そして染まる。
今自分がどのような姿勢でいるのか、どのような状態でいるのか、何も分からない。ただ漠然と目に映る景色を眺めるだけ。今のところ分かるのは脅威が去ったということ、イリアスやミクスが『俺』を心配そうな顔で見つめているということ。
「――――――、ウルフェちゃん――大事には――――」
ミクスの表情、聞き取れた言葉からウルフェはどうやら命に別状はないようだ。それは良かった。ただイリアスの目からは涙が溢れている。そういえばイリアスの泣いている姿を見るのは初めてなような気がするな。なんにせよ、二人が無事で良かった。……そう言えばカラ爺はどうなったのだろうか。緋の魔王に立ちはだかり、ラグドー卿やグラドナが到着するまで戦い抜いたあの人は。
「―――、―――――」
ダメだ、言葉がまるで聞き取れなくなってきた。意識も安堵からかどんどん遠のいていくのが分かる。視線を動かし、どうにかカラ爺の姿が見えないかと探してみるもその姿は見えない。いや、あれは……。騎士達が怪我人やらを運ぶ姿が見える。担架のような物に倒れた人を乗せ、次々と運搬していく姿。その中の一つに、『俺』の視線は向けられていた。騎士達が運んでいる担架の一つに毛布が掛けられている。そこに乗せられているものの顔は見えない。だけど、その担架からだらりと下がっている腕にはどうしても見覚えがある。それがどういう意味なのかを理解する前に、『俺』の意識は途絶えた。
『――――、―――!』
また声が聞こえる。だが聞いた覚えのない声、いやそもそも体の感覚からして妙だ。ふと意識すると目が簡単に開く。そこにいたのは見知らぬ人間達。誰もが朗らかな笑顔でこちらに話しかけている。その言葉に反応してか、口や体が勝手に動く。どうも何かがおかしい、ああ、そうか。これは夢か。
『ユグラの奴はまた引き籠って魔法の研究とやらか?見た目も変わっていればやる事まで変わっているな』
『そう言ってやるな。あいつはああ見えて凄まじい才能がある』
自ら出た言葉、女性の声。これは……誰の夢なのか大よその推測ができた。しかし以前に見た夢では景色ばかりだというのに、声まで聞こえ始めるのか。いよいよもって何かしらの対策をしないといけないな。
体の主と目の前の人間達は楽しそうに談話している。楽しそうではなく、実際に楽しいのだろう。どうもこの体の主の感情が『俺』にも伝わってくる。
『お前も変な男を拾ったものだ。―――の奴もすっかりユグラに毒されちまってるってのに』
『弟は外で走り回るより、ユグラのように見聞を深めることを好むからな。ただユグラの奇行を考えると悪友と呼ぶべきか。だが最近ではすっかりと明るくなった。その点については彼に感謝しないとな』
正直なところ、こんな光景を見ても特に思うところがない。いや、盗み見ているという背徳感くらいは多少あるだろうか。他人の団欒とかを見せられてもな、さっさと目覚めたいところではある。
そう思った矢先、突如目の前に広がる光景が一変する。場所は先程と変わらないはずなのだが、穏やかな村の光景は微塵の欠片もなくなっていた。建物が破壊され、燃えている。空が炎の灯りで真っ赤に染まり、周囲には焦げ臭さが充満している。先程まで体の主が話していた人間達がいない。違う、いる。目の前に転がっている大きな炭のようなものがソレなのだと理解させられてしまっている。
『みん……な……』
体の内側からどろりとした液体が滲みだすような感覚。怪我をしているわけではなく、これは……想いだ。体の主の心に沸き上がる感情。『俺』も似たような経験があるからわかる。これは怒りだ。抑えきれないほどの怒りが全身を満たし、世界の価値を塗りつぶしている。
『――慟哭せよ、慟哭せよ、我が魂に刻まれた絶望は、我らの終焉が生み出した憤怒は、この醜悪なる世界に轟かせねばならない!』
体の主は誰に語るでもなく言葉を口にする。その言葉はきっと、自分に言い聞かせているのだろう。自らが成すべきことを、成さねばならぬことを、その想いが薄れてしまわぬようにと。慟哭を以て自らの魂に刻み込んでいるのだ。
◇
友は魔力がないせいで体内の魔力に働きかけ治癒を促す回復魔法の恩恵が受けられない。冒険者などが使用する軟膏や一時しのぎの包帯を使い、応急手当こそ済ませたがそこから先は時間を掛けて治す他にない。ターイズの騎士達の拠点となるガーネ城傍にある屋敷の一室へと寝かせ、その様子を日夜問わずに見守ること以外に俺にできることはない。怪我を自然治癒で治すことは多くの体力を使う。そのせいで友はかれこれ三日間目覚めていない。医者が水や液体状の食料を器用に流し込む光景はなかなかにくるものがある。日々容態は良くなっているとの話だが、このまま目を覚まさないのではと不安になる。皮肉にもその不安のおかげで眠気も起きず、こうして友の傍に居続けられるのだが。
「……そこにいるのは、マリトか」
顔を上げると友の目が開いていた。弱々しい表情で俺を見ている。ああ、良かった。ようやく目を覚ましてくれたのか。思わず大きなため息が漏れ、全身の力が抜ける。
「ああ、俺だよ。女性陣じゃなくて悪いけどね」
「なぁに、お前の心配顔くらいが丁度良い」
「これでも三日三晩つきっきりだったんだけどね!?」
とはいえ数日の献身にケチをつける皮肉も今は心地よい。今はただ彼が目を覚ましてくれた、それだけで満足できる。
「三日も寝ていたのか……ちなみにその間の世話って、どうなってたんだ?」
「希望者は多かったけどね、君の今後の心労を考えてきちんと医者と男衆にやらせていたよ。あとはまあ、俺も少しばかり」
「理解のある友で助かる」
「ま、ラッツェル卿やウルフェちゃんは自分の治療が優先だからね。他は……まあ、個人的に任せるべきかで悩ましかったというのが本音かな」
魔王の二人に関してはまず信用したくない。彼の安否を気遣うことに関しては大丈夫だとしても、暇を持て余した時に何をしでかすか分かったものではない。ミクスに任せようかとも思ったが……なぜか何か嫌な予感がしたので我慢してもらうことにした。
「……その後はどうなった?」
「もちろん話すとも。どこから話そうか」
「緋の魔王が去っていくところまでは意識があった。その後の展開を話してくれ」
「緋の魔王が退いてからも戦闘はある程度続いていたけど、ガーネとメジスに攻め込んだ魔物の駆逐は無事に完了した。今は魔界との境界線を一部の兵に見張らせている。国内の動きとしては避難民の住居や食料の確保、破壊された施設の修繕作業に取り掛かっているところだ。緋の魔王も戦力の大半が失われた、これ以上の侵攻はできないだろう。人間側の勝利と言っても良い」
「勝利……か」
友は気怠そうに腕を上げ、目を覆う。友からすれば完勝間際で緋の魔王に散々な目に遭わされたのだ。それを勝利と受け止めることは難しいのだろう。
「緋の魔王は自らの力を示し、敗北はないと訴えた。だけど俺達の勝利は魔王を打倒すことじゃない。民と国を護ることだ。これは紛れもない勝利で、それを掴ませてくれたのは君だ」
「……そうだな。理想の勝利なんてのは、そうそう得られるものじゃないしな」
「あと君が知っておきたそうな情報として、エクドイクとラクラの母親の治療がガーネで行われている。紫の魔王が言うには特に問題なく治せるとのことだ」
「それはなによりだ」
当の本人は友の看病をしたいと言って聞かなかったが、『あやつが目覚めた時、より感謝されるのはどちらか、よおく考えてみるんじゃな』と金の魔王の説得によりどうにか協力が得られた。
「人の心配よりかは自分の心配をして欲しいところではあるけどね。異常はないかい?」
「全身が痛い上にだるい。起き上がるのは無理っぽいな」
「その怪我で起き上がろうものなら縛り付けるさ」
「……クトウは無事か?」
「そこにいるよ。君を護るために魔力をほとんど使い果たしていたようだったからね。補充させたら直ぐに動き出したよ」
「イエッス、クトウ、クウキヨンデダマッテタヨ!イロイロナヒトキタケド、チャカストコロサレソウダッタシ!」
「賢い選択だ」
友の様子を見に訪れた者は多い。その誰もが彼のことを心から心配していた。この悪魔の口調で茶化されたのならば……まあ俺は火にくべる程度で済ませただろう。とはいえこの悪魔がいなければ友の命はさらに危険な状態にあったのだ。勲章を与えてやっても良いかもしれない。
「あと腹が減ったな」
「それもそうか。今すぐ用意させようか」
「いや、いい。外が暗いってことは夜だし、どうもまだ眠い。朝食の手配だけ頼む」
「眠っていても怪我を治す体は働きっぱなしだからね。わかった、それじゃあゆっくり休むと良い」
「――マリト、他に何か報告らしいものはないのか?」
「……いや、今のところはないね。細かい話はあるけれど、それは明日にでも話すとしよう。頭の中で整理させていたら休まるものも休まらないだろう?」
「……それもそうだな」
友はそう言って静かに寝息を立て始めた。その姿を見ていると急激に眠気がやってくる。直接体を動かしているというわけではないが、全軍の指揮を執り続けた後での看病だ。前線で戦い続ける騎士と比べれば、幾分か体力が劣っているのが否めない。部屋を出て近くにいる者に朝食の手配を頼み、自分も眠ることにした。
そして早朝、疲れから目覚めが悪いかと思いきや想像以上にすっきりと目覚める。よほど深い睡眠をとれたのだろう、体がとても軽い。安心が与えてくれる快眠のありがたさに感謝しつつ友のところへと向かう。友はまだ起きていないだろうが、一度は寝ている友人を起こすということをやってみたい。通路を進んでいくと一室から妙な騒ぎ声が聞こえた。
「ええい!少しは怪我人を労わらんか!」
「よく言うわ。抜け駆けはなしとかぬかしおった癖にカラばっかり貴重な体験をしおってからに」
覗き込むとそこにはベッドに縛り付けられているドミトルコフコン卿とラグドー隊の騎士が数名たむろしていた。生存者の中では最も瀕死と言える状況だったドミトルコフコン卿だが、集中的な治療を行ったことで一命を取り留めることができた。とは言え命の保持を優先したために全身の怪我の大半は後回しとなり、当人の魔力の回復を待ちながらの治療は当分続くことになるだろう。
「朝から騒がしいな。まだ寝ている者もいるだろうに」
「へ、陛下!?も、申し訳ございません!」
「ドミトルコフコン卿、貴公がなぜベッドに縛り付けられているか、その理由をもう一度よく考えることだ」
「それはそうですが陛下。こやつら、わしが魔王と戦ったことを僻んで子供のような嫌がらせをしてくるのです!今もこうしてわしの包帯にラクガキを――」
「カラは最近物忘れが酷いからのう。他の者達の伝言をこうして書き起こしてやってるだけですじゃ」
「……ほどほどにな」
このドミトルコフコン卿、意識が戻ると同時に戦線に戻ると言い出し、当然そんなことを許すわけがないとばかりにラグドー隊の面々によって拘束されている。もっともそれだけの元気な姿、早いところ友に見せてやれば安心させてやることができるだろう。
「まったく、人を死人のように運びおって。目が覚めた時、棺桶まで用意するか普通!?」
「なんじゃ、ぐうの音も出んほどにやられたくせに。白目向いて口を開けた顔を皆に晒して欲しかったか?」
「ぬぐ……」
この老兵達は……若い騎士達は連日の戦闘の後でくたくたになっているというのに。……いや、待て。今何と言った?
「ゴファゴヴェールズ卿、死人のように運んだとはどういうことだ?」
「どうと言われましても……あまりにも酷いやられようでしたので、他の者に見せるべきではないと毛布を掛けて――陛下っ!?」
部屋を飛び出し、友が寝ている部屋へと走る。なぜ俺は気づかなかった!友は勝利の話題になった途端、腕で目を隠した。全身が痛み、満足に動けない状況でどうしてそんな真似をしたと!もしも友が今の話を誤解していた場合、俺が直ぐに話す必要がないと判断したことを『そういう結果だった』と受け止めていた場合、彼は一体どんな眼をするのか。もしもその眼を俺が見たら絶対に彼を一人にしないだろうと、だから……!礼儀作法など忘れ乱暴に部屋の扉を開き、中を確認する。
「――ッ!やはりかっ!」
冷え切ったベッドには既に誰もおらず、開けっ放しの窓からは朝の冷たい空気が流れ込んでいた。
◇
緋獣と『地球人』の闘いは序盤こそ緋獣が圧倒的だったが、『地球人』の策によりその全てが覆された。これで終われば話ははえーんだが、流石は緋獣。力業で無理やり人間共の勝利にケチをつけやがった。ま、あんなスタンドプレーが許されるのも世界最強の肉体を持ってるがゆえってやつなんだけどな。
「それよりも今は『地球人』の動向を確認することが先決か。緋獣の場所に向かってくれるってんなら話ははえーんだがな」
ガーネを抜け出したあの男を監視してはいるも、向かう先はどうもガーネ魔界とは違うようだ。行動の目的は大よそ読めるっちゃあ読めるんだが、何をしようとしているかまではさっぱりだ。
「しっかし、こんなボロボロの格好で良く動くもんだねぇ」
全身を木刀に憑りつかせた悪魔に補強させ、満足に動かない体を無理やり動かしてやがる。あの男の身内でなくてもつい心配したくなるほどに弱々しい姿じゃねーの。それはさておき、そろそろ進行方向のめどをつけられそうな感じか。ガーネを出たタイミングじゃ騎士達の目を掻い潜ってよく分からねールートを取っていたが、今はほぼ真っ直ぐに飛行している。地図と照らし合わせりゃ目的地は……うん?
「いや、まさかな?自殺しに行くわけじゃねーよな?」
死ぬのが目的ってんならカーテンにでも首を括れば済む話だ。しかしこの先に向かわせるのは流石に止めるべきか。そう思って立ち上がった矢先、あの男と視線があった。映像として映し出している状況で目が合うってことは、つまりはそういうこと。俺が監視していることを理解した上で、その監視している方向を完璧に理解しているってことだ。
『クトウ、やれ』
あの男がこっちを指差したのと同時に映像が途絶える。あの野郎、俺の使い魔を殺しやがった。視認はおろか、知覚すらできないはずの使い魔を殺すなっての。どうする、新たな使い魔を送り込むか?『地球人』の魔力は追えなくとも、木刀に憑りつかせている悪魔の魔力は容易に特定できる。進行方向を先読みして設置し直せばすぐにでも監視を再開できる……んだけどなぁ。
「だめだな、あの眼は流石にやべぇ」
あの男の眼が澱むのはこれまでに何度も見てきた。だが今さっき俺に向けられた眼はこれまでの比じゃねぇ。ありゃあ黒姉の時と同じで相当染まっちまってるな。
「懐かしさ半分、寂しさ半分ってとこか。いや、寂しさの半分にゃ不安も含まれるか」
故郷を焼かれてからの黒姉は完全に人ではなくなった。魔王となる前から既に魔王としての生き方を歩み始めていた。ああなった人間を止める術は俺にはない。ユグラにも止められなかったのに、俺ができるはずもない。あーやだやだ、数百年も生きてぜんっぜん成長してねーじゃねーか俺。むしろろくでなしになった自覚ばっかり、長生きはするもんじゃねぇよな。
「俺の監視を振り切ってきたってことはだ、俺に動くなって念押しなんだろうけどさ……」
俺の妨害を避けたいだけじゃねぇ、恐らくターイズの王があの男の捜索を始めれば俺に接触を試みる可能性があると読んだんだろう。中立としての立場なら俺はある程度自由に動けるし、情報もばら撒ける。その行動や情報で誰かの敵になるって自覚がなければって話なんだが。『邪魔をすればお前は敵だ』と言わんばかりの目つき、敵対行動を取れない制約を敷かれている俺としちゃ当分手出しはできそうにもねぇ。これまで監視されていることには不満を持ちつつも、オープンだったあの男がこの行動。こりゃ相当良からぬことを企んでやがるよなぁ……。
「はーやだやだ。何もできないで事の成り行きに任せるしかねぇってのは一度で十分だってのに」
黒姉と言い、ユグラと言い、あの男と言い、自由に動き過ぎなんだよな。後で嫌な思いをするのはお前らだけじゃないってのに。