェも緋の魔王の強さを嫌と言うほどに思い知らされている。ウルフェにいたっては緋の魔王の『闘争』の力を受けたことにより、亜人としての反応が顕著に表れてしまっている。私とてこの傷が完治したとして、果たしてあの魔王に剣が届くのか……いや、弱気になるな!
「――待って、デュヴレオリからの連絡が来たわ」
紫の魔王の声に全員の視線が集まる。紫の魔王は通信用の水晶に手をかざし、デュヴレオリから彼女への念話を周囲に聞こえるように施す。
『主様、緋の魔王の拠点となる洞窟の近くでクトウの匂いを嗅ぎ取り、接近したところクトウを発見いたしました』
「……『クトウを』?彼は?」
『それが……あの人間の姿は既になく、あの人間の匂いは既に……』
デュヴレオリの言葉の続きを理解できないものはここにはいない。空気が一層重くなるのを感じる。やはり彼は単身で緋の魔王の元へと……。
「クトウ、どうして貴方だけがそこにいたの?」
『アルジサマ、クトウハココニノコレッテ。ソウスレバデュヴレオリガヒロイニクルッテ』
「……そう、やっぱりデュヴレオリ――私達の動きも読まれているのね。デュヴレオリはこのまま彼の後を追いなさい。戦闘は極力避け、彼の奪還を――」
『アルジサマイッテタ、デュヴレオリオウノダメ。デュヴレオリカクジツニシヌッテ』
「――彼が何をしようとしているのか、貴方が聞かされているとは思わないのだけれど……彼の動向を知っているだけ話しなさい」
『エート、マズアルジサマハ――』
クトウから彼の向かった行先を聞かされる。そしてそこから導き出される答えを理解し、誰もが戦慄することになった。
◇
玉座に座りながら右腕の感触を確かめる。再生したばかりではやはり以前よりも力が入らぬか。感覚を取り戻すには暫し時間が掛かることになるが、軍を再編成し終えるまでには問題なく間に合うだろう。我が右腕に魔具を突き立てた女の実力はさほど高くは感じられなかった。それでいてこの威力、やはりユグラの星の民のもたらす発想の差異は油断することが出来ぬか。我が『闘争』の力に人間達が抗ったように、流し込まれた魔力が暴れる前に外に出す方法はあの魔具の形状からは難しい。あの刃には返しがついており、一度刺されば容易には抜けない。だが魔王の魔力を流し込むためには魔法の力を借りざるを得ないはず。それはつまり、魔封石を装着することが出来ぬということ。結界を張ればその攻撃はこの肌に届く前に止めることができるだろう。
「もう右腕が完治されましたか。流石は魔王様」
「世辞はよい。メルサシュティウェル、此度と同じ軍勢を整えるまでに何年ほど掛かるかの目途はついたか」
「はっ。既に訓練課程の最適化は済んでおります。武器の製造速度なども考慮すれば以前より五十年以上は早く整うかと」
ユグラによって滅ぼされた時、我が軍はただの魔物の寄せ集めに過ぎなかった。復活後、ユグラが人間に魔王に備えるよう説いたことを知り、魔物の軍勢の強化を始めた。人間が進歩するのであれば、我々も同様にすれば良いだけのこと。数が整い始めた後、施設の拡張なども行えば更なる速度での軍備拡張も可能となるだろう。
「まずは各種族の隊を任せるユニーククラスを用意する必要があるな。多少不出来でも構わぬ。数匹ずつ見繕え」
「はっ!」
来る次の戦争の隊を任せられるユニーククラス、これらを即座に用意することは難しいだろう。だが訓練を続けていけば優秀な個体を見つけることはそう難しい話ではない。その個体に魔力を与え進化を促せば良い。数が揃えば競わせ、より『闘争』の力を扱うに相応しい個体を選別する。これまで通りのことをこなせば良い。『金』の統治するガーネが魔界の浄化を進めようとも、ガーネ魔界の南部にまで手が回るには数百年以上掛かるだろう。その時には我が軍の侵攻を進め、さらに魔界の領土を広げる。
そう、これで良い。我が求める永久の闘争は潰えることは決してない。我が人生は常に闘争と共にあり続ける。これからも、永遠に。
「――魔王様、洞窟の入口に侵入者が」
「数は」
「一人……黒い髪に黒い瞳、魔王様が我々に伝えたユグラの星の民の姿と一致しております」
ユグラの星の民がこの場へと姿を見せた。その可能性は僅かながらにあると考えていた。しかし単身と言うのは引っ掛かりを覚える。アレの実力は脆弱な人間の中でもさらに劣っている。護衛なしではこの場に訪れることも不可能だろう。道中までは武器に纏わせていた悪魔を利用したと考えるべきか。
「魔物には手出しをさせるな。この場まで通させろ」
「はっ」
目的の矛先は我、目的自体は不明。しかし『色無し』との交渉材料が自ら現れたのであれば悪い話ではない。ユグラの星の民は洞窟の入口から魔物達の訓練場、武器の製造施設を抜け、我が城の最奥にある玉座の間へと長い時間を掛けて現れた。全身に包帯を巻き、木の枝を杖代わりに老人のように弱々しく進んでくる。その姿を見て我が配下の魔物達が嘲笑する声が響く。それを挙手にて黙らせ、ユグラの星の民への疑問を口にする。
「ユグラの星の民、これは何の真似だ」
「大したことじゃない。緋の魔王、お前を終わらせにきた」
ユグラの星の民は杖を手放し、短剣を手に取りこちらへと向ける。立っているのもやっとにしか見えない姿、しかしその眼は本気だ。刺し違えてでも我を殺そうと言う意思が伝わってくる。だがその眼は戦士の目ではない。暗殺者の目でもなければユグラのような絶対的強者のものでもない。何か得体の知れない闇を孕んでいる。この眼に似たものを以前にも見たことがある。そう、『全能の黒』に近しいものだ。
「……なおのこと疑問が増したな。戦死した者の弔いのつもりか、それとも――」
「そんなこと、言葉で理解させる必要はないだろ?」
この男、明らかにガーネで見た時とは様子が違う。ユグラの星の民から感じる魔力が存在しないことは依然として変わらない。違いがあると言えば全身の包帯とマントが増えている程度。人間の身でありながら我が魔力が満ちた魔界で何の影響も受けていないことは不可思議ではあるが、干渉される魔力を持たないのであれば納得もいく。……だからどうしたと言うのだ。何故我はこの様に無駄な思慮を巡らせている。
「要らぬ問いであったな。ならば好きにせよ」
「玉座から立ち上がる気もないか」
「必要を感じぬ」
「……そうだよな。まあ、そのまま慢心していてくれ。その方がやりやすい」
ユグラの星の民が駆け出す。しかしその走りはあまりにも稚拙、全身の傷の痛みに影響され、訓練すら受けたことのない無様な姿。短剣には何かが塗られてはいるが何の変哲もないただの鉄製、身動き一つ取らずとも我が体にはかすり傷一つ与えることはできない。ユグラの星の民が目前にまで迫り、狙いが見え透いた突きを繰り出す。狙いは目、肌が傷つけられぬと踏んで急所への毒を塗り込むつもりか。
「はぁっ!」
無駄なこと。例え眼球に直接短剣を突き立てようと我が体に痛みを与えることはできぬ。いかなる猛毒であろうともこの体には通用せぬ。未熟な腕で繰り出された突きはいとも容易く弾かれる。過去これほどまでに緊迫せぬ攻防があっただろうか。いや、これを攻防と呼ぶことすら――
「瞬きもしないか。ならこれを良く見ておくんだな!」
弾かれた右腕とは逆、ユグラの星の民の左手には別の短剣が握られている。明らかに通常の短剣とは形が違う。この形状、あの女が使用していた魔具に類似している。僅かに形が違うことから改良品か何かか。狙いは心の臓、同様の威力があるのであれば確かに必殺の一撃となる。しかし刺突を行う者の技量があの時の女とは埋め尽くせぬ程の差がある。
――いやこの男の目、我を殺せると確信している。僅かに違う形状、何らかの手段でこの肌を通す仕組みがある可能性がある。念の為として結界を展開し攻撃を防ぐべきか。魔法を構築し、発動を――できない。これは――
「とったっ!」
「――下らん浅知恵だ」
この男の刺突の遅さならば玉座から立ち上がり、背後に周ることなど造作でもない。刃は空の玉座へと突き立てられる。動きの止まったユグラの星の民の頭を掴み、地面へと組み伏せる。
「ぐっ!?」
組み伏せられた衝撃で魔具らしき短剣が男の手からこぼれる。この男の体からはまるで力を感じない。怪我のせいか、そもそもが脆弱過ぎるのか、些細な違いだ。拘束を解き、地面に倒れているユグラの星の民を足で転がし仰向けにする。マントの内側からは想像通り、筒状に加工された魔封石が転がり落ちてきた。
「これほどの大きさならば接近された者は魔法を使用できなくなる。先の攻撃で視界を妨害し、魔具による一撃を狙った。我が魔具を警戒し結界で防ごうとする瞬間を魔封石により封じ、その動揺の隙を突こうとしたのだろう。貴様が我が右腕を落とした女程の力量があればあるいはこの胸に刃を突き立てられたかもしれぬな」
「く……そ……っ!」
自らの弱さを囮に、偽の武器を囮に、そしてさらには我が結界を使うことも読んでの一撃。確かにこちらの思考を読み切り、その全てが噛み合った。その頭の回転の速さだけは評価に値する。だがそれを行う力量すらこの男には足りていない。
「こんな物を使用しなければ我が体に傷を付けることすら叶わないとはな。やはり貴様は脆弱過ぎる」
「……に」
「――なんだと」
「お前こそ、こんな物一つでこんな雑魚相手に立ち上がる無様を晒してるくせにっ!」
既にこの男は動けない。先ほどの殺意に満ちた眼は既に凡夫のものと変わりない。つまりはこの言葉は負け惜しみに過ぎない。どう足掻いても勝てぬ相手に対する、この男ができる最後の抵抗。だが効果はあったようだ。今までこの男に対してまともな感情を持たなかった我が、初めて苛立ちを覚えたのだから。
「それで吠えるのは終わりか。つまらぬ幕引きだ」
転がる魔封石に足を乗せ、そのまま踏み砕く。勝利を信じた道具を破壊されたことでユグラの星の民の表情が固まる。これで少しは溜飲も――違う、この男の眼。先程とまるで違う。殺意でも怒りでもない、何一つ意志を感じられぬ眼。我を敵ではなく、まるで――
「――ッ!?」
体が傾く、まるで足が千切られたかのような痛み。いや、違う。足が千切られている。何だ、どんな攻撃を受けた。この場にいるのは危険だ、一度距離を取らなければ。攻撃の正体を確かめるよりも早く、本能に従って距離を取る。しかし我が移動よりも速く、緑黄色の液体が飛び掛かってきた。馬鹿な、これは、まさか、まさか!?
「魔喰……だとっ!?」
◇
「そう、それは君もご存じの通り、『黒魔王殺しの山』に生息する魔喰だ」
ご丁寧に離れてくれてありがとう。これでついでのように巻き込まれる心配もなくなった。ゆっくりと起き上がり、緋の魔王の姿を眺める。余程頑丈なのか、それとも凄まじい早さで治癒をしているのか。どっちでもいいけどね。
膨大な魔力を持つ緋の魔王に食らいついた魔喰は瞬く間に肥大化し、周囲の魔物にも襲い掛かり始めた。周囲では魔物達の断末魔が響き始める。ただ流石は魔王、飲み込まれながらも必死に這いだそうと足掻いている。
「貴様っ、これが……これが本当の狙いだったのか!?」
魔喰は知性を持たず、あらゆる生物を喰らい尽くす最悪の魔物。『金』の仮想世界を通して何度も検証を重ね、その習性は十分に調べていた。魔喰が優先して捕食するのは魔力を保有する存在で次点が動く存在。後者に関しては身を以て経験をしている。音、つまりは振動に反応し襲い掛かるというものだ。ただ実際には魔喰には聴覚や触覚器官は存在しない。魔喰が振動を感知できるは大気中の魔力の流れを感知できるからだ。
逆に魔喰は魔力を感知できない状況下では一切の捕食行動を行わない。そこで目を付けたのがノラに研究させていた魔封石の性質だ。魔封石は自身が特殊な魔力を纏い、その魔力に触れた魔法の構築を分解する。その魔力はいかなる魔法でも感知することができない。
魔喰の魔力を感知する能力がもしも魔法と同じ原理ならば、魔喰は魔封石に対しどのような反応を見せるのか。『金』には魔法の実験と説明した上で、仮想世界で魔封石を手に『黒魔王殺しの山』へと何度か足を運んでいた。数度臨死体験をしたことはさておき、結果として判明したのは魔喰が魔封石には反応を示さないということ。そして用意したのが筒状の魔封石、中身を空洞にして一定量の物質が入った場合に自動的に蓋がしまる仕組みを施した。
魔喰が自らの魔力を胞子のように風に乗せ、普通の森へと植え付けるライの実。これを食べた生物は魔力的な干渉を受け、魔喰の住処へと誘われる。クトウに森の小動物を生きたまま捕獲させ、これを食べさせる。魔封石の容器と蔦で用意した長いロープを括りつけ、山へと送り出す。暫くすれば動物は魔喰に食べられる。その際に魔喰の一部が魔封石の容器へと捕獲される。次に伸びたロープの長さから魔封石が置かれている地点を推測し、少し離れた位置からクトウにライの実を食べさせた別の動物を一定間隔で数匹解き放させる。後はその動物たちが魔喰に捕食されている間、静かに山へと登り魔封石の容器を回収。黒魔王殺しの山は夜間でも光り輝いているので魔封石の容器を探すことは容易だった。
「そうだとも、『私』のね。思い通りに動いてくれてありがとう」
魔喰を刺激しないよう、緋の魔王よりも声を落としながら話しかける。あらゆることに動じていなかった緋の魔王の表情、今は手に取るように動揺しているのがわかる。自らが決して敵わなかった黒の魔王が喰われた魔物が相手ならば仕方もないことだろう。
「こんなこと……あるはずが……!」
「どんなことかな?例えば『私』がこの洞窟に現れた時、他の魔物に殺される可能性を考慮しなかったのかとかかな?それはない。右腕を失った君はこう考えていた、『片腕の今こそ、人間達が好機と精鋭を送り込んでくるかもしれない』と。だから君は知性のない魔物を洞窟前には配置せず、連絡の取れる魔物を配置していた。そうだろう?」
静かに、ゆっくりと移動し杖を拾う。
「君に一騎打ちを挑んだ時、他の魔物に殺される可能性を考慮しなかったのかとかかな?それもない。君は魔物を駒程にしか考えていない。肝心なことは自らの手で行う。あの場で魔物が『私』を襲えばそれは君に対する侮辱だ。君はそれを決して許さない。そうだろう?」
魔具の形状の試作品となったナイフは……いらないか。こうして話しているだけでも魔喰がこちらに標的を絞る可能性もあるのだから。
「君がこちらの武器を警戒せず、わざと刺される可能性を考慮しなかったのかとかかな?それもない。君はとても慎重だ。自身の右腕を吹き飛ばした武器と似た形状の武器を、『私』が勝利を確信した表情で突き出せば嫌でも自身が使える防御策、結界を張ってしまう。そして魔封石で結界が張れないと判断すれば体が自然と回避行動をとってしまうだろう。何せ雑魚も雑魚の『私』の攻撃、確実に避けられるだろうからね。探知魔法を使えば魔封石を所持していることには気づいただろうに。でも雑魚相手に探知魔法を使うような臆病な行動はしたくなかった。そうだろう?」
周囲の叫び声が小さくなり、洞窟の出口の方からの断末魔が響き始める。
「君が魔喰の魔封石の容器を壊さない可能性を考慮しなかったのかとかかな?それは絶対にない。何故ならこれまで君に罵詈雑言を飛ばしてきたのは同じ魔王、もしくは相応の実力者達ばかりだ。本当に雑魚で無価値と判断するような奴からの罵倒や屈辱を、憮然と受け流せるほどプライドの安い魔王じゃあない。それこそ『私』が勝利を信じて持ち込んだ道具を目の前で破壊して、留飲を下げようとする。そうだろう?」
魔喰の動き、周囲の魔物の様子。この場にはそう長くいられないだろう。だけど最後にこの魔王には話しておく必要がある。
「『俺』は君と対峙してからずっと君の事を理解することに専念していた。例えイリアス達が負けようとも、自分が捕らえられようとも、必ず君に敗北を与えるためにね」
「理解……だと……!?貴様如きが私を理解したつもりか!」
「君が魔王になった理由。それは『必要悪』となるためだ」
「なッ!?」
緋の魔王の目的は既に理解している。自らの行動、言動により。
「人間を滅ぼしたいのであれば宣戦布告などせず、一国ずつ滅ぼせばいい。でも君は自分の影響力が及ぼせるガーネとメジス両方に侵攻した。勝つことよりも自身の脅威を示すことを、魔王と言う存在を誇示することを選んだ。魔王になる前は将軍だったそうだね。だから君は知っている。共通の敵がいれば仲間同士で争うことはないと」
「貴様……っ!」
「湯倉成也にこうでも言われたんだろう?『人間達の争いを止めたいのであれば、君が彼らの共通の敵となれば良い。魔王は不死の存在だ。君が永遠に闘争をすれば、人間達は手を取り続け合うことができる』とかね?」
「――ッ」
だから人間を滅ぼそうとする黒の魔王と協力することはなかった。他者の言葉に流されるままの蒼の魔王に徹底した侵攻を行わせず、脅威を植え付けるような手段を取らせた。人間達の成長を褒め、それでも脅威であることを示すために単身で姿を現した。ああ――
「本当にくだらない。理解しても決して相容れたくない思想だ」
「貴様に……貴様に何が分かる!?戦いが起きなければ人間はやがて――」
「ああ、そういうの良いよ。興味ないし、君の言葉なんか心に響かない」
緋の魔王がどれほどの想いで人間の怨敵になったのか。そんなこと、本当にどうでも良い。どんな想いがあったとしても、『私』の生きる今の平穏を乱す行為に賛同できるはずもない。
「『俺』としては大切な者の命を奪われた怒りとか、まあ色々と思うところはあった。だけどそれ以上に『私』は純粋に君の生き方が気に入らない。不快なだけだ。是正できるのであればやりたいところではあるけど、君の覚悟は強く『私』では決して心は折れないだろうね。だから終わらせる。君はこの先、永遠にこの洞窟から出ることはない。君の闘争は今日、ここで終わる。誰にも理解されぬまま、無価値なものとして」
ただ終わらせるだけで済ませるつもりはない。自分が信じた道を無価値だと、不快だと一方的に終わらせられる。この魔王には決して終わらぬ屈辱を与える。
「君の理想は名前も知らない、ただの一個人のエゴによって踏みにじられる。さようなら緋の魔王、あとは何の価値も生み出さない地獄を生き続けてくれ」
「オ……オオオオオッ!」
緋の魔王は咆哮する。言葉はもはや通じず、逃れる術を考える余裕すらない。だから吠えるしかないのだ。自らの怒り、悲しみ、それらの想いを『私』にぶつける手段がそれしかないのだから。